定年後の読書ノートより
ふらんす物語、永井荷風著、新潮文庫。
フランス印象派絵画に、ジュルベクスのローラという作品がある。朝日を身体一杯に受けて窓際のベッドで眠る裸婦ローラと、今まさに投身自殺をしようと窓際に忍び寄る男の姿を描いた作品だ。自分が見た裸婦像の中では最高に美しい一枚だ。こんな素晴らしい女と一夜を過ごしたこの男、高層アパートの窓から飛び降りても、この世に何の未練があろうか。永井荷風のふらんす物語は小説で描いたパリの女ローラの世界である。

ル、アブール港に近づいた客船デッキから見渡す港市街地の灯火の詩情、それはモーパッサンの作品にある。パリへの汽車の旅、窓からみる北フランスの田園、それはゾラの作品にもある。芸術の都パリ、ニューヨークの生活からはるか憧れてきた夢の都パリ。

リヨン、ローン河のほとりで物想う夕刻、ジプシー女の妖艶な姿態。南フランス、秋の夜を飲み歩く。世俗社会の何とわずらわしいことか。自分を制する。もうそんな生活はいやだ。名も知らぬ町、下町の夜更け、一人の女を抱く。満足に迎えた朝、脱力感。放蕩。情欲。めくるめく愛欲の技巧。しかし逞しい男の出現、嫉妬。妄想。再度女に挑みかかる。南国の女。南フランスの情熱。14才の処女を抱く事も、人妻を抱く事も、妖艶な売春婦を抱く事もこの国ならばすべて許される。パリでなければ出来ないこの独身放蕩生活。パリの情事は濃厚だ。男の腕を枕にして、男の胸にぴったりと額を押し当てて眠っている女。西洋の女の恋は猛烈だ。日本の女の恋は、精神上にはたいした相違もあるまいが、言語動作の表現が全く死んでいる。だから異性間に起こる肉体の歓楽は殊更に萎靡してしまっている。日本の恋は全く自然のままだ。技巧や空想で消え衰えたものを興し、興ったものを更に強烈ならしめる方法を案じださぬ。西洋の女には、ぴったりと肌を触れ合わせた真情からあふれ出る声には、詩や音楽がある。フランス、パリの女に酔いしれた。現実に見たフランスは観ざるときのフランスよりも更に美しく、更に優しかった。ああわがフランス。

しかし、今パリの別れ。

船は東の国に進む。シンガポールから乗船してきた教育者の日本人一家。成り上がり者日本を象徴するかのごとく、野暮で田舎臭く、無知で傲慢。ああこんな男達が牛耳っている東洋の国、日本に何の希望があろうか。ああ、ヨーロッパの華、フランスパリよ。そして、今遅れて追いつこうとする日本、ああ、なんてユーウツな国、日本よ。

大実業家の息子であった永井荷風は、フランスで学んだ帝国主義日本の現実に背を向け、その姿勢は、戦中戦後も貫かれ、慶応大学で江戸文化を教える一方、浅草の放蕩生活を最後まで愛し、1959年、80年の人生を独身で終えた。永井荷風は明治末、すでに世界水準にある文化人の一人でもあった。

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