定年後の読書ノートより

閔妃暗殺 ―朝鮮王朝末期の国母―角田房子著、1988年新潮社、
先日読んだ韓国歴史教科書は、日韓併合史を流れるストーリが不十分。近代韓国史をストーリとして更に詳細に理解しなければと考え角田房子著ノンフィクション「閔妃暗殺」を読んだ。

1895年(明治28年)10月8日、日本官権と右翼壮士(与謝野鉄幹もその一人)等は、ロシア側接近勢力を一掃せんと朝鮮王朝閔妃を暗殺、その後の日本帝国主義韓国侵略への突破口を開いた。結果としてこの国際的的暗殺事件は、大国間のパワーバランスを背景に、その罪を追求されることもなく、日本側に有利に進展したかもしれない。

しかし、我々はこうして過去の歴史の罪を背負って生きて行くことになる。恨みという字は韓国民の日本人に対する怒りの焼印であろうが、我々日本人はこの歴史を如何に記憶して行くべきか。

このノンフィクションを読むまでは、自分は資本主義の発展段階としての帝国主義時代、不均衡なパワーバランスを富国強兵で走り続けた開国日本の立場、それなりの侵略行為も歴史の必然としてやむ得なかったのではないかと理解し、むしろ恨という字でいつまでも歴史を乗越えられない韓国の執念深さに恐ろしささえ感じてきた。

しかし、今回このノンフィクションを読んで、歴史は個人の人生観と別物ではなく、例え国際政治の歴史的選択問題においてでも、人間如何に生きるべきかという青臭いと言われる哲学問題と根底で結びついていると思った。

我々はヒトッラーを歴史の極悪人と理解し、リンカーンを聖人と敬う。当人が如何に民族の繁栄と国家の尊厳の為にやったこととまくしたてようが、自由と民主主義の尺度で歴史は正しく理解していく力を持っている。

故に我々、人類が長い歴史で共通確認してきた基本原理、自由と民主主義を大切なものとして、これを守り抜く姿勢を崩してはならない。この姿勢こそが過ちを犯した過去の歴史からの日本人としての反省であり、未来に向けて出発する次世代の信条でなければならないと再認識する。

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