定年後の読書ノートより
風の果て、藤沢周平著、週間朝日、昭和58年〜59年連載
「内側に入った」。43歳の桑内又左衛門は、中老を仰せつかった日、そう思った。権力の甘い香り。庄内藩100石以下の上村家の次男として生まれた上村隼太は秩序体制の現実を身に染みてはい上ってきた。中老就任直後、思いもよらぬ数々の届け物。すれ違う人々が自分に寄せる畏敬の念、権力の側にある居心地の良さ。権力の内側の人間になった彼にとって、次に倒すべき相手は、道場時代からの友人、自分を引き上げてくれた恩人、家老杉山忠兵衛そのひと。桑内又左衛門の策略は時間をかけて蹴落とすことにあった。思えば青春時代、道場仲間の5人の中で最初に死んだのは、寺田一蔵であり、彼を斬ったのは野瀬だった。寺田の妻を娶った野瀬市之丞。しかし彼の後ろには謎の陰扶持がある、そんな噂を中老桑田は耳にした。誰が彼を雇っているのか。野瀬市之丞からの果たし状。彼を倒した後、彼は道場仲間、三矢庄六より真相を聞く。野瀬を雇っていたのは杉山忠兵衛だった。しかし、桑内又左衛門にとって、もうそんなことはどうでもよかった。桑内又左衛門は咳ばらいした。威厳に満ちた家老の顔に戻っていた。家老桑内又左衛門は権力の内側の人間であった。というおはなし。

自分がこの本に期待したのは、陰扶持を受けて人生を斜めに生きる野瀬市之丞の人間像を藤沢周平は何処まで描ききっているかだった。今も世の中には、権力に自己をこっそりと売りつけんとうごめく人々がいる。暴力団がからむ株取引き情報屋に始まり、派閥権力抗争における走狗者達は至る所に、うようよといる。しかしどうしても許せないのは、闘わざるを得ない弱者、ある時は敗者でもある虐げられたる弱者に対し、権力側に自分を売り、茶坊主、走狗、スパイとして、弱者に吸い付く吸血鬼みたいな輩である。今までいろいろな男を見てきた。這い上がってきた自己出身の世界を熟知しているが故に、巧妙に走狗の役目を果たす男の中に、妙に正義漢ぶって自己主張し続ける奴もいる。権力者はこんな男は飼っておくに限るとほくそ笑む。こういう男のいやらしさを、汚さをうまく描いた作品として司馬遼太郎の街道をゆく、第4巻、堺・紀州街道がある。ここに描かれた浅野幸長に拾われた上田宗固なる男を、司馬さんは実にうまく描写している。この男そっくりな奴が身近にもいたことを思い出し、大作家の筆はすごいと敬服させられる。そんな期待をもって野瀬市之丞人間描写を読んだ。しかし、残念ながら、藤沢周平はきれいすぎる。本当の世の中は、もっといやらしい。人間は、もっと汚らしい。このいやらしさ、汚さを描ききれたとき、藤沢周平は大作家と言える。宮本百合子もそうだが、人間きれいに描く事はやさしいが、汚く描く事は、難しい。しかし本当の感動は人間を汚く描けてこそ読者に真実の迫力が生きてくる。

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