1966(昭和41)年  28歳会社員       母51歳 次弟26歳 3男21歳 末弟15歳

 

繊維不況下の1966年4月26日東洋紡績は呉羽紡績を吸収合併し、ひとつの会社になった。不況原因は、対米輸出規制、後進国の追い上げ、市場価格の急落を列挙するが、重要なことは、今や日本資本主義を支える大黒柱は繊維産業から、自動車産業や、電子産業に移行しつつあるという産業構造の変革にある。

 

マルクス主義経済学では、生産と消費の深刻な矛盾は、窮乏の中の過剰生産という恐慌が周期的に訪れ、大恐慌は、膨大な失業者を巷にあふれさせ、労働者階級は新しい社会を求めて蜂起すると説いているが、世界は一向にそんな気配はない。冷戦下の中ソ対立は労働者階級の統一どころか自国利害の固守に過ぎず、マルクスが唱えた社会主義の理想は一体どうなっているのか。 観念的・教条的な過激派学生は、ゲバ棒片手にマイクを握って叫んでいるが、その主張たるや、抽象的な幻想としか思えない。我々反体制を信念とする小市民が拠り所とすべき正義とは一体どこにあるのか、判らなくなってきた。

 

企業合併を前後して多くのベテラン社員はリストラされ、職場を後にしていった。合併後 従来呉羽の仕事の進め方は否定され、東洋紡独自の仕事の進め方が普及された。提出するレポートは、統計的品質管理手法を駆使したレポートが良いレポートとされ、作業基準の標準化・文書化が推進され、膨大な技術資料は競って文書化した。呉羽時代には、営業をサポートする技術という力関係が是認され、技術サービスは営業メンバーであるかのような活動をしていたが、東洋紡のシステムでは、営業と技術は2つの大黒柱であり、技術は営業の便利屋ではないと教えられ、毅然たる技術者魂を持てと教育された。

 

呉羽では、入社間もない自分にも、年輩上司をさしおいて海外技術指導の機会が与えられ、これからは若い人の時代だという熱気が社内全体に溢れていたが、東洋紡では、従来から培われてきた年功序列体制ががっちりと組まれ、入社間もない若造などに、大きなチャンスが与えられることも無く、若年社員は年輩上司の指導下、ただひたすらに黙々と仕事をこなすこと、これが若年社員のおきてであると自覚した。

 

ある日、学生時代にお世話になった野崎長二先生から、「西川君 トヨタに転職しないか」と長文のお手紙を頂いた。当時、野崎先生は豊田中央研究所副所長であられ、野崎先生直々に豊田中央研究所や豊田自動織機を案内して下さった。「トヨタはこれから急成長しやがて、世界一の会社になるよ」野崎先生の転職のお勧めに自分も随分動揺した。しかし合併直後東洋紡の業務管理手法に興味を持ち始め、東洋紡の管理手法を学んで、技術士国家資格を取得しようと考えていた矢先でもあり、矢張りこのまま東洋紡に勤務しようと決意し、野崎先生の転職勧誘には丁重にご辞退した。しかし10年後、私のこの決断は間違っていたと気づき、再度野崎先生を始め皆様のお世話で、東洋紡からトヨタへ転職の願いは叶えられることになる。

 

 

当時の東洋紡の月給は33,000円、母に8000円の仕送り、その他、東京への緊急援助もあり、けっして独身生活も楽ではなかったが、せっせと貯金し、その額はすでに30万円を越していた。次弟は4月30日名古屋徳川園で結婚式を上げ、奥さんの親元に新居を構えた。3男は刈谷高校卒業後、愛知製鋼に就職、月給16000円を貰っていた。末弟は東京にある全寮制私立高校の特待生試験に合格し、東京に発っていった。後日談となるが、この末弟は、その後名大法学部を卒業、富士銀行東京渋谷支店に勤務と順調に進んでいったが、28才まだ独身の春、胃潰瘍手術の失敗で兄弟の中では、一番最初にこの世を去っていくことになる。弟の死を一番悲しんだのは勿論母だった。しかし、まだそんな悲劇が母の将来に待っているとも知らず、母はこの年寮母を50歳定年で退職し、大高の我が家に戻り、悠々自適の生活に入った。これからは、母は年金収入によって、優雅な毎日を送ることが出来ると早速 家の中を見違えるように改装し、幸せな老後生活 第1歩を歩き始めていた。

 

 

上司や、母の知人から幾つかのお見合話を頂いた。ある時、会社上司より重役のお嬢様とお見合いをしないかと申し渡され 困ってしまった。結婚とは、これから何十年2人が一緒に歩いていくことであり、2人にとって何が一番大切だろうか。矢張り物の観方、価値観こそ、最も大切ではないか。価値観は出身階級によって、形成される。しかしお互いの価値観=出身階級を否定しあうとすれば、そんな不幸な人生はいやだ。重役令嬢とのお見合いは丁重にお断り申し上げた。

 

風の便りで、高校時代あこがれのマドンナは、フランス語助教授と結婚したと知った。きっと幸せな家庭を築いているに違いない。憧れのマドンナを失った心の空白と、彼女には永遠に幸せであって欲しいという切ない願いが複雑に心の中で交錯した。

高校時代、僕は彼女によって、文学を教えられた。僕は彼女によって、生きる味わいを教えられた。このことは今も彼女に深く感謝している。しかし、高校卒業と同時に2人の時間は終った。彼女はN女子大に進み、僕には絶望の浪人生活が待っていた。自戒の言葉。「自分を見つめろ!もっと足元をしっかり見つめろ!」。思えば悔恨の涙からの再出発だった。一歩一歩の起ち上がりは本当に辛かった。あれから10年が過ぎた。今自分は自分の足元を見つめながら、凛として立ち続けることが出来る。希望と自信に満ちた我が青春時代の真っ只中に立ち続けることが出来る。

 C‘est la vie!

僕のお嫁さんになってくれる人は、常に僕と同じ価値観を持って、一緒に歩いてくれる人がいいなあ。思わず まだ見ぬ、未来の人へ、あこがれの思いを胸一杯ふくらませる。

小学6年の秋、父他界。突然襲いかかってきた貧困。貧しさが故に、母の元を離れて6年間、孤独の中での現実認識は社会科学への急接近。ヒューマニズムへのあこがれ。宮本百合子への没入。受験失敗。挫折。敗北からの起ち上がり。陽の当る恵まれた、学生生活。華麗なる社会人生活スタート。幾つかのラッキーチャンス。そしていま飛躍への予感。青春とは僕にとって、あらゆる意味で 過去からの、貧しさからの脱出だった。しかし、どん底で学んだヒューマニズムへのあこがれだけはいつまでも大切にしたい。未来への熱い予感。青春、ああなんて素晴らしい、愛すべき響きであることよ!

交響曲「我が青春時代」最終楽章の重厚な旋律が、遠くから聞こえてきた。ああ青春 万歳 !

-青春時代・終−

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C'est la vie !
とつぶやいて、独り 過ぎし日を思い出す。それは、シュトルムの短編「みずうみ」の書き出し情景ですが、50年後のある日、思い出のマドンナと再会した日のことをここに記し、本編の最終章にさせて頂きました。



(特別追記)

2008年   69歳 名古屋在住。今は海外旅行を重ね、悠々自適を楽しんでいる 

  家内孝子 62歳で他界   長男哲三35歳独身同居   次男研三33歳既婚東京在住



卒業後 50年ぶりに 都立目黒高校同窓会に 初めて出席した。 途中 ちょっとした新幹線の遅れで、開会時刻に15分ほどの遅刻、渋谷東急ホテル六階に到着した時は、すでに挨拶・祝辞・幹事報告は終わり、立食パーティーは始まっていた。会場後方のドアを ソッーと開けると、男女100名が詰めかける会場の 興奮した熱気が突然こちらに一度に迫ってきた。華やかに着飾った男女100名は、ざわつき、笑い、語り合っていた。目に飛び込んでくる 参加者の顔は 高校時代の紅顔の美少年・美少女ではなく、もう古希の祝い、それぞれが70年の人生を歩き続けてきたその歴史を偲ばせる 中高年の顔に変わっていた。しかし、彼等100名は、明るく、輝いている。中には大きな笑い声を出している者もいる。


遅れて会場に飛び込んできて、入り口に立ち往生している自分に、最初に声をかけてくれたのはK夫人だった。50年振りに耳にする マドンナの声は、昔通りの美しい東京アクセント。「失礼ですが 西川さんではありませんか?」

突然の対面で、もうすっかり上がってしまった自分、何をどう話したのか、頭の中は混乱してしまった。声が上ずっていたのが、自分でも意識される。向こうのテーブルから、旧友が笑顔でこちらに呼びかけてくれているのを幸いに、彼女のもとを離れた。

宴会は、クラスごとに順に、壇上に上り、簡単な挨拶をして、記念写真を撮った。最前列に座る下山先生に近寄って挨拶をする。「先生 お元気そうで何よりです」「やあ 西川君か。君は高校時代から良く頑張っていたなあ。君のことは、長く後輩達に語り続けたよ」。下山先生の突然の思い出話は、全身が熱くなるほど嬉しかった。下山先生は、印象に残っている僕の高校時代を何度も聞かせて頂いた。「西川君、今や幸せな人生を送っているんだろ、オメデトウ」。下山先生は今も変わりなく温かい言葉をかけて下さる。

宴会の2時間はあっという間に過ぎてしまった。最後に全員で目黒高校校歌を合唱、次の再会を誓いあった。会場出口で、突然マドンナが近寄ってきて、「西川さん、お荷物になってゴメンなさいね」と 小さなお土産を頂いた。

後日、マドンナから「男の人は、幾つになっても ロマンチストでいらっしゃいますのね」とメールがあった。「そうです。今も心の中は 高校生のままですよ」と僕もメールで応えた。

                                              2008/3 記       おわり

 

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