定年後の読書ノートより

かもめのジョナサン、リチャード・バック著、五木寛之訳、新潮社

古本屋で350円でこの本を見つけた。図書館でも見掛けないこの本に出会ったのは古本街散策の醍醐味である。

オウム真理教村井秀夫は、入信の心境を「かもめのジョナサンになってみます」と言い残したそうな。自分にはこの謎めいた言葉の意味がこの本を読んで始めて意味が通じた様に思う。

この本はアメリカでは、「風と共に去りぬ」をしのぐ売れ行きだったそうな。ストーリはすでに新聞で読んで知っていた。超体験にのめりこむかもめのジョナサンはついに、異次元を自由に往来する境地に到達、いつまでもあくせくと食う生活に追いかけられている哀れなる<群れ>を見下ろし、彼は愛を説き、修行を説き、解脱を説く。村井秀夫が言い残した言葉の意味が見えてくる。

オウムの犯罪は暴かれた。しかし何故純真な秀才達がオオム真理教に惹きつけられていったか未だ明らかではない。この難問を解く鍵はこの小さな詩集に隠されている。この本を訳した五木寛之氏は文末に素晴らしい文章を残している。実はこの後書きを読みたくて、この本を探していた。五木寛之氏は語る。

およそ翻訳という作業において、原作への共感と尊敬が不可欠であることは私も知っている。しかし、私はこの物語が体質的に持っている一種独特な雰囲気がどうも肌に合わないのだ。ここには上手く言えないけれど、高い場所から人々に何か呼びかけるような響きがある。それは異端と反逆を讃えているようで実は伝統的、良識的であり、冒険と自由を求めているようでいて逆に道徳と権威を重んずる感覚である。何故、この作品が凄まじいほどの支持と共感を集めるのか。その魔力は何か。人々は何を待ち望んでいるのか。大衆の求めるものが、この物語の指し示すものと重なるとすれば、そこには或る恐ろしい予感がよこたわっている。」

何と五木寛之氏の感覚の鋭さよ。更に氏は語る。一番素晴らしいところである。

私たち人間はなぜこのような<群れ>を低く見る物語を愛するのだろうか。私にはそれが一つの重苦しい謎として自分の心をしめつけてくるのを感ぜずにはいられない。食べることは決して軽蔑すべきことではない。そのために働くこともである。それはより高いものへの思想を養う土台なのだし、本当の愛の出発点も異性間のそれを排除しては考えられないと私は思う。管理社会のメカニズムの中で圧殺されようとしている人々が、この物語に一つの脱出の夢を託するという可能性もわからないではないが、しかし、それにしてもこの物語の底の底には、なにか不可解なものがあるようだ。」

私は五木寛之氏をあまり未だ知らない。九州筑豊炭坑の貧しい町から早稲田大学への門をめざし学んでいった氏の足跡には、苦労した人だけに与えられる真実を見抜く目が光っている。

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