定年後の読書ノートより
八甲田山死の彷徨、新田次郎著、新潮社
日露開戦暗雲垂れ込める明治35年(1903年)第8師団所属青森第5連隊と弘前第31連隊は、雪中八甲田山縦走の命を受けた。青森第5連隊は神田大尉が弘前第31連隊は徳島大尉が指揮官に任命された。2人はそれぞれに周到な準備を重ねた。弘前は下士官を中心に37名、寒中11日間の行軍で八甲田山を左回り、青森は総勢216名にて、八甲田山を右回り、青森より十和田市を目指す1泊2日の雪中行軍を決行した。当日1月23日はこの冬最大の猛吹雪が東北地方を襲った。両軍とも吹雪、寒風、寒気の中で大パニック、青森第五連隊は雪の八甲田山を4日間さまよい、200名余の死者を出した。一方現地案内人を先頭につけて慎重に行軍を続けた弘前隊は1名の死者も出さずに全行路を貫徹し弘前連隊に無事帰着した。

小説は何故青森隊は大惨事に到ったかをテーマに悲劇を語る。そこには神田中隊長の上司に当たる、山田少佐が、特別小隊を組織してスタッフとして参加、十分な現地知識も無いのに、事態直面に当たり、中隊長の指揮権を奪い、自ら幾つかの重要な決断を下し、結果として部隊を全滅させたしまった山田大隊長の責任を明確にしていくストーリとなっている。

この小説は昭和46年に発表、当時高度成長経済の真っ只中にあった日本民間企業は、競ってこの小説を企業セミナーのテキストとして採用、組織とは、指導者とはどうあるべきか、管理者の意識高揚に寄与した。作者新田次郎はこれはあくまで小説だと念をおしているが、幾つかの歴史資料に基くノンフィクションであり、読者に与える強い印象は、組織はいかにあるべきか、指導者はどうあるべきか真剣に考えさせた。

小説としてのストーリーでは、組織の指導者、管理者は十分な情報と、的確な判断を常に問われる存在であり、それ故にまずしっかりした組織体制を打ち立て、これを基礎に、柔軟な対応と勇気ある決断が要求されると語っている。

自分はかって東洋紡合繊加工部門に所属する技術者から、豊田自動織機設計部門の課長に転職、指導者、管理者の知識、情報有無に関して厳しい経験を持つ。図面の書けない課長、図面の読めない設計課長が、技術部のカナメでもある受注設計課長として勤められるか、随分悩み苦しんだ。結論として技術者は担当業務に対し、必死に勉強すべきであると考えた。知識を持たない技術者、情報を持たない技術者は、企業にとって極めて危険だ。しかし一般に事務系管理者の多くに、組織を安心出来る隠れ蓑として利用して幾つかのポーズをとって自分を誤魔化している人達がいる。管理者のイメージ平均値は凡そこのポーズの寄せ集めを意味している。しかし、企業では厳しく管理者個人の情報収集能力、固有技術能力を問うべきだ。パソコンの出来ない管理者、英会話の出来ない管理者、本を読まない管理者、好奇心の貧弱な管理者、これが企業には何と多いことか。彼らは今日も自らの人脈保守の為、ゴルフ、麻雀に多大な時間を費やしている。

青森第5連隊は何故危険を事前察知して連隊本部に引き返す勇気を持たなかったか。しかし同じ状況下で弘前隊は案内者を立てて雪中突破を貫徹した。とすれば、案内者という情報提供者を評価しなかった青森隊に問題がある。「軍隊に何故案内者など要るのか」という精神論がまかり通る世界では、冷静に情報重視、現状把握し、慎重な行動判断をしていく指導者が育ちにくいのであろう。

しかし、これ等の推察をこのストーリーにのかって直ちに大きく膨らませてはならない。企業には資本の論理があり、軍隊には軍隊の論理がある。何故雪中行軍をしなければならなかったのか。日本陸軍の北方戦略を強化する為に、青森での人海実験は軍隊の冬季作戦水準強化をねらった極めて侵略性の強いものであったはずだ。非情な論理の中に、やがて始まる日露開戦にむけて、国内戦争指導者達の緊張した実験が200余名の犠牲によって、帝国陸軍弱点を明確にさせ、軍備近代化へ再整備が可能になった。あえて言えば軍隊強化の為には、200余名の命は、やもう得ない筋書きであったとも言えなくはない。

ここをクリックすると読書目次に戻ります