定年後の読書ノートより
変貌するフランス、西永良成著、NHKBOOKS、1998年11月
ふらんすへゆきたしと思えども、ふらんすはあまりに遠し、せめては新しき背広をきて、きままなる旅にいでてみん。汽車が山道をゆくとき、みずいろの窓によりかかりて、われひとりうれしきことおもわむ。

1925年萩原朔太郎の詩「旅上」だ。

明治新政府は、共和制にもとづくフランスではなく、富国強兵によって近代化を成し遂げた帝政プロシアに範をとる伊藤博文らの主流化によって、どちらかといえば、フランスは政治から遠ざけられ、思想、文化、芸術の国というイメージで日本の知識人の共通認識となってきた。それだけに朔太郎の詩に代表されるフランスへのあこがれはどこか華麗な響きが胸に共鳴する。

守るべきものはブルジョアジーの人権ではなく、人民の人権だとする進歩思想によって開かれた社会主義国は、強制収容所に象徴される人権蹂躙の暗部を露呈し、再び「人権の祖国」フランスが1789年の気概を復権しているが、しかし多様化の現代、はたして、事情はそんなに簡単ではない。

チェコからの政治亡命したクンデラはフランスの今日に失望して、人権とは欲望を権利に変形したエネルギーなのかと欲望氾濫の風潮を指摘する。しかし、フランス社会哲学者リポベツキー曰く。「ポスト・モダンとは、未来主義的な革命や進歩など誰も関心はなく、自分の生を最大限に生きることを欲し、新しい人間を育てるのではなく、自分自身を若々しく保ことに最大の関心をはらう時代をいい、要するにポスト・モダンとは人生の目的・意義などには無関心な「空虚な時代」ではあるが、しかし悲劇性もなく生きられる安楽の全体主義下における、自己保護主張の時代だ」という。日本もそうした意味では、ポスト・モダンの時代に入り始めている。フランスというより先進資本主義国の必然的社会風潮なのだろうか。

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