定年後の読書ノートより
私の読書法、大内兵衛、茅誠司等、岩波新書
まだ黒い学生服を着た学生たちが今よりずっと読書を愛していた昭和31年頃、岩波書店の雑誌「図書」に連載されていたシリーズものを、岩波新書1冊にまとめたもの。

一番愉快なのは、開高健。「姿勢だけからいうと寝転んで読むのが一番楽だし、自由である。寝転ばずに読むのは少し苦しくて無理がある。ときたま体の苦痛などなにもかも忘れてしまう本にであうこともあるが、ごく稀である。のみならず読んでしまわないことには面白い本かどうか判らない。本を読んでいるうちに眠り込み、いつのまにか心臓が止まり、そんな死に方こそ祝福された死に方ではあるまいか」この言葉に誘われて自分の学生時代、殆どの本は寝て読んだ。今もこの癖は治らない。

しかし、この年になると、かって見過ごしてしまったこんな一節も深く息を吸い込む。渡辺照宏氏は書く。「12年前に不治の胸部疾患を宣告され、新薬のお陰で命だけはとりとめたというものの、八畳一間を寝室とも居間とも仕事場ともして、狭い空間に日夜暮らしている。妻がこの部屋で死んで以来すでに5年、「さぞ淋しいでしょう。話相手でも」と言ってくれる親切な人もいるが、「とんでもない」とご遠慮申し上げている。負け惜しみではないが独り暮らしというのがこんなにいいものだとは自分でも知らなかった。病気の制約のうえに、生まれつきの無精で不器用ときているから本をよむ他には楽しみもない。」やがて、自分もきっと同じ感慨をもらす事になろう。

羊の歌を書いた加藤周一氏は「楽しみとしては、読書以上の楽しみを私は知らない。それ以外の楽しみは、幾らでもあるが、すぐに飽きるものばかりだ。長く続いたものは少なくとも私にとっては読書の他にはなかった」と。

蔵原惟人氏は「私は必要な書物や文章はノートしておくが、出来れば優れた本を何回も繰り返して読みたいと思っている。私の経験によれば、読んだことを整理し系統だてておくように努力すれば、そしてそれを繰り返してやれば、或る程度記憶を固定化することができるものだ。良い本をなるべく丁寧に読む。」とおっしゃる。

都留重人氏は資本論をどう読んだかを書いている。「自分は本に書き込みをする。一番綿密にそれをやったのは「資本論」。これはアンダーラインは当然のこと、縦にも、横にも線を引き、字も書き込むということをした外、うすい紙で小さな短冊をつくり、それに問題点を表記し、その頁にはさんで、頭を少しだしておくという方法をとった。この資本論は、私の勉学道程におけるいわば記念品もようなもの」と書いてみえる。勿論資本論は英語で読まれておられる。

大内兵衛氏は「ちかごろ「夏目漱石全集」と「魯迅全集」とを読み返している。今更漱石もおかしいが、読んでみるとさすがだと思うことが多い。ああそうか、そういうことをいおうとしていたのか、と新たに気づくことも少なくない。魯迅は実は全くの新見であるが、その大きさ、その偉さに圧倒させられた形である。晩年のほうが概しておもしろい。漱石は書斎のインテリとしてその英才孤高全く驚くにたえるものがあるが、あまりにも個人主義であり、独りよがりである。魯迅も人をいかり自らをあざわらっている点で漱石と共通のところがある」

ここに出てくる偉大な読書人達は今はもういない。そしてまた、あの当時には本屋の書棚にずらりと並んでいた人文科学、社会科学の本も今は驚くほどその占有面積は縮小している。また、その前で本を探す学生の姿もすっかり見掛けなくなってしまった。淋しい限りだ。

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