定年後の読書ノートより
日本人の死生観(上・下)、加藤周一、M・ライシェ、R・J・リフトン著、矢島翠訳、岩波新書
ものすごく難しい本。加藤周一氏が、エール大学大学院で講義をした内容を基礎資料として、アメリカの2人の著名な社会心理学者が加わり、近代日本における6人のエリートの死生観を考察し、そこから日本人の近代化、価値意識を把握していこうとする力作である。取り上げた6人のエリートとは、乃木希典、森鴎外、中江兆民、河上肇、正宗白鳥、三島由起夫氏である。

6人はいずれも近代日本のエリートである。乃木と鴎外は権力機構の内部に、兆民と河上は時の権力に鋭く反対し、弾圧を受けた。三島は権力に近づこうとして、その内側に入れなかった。白鳥は権力に反対もせず、近づこうともせず。穏やかな批判的距離を置いた。死生観は、世界観との関連で定義されるものだ。近代日本の知識人の世界観は現世的であり、個人の価値が集団の価値に従属する傾向が強い。

乃木と鴎外と三島は、宗教的信条をもたず、所属集団を超える特定の哲学を持っていなかった。兆民と河上は政治的イデオロギーを執り、唯物論に基く無神論、または「宗教的」立場をとり、それぞれ万事を超越する真理とみなしていた。

乃木希典―富国強兵を達成する為、日本は天皇という古い象徴を復活させた。文化現象としての乃木の死は、古い精神の持続性を証明した。天皇は共同体の一部であり。抽象的なイデオロギーより、具体的な共同体を重視する日本人の一般的な原理は、殉死に共感した。死は抽象的大義の為でなく、共同体それ自体を意識した。

森鴎外―伝統的な価値の中に、創造力と生命力を再発見しようとする、鴎外個人の闘いの姿を示す生き方。

中江兆民―明治社会は兆民の卓越した才能を認めていたものの、兆民の政治運動は、主立った社会変革を何ももたらさなかった。しかし、兆民は自分が社会の期待に添わなかったのではなく、社会が自分にこたえようとしなかったと思っていた。

河上肇―倫理的な力について、今も偉大な教師である。生きる事と死ぬ事を通じて自己をまっとうし、他者には勇気ある理想を、自己には内心の平和をもたらした。

正宗白鳥―キリスト教は白鳥を独特な作家にした。死における白鳥の甘えの感情は、白鳥に死の超越の情熱的な感情を与えている。

三島由起夫―三島の場合、死は衰えつつあった創造力の帰結であり、自殺は三島に恍惚感をもたらしたであろうが、観るものにとっては、遠い過去からの奇異な叫びに過ぎなかった。

ここをクリックすると読書目次に戻ります