定年後の読書ノート
セネカ入門(セネカと私)茂手木元蔵著東海大学出版会1994年第1刷1800
1921年生東大哲学卒横浜市大名誉教授「セネカ道徳論集」「セネカ道徳書簡集」「人生の短さについて」
セネカは入門書不要。まず本文を読みなさい。難解であるが、始めから苦労して読むほど教えられる。

セネカの思想。「われわれは短い時間を持っているのではなく、実はその多くを浪費しているのである。人生は十分に長く、その全体が有効に費やされるならば、最も偉大なことも完成出来るほど豊富に与えられている。」

セネカは言う。「人生という時は短いが、しかしその時を上手に使えば長い。だから時を惜しんで励め。励むとは

毎日あくせくとして働くことではなく、そんな仕事はやめて、もっと大切な仕事に励め、そうすれば人生は長い。」

セネカ邦訳。大正2年高橋五郎著セネカ論文集。昭和2年加藤朝鳥著世界大思想全集3。昭和8年前田越嶺。

莫末高野長英。西周。(田中美知太郎著哲学初歩岩波全書)「思想でも技術でも日本は近世以来、素地を持っていた。」日本ではセネカは儒教思想と同様に受け取られ、高く評価されなかった。日本では形而上学に注目を集めた。

昭和初期、哲学はドイツカント、ヘーゲルの観念論が中心。セネカのストア派、エピクロス派哲学はギリシャ哲学の応用、ストア派ヘレニズム哲学は本流から外されていた。しかし、セネカには難しいところがあっても、先へ先へと引っ張っていく魅力がある。セネカの思想は、現代の人々の一つの心的要求である。

多忙な時代、セネカへの一般の関心が高まる。

「高い年齢に達した老人が、長い間生きていたことを証明する証拠として、年の功以外何も持っていない例がある。

s・tは、このうえもなく勤勉な老人であった。この老人が90歳を過ぎて、G帝から一方的に執事職の罷免を受けたとき、命じて自分を寝台に寝かせて、それを取り囲んだ家族から、あたかも死人へのように泣き悲しませた。

家人達は、老主人の暇を嘆き、老人の職が元に復されるまで悲しむことを止めなかった。多忙の身で死ぬことが、これほどまでに嬉しいことであろうか。」セネカ人生の短さについて20。3

ローマでも豊かさの結果、贅沢、浪費、美食、不正、淫楽の風がはびこった。警告をならしたのはセネカ。

セネカは、徳の愛好と実践、情欲の忘却、生と死の認識、深い安静の生活を主張した。

セネカは言う。英知に専念する者のみが暇のあるひとであり、このような者のみが生きていると言うべきである。

自分自らの力で隠退することは、われわれに益するであろう。われわれは自分だけでいれば、ますます幸せになるであろう。人は余暇において生活する権利がある。その意味は余暇を受けるのではなく、余暇を選ぶのである。

幸福は余暇のうちにある。余暇とは時を過ごすという意味である。アリストテレスは、最高の知識を得るために余暇が必要だという。

セネカには、形而上学者以上に、俗人に訴える魅力がある。

文章の巧妙さだけでなく、実際の例を豊富にしめして、事柄を帰納的に論じ納得させる力がある。

茂手木先生曰く。

私自身も最初は形而上学からであり、いわゆる処世術とか人生論などというものは哲学ではないと思っていた。

そしてアリストテレスに従って人生の大半を費やしたのである。しかしセネカを親しむようになってからは、彼を「安価な哲学者」とは考えられず、

むしろそれによってアリストテレスの弱点を知り、かえってセネカに拍手を送り、彼の考え方を真と思うようになった。

セネカは書いている。

確かに高い地位にいる人々は、自分を幸福に思うためには、他人の言葉を借りる。自分の感情で幸福を見つけられないからだ。高い地位の人々は、他人が自分をどう思っているか聞きたがる。彼らは自分自身には他人である。多忙な生活にあくせくしながら、自分の精神の健康に気をつけるいとまがない。「沢山の人々には知られすぎるほど知られても、自分自身には知られないままに死ぬ人の上には、死が重々しくのしかかる。 と。

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