定年後の読書ノートより
唯物論と弁証法、足立正恒著、新日本新書
重要個所の抜き書き。「人間は生きている以上、なんらかの世界観を持つ。大切なのは、この世界を解釈するのではなく、どうやってこの世界を変革するかという課題を中心に、この哲学を学ばねばならない。世界を変革するという階級性、党派性を貫いてこそ、真の科学性、真理性が保証できる。」

「物質と精神どちらを根源的とみるかによって、その人の世界についての見方、態度、生き方は根本的に規定される。唯物論の立場は、主観的願望ではなく客観的現実に依拠する。認識の正しさを反映しているかどうかは、実践にゆだねられる。実践による検証で真理性が確証される。」

「弁証法は事物、現象を諸連関のなかで、客観的、全面的にとらえ、歴史的、発展的に認識すること。認識は個別的なものとしてではなく、普遍的なものとの連関内に存在する。客観的実在のすべてが現象と本質との統一であり、現象を通じてのみ本質を認識出来る。認識は一面性におちいることなく、全面的認識を要求する。」

「対立物の統一と闘争、量から質への転化、否定の否定は弁証法の基本法則である」

以上が、この小冊子の内容である。極めて教科書的な、哲学の要点を簡潔に述べようとした入門書である。本書が入門書であろうとするならば、何故著者は、この本の中に、哲学を図式にまとめた概念図を積極的に入れようとしなかったか。

最近の青年達は本を読まなくなったという。そうでなく、情報を文字でなく、目で吸収しようとしているからだ。それならもっと積極的に目で彼等に訴えれば良い。文字より、目で訴えるほうがはるかに著者にとっては難しいはずだ。かって相手を罵倒する言葉として、あいつの認識は図式的だと言われたものだ。それなら言う。史的唯物論こそ最も図式的ではないか。図式的イコール簡潔なのだ。決してたじろぐことはない。もっと積極的に読者に目で訴えていけば良い。文字による世界だけに固守し、そこから一歩でも外に出ようとしない哲学者は、青年たちとの間に、貴重な情報伝達の道が閉ざされていく。この情勢をもっと哲学者は認識すべきだ。

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