定年後の読書ノートより
反デューリング論、エンゲルス著、マルエン全集第20巻大月書房
不破哲三氏が「古典学習のすすめ」でこんなことを書いている。

「反デューリング論は、論戦の書物ですから、その内容を深く読むには、デューリングの議論にもつきあってゆく必要がある。ということです。これは、なかなか難しい注文です。私も最初にこの本を読んだ時は、小さい活字で印刷してあるデューリングの言い分はだいたい飛ばして、エンゲルスが科学的社会主義の命題を叙述していると思われる部分だけを、できるだけ拾って読んだものでした。こういう読み方でも、それなりの収穫はあるものですが、やはりこれでは、この本のよさのごく一部しかつかめません」と。

実は、小生もその一人。デューリングの言い分は飛ばして、エンゲルスの主張からデューリングの言い分も推定して前に進む。だって哲学、経済学、社会主義とその論文の量たるや膨大な論文で、最後まで読み終えるには、読む人の精神的体力も結構大変なもの。しかしそれにしてもこの本からはいろいろ教えられる。卑近な例では、例えば宇宙の無限はどう解釈すべきか、数列の無限と哲学の無限とはどこが違うかとか、ヘーゲル哲学の定説など。それにしてもエンゲルスの広くて深い学問的知識のすごさには頭が下がる。それにしてもデューリングというおっさん、すごいプライドと自意識の持ち主。とにかく自分の知識水準の高さとその博識の広さを前面に押し出しただけで、巨人マルクスを威圧しようと向かって来たような男、当人盲目とは知らなかった。

このデューリング氏、何よりも先ずドイツ人特有の体系的知識とやらをどしんと据え付ける。「社会の自然的体系と正義の普遍的原理」を再三唱えられてはエンゲルス氏もさぞかしやりにくい相手だったことよ。「すっぱいリンゴ」でした。

時々こんなタイプの知識人ぶるオタクが学生時代から、あちこちで見かけてきた。しかしこうしたオタクに、エンゲルス氏は、彼の知識と気構えで完全に相手をたたきのめしていく手際良さは、敬服以外ほめ言葉なし。小生ここでヘーゲルの論理学の定説を知った。有→有=無→生成→定有→質→量→内的対立と矛盾→因果性→必然そして量から質への度量関係結節点等のこうした哲学用語の基礎知識も不十分な自分は恥かしく思う。ヘーゲルを勉強しないといけない、そう思う。

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