定年後の読書ノートより
第1次世界大戦の終結―私の現代史10―、斎藤孝著、岩波講座世界歴史25、
満4年の戦いの後、1918年11月ドイツ休戦条約。ブレスト・リトフスク条約破棄。戦死者連合国515万人、同盟国338万人。銃後の国民も巻き込んだ総力戦。インド150万人、アフリカ100万人を植民地からの動員。結果としてヨーロッパの自殺行為とアメリカ帝国主義の国際地位向上。

パリ講和会議、ベルサイユ条約。ウィルソンの古典的民主主義の概念による国際連盟創立。帝国主義諸国の狙いは、ソ連の社会主義革命気運がヨーロッパ、特にドイツに蔓延することを抑えることにあった。連合国側はウィルソンの14ヶ条を講和原則とし、その解釈をめぐり自国有利に利害対立。日本帝国主義は中国への侵略政策を帝国主義列強にこれを認めさせた。朝鮮の3.1独立運動、中国の5.4運動等、反植民地運動の高まり。敗戦国ドイツには異議申し立ての機会も与えずにベルサイユ条約強制。ソビエット政権封じ込め政策をイギリスは特に強調。第2インターに対する1919年3月コミンテルン成立。当初ドイツ・ハンガリー・中国革命支援したが、最終的にはソ連邦国益擁護。

フランスはドイツ復活を恐れ、安全保障確立を主張。焦点はアルザス・ローレンヌ2州、ザール炭坑の所属問題。莫大な賠償金。ドイツは海外植民地を略奪され、領土13%、人口10%を失う。日本の山東問題に関してはウィルソン大統領は妥協し、中国国民憤慨し5.4運動。連合国には復讐主義が高まり、イギリスロイド・ジョージはドイツから絞れるだけ絞れと選挙スローガン。イタリアは帝国主義的膨張を果たし得ず、やがてファッシスタ政権成立へと進む。

ウィルソン対レーニンは社会民主主義対共産党という対立となった。国際連盟はソ連を黙殺して出発した。アメリカ上院はベルサイユ条約を拒否し、国際連盟加盟拒否。しかしドイツ復活により、やがて国際連盟の無力が露呈される。

ここをクリックすると読書目次に戻ります