定年後の読書ノートより
社会科学における人間、大塚久雄著、岩波新書
この本を手にした動機は本のタイトルに引付けられたこと、逆にいえば社会科学には息が詰まりそうなぐらい、人間的体感が感じれない学問である盲点をついている様な印象を受ける。著者はマックス・ウェーバ「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の翻訳者。1976年NHK人間大学25回の講義を新書に再編したもの。

先ず人間類型とは、行動様式を支える内面的な動機づけ、エートスと定義付ける。人間疎外が大きく取り上げられるようになって、経済には人間への関係づけが欠けていると気づき始めた。こうしたきっかけから個人についてではなく、集団について、詳しく研究していったのがマックス・ウェーバである。

まず第1の人間類型として、1700年ごろの小説「ロビンソンクルーソー」を取り上げる。孤島で頑張るロビンソンはアダム・スミスが描いた資本主義初期を作り上げた「中産的生産者層」を教科書的に展開した典型的人間類型。この行動様式は拡大再生産であり、思考と行動の形式合理性を尊重する人間類型である。

「資本論」に現れる人間類型は、混沌とした具体的な現実から根本的な概念を求める過程で、人間は抽象化され、類型化されているがどうも人間論で終わっている。ドイツイデオロギーのフォイエルバッハ論で展開されているのは、疎外に関する人間論である。しかし人間論の相対化すなわち人間類型までには至っていない。

マックス・ウェーバの人間類型論は行動様式を内面からささえる意識形態、倫理意識をエートスと定義し、宗教社会学的諸研究を展開した。「資本主義の精神」は、隣人愛の実践すなわち仕事そのものに献身し専心するという態度ともうひとつ利潤の獲得の二つを基軸としている。しかし資本主義は時間の経由と共に二つの求心力が次第に弱まっていき、様々な問題を生むことになる。プロテスティシズムによって生まれた世俗内的禁欲という中核エトースが二つの基軸弱体化を補う。しかし利潤を生む仕事は善い仕事ということになり、利潤の追求に積極的な倫理的意味が与えられる。資本主義の精神の不可欠な構成要素である世俗内的禁欲は始めはプロテスタンティズムの信仰と結び付いていたのだが、だんだんとその信仰から離れて、むしろ営利のほうに重点が置かれて行くようになった。精神がますますかけおちて、心の貧しい人々が大量に現れてくることになる。資本主義は経済的貧困と精神的貧困に苦しむことになる。

以上がこの本の内容だが、自分にはどうもマックス・ウェーバの人間類型という社会把握がもう一つ理解困難だ。一つにはこの理論が成り立つ体系的哲学が不明確であること、一つには現象面の把握に力点がおかれて、結局解釈に終始しているという印象が強い。しかし、同じ印象を最初フロムの哲学にも持ったが、次第にフロムの主張に少しづつ賛同しつつある自分を発見している。マックス・ウェーバもそういう意味でもう少し時間をかけて考えて行きたい。

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