定年後の読書ノート(超難解哲学論文)
キリスト教の本質 上・下
フォイエルバッハ 船山信一
岩波文庫 633-1.2 1937年初版
1981年第30刷発行 現在絶版中 古本1800
超難解文章の為、読んでいても文脈のつながり、そこで主張されている考え方、背景を流れているストーリは、大半理解出来ていない。これは何度読み返しても直ぐには理解困難と思う。ドイツ思弁哲学というものは、こんなにも難しいものなのかということが、良く判った。しかし、この超難解文書に判らないままでも挑戦したおかげで、これ以後、マルクスや、エンゲルスの哲学論文を読んでも、素直に理解できるようになったのは、挑戦したおかげだったと喜んでいる。

挑戦のきっかけは、宗教とは何かを、これほどズバリと考察した論文に出会ったことが無かったからだ。

宗教は迷信だ、オタクだ、遅れている、レベルが低い、阿片さ、馬鹿だ、くらい、等々誹謗はいくらでもある。しかし、身内が死にそうだとすれば、神に祈るし、葬儀には僧侶にお祈りをしてもらう。オウム事件では、そうそうたるインテリ達が救いを求めてあっさり、入信していったのは何故か疑問だった。

フォイエルバッハは、神学者として出発し、ヘーゲル哲学に傾倒し、やがて観念論を克服して、人間学的唯物論に到達する。

曰く「人間は自らの主体的、知性的本質の最高の枠を選りすぐって、神を対象化し、外化している。だから、神が人間から引き離され、最高の諸概念をあてがわれて彼岸に隔絶されるとすれば、それは人間の自己疎外に他ならない。神そのものは人間の疎外化された自己である」と。

フォイエルバッハは宗教を撤廃せよなどとは全然いっていない。知性ではなく心情と意志と愛による、神と人間の真の統一を説いている。

宗教とりわけキリスト教とは、もともと共同体的存在である人間が、現実において相互に疎遠な利己的個人になっていることから生じた人間の疎外態である。

いずれにしても、これほど、難しい本を読んだのは始めてであり、奥の深そうな本だということは良く判った。しかし、自分には理解できるのは、ここまでだ。

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