このページは、2009年9月2日〜10日 インドで撮影
090902 チェンナイ
トライデントホテルの朝食。一番最初は要領が分からず、怖くて、食パン一枚とコーヒーだけだった。
なれてしまってからは、このように、腹一杯詰め込めるようになった。この中での絶品は、トウモロコシ、胡椒がいい働きをしてとても旨い
次に、米、ぱさぱさだが、炊き込みご飯なので、味が付いている。
ソーセージ以外はベジタリアンの食事。
これが、2食目。
これだけ喰うと、午後3時までは腹持ちします。
パンのレベルは相当高い。デパチカの行列のできるパンや三と比べても遜色がない程の出来
一緒にフルーツを食べると胸焼けがしない。
食後の散歩にホテルの庭を散策。
深いところでは2mもあり、十分楽しめるプール。魅力的だが今回は断念。
他の宿泊客も用心して泳いでない。
写真が鮮明でないので醜いが、この小屋の外に黄色のバナナがぶら下がっている
少し小ぶりの実だが、これが旨い、これだけで飯は食わなくても良い程の美味。
チェンナイ市内。
インドのホテルは高級ホテル以外は予約なしで、自分で宿を確かめて宿泊するのが常識
約600円位が相場
宿泊したい気もするが、大量の荷物があるのでどうしても断念することとなる
2009.09.03 マドライ
余りにも朝早く到着したので、郊外にある寺院に見学に向かった。
車の向こうに聳える山がそれだ。僕はてっきり登るのかと思い、歩くのか?と聞くと「そうだ」と解答が帰ってきて興奮した。
寺院の手前は門前町として栄え、お布施のお恵みで生きている人もいるようだった。
頂上までなだらかな階段が続く。だが、結構な運動になるのだろうな。まだ、朝飯は食ってない。今朝は4時45分に起きてきたのだから。
毛の生えた果物は、ココナッツ。僕にはつるりとした身しか印象がないので、これは何だと聞いてしまった。寺院の前のお土産売り場だ。
仏像さんだが、顔の部分以外は白く見える。白いのはバター。ここでバターを買い求め、この仏像さんに向かってバターを投げつけくっつけると言う、結構乱暴なお参りだ。僕も2個投げた。
こちらでは、白い粉を自分の体に付けたり、額に付けたりするお参りを行う。近くで灯明が燃えているので、これに一度はかざす必要がある。
奥に進に従って荘厳な感じがわき出してくる。ここまで進と裸足の感覚もなじんでくる。
ここからが、本格的な参拝となる。5ルピーの支払い。
この辺の価格がリースナブルだ。
奈良なら800円は必要だ。
寺院の中には学校もある。15歳までは缶詰とのこと。
何かをつくっているみたいだが、不明。
寺院を出たところ。屋根の方には、神様のオブジェがカラフルに彩られて並んでいる。
その色が妙に安っぽく感じられ、威厳を損なっているように思える。
その隣で、土産物を売っているおじさん。ここの特産物ではなく、何処の街でも売っているような品物。要はコンビニエンスストアの超mini版。
ここを出て街に帰る道中で見かけたボリウッド映画の撮影シーン。やや右手の茶色の洋服を着たヒーローと、その後ろのヒロインが逃げるシーン。
一応ワンカット終えたので、ヒロインはゆっくり歩いて別の場所、(ここでは畑の中に移動していた)
インド人はこうして積み上げるのが好きだ。オレンジでも椰子の実でも何でもこのような展示をする
もちろんそうでない人もいるが。
飲んだ椰子の実の殻は、後ろに捨てる。後ろはゴミの山だ。
神聖な牛をつれた農夫。
このようにツナを付けた牛はきわめてまれで、普通は放し飼いが多い。
いよいよ市内。幾分道路状況は良い。インド特有の警笛音も少ない。
これは糸に吊した花。この花を女性達は後ろに束ねた髪を巻くのに使う
花には匂いがあり、天然の香水の代わりだ。
朝飯を食ってないので連れて行ってもらったメシヤ。きちんと屋根があり、地元の人には高級店だろう。食べ方は彼に教わりながら頂く。
手前の白いモノは米を粉砕して蒸したモノ。
カップに入ったモノはカレー2種。下敷きはバナナの葉。味噌のようなモノは辛い。その隣はヨーグルトみたいな発酵物。
少しずつ、米を蒸したようなモノにまぶしていただくのが正式な食べ方。
インドは携帯電話王国。特に南の地方は普及が進む。この兄ちゃんも携帯電話をいじっていた。
路上生活者のように見えたのだが。
9月4日
事務所のすごとなりを走る列車。インドは鉄道網がしっかりと張り巡らせている。時間はずいぶんとかかり、盗難などの危なさがある、運行時刻が非常にあやふやなど、旅慣れた人でないと利用は難しい。
9月5日
チェンナイでの朝食。焼きトマトが旨い。コーン炒めも旨い。この2つは毎日頂きました。そして、これらには、インドの濃いコーヒーがよく合うのです。
余りにも珍しい果実なので、名前を教えてもらうと、今度は現物を持ってきて食べ方も教えてくれた。これを半分に割って、スプーンの丸い部分でこの果実の皮をたたいて、中に入っている身を落とすと言うのだ。だが、それは難しく、結局スプーンで掘り出したから、辺りがこの果実の汁だらけになってしまった。すまないねえ。
チェンナイから約2時間かけてハイデラバード空港へ。この空港がインドで一番綺麗な空港。ボーデングブリッジもある。
空港の前にはこのように広大な駐車場の敷地が広がる。市内から1時間程度離れた場所に空港を作ったので、周辺は理想的なレイアウトが可能だ。ここから、高速で市内に向かうが、約半分くらいが高速でした。
まずはホテルに荷物を置いて、食事だ。ホテルはタージホテルで綺麗なホテル。ここは敷地に広がる広場。このホテルの前はぐちゃぐちゃだが、この一角は別世界。
クラブサンドのサンドイッチだ。パンも旨いが、ポテトフライがなかなか行ける味だ。しかしよく見ると、油がスゴイにじみ出している。相当腹にもたれるなぁと言うことで、遠慮した。
市内は混沌としているとしか言いようのない雑多な街。小規模の小売店が並ぶ。インド人は商売に聡いが、組織的にそれを行うという才能はない。それで、こうした個人の才覚で商売をする小売店が圧倒的に多いのだ。
ハイデラバードは高原で結構涼しい。そのためかリンゴの店が多い。インドのリンゴは日本ほどジューシーでなく、甘みも少ない。こうして積み上げて売るのが彼等のスタイルだ。
インド人は目がよいので、車の中から撮影していてもすぐにばれてしまう。だから、笑顔でこちらを見ているのだ。この女性はバスの前を悠然と歩くがその姿勢の良さには感服してしまう、一流のファッションモデルのような歩き方だ。まぁそうしないと頭の上の荷物が落ちてしまうけどね。
アジアに共通しているのは、男性や女性の有名人を使ってイメージを立て、それをネタに商売をする手法。日本でも同じですね。インドも同じ。しかし、お金のない広告主はモロの看板を出す。Contact us xxx-xxxx-xxxxと、ただの電話番号だけの看板だ。とてもわかりやすくダイレクトだ。
今は雨季なので、直前に降った雨が残っている。雨は半端じゃないから、土の道はどぶとなるでしょうね。それで、靴は汚れても洗えるセッタですね。ゴム草履ですね。
9月6日 
バンガロールの空港もキレイ。バンガロールは、アメリカのソフトウエア開発を担う街として発達した。アメリカと同じ英語圏だから、仕事の委託がしやすかったのと、優秀な人材がインドでは無尽蔵に集められるのがメリットだ、しかも安価に。我が社の事務所でもそのような人材が居るが、彼等の指は本当に早い。
右側の白い車は、難癖をつけて、駐車場の料金を払わないで突破しようとして大勢の人に囲まれた。それでも、通行止めのバーを車で押しのけてとうとう行ってしまった。支払いをしない理由はちょっと不明だが、自分の主張をすることにかけてはインド人は凄く強気に出てくる。相手の感情を害しないだろうかと心配する必要を持たないが事がポイントだ。
インド人が神様とあがめる神社は大体このような派手な色彩で飾られている。
有名な政庁舎。来るまで通りがかっただけなので、旨くレイアウトすることが出来なかった。
バンガロールではサリー姿が少ない。ITの仕事では、じゃまと言うのでしょうか。それとも、実力社会なので、それなりの収入を得ると、人間誰しも同じような行動を取る。つまり、カジュアル化のせいでしょうか。アメリカナイズとまでは言わないが、けっこう脱インド的な店が多い
ここもインドラしからぬ風景、この反対側に中華料理店があってそこでおいしい食事を頂いた。午後4時頃が昼食の時間。
9月7日
バンガロールから、ボパールを通り越してデリーに入り、デリーから、インドアを経由してボパールに着いた。ボパールはまた普通のインドに戻る。民力度がグット落ちる。ここだけは宿泊したくないと思っていたが、結局宿泊する羽目に。
女性は手に長い手袋をして日焼け絵を防いでいるのだろうか、日本の婦人と同じ格好だ。きっと標高が高いので紫外線がきついのでは無かろうか。と推測するが。
この店の少年が自分を撮影してくれと声をかけてきた。それで、奥の両親に断って撮影したが、それ以降この並びの商店主みんなの声がかかり、順番に撮影する羽目に
それを見てた自転車のおじさんも自分を撮影するように言う。地元の人の言葉は更にわかりにくいが、ジェスチャーで何とか意思疎通を。この自転車ブレーキがワイヤーで無く、金属の棒で引っ張る仕組み。日本ではもう見かけないものだ。
ウダイギリ石窟寺院。広大な敷地に寺院はあった。雨が来る夕刻だったので少し沈んだ感じだった。
どういえば良いのか分からないが、小ぶりな建物。たくさんの人が入ると言うのでもない。なにか、供え物を保存するとかの感じ。
これがメインの建物の鳥居の原型。上に行くに従って、悟りが見えてくる絵柄となっている。インドネシアにも同じようなモノがある。インドネシアも昔は仏教の時代もあったのだ。
建物は円形で、鳥居は東西南北に計4つあった。西の鳥居は雨が来て撮影できなかった。
これが、イスラムによってつぶされた寺院の住居に当たる部分。相当広い敷地だ。
航空機会社ストのため、結局ボパールに宿泊。ジャハンヌマホテル。中庭の一角にレストランがあり、このような優雅な風景を見ながら夕食を頂いた。