斜め上の世界へ

Last update on 2000.06.06




 詰まるところ問題は「どこに行けばいいのか」ってことなんだ。

 もちろん人類が二本足で立って以来、常に問題はつきまとっていた。 まるでつきまとって欲しくて立ち上がったみたいだ。 問題から逃げるために立ち上がったんじゃなくてね。
 だからその答もこれまでに300億人くらいが言っているし、書き残している。 新しい答なんかどこにもない。今さら誰も気にしやしない。

 それでも人はみんな誰でも気にするんだ、自分はどこに行けばいいのかって そればかり、ずっと悩んで、悩みながら朽ち果てていくんだ。
 赤ん坊が生まれてしばらくして《はいはい》を始める、そのときからもう、 どこに行けばいいのか悩み始めているのさ。

 もちろんどこに行ったって問題はつきまとう。 まるで問題と一緒に暮らしていくのが人間だ、なんて言われているみたいに。 そんなことももう400億人くらいの人が言っている。 つまりは何もかも陳腐だってことさ。




 陳腐だからって何もしないでいていいってわけじゃないし、何もせずにいることはできないから、とりあえず歩き出す。

 でも歩き出した途端、もうどこにも行くところがないと思ってカンガルーは立ちすくんでしまう。
 誰も彼もがあそこに行け、いやここに行けと言う。それでいて、新しい場所などどこにもない。どこに行っても同じだ。どこに行ってもありきたりだ。 もう足もとは数え切れないくらいの足跡で汚されている。遥か彼方見渡す限りまで見たことのある足跡たちに覆われてどこにも足の踏み場がない。 それなのに、いったいどこに行けというのか。

 「古ぼけた足跡なんて、きみが踏み消して行けばいいんだよ」 と、彼女は言う。そんなものかも知れない。でもそんなことをして怒られないかい?
 「怒られたからどうだっていうの」彼女は笑った。
 カンガルーはとりあえず、近くの自動販売機でミネラルウォーターを買って飲んだ。 もちろん、お金はお腹のポケットから出した。
 どらえもんの「なんでもポケット」(だったっけ?)が有名だけれど、カンガルーのポケットもなかなかのものだ。







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(C) Copyright 1999-, 斎藤由貴之進(仮名). All rigths reserved.
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