定年後の読書ノートより

フォイエルバッハ論、エンゲルス著

大月センチュリーズ、1997年版、1200

最近自分の言葉を使い始めています

マルクス・エンゲルスの作品は難しい。だからノートは、どうしてもはさみと糊になってしまう。しかし、正直に言えば、そんな時は自分には何も理解出来ていない。ノートは自分の言葉を使うようにしたい。そして判ったことだけを書いていくようにしたい。そうすれば、ノートを読み返すのが楽しくなってくる。

1、フォイエルバッハは、最初何と切り出したのか

フォイエルバッハの「キリスト教の本質」で、自然は哲学とは独立に存在しており、自然が土台であって、人間は自然の産物であって、自然の上に生まれ、育った。自然と人間の外には何もない。

宗教的空想が創作した、もっとも高い存在者なんてなものは、我々自身の本質が、すなわち人間が空想のうちに反映したものに過ぎない。とフォイエルバッハは聖教者の立場でありながら爆弾発言し、世間をアッと言わせた。

2、魂とか神は、どうして誕生してくるか

人間は古代、夢の刺激は、この肉体に宿る魂の仕業と考え、人間の生死とは関係なく魂は不滅だと考えた。これは自分への慰めの為ではなく、人間の愚かさの為である。

また、同じように自然を擬人化し幾つもの神神を生み出した。頭脳の発達により、抽象作用、蒸留作用が働き、やがて一つの神という観念を人間の頭の中に作り出した。

3、結局フォイエルバッハの、次のステップはあったのか

自然と人間を強調しながら、フォイエルバッハのいう人間とは、いつまでも言葉のままであり、明確な人間については何も語れなかった。彼の抽象的人間から、生きた現実の人間に達するには、ただ人間が歴史の中でどう行為しているかを観察するだけでよいのだ。ところがフォイエルバッハはこれを逆らい、歴史を見ようとはしなかった。しかしフォイエルバッハの立場はマルクスが「聖家族」により乗り越えていった。

4、我々は歴史から何を学ぶことが出来るのか

歴史は偶然の形をとっているが、外的必然性が貫徹している。世界は諸過程の複合体であり、その中に前進的発展が貫かれている。大切なのは人間社会の歴史の中で、貫徹する運動法則を発見せよ。自然は盲目的諸力の交互作用、これに反し社会の歴史では行為する人間の意識された行動の交互作用。

社会の歴史は偶然が支配しているように見えるが、隠れた内的な一般的法則が支配している。行動する人間の動因の背後にどのような推進力があるのか。さらに進んでそれを動かしている諸原因は何か。ところがこうした諸力を誰も歴史そのものから探さなかった。

大切なのは個々の人間の動因よりも、大衆を、階級全体を、動かす動因を突き詰めていくことが歴史の哲学だ。大きな歴史的変化をもたらす持続的な行動をおこさせる動因を探求することは、時代を支配している諸法則を突き詰めることである。

現代の歴史において言えば、すべての政治闘争は階級闘争であり、経済的解放が中心である。結局のところ、生産諸力と生産諸関係に規定されている。歴史をさかのぼって学ぶことは、現代では見えにくいことを更に理解し易く学ぶことができる。

最後に宗教に関して手短に

宗教は原始的な時代に、人間が自分自身の本性と自分を取り巻く外的自然についていだいた、誤った非常に原始的な諸観念から発生した。

ところが、どのイデオオロギーも、ひとたび存在するようになると、与えられた観念材料と結びついて、すぐに発展しはじめ、仕上がっていく。

しかし、宗教も人間の階級諸関係から、つまり経済諸関係から変化をおこしていく。歴史で大切なことは哲学の中で発見することではなく、事実の中で発見することだ。

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