定年後の読書ノートより

知的に生きるための思考術、鷲田小弥太著。PHP研究所
氏の哲学書を読むのは2冊目。第1冊目「哲学を知ると何が変るか」では、マルクスは現実と理念の違いをどこまできちんと認識していたかと迫り、どきりとさせられただけに、本書も興味をもって通読した。

自由に関して氏の語るところをそのまま著者の論法を写してみる。

「資本主義が最も人間に快適なシステムである理由」

言葉というものは、いまだかってどこにも存在しなかったものを含め、あらゆるものを生み出す創造者である。人間は言葉を持った為に、人間は過剰な欲望を持つようになった。人間は現実に無いもの、いまだかってなかったものを言葉で呼び起こし、それを実現しようとし、理想や、観念的なものを求めるのです。つまり、過剰な欲望を持つことと、言葉を持つことと同義なのです。過剰な欲望の発現を許容するシステム、過剰な欲望を適正に許すようなシステムが人間にとって、最も快適なシステムなのです。社会主義がどんなに美しく、豊かでも、人間が勝手に欲望を実現しようとする本性には合わないのです。

無制限な欲望は、言葉が持っている自由=無制限さからくる。言葉はもの(対象)を指示する存在であるが、言葉はものがここになくても、そのものを引張り出してくる能力をもっている。しかも、人間はその言葉で喚起したものを、欲しいと思ったら、それを手に入られずにはおれない存在です。

資本主義が人間にとって最も快適なシステムであり、社会主義より優れているのは、この言葉の自由、欲望の自由を満足させてくれるからです。自由な社会とは、他人の欲望の自由も同時に認める社会をいう。他人の自由と自分の自由が衝突するところ、ルールが生まれる。ルールというのは、自由を制限するものです。自由を求める以上、一定のルールを守り、マナーをわきまえなければならない。

人間誰しも理想を持ちます。しかし理想を抱くことと、現実に理想の社会を作ろうとすることとは別問題です。美しく、知的な生きかたというものは、完全さを求めるのではなく、いかに完全なものから、不必要なものを省くかということでしょう。理想はどこから来るのでしょうか、それは感情からでしょう。現実の世界には、完全なものはなく、それだけに完全なものを欲する感情は昂ぶってくる。しかし時間とともに高揚した感情はおさまり、理想は剥げ落ちてくるものです。

鷲田小弥太氏、なかなか含蓄のあることをいう。この含蓄は、氏の思い付きではなく、深い思索と学習の成果であり、それだけに氏の哲学論には興味が湧いてくる。

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