定年後の読書ノートより
「甘え」の構造、東大医学部教授土居健郎著。昭和46年初版。弘文堂
言語の意味論的分析から入って、甘えを方法論概念として、見事に日本人の精神構造に迫っていった、戦後の超ベストセラーである。発売当時ざっと読んでみた記憶があるが、当時エーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」「正気の社会」等精神分析的現代論流行の最中で、こうした観念的視点は果たして、歴史の試練に耐えられるかという疑問がどうしてもひっかかり、社会心理学そのものを遠い存在として意識し40年を経た。この度もう少し謙虚に学び直そうと再読し、著者は優れた精神分析医であることを認識した。

我が愛読書、A・ウルフの「どうすれば幸福になれるか」こそ、精神分析的視点からの人生論であり、この書から大きな影響を受けてきた自分には、すでに社会心理学は身近な存在であったことになる。

甘えとは、幼児の精神がある程度発達して、母親が自分とは別の存在であることを知覚した後に、その母親を求めることを指す言葉である。甘えのアマは語源的に幼児期の母子関係にさかのぼる。甘えの心理は、人間関係に本来つきものの分離の事実を否定し、分離の痛みを止揚しようとする心理であり、分離についての葛藤と不安が隠されている心理でもある。甘えの語が日本語に存し、欧米語のそれに相当するものが存しないという事実は、日本人が甘えの感情に敏感であるからだ。日本人の心理と特異的なものは、日本語の特異性と密接な関係を持つ。日本人は一般的に自分のこととしては遠慮を嫌っても、他人には遠慮を求める傾向があるが、これは結局甘えの心理が社会生活の根本ルールになっているからである。日本人の罪悪感は、自分の属する集団を裏切ることになるのではないかという自覚において、最も先鋭にあらわれる。罪悪感は人間関係の函数であるが、相手が自分に近い身内の場合、あまり罪が意識されないのは、距離が近い身内はどんなに裏切っても許されるという甘えがあるからである。日本人の甘えを理想化し、甘えの支配する世界を以って真に人間的な世界と考え、それを制度化したものこそ天皇制であった。

こうして土居健郎は丸山真男の著書、岩波新書の「日本の思想」を引き合いに出しながら、戦後日本の社会構造を甘えの概念から分析していく。しかし、私の読後感をまとめると、精神分析の視点からの現代論は一つの論理として、ある社会を把握する手法とはなりえても、それは人間関係が複雑に入り組む社会の一定の半径以内で成立しうる概念であって、これを歴史の中の社会発展原理への適応を試みるとき、あたかも形而上学的歴史哲学が、弁証法的唯物論の前に認識の限界を露呈するごとく、そこには限界がある。しかし、日本にも、フロイドや、フロムに肩をならべる良心的社会心理学者がいるということを再認識した。

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