定年後の読書ノートより
羊の歌 ― わが回想― 加藤周一著、岩波新書
医学者であり、文筆家である氏の「日本人の死生観」を読んで、加藤周一氏の深い知的世界に敬服し、この本を手にした。この本は、加藤周一氏の自分史であり、全2巻からなる。前巻は誕生から、敗戦までの青春記であり、当時氏は東大内科病院無給医であり、すでに東大病院は信州上田に疎開しており、そこで敗戦の報に接し終っている。学生時代氏は医学部の講義と共に、文学部仏文科の講義にも足しげく出席、仏文科に多くの友人を持っている。戦争が激しくなる本郷界隈のコーヒショップ白十字で、中島健蔵、森有正、渡辺一夫、辰野隆、鈴木信太郎、三宅徳嘉等と日本を語りあうひとときは、日本最後の知的世界がそこにあったと胸高まる。

加藤周一氏は代々東大医学部卒の医者の家系で、父も第一高等学校から東京帝大医学部に進んでいる。そうした日本の最高の知的エリートの道を歩いてきた氏の学生時代、特に駒場と題された1章に、当時の一高生の選良意識が綴られている。氏は語る。一高の自治は、「人間平等」の観念と結び付いていたわけではなく、誇張された「選良」意識があり、大衆には許されない特権が自分達にだけは許されているという漠然とした考えがそこにあった。そもそも民衆を低く見るという意識が背景にあり、自分達の内部だけに通ずる平等観念は、自らを周囲から区別しようとするものであり、その精神主義は極めて不合理なものであったと。

戦争中氏は決して反戦的言辞を述べるほど信念を持った左翼的知識人ではなかったが、かといって権力に迎合するいいかげんな人間でもなかった。

ある晩、米軍がまた日本軍の島に上陸したという報道の下に、「断固敵を粉砕する」との記述に対し、氏は「そうはゆかないだろう」とつぶやく。すると氏の言葉にこだわった友人がいどみかかり、2人は激しい言い争いとなる。その議論は事実判断と価値判断の視点での議論で、加藤氏は一歩も退くこともなく、最後まで自己の戦争観をもって相手を沈黙させてしまう。

敗戦間際、東大病院での氏は、院長と共にその発言は人々の敬遠するところとなっていくが、その緊張の高まる頂点で敗戦となる。なお羊の歌とは1919年羊年生まれの氏にちなんでつけられた題名である。

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