定年後の読書ノートより(1999/2/1)
To have or to be ( 生きるということ ) エーリッヒ・フロム著 佐野哲郎訳 紀伊国屋書店
人間の存在として、<持つこと>と<在ること>の違いを正しく捉えていない場合、<持つこと>は限りなき生産と限りなき消費の中で、我々自身が、慢性の飢餓状態に陥ちいる結果となる。

これに対し、<在ること>は、何物にも執着せず、変化を恐れず、成長し流動する過程であり、他者との関係においては、与え、分かち合い、関心を共にする生きる関係となる。これは生きることの肯定であり、生の舞踏に加わることである。

心理学、生物学、社会学、神経生理学等あらゆる面から人間を観察、研究し、その限界を見つめた上で、フロムはなお生を肯定する。<持つこと>とは、多くの言語では、それは私にあると表現する。私有財産と共に発達した概念である。<あること>は、同一性の表示であり、受動的な形として、主語と属性の同一性の論述以上のものである。外観に言及することでなく、本質に言及することである。自己と世界どちらが支配するか、それは<持つこと>と<あること>の違いを意味し、これによって、人の思考、感情、行為が決定される。

持つ存在様式では、世界にたいする私の関係は所有し、占有する関係にある。ある存在様式は、持つことと対照をなすもので、生きていること、世界と真正に結びついていることを意味し、偽りの外観とは対照的に人あるいは物の本性、真の現実に言及するものである。あることはなることである。

生きているとは変化するときのみ存在しうることである。変化と成長は生命の過程に内在する過程である。生命は実体としてではなく過程としてとらえる。消費主義に内在する態度は、全世界を飲み込もうとする態度である。消費することは、すぐにその欲求充足的性格から、それはまたより多くの消費することを要求する。たいていの人は、持つ様式を自然な存在様式であると思い込んでいる。

持つ存在様式の学習は、学んだことを固守することとなる。ある様式の学習は、反応し思考経過を集中し、変化する努力をする。持つ様式の想起は論理的かも知れないが、ある様式の連想は、能動的に生きた結合である。持つ様式の会話は、持っている観念に固執するが、在る様式では勇気を持って、あるという事実に頼る。持つ様式ではストーリーを追う読書となり、ある様式の読者は本の価値は自分で見分ける。

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