定年後の読書ノートより

人類の知的遺産79現代の社会科学者、東大教授富永健一著、講談社
全450ページ、執筆8年かけた大作である。社会についての思惟を,科学として如何に確立するかをテーマに著者は自然科学からのインパクトをうけながら,ホッブズとロックに始まるイギリス啓蒙主義をフランス,サンシモン・コントによる実証的科学主義形成へと位置づけながら社会科学の全道程を、大きく実証主義と理念主義の二つの側面から諸著作を極めて高い水準で紹介し、読者に現代社会科学の到達点鳥瞰図を示してくれる力作である。この本は、しかし読み物ではないから、常にノートを横において、全体の中に主題の思想潮流はどう位置づけられているか、自分自身で整理しながら読み進まないと、苦労して執筆した著者に対して申し訳ないと思う作品である。

実証主義とは、経験的事実の観察に基礎をおいた知識が形而上学的知識に代わることが社会の進歩の原動力であるとする考え方であり、これに対しドイツ観念論に源泉をもつ理念主義は、人間行為の主観的動機とか目的等主観的意識の世界を研究対象に含む考え方である

この二つの側面によって膨大な現代諸著作を高い水準で位置づけていく仕事は本書を一読した程度では勿論理解出来るものではないが、さすがこうした視点からマルクス主義を追求する著者の眼の鋭さは敬服する。

マルクス・エンゲルスの直弟子を任じたベルシュタインは、1899年ドイツ社会民主党においてマルクスの窮乏化理論と資本主義崩壊必然論は経験的事実に適合しないとマルクスの中核部分を批判した。社会構造変動についてベルシュタインの洞察は実証主義の立場に立っていた。またこのような事実に反する未来予測を論理化するのはヘーゲル譲りの弁証法に由来すると主張し、結果としてベルシュタインはカウッキーに敗北した。しかしこれこそ実証主義の観点からする理念主義的マルクス主義への正当な批判である。ベルシュタインがそのような実証主義的思考を身につけたのは亡命先のロンドンであり、当時のドイツ社会民主党がこれを支持出来なかったのは出現が時間的に早すぎた為である。

しからば先進産業社会でマルクス主義が今後生き残り得る道は何か、それは実証主義社会科学としての側面を断念し、理念主義に徹することにあろうと著者は記す。そこでひとつの例としてここにフランクフルト学派の紹介が始まる。

この本はまだ読みはじめて1ヶ月しか経っていない。出来れば今年1年ゆっくりと勉強したい本のひとつである。時間に関しては豊富に持っている定年賛歌の1人である。こうして素晴らしい本をゆっくりと味わっていけるのは最高の楽しみであり喜びでもある。

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