定年後の読書ノートより
産業革命、T.S.アシュトン著、1973年第1版、岩波文庫
序論

産業革命の時期をアシュトンは、1760年から1830年としている。ここに至るまでの英国は次の如く。囲い込み運動は静かに進み、貧農は土地から締め出されていた。非効率的な羊毛手つむぎは限界にぶつかっていた。石炭も過酷な労働を何とかせねばという状態にあった。製鉄は森林を燃やしつくし、資源は枯渇していた。農業における共有権、鉱業においては洪水対策、製鉄業では燃料不足、織物業では糸不足、交通・商業では独占の横行があった。

技術的革新

1760年ごろより、各種の発展速度が急速に高まった。農業においては囲い込みが急激に進行し、労働力は農業から工業に動き始めた。コークスを使う溶鉱炉が大規模化し、製鋼方式は変ってきた。ニューコメン機関がジェームスワットによって発明された。しかし、変革の一番大きかったのは綿繊維産業である。1767年ジェイムス・ハーグリーブスが、手つむぎ機ジェニーを発明した。彼は特許取得に失敗した。アークライトは縦糸にもつかえるつむぎ機ウォーターフレームを発明、紡績をシステム化した。もう一つの発明はサミュエル・クランプトンのミュール精紡機である。ワットの蒸気機関により工場は都市に作られた。ロバーツ力織機が英国に増えたのはフランス戦争以後である。トーマス・ベルがシリンダープリントを発明、仕上げ漂白も機械化した。機械化は科学からえた新知識に導かれた。新規の産業分野として土木工学が登場した。

資本と労働

産業革命は工学上の出来事であると同時に、経済学上の出来事でもあった。発展していく工業の資本はどこから来たのか。蓄積は初期の段階から始まっていた。投資は銀行制度確立まで近郊の地主等に負うところが多い。労働力の移動には多くの障害があった。ロンドンには大量の失業者が存在した。政府は子供達を集団的に紡績工場に引き渡し、彼らは長時間労働を強いられた。多くの女や子供が男子工員に雇用され、使われた。機械の稼働率は高められ、労働時間は延長された。

経済的変動の推移

産業革命は一つの運動であり、その後アメリカ、フランス、ドイツ、ロシアと続いた。物価は変動し、投資の変動は雇用の変動を引き起こした。フランスとの開戦は恐慌を起こし、現金不足を生んだ。逆に1825年利潤にたいする高度な期待が、投機を生んだ。産業革命は、富者をますます富裕にし、貧者をますます貧乏にしただけか。機械化されないインドや中国のごとく、増大する人口と、国の活力の源泉はままならず、疫病と空腹に悩まされ続ける生活水準、産業革命を経験することなく人口増加した人々の運命をまず考えるとき、産業革命の意味は明確になってくる。

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