定年後の読書ノートより
職業としての学問、マックス・ウェーバー著、岩波文庫
昔、自分にも大学に戻って来ないかというお手紙を、恩師より頂いたことがあった。当時民間企業の研究所で、新しく合成繊維ナイロン場業操業開始の昂奮期真っ只中にあり、自分の将来は技術者として生産原点にありと確信し、恩師の貴重なご配慮を辞退した。今から40年前の話である。あの時、民間企業の技術者として生きる自分と国立大学の教官として生きる自分の2つの将来像の描きながら、この2つの将来像間を動揺したことは今では懐かしい思い出である

この本は、そんな状況の青年にぴったりの1冊である。マックスウェーバーはドイツ大学研究者にも今や効率第一主義のアメリカ研究者の研究境遇条件が押し寄せ、地盤変化が始っていると案じ、しかしそれにしても大学研究者は所詮生活条件は恵まれないと嘆く。また氏は研究者の極端な専門分化が故に自己閉塞がいろいろなところに伺えるが、これは大学研究者としてはやもうえない状況だろうと自任し、肯定する。こうした状況下にある大学研究者は、かといって、学生に迎合したり、学生を扇動してはならない。教師は自己の主観的な評価や個人的な世界観を学生に強いてはならない。教師は政治的立場や価値判断から常に自由であるべきだ。ときちんとした姿勢を維持せよと諭す。

では青年達の大学でうける学問の実際生活への寄与とは何か、氏は学生に明確さと責任感を与えることだという。そして、時代の宿命に男らしく耐えろという。自己抑制こそが、今時代が知識人に課している宿命なのだと。

マックスウェーバーは、この講演を、誰に語っているか。観念的で、頭でっかちで、前後の判断力をなくしている青年達に、氏は激しく叱咤している。日々の自分にかえれと。氏は現代を肯定し、その矛盾を知りつつ、浮き足っている青年達を叱り、諭す。自重せよと。自分を知れと。自戒を求める。学者としての倫理観、氏はこれを説こうとしている。

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