定年後の読書ノートより
教育とは何かを問い続けて、太田 尭 著、岩波新書
「はしがき」で、大学で教育研究にたずさわってきた著者自身、「その間自分はどんな考えで、どういう生き方をしてきたのか」と自問しているところを読んで、「この本には本当のことが書いてあるぞ」と直感した。

直感は見事に当たった。「日本を駄目にした戦後教育」という刺激的な1冊から、戦後教育とはなんであったかと始まる。いきり立つ施政者批判の姿勢ではなく、どちらかと言えば一歩退いて自己を顧みる書き出しである。教育基本法は日本人にとって歴史的「人権宣言」であった。しかし何故西欧近代学問を学んだ先駆者達は、いとも簡単に“国体“や”教育勅語“の絶対性を受け入れてしまったのだろうか。著者の教育界への疑問はここから発している。戦後早い時期から著者は東京帝国大学の教育研究という立場から、民主教育に関係してきた。ジョン・ディーイ教育論に導かれ、地域に根づいた社会科教育の模索からスタート。社会科学に土台を固める教育とは何か著者は広く研究を進める。民主教育の旗頭であった生活綴り方運動、日本各地を回って土地の社会調査に加わった教育現状調査、在日朝鮮人や被差別部落での教育実態調査、植民地で実感した西欧と日本の植民政策の違い、英国における勤務評価が及ぼした教育への負の影響等々に関わり合う中で著者の現代教育観は自分の生き方、現実直面問題との格闘の中での発見の積み重ねであった。やがて日本人の戦争協力に関する著者独自の見解も明らかになる。日本人の同意の体系として政治意識にある事大主義、権力に同調し、権力の意図への服従者となることで、他の民族に対して加害者になるという精神構造が災いしてきたと悟る。これは日本人の自我未確立に起因する問題であると著者は考える。だからこそ、著者は今も学生達にどう生きるかという問題を18歳までのストーリを書かせることをきっかけにして自分を考えなさいと呼びかける。

教育は種の持続の一環である。これが著者の教育に関する現在の視点である。種の持続は自己犠牲を伴うものだ。子供たちは愛されることを知っても、愛する事を知らない。保護されてもあてにされない生き方は、結局やる気、活力、人間としての内からの生きる力をうばう。教育はエゴイズムであってはならない。種の持続としての教育は、各種の人類的危機の中で、国益優先、国家原理中心の教育にかわって、人類全体の問題として国際的に問われて行かなくてはならない時期に到達していると著者は言う。世界市民としてのシビル・ミニマムの確立が問われている。子供の人間としての自立を励ます努力すなわち種の持続の営みとしての教育を問いつづけていきたいと著者は結ぶ。

ここをクリックすると読書目次に戻ります