定年後の読書ノートより

徒然草 兼好法師、1330年(鎌倉末期)、31歳出家
枕草子」と共に随筆文学の双璧。金城大学吉沢教授は徒然草こそ人生如何に生きるべきかを考えた思索の書であるとおっしゃるがどんなものだろうか。徒然草には、時代を超えた人生の知恵があると言われるが、243段、連想のおもむくままに、率直に思ったこと、感じた事を記しとどめていくのは兼好法師さんでなくとも面白い作業に違いない。要するに現代の自分史とも通ずるものが有りそうだ。

ところで徒然草の人生思索の極みは、74だと思うが、短い文なのでここに全文転記してみる。吉沢教授は若き青春時代この一節に感動し人生を徒然草に没することに心決められたそうな。 吉沢少年なんとナイーブな心の持ち主であったことか。

蟻のように集まって、東へ西へ急ぎ、南へ北へ走る。身分の高い人もあり、低い人もある。年取った人もあり、若い人もある。行く所もあり、帰る家もある。夜には寝て、朝には起きる。忙しく働いているのは何事であるのか。やたらに長寿を願い、利益を求めて、とどまるところがない。我が身を養生をして、何事を期待するのか。待ち受けるところは、ただ老いと死とだけである。老いと死の来るところは、速やかで、一瞬の間も休止することがない。老死を待つ間、何の楽しみがあろうか。迷っている者は、これを恐れない。名誉利益に心奪われて、死期の近いことを顧みないからである。愚かな人は、また老いと死とを悲しむ。不滅であろうことを願って、無常の理法を知らないからである。

この一文はセネカのストア哲学にも通ずるものがあるが、こういうことを自分史と題うって書き続けて行くことは楽しいに違いない。そこで自分もやってみようと思った。一杯のかけそばハナシに通ずる幼年期から、定年後のワッハッハまで、パソコンを使ってやってみたくなってきた。

パソコンで綴る自分史、兼好法師の徒然草に刺激され、現代版徒然草をパソコンで自分史のカタチをとって、始めてみよう。いかがなものか。

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