定年後の読書ノートより

自由からの逃走、エーリッヒ・フロム著、日高六郎訳、東京創元社刊、1951年初版
第1章、自由―心理学的問題か?

第2章、個人の解放と自由の多義性

第3章、宗教改革時代の自由

第4章、近代人における自由の二面性

第5章、逃避のメカニズム

第6章、ナチズムの心理

第7章、自由とデモクラシー

この本を読んで感じたこと

第1章、自由―心理学的問題か?

自由を求める戦いの中で、勝利者は或段階で、自由の敵に味方する。何故なら新しく獲得した特権を守ろうとするからだ。第1次大戦後、人々は、結果として権威へ服従した。

社会過程における心理的、経済的、イデオロギー的要素の交互作用の中で、心理的要素の役割は重要である。資本主義社会では、各人は、自分自身のために個人主義的に働く。人間は自由になればなるほど、愛や生産的な仕事の自発性のなかで外界と結ばれるか、でなければ、自由や個人的自我の統一性を破壊するような絆によって一種の安定感を求めるか、勿論後者がファッシズムを勃興させた心理的背景である。

第2章、個人の解放と自由の多義性

社会史は、個人の成長と同じような過程をたどる。子供は生まれると、母親から離れた一個の生物的存在となる。この生物的分離は個人的な人間存在のはじまりである。分離は不安と無力の感情を生み出す。外界は、個人的存在と比較すれば、圧倒的に強力であり、脅威と危険に満ちている。孤独と不安を回避出来るのは服従か、または人間や自然に対する愛情や生産的な仕事等は、全人格の統一と力強さを育てる。

人間と自由との関係を雄弁に物語っているのは、聖書楽園追放の神話である。エデンの調和を破壊した行動は、自由の最初の行為である。人間は個人となることによって、自然から分離し、人間へと近づいた。人間的自由の成長過程は、自然の克服、理性の発達、連帯性が進む過程であるが、同時に個性化が進むことによって、孤独や不安がまし、ひいては世界における自分の役割や人生の意味に対する疑惑が高まり、個人としての無力さと無意味さの感情がつのる。

個人の無価値、根本的な無力感、服従への要求、これらの考えはまたヒットラーのイデオロギーの主要テーマでもある。中産階級は、資本と独占の力に脅かされ、この脅威がナチスイデオロギーに、大きく影響された。

第3章、宗教改革時代の自由

中世社会は規則と義務にしばられ、個人が自由に活動する余地はなかった。しかし中世の人間は孤独でなく、孤立していなかった。人間には安定感があり、社会は個人を束縛していた。中世末期、富はもたらされたが、伝統的生活様式はおびやかされた。中世的社会機構が崩壊したあと、近代的個人が出現した。人間の尊重と個性の強調と同時に、不安と絶望の哲学が始まった。

自由の市民は富や力もなく、他人との一体感もなく、個人は一人で世界に立向う。新しい自由は動揺、無力、懐疑、孤独、不安の感情を生み出す。

思想はある社会集団の強力な心理的要求に答える時に始めて歴史における強い力となる。ヒットラーの権力と征服への欲望は、服従へ努力することによって懐疑を克服できると民衆に説いた。中産階級の動揺。逃避への心理的メカニズム。自我の否定。個人の安定。これらは資本主義によって呼び起こされた人間の性格特性である。

第4章、近代人における自由の二面性

近代的産業組織は個人を発展させ、いっそう無力なものにした。資本主義は人間を伝統的な束縛から解放したばかりではなく、能動的批判的な、自我を成長させた。しかし、同時に個人を孤立したものにして、無力の感情を与えた。資本の蓄積のために働くという原理は、人類の進歩に価値を持っているが、個人に無力の感情を生み出す。経済的情勢は以前よりもはるかに複雑になり、個人はそれを見通す力をますます失っている。彼らは消極的な自由から積極的な自由へと進むことが出来ないかぎり結局自由から逃れようとするほかない。

第5章、逃避のメカニズム

近代社会において、個人が自動機械になったことは、一般の人々の無力と不安を増大した。その為に、彼は安定を与えてくれ、不安から救ってくれる新しい権威にたやすく従属していく。自由とは理性、意志、良心などによって、個人内部を自分で支配することだと言われているが、すでに良心とは、倫理的規範を装った社会的要求であり、冷酷なる内面支配である。

権威主義的思考に共通な特質は、人生が大きな力で決定され、幸福とはこの力に服従することであると考えるようになっていくことである。

孤独を支配する「正常」な姿とは、自動人間になることである。マゾヒズム的およびサディズム的努力とは、孤独感と無力感から個人を逃避させようとするものである。

第6章、ナチズムの心理

ナチズムは、心理的問題であるが、心理的要因は社会的経済的要因によって形成される。ナチズムに対する温床となったのは、下層中産階級であり、ドイツ敗戦と君主制崩壊、ベルサイユ条約に対する怒り、労働者階級の威信向上に対し、彼らは人生観が狭く、社会的劣等感を国家的劣等感に投影し、猜疑心、嫉妬、禁欲主義を道徳的公憤として合理化した。しかしナチズムは彼らの心理的復活を刺激したが、やがて日和見し、ヒットラーは、大工業代表者達の利益に奉じていった。

第7章、自由とデモクラシー

サディズムとは、無力者を支配したい欲望であり、マゾヒズムは、強い力に服従したい欲望である。ナチズムは我々の中にある、孤独感、無力感を温床として成長した。無力感は逃避を導くか、自我をすて自動人形の道を選択する。

子供の生育に見るごとく、自己の伸展と周囲への反抗を取り除く教育課程。自発的感情が抑圧され、偽の感情が積み重ねられる。

人は社会と関係を失って、無力感と孤独の中にいる。これはファッシズムの温床である。

自我の実現、、自発性、思考、感情、行為の自己表現の必要性、個人が自発的な活動によって、自我を実現し、自分自身を外界に関係づける。

積極的自由は、能動的自発的に生きる能力を含めて、個人の諸能力の十分な実現と一致する。自由の勝利は、個人の成長と幸福が文化の目標であり目的であるような社会、自己の外部にあるどのような力にも従属せず、操られない世界、個人の良心や理想が、外部的要因の内在化ではなく、真に彼のものであって、彼の自我の特殊性から生まれてくる目標を表現しているというような社会まで、デモクラシーが発展するときにのみ可能である。

この本を読んで感じたこと

先日ある週刊誌を読んでいたら、志位さんの青春時代愛読書のひとつにフロムの「自由からの逃走」が入っていた。おそらく戦後多くの人々がこの本から、積極的に生きる姿勢を学んだに違いない。残念ながら自分は60歳になるまで、エーリッヒ・フロムについて、なにも知らなかった。ただ、自分の人生座生の書である、岩波新書「どうしたら幸福になれるか(上・下)」にて、社会心理学が、極めて我々の物の見方に素晴らしい光を与えて呉れることは認識してきた積もりなので、フロムには期待する所大きかった。

自己疎外という流行語が、最近ではあまり耳にしなくなった。また、若きマルクスという言葉も遠くなってきた。しかし、今回、現代人の無気力と孤独こそ、ファッシズムの温床になりうる危険性があり、無気力と孤独は、社会との正常な接触を自ら閉ざしてしまう現代人の思考土台にその発生原因があり、これは経済的社会的要因が、心理学に投影した現象であることを教えられた。すなわち自己疎外と、フロムの指摘する現代人の無気力と孤独は同義語なのだ。

フロムは現代人の無気力と孤独からの脱出策は、個人の自発的な活動によって外界との道を開くことによって開かれるとしており、自分自身を積極的活動的人間に改造していくことだと指摘する。自我の実現としての積極的な自由は、個人の独自性を肯定し、他人の自我に敬意を払う生き方でもある。自我におけるこうした活動こそ、人間文化の価値ある成果だという。

フロムの社会心理学は多分にロマンチズムに満ちた、ひとつの世界観を形成している。若々しい視点であり、それだけにまた、これから幾つかの試練に耐えるべき視点でもある。

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