のほほニスモ宣言

 エスペラントということばは、日本語や朝鮮語や中国語や英語やフラ ンス語やスペイン語などと同じように、人間が生活や仕事をする上で使 うことのできる、いわゆる自然言語のひとつです。

 ですが、生まれがほかの自然言語とはちょっと違っているために、こ のことばそのものやこのことばが関わっている状況を巡って、さまざま な感想や意見が飛び交っています。使っている人たちにとっては、もち ろんこれは申し分のない言語です。使わないけれどこの言語を好意的に 見ている人もいます。一方、使わない人たちの中には「こんな言語は使 いものにならない」などという人もいます。

 さて、どちらが正しいのでしょう。全く正反対の意見があると、判断 に困ってしまいますね。それだけでなく、英語や朝鮮語や日本語と違っ て、このことばにはさまざまな「思想」が含まれていると言われます。 さあ、これも困ったことです。思想と言われても、興味のない人にとっ てはちんぷんかんぷんだったりしますし、どんな言語か知りたいだけで も、思想の勉強をしないといけないのでしょうか?

 先ほど「生まれがちょっと違っている」と言ったのは、〈人工言語〉 であるということです。コンピュータープログラマーの人なら(プロ、 アマチュアを問わず)人工言語というものには多かれ少なかれ馴染みが ありますが、「人の手でデザインされた」のが人間どうしの意 思疎通を行なうための自然言語である、という点がプログラミ ング言語とのおおきな違いです。

 では、「人為的にデザインされた自然言語」というのは、どんなもの なんでしょう。それはほかの自然言語とどう違うんでしょう、あるいは 同じなんでしょう。また、プログラミング言語とはどう違うんでしょう、 あるいは同じなんでしょう。そもそも「自然言語を人工的につくる」と いうことは可能なんでしょうか? 〈人工言語〉であるということは、 そんなに特別なことなんでしょうか。

 そうした、この言語に対するさまざまな感想や意見、あるいは「思想」 的なことがら、そういったものに色づけされることなく、この言語とつ きあっていけたらいいな、この言語そのものを知ることのできる機会が あるといいなと思いました。

 この立場を「のほほんエスペラント」と名づけました。エス ペラントでは「のほほニスモ(nohohon-ismo)」といいます。

 うそです。エスペラントに(現在は)このようなことばはありません。 でも、「ものごとに捉われずのんきにしているさま」という意味で「の ほほん」がエスペラントのことばに採り入れられたらいいなぁと思いま す。賛同者募集中(^^)

 いま辞書を調べたら、「のほほん」には「何も知らず(すべきことを しないで)のんきにしている」という意味が出ていました。これではエ スペラントを愛している人たちに怒られちゃいそうです。でも、まぁ、 いいでしょう。そんなことを気にしないからこそ「のほほん」なのです。

(2001.09.01)

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