定年後の読書ノートより
様々なる意匠、小林秀雄著、新潮文庫
昭和4年雑誌「改造」懸賞論文、1位宮本顕治「敗北の文学」、2位小林秀雄「様々なる意匠」。小林秀雄は審査発表前から当然1位当選間違いなしと確信し、あちこちに莫大な借金を積み重ねていたそうな。今も文学史では「敗北の文学」は黙殺されても、「様々なる意匠」は必ず顔を出す。歴史的記念碑である。難解な論文で、冒頭から「指嗾」なる単語が出てきて急いで国語辞典を引いた。何回読んでも著者の主張を整理して理解することは難しい。何だか「どうだ、難しいだろう、お前たちには読めないんだよ」と言われているようで、意地でも整理してやろうと結局5回読み直した。以下著者の主張を整理してみた。
  • 文芸批評は、詩や文学に比して2次的な地位に甘んずるより仕方がないと思われている。
  • 文芸批評は、詩や文学を批評する為にあり、脇役か水先案内人みたいなものに過ぎないと思われている。
  • しかし文芸批評とは、自立したものであり、批評家の情熱、人間そのものの表現形式に他ならない。
  • 批評の方法をどんなに論理つけても、批評の善し悪しとは関係ない、要は読者を感動させるか否かだ。
  • 批評の魅力は、自意識の強度、個性的であるかどうかで決まる。
  • 豊かな作品なら、批評家が思うところを抽象しても、対象とする作品そのものの魅力は豊かに残存する。
  • 芸術は尺度をはめられると、その豊富さを失う。しかし批評家は彼の尺度で理解しようとする。
  • 芸術で大切なのはその創作過程という実践であり、作品は死物に過ぎない。
  • 批評家は死物を前に、創作過程を自分の情熱、人間性で見つめ、自分の言葉で語ることだ。
  • 批評とは創作過程の実践という秘密の暗黒を看過し、作品をあやつる様々な意匠である。
  • 批評とは自意識であり、批評とは己の夢を懐疑的に語ることである。

一体どうして昭和初めこのような論文が人々の注目を集めたのか。

「善の研究」に代表される観念的哲学の懐疑的雰囲気と一方ではマルクス主義台頭による知識人そのものを断罪的に否定する機械的唯物論の蔓延があり、そんな時代的雰囲気を察知して、小林秀雄は、知識人として極めて高い見地から、潔癖ともいえる独自の存在価値を明確にして、マルクス主義すらも右往左往する機械的現代的喧騒物として見下ろし自己の考察を言い切ったのである。小林秀雄の論文は、時代の波で足元を見失っていた当時のインテリゲンチュアには衝撃的であったに違いない。ただ、当時すでに自分の旗印を明確にしていた宮本顕治だけは、小林秀雄の本質を素早く見抜き、小林秀雄の人間論は、小ブルジョア的シニシズムの観念的思弁であり、現代の階級的現実への嫌厭であると言い切っている。そしてその後の60年、歴史は宮本顕治の指摘こそ一番核心をついていたことを明らかにし、一方、小林秀雄は音楽論、絵画論で極めて質の高い仕事を重ねながら、人々を常に近くに寄せつけることもなく、いつも高いところから大衆を見下ろしながら、人間として、知識人として、孤塁こそが、最高の姿勢であるかのような意向を最後まで失わず、この世を去った。

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