定年後の読書ノート
日本イデオロギー論
戸坂潤著・岩波文庫1977年初版・760
哲学者戸坂潤氏

世界的にファッシズムの台頭をみた1930年代。日中戦争に突入した我が国の思想界は急速に「日本主義」へと傾斜した。鋭い時代感覚と論理的一貫性をもって時代と妥協することのなかった戸坂潤氏(1900-45)は、こうした日本主義が、明治以来の自由主義の限界性にもとずくことを看破する。その秀徹した批判は今日なお清新である。

戸坂潤氏の思想的活動はあの戦中の暗黒時代における輝かしい星だった。もし戸坂潤氏の活動がなかったとしたら、1930年代の日本思想界はまったく汚辱にまみれたものだったといえる。

思想とは思想家の頭脳だけの観念ではない。それが社会的な力を持つとき初めて思想が成り立つ。自由主義は近代日本のかくされた基調になっている。その観念は宗教的意識にまで高揚している。これは現実逃避を意味している。矛盾の現実的解決の代わりに矛盾の観念的な無視、解消がその血路である。自由主義は宗教意識を仲立ちすることによって、容易に一種の絶対主義に移行することが出来る。

この哲学体系の根本的な特色は、「解釈の哲学」だということである。事物の現実的な解明ではなく、対応する意味の秩序についてのみかたるのがこの哲学の得意な手口である。露骨な観念論という髑髏は、自由主義という偽装によって、温和なリベラルな装いで登場する。ここから出てくる結論は文学主義という論理である。これは解釈方法をもっともらしく見せたものである。インテリにとってのアットホームなロジックである。極端な場合は、あれこれの言葉を勝手に取り出して、これを哲学的な概念まで仕立てることである。

文学主義は表象を概念までに仕立てたが、文献学主義は言葉を概念までに仕立てる。古典が成立した時代においてしか通用しなかった範疇をもってきて、それを現代に適用すれば、現実はどこかへ行ってしまい、解釈の世界が展開する。

現実の代わりに、意味の秩序を持ち出すのに、これくらい尤もらしく見えるトリックはないだろう。現実の問題から目をそらさせることは反動主義のねらうところである。今日日本の大衆を動かしているのはこの思想動向である。自由主義の哲学者は専ら意味の形而上学建設や自己意識の琢磨に多忙で、現実問題の矛盾に関しては関心が無いか、または現実に目を向けないように努めているのである。

思想というものは、実際問題の解決の為、その論理を首尾一貫して展開できるところの、包括的で統一的な観念のメカニズムである。

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