定年後の読書ノートより

荘子、福永光司著、中公新書、1964年初版、660円
 
福永光司先生「中国思想について」を読んで一番印象に残ったのは、先生が何故荘子に関心を寄せるかであった。そしてまた福永先生の哲学観、人間観にはひきつけられる強いものを感じた。早速福永先生の中公新書「荘子」を購入一息で読んだ。

先生は書く。人間は欲望と情念に、自分を翻弄させられる存在である。人間は、また他人や社会に対しても 翻弄させられる存在である。しかし、人間は根源的には生と死に決定的に翻弄される。人間は自由でありたいと願うのに、現実は少しも自由ではない。荘子はこうした現実から自己を考えた。荘子は不自由の現実の中の自己を哲学した。荘子の特徴は

  1. 荘子は不安と絶望の時代の中で生きた。貧窮と苦痛の中で死と直面して限界状況の中で生きた。
  2. 荘子は自己を超えた絶対的な存在は考えない。彼は原罪の重荷は考えない。現実主義者であった。
  3. 人間の存在は初めから孤独であり、絶対的存在=神などないと考えた。
  4. いわゆる合理性なるものは、非合理な現実の徹底的な究明の上に立っているのか、全宇宙的規模か。
  5. 分析的、抽象的、論理的ではなく、全一的、具体的、直感的体験的に、人生をカオスとして把握。
  6. 荘子は詩人であり、純粋なものを愛し、人生を芸術に高めた。

実存とは、あくまで自分の生き方を問う、かけがえのない自己を問う立場である。

こうして荘子の哲学を、第5章にわたって、解説される。荘子の具体的生活は分からないが、彼の書いたもの52編の内、33編が残されており、それらを詳細に研究した福永先生は、全体をまとめた形で、荘子の人間像と哲学を本書によって、明らかにされておられる。

  • 現実の人間は果てしない欲望と情熱に引き摺り回され、それに自己を翻弄される不自由な存在である。
  • 現実の人間は自己自身に不自由であるばかりでなく、他人や社会に対しても不自由である。
  • 人間は今一ついっそうの根源的な、不自由は、人間の出生と死とがそれである。
  • 死は拒否することも、反抗することも無意味な虚無の深淵である。
  • 人間だれでも自由で有りたいとねがうのは、このような現実の不自由の中からである。
  • 荘子にとって、死後の世界はあってもよく、無くてもよく、要するに大した問題ではない。
  • 人間の存在それ自身は善悪の価値批判を超えている。
  • 荘子にとって、人間存在は初めから孤独であり、生きていくことが決意のすべてである。
  • 初めから神を持たない人間の自由を追求した荘子の哲学。
  • 理性に対する信頼が非難されるべき理由はない。価値に対する憧憬もまた必要不可欠である。ただ問題はそれらの信頼なり憧憬なりが人間の持つ非合理性に対する切実な凝視、人間の持つ反価値性に対する周到な把握の上に立っているかどうかである。
 

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