定年後の読書ノートより
墓地の彼方へー「覚え書」におけるメリエの思想を訪ねてー石川光一著
メリエとは、この世の仮の姿はフランス司祭であったが、彼が信じ主張したのは18世紀スランス社会の圧政や、社会的不平等に抗し、また精神的支柱であるキリスト教を批判、これに無神論、唯物論を対置し民衆に体制打倒を呼びかけた歴史的思想家。今回の論文で石川先生は、メリエを「創造主」としての「神」の否定、「超越者」としての「神」の否定、「霊的、精神的存在」としての「神」を否定し、デカルト哲学の自立的自然の承認を無神論の立場から体系的になし得た思想家として位置づけ、唯物論と無神論を始めて歴史的に統一させた人物こそメリエ司教であったと結んでおられる。

メリエに関する論文を読んだのはこれで3回目であるが、今回の論文で自分は奇しくも、江戸時代にあって、徳川封建体制を激しく糾弾した「忘れられた思想家安藤昌益」こそ、日本のメリエではないかと実感、その相似と違いに興味を持った。

安藤昌益は18世紀の江戸時代にあって、封建社会に対する徹底的批判と、万民平等による農耕中心主義を主張、孟子、孔子の道徳教理とは農民に対する階級支配を合理化する支配思想に外ならず、人間の一切の社会的、政治的、経済的差別の廃止と男女同権の平等主義を主張、その超時代的進歩性はメリエと著しく近似する。

では2人の違いはどこにあったろうか。それは思想実践の姿勢ではなかろうか。メリエは「覚え書」3通を遺し、自分の死後この「覚え書」が自分が愛する農民達に届くことを夢見て死んだ。安藤昌益も「自然真営道」100巻を遺し、初代京都大学学長狩野亮吉によって、始めて後世の人々の前に明らかにされた。しかし安藤昌益は、南部八戸にて町医者として門弟を集め自己の信ずる道を説き、すでに生前から危険思想の持ち主としてその筋からマークされており、かつ晩年は長崎に出向き、海外の思想吸収に自ら動いていた実践家としての足跡を遺している。

勿論2人とも時代に先んじた思想を自らの力で切り開いた功績たるや計り知れないものがあり、我々は2人に大いに学ばねばならないが、安藤昌益は生前中、すでに実践の第一歩を歩いていたということ、このわずかな一歩の重みは、思想とは何かを問う時、非常に意味のある第一歩であったと位置づけたいが如何なものだろうか。

ここをクリックすると読書目次に戻ります