
長らくのご愛読有り難うございました
新しいページはココに掲載です
3月31日(月曜日)
須崎に向かって
今日は早く起きて、月報を仕上げた。書くことがない中で、「有」を創り上げるので造像力が必要、メモの断片から記憶に潜んでいる氷山の海面下の全体部分を掘り起し書くのだ。しかも大局的に経営的視点で。これにはステップがある。まずは、平日、マクドナルドで体裁なんか考えずに粗下書きをしておく。それを元に文章を膨らます。それから表現方法をビジネス向きに変更し、ダラけた文字をスパッと切り落とす。そして、それを優先順位順に並べる。そうすると、まずまずのビズネス用の報告書が完成する。現役の時はこんなことはしなかった。あの頃、これほど報告書に精力を費やしていれば、会社に対してと言う意味ではなく、もっと別の見方や、別のアイディを見つけられたかも知れないと思った。こうして10時過ぎ納得いく報告書が出来上がったのでメールして須崎に向かった。昨日の疲れで土佐市を過ぎた辺りで休憩。15分くらいの睡眠。帰りにも同じく15分位の睡眠をとって今日の仕事を終えた。車の駐車から睡眠までの時間は2-3分位。すぐ眠れる。たった12分位の睡眠でもスッキリだ。夜、長くは眠れなくなったが、昼間は簡単によく眠れる。休日でも同じで本を読み眠気が来たと思ったら、直ぐに横になる。そうすると寝てしまっている。とても器用に出来ているのだ。休憩が多いので昼食はパンをかじりながら運転だ。最近はこのパターンが多い。同じ仕事をしている東北の先輩も同じ事を言っていた。
3月30日(日曜日)
郷西部落総会
今日は午後6時から部落の総会がある。そのため午後2時にプールに行き、帰ると風呂を沸かし(薪でたく方法だから、20分くらいかかる)父と母の夕食の準備をして、出かけた。総会では年間の行事の締めくくりと、会計報告があった。それから本年度の役員の信任を得て、懇親会だ。この懇親会が高知独自でしょうね。弁当片手に酒を飲むのだが、ビールは大瓶で一人平均2本くらいだから、相当な量を飲むことになる。この飲み会がお開きになるまで僕ら新役員は居残り、後片付けをしてから解散するのだ。大変なことを承ったと思った。懇親会ではホンの2名だけ通信に詳しい人がいて、芸西村の通信事情を教えてくれた。ここは光はもちろん来てないが、ADSLさへも来てないとのこと。IDSNの128kbpsが最高だと!と言うのだ。私はソフトバンクのモバイルルーターを使っているので、回線の事には疎かったがやっとここの事情が分かった次第。近所の若手は自宅からパラボラで村役場と交信して、村役場の回線を又借りして通信しているとのこと。アンテナと通信設備に7万円程出費が必要だ。そんな中、私の部屋からも見える所に大きなアンテナが立った。この5月からは芸西村でもNTTのLTEが使えるとのことだ。高知県は自民党で、キリンラガーで、NTTなのだ。iphoneをNTTに切り替えて、デザリングで通信する方が最も早い方法だと思った。ソフトバンクのモバイルは不安定で通信がすぐに切れて困っている。
3月29日(土曜日)
ストレスメーターがあれば振り切れている
金曜の夜から不愉快な事が始まり、土曜日は午後4時過ぎまで家事と介護に追われる。今日は、前日にヘルパーさんが母の汚れ物を洗濯機に放り込んだままだったので、その洗濯も今日は加わった。そして生憎と天候は悪く、夕刻生乾きの洗濯物を2kmばかり離れたコインランドリーに乾燥に行かなければならない。顔がゆがむ。こうした老け顔に成長してゆくのだなと思いましたね。この払拭にプールに行くが、それも早々に切り上げないと、父の夕食を作るのが待っている。短時間で2km泳ぐとなると、相当ピッチを上げねばならず、こんな繰り返しをしていたので、最近ピッチを上げると不整脈がでてきて、そうも出来なくなって来ている。八方塞がりとはこのことを言うのです。
3月28日(金曜日)
Amazing GraceとCalling you
この2つはアカペラに最適な歌。だが歌手に取ってはなかなかの難曲で、この二つは歌えル人が少ない。Amazing Graceは米国人の歌手のCDを何枚も聞くがなかなか旨く歌えてないのに日本人歌手に凄い旨いのがいる。私はこれを一押しとした。歌手の名前は白鳥恵美子。元トアエモアの一員だ。歌が旨いのにはきちんと理由がある。彼女は馬面なのだ。歯茎がむき出しになるほどの馬面だ。馬面は構造的に歌がうまく歌える骨格だ。もう一つのCalling youは、ホリーコールが映画バクダットカフェで歌った。これは旨い。哀愁を浴びてしかも音程が安定している。そしてもう一人発見した。NHK-FMでピーターバカランが紹介したのがペトラヘイデン。ジャズのベース奏者でチャーリーヘイデンがいるが、その娘だそうだ。この人も旨い。先の2つはCDを持っているが、後者は持ってない。
3月27日(木曜日)
白鳥温泉
東かがわ市から、山側に入っていくこと10km。ぽつりと温泉宿がある。今日はここで宿泊した。良くある温泉宿と同じで、残念なことにはだしで廊下を歩くしくみだから、妙に足がべとついてせっかくの温泉だが、気分が半減されてしまった。もう一つは窓を開けると目の前にお墓があることだ。こちらの人たちの風習はわからないが、どうもいただけなかった。この2つがマイナス要素だが。山に囲まれた静かさと、6畳とはいえ自由に使える空間と、4300円のリーズナブルな価格が魅力だった。暖かくして、そのと冷たい雨音を聞いていると、豊かな気分になった。ここで本のスキャンを行い、気分良くどんどんすすみ、今週分のスキャンをほぼ終えてしまったのだ。食事は温泉の横にレストランと言うか食堂があり、ここで食券を買ってカレーやうどんを食べることが出来る。このフロアはサンダルがあり履くことができる。木のサンダルでからんころんと音がする。
3月26日(水曜日)
MJ情報
日経MJ新聞、月の購読料は結構高かったので、なかなか手が出せない新聞だ。ところが、日経電子版を利用している人には、+1000円でこの新聞がネットの上で見ることができる。そして本日、以前勤めていた会社、コスモスベリーズの特集がトップに掲載された。社員としてこれだけ誇らしいことはないだろう。この記事によれば、加盟店は安い価格で仕入れができて、しかも在庫を持たないので利益が出せる電気店経営ができるとあった。電気店はたかだか50万円程度の月商で、ヤマダ電機の仕入れに近い価格で仕入れができるのだから、おいしい経営ができるのだ。それで昔の仲間に記事を添付してメールを送った。返信は弘前はもうすぐ雪が消えるとあった。長い冬も終わりを告げるのと、商売も明るくなってきているのと二つの意味が感じ取られる内容だった。
3月25日(火曜日)
お肌すっきり
寝ているとき背中や頭が痒くて痒くて、朝起きると下着のシャツは背中に血のシミ。枕にも赤いシミ。早速薬局へ。薬剤師曰く、体をごしごし洗うと体の油成分が抜けて痒くなるのです。今までは痒いから余計ごしごしとこすり、痒さに拍車をかけていたわけだ。そういえばかかとのひび割れも、水虫かと思い石けんでよく洗っていたが、医者に相談すれば、乾燥しているのでこうなるのです、保湿性の薬を調合してくれた。若いころは、脂が多くヌルヌルで困ったもんだが、いつの間にか靴を脱いでも足が臭くなくなり、体から脂が抜けてしまったのだ。そこで、話は元に戻るが風呂から出た時に体に薬屋さんお薦めのローションを塗るようにした。最初はあまり効かないようだったが、そのうちに無意識に背中をかくようなことがすくなくなり、夜中に目が覚めることが無くなった。めでたしめでたし。最近気が付いたことは、そのためかどうかわからないが、風呂で体を洗う時に妙に肌がすべすべしているのに気が付いた。なんだか若いころに戻ったような錯覚も覚えた。
3月24日(月曜日)
伊予三島市は臭う
依然として臭い街。1975年から3年間香川県高松市伏石町に暮らした。琴電琴平線の三条駅のすぐ近くに寮があった。ナショナルショウルームで仕事をしたのだ。ショウルームの仕事は来場者に対する商品説明が主な仕事だが、そのほかに地域の販売会社と連携して展示会に使ってもらう仕事もあった。その勧誘に主に四国の瀬戸内海側の販売会社を訪ねたことがある。今は一つの組織だが、昔はこの11号沿線に確か4つか5つくらいの独立した販売会社があった。坂出の販売会社が一番協力的だった。井上さんが懇意にしてくれた。井上さんはいい人だが、いつもメガネのレンズが汚れていた。若かりし頃のビルゲイツみたいだ。話を戻そう。その一つが新居浜にあった。ここに向かう途中、旧名川之江(現伊予三島市)を通過するのだ。既に観音寺を過ぎた辺りから臭いの気配があり、川之江の街にはいると、丁度「下痢をした便」のような臭いが逃げ場のないように辺りをつつんだ。ようこんな街に住んでおられるな。と思ったが、聞けば全ての住民はここにある製紙会社の社員や家族だと言うのだ。だから給料をもらう以上この臭いに慣れなくてはならないと言う。僕はごめんこうむりたいと当時思った。その街を今、訪ねると、もう臭いは微香になっていて、風向きによれば臭わない程度に改善が進んだ。2000年から製造業の没落が始まって久しいが、ここも中国製の安価な紙に取って代わり厳しい経営を強いられている。その上、有名な事件が起きた。大王製紙の会長が約40億円ものお金をギャンブルですったのだ。それで、厳しい経営に拍車がかかったと言うわけだ。私が思うのに、これは氷山の一角で、まだ古い体質がここに残っていて、つっつけばまだまだ出てきそうだ。つまり、臭うのだ。製紙とは違う他の臭いだが。四国はなかなか浮上しない。
3月23日(日曜日)
音楽を聴きながら泳ぐ
ソニーのWalkman W274Sを水泳に使っている。どんな音楽がベストなのか?「サザンオールスターズ」も試したが、今一だ。まだ模索中だ。そんな中、実は昨日プールでWalkmanを耳にしている女性を見かけた。芸西村の先進性だ。速度が違う(明らかに私の方が早い)のでどんな曲を聴いているのか尋ねたかったがかなわなかった。今日は「クィーン」と「矢沢永吉」を試した。いずれも今一。先週来ずっと聞いている、なじみの荻野目洋子は、なじむというよりか飽きてきた。音楽に今一つノレない理由に、小さな音は水音にマスキングされ聞こえないので、おのずと強い音のみが耳に届くことになる。すると、音楽は抑揚のない平べったい味気ないものになってしまうのだ。音楽は音楽そのものの楽しみもあるが、気持ち良い音を聴く楽しみもあるのだ。今日は2kmで終えるつもりだったが、シャッフルでベストの音楽を探しながら泳いでいたから、ついつい限界の2.4kmまで行ってしまった。2kmでは午後10時まで何とか起きていられるが、2.4kmでは午後9時にダウンとなる。
3月22日(土曜日)
薬局
病院に行くと薬の処方箋をくれますね。その紙を持って病院近くの薬局に行きますね。薬局はまるで、病院の専属のような感じで近くに併設され、客が来るのは当たり前のような感じで待ち受けている。それで僕は病院で尋ねた。薬局はどこでもOKか?病院はOKだと言う。それで、父の通院に付き添った後、違う薬局に行き、薬をもらった。結果。病院の近くにある薬局と、違う薬が出たのか?実は「出る」のだ。錠剤が小さくなったので、数が増えたと父は言う。そうか、一応薬は揃えてはいるが、一錠の重さは最小単位の錠剤から、数種類あるということだ。そして、今回から薬が出るまでの時間を計測し始めた。薬局によって生産性が高いところと、低いところがあるはずだ。父の病院の近くの薬局は30分ほど待たされるので、生産性は低い。高須の薬局は15分だった。今度はドラッグストアで試そう。
3月21日(金曜日)
お彼岸
この3連休に本のスキャナーを進めて、5月連休前に何とか終了したいともくろんでいる。それで今日は日の出前から深夜までカセットのスキャナーと併せて、こもりっきりだ。昔読んだ書籍のタイトルを見ると当時の状況が思い出される。併せて昔録音した音楽を再生すれば情景は80年代にスリップだ。だから、休日には僕の身の回りに起きていることに、新しいことは一切ない。完ぺきに別世界に没頭している。高校生時代や20才代の恋の唄がすんなりと受け入れられるのが不思議だ。そしていろんなことが想い出される。そして、時たま書籍には購入したレシートや航空券が入っていたりする。博多と名古屋のレシートが多い。この項ではお彼岸の話を書くつもりだったが、いつの間にか本題からずれていた。お彼岸は家から50m離れたお墓にお参りに行ってそれで終わり。毎日でもできる。
3月20日(木曜日)
アマゾンの親切な対応
ソニーの中古βデッキを買った。ところがこれがなかなかうまく動かないのだ。最初はローディング不良。今度はテープの絡みつき。その都度メールで苦情を訴えると、きちんと対応してくれる。なかなかいい対応なのだ。βのテープはお宝の音楽番組ばかりが記録されている。150巻ほどある。そして、このEDV-9000の映像はすごい。42型のPDPで再生する限り映像の破たんもなく、絵に気品がある。1987年にこんなすごい映像を出していたのか?しかも、ED規格ではなく通常の記録でここまで出るとは!だが、貴婦人のごとく、気まぐれで今までにうまく再生できたのは5本のみ。今回再度修理をお願いした。もしうまくβのダビングが終われば、次はレーザーディスクのDVD化だ。レーザープレーヤーもアマゾンで買おう。
3月19日(水曜日)
この年にして流線型の体系
この3ヵ月、毎月30km弱泳いでいる。私は背が低くずんぐりむっくりでスタイルは悪いと自認しているが、ここまで泳ぎ込むと、体の余計なでっぱりはなくなり、特に普通に行うエクササイズでは落としにくい下腹のふくらみもなくすっきりしている。この年になって生涯で初めて一番のGood Styleなのだ。泳ぎ方もクロールも背泳もバタフライもかなり完璧にこなせるようになっている。ズボンはジッパーを下すことなく、そのまま脱げる。それでいて体重はあまり変わらない。それに、副産物で脚力もUPして、自転車でプールからの帰り道の最後、自宅まで35mの高低差のある上り坂を苦も無くなく登れる。一般的に考えればこれは異常な事だから、いつまでも続くわけはないと思う。
3月18日(火曜日)
農業の薦め
愛媛県の友人に会った。近況の交換だ。ほんの少しの間にずいぶんと僕たちのまわりの環境は変換している。それぞれの将来計画にいろいろと支障が出てきていることを語り合った。この友人は農業をお手伝いして、愛媛県で名を挙げた。大阪から仙台の市場(いちば)に愛媛県の農家の価値を売り込むのに成功した。それで、僕にも農業をしないか?と薦めてくれた。これからの10年間農業なら食っていける。それに、全国にあなたの作る農作物の付加価値を売り込んであげる。農協を通して農家を営むよりずっと収益が得られるというのだ。確かに農協は問題あるなと思ったのは、先週の日曜日部落会があり、部落の会計を預かった。600万円ほどある。その口座が土佐安芸JAなので、僕の行動パターンからして、ここを利用するのは難しいので、他の農協で入出金ができないか聞けば、高知県しか対応できないとの回答だ。この時代でもJAは一本化されてないのだ。今の農家は一事が万事このように旧態であるかもしれない。新しい流通で商売を始めれば目が出るかもしれないと言うのはなんとなくわかる。しかし、今の仕事は定収入がある。休みもある。天候の心配は不要だ。子供を卒業させなければならない負担も抱えている。しかし、家には土地とさんさんと降り注ぐ太陽と農機具がある。作物を作るにはベテランの父にも助言がもらえる。「しかし」が交互に続き、心は揺れる。
3月17日(月曜日)
春来る
須崎の川べりの桜が満開だ。早速写真に撮り友人に送ると、その桜の名前はなに?と鋭い質問。レレレ。それは「桜じゃきに」と言いたいところだが。あとで調べれば河津桜だった。この桜は一足早く咲く。神奈川県の河津桜が有名だ。別の人のメールの返信には、求職中の友人が仕事に就き春が来たと喜びを書いていた。このメールに関してだが、私のメールにはどこから調べたのか、3000万円が当たるメールが届き始め、頻繁に来るようになった。それで、アドレスを変えたのだが、関係なく飛んでくる。いっその事メール設定そのものを切ったらどうがと削除しても、メールが届きましたとメッセージが出る。それでソフトバンクを訪れると、メールのアドレスは変更されていませんとのこと。レレレ。メッセージが変更されているとのこと。意味不明だが、取り敢えず変更を頂き、ついでにPCからのメールは受付拒否してもらった。話はそれたが、高知で過ごす限り冬の寒さはあまり感じませんね。それで春が来たと言ってもなんだか、そうか?春か?といった感じ。今日はツバメも見た。
3月16日(日曜日)
部落会
「西分郷西」が私の住む部落。この部落の代表者が集会所に集まり、この夕刻会議を持った。一年間の活動結果の報告と、次期代表者への引き継ぎだ。来年度は私が2班の代表となり、更に全班(全部で9班 約100世帯だ)の会計を担当することになった。この部落は裕福で、繰越金が600万円ある。裕福なのは土地を黒潮カントリーに貸していて、その土地代金の収入が毎年80万円程あるからだ。その会議の後、懇親となった。主だった人が残り酒宴を持った。僕もせっかくの機会だから居残り一緒に酒をのんだ。高知の酒は尋常ではないのだが、この宴席でも凄いことになった。幸い今回はビールしか飲まなかったので、まぁ何とか被害は免れた。同じ地区に住んではいるものの、ほとんどの人は知らない。中には「俺を知っているか?」と聞かれた。「おまんと同級生よ」。と本人は言う。「全く記憶がございません」なのだ。そしてどこどこの猫に子が生まれた的な下らない話をネタに酒を飲んだ。おぼろげな小中学生の頃の記憶を便りに、話の位置を落とし込んだ。大きな板に掃除当番と銘記したものも預かった。それに、この夏、集会所は2,000万円程を使って建て替えをするらしい。会計は大活躍の年となる。
3月15日(土曜日)
ホームページ
写真の掲載ができなくて、毎回つまらない文章のみでアップをしてたが、やっとハイホーのアドレスを取得したので、これから写真入りの掲載ができる。思えば昨年3月に突然会社を辞めて高知に帰ってきてから、はや一年が経つ。この間、自分の周りの整理、父母の介護。友人との懇親。いろいろとあった。その時々にぴったりの写真もあった。だが、契約のサイトはそろそろ容量が一杯になる寸前なので、文字のみの掲載しかできなかった。今回から写真付きの文章に出来るのから楽しい紙面が組める(と思う)。iPadのアプリに写真の加工とお絵かきができるものが200円で提供されている。今日これをGet。もっと楽しい作品が掲載出来るかも知れない。
3月14日(金曜日)
何で仙台にいるの?
体が揺れる。目眩ではなかろうに。それに高知に帰ってきているのに、どうして今又、仙台に暮らしているんだろう。深い淵から浮かび上がってきてやっとこれは夢だったんだと覚醒した。体が揺れているのは現実だ。徳島の川沿いに立つホテルの7階だから余計に揺れた。縦の振動が来れば起きようと思ったが横揺れだったので、そのまま眠ってしまった。朝5時半に起床し、昨晩から続いている本とカセットテープのスキャナーを始めた。作業が始まり安定したところでテレビの電源を入れると、NHKの画面は周りをブルーで囲み、土讃線や、予讃線の情報を流している。高速道路の情報も流れてきた。そんなに寒くないのに又雪かよ!今週は月曜日に高速道路が積雪のため通行止めとなり、随分と遠回りしたのだ。だが、待てよ、雪にしては何となく画面が違うぞ。そこでやっとぼんくら頭に昨夜の記憶が蘇ってきました。あぁ〜これは地震情報なんだ。震源地は何処だ、そんなに遠くはないぞ。PCで検索してやっと伊予沖だと分かった。だんだん頭が働き始めた。そしてニュースを見ていると、やっと被害状況が報じられた。被害はないらしい。頻繁に揺れた仙台で慣れっこになっていた地震。頭の片隅にきちんと記憶されていたんで、夢を見たんだろう。
3月13日(木曜日)
昔のプリンターとパソコンの関係
ざわざわした駅構内でもきちんと会話ができるし、走行騒音が大きい軽トラックでもきちんと音楽の歌詞が分かる。同じ状況でICレコーダーを使って録音すると、雑音ばかりで聞き取りにくい。一方かなり明瞭に発音してくれているラジオ英会話の先生達。だが十分に聞き取れない。これはいったい何だろう。そこで思いついたのが、昔のプリンターとPCの関係だ。昔のプリンターにはフォントが収録されていて、PCからはフォントの番号を送れば、プリンターはその番号に見合う文字を打ち出してくれる。楽器で使われるMIDも同じ仕組みだ。つまり、こちらの頭の中にあらかじめ言語が詰め込まれているので、多少意味不明な日本語でも、頭にある言語を補って連続の文章にするので理解できるのだろう。一方こちらに記憶された単語が少ない英語は、いくら明瞭にしゃべってもらっても、発音から文字起こし出来ないのは、こちらに語彙がすくないからだ。ラジオ基礎英語3の本年度は急にレベルが高くなり、聞き取りが毎日あって、なかなか文字に起こせないので、こんなつまらない事を考えたりしている。そんなヒマがあったら単語の一つでも覚えろ!だろうな。
3月12日(水曜日)
「自分に気づく心理学」
この年になってもまだ自分の生き方について模索している。そしてこのタイトルの本を買った。ページを開くと、思い当たる節があり、自分をちくちくと刺してくる。その上何度も方向を変えて。一度は読むのを断念した。そしておもむろに又開いた。だが分かっているのは、こんな辛口の書き方をする書籍ほど自分には役に立つ場合が多いと言うことを。iPadにしまい込んでおいたこの書籍を今日は読み終えてしまった。著者は最後に結論を書いてあった。「自分を大事にしろ」。私の生き方はどちらかと言えば、自分を追い込んで追い込んで厳しく責め立てるのだ。全く反対の生き方を薦められて、もうこの年になれば、自分を追い込むのはゆるめてもいいのかなぁと思い始めたのである。それで生活がルーズになるのは嫌だけど、矛の納め時であるかも知れない。
3月11日(火曜日)
角川さんの事
大阪に行く機会に角川さんを訪ねるつもりだが、なかなか大阪行きが実現しそうにない。休日を使う手もあるだろうが、今の自分には休日は父母の世話で手一杯なのだ。取りあえず、電話で3月には訪問できなくなるお詫びを入れた。ろれつが回らないような話しぶりをされるのは、出血で舌先に血が回らなくなっているとのことらしい。電話になれてゆっくり話し出すと昔の会話に戻ってきた。白内障も酷くなり、最近の楽しみはラジオを聴くことらしい。前はBDレコーダーに番組を録りためて、ディスクに残さず全て見てしまうのがオレ流だと言われていたが、今ではもうTVは見ることさえ叶わないとのことだ。病院は治療をしない病院で輸血もそうそう行ってくれないとか。まだ笑いのあるうちに訪問しなくてはと思った次第。
3月10日(月曜日)
友人のこと
愛媛県の友人は急に父が歩けなくなり、介護のお手伝いをしているとか。私の父も急に歩けなくなり、もう3月が過ぎようとしている。年を重ねるとボトルネックに障害がでてくる。父も自分の思い描いた人生を歩めないが、お世話する方も自分の描いた人生を歩めないのだ。父は介護申請に通れば、お風呂やリハビリなどを村の施設をつかってサービスが受けられるとことだ。1級の障害手帳を持っているので、大概の申請は通るはずだ。どうしても日中家にいると手がかかるので、昼間のうちだけでもこちらで過ごして貰えれば、私も助かるのだが。
3月9日(日曜日)
取扱説明書
先日買った水中で使えるWalkmanは、使い物にならないとレポートしたが、念のために説明書を見れば、水中で使うにはイヤーピースが付属の物ではなく、別に梱包されている物に交換しなければならない。そして、コードを短くして耳にフィットするゴムバンドを装着しなければならない。この2つのことを施すと、何と泳ぎながら音楽を聴くことが出来たのだ。軽快な音楽が良いかと思い、荻野目洋子の六本木純情の入ったアルバムを入れた。結論、水泳にはJ-POPSのリズムが一寸早すぎて、水をかくピッチに合わないことが分かった。マーラーの交響曲のような壮大なクラシックが良いかも知れない。どんな音楽が向くのか、これからの研究課題だ。JAZZは多分大丈夫だろうが、大切なJAZZは他の事に使いたくないので、こちらは温存だ。取扱説明書は多くの人が読まないが、今の機器は一般人の想像を超えた高度な設計が施されているので必ず読むべしだと思いましたね。
3月8日(土曜日)
高速道路
芸西村は高知県では結構開けている村で、その昔国道55号線もいち早く舗装がされたので近隣の市町村では有名だ。そして高速道路はずいぶん前に開通している。しかし、いかんせん隣の香美市までの5kmで、一寸の間だ。国道55号を通過するのと、高速道路を使うのとその差は1分だ。信号の組み合わせが悪いと国道のほうが早い。それが、明日から加美郡の外れまで開通することになる。海岸線を走る国道よりも距離は短く速度は速く、これで芸西村から空港まで20分位で行けることになるはずだ。東北の震災で高速道路の盛り土が防壁の役目をすることに国が気づき、これからの高速道路は全て盛り土で造成されるから時間がかかるだろうが、取りあえずここまで出来れば、国道も片側2車線で結構快適だ。四国も海岸線を回る高速道路は香川県のみだが、じわじわと包囲網が出来つつあるので楽しみだ。高速に関連してもう一つ。いつも通っているプールに京都産業大学の学生達が大挙して押し寄せた。陸上の選手だが泳ぎもするらしく、僕の泳いでいるレーンに入ってきて後からどんどん追い上げてくるのだ。僕もギアを高速に切り替えて泳いだが、やっと振り切ったのは2.2kmくらいだった。僕の心臓は飛び出るくらい激しく波打った。所詮、若い学生に立ち向かう暴挙は無理があるのは分かっていたのだが。もうこんな事は止めよう。
3月7日(金曜日)
確定申告
村の役場の確定申告は本当に親切でスピーディーだ。今日は自分の為の確定申告に出かけた。今まで届いた郵便物の整理に2時間ほどを要したが、該当すると思われるものは全部持って行った。ところが、問題は肝心の国民年金の源泉徴収のはがきがないと指摘された。我が家の郵便物は、訳の分からなくなっている母が時々母屋に持ち込むので、郵便物が必ずしも全部僕の手元に届いているとは限らない。これがないと処理できないと言う。それで再発行の手続きをすることにした。南国市に出向くのだが、その前に電話で確認した。住所はどちらですか?と聞かれるので安芸郡芸西村と答えると、その案内人は、出向くところは広島県のどこどこにあると言う。一寸待て!高知県から広島まで行くのかよ!。もう一度調べます。それは南国市のどこどこ。南国市は分かっているわ!そこから先を知りたいのだ。全くじれったい。ストレスが溜まる。再発行はいとも簡単にできて、確定申告は完了した。それでも午後2時過ぎまでかかった。
3月6日(木曜日)
Walkman
NW-W274Sは水中でも使えるヘッドフォンステレオだ。土日には1時間以上水中にいるから、何か新しい試みが欲しかったので、この商品を知ったことは喜びだ。早速購入(11,000円に3年保証を付けて、11,520円)し使うことにした。商品を開けるとソフトを記録したCDが入ってない。おやおや?説明書を見れば、メモリーにソフトウエアがあらかじめインストールされているとのことで、考えれば正しいあり方だと思った。コントロールするソフトはMedia Goで前のウォークマンランチャーに比べ使い勝手は良くなったものの視認性は良くないと思った。iTune Musicには叶わないかも知れない。さて、今夕早速ためしてみた。結論は全くだめだ。僕の泳ぐ速度では、耳から外れてしまう。ターンをすればこれまた耳から外れる。水に潜ると聞こえなくなるし。平泳ぎの時だけ装着した。やはりこれは陸上で走るときに使う物らしいと結論づけた。まぁ失敗もあるわ。
3月5日(水曜日)
旧家
新居浜に来ている。この街はあまり好きでない理由に古いしきたりや、古老が街を牛耳っている感じがするからだ。そんな中、ホテルMISORAさんは、50才位の夫婦がホテルを経営していて、チェーン店に押されて厳しい宿泊業界なのに、頑張っている姿がひしひしと伝わってくる。古いしきたりを飛び越えて伸びて欲しいと影ながら心から小さな声援を送る。急に冷え込んできた夜、ホテルから夕食を食べに徒歩で出かけた。国道11号線が近いのでいろんな外食店が道路際にある。そこに忽然と現れたのは大きな敷地を持つ屋敷だ。表札はないがALSOKの大きなシールが門戸に貼ってある。更にその向こうの交差点には、立派な屋根を持つ本当の日本家屋がある。あれだけ重畳の屋根だと地震の時は雨のように瓦が降り注ぐだろうなと余計な心配をしてあげる。一体どんな人がこの新居浜には住んでいるのだ?グーグルマップには指名は表示されない。そこで、ホテルのご主人に聞けば、大きな敷地はパチンコ店の経営者。立派な屋根は大地主さん。新居浜は平野がすくないが、それでも大地主さんが存在するのか?どんなことをして広大な敷地を手に入れた?調べればドラマがありそうな臭いがした。
3月4日(火曜日)
「アカシアの雨が止むとき」と「木綿のハンカチーフ」
昭和46年3月高知工業高校を卒業して、僕は彼女と一緒に松山に行った。カローラ1100ccの車だった。松山に向かうには国道33号線しかないのは今も同じだ。仁淀川沿いに沿ってじわじわと登っていく。そして松山へは三坂峠を一気に急峻な下り坂。この坂を下っているときに西田佐知子の「アカシアの雨が止むとき」がラジオから流れた。廃退的な歌で、僕と彼女はこれっきりになって別れ別れになるから今の雰囲気にぴったりだと感じたと記憶がある。そのドライブから戻った翌日から就職のためにいろんな準備があり、感傷にふけっているヒマはなく新しい世界に飛び込んでいった。数年もすれば会社を辞めて高知に戻る気持ちだったが、取りあえず都会の空気を吸ってみたい好奇心が強かった。大阪に行った後、僕と彼女は「木綿のハンカチーフ」的な関係ではなかったのでそれっきりになってしまった。だが、この歌の歌詞にあるように、都会の空気に染まっていった。ところが、1年もすると、もっと大きな都会の空気が吸いたくなって東京に向かった。この好奇心は止むことなく、インドの空気を吸いたくなってアジアにもでかけた。振り返れば、いろんなものが僕の前に現れたが、僕の中にある好奇心は余りにも強く、いろんなものに優先してきた人生だったなぁと、同じ国道33号線を通りながら思ったのでした。
3月3日(月曜日)
桃の節句
春冷えのする晴天の高知。須崎に出かけた。外気は寒いが日差しは強く、車内はたちまち蒸し風呂になる。窓を開けて冷気をいれると丁度良い。この強烈な日差しでつぼみが大きく膨らみ、あちこちに木蓮の白と、桃のピンクが目立つようになった。近所の鶯は時々旨く鳴く、もう春本番を迎えたかもしれない。須崎のイエローハットで友人にもらったカーステレオを取り付けてもらった。今までカーステレオは不要だったが、だんだんと家の事が僕にのしかかってきてうんざりしてきてたのだ。そんな時FMラジオから流れてくるクラシック音楽に心を慰められた。カラヤン指揮ウインフィルのコンビでカラヤンご贔屓の「ムター」のバイオリンがなかなか刺激的な音楽だった。それで、いつも長い時間乗っているトラックに音楽の必要性を感じた次第。2万4千円も奮発してカーステレオを取り付けてもらった。待ち時間に2時間も要したが、これから僕の心を慰めてくれることだろう。この待ち時間に、会社からのメールを見た。各人の月報を見て参照するようにと通達だったので、読ましていただいた。みんな渾身の力を出してこの月報を仕上げているらしく、文章に苦労が見える。この仕事は定年後の腰掛程度の思いだったが、かなり真剣に取り組まなければ置いてきぼりを食ってしまう可能性もある。奮起だ。
3月2日(日曜日)
一区切り
今日は本の裁断を全て終えてしまった。後はスキャナーに通すだけの作業となった。この3月の2日間は2つの区切りをつけた。丁度芸西村に帰ってきて1年目だ。記念すべき日だ。どこかで一杯やろう。洗濯物にアイロンをかけていると若い娘が尋ねてきた。??マスクを付けていたので分からなかったが、従兄弟の娘だ。父の介護申請の支援に訪ねてきてくれた。父はもう歩けない。土曜日に私が病院連れて行くだけの日々だ。村の介護施設を利用すれば手厚い介護を受けれるのだが、介護申請はしなくてもいいと常々言い続けてきたのだ。それで若い娘が説得すれば父も嫌とは言わないだろうと言うのが彼女の言い分で、先週一緒に呑んだときに約束をしてたのを忘れていたのだ。結局父は介護申請をする話となり、天使のお使いは功を奏した訳だ。彼女は母の入院の時にもお世話になり、実の孫以上に尽くしてくれた。感謝。この後プールで2.4km今日のエネルギーを使い果たした。ところが、ここからが大変。近所の同級生の義父が亡くなりお通夜。徒歩で出かけたら、看板がありここから15km東の安芸市で営まれるとのこと。引き返し、iPhoneの地図を便りに向かった。お悔やみを述べた後退散すれば、今度は介護タクシーさんから電話。お金の支払いの打ち合わせ。等々で明日のエネルギーの一部を使い込んでしまった。
3月1日(土曜日)
あっけない幕切れ
VHSのダビングの最後3卷を残すのみになった。ブランドを見ればスコッチテープだった。少しやばいかなと思って挿入すればテープが溶けていたらしく、内部でテープが絡まった。デッキを開けて問題のテープは取り出すことが出来た。蓋をして一応このテープは捨てようと思った。最後の2巻は子供の記録だ。30分テープだからすぐに終わる筈だったが、実はこの2巻は再生できなかった。蓋を開けてテープを取り出したときに何か致命的なことをしたかも知れない。振り返れば、VHSのテープは20年位が限界だったのだ。そして、スコッチとナショナルテープはどのグレードも最低の品質で、テープがわかめ状になったり、内部のガイドに融着してしまったり、巻き戻しをすればリーダーテープとの継ぎ目で切れてしまったりと悪戯の限りを尽くした。きっとナショナルテープはスコッチからOEM供給を受けていたんだろう。TDK、マクセルは問題なかった。どうすることもできない2巻のVHSは保存しておこう。すっきりしない終わり方だった。今日からはβのダビングを始めた。この時気がついたが、プラズマテレビの近くにデッキを置くと音にノイズが入り旨くダビングできないのだ。50cm位離すとノイズは消える。もしかしたら、VHSのデッキはPDPの下に設置してたので、ノイズを出しっぱなしだったかも知れないと反省した。終わった後で気がついた。
2月28日(金曜日)
勘違い
「風とともに去りぬ」本題は"Gone With the Wind"日本語タイトルはそのままだ。この映画はスカーレットの木材工場が焼けて、スカーレットはレットに守られるようにタラから立ち去るのが最後だと記憶してたが、全然違うストーリーだった。大きな火災は、南軍の武器庫に北軍が火を放ち、火薬が燃えないうちに、子供を産んだ病弱の親友でもあるメラニーを連れて、スカーレットとレットが馬車で通過するシーンだった。そして、これは、前半の最後の場面で、後半がまだあったのだが、こちらは当時見てない。門真の寮で見たきりの記憶だ。日曜洋画劇場で、この映画は2回に分けて放映された筈で、前半を見て堪能した気になっていたんだろう。勘違いはまだある。「ベン・ハー」だ。チャールトン・ヘイストン扮するベンハーが縄に縛られて連行されるとき、キリストが水を飲ますシーンがある。私は、キリストが十字架を背負って連行されるとき、ベンハーが水を与えたと記憶していた。関係ないが、この映画ローマ軍を悪者に扱っているが、この頃のローマは上り調子の頃なので、そんなに悪行はないはずだと塩野七生は言う。僕もそう思う、もし悪行しておれば、この後700年位安泰にローマ帝国は続く筈がないのだ。
2月27日(木曜日)
暖かい四国
天気予報の通り雨となった。今日はトラックの荷台に荷物を載せて運搬しなければならいのだ。嫌みな天候だ。四国の雨は関西や関東と比べて雨粒が大きく結構濡れるのだ。しかし、旨い具合に午前中室内で作業を終えて外に出れば雨は上がっていた。アスファルトに染みこんだ雨は湯気を立てて乾いていった。明日で四国に帰ってきて丁度一年。一応年間の気候は分かった。そして、四国は暖かいことをよぉ〜く理解した。高知ではこの冬トレーナーと下着のアンダーシャツの2枚で過ごせた。他の県でもワイシャツに薄いカーディガン1枚で事足りた。東北の寒さに比べると天国だ。そして靴下ははかずビーチサンダルで過ごした。ビーチサンダルはホコリを吸うので一日に何度も足ごと水道水で洗った。厳寒の1月でも問題ない。この暖かさは随分助かる。一つだけ問題があるのは、今日のように暖かいと「蚊」が出てくるのだ。トイレでおしりを出すとぶぅーんと飛んできた。
2月26日(水曜日)
マクドナルド書斎
月末になれば報告書が待っている。2通の報告書を仕上げるのだ。以前は事務的に書いていたが、最近では読み物として楽しさがあるように、多少のウィットも含んでいる。まず粗書きをしておいて、それに修飾を加え文章を膨らませ、それから余計な文言を削って体裁を整える。結構時間がかかるが、最近ではおもしろくなってきている。それらの作業をマクドナルドで行っている。マクドに行くとまずは店員に電源の在処を聞く。そこに場所取りをして、マックシェイクを注文する。体の変調なのか、マックシェイクはおなかを下す場合がここのところ急に増えた。午後のマクドは学生達が多く、それも女子高校生が圧倒的に多い。勉強している子もいれば、友達とだべっている子もいる。実はこのざわざわさがおじさんもそうだが、若い人達も落ち着くのだろう。パチンコ屋さんの騒音と同じ。ここでのモバイルルーターはマクドのWiFiに自動アクセクして4G回線を使わないで済む。今の契約は7GBを越えると実質使用出来なくなるから大いに助かる。しかも120円で使用できる。更に冷暖完備の書斎としては格安だ。90年初め頃にSOHO(small ofice home ofice)の言葉が流行したが、まさにマクドはこれだ。
2月25日(火曜日)
成人男子
夕刻のこと。前から目を付けていた高松市の郊外にあるお寿司屋さんに行った。普通の回転寿司屋さんとは違い、少し高級な雰囲気を持った店だ。飯時だというのにお客様は多くなく、しかも子供のうるさい声が聞こえない。ネタは新鮮で結構美味しかった。赤貝なんか、iPhoneの半分くらいある大きさだった。でも5皿で満腹感が出てきた。チョット情けない、液晶のメニュー画面を物色して後2皿、見栄も手伝い無理な注文して勘弁してもらった。レジの兄ちゃんんに訪ねた。「成人男性は平均何皿ですか?」「7皿」の回答が帰ってきて安堵の胸をなでおろした。「ウチはネタが大きいですからあまり食べられないのです」。今日は昼飯にパンを齧っただけで、結構腹が減っていたんだ。それで7皿とは情けないではないかと思ったが、もう成人男子ではないので、これで十分だと安心した。今日はクレーム処理に時間を要して随分と時間を食って疲れてしまった。バタンキューではないが、10時にはまぶたの重さに耐えられなくなった。
2月24日(月曜日)
軽四トラックの走行スピード
もう慣れっこになったが、それでも350kmを走って岡山県に行くのは重い。車にはカーステレオのような娯楽はない。ひたすら走るだけだ。走っている間にいろいろと考え事で時間を食っている。ぼんやりと自分の世界に入って行くのだ。高速道路の運転中だから危険だが、速度は必然的に落ちていて時速70kmくらいになっている。軽四トラックで老人マーク付きなら速度が遅いのは定番みたいなものだから、後続車もドンドン追い抜いてゆく。追い抜くと急ハンドルを切って僕の前に入ってくる。その車には後続車もないのに、何を焦って車線変更しなければならないだろう。きっと心の狭い人だろう。軽四トラックは人が思うほど酷くはなく、結構快適だ。ミッドシップエンジンが一役買っている。カーブは旨くハンドルの通りに車は曲がるし、エンジン音は極めてしずかなのだ。本田はこのたかが軽四トラックにどんな想いをかけたのだろう。昔はDOHCの軽四トラックも作った程だから、何か深い想いがあるかもしれない。その上四輪駆動だから、雪道も楽しい。見た目と随分違う乗り心地に気分がよい。
2月23日(日曜日)
ジュリア・フォーダム
CDのジャケットがいいので、何枚か買った。なんと、彼女のVHSが出てきた。画質の良いSVHSで録画してた。(なかなかいい仕事をしているぞ)42型のPDPで再生しても映像の破綻は全くなくなかなか楽しめる映像だ。彼女の顔はまるでお人形さんだ。まさに映像映えする顔なのだ。調べると僕より10才だけ年下だった。この映像は30才の時の中野サンプラザでの映像。つい先日のような感覚で蘇ってくるが、もう随分と昔のことなのだ。あまり感慨に浸るまもなく、買い物と夕食の準備だ。ホント、自由な時間がない。
2月22日(土曜日)
なぐさめ
今日は父を高知にある心臓の病院に連れて行き、半日を費やしてしまった。朝6時半に起きて家事のしっぱなしで午後15時過ぎにやっと解放された。父の弟もこの病院にかかっていて、病院でぱったりと出会った。近況を聞き、伝え、どうや「気晴らしに今日いっぱいやらんかえ」と誘ってくれた。今週は一滴も酒を飲まなかったので、1週間ぶりだ。おじさん所は、いろんな人が来ていて、3才位の小さな子供が3人も居た。久々ににぎやかな酒盛りとなったのです。無邪気な子供は元気をくれますね。更に従兄弟の娘が来て、介護のことをいろいろ教えてくれた。介護にはいろんな補助があるので、利用しないと損だよとのこと。ビール3本を呑んで退散。夜風が気持ちよかった。そういえば、昨日の朝、ウグイスが始めて鳴いた。春告鳥とも書く。冬はもう終わった。春になればきっと良いことがあるだろうと気持ちが高揚した。
2月21日(金曜日)
眼鏡市場
眼鏡の調子が良くない。文字が見えない。PCを打ち込むのにも苦労する。それで、思い切って眼鏡屋さんを訪ねた。思い切ってと言うのは、近近眼鏡は、メガネの三木さんで確か7万円ほどしたのだ。メガネは高い物だと言う認識。まずは、私の使っているメガネは、熱による変形が進み、随分と見にくくなっているだろうとの事。車の中に放置したのが良くなかったようだ。これから、暑くなるので、メガネはクーラーボックスの中に保管することを心がけなくては。それで測定を終えて、お値段を聞けば接客してくれた女性は申し訳なさそうに11,000円だと言う。片側ですか?両方です。耳を疑いましたね。前回は片側35,000円だったのだ。同じニコンのレンズだ。そういうことなんだ。眼鏡屋さんは昔儲かっていたが、今は儲からなくなったのだろう。だから、メガネの三木さんは影が薄くなった。メガネはまだ届かないが、仮のレンズではPCの文字がはっきりと見えた。世界が変わったみたいだった。
2月20日(木曜日)
生酒
昨日冷蔵庫を物色しているお客さんと思わぬ話の流れで、日本酒の話になった。この人は歯科医師で、日本酒を造っているとのこと。米を栽培し、契約の造り酒屋さんに依頼するそうだ。「生酒はうまいでしょうね」と私。「生酒は毎日味が変わってゆくので、封を切ったら、毎日少しづつ飲んで、味の変化を楽しみ、一番自分に合った日数を覚えておくと良い」と結構ディープな話だった。「酒を飲むと高血圧で脳梗塞など起こしやすくなりますね」と私、「それは血管が詰まる病気で、私たちは血管を掃除するヨーグルトを開発した、これを飲むと酔いが早くなるが、翌朝非常に爽やかだ」。何ともはや、ここまで酒の世界は進化したのか。私も、自分なりに注意を払ってみようと、玉ねぎを買った。コレは血をサラサラにする働きがあるとか。ついでに、マンボウを買った。マンボウの効用は知らないが、室戸の漁港で上がったばかりだった。高知県でほそぼそと営業している、スーパーマーケットのサンシャインは、魚に関しては近くの魚屋さん顔負けの新鮮さと種類が豊富なのだ。この2つの材料をインスタントラーメンにいれて、友人のF氏から頂いた生酒を呑んだ。相変わらず美味かった。でも先週の土曜日に飲んだ時の味を忘れてしまったので変化を楽しむまでに至らずだ。
2月19日(水曜日)
すてきな街、宿毛市
高知県の西の果て。足摺岬を回ってまだその向こうにある街。高知から見捨てられ、かと言って、愛媛は南の宇和島からも随分とある僻地だけに歯牙にもかけない街。それが宿毛市だ。大阪や、東京に出るには一日を要する。そんな悪いイメージを高知の東部に住む私は持っていた。その街を今日は訪れた。何と、街は綺麗で整備され、道路も広くスッキリしている。ごちゃごちゃの安芸市とは随分と差がある街だった。中村市が小京都なら、ここは小金沢だろう。街はサンゴで賑わっていた。土佐清水の友人が言ってた通り、中国人向けの赤サンゴは大きなブームとなりこの街を潤しているようだ。「赤サンゴの看板も目新しい」。結局経済が好転しないと街は綺麗にならないということか。次回は自転車で散策し、うまいものを探してみよう。
2月18日(火曜日)
悪意を感じる街、新居浜市
田舎に住めば何かと不便なことが多い。その一つに住友銀行がないことだ。住友鉱山の有ったここ新居浜市と高松市と2つしか銀行はない。出金は郵便局のATMが使えることが分かったが、振込は銀行の端末が必要なのだ。子供達の生活費を月に一度振込むのにこの銀行を利用する。新居浜市の港に近い旧の大通りに銀行はあり、現在の国道11号線からは随分と離れている。新居浜市を縦断する。この道は汚くデコボコで周りの景色は古びて、信号は一個づつ車の通行を遮断する。まるでこの街を通るなと言わんばかりだ。市は市民の暮らしを快適に過ごしたいとは思ってない政策をとっているようだ。地方の街に似合わない大きな邸宅があちこちに点在する。昔鉱山でもうけた人達だろう。そして、おそらく、この家の住人達によって市政は牛耳られていて、革新的な政策やアイディアは封印されていることだろう。永年住んでいる人には解らないだろうが、たまににしか訪問しない人からみれば、異様な悪意を感じる街なのだ。
2月17日(月曜日)
再び雪
高知は冷え込みもなく穏やかな朝だったが、山を一つ越えるときっちりと厳冬の冬だった。馬立SAはとてもセンスの良い品揃えがある小さな売店がある。ここでコーヒーを買うのが通過する儀式として定着しているが、何と今日は周りの山は真っ白で、気温は-2度。標高は300m位だが、周りを険しい山に囲まれているから東北並みの寒さだ。こんな山奥にもちゃんと人が生活している。人間は、少しの平らな所があれば何処でも住み着くものだと思いましたね。今夕は愛媛県にある西条の駅前ホテルに宿泊した。午後7時に到着したが、何とホテルの駐車場は満車。出張で来ている現役の人は、もっと遅くまで働いて良いぞ。寝るところは仕事場から近いんだから。定年後のおじさんでさえ遅くまで働いているぞ。Samusungの人たちは平気で9時ごろまで働いているのを見たぞ。日本の活力が失われない為にも若い人たちは長時間仕事をして欲しい。それで、ホテルの従業員の方が、軽ならホテルの前に停めても良いと言ってくれた。通行の邪魔にはならないが、一応歩道の上です。そこは地方都市問題無いだろう。そのころから冷たい雨が降り始めた。山下達郎ではないが、雨は夜更け過ぎに雪へと変わるだろう。
2月16日(日曜日)
もっぱらの5つの取り組み
一つは介護の事。随分とこれには労力と時間を使っている。もう一つは本の裁断とスキャナー。とにかく電子図書館を完成させるのだ。もう一つは英語の勉強。知っている単語の数を増やすことで何とかなりそうな所まで来た。もう一つはビデオやカセットのデジタル化。VHSのDVD化は後10卷を残すのみとなった。次はβテープだ。もう一つの最大で重要な取り組みは子供を卒業させること。これらに僕の全勢力をつぎ込んでいるが、いずれ終わる。終われば僕は気の抜けたビールのようになってしまうのだろうか?それとも、気の張っている今は病気がないが、気のゆるんだときに一気に病気が吹き出てくるかも。そんな不安はあるが、今の取り組みを止めるわけにもいかないのだ。
2月15日(土曜日)
冬は去った
今冬は寒さをあまり感じないでシーズンを終えようしている。思い返せば、東北で冬の寒さを体感してきたので、こちらの冬はスカのように感じたかもしれない。両親の病院やなんかかんやを終えたのが、午後3時。今日は購入した冷蔵庫が届く日だ。日経新聞では消費税前の需要が20%くらい盛り上がっているとの記事だが、私は止むに止まれず購入にいたったのだ。それは、母がほぼぼけてきて、冷凍庫に入れた食品を全部解凍してしまうのだ。解凍した食品は何も調理はしない。この前ロールキャベツを解凍し、そのままお皿に載せて料理したつもりであったし、鮭も生のままお皿に載せてある。夕刻調理に来て貰えるヘルパーさんも調理する材料がないと苦情が来た。それで、もったいないのだが、母の目の届かないに車庫にもう一台の冷蔵庫を設置したのだ。ヘルパーさんにはここから食品を取りだして調理して貰う。夜友人宅にお伺いして、快気祝いを催した。もう一人の友人はじんましんで来られず。この友人のためにもう一度快気祝いが必要かも。この席上に大阪の友人が送ってくれたお酒を持参した。普段お酒を飲まないこのお母さんも、この酒は旨いと言った。ほろ酔い加減で自宅に帰った。天上には煌々と月が輝いていた。少し寒かったが窓を開けて寝た。時々風が吹き込み目が覚めたが気持ちよかった。
2月14日(金曜日)
雪
メモ帳を開くと、バレンタインデーがディスプレイされた。今日がその日か?そんなことよりもこの雪を何とかしてくれ。朝ホテルから車をみれば、荷台の荷物は雪の中に埋もれていた。この雪をかき分けてホテルに下ろした荷物を積み込むのは一寸難儀だ。大阪のFさんからも雪情報が届いた。大阪も雪なのだ。車の走行には慣れているものの、こちらの人は雪道の運転を知らないから、結構スピードを上げるし、車間距離も取ろうとしないので危ないのだ。幸いに気温が高く、道路に積もる雪はすぐに溶けたので事なきを得た。さて帰りのルートについて高速道路は通行止めだし、ここから、引き返して国道32号線まで戻るのは無駄だし、よし、4輪駆動の力を発揮してもらおうと、11号線から192号線に出る県道8号線の最短のコースを選んだ。相当高い峠を越えるので雪を心配したが、ここにも積雪はなかった。結局雪と騒ぐマスコミをよそに四国の国道は積雪なしだった。高知に入る根曳き峠を下ると、風は生暖かく、指の切れるような高松のあの寒さは何だったんだ?と思いましたね。プールで2km。今まで2.4km泳いできただけに、2kmは屁のような感じだった。
2月13日(木曜日)
落ち込む書籍
読み始めてから50ページ目だが、これほど落ち込む本を読んだ事がない。最初からここまで、まるで私の性格を見抜いていて、それを理論的に分析し活字化したものだ。そして、徹底的に読者を叩きのめす。何時のまに、著者は私の友人達に取材して、私の性格を分析したのだろう、しかも悪い面を。それほどよく私のことを知っているのだ。「自分に気づく心理学・加藤諦三」は何処に向かおうとしているのだろう。この本を買ったのは2年前だが、読み始めて先ほどの理由ですぐに嫌になった。そして今、再び手に取って読み始めたのは、これ以上私は打ちのめされてももう落ちるところがない所にいる居直りと、もっと楽になることは出来ないかとのほのかな望みを託しているからだ。
2月12日(水曜日)
シャープ液晶テレビとソニー4kムービー
パナソニックに勤めていた頃にはシャープの液晶テレビはライバルであったが、レベルの低いテレビでもあった。画質はテレビの中でも最低クラスだった。そのシャープの液晶テレビが今XL10になって、一頭地抜き出た画質を持って登場した。その一つに、自分写りがしない無反射のパネルがある。プラズマテレビはこの反射からどうしても抜け出せなかった。そしてくっきり感。色の再現力が増えた。これだと2kでも充分に満足できる。52型で174,000で買える。それまでは映りの良さで、パナソニック最後のプラズマを購入しなければならないかな?と思っていたが、デジタル家電は郷愁よりもイノベーション大事だと思いましたね。この技術を活かした4kが発売になれば買いですね。ソニーの4kハンディーカム(FDR-AX100)も予約受付をしている。格好が良く、DSCを買う前に先にムービーだと心が傾きかけたが、カタログをよく読めば30Pなのだ。録画した映像はカクカク動く。(悪いことは小さく書くので飛びついてはだめなのだ)4kはなんと言っても60Pが主役だ。60Pが再生できる4kテレビはパナと東芝だけだ。後2年待たなければならないだろう。
2月11日(火曜日)
階段を一歩あがったこと
今日は昼間父を風呂に入れるだけ。残りの時間は自由に使える。早速本の裁断に取り掛かった。後10時間程度で、第2次工程の裁断を追える予定だ。2月の暦中に可能かどうかがだ。今度はこれをスキャナーにかける作業。スキャナーiX500も29万ページで、古い書籍はページソーターしなくなった。ストップローラーを新調しなければならない。6.500円。新しいローラーと古いローラーを比べると、ちょうど車のタイヤがすり減ったような違いで、本来このローラーに本来あるべき溝が消えていたのだ。仕様書は20万ページでローラーの交換と明記されていて、5割ほど多く使い込んだ訳だ。次回のローラー交換するまでには、今のスキャナーは終えるだろう。スキャンしながら映画「パッセンジャー」を見た。この映画の構造は後出しじゃんけんみたいなもので、登場人物のプロフィールが次々と明らかになってくるのは、その人達が皆飛行機事故で死んでいること。霊が昇天しない人だけが現実の世界であたかも生きているようにふるまっているだけと言うトリックだ。彷徨える霊と言うのは、仏教の世界だけではなく、キリストの世界でもありうるのだと初めて知った。この4日間ずいぶんとアメリカ映画を見た。そして昨日は病院の待ち時間で「奥さまはニューヨーカー」(英語の漫画)を読んだ。この休みは一面では英語漬けでもあって、字幕のない「サタデー・ナイト・フィーバー」も見たが、これが案外わかったりしてなんだか階段を一段上がったような錯覚を覚えた。実をいうと「サタデーナイト・・」は前にBD録画でじっくりと内容を把握しているので、ホントは声なしの映像だけでも理解できたかもしれないのもあるのだが。
2月10日(月曜日)
やれやれ
今度は心臓の検査だ。心臓の手術の経過を見るために、毎月一回は通っている心臓外科病院へ父を連れてゆく。先月は膝の故障で動けなくなっていたので、1月の検診はパスをしたのだ。病院から心配との連絡があり、本日の通院となったわけだ。朝7時半に出かけて、帰ってきたのが5時過ぎ。どうやら心臓の方は問題なしとの事で、父も安心したのか、今日は晩酌に日本酒をコップ2杯飲んだ。私は一日病院で待ちくたびれた上に、家族の夕食を作らなければならず、今日のプールは断念。それで一緒に飲んだ酒もあまり旨くなく、1杯で終えた。寝るまでの3時間、別棟で本の裁断。裁断をしながら「地上より永遠に」を見た。バート・ランカスターやフランクシナトラが出演する。因縁をつける鬼軍曹はアーネスト・ボーグナイン。この人、見覚えがあって調べるとワイルドバンチに出演していた。好感のもてる人だが、この映画では悪役を演じていた。昔DVDに録画した番組はアカデミー受賞作品が多く、なかなかの大作ぞろいなのだ。本の裁断→スキャナー作業の後は3,000枚を超えたディスクの整理が次の課題かも。
2月9日(日曜日)
王様と私
不覚にも朝7時まで寝てしまった。昨夕、いつもの2kmの水泳をホンの僅か400m追加しただけだが、体は随分と疲れていたのだろう。日曜と言えどもスケジュールが詰まっている。洗濯物にアイロンがけした後、父を風呂にいれ、父の着ていたものを洗濯をし、夕食の買い出しを行い、夕食を作らなければならない。それに昼に母が自分の為の食事を作るが、その後片付けもある。これらの時間を差し引くと、今日残された時間は4時間程度。本の裁断を行い、その作業をしながら映画を見た。これがホットする時間。「王様と私」英語のタイトルもそのまま。舞台はシャム(現在のタイ)。ここに英国から王様の子供達の教育の為に女の教師がやってくる。そこで文化の違いによる数々の珍事件が主な内容だ。この映画ではタイ人がみんな英語を話した(タイ人は全く英語を話さない人たちである)突っ込みもあるが、非常にわかりやすい英語で、結構勉強になるのだ。無茶な要求をする王様の人間味がこの映画を引き締めている。ユル・ブリンナーの好演もさることながら、脚本家に賛辞を上げたい映画だった。DVDは本物の映画の通り途中休憩も静止画で記録されていた。終わりの局面で「シャル・ウィ・ダンス」が更に映画を引き締める。「ダンスを踊りませんか?」の曲名を"Could you dance with me"としないで簡潔にするなど、随所にアイディアが盛り込まれている。アカデミー賞所以の内容だ。
2月9日(土曜日)
もうほとんどが介護だ
朝、父の食事を作り、母を病院の巡回バスが来るバス停まで送り届け、今度は父を村の病院まで運び、自分の洗濯を行い、台所と風呂の掃除。父を病院まで迎え、昼食の買い出しを行い、ホームセンターで他の用事を済ませ、父の昼食を作り、母の出迎えを行う。そしてお願いをしている介護タクシーの支払い。フリーになるのは午後4時だ。プールを慌ただしく済ませ、父に夕食を食べさせる。てんてこ舞いだ。いい表現をすれば充実した生活と言うべきか?寝静まった夜にジャキーチェンの最後のアクション「ライジング・ドラゴン」を見た。マレーシアでも経験したが、華僑の人達は、英語と中国語をごちゃまぜにして使うが、今回はフランス語も混じった会話だ。少しでも英語を理解しようと真剣に聞けば頭が混乱すること間違いなし。中年太りしたジャッキー・チェンが痛快なアクションを見せるが、半分はコメディ映画だ。この映画には何の教訓も学びも無いが、あり得ないアクションではないアイディアに感心する。いつもうるんだ目で日常を空想している作家が書き上げただろうと推測。WOWOWでジャッキー・チェンの特集を全録したのでしばらく楽しめる。これが取り敢えず自分の逃げ場だ。
2月7日(金曜日)
ノーマルタイヤなのに
香川県で親しい人に会うと、今日の6時以降は雪だぞ!早く高知に帰った方が良いと忠告してくれた。空はどんよりとして、西の方を見れば真っ白で視界がない。風も幾分冷たくなってきた。青森でも雪道を走った経験で、この車なら大丈夫だとは思うものの、四国の人は雪道に慣れてなく、装備もしてないだろうから、渋滞に巻き込まれたら大変。取り敢えず燃料を満タンにして、午後5時すぎに帰途についた。幸いに高速道路は通行止めの表示はなく、雪もまだ降り始めだった。川之江からは薄っすらと雪が積もっていた。ところが、ここを通過する車はビュンビュンと高速で追い抜いてゆく。フルタイム四駆でスタッドレス装備の私でさえこの程度が安全圏だろうと思うスピードを遥かに凌駕しているのだ。これでは事故が起きない筈はない。幸いに高知へ向かう路線は事故がなかったが、反対車線はパトカーと救急車が先を急いでいた。この道路状況であの速度では事故もありなん。その後に、雪かき車が追いかけて行った。高知県に入れば雪は雨に変わった。雨は土砂降りに近い状態だったので、これが今通過してきた地区だと全部雪になるだろ。速度を随分と落とした帰路だったのでプールへ到着する時間が遅くなり1.2kmで水泳を終えた。
2月6日(木曜日)
まぼろしの酒「吉野川」
昨夏、大阪の仲間たちと香川県は奥湯になる塩江温泉に宿泊した。8,600円で夕食付きの格安だったが、料理も充実して中々の満足だった。その宴会で4つの日本酒がセットになったコースを注文した。4つとは、四国4県の代表選手だ。その中で私が最も気に入ったのが徳島を代表する「吉野川」だった。四国中をうろついているので、いつでも呑めるわと思いきや、この酒は何処にも売ってないのだった。半年探してこの酒はとうとう幻の酒に昇格した。それが、たまたまトイレに立ち寄った徳島県脇町のマルナカの酒コーナーに2本鎮座していた。2,980円。清酒としては高価な方だ。早速その中の1本を買った。日曜日に友人の病気快気祝いに飲むつもりだ。友人の病気はインフルエンザ。1週間の自宅待機だったとの事。今週の火曜日にそれが解かれたの情報だ。さて、あの頃の感動が蘇るのかどうかだ?酒は雰囲気だから。
2月5日(水曜日)
文旦
高知県の名産。ぶんたんと読むみかんだ。アジアの国を旅しても同じようなミカン(ホテルでは身を剥いて提供される)に出会うが、きりりとした酸味と水気は、熱帯のミカンとは違う。皮が厚く、種も大きい。食べにくいミカンだ。果物ナイフを片手に持って、袋を切り反対に剥いて種を取り出し食べる。酸っぱい時は、これに砂糖をまぶして食べる。5-6個ぐらいで1,000円程する。もっと安いミカンはいくらでもあるのでチョット敬遠してたが、吉良川(室戸岬の手前)の道の駅で500円を見つけ早速買った。道中で食べながら旅をするためだ。夕食後、古い新聞紙を広げ、テレビを見ながらみかんを頂いた。ミカンは大きいので、夕食は腹八分目におさえておくのが宜しい。口に入れるまでの作業に時間を要するので、NHKのニュースを全部見てしまった。どうやら天気予報はこれから寒くなるようだ。昨日までは暑すぎたので、寒さも限定的だと思う。
2月4日(火曜日)
地震がやってくる−2
須崎市に「いちばん船」と呼ばれるお寿司屋さんがあることは前にも書いた。その店で今日は昼飯を喰った。入るとアンケートを要求された。アンケートの特典がマグロ一皿だったので、記入することにした。この店は歴史があり、まず一代目が造船所を作り、二代目が漁船を造ってマグロ漁師となり、三代目がお寿司屋を開いたと書いてある。テレビなんかに登場する神奈川県辺りにあるお寿司屋さんと同じコンセプトだ。確かにマグロはそれなりの味だし価格でもある。幸せな気分になったところで、サニーハウスと言うセールスマンから電話が来た。「お父さんにも話しているが、シロアリの駆除をされたらどうかと」言う内容だった。今晩訪問するという。いきなりのしかも強引な勧誘だ。僕の方は、30分でもあれば、遅れている本の裁断をしたいくらいだし、今晩はレポートを書かなければならない。それには2時間ほどかかる。と答えると、その後でも良いと言う。では僕の方はいつご飯を作って食べるのだろう?。それで今日は難しいと断った。いずれこのことについても結論を出さなければならないが、地震が来れば確実にこの家はつぶれる。そのつぶれそうな家に80万円ほどを投資してシロアリ駆除か?と考えると自ずと結論は出そうだ。父にもこの1年が無事に過ぎればやってもいいが、少し見合わせてはどうかと言った。そうしようとなった。今年はそのほかにも、我が家が同じ先祖様を持つ部落の幹事で年3回の宴会を主催しなければならないし、別の組み合わせで部落のお世話約がやってくる。もし、地震があれば、自宅のことにかまっていられなくなる。杞憂だといいのだが。今年は大変な年になりそうなことが次第に明らかになってきた。
2月3日(月曜日)
地震がやってくる−1
暖かい日々が続く。これだけ暖かいと地震が来る。とは繁直さん(亡祖父)の言いぐさだ。昔、南海地震が来たときも暖かい冬だった教訓があるからだ。四国は東南海地震がいつ起こってもおかしくないとマスコミは報じる。それで、昨日は重いPCのブラウン管モニターを机から降ろし、昔買ったLCDに置き換えた。そのLCDにDVDを再生して音楽を聴けば、動画ぶれが激しく見るに堪えない。ブラウン管は動画ぶれが基本的に0だから、その差を激しく感じる。モニターTVは全部で3台あるから、一つはDVD再生の専用システムを組める。余り背の高くないテレビ台とPCのセットでシステムを作ろうと思う。ほかにポータブルDVDもあり、DVD再生ファミリーが組める。話がそれてしまったが、ホームセンターを覗いていると、この自宅用に改造できる地震対策のいろんなアイディアが浮かんでくる。本のスキャナーを終えた後に本格的に地震対策に取り組んでもおかしくないタイミングだ。
2月2日(日曜日)
βデッキ
Amazonで買ったソニーのβマックスは、具合が悪く返品か、交換かお願いしたら、修理しますと連絡が来た。それが今日帰ってきた。今度は調子が良くしっかりと映像を確認できた。そしてソニーが渾身の力を込めたβだけに、映像はビクターのHDS1と比べるべくもなく圧倒的な画質で迫る。90年代のソニーは輝いていたがこれほどまでとは思わなかった。コンポジット信号で42型のPDPに映してみたが、映像の破綻が全く見えないのだ。これは商品と呼ぶよりか作品と呼んでも良いくらいだ。この画質なら、DVD-SPで録画するのは見劣りするかもしれない。BDに録画するのか、DVDでもXPモードにするのか思案のしどころだ。
2月1日(土曜日)
ローマ帝国にワープ
母の透析への送り迎えとか、父の通院とか、それらをふまえたヘルパーさんとの打ち合わせとか、夕刻の4時前までは昼飯も食わずぎっちりと働き詰め。逃げ場のない不満も塩水(芸西村の温水プールは海水)と一緒に飲み込んでひたすら泳ぐしか心の開放はない。それに2kmの水泳は強力な睡眠薬だ。村のサービスは至れり尽くせりで、父も母も頑固さを少しだけゆるめてくれれば、清潔で気分の良いサービスが受けられるのだが。我が家はそうはいかないので一手に私にかかっているのだ。しかしキツイ水泳も体が馴染んだのか、今日は余り眠くなく、「第九軍団」を観た。馬で逃げる二人の兵士を、徒歩の追跡者が追いついてしまうツッコミもあるが、まずまず面白かった。イギリスの北方に「ハドリアヌスの長城」がある。ローマ帝国の時代に建設された城壁で、現在でも残っている。昔イギリスがブリテン、ドイツがゲルマニアと呼ばれていた時代の頃の話だ。塩野七生の「ローマ人の物語15巻」があり、この本の3卷か4卷に登場する。これをを読んでおくと、この映画の背景がよくわかる。根底にはあるのは正義はローマ帝国だ。それで結構真剣に見てしまい、憂さ晴らしになった。
1月31日(金曜日)
ずいぶん人間が丸くなった
私の性格のことでは無い。性格は益々強情に毛が生えてきた。丸くなったのは、体型だ。流線型に近づいている。今月は28.8km泳いだ。高知まで32kmに挑戦したが難しかった。その代わり、肩からふくらはぎのかけてのラインが丸みを帯びてきた。水の中を進みやすくなった。お腹周りはどぉ?と落ちて、全てのズボンがベルトなしでは履けなくなった。Gパンさえも腹回りは拳が2つほどはいるようになった。「船頭さん」の歌がある。「ことし60のおじいさん。年はとってもお船を漕ぐ時は力一杯、ろがしなる。」1941年にこの歌がつくられた。もう時代が変わったということですかね。話は変わるが、今の若い人は、国民年金が支払われない可能性があると予測されている。当面は65歳からの支給だが、すぐに70歳に繰上げされ、75歳からの支給開始は目前だそうだ。どんどん支給開始が遅くなり、とうとうなくなるとのことだ。それは人間の寿命は100年に近づくそうだとか。おりしもIPSを使わないで、細胞の培養が可能になった。ますます老人が長生きをする。若い人はかわいそうだが仕方ない。
1月30日(木曜日)
イスズベレット1600GT
羊の皮をかぶった狼は117クーペだったが、同じシャーシーを使ってスポーツカーに仕上げたのが、ベレット1600GTだった。ツインカムエンジンだが4バブルではなかったと記憶している。ボンネットは黒のつや消しだ。その車を今日見かけた。40年以上の年月が経過している。当時のスポーツカーは何と言っても日産フェアレディーZ432が頂点に立っていた。次は日産スカイライン2000GTだった。いずれも同じエンジンを搭載した。毛色の変わった所で、コスモクーペだ。これはロータリーエンジンを搭載した。庶民的な所ではカローラ1600GT。まだレビンが発売されるまえの時だ。ホンダには77クーペと99クーペがあったぞ。カーステレオは8トラックだ。大概ダッシュボードの下に5-6本のカートリッジを並べていた。排ガス基準もなく、シートベルトもなく、155や165のラジアルタイヤをオプションで取り付けていた。もちろん鉄のホイールだ。ホイールキャップを外して、黒く塗っていた。昔の車の事はよく覚えているが今の車事情はさっぱりだ。
1月29日(水曜日)
アジアはスマホが伸びる
「日本よりも遥かに高いスマホ比率となりそうだ」。それ解るぞ。アジアの国に行けばすぐに分かるのは、国民が皆若い。日本はどこを見ても老人ばかりだが、アジアは違う。国の中心人口が20歳代なのだ。スマホは経済力があっても使えない。指先が湿っていないと使い勝手が悪いのだ。若い人の手は湿っているが、老人の手は乾いている。乾いた手ではスマホが動かないのだ。新聞も取材力を生かして、ニュースをもう一つ深堀すれば、記事としての重みが出るのに。液晶用のタッチセンサーは多くが日本製で占められていることを考えても日本に合ったスマホが欲しいのである。いや、老人はインターネットの概念が理解できないからそうしても無理か?
1月28日(火曜日)
何をしても許される
友人が時々持ってきてくれる魚。今日は「スズキ」。スズキは刺身やフランス風のムニエルなんかもピッタリだ。でも、これだけ鮮度が高いとどんなに下手な料理でも美味しく食べられる。ちなみに今回は昨晩料理をして父母には昼も食べてもらおうと煮付けをしてみた所、なかなかいけるではないか。僕も味見に少し多めに頂いた。ソースが大事なフランス料理は僕のようなシロウトにはハードルが高いが、鮮度が高い魚料理は余り凝った調理をしなくてもOKだ。スリランカなどで暮らすと、漁業が盛んなので高知と同じように簡単な料理でも美味しくいただけそうだ。コメはインディカ米で美味しくはないが、幸いに私は米にあまりこだわりはないから問題ない。それに新鮮な青いバナナをフライにすれば米の代わりになる。腕の下手な料理家には新鮮な材料が必須条件だ。フィリピンでも屋台で売っている野菜の新鮮さには舌を巻く。フィリピンは危険だからちょっと住むには厳しいが、もし住めば、美味しい食生活ができそうだ。
1月27日(月曜日)
懐かしさと、哀しさ
宇都宮と言えばこの人を抜きにして語れないその人とは「K氏」だ。昔一緒に楽しく働かせてもらった。今回病院の通院日を変更してもらい、私の宿泊先に迎えに来てもらった。駅までの道中に少しだけ会って近況を確かめたいとの希望に答えてくれた。なんと、K氏はプリウスで迎えにきた。プリウスの運転者には随分意地悪されているので、随分嫌いな車種だ。まぁ個人的な感情は少しだけ置いて、道中にあるファミレスに立ち寄る。なんと、ここではヤクザの2組が、お互いの縄張りを荒らした、荒らさない交渉をする場面に出くわしてしまった。懐かしい話をするのもなんだが憚れる雰囲気がそこに漂っていて、こころが浮き足立って会話半分程度。それでも病気は抱えているものの、いつものごとく元気で楽しくやっていることが分かった。元気だと、此方にきた時は何時でもこうして話ができる。これが一番だ。名古屋までは多くの知人がいるが関東には少なく貴重な存在だ。浜松町のDAN(本屋さん)で、ハリーポッターの作者が偽名で書いた小説はないのか?尋ねれば、原書しかない。それはハリーポッターの書籍と同じようにあまりにも厚かったので敬遠した。四国の宮脇書店にも同じ本は並んでいるだろうが、妙に買う気が起きないのに、ここだと「あれもこれも買いたい」気になり、4冊ほど散財した。羽田空港でMacシェイクを買って飛行機に入り込む。高知龍馬空港に降り立って、自転車で帰るとき都会の賑やかさとの差が余りにも大きく、哀しくなった。
1月26日(日曜日)
格言について
歴代有名人は何かしら格言を残している。その格言でもユニークなのはマーフィーの法則だ。それはさておき、今日は私が書いた一言が格言として取り上げられた。そして、公の前で読み上げられれば、正鵠を得ていると感動した。「やるな、おぬし」。でも、一体それをいつ書いたのだろうか?そんなことを忘れている事がむしろ問題だ。特急列車に乗って、素晴らしい景色も瞬間の出来事、美味しかった駅弁もただの通りすがりの出来事、そんなのが今の私の人生だ。もっと落ち着いて「座禅」でも組んで「今」を大事に生きたらどうか?とは思うのだが、走り出した暴走列車は止める術がない。その夜、鹿沼温泉に浸かった。源泉の掛け流しだった。檜風呂の中で瞑想したが、凡人の頭を巡るものは不要な妄想ばかりで、少しぬるめのお風呂が気になっただけ。ミストサウナに入りいつも来ている地元の常連さんに、ここの温泉の効用を聞く方がむしろ気持ちが休まり一つ情報が増える事を吉とする小人な私であった。今日は、この業界で結構有名な経営者と話す機会があってどんな書籍を読むのか尋ねたら、長谷川慶太郎と竹中平蔵だった。僕の中で長谷川慶太郎は随分前に見限った人だったのだが。竹中平蔵は読んだことがないので、買うことにした。
1月25日(土曜日)
懐かしい仲間との懇親会
電車は西分駅を8時半出発する。高知は交通の便が悪く、高知龍馬空港を10:30に発着する便に乗るにはこれしかないのだ。今日は自転車で出発だ。電車→タクシーを乗り継いで行くのも、出発時刻に変わりはない。スーツにネクタイだから、できるだけ汗をかかないようにゆっくりと自転車を漕いで9時半に到着。東京では御徒町のお寿司屋さんへ向かった。1時すぎなのにすこし待たされた。お寿司は何と言っても東京が一番。特にマグロは。その後PCボンバーに向かった。ソニーのヘッドマウントディスプレイの在庫があれば買おうと思っていたのだ。生憎と在庫なし。次回に。その足で秋葉原の街を徘徊し、DVDーRWとボーズヘッドフォンの交換パッドを購入。時計をみればもう待ち合わせの時刻。秋葉原を見るには丸一日は必要だ。今日の懇親のメンバーは元上司。東京駅の地下にある魚の店。ひとしきり昔話と、今携わっている仕事の内容。一人は講演会。もう一人は食品の海外展開。家電業界に比べ少しラフな計画でGOするとのこと。業界が変われば話題も変わる。6時過ぎに次回の再開を期して解散。僕は宇都宮に向かう。やはり宇都宮は寒い。駅前の餃子の店で餃子とビール一杯で今日の仕上げ。書籍のスキャナーや、カセットのデジタル化作業が無ければホテルですることもなく、近くのヨドバシカメラを散策。オリンパスのSTYLUS1とルミックスLX7と比べればどちらが良いか?「オリンパス」です。ではソニーのRX100と比べれば?「ソニー」です。では、ではNIKON1と比べれば?「ソニーです」と言うのがコンパクトカメラの上級クラスの評価でした。正しい疲れがやってきてホテルへ退散。
1月24日(金曜日)
随分と頑張った
今日は忙しい日なのだ。朝起きて洗濯を済ませ、台所と風呂の清掃。父を病院へ送り届け、私自身も南国市の泌尿器科で診断の結果を聞きに訪れ、その帰りに購入したβのビデオデッキを不良返品にヤマト運輸へ持ち込み、父を迎えに病院へ。自宅に帰り昼食を作り、レポートを2本仕上げメール発送後に母の入浴のために風呂を沸かし、洗濯物を取り入れ、アイロンがけし、友人への手紙を書いた。そしてプールに出かけ2km泳いだ。自宅に帰り、夕食を作り、明日の出張準備を整えた。息つく暇もないとはこのことだ。色んな負担が全て身に降りかかるようになっているのだが、やればできるもんだと自信を深めた。おかげで、英語の勉強も映画を見ることも頓挫してしまうことになるが、40年間分の親孝行のツケを払っていると思う。
1月23日(水曜日)
寒波襲来の筈だが、高知は春到来だ
芸西村の朝はとても穏やかで、寒さがない。父を病院へ送り届けるのにも、裸足にビーチサンダルで十分なのだ。今日は仕事で父の帰りは友人のT氏にお願いする。まったくもって友人も可哀想なもんだ。私の犠牲になっている。すまぬすまぬと思いながらお世話をかける。今日は室戸岬周りで徳島に向かう。右からは強烈な太陽光があり、12月の頃と比べると一段と強さを増して、暖房を切り窓を全開にして走り抜ける。徳島県に入れば、チョットそうは行かず窓をしめるのだ。出かける時、庭に咲いていた黄梅の枝を一つ切ってフロントガラスの上に置いてたが、高貴なオーディコロンよりも上を行く匂いに包まれた。
1月22日(火曜日)
たいらと呼ぶ魚の味は
土佐清水市下の加江に住む友人を尋ねた。私の記憶違いで、下の加江は四万十川のもう一つ西側を流れる河口に位置した。うる覚えの風景を便りに近くまで行き、Kさん宅はどちらと会った人に尋ねれば、直ぐに教えてくれた。お人よしの彼は多分この近所では知られた存在だろうと踏んでいたが正にその通り。訪ねればうまい具合に在宅していて、ひとしきり近況を語り合った。彼も同級生の友人は私の他にもう一名しか付き合いがないそうだ。漁師の彼は今調子良くて、一日で10万円ほどあるらしい。船が小さいのでたの人よりか少し早めに引き上げて来るらしくこれでも水揚げはすこしだけ少ないらしい。帰る段になって、冷蔵庫から「たいら」と呼ばれるカツオの一種の半身を出してお土産に頂いた。他に鯖の開き。近所の友人に夕食を待つようにメールして帰りを急いだ。寒波が押し寄せて来るらしく、途中雪が舞っていた。帰り着くや、友人にお裾分けし、ついでに彼の母からおでんを一鍋頂いた。早速生姜を下ろしネギを刻んで頂く。寝ている父にも2切れ程食べてもらった。味は濃厚で、包丁で切る時、脂がベットリと纏わりついた。今まで食った事の無い味だ。今度ゆく時は、T氏の友人でもっと本格的な漁師をしている「K兄ぃ?」に逢える手はずをしてもらおう。そして、今度は彼の家に泊まろう。そうすれば、この魚にどっぷりと浸れるだろう。
1月21日(月曜日)
今日は気を引き締めて
今日のスケジュールは、西条から松山を経由して大州まで行き西予市のホテルで宿泊する計画を立てた。走行距離が長い上に、見知らぬ土地で宿泊するから気を引き締めて出発した。芸西村では、トレーナーとアンダーシャツで過ごせる冬の対応でも、ここから一歩出れば、寒風吹きすさぶ真冬で、一山超えると道路脇は積雪だった。時速80km以上は出さないぞとはやる心をなだめなだめ行程をこなしたが、思った以上にスムーズに進み、大洲市を5時に出発できたのだが、ここからいくつかの山越えをするのに宇和島市行きの高速バス(停車する駅が少ないだけのバス=昔はこれを急行と呼んだ)が行く手を塞ぎなかなか先を急げない。イライラだ。信号待ちでこのバスをよく見ればナンバープレートが「50-02」で、何と僕の車のナンバープレートと同じではないか。この不思議な巡り合わせに、イライラも解消し、スピードダウンした。宇和のホテルについたのは午後7時過ぎ。風呂は個室と大浴場があったので大浴場に向かった。ここで3人の高校生と出会った。彼らは風呂のお湯が余りにも熱いので風呂の縁に腰掛けていたのだ。私はシャワーのホースをここに入れて水を出す術を教えてあげると、直ぐに取り掛かった。聞けば明徳義塾の学生で各地からこの学校に来ているのが判明した。そしてこのホテルでは裏にある自動車学校に免許を取りに合宿しているとのこと。元気が良く、気持ちの良い挨拶をする学生だった。明徳義塾生は高知県で評判良くないが、それはスポーツへの取り組みに対する学校への批判で、生徒が良くない訳ではないと考え方を変えましたね。
1月19日(日曜日)
ここまで来たぞU
約4,000冊の書籍を切り刻んで、データー化している事は再三ココに書いてきた。そして、先週最後の本箱から書籍一式を作業をしている離れの家に運んだ。そこで、表紙を外し、一束30ページ程で本を分解し、耳の所を特殊なカッターで裁断するのだが、取りあえず、全ての書籍を30ページの分解までは終えたのだ。このままの作業で行けば、来週は東京に行くから出来ないとしても、2月の暦の中で、スキャナーに通せる状態まで切り刻めそうだ。これが終われば、毎日スキャナー作業に専念できる。そうして、3月の終わりには、デジタル図書館が完成するかも知れない。取り込んだ書籍データーにカラーの表紙を挿入するとか、分類毎にフォルダー分けするとか、細かな作業は残るものの一応の完成だ。PDF仕様なので、無限に友達にプレゼントすることが出来る。HDD持参の友には4,000卷全てをプレゼントも可能だ。百科事典もあるぞ。自分で言うのもなんだが、一年がかりの偉業をよくぞここまで、こなしたものだと褒めてあげたい。
1月18日(土曜日)
ここまで来たぞT
昨晩、母が寝床から起き出してきて、「おじいちゃんは?」と聞く。「おじいちゃんとは、繁直(祖父)さんかね、敏郎(父)さんかね?」、「敏郎さん」と言う。「そこで寝ている」と答えると、「それは違う」と言うのだ。母は何年も連れ添った夫が分からなくなっている。そして冷蔵庫を開けてご飯を食べようとする。「ご飯なら、ヘルパーさんが来ている夕刻時に食べて済んでいる、もう薬も飲んだし」と言うと、「ご飯は食べてない」とくるのだ。「健康に良くないから食べんほうが良い」と口答えすれば、「そんなら食べんと捨て台詞を残して寝床に消えた」それから、僕は離れで本の裁断をして、夜も更けて風呂に入るとき食堂を通ると、母が食事をした後があり、それは冷蔵庫の中に箸があり、お総菜を保存してある器からそのまま食べたいたのだ。母はだんだんと認知症への道を歩んでいて、誠に困ったもんだと寝たりきりの父と話し合った。この先どんなことがあるのか分からない。
1月17日(金曜日)
睡眠薬と麻薬の常用
この年になって、使用が激しくなっています。睡眠薬の効き目は布団にはいると5分で落ちますね。麻薬のほうは30分位ですが凄くハイに成れますね。この2つは一つの処方箋で入手出来るんです。そして、それは極めて安価で、今シーズンは一回当たり200円となっている。しかも公然と購入できる。回りくどいのですが、それは水泳の話でして、今年になりもう20km泳いでいます(一ヶ月で芸西から高知市まで(32km)行けないかと挑戦中)。今年からは泳ぐレートを一回当たり2kmに上げて、所要時間50分を目安にしている。これは僕にとってはものすごくハードですが、途中からRunning High状態に突入できる。つまり「脳からベータエンドルフィンやセロトニンが分泌された結果多幸感を得る」のだが、これが麻薬と同じような効果らしい(麻薬の効果はしらないので)。恍惚状態で2kmをカウントしても疲れてなく、まだまだ行ける状態なんですが、ここで意識的にストップをかけないと麻薬と同じで、切れたときの揺り返しが酷くなる。水泳は手足と腹筋など全身を使うので、本当に疲れたと思ったときは、陸に上がって歩く1歩が繰り出せないほどの状態になるからだ。昔なら、少し座り込む程度の休息で回復したが、今は横になって一眠りしないと回復しないのだ。
1月16日(木曜日)
回復
毎週、金曜日の夜から炊事の水仕事が始まります。金曜の夜帰ると、我が家の台所の流しが一杯の状態。これをひとまず片付けて、それから自分の食事を作るのです。食べ終わった後は片付け。そして、土日の炊事と床や廊下の拭き掃除。これで、日曜日の夜は、だいたい右手に多いのですが、指先が割れて血が出ます。痛いのなんの。それでバンドエイドを指先に巻き付けるのです。夜寝る前に、オロナインやクリームを擦り込むのですが、一寸これだけでは効きません。結局仕事に出て、炊事から解放される月曜日〜水曜日にかけて回復です。木曜日に回復すれば、直りきらないうちに金曜日から酷使ですので、いささかきつい週末となります。
1月15日(水曜日)
さてどうする、ソニーヘッドマウントディスプレイHMZ-T3
目の前に広がるスクリーンは、750インチ相当。店頭で何度も試聴をするが、なかなか魅力的だ。当面プロジェクターが買えない身としては、これで凌ぐのが最適かなと随分と迷っていたが、ネットでは67,000円で入手出来るようなので、決断だ。各地のヤマダ電機を訪問するので相談してみよう。録りためた映画や音楽を見るのは、最初BD対応のPCで十分だとこの春購入し満足していたが、欲望は果てしなく広がり、とうとうココに行き着いてしまった次第。夏、海岸の木陰で風に吹かれながら、これでジャズを聴く。何とも最高のシチュエーションではないですか。消費税前に購入するつもりだが、価格コムを見ていると、日ごとに値段が下がっているのが気になります。
1月14日(火曜日)
体の具合
昨日は大阪のS氏と電話で話した。前立腺癌を患っていて、痛みが激しくなりただいま病院にいるとのことだ。だがもうすぐ退院するとのこと、そして3月に私が大阪に来るのを楽しみにしていると言う。当初の予定は、S氏の近所にある鰯屋さんで一献の予定だったが、もう外出することも難しくなったので、S氏邸でお好み焼きパーティーを開催する事になった。奥様には気の毒だが、一寸これを断るには難しい情勢だ。上がり込んで、私だけ酒を飲む予定だ。一方私も右下腹部の痛みが激しくなり、日赤で検査の予約をしてきた。返す刀で、行きつけの泌尿器科で、尿管結石の影響はないか相談した。そうして分かったのは、どうも内臓系ではないらしく、整形のほうが最適ではないかと言われる。別の病院でのMRI診断は背骨を通る神経の管が変形している指摘をされたが、どうやらそちらが酷くなっているのでは?と疑惑が持ち上がってきた。お見舞いをするほうから、される側に回らなければよいのだが。家に帰ると寝たりきりの父が今日は帰ってきたのか?と聞く。朝出かけるときに帰ってくると言って出かけたのだが、もう忘れている。もう病気にまつわる話題しかない私の日常となってしまった。
1月13日(月曜日)
Tea Party
アメリカには共和党と民主党の2大勢力の他に「茶会」と呼ばれる集団が発生しているらしい。決められない政治に愛想を尽かし、新しい政治を目指そうとする集団の事だ。我々もこれに習って茶会を開催した。我々のはもっと単純で、先週K氏を呼び出して酒を飲んだため、K氏の奥様がお怒りになった。それでK氏を呼び出すには酒を飲まないで、語り合うパーティーとしたのが、今日の茶会。T氏の栽培した芋が焼き芋にするとものすごくおいしい。私もそれに負けじと、窪川の道の駅で買い求めた「甘いも」を提供して、たき火を囲みながら酒を飲まないパーティーなのだ。できあがった焼き芋を食べ比べてみたが、勝負は明確だ。T氏の提供する芋が断然おいしい。と言うことで今日はお開きになったが、来週はもう一度各地の芋を取り寄せて再開することになった。
1月12日(日曜日)
あまりお金を使わないささやかな贅沢
@それは、洗濯と掃除ですね。シーツや枕カバーやパジャマは3日に一度洗濯し、洗濯物は全てアイロンをかける。洗濯時に柔軟剤を使うこと。我が家に残っている柔軟剤はもう5〜6年位古物だから匂いも微香となっているので丁度だ。そして掃除。拭き掃除は厄介な事の一つだが、ぞうきんを使い捨てにすれば、意外と負担は軽くなる。古い家なのでぴかぴかにはならないが、拭き掃除を終えた後は何となく満足感がある。A夜は暖房を入れるが、扇風機を寝かせて空気の循環に使っているが、この扇風機を弱ではなく中に設定して、強引に空気を循環させると、体感温度が1度増したように感じる。Bカッターで書籍を切り刻んでいるが、カッターナイフの刃を切れなくなれば交換するのではなく、5冊に一回交換すると作業が快適になる。C日清焼そばUFOが好きで時々頂くが、その時奴ネギを刻んで入れるが、奴ネギ5本位を刻み容器から少しあふれる状態にして、お湯を注ぐと、乾燥ネギでないおいしい焼きそばが頂ける。Dまだまだやらなければならない事を10分だけカッとして、寝る前にストレッチを行う。随分と翌朝が楽で、変な姿勢で作業をしても、慣れない運動をしても、翌日体が軋むような痛みを感じなくなった。時間は有限で一番大事なものだが、この10分は凄く良く効く。
1月11日(土曜日)
冬のおもてなし
久しぶりに氷が張った。今朝の冷え込みはきつかったが、それも一時のこと。窓を開けて布団を干す頃には気温はぐんぐん上がり、室温は17度。今日は父と母の看護の関係でヘルパーさんの責任者が来るのだ。掃除洗濯を済ませた10時頃やってきた。父は動けなく寝たり切りで、母は透析のため通院が必要で、いよいよ僕も仕事に出かけることが難しくなってきている。当面はタクシーとヘルーパーさんの応援で送り迎えをしてもらうが限定的だ。高知の太陽は強く、お客様が来れば玄関の戸をあけて太陽光に当たる方がむしろ暖かい。これが高知流のおもてなしだ。その後友人宅を訪れたがここも、戸が開いていた。この友人と海の見えるシーハウスへ食事に行った。窓際は暑いので日陰の席を選んだ。この1週間の話題交換。帰れば父の食事。母の病院への迎え、夕食の買い出し。やっと午後4時解放されプールへ。今日は若い女の子が一人僕の後に張り付いて泳いでいた。思い切り2km。寝る前にボーンアイデンティー。NHK放送分。テンポの速いカットで映画に新境地を吹き込んだが、何度も見れば、いろんな所につっこみどころが見えてくる。その一つにボーンがマリーとインドのゴアに潜伏しているのをいとも簡単にロシアの殺し屋が見つける。そして、高速で車で逃げるボーンを長い射程のライフルで立ったまま一発で当てたこと。などなどいっぱいある。
1月10日(金曜日)
プールの話
あまのじゃくの私は、こう冷え込んでくると、どうしても裸で屋外に出てみたくなる。夕刻プールでの事だ。四万十市に行った。北の山のほうは白く雪で視界がなく、凛と冷え込んでいた。窪川から西の方は、上空雪で、下界は雨の状態だった。今年一番の寒波はこうしてやってきたのだが、それに対抗すべくシャワーを浴びた後、プールのベランダで柔軟体操だ。芸西の寒さはそこそこで、風がないと結構我慢が出来る寒さなのだ。それに、コチコチに冷えた体でプールに飛び込む気持ちの良さは何物にも代え難い幸福感がある。お客様は少なく2名だった。プールの監視人もなじんできたのか、僕が泳ぐときは監視がなくなる。思い切り2km。仙台の頃に比べると1km少ないが、週に6km〜8kmくらい泳ぐので、一回当たりの距離数は抑えているのだ。もう一つの話題は、四万十市で昔一緒に働いていた仲間や、部下の人に逢った。懐かしかったし、向こうもいろんな近況を教えてくれた。新聞で知る情報と同じく、パナには元気がなく話題もない。僕がいた99年のIT不況で落ち込んだときは赤字だが夢と話題があったが、今はそれさえもないようだ。CESでの話題はウエラブルで、ここにも話題はなく当たり前となった4Kが一番の売りとか、今日あった彼等は若いし一番仕事が出来る年齢の時に、むなしく時間を消費していると思えましたね。
1月9日(木曜日)
少し上をゆく
マクドナルドでコーヒーを飲んでいる。そのコーヒーは260円だ。MC Cafeでのコーヒーだ。味覚はセブンイレブンのコーヒーからすれば数段落ちるが、電源がありPCを操作できWiFiスポット対応とセブンではかなえられない条件がそろっているのが魅力だ。きっちりと棲み分けが出来ていると僕には思える。新聞紙上をにぎわしているのは経済の復活だ。ここ23年間、日本人は経済の復活を経験してないだけに、一面では戸惑いもあるものの、少しずつ好景気感に気付き始め、少し上を狙うものいいかなと心理的な欲望が出てくる。それに、若い人は好景気とは何かを知らずに大人になっている。生まれてから緊縮財政で育ったのだ。それを流通は敏感に感じ、まずは小手先で様子を見ようと提案が次々と繰り出されるわけだ。それが冒頭のMC Cafeだ。そしておじさんも、決して私の収入が増えたわけだはないが、なんとなくそれくらいだったら贅沢も許されるだろうと財布のひもを緩めてしまうのだ。
1月8日(水曜日)
冷たい雨
ハイファイセットの♪ではないが、今朝から雨だ。私はあまり雨に合わない人だったが、最近は頻繁に雨に遭う。しかも徳島県や香川県でその機会が多い。その代わり高知ではいつも太陽がある。車は取りあえず4駆のスタッドレスなので天候の変化は問題ないが、雨に濡れるのはうるさいことに変わりない。高松に来れば何時のも店でうどんを頂く。行列の前後の人がやたら「しっぽくうどん」を注文している。大根や野菜を煮込んだものと汁をうどんの上にかけていたく品だ。冷たい雨によく似合う品だと思った。次回挑戦だ。友人からメールでボラが釣れたとメールが来た。高知の川は清水で汚れがなく、ボラは臭くないのだ。それにこの刺身は極上だし、唐揚げにしても美味だ。寒くなればなるほどうまみが増してくるらしい。人々は寒くなればそれなりの楽しみ方を知っている。今まで気がつかなかった部分だ。
1月7日(火曜日)
広告の落とし穴
モバイルルーターが更新時期を迎えたので、4Gが受信できるソフトバンクの203Zに交換した。通信料金は同じく3980円だが、通信データー量が7GBを超えると、128kbpsに落ちるとひそかに注意事項があった。今までの3Gは全く制約がなかった。契約した後でしまったと思った訳。これではストーリーミングで音楽を聴くのは止めなければならない。さて、4Gだが心持早くなった感じだ。3Gポイントはこれから増えることもないので、まぁしぶしぶだが受けざるを得ない。このルーターはスポットWiFiに対応しているので、4Gを使わないで済ますこともできるのと、5000mAの大容量バッテリーなので、頻繁に充電しなくても良いことだ。メモリーカードスロットがあるが一体何に使うのだろう。店員の説明はない。
1月6日(月曜日)
メインテナンス
車検を受けた軽トラックはエンジン音も小さく幾分馬力が増したように感じる。これならあと10万キロは堅いと思ったわけ。ホンダもいい仕事をするなぁ。一方、60才を迎えた私は、あちこちに体のぼろが出始めて、腰痛と尿管結石とが目下の課題だ。父も母も病気を患い、満身創痍の状況だ。両親を見てて、どんなことが自分に共通しているだろうかと思っていたが、一つ分かったことは、結構無理して頑張ることだ。「もういい加減にしてそれをやめたら」と、普通の人が考える段階で、もうひと頑張りしてしまうことだ。少し余計につかれるが、その疲れがかえって心地よいと感じてしまう点だろう。それは若いときに美点だったが、年老いてくると、むしろ体への負担が考えている以上に増して、病気を患う近道と化してしまうのだ。その分岐点はどこにあるか?振り返れば、私の場合は55才くらいだったのではないかと思っている。ここから、体のあちこちが痛みだし数日は苦痛が続くようになった。しばらくすると元通り治るので気にも留めなかったがこれが分水嶺だったのだろう。体は交換が出来ない。IPS技術による臓器交換もまだまだ先だ。
1月5日(日曜日)
午後12時解放
田舎医者の良いところは、今日も父だけ診察してくれるという。食事の後、父を乗せて病院まで行った。病状は回復に向かっていると言うが、一人で歩くことは出来ない。明日も来てくれと医者。さてどうしたものか。今日こそは本の裁断はせずにゆっくりと過ごそうと思っていたが、なかなかそうはいかず、半日つぶれた。やっとこのHP作成に到達だ。HiHoのレンタル容量が少なくなり、文字しか転送できないので、サーバーを新たに増やそうと思っているが、なかなかHiHoとは連絡が取れずそのままにいる。ところがプログの提供として出身地プログが見つかった。芸西村からも5名ほど参加しており、コチラに移行しようかと思案中である。何も、自分のお金を払ってHPを作成せずとも、世の中には無料のプログがいっぱいあるのだった。コチラは写真掲載し放題だから、今までの制約が取れる。写真で思い出したが、カメラを買おうと十円玉を貯めたのが随分になった。海野和男さんの昆虫日記を見ていると、次々と使いやすそうなカメラが登場するので、どれにしようか随分と迷う。旅行を考えればフォーサーズかな。夜景を考えればフルサイズのキヤノンか。人物撮影を考えればシャッターフィーリングの良いニコンか?あと2年ほどすればフォーサーズも現在のフルサイズくらいの感度が得られるだろうから、そこまで待つか?とうとう重いフルサイズのカメラを持つのが苦痛となってきたのだ。そんな事を考えながらやっと得られた豊かな午後を過ごした。
1月4日(土曜日)
午後4時開放
朝、母の食事をさせ、透析の巡回バス停まで届け、帰るやその間に洗濯しておいた洗濯ものを干して、今度は父を病院へ。病状はひどくなり、重い父を車に乗せるまでに15分ほどかかった。これだけ重ければ、膝も悲鳴をあげるわけだ。途中病院を抜け出して、帰宅して拭き掃除。訳のわからない母は土足で台所を歩くから、床が1週間でドロドロになるのだ。もういい頃だと病院に行けばまだ診察をしてもらってないとのこと。病院を出たのが午後2時。昼メシの支度をして父と食事のあとは、昨日の火の始末。ちょっと風が出てきたので、そろそろ火を消すことに。それが終われば、母の出迎え。夕食材の買い出し。結局朝の6時過ぎから午後4時まで延々と時間を費やし、やっと自由な時間が出来たのがこの時間だった。まぁこのために田舎に帰って来たのだから問題はないのだが。プールで2km。よく見かけるおばさんが声をかけてくれたので「こんにちは」と、返したが、あとで何を言ったのか咀嚼すれば、「おめでとうございます」だったような気がする。芸西村では「こんにちわ」と挨拶をしないのだった。うっかりでした。帰るとヘルパーさんが父と母に食事を食べらせてくれていた。僕は自分の分を作って食べようとすれば、又、母が食事をしようとする。「そりゃちっと食べ過ぎじゃ」。と僕。「そんなら食べんわ」。と怒って寝床に向かうが、その晩、更に2回ほど食事をしている。ぼくは、食事の後、自分の部屋に戻り本の裁断を行なった後、風呂にゆくのにその台所を通ると、食事の痕跡が見えるのだった。食事を隠すのも妙だし。こまったもんだ。
1月3日(金曜日)
新年会
昨日は母の透析があり酒が飲めず、本日いつもの友人たちと私の家で挙行した。正確には私の家の前にある畑での開催だった。ビニールハウスの残骸があり、これを一気に燃やすのを兼ねてのパーティーだ。お正月の高知は暖かく、窓を開けていても温度計は18度を示していた。焚き火を囲みながらの酒は誠に気分が良く、時折吹く風は強がりでなく涼しかった。ボケの進んだ母の世話と、全く動けなくなった父の世話とで、少し気晴らしもしたかったので、これは本当に良かった。カセットテープをデジタル化したPCを持ち出し、BOSEのスピーカーで昔の音楽を聴いた。永井真理子の「ずっうと」。かなりレアな音楽だが知っていた。この3人は音楽に関しては結構な博識だ。お開きの前に焚き火の中に入れた芋を掘り出し頂いたが、これが結構な美味で今日一のヒット作品だった。今日のために買ってきた、新潟の「菊水」1リットル缶は焚き火で流す汗ですっかり胃の中に収まった。だが、この強いお酒は結構酔いが長持ちし、夜「ボーンアイデンティティ」NHK放映分を見終わった11時半までしっかりと効き目があった。
1月2日(木曜日)
ポンデチェリー
インドの南部にある街でチェンナイ(昔のマドラス)の南。ここは、元フランス領だった。インドはどこに行っても喧騒とわい雑な町並みが延々と続くが、このポンデチェリーのアーチをくぐると、様相は一変する。西洋風の白亜の建物の街となる。もちろん同じインド人が住んでいて、どうしてこんなに違うの?だが、食べ物は同じカレーだった。(ここまでが私の話)。
昔、フランスの統治から独立する時、ここに開設した動物園が立ち行かなくなり、動物もろともカナダに販売する計画を立てた管理人一家があった。その一家が船で移動中に、マリアナ海溝付近で嵐に遭遇し、船は沈没した。奇跡的にボートに乗り移り助かったのは、次男のパイ君と、シマウマ、猿、ハイエナとトラだった。ハイエナは馬と猿を殺し、トラはハイエナを殺した。そして、トラとの漂流の旅が始まる。これが、Pi of Lifeの映画のストーリーだ。
映画の感動はチョット現実味が薄れあまりないが、ポンデチェリーの懐かしさが良かった。この時、効率の上がらないブランドショップ周りに疑問を感じ、提言した。もし、逆の提案をしておけば、もっとインドの奥深くに入ることができたかもしれない。そんな分かれ道の決断をするインド訪問最後の街だった。
1月1日(水曜日)
初泳ぎ
父は起き上がることができず、母はボケて寝たり起きたりで、食事の支度を3食準備しなければならない。これは、結構な負担であり、本の裁断も中々進まない。唯一の気晴らしは、家を2時間ほど抜け出し、芸西村のプールで泳ぐことだ。お正月でもプールが開いているのはここくらいで、あちこちからお客さんが来ていた。「おまんよう顔を見るがどこの人」とプールで聞かれた。僕より少し年上の人だ。「西分ぜよ」「西分のどこかよ」「集会所を上がるろう、ほいたらヨシカズさんくがあるがをしちょりますろうか」「よう知っちゅうぜよ」「その上」。「ヨシミチくの近くかえ」「その東のほう」「なんぼになる」「61よえ」と、高知弁で延々と話が続くが、結局解ったことは、中学の同級生で、田舎には珍しい美人が一人いたが、その人の旦那さん、だったことだ。いまでも、その同級生はお祭で見かけた時、美人度を保ったままだった。村の人とは余り関わりたくはないが、どうしても顔を合わす機会が増えるとこうして繋がってしまう。唯一の逃げ場のプールでさえこうなる。2km。
12月31日(火曜日)
華やかさのない年末の作業
病人が2人いて、布団の中で転がっている。僕の手は水仕事で、ペーパーのようなザラザラになっている。夜、7時には一段落したので、そこから本の裁断が始まる。格別お正月と言っても僕の行動には変化がないのだ。本の裁断は根気を詰めて取り組んだので、本箱3つが空になった。本箱もナタで切り刻んでゴミ袋に入れた。本箱が無くなれば、部屋の様相は随分と変わるものだ。VHSからのダビングも進み、先が見えてきたので、βのデッキをアマゾンで買った。3万円だった。ビデオテープも本棚で大きなスペースを占めている。テープがなくなれば、また一つ本箱を捨てられる。その次はレーザーディスクだ。VHDは思い切って捨てた。まぁ、この後始末ができた頃にパーとするかと、思うのである。
12月30日(月曜日)
年賀状
住所録を基にプリントすれば、103枚だった。毎年必ず数名は訃報のハガキが届くから、フルで110枚ってところか。一人づつ手書きで一言挟んでいるが、夏には指が曲がらなくなり、ペンを握れない時が続いたが、やっとそれは脱し、想いをシタタメることが出来て嬉しい。謹賀新年だけでは、チョット申し訳ないのだ。その中に、もう一人の友人が潜んでいる。下ノ加江、現在は清水市と呼ばれる。四万十川河口の左岸の集落だ。漁業の盛んな地区で、この友人も漁業を営んでいる。高校生の時、この友人宅にお邪魔した。家全体が魚を煮たような、甘い匂いに包まれていた。彼の小さい頃、高知の街に行くには漁船で行ったとのこと。交通の便が極めて悪いところだ。私の自宅から自転車で丸一日と二日目の午前中が必要だ(今では丸二日かな)。その辺鄙な町に月一回だが行く機会ができて、早速年賀状にその旨を書いた。同じ、高知県民だが、方言が違い、再会の折には、県を跨いだ感のある会話となるだろう。
12月29日(日曜日)
本の裁断とプールの予定だったが
年内決着はTTPだけではない。家の前のビニールハウスを完全撤去する誓いを果たすのだ。午前中〜午後3時までこの作業。骨が折れる。その間VHS〜BDRecorderにダビング。盗人と呼ばれる、すぐにくっつく雑草が厄介だ。世話のなくなった畑にはこれが瞬く間に繁殖する。これはお正月に焼こうと引き抜いた。定刻に一応作業完了。次はプールだ。ここで、父が足が痛いと言い出した。とりあえず納屋で僕の作業を見てたが、部屋に帰ることに。手押し車に積んで運ぶ。日曜日の緊急医療に電話して、診てもらえる医者を紹介いただいた。「上町五丁の銀行を・・」。「電話番号と住所を教えてくれれば行けますので」と私。電話対応のおじさんは昔の感覚で話すから話が長くなる。一方で「1時間以内で来てください」と無茶な要求だが仕方ない。とはいうものの、事故を起こせば終わりだ。制限速度でカーナビとにらめっこしながら走った。医者はもう末期的な状況なので治療の方法はないと、溜まった水を抜いてくれ、痛みどめを注射してくれた。晩飯の材料を買って、家族の晩飯を作った。
12月28日(土曜日)
快晴
北は雪。日本は西高東低の冬型の天気に覆われている。と気象を報道してくれれば、北に住んでいる人には申し訳ないが芸西村は快晴。最低気温は仙台に住んでいる頃と変わらない最低気温は1度。日の出前は、この部屋も2度。だが、太陽が出てまばゆい日差しが降り注ぎ、部屋の気温はぐんぐん上がり、10時前に18,7度。午後3時まではこの気温が続く。仙台ではこうはいかない。弱い太陽の光は部屋を暖めることなく、4度のままだった。プールと本の裁断。普段と同じ休日。普段と同じことが幸せだと思う。(Roadの歌詞のようだ)。夜おじさんところに行き、懇親。ここにはPhilipsの油を使わないフライ器があった。手羽と豆腐をいただいたが、味は油を使ったほうがうまいと思った。ここで意外な情報を入手。これは、大きくなったら、ここに掲載する。自転車で帰るときトイレに立ち止まれば、北斗七星がはっきりと南東に浮かんでいた。近眼の目でも数えられないほどの星が瞬いていた。
12月27日(金曜日)
四万十川
カーナビに誘われて、四万十川を下った。実は、松山から高知に帰るには、大きな峠を越えなければならないが、あいにくと今日は雪予想。普段なら喜んで雪道に挑むのだが、今回は車の車検で、代車の2輪駆動。しかもタイヤはノーマルときている。雪道には自信はあるのだが、最低限の装備は必要だ。それで雪の心配ない南回りで帰ろうとカーナビにセットすれば、この四万十川に江川崎でぶつかったのだ。この川の水量は多く高低差がないのかゆったりと流れている。昔メコン川のカンボジア側の岸で夕食をとった。向こうの灯がタイだと言う。この川もゆったりと流れていた。ゆったりと流れる川はなんだか気持ちがなごみますね。(カンボジア人ものんびりしてたので、同席のタイ人がいらいらしていた)風景の良いところで写真をと、車を止めると、向こうに沈下橋、手前にカヌーイスト2名。何だが絵になるような風景だった。手を振ると、応えてくれた。四万十のおいしい食事をと車から探したが、見つけられず、結局Joyfulでステーキ定食599円を注文。高知道に乗ったところで大雨になった。ラジオを点けると大豊〜愛媛県側は通行止めのニュースが流れた。芸西村のプールで裸になってベランダへ。結構寒さを強く感じた。
12月26日(木曜日)
ラブリと白濱亜嵐
愛媛県出身のタレントで、注目株。舞台度胸がでかくどんな場面でも物おじしないのがテレビ局から受けているとか。どうして、この人を知ることになったのか?という経緯が今日の話。愛媛県に住んでいる友人のO氏と今日は忘年会。まずは、愛南町の人しか入れない料亭を訪問した。地元中の更に地元の話題が飛び交い、地震の話題も超現実味を帯びた話だ。「歴史は夜作られる」とは、どこかで読んだことのある書籍タイトルだが、今日の話は全くそれに近い。就職で困っていた時、職安を訪問して失望したが、こうした飲み屋さんを訪ねると、また違った仕事口があったかもしれないと今思った、しかもいい口で。その後、氏の行きつけのバーに。松山の夜は結構冷えて、少しの距離なのに凍えてしまう。ここで登場したのが、タイトルの母。主題のタレントはルックスもなかなかだが、お母さんもなかなかの美人だ。飾らない性格がTV局受けすると言われるのは、実はこの母の影響かもしれない。話をしてて結構深く切り込んでくるのだが、それが実にさりげない。先週は有名作家の裏話が身近にあり、地方も結構にぎやかなのである。
12月25日(水曜日)
そして雨
朝から、しとしとと雨。今の時期に雨が降るなんておかしい。雨が降ると新聞はビニールに包んで配達される。年を取ればこのビニールが厄介な問題となる。今から10年以前前のことだが、食卓にはさみがいくつも登場した。はさみはナスの収穫の時に使ったものだ。たまに高知に帰った時、両親もボケが来て、仕事の道具を食卓に忘れてしまっていると思ったものだった。ところが、その年齢に近づいてくると、指先に力がなく、指に湿り気がなく、袋物は指で破くことができなくなっていることに気が付いた。それではさみだったのだ。そこで、私は対策として髪を洗うときに、頭のマッサージ時間を長くとり、指の鍛錬を続けた。ところが、これはたちまち指の関節炎を引き起こし、親指を中心に指が曲がらなくなる支障を来した。いろんなところに体の賞味期限が来てて、酷使すれば、残り期間が減ることに気が付いたのである。はて、この寒さは私の体の賞味期限のどこに影響するのでしょうか?と思いながら、高知に比べてずいぶんと寒い瀬戸内海を眺めた。
12月24日(火曜日)
またしても暴風雨
高知は晴天だった。気を良くして徳島に向かう。東に向かうには体の右側に太陽を受ける。その太陽があまりにも強烈で、冬なのに窓を全開するだけでは暑すぎて、とうとう冷房を入れてしまった。確かに高知の最低気温は東北並みに低い、だが晴天の気温は20度を超える。気象庁の気温は日陰の気温なので、僕らが感じる体感気温ではない。ところがどうだ。室戸岬を回ったらだんだんと雲行きが怪しくなり、徳島県に入るとぽろぽろ雨がやってきて、阿南市で暴風雨となってしまった。冷たい雨が横殴りに吹き付けてくる。車の屋根をたたく雨音は激しく電話の音声が聞こえない。風が強く、車を止めた。まるで車は地震のように激しく揺すられる(仙台で経験した。それは車がでこぼこ道を走っているようだった)スーパーフジで弁当を買ってホテルでいただいた。クリスマスイブだったのを忘れていた。もっと豪華な食事の方法があったんではないか?
12月23日(月曜日)
指の酷使
やっと書籍の裁断作業。普段の土日よりも作業は遅れている。でも、この作業は正月返上で真剣に取り組めば、先が見えてきたのだ。水もなく砂漠を横断しているとき、蜃気楼だがオアシスが見えてきた感じ。今回裁断する文庫本を切り始めたところで今日の作業は終了。次はビニールハウスの後片付け。もう使えない資材や、庭木の剪定の枝などを一気に燃やした。昨日のファイヤーと同じ。こちらは火力が強く、大汗をかいた。昨日比1m進む。かたずけ仕事で指を酷使して、炊事で指を酷使して、いつも休暇を終えた晩は、指先がひび割れして痛くて痛くて。こまめにハンドクリームを塗るだけでは追いつかない。手はバンドエイドだらけ。
12月22日(日曜日)
クリスマス焼肉パーティー
一見組み合わせが妙だが、必然でもあるのだ。今日は友人たちと例の海辺でパーティーを挙行。そのために4980円もする「魔王」を買ってきた。海辺で火を焚くとなれば焼肉でしょう。だから、正当な組み合わせのパーティーを開催すると言う訳。肉は野市町にあるスーパーFUJIで調達。〆て10,000円。これだけで楽しいパーティーができるから安いものだ。新橋でちょっと飲むだけで、これくらいはかかった。今回はプラスワンとして、女性を一人お招きした。僕の幼友達で今は芸西村に住んでいる。姉さんに言伝を頼んで、来てもらった。太陽は強く申し分のない天候だが、風が少々強く、少し寒いながらパーティーはだんだん盛り上がっていった。仲間のT氏は今日が誕生日だということで61才をお祝いした。肉は旨く、景色はきれいで話題は事欠かないと、楽しい一日だった。終えたのが午後3時前で、日没までにはまだ時間がある。酔い覚ましにビニールハウスの残骸の片づけをおこなった。この畑に母がいろんなものを捨て、父は農作業の古い園芸の資材をここに積んでいるので、単なるビニールハウスではなく細かな作業が必要だ。腰が痛くなるころに止めたが、結局1m程度前進しただけだ。夜は「凍える太陽」を見た。飛行機が雪原に墜落して生き残った人々は次々に狼に襲われながら逃げてゆく物語。火を恐れない狼たち。簡単に火を起こせる逃げ惑う人たち。大きな崖を渡った先にも狼がいたが、狼はどうやって激流の川を渡り、崖を降りたのか不明と突っ込みが多い詰めの甘い映画だった。それに、狼があまりにも大きく(牛のようだった)あまりにも現実離れしていて、恐怖がわいてこない。
12月21日(土曜日)
ピーカンの晴天
昨晩は、早く寝たので朝は早く目覚めた。それにあまりにも空腹だった。最近、夜食べないか、少な目で寝ることが多くなってきて、体は飢餓状態だ。日の出とともに布団を干して、洗濯機を回して、この日はやることがいっぱいだ。そんな時に限ってもう一つが加わる。今日のプラス1は、古新聞の回収だ。回収屋さんが近くまで来たので、おじさんを呼びに行った。わかった分かったというのだが、一向にやってこない。30分も経っただろうか、そのおじさんは歩いてやってきた。ここだと言うと、車を取りに元来た道を引き返した。大量の紙類を提出して、聞いてみた。この商売は儲かりますか?1000kg=6,500円で、月に20tもあれば御の字だ、という。120,000円を稼ぐのに四苦八苦していると言う。「ウチはようけ紙がでるのでちょくちょく来てや」と大阪弁で頼み、おじさんは「ちょくちょく来ますわ」と、車を我が家にぶつけて帰った。車を車検に出した。荷物の入れ替えと、整備工場への移動とお金の支払い。今回はタイミングベルトを交換するので、その旨伝えた。代車はダイハツのトラックで乗り心地は少々荒い。そのあと、洗濯物を取り込みアイロンがけ。日曜日にする作業も全部今日中に済ます。その後プール。最近はお風呂代わりにプールを使っているのでずいぶんと泳ぐのが力強くなってきた。この寒い時期に、これだけ消耗する運動は外になく、重宝している。管理人に聞けば年末年始も休まず営業との事。ご苦労様だが、私にとってはありがたいことだ。お正月から泳げるなんて最高だ。
12月20日(金曜日)
積雪
松山自動車道を松山向けて早朝走り抜けた。桜三里の峠道ではのろのろ運転となり、車が側道に落ちていた。私は、だれも走らない追い抜き車線をずいぶんと早い速度で駆け抜けた。東北道ではこれでも遅い速度だ。慣れない雪道は速度を上げないのが無難だが、まだこれくらいは大丈夫だという感覚がハンドルを通じてある。マニュアル車は特にそれがビンビンに伝わってくるから、ある程度の速度は確保できるのだ。そのあと、この道と高知道は雪のため閉鎖されていたので、さらに雪は降ったのだろう。夕刻、大洲〜須崎に向かう国道197号線。檮原の高原近くでは、愛媛県側も高知県側も雪道だった。アイスバーンではないが。交通量が少ないので、雪の一番多いところで一旦停止して急発進と急ブレーキの練習をしてみた。急発進は全く問題ない。さすが4輪駆動だ。乾燥道路と同じ感覚。急ブレーキ、これはどの車とも同じで、気を付ける必要がある。どんよりとした愛媛県側も天気も、高知県になると薄日が差してきて、須崎では完全な晴天となった。「まっこと高知は天気がえい」。その日の夜プール。温かいと言えど裸でベランダに出るのはちょっと厳しい気温だった。この夜は誰もいなかったので、プールを独占だ。2km。プールの風呂で体を流したら大きな睡魔がやってきた。食べずに寝た。
12月19日(木曜日)
節食事代
どうやら明日はひどい天候になりそうだ。この日の為に4輪スタッドレスにしてアルミホイールだし、4輪駆動だ。それに、この軽トラックは前輪はディスクブレーキだ、ミッドシップエンジンでカーブはすこぶるく軽快に旋回できるのだ。これでスリップすれば腕が悪いとののしられますね。仙台で雪と惜別してきただけに、懐かしい思いで明日臨もうと思っている。だが、直前の問題は、井上陽水じゃないけれど、「今日の雨、傘がない♪」。ホテルに到着したのだが、外に出るにはみぞれ交じりの雨。ホテルで傘を借りてもこれじゃ濡れてしまう。仕方ない。もう一度車を引き出して、近くのマルナカ(スーパー)へ買い出しに。最近はホテルの宿泊客も心得てきたのか、結構スーパーで買い物をして、ホテルの自室で食する場合が多いようだ。私が買い物袋を提げてエレベーターに乗り込むと、同宿の客も同じような買い物袋を持っていた。それに対抗してホテルも格安の夕食を準備したりしている(850円)。四国はデフレの真っ最中なのだ。
12月18日(水曜日)
高瀬町農協
香川県三豊市高瀬町。ここの農協は本当に良い仕事をする(私にとって)。国道11号線沿いにあるみすぼらしい建屋に物産展がある(農協の本体はすごい建物だが)。ここで買う農産物は品質と言い、価格と言い破格だ。スーパーも真っ青だ。10個入りのミカンが230円とか、今では珍しい橙が100円。にんにくの玉5個が300円とか。とにかくびっくりの価格なのだ。ここを通るたびに必ず寄って一品もしくは二品を買ってゆく。道中に食べても食べきれず持ち帰る場合が多い。特に冬場になってミカン類が豊富に出回るようになりましたね。野菜類はもっと安いが、これは持ち帰る時に鮮度が落ちてしまうから買えないのだ。このように普段は主に果物を買っているが、今日はお漬物を見つけた。沢山種類があり、友人のお母さんが好きだと言う、燻製の沢庵を買った。我が家では透析の母の為に漬物は食べないことにしているので、漬物となれば、すべては友人宅にプレゼントなのだ。評価を聞いて、一番口にあうものを探し出そうとしている。
12月17日(火曜日)
誰が偉いのか
毎日毎日深夜と早朝は書籍のスキャナーと格闘している。特に文庫本のスキャナーはページが多くて、時間がかかるし、紙が薄いので時々巻き込んでしまう。それで、意固地になって最近は文庫本に集中してスキャナーをかけている。スキャナーした書籍のファイル名は、初版の発行日付、本のタイトル、著者の順だ。ところが、文庫本はこの著者の扱いが共通して不思議な現象となっている。外国人作者の作品は「訳者」の名前が大きく、原作者の名前が無いか、小さいのだ。私はどちらが偉いのか(重要なのか)と聞かれれば、原作者だと思う。あなたはの福田恆存の「老人と海」を読みましたか?とはたぶん聞かないだろうし、聞いても「そんなの知らない」。一体、福田って誰だ。ましてや外国の人には通じない。ここはやはり、Ernest Hemingwayの「老人と海」を読んだか?と聞くのが筋だろう。そして、中には、原作者の英文字やフランス文字で本当の名前を掲載している文字は、虫眼鏡で拡大しなければ見えないような小さな文字で印刷されている。ましてやErnest Miller Hemingway。ミドルネームの「ミラー」は抜けているか、Mで省略されている場合が多い。これって一体何なの?と今更ながら思ったわけ。文庫本部門の責任者はそんなに訳者に気を使わなければならないような低姿勢で仕事をしているのか?もしそうだとすれば、出版業を通じて読者に見識や幸福を送ると言った社是は即刻返上してもらわなければならない。と憤慨しているのだ。ついでに単行本だが、三笠書房の書籍は初版の発行日付さえもない。書籍業界はじり貧が続くのは当然でしょうな。
12月16日(月曜日)
忘れ物
日常茶判事となった忘れ物だが、どうやら忘れる原因は、物を使った後もとに返しておかない行動にあることが判明。これは、昔のフランス映画をよく見た影響かもしれない。アランドロンが、ものを使った後、無造作に放り投げていたのが頭にこびりついているからだ。それでいて、映画のシーンではモノが片付いていた。突っ込めばいろいろとある映画だが、のめり込んでしまった時には気が付かないのだ。そういえばアランドロンのファンで、ステレオの国内営業を始めた1978年頃からずっとダーバンを買っていた。子供ができて給料に余裕がなくなる2000年頃までこれは続いたので、レナウンとしてはいい宣伝をしたのだ。もう一つの忘れ物は、記憶間違い。予約したと思っても予約がなかったり、2重予約したり、最初立てた計画をいとも簡単に変更してしまったり。思いつきの行動がどうやら大きな支障となっているのだ。そのために手帳があるのだが、私は1990年ごろから、手帳は使ったことがない。その頃はシャープの「ザウルス」。その後ソニーの「クリエ」。今はiphone。スケジュール管理は昔と比べてずいぶんと楽になったが、それでも間違いを犯すのは、このスケジュールを見ることさえ忘れてしまっていることだ。かなり、どうしようもないところまで来ている。
12月15日(日曜日)
酢蕪
僕は時々天才だと思うことがある。あれが食べたいなと思うと、材料を買ってきて、それなりに料理ができるのだ。味見などしないでもそれらしき物ができる。先日も酢蕪を食べたいなと、室戸のサンシャインで蕪と鷹の爪を買ってきた。これに、下北半島で買った昆布と芸西村の鰺ジャコをミキサーで粉にして、酢には先日高瀬農協で買った橙をつかった。話はそれるが、橙は「ダイダイ色」と言われるように、本当にダイダイ色である。それで酢蕪を作ったら、父も母も喜んで食べてくれた。最近の大ヒット商品である。この時のポイントは、蕪は事前に塩水に浸けず、鷹の爪を多くして塩分を減らすこと。甘みを出すのに、昆布を使うが、短時間で昆布の甘みを引き出すのに、粉砕したことだ。
12月14日(土曜日)
屋外で裸
おそらく、夏ではない今の時期に、屋外で裸になる馬鹿はいないだろう。だが私はそれをあえて行うあまのじゃくだ。芸西村のプールは太平洋を望むテラスがある。屋内から簡単にこのテラスに出られる。プールの入り口でシャワーを熱いシャワーを浴びた後、このテラスに出ると、ほてった体に寒さが肌に刺す。ここでやせ我慢して柔軟運動を行う。寒いので体がコチコチに固まるから、柔軟運動どころではないのだが。それでも少し時間が経てば風で体に着いたシャワーも乾くと何とか我慢できる寒さまで戻る。約5分間の準備運動を終えて屋内に入れば、そこは天国。プールに入いれば、顔がやけどしそうなほどだ。急激な温度の変化は余り体には良くないかも知れないが、この心地よさを体験すれば止められないのだ。今週は水曜日から泳いでいるから6.4kmを泳いだ。毎日泳いでいると、さすがに体重は落ちますね。腹回りの贅肉も幾分減って、冬用の防寒下着を着けても、ベルトの穴が今まで通りです。定年を迎えた人にお勧めです。
12月13日(金曜日)
南森町食堂
このご飯屋さんが、全国に静かに根を生やしている。所謂本当のメシ屋さんです。発祥の地は、大阪は南森町。初代のメシ屋さんの写真が、どの店にも掲載してある。そして働いている従業員もおばさんではなく、若い女性も多いのだ。肉物を多く取れば、値段はそれなりにするが、野菜物とみそ汁では600円以下でおいしくいただける。車であちこち彷徨っているとき、この看板を見つければ、カーナビに地点登録をしている。そして、出歩くときは、このメシ屋さんを中心にして行動を立てている。生卵とおかず1品と大飯だと400円近い価格で満足できる。昔失業したとき、関目の食堂でこればかり食った記憶がある。
12月12日(木曜日)
スノータイヤ
大洲から、国道33号線を抜けて帰ってきた。途中久万高原を抜けるのだが、対向車の一台は雪を乗せていた。この天候で雪かよ!東北では珍しくないが、ココは四国だぞ。慎重に車を走らせた。幸いなことにこの道中には雪はない。昨日の雨のことを考えると、山の高いところは雪だろうな。もしかして対向車はスキー場から降りてきたかも知れない。いずれにせよ、もう冬支度を急がなければならない時期が来た。と言うことで、早速友人に電話してスノータイヤを頂いた。後2本買い足してフル装備とした。車は4輪駆動なので、普通の車よりは幾分安全に走れるだろう。と、はしゃいで車をぶっ飛ばす自分が見える。
12月11日(水曜日)
SH-D1000
このマルチシンセサイザーは、グライコや、位相のコントロールやチャンネルデバイダーなどいろんな物に変身する。惜しむらくはPCでコントロールするのだが、ソフトウエアがWindows95でしか動かないことだ。そしてこのソフトウエアは、現在ネットでは配信してないのだ。このSH-D1000の便利さに惚れ込んで3台も購入したのだが、一台が故障した。どうやら出力にDC電流が流れたようだ。それで、パワーアンプを2台壊してしまった。このパワーアンプは修理を考えなければならない。それで予備のSH-D1000のカットオフを設定し直して、46cmのウーハーを駆動するアンプに送り込みたいのだ。問題となるのは、このソフトウエアの入手方法だ。昔のよしみを利用して一番確実な、F氏に電話で尋ねておいたところ、今日そのソフトが見つかったと電話をいただいたのだ。3.5インチのFDで残っていると言う。来年3月までには大阪に上京する予定だから、その時に頂きに行こう。つてと言うのはありがたい存在だ。
12月10日(火曜日)
年内のスケジュール
今日から年末までのスケジュールがおおよそ出来たので、忘年会の約束を始めた。まずは、芸西村で級友と呑む。昼間浜辺で挙行する。知人の女性にも声かけた。この子が幼少の頃、僕が馬になって、畳の上を走った記憶がある。昔のことだ。屋外は寒い?かも知れないが、太陽があれば、何とかしのげるのが芸西村の気温。肌を刺すような冷たい風は吹かないし、風を遮り、太陽に当たれば天国がある。すぐ目の前の海は20度の暖房器である。26日は松山で友人のO氏と道後温泉で忘年会を約束した。夏以来の再会だ。昔のことや今の近況など話を聞きたいことがたくさんある。もう一回出来る余裕があるが、これは緊急用に取っておこう。
12月9日(月曜日)
洋服のセンス
からっきしないのが洋服を選ぶセンス。それが特に優れているのが、友人のK氏。前回電話をして紺の上に対するパンツは何色がベター。グレーだとアドバイスを受けた。それでグレーを新調すれば妙にバランスが悪い。やはり、スーツの片割れを旨く利用しようとする魂胆がさもしいのか?と少し反省しながら、もう一度K氏に電話をした。グレーはあまり合わないよ!白っぽいグレーか?いや、黒っぽいグレーだ。それなら合うはずだ。この時期、白っぽいグレーはいかんよ!電話の後、もう一度鏡を見て眺めてみたら、そう悪くはないかな!と、最初の判断が揺るいだ。そして今日一日ずっとそれを着ていると、何となくなじんできて、これでいいか。と思うようになった。なんともはや。
12月8日(日曜日)
労働の報酬
朝6時に起床して午前9時まで本の裁断をして、朝食の後、下着のアイロンがけ。昼からこの日記。間髪を入れずプール、その後夕食の準備。この間30分も時間的な余裕はない。何かがあれば、何かが犠牲になるだけだ。そんな過密スケジュールの中に、時間は不確かだが昼寝の時間を組み込んである。冬の日差しをあびて横たわればすぐに夢の世界に入って行ける。これだけは外せない。今日は裁断が思いの外早く上がったので、プールをカットして時間を作ったのと併せて、ビニールハウスの撤去作業を行った。フィリピンから輸入した木材を使っているので、これが重いのなんの。2時間弱の作業だったが、腰が痛くなってしまった。寒くなる前にビニールハウスを建てなければと、ちょっと無理をしたわけだ。幸いに今日は温かく、ずいぶんと汗をかいてしまった。夕食を作りながら日本酒をチビリチビリちと舐めたら甘露だった。山登りをした後日本酒を飲むと丁度こんな味がする。これが労働の報酬ということか。
12月7日(土曜日)
肉か魚か?
フランス料理なんかを食べに行きますと、まずはメインの料理はどちらにするのか聞かれますね。料理のGate Wayだ。フランス料理ではないが、私は朝、このことにぶつかる。ジュースにするのかミキサーにするのか?朝のフレッシュジュースは欠かさなく、もう30年余り続けているが、いつもこの問題が発生する。ジュース系はリンゴが中心で、ミキサー系はバナナが中心だが、毎日のことなので、いろいろと配分を変えてみたくなるのだ。ジューサーもミキサーもナショナル製。調理家電はナショナルが一番だと思っていたが、どうやら認識不足で、ジューサーには、シャープの低速回転のものがあり、ミキサーには真空でつくるものがあり、いよいよ交代の時期が来ているのかなと、思った。それで最後のお勤め用にと、ジューサーの「歯」を新しいものと交換した。何と、驚くことなかれ、今までリンゴ2個でコップ2/3位満たしていたものが、新しい歯では、リンゴ1個と少しで、コップが満杯となった。比べると、新しいものは歯が小さくなり放射状に11枚。古いものは同じく9枚だった。パナソニックもホンの少し進化しているということだろう。
12月6日(金曜日)
成績
本の裁断をしてスキャナーに取り込んでいるが、高校生時代の本も出てきた。生徒手帳もあり、想いは40年前にワープした。今や大学卒業してないとまずは採用の基準に満たないが、この本を見ていると高校生でもこれだけの知識を習得していたのかと驚く。応用力学では狽フ登場する計算式があり、当時は電卓がなく、計算尺で計算したものだった。その本の中に試験用紙がはさまれていて、何と、「93点」を獲得しているのだ。うれしかったのか、これだけが残っていた。今は学ぶのは大好きだが、当時は熱を入れるほど勉強は好きじゃなかった。でも、この難しい書籍群について行ったということは、それなりに頑張ったということだろう。もうすぐ期末試験が始まる時期だ。
12月5日(木曜日)
長編映画
午後遅くから心臓がキリキリと痛んだ。もしかしたら心筋梗塞かもしれない。そんな心配をしながら床に就いた。それがずいぶんと印象に残っていたのでしょうか。すごい夢を見た。その夢は、20歳くらいから、定年を迎えるまでの40年間の自分の歴史だった。自分の回顧録だ。最後の最後に定年の挨拶をする際、どういうわけか、四国時代の所長さんだった、岡城さんが登場して、僕の定年の挨拶に味噌をつけたところから、いろんなことに発展し、結局は非常にみじめな感じの定年式を迎えたストーリーだった。実にリアルで、しかも長編作品であったのは、人は死ぬ前に今までの一生を思い出すと言うが、本当だったと実感したわけ。三途の川から帰ってきたのだ。その夢から覚めて心臓のキリキリ感はなくなった。
12月4日(水曜日)
探し物
探すのをやめたときに見つかることもよくあることです♪と井上陽水が歌っているが、私も長年探していたものがやっと見つかったのだ。カートリッジの100C だ。このピックアップは6万円もする。ついでにオルトフォンのMC20MK2も。こちらも4万5千円。近い将来起こり得る地震のことを考えると、手持ちのLPレコードも一旦は、デジタル化しておかなければと思うのだ。今や「DSD」や「24ビット192khz」のデジタル化ができるので、LPのニュアンスは隈なく記録できるはずだ。ソニーからポータブル録音機が発売され、98,000円もするが、これはポータブルでありながら、先の規格で録音ができる。それもこれも、入口のカートリッジがきちんとしたものであることが前提であり、いよいよ着手する時が近づいてきたというわけだ。
PS。ついでに、SL-1015のプレーヤーも箱から取り出し、超軽量のチタンアームに装着した。
12月3日(火曜日)
初冬
ぽかぽか陽気の中、大洲から須崎に向かう国道は高度の高いところを通る。もうすっかり紅葉の見ごろは終わったんだろうと思いきや、なんと今が見ごろってところもあった。そのうちの一つ。木の上から下の枝まで一面真っ黄色に染まった銀杏の木が昔の小学校跡にあった。そこは山奥なので、少子化により、子供がいなくなったのか廃校だった。空は青く、黄色と青のコントラストがとてもきれいだった。しばらく行くと、民家の庭に見事な赤に染まった楓を発見した。ここも車を止めて撮影した。ブルーの背景に赤色のみの写真になった。寄り道はちょっとだけだったので、芸西村には5時過ぎに到着した。その足で農協に行く。軽トラックの車検をお願いするのだ。事務局長のおじさんが僕を見てニコニコしている。誰だ人の顔を見て笑うやつは。車検の話は代車を借りることで話がついた。それで、帰る間際になって、先ほどの人が出てきて、「なにしゆう?」と聞いた。よく見れば、小学生の同級生だった。「トシ君か?」が僕のあいさつ。向こうは先刻承知の助だった。先方はずいぶんなおじさんに見えたが、振り返れば僕も同じようにおじさんになっているのだった。高知は空気が濃いので早く老ける。
12月2日(月曜日)
至福の時
こんな寒い夜は熱い風呂でゆっくりくつろぎたいものです。熱い湯船に英語の本を持って沈む。わからない英語もゆっくりと約を紐解けば理解できる。全然上達はないが、英語にはなんとなく好印象をもって臨んでいる。それもわずか5分くらい。ものすごい睡魔が襲ってきて、いつの間にか目を閉じてしまっている。ポトンと言う本が湯船に落ちた音で目が覚める。このこともあり、本はBOOK-OFFで買ってきた100円のものだ。捨てても惜しくはない。いらなくなった本とは言え、この初歩の英語の本は全く新品同様が100円で売られている。勉強しようと思ったが読まずに何年も経過したから売りに出したという経緯ですね。、この本、少し古いとはいえ、結構頑張って編さんしてあり、有用です。こうした風呂用の本もたくさん集めてます。こちらは切り刻んでスキャナーにかけないで、読み終われば捨てることにしてます。
12月1日(日曜日)
ゆず(歌手でない)
昨日の2kmメートルの水泳はこたえた。体の中心からつま先まで、まんべんなくエネルギーが消えてしまった。仙台にいた頃は週末のプールは3kmが平均だったが、僅か半年余りで1km分体力が落ちている。それで、今朝は6時の時報(芸西村は、朝6時に村全体に響き渡る時報が鳴る、イスラムの国に行けば、朝の5時に鳴るから、それから比べれば良心的な時刻だ)が鳴るまで眠ってしまった。9時間ほど寝たことになる。今日は暖かく、窓を開けなければ、汗が出る陽気だった。部屋の中の陽の当たる場所で横になれば、いつの間にか寝てしまっていた。一匹のハエが部屋に飛び込んできて目が覚めた。明日の用意をして、またもやプールへ。父が焼き肉をするというので、汗を流して、ビールでも飲もうと、今日は泳ぐ前にサウナに10分ほど。ほてった体を海に沈む夕陽を眺めながら、屋外のテラスで冷やすこと3分間。コチコチに凍った体でプールに飛び込むとそこは天国。1.6km。40分。柔軟体操はミストサウナ室で5分。完璧に体を作り上げて焼き肉に臨んだ。焼き肉のタレは、市販品も絶品だが、私は友人からもらった、「ゆず」に「胡椒」をかけていただく。コチラも絶品。まだ500mlほど残っている。ゆずはお醤油のように何にでも合うようだ。
11月30日(土曜日)
アイロン掛け
先に下着にアイロンをかけると快適な一日が過ごせる報告を書いた。今日は、書籍にアイロン掛けだ。毎晩本を切り刻んでスキャナーにかけているが、たまに、薄い文庫本はページを巻き込んでしまうトラブルが発生する。シワシワになった紙は取りあえず保管しておいて、まとめてアイロン掛けするのだ。高熱で圧力をかけると、シワシワの紙も何とか平面に戻る。今度はフラットスキャナーでこれを読み取りPDF化する。後は、アドビのアクロバットでPDF化したファイルにこのページを挿入することで完成する。少々面倒だが完璧なスキャンを行うには、このような手間も必要だ。書籍スキャナーのPFUも200,000ページを越えたので、交換の部品を注文した。部品は8,500円もする。
11月29日(金曜日)
寒さとスズキ
愛媛県は雪。先週は一番背の高い石鎚山が雪を被っていたが、今日は普通の山も雪景色だ。冬支度をしなければならない。石油温風機を知り合いの電気屋さんで購入した。東北時代に分かったのは、暖房機はダイニチが有名だ。大きな石油タンクを搭載している機種を選択し、更にはもう一個タンクを注文した。寒い夜に、石油が切れたのでは、様にならないからだ。帰りには石油タンク二本に石油を満タンにした。ところが、高知に入った途端、あの寒さは何だったんだ?と思わせるような陽気。風は生暖かく、急いでストーブを購入しなくても良かったと思った。午後7時過ぎにプールに到着。暖かいとはいえ、この時間の気温では裸で屋外のテラスに出て柔軟体操はできない。1.6km泳いでバタンキューの状態にこぎ着けた。帰り着いて冷蔵庫を上げると、鯛のような刺身がある。買ったのではないことが分かるのは、刺身の切り方がシロウトだ。メールで確認すると、スズキだ。この友人は釣るばかりでなく、料理して我が家の冷蔵庫に入れてもくれる。全くありがたい友人だ。そして、この刺身は極上の味がした。寒くなると脂が乗って味が増してくるようだ。食べきれないほどの量があった。
11月28日(木曜日)
寒波到来
夏用のズボンとワイシャツだけでは、もう我慢が出来なくなった。来週からは、きちんと冬の準備をしてこよう。この夏はズボンを2本だめにした。カッターで段ボールを切っているときに一緒にズボンまで切ってしまうのだ。(不思議と足はきらないが)それで、このズボンは履き捨てようと何時までも履いていたら、とうとう雪を見る時まで来てしまったと言うわけだ。体のほうもいい加減にしてよと悲鳴を上げだした。これは上下なので、捨てるズボンの代わりを購入しなければならない。「どうしても」ほど大層なことはないのだが、ブルックブラザースの上は捨てるには一寸惜し。それで紺のジャケットに対してパンツは何色がぴったり?こういう事は友人のK氏に聞くが一番だ。早速電話をすれば、やはり的確な回答が帰ってくる。「グレーだ」暖かい関係はありがたい。しかし今日は薄着のままで、食事にでかけた。洋風居酒屋さんで、サラダを注文すれば、一寸多いですよと出てきたのが、直径25cm深さ20cmの大きなバケツに山盛りの野菜サラダだった。店長曰く当店の名物料理です。5人くらいのパーティー用だった。これに一人で挑戦したが、2/3を食べ尽くして降参した。牛になったようだ。後で、この店のことをHPで咀嚼しよう。
11月27日(水曜日)
またしても大雨
今まで決して大雨にあったことがない。(I have never heavy rain.)ところがどうだ、先週と今週と2度目だ。随分と雨に濡れる被害に遭っている。天から見放された気分だ。レーダーなどない大昔、このような季節外れの大雨がふれば、人心も揺らぐ。奈良から京都に都が移った時代が、丁度今のように異常気象が続いたらしい。天候は人の性格にも影響する。島根の人が暗いのはその所為だ。異常気象=食糧不足=生死に関わる問題。このような時代、天候は重要な問題だったんだろう。今は気分の問題になっているが。
11月26日(火曜日)
毎週土曜日の朝、洗濯をして、夕刻取り込むのは多くの人の日課だとおもう。私も同様だ。さて、ここからが少し違うところ。日曜日の朝、洗濯物全部にアイロン掛けするのだ。ハンカチは当然のことながら、下着から靴下、パジャマまで全て。以前インドネシアに出向している社長さんが、メイドさんに下着のアイロン掛けを頼んだらしいが(じめじめした雨が続くとき)この快適さが忘れられない。と話していたのを覚えていた。試しに自分でやってみれば、快適この上ない。それにアイロン掛け後の洗濯物はタンスにすっきり収まる。一度お試しあれ。
11月25日(月曜日)
貧相な幸せ感
今週も先週と同じだ。高知は小雨だったが、徳島は横殴りの凄い雨だった。車の中にいると何かがぶつかるような雨音がする。車ごと浮き上がるような風が襲ってくる。真っ黒な夜だと、きっと悪魔の存在を感じるだろう。あまのじゃくの私は、そうだ、こんな時こそ、自然と共に行こうと、暖房を最強にして窓を少し開ける。右肩と右目が雨に濡れる。下界の音をシャットアウトするよりも、窓が開いている方が気分がよい。暖かいエアコンの風があることが前提だけど。話は変わるが、最近のホテルは共同浴場があるのが多い。最近のビジネスマンはまぁ腹のでっぷりと出た人が多いことが目に映るが、それは、この話に関係ないから、置くとしよう。この風呂から外を眺めれば、寒そうにコートの襟を合わせて人が足早に通り過ぎる。コチラは裸で気分良い暖かな湯船の中にいて眺めている。こうした極端な対比が幸せ感を生む。ユーミンも同じ事をサーフ&スノーを書いた時に言っていたぞ。
11月24日(日曜日)
呼び出し
昼過ぎ友人からの電話が鳴った。ピンと来たのは呑むか食うか?の誘い。だが今回は少し違って、鰺が大量に釣れているので、「取りに来い」。と。ついでに喉が渇いた。と言う内容だった。場所はここから3kmほど東だ。500mlのビール6本を買って駆けつけると、なるほど良く釣れている。新米のKさんも目の前で黒鯛を釣った。Kさんも釣ることが出来ると聞いてはいたが、本物だった。その後鰺を一度に2匹も釣り上げるなど、なかなかの腕前となっている。僕も何度か釣れた後、竿を持たせてくれたが、魚を釣った感触が分からない。ビミョウに竿が揺れるのを時々感じる程度だ。T氏の指導で仕掛けを投げる所も体験させてもらった。投げた後、ものの10秒も経たない間に、もう引き上げろと言う。釣れているのだ。何と入れ食いと言うのだそうだ。何度かやらせてもらい、「おもしろいだろう」と念を押されたが、どうも僕の心に灯は灯らなかった。それに、釣れた鰺を針から外すときに、一回だけ鰺は泣くのだ。「キュー」。これを聞くと、海に放してあげたくなる。ともあれ、気持ちの良い風に吹かれて、時計が止まった。夕飯にこの鰺を20匹ほどもらい唐揚げにした。父がこれは旨いと喜んで酒を注いだ。
11月23日(土曜日)
一転して暖かい日差し
寒さも和らぎ、強い太陽が出てきた。食事の後、部屋に戻ると随分と暖かいを通り越して暑くなっている。窓を開けて風を通せば、すがすがしい初夏の感じ。Tシャツで過ごした。この感覚は、丁度今頃、沖縄に行ったとき味わった時以来だ。老後は沖縄でも良いとその時思ったものだが、高知でも結構その感じを味わえる事が分かった。これは時を過ごすビニールハウスを建てれば、もっと寒くなっても行けるぞ。同じ高知県でも昨晩訪問した須崎市はしんしんと冷える街だった。だがココ芸西村は、風が吹き抜けず、山の懐に包まれた暖かさがある。厳しいと言われる農家が、この芸西村には多く残っているのも、気候の所為だと思える。世界では異常気象が続き、温暖化対策の世界会議は旨くまとまらず、この先地球はやっていけるのだろうかと懸念があるが、芸西村は地球最後の楽園に近い残り方をするだろうと思うのだ。
11月22日(金曜日)
体が喜ぶこと3点
どうもいろいろと支障が出てくるのがこの年。そこで、面倒だがいろいろと試してみて、いい事は続けようと思っている。その一つが、ストレッチだ。近くの整形でもらった、腰痛のためのストレッチと言うパンフレットに掲載された柔軟体操を5分毎日繰り返していると、時々体がきしむような痛みが走ることがなくなったし、階段を登るのも何となく楽だ。元気が出てきた。もう一つは、アルカリの水を飲むこと。ペットボトルで売っている水にキリンのアルカリ水がある。酸性の体だと指摘があるので、せめて水だけもアルカリにと切り替えたところ、何となく調子がよい。これが二つめ。土日には、休むことが出来ない水仕事。とうとう右手の指が割れた。バンドエイドを貼るもなかなか直らない。思えば右手は酷使しすぎだ。そこで、ご飯を食べることからいろんな事を左手中心に切り替えている。ぞうきん掛けなどは、最初力が入らずどうしようもなかったが、今では左手で十分出来るようになった。これが三つ目。
11月21日(木曜日)
何と雪が
昨日まで降り続いた雨も今日はすっかり上がり、全域で晴れ渡った。だが、幾分寒い愛媛県の東予市に来ている。気持ちの良い日で、窓を開けて、暖房を強めにドライブすれば快適この上ない。見渡せば、山の上は白く化粧している。まさか雪ではないだろうと、望遠レンズで撮影し拡大してみれば、そのまさかだった。とんがった山は多分「石鎚山」だろう。去年も今頃、会津磐梯山でこの風景を見た。北国では当然の風景である。が、温暖な四国でこのような風景に、しかも今頃出会うとは何たることだ。早く、スノータイヤを装着しなければと思ったわけ。松山から高知に向かう三笠峠は5度の表示だった。ここはよく利用する国道32号線だ。
11月20日(水曜日)
お遍路さんの宿と残念
愛媛県土居町の旅館に来た。ホテルよりも料金は高めだが、夕食時にお遍路さんの話が聞けるのではないかと期待したのだが、「今日は生憎と誰も宿泊してません」とおかみさん。残念。毎晩2時間程度本をスキャンしているが、同時にカセットをデジタル変換して、PCに取り込んでいる。つまり音楽を聴きながら、スキャンしているわけです。ところが、どうもこのテープがわかめ状態なのか、音が息継ぎをするような再生で、しかも高域が急に大きくなったり、小さくなったりで、ちょっとデジタル保存には難しいなと思ったわけ。クローズドループのデッキだから、テープの状態には影響されないと踏んでいたが、どうもそうではないらしい。まぁテープを捨てるのももったいないから、このままどんどん録音していった。しかし変だな、全部のテープがこんなになっているなんて。今日の最後に、Walkmanでの再生はどうなのかな?と試みれば、何ら問題ないではないか!この重たいデッキも壊れたのかな?チェックしていると、Dolby-Cのスイッチが入っているではないか。OFFにすれば、すんなりと再生。MALTAも中島みゆきも、アンマレーも全て録り直しだ。残念。
11月19日(火曜日)
肥満への道を進む
昨日あれほど降ったので、今日は大丈夫だろうと思いきや、昨日と同じ天候。荷台に積んだ荷物の水をぞうきんで拭き取ろうとすれば、あまりの冷たさに、ぞうきんを落としてしまった。尾瀬に行ったとき、わき水で食器を洗ったが、あの冷たさがここにあった。手が切れそうな冷たさとはこのことだ。今週はこの雨で動きが緩慢になっているのに、誠に正しく腹が減ってゆく。朝一杯食べても昼の時間帯がくれば、空腹だ。いいことだが、これでは体に脂肪がついてしまう。せめて、昼だけは少なくしようとコンビニでパンを買うが、忽ち空腹を覚え、別の店でラーメンなどをたべてしまう。食べてはいけないと思えば思うほど腹が減ってくるのはなぜだ。次のタイミングでカロリーを落とそうと、丸亀食堂さんで、野菜のおかずを選択したが、この中に肉が隠れていて、しっかりとカロリーを摂取してしまった。警告ランプ。
11月18日(月曜日)
酷い一日
高知を出発するときは申し分のない晴天で、今週はいいお天気に恵まれていると喜んでいたら、何と徳島県に入ると途端に雨模様となり、香川県の白鳥付近で暴風雨となった。四国は小さな島国で、各県とも同じような天候なのに、この異常さは何だ?冷たい横殴りの雨が降り、今日は随分と雨に濡れてしまった。これが一つめ。そんなことで、大幅にスケジュールが遅れ、昼飯は午後2時過ぎとなった。いつも訪れる「さぬき屋」さんで、いつものわかめうどんを注文。ここのうどんは多めで、「小」の注文でも、他店では「2倍」の量と同じだ。この分だと夜は食べられないな。雨も凄いことになっているので、散歩で腹を空かすような運動ができない。イオンで、サラダとリンゴと牛乳を買ったが、この牛乳がくせ者で、きっかり1時間後にものすごい腹痛が襲ってきた。これが2つめ。ワオンのカードを無くしていたので、もしやと高松に来たときいつも買い物に行くイオンで尋ねれば、確かにそれらしき紛失物が上がっているが、「ID番号が分からないと、返却は出来ない」。8月に紛失したので、そのころのレシートなんか残ってない。チャージした4,600円を捨てることに。これが3つめ。最悪の一日。
11月17日(日曜日)
困った問題が起きた
カセットテープをHDDに取り込んでいる。テープの再生機器はWalkmanだ。だが、どうもヘッドフォンステレオの走行系は不安定で、テープが所々ヘッドに密着しないような再生音があるのだ。それで、今日は試しにカセットデッキに交換したらどれくらい音が変わるんだろうと。結果は月とスッポンの感じだった。デッキはクローズドループキャップスタンという高度なメカニズムで、もちろんテープの巻きムラなどを遮断してくれワウフラッターが非常に少ない。高域の繊細感も全然違うし、もうWalkmanに戻れない。しかしだ、このソニーTCK-555はカセットデッキの中でも大きなデッキで、重量も10kgを超すヘビーな代物なのだ。これを旅先まで持ち運ぶには、入れ物も含めて振動対策をすれば相当大げさになりそうなのです。さて、トラックの荷台は一杯の状態だが、どうしたものか?
11月16日(土曜日)
悠々と泳ぎますね
プールでおばあさんの人が話しかけてきた。「クロールの腕の掻き方はどうすればよいですか?」「腕を伸ばさず曲げて掻くのがいいようですよ」と伝えたが、泳ぎ方を見ていると、それ以前に顔の上げ方に問題がありそうだった。もう少しアドバイスしてあげれば良いのだが、女の人はすぐにいろんな身の上話を聞きたがるので、あまり近づかないのが賢明かも。今日は泳ぎの後、強烈な噴流水に腰を当てて、腰のこりをほぐそうとしたその時隙を突かれたような感じで話しかけられ、対応せざるを得なかったのだ。それで、仁義を欠いちゃ村では生きてゆきにくいので、この場合しかたない。僕が悪いとしよう。そんなことがあっても今日は気分がよい。友人がお酒を送ってきてくれたのだ。のんべぇがこれはうまいという酒が待っているのだ。晩飯に父と飲んだ。アルコール度数19度。きつい。しかしコクがあり、麹の匂いがプーンと漂ってまことに旨い。これは飯を食べながら飲む酒ではない。食事の後、酒を味わうためにある酒だ。もったいないので、一杯づつでお開きにした。親孝行できた。
11月15日(金曜日)
いささか厳しい寒さ
週末の午後7時半頃は芸西村のプールで泳いでいるのが日課として定着してきた。そのために今日は阿南市から芸西村まで196号線を飛ばした。144kmを3時間15分で駆け抜けた。途中デミオのスポーツタイプに追い抜かれたが、後は振り切った。直線距離がない山道は軽トラックでも十分対抗できるのだ。シャワーを浴びて、ベランダに出ると寒風が吹き付けてきた。痛いような寒さだ。ベランダでの柔軟体操は難しい。慌てて室内に入り、温水プールに飛び込むと、一番冷えている顔が火傷しそうだった。1,600mを泳ぐと肩こりもすっきりだ。体も軽くなる。水泳は私にとって全くの復活材だ。いろんな薬よりも良く効く。食事をした後、布団に横になれば、朝まで直行だ。
11月14日(木曜日)
ネットで買い物
カセットテープをHDDに取り込んでいるが、再生機器はWalkmanだ。オートリバースなので、反転時にビープ音が入る。これの削除の為に、音楽編集ソフトを購入した。オーストラリアの会社で7,000円くらいの価格だった。実際の価格は為替によるので、正確な価格は不明。購入に際しては、「消費税がかかりません」と、明記してあった。そうなのだ。海外からの購入は消費税が発生しないのだ。政府は今度の税制改革でこれにも課税しようと躍起になっている。思えば、今僕の関心のすべては容量はともかくとしてすべてがHDDに収まる。映像で18TB。音楽で2TB。書籍で2TB。写真で1TB。つまりこれらはすべて電線に乗せられるということなのだ。セキュリティーの問題を抱えるが、僕が外国に旅行に行ったとしますね。行った先から、回線具合が良ければ、芸西村にあるサーバーに接続して、まるでこの部屋にいるような楽しみが得られるのだ。と言うことで、電線を走る情報に価値がある時代となった。法体系は、この進化するネットビジネスに翻弄されつつある。所で、この購入した音楽ソフト(WHD)は、カセットテープの終わりの部分で突然音楽が終わってもフェードアウトできるし、2つの音楽を一つに結合できるしなかなか快適なのだ。編集の後エンコードが入り少し音が甘くなるかな?程度だ。
11月13日(水曜日)
東北は雪
NHKのニュースによると、北は雪。さっそく弘前の知人にメールした。朝雪かきを2度ほどして出かけましたと。雪かきをしないと出かけることができない程の積雪だ。関西で手のひらに乗る雪はすぐに溶け、重さを感じないが、北に降る根雪となる雪は量があり重い。それに雪下ろしをしないと、玄関のドアが開かなくなる。北は旅行に訪れる所で住むところではない。今日は四国も冷え込んだ。もうワイシャツだけで過ごすのも結構厳しくなった。愛媛県の大洲に行った。ここは盆地なので、寒さはどうか聞いたら、朝はとても寒いとのこと。川沿いは冷えるのを東北の北上川で学んだが、四国の川沿いも冷える。その上盆地なのだ。建物は冬用でないから、結構暖房をつよくしないと寒いだろうな。それでも東北のようにFF暖房機は販売してませんね。
11月12日(火曜日)
道徳の教科
昨晩NHKニュースで義務教育に道徳の教科を導入することが流れた、食堂のおっさんが、すかさず、言わはった。「まずは、先生の道徳教育が必要だろう」僕もこのおっさんに賛成だ。ホテルで修学旅行生とぶつかると、不幸だ。廊下で騒ぐからうるさいのだ。今や、秋の修学旅行は海外が当たり前だが、修学旅行生達と同じ便になったときは、地獄だ。先生は日本の恥を世界にさらす事に躊躇しない。修学旅行生はアジアの人々にもきわめて評判が悪い。そもそも多くの先生は公衆マナーを知らないから、学生たちに教えることができないのだ。先生たちにまずは、道徳とはどういうものかじっくり勉強してもらい、試験にパスしたものだけが、教職に残れる。まぁこれくらいの引き締めは必要でしょうね。生徒に教える前に。社会と接せず一日校内で教える立場として過ごすと、先生に限らず、人間は自ずととこんなになってしまうんだろうな。これは人ごとではない。知っている人だけに接し、生活するのは楽だが、自分をただすことが出来なくなる。嫌なことだが、知らない人接し、少しは自分の傲慢さ薄めるのは必要なことだと思っている。
11月11日(月曜日)
冬の曇り空
気分は空模様と同じだ。なぜなら、結石の爆弾を抱えて高速道路に乗るからだ。今朝は石が動いているのがわかるほどの軽い痛みが間断なく続く。頻繁にトイレに行きたくなるが、尿は出ない。マクドナルドでコーヒーの「L」を買った。水気は必要だろうと。馬立のインターチェンジで休憩をした。一歩の歩数が痛みを伴う。でも、かつての痛みとは違い、我慢できないわけではない。どうも今回の痛みは爆発しないようなのだ。そして、トイレ休憩を終えて車に乗り込むころには、急に痛みが引いていった。これで安泰なのだろうか?通り過ぎたのだろうか?わからないままに仕事に向かった。昼の食事までは、爆弾を抱えていることを忘れていた。そして、次のトイレに立った時、カランと音がして石が便器の中に落ちた。医者は石があれば、拾って来なさい。分析出るというが、まさかレストランの便器にかがんでお箸で拾うわけには行かないし、それに便器からはなれば水が自動的に流れ、肝心の排出物も流れてしまうのだ。とsいうことで、無事危機は脱した。冬の曇り空もいつの間にか晴天に変わっていた。万事良しだ。
11月10日(日曜日)
芸西村図書館
高知の雨は激しく、朝方から降り始めたが、10時過ぎには上がり太陽がでてきた。曇りの時がない誠に単純な天候で気持ちがよい。昨日は一日病院で、替えると食事の支度と、本の裁断が全く進まなかったので、今朝は早く起きてから作業にかかった。お正月までにはこの部屋の西側の書棚全てを裁断するぞと目標を立てている。大量の本を一気に減らしたので、鉄骨の倉庫だが、重しが取れたのか、階下のドアが少し開きにくくなった。鉄といえども本の重さは相当影響していたわけだ。まだ、今の倍以上の書籍があるので、更にバランスは狂うかもしれない。地震のことを考えると、書籍の処分はいいことだと思った。本を整理していると同じ書籍を買っている事に気がつく。一つは裁断だが一つは芸西村の図書館に寄付することにした。交渉に行けば、OKだと言う。余り多いと困ると言われた。まぁ捨てるよりはいいだろうとおもったからだ。この整理が終われば、図書館にある書籍もスキャンするつもりだ。コチラは裁断出来ないので、見開きのままスキャンするのだ。富士通から新製品でこんな便利なものが現れた。速度は遅いのですが。一日1冊程度なら問題ない。我が家のは、村の図書館よりも大きな図書館となるのだ。
11月9日(土曜日)
またもや
今日は母が透析に行きたくないとだだをこねて、父が大変。それとは関係なく、掃除洗濯、片付けをこなさなければならず、かまっておられない。その上、尿道が痛いしトイレに何度も行きたくなる。頻繁なプールや、一昨日の民宿の少し汚れた共同の風呂。病気をもらったかも知れないと病院に行かねばならないのだ。自己診断では、膀胱炎か尿道結石かと書いたが、医者は即座に結石だと判断。汚い風呂なんかでは膀胱炎にならない。近くの農協病院でCT(Computed Tomograph)を撮ってきてください。受付の女性にここは何処にあるのですか?と聞けば、すぐそこの四つ辻を左に行けばあります。行きましたよ、すぐそこの四つ辻に。ない。次の四つ辻にもない。結局ネットで電話番号を調べ、カーナビに打ち込んでから無事到着。田舎の人の、「すぐ」はずっと向こうと理解しなければならば。そうとは分かっているが、若い人だったので感覚に狂いはないだろうと踏んだのが間違い。診断の結果、3mm程の疑わしいものが見つかった。結石とは爆弾を抱えているような物で、いつ何時痛みが来るかも知れない。来たと思ったら、即時七転八倒だ。高速のトンネルの中では危険なことになるかもしれない。
11月8日(金曜日)
紅葉を眺めながら
高知からの往路は国道195号線のベフ渓谷を通り、黄色に染まった山並みを観賞した。復路は、国道55号線線を通り大歩危小歩危で、エメラルド色した吉野川と、白い巨岩の上に載った紅葉。四国の山間も冬の足音がスローペースで近づいてきている。イエローハットでスノータイヤの話を聞けば、吉野川沿いの人々は必要だという。高松に向かう道路に積雪があるとのこと。大歩危の気温は10度だった。確かに今から冬に向かうのに、もう冬の気温の先取とは。今日の締めは、いつものように芸西村の温水プール。熱いシャワーを浴びて、柔軟体操に外のベランダに出る。月が出てて、太平洋の海に光の道を作っている。高知といえども濡れた裸では、いささかつらい。早々に切り上げて、プールに飛び込む。瞬間はお風呂に浸かった錯覚があって幸せを感じる瞬間だ。1,600mを泳ぐと、もうその日は寝るだけ。
11月7日(木曜日)
お遍路さん
坂出市の旅館におじゃましている。5、200円で夕食と朝食があるのだ。国道から入り込んだ路地にこの旅館はあり、安風情だが周りの民家が防音壁の役目をして清閑なたたずまいとなっていた。気のいい女将さんとご主人に迎えられ、早速ご飯を頂くことにした。瀬戸内海で捕れたての「ハマチのしゃぶしゃぶ」。一切れは生で食べたが充分行ける鮮度だ。隣のおっさん(新潟)と、後から来たおばさん(京都)。それぞれはお遍路さんだという。そこで、いろいろとお話を聞くことになった。一日に5万歩。1万歩を達成するのがいかに大変か最近身に染みているが、その5倍。1200kmを走破するのに42日位を要するという。江戸時代交通機関がなかった時代、健脚の人でも、一日20km。相当頑張って40kmだから、コンスタントに30km歩くのはすごい。旅費は42万円だ。もっとも贅沢な旅がお遍路さんだと彼等は言う。ヨーロッパへの優雅な旅でもこんなしないよ。と京都おばさん。そして、一度はまると、もう一度行きたくなるらしい。宗教とは関係なく体が求めるとのこと。運動で脳内ホルモンが分泌され、気持ちよくなるのでしょうね。麻薬と同じような恍惚感が得られる。
11月6日(水曜日)
一年遅れですが
大型台風の勢力がいずれ900ヘクトパスカルを切ると一年前にご報告したが、今年はとうとうダメだったと先般書いた。しかしだ。とうとう来ましたよ。フィリピンに向かった台風30号は895ヘクトパスカルと猛烈に強いのが発生した。ずいぶん前に「地球シュミレーター」(スーパーコンピューター)がはじき出した気象予想は、間違いなく未来気象を当てているような気がする。秒速90メートルの暴風と言ってもピンと来ないが、時速320kmの風が吹き抜けてゆくと聞けば、どんな家も吹き飛んでしまうわな、と思わずにいられない。フィリピンにはFBで知り合った人が沢山いるが大丈夫だろうか。庭に背の高い椰子を育て、木陰の提供と、防風とを兼ねた家が多いが、今度の風は、椰子をなぎ倒してゆくだろうな。ついでにバナナの木も。朝食に安価なバナナを頂いているが、安価じゃなくなるかも知れない。多分地球温暖化どころじゃないだろう中国政府だが(不穏分子の退治のため)、このことについてもっとも真剣に取り組む必要があるだろう。この異常気象の半分は中国の責任だ。
11月5日(火曜日)
頭がすっきりしない日
前日に酒を呑んだわけではなく、良く寝た爽快感もあるのに、頭がすっきりしない。こんな事が頻繁ではないが、時々ある。こう言うときは直前の事をすぐに忘れてしまうし、何かをするために行動しているのに、途中で何のための行動なのかを忘れてしまう。喫茶店や食堂に忘れ物をするのもこんな時だ。キースジャレットの「生と死の幻想」と言うアルバムがある。1974年に録音されたアルバムで、わかりにくい演奏だが芸術度は高い。僕的にはC級評価だ。だが、頭がすっきりしているときには、この音楽が結構体に染みこんでくるのだが。今日のような日はまるで雑音だ。レコードからはいつも同じ音が出ているのに、これほど大きく受け止め方が違う音楽も珍しい。と言うか、最近僕の受け止め方のブレが大きくなってきたかも知れない。昔録音したカセットテープをデジタル化しているのだが、ホントに下らん音楽でも、取りあえずはデジタル化することにしている。何時評価がぶれるかも知れないので。
11月3日(日曜日)
芸西村動物園
東北の一人住まいと違って、コチラは友人がいるので休日が豊だ。その一人がβのデッキを持っているので、持ってきてもらったが、生憎と電源が入らずの故障だ。その後、昼飯へ突入。最近の昼飯はT氏がお気に召している、ヤッシーパーク内にあるラーメン屋だ。ここにネギ入りの鰹だしのラーメンがある。彼等はいつもこれだ。私は毎回注文を替えているが、焼きめしもなかなかの味だった。ビールも飲んで軽い宴会だ。この間にこの1週間の話題が聞ける。今週の話題は釣りの成果の報告と動物園の話。動物園は村営ではなく、私設だ。友人の家には狸や猫や、イタチなど様々な動物が出現し、どうやら近辺に居着いているようなのだ。まるで動物園化していると言う。先日は狸にばったり出くわして、目があい、しばらくお互い見つめあっこしたそうだ。裏山には私の家が近いのに、なぜ、T氏の家なのか?答えは簡単。釣り付きのT氏は魚の残飯を前の畠に肥料がてら捨てる。それを動物たちが狙っているとのことだ。そのうちにもっと違う新種の動物たちが現れるかも知れない。「芸西村のT氏の家に行けば食べ物が貰えるよ!」と動物新聞が発行されているかもしれないからだ。
11月2日(土曜日)
一週間のご無沙汰です
どうすればこんなに汚すことができるのだろうか?毎週台所を掃除するものの、雑巾が真っ黒になる。前は雑巾を洗っていたが、あまり汚れがひどいので、最近は100円ショップで買った雑巾を使いすてしている。東の納屋の階段には鼠が糞を落とすので、接着材のネズミ取りを敷いてあるが、この上に糞をしている。ネズミにおちょくられているような感じだ。納屋の倉庫はまるで泥棒が入ったように混乱している。毎週2袋と決めて不要なものを廃棄している。今日はその上に食器類が山と出てきたので、予定を変えてビニール袋7袋に詰めて捨てる手はずをした。食器類はガレージセールで10円程度で提供したいのだが、もう時間がないので捨てることにした。庭の松や梅も切って捨てたいが、オークションで無料提供し、どなたか貰い手がないか探るつもり。1週間るすにすると、元に戻すのに時間がかかる。その繰り返しだ。
11月1日(金曜日)
いつの間に景色を変えたんだ
豪華なブフェ形式の朝食をいただいたので、今日は昼飯抜きで、大洲〜須崎へ回った。朝方は寒いくらいの気候なのに、昼間の日差しは暖かを越して暑くて思わずエアコンを入れてしまった。四国の温度は関西などと比べてもそんなに違わないが、太陽が当たれば、事情は別で、焼けるような熱波が降り注ぐからだ。大洲から須崎への197号線は檮原を通る。ここは四国でも雪の多い土地で、東北並みだ。この沿線はもう色づいていた。東北と違って赤色は弱いが、黄色系は結構頑張って勝負できそうだ。それに緑との対比でいい感じに収まりそうだ。一年前の今頃、福島県の奥只見に宿泊したときはもうストーブを入れていた。そこの紅葉は見事だった。一応コンパクトカメラに収めたが、本格的なカメラに収める旅行を計画したいものだ。それまで、四国カルストのある檮原で練習を積むことだ。幸いこの車は4輪駆動なので、タイヤさえ冬用を使えば、そこそこ行けそうだ。
10月31日(木曜日)
ここまでやるか、伊予市
今日は愛媛県の伊予市に宿泊だ。松山市と隣り合わせなので、寝屋川市と枚方市のような感じで境目が分からない。ここに市の運営する宿泊施設がある。ネットで予約をすれば5,600円とある。駐車場は無料だし、特徴として夕食もついているのだ。おにぎり弁当程度かもしれないと予想はしたが、まずは経験だ。高松市の運営する高松テレサの朝食はおにぎり2個だけだったからそれなりの覚悟はある。松山インターから15分程度で到着する。広大な敷地に、ゴルフの練習や野球場を抱えている。障害のある方も働けるらしく、言葉の不自由な方に対応をいただいた。伺えば、食事はレストランで15分後に可能だという。早速お願いをした。その前に、荷物を2度に分けて運び込み、PCをセットしていると、おばさん二人が布団を敷きに来た(部屋は和室なのだ)。この人たちによると、このホテルは東京の会社が受託して運営するもので、市が直接運営するのではないとのことだ。時間が来たので1Fのレストランに降りると、愛想の良いこれまたおばさんが、僕の名前を書いてあるテーブルに案内してくれた。テーブルにはビールのアテの小鉢セット3品と刺身、地元「砥部焼の陶器」で焼く焼きものがあった。まぁこんなもんだ。と思っていたら、給仕のおばさんが、今からタイの兜煮とてんぷらをお持ちしますからと言う。この名物と言われる兜煮は結構な身があり、おなか一杯になる。それに味がよかった。てんぷらのおつゆ代わりにもなる。これだけの料理だからビールの1杯も飲まなければ申し訳ないと注文をすれば、おばさんはビールと一緒に台風の話題も持ってきてくれた。えぇ「そんなこと聞いてないぞ」と私。早速タブレットを開き調べると、フィリピンからベトナムに向かうようだった。給仕のおばさんに教えてあげた。この人大きな声でしゃべるので、タブレットがつばだらけになったのは、愛嬌か。さらにすまし汁と、ゆず入りのおそばが出てきて、一寸食べきれない状態となった。満足と満腹を提供していただいたホテルだった。友人たちにメールをしまくったのは言うまでもない。
10月30日(水曜日)
大阪にて
大阪はいい街だ。セブンイレブンがあるし、ヨドバシカメラもある。人がいっぱいいて少しだけ人情が残っている。うどんのおつゆはおいしいし、いなり寿司もそれなりだ。ミナミが一番だけど、キタの街も話題性がある。今日はゆっくりとタリーズのアイスコーヒーを飲んで出発だ。ここでは小さいサイズをShortと呼ぶ。量の表現だとlittleだろう。まだ、「S(small)」サイズと呼んでくれたほうがわかりやすい。日本の経済力は世界第三位。中国に抜かれたとはいえ、狭い国土で600兆円程の経済が動いている。英語が話せなくてもなんとか遣っていける市場がある。でもだんだんとグローバル化は進み、英語が浸透してきた。大阪といえども英語は必要だろう。それと大阪弁は騒がしい。いい意味で活気があるが、この20年間の経済停滞で賃金が下がってきて、大阪といえども活気が失われた。活気は名古屋にも抜かれた。残るはおばさんのおせっかいだけだ。若い子は東京弁を使うが、(四国も若い子から方言が消えた)おばさんは、まだ大阪弁だ。最後の砦だ。
10月29日(火曜日)
WindowsXp
仙台で仕事をしていたころ、この古いパソコンを使っている得意先を何軒も訪問し、立ち上がり速度の遅さにいらいらしながらも我慢して使っているオーナーを何人も見かけた。が、昨晩からお邪魔したKさん宅のPCも同様に立ち上がるまでに30分程を要する重傷だった。少ないメモリーと、ぎりぎりまで記録したHDD。にっちもさっちもいかない状態だった。数時間で手当てできる状況でなく、残念ながらお手伝いができなかった。PCはいろんな事が出来て便利な道具だが、いつまでも購入した状態でサクサク動くかといえば「No」で、かなり専門的な知識が必要なのだ。販売店も、メーカーもこのことについては、ほとんど触れてないので、普通の多くの人々の使うPCはこんな状態で使われているのだ。僕が時々使っているWindows95のPCなんか、この数十倍の速度でサクサク動く。買ったままの状態で使っているからだ。子供が卒業して時間が自由になった暁には、友人宅の家を泊まり歩き、PCのメンテをやって旧交を深める一石二鳥の旅行を計画したいものだと思っている。
10月28日(月曜日)
ファジー会
ファジー会は、大阪の友人たちともう20年前に立ち上げた旅行グループだ。その後メンバーの追加があり、分会ができて構成人員もそれなりになった。今日は大阪分会のファジー会をK氏の音頭で開催できた。大阪も高知同様に結構寒くなり秋も深まった感じだ。ファジー会の前に、少しだけ時間をとって、いくつかの目的を済ませた。ヨドバシカメラで@DATのクリーニングテープの購入。AオリンパスOMD-M1の操作フィーリングの確認Bソニーのミラーレスα7Rの確認Cパナソニック4Kテレビの出来具合Dオーディオ編集ソフトの調査。あわただしい時間だったが、セブンイレブンの無い田舎から出てきた人としては、非常に重要な調査だった。ファジー会は高槻の居酒屋で開催された。夏以降の再会だったが、頻繁なメールのやり取りがあるので、久しぶりという感じはしない。夜はK氏の家で宿泊。
10月27日(日曜日)
親孝行の為に
両親のために家を建ててあげる。これ本当の親孝行。しかし、僕にはお金がないし、住み慣れた古家もある。とはいうものの冬は寒い。やはり暖かく過ごしてもらいたい。そこで、家は建てられないが、両親の長年の仕事場だったビニールハウスを再建することにした。ビニールは既に購入した分があるし、ハウスの材料も揃っている。問題は、今崩れかけのビニールハウスをきちんと清算しなければ、新しいのは建てられないのだ。そこで、崩れかけのビニールハウスを解体することにした。これは前々から暖めていたプランだが、今朝方急に冷え込んで、寝ていても寒いほどだった。それで冬は近いと感じたから、ビニールハウスの建造を急がなければと思ったわけ。今日は、その1/6程を解体したのだが、腰が痛くて背骨が折れそうになってしまった。書籍の切り刻みもプールも断念して、これ一本に絞ったのだが、慣れない身にはつらい。ビニールハウスが完成すれば、高知は晴天率が高いので、多くの日中はこのハウスの中で暖かく、と言うか暑く過ごせる。
10月26日(土曜日)
台風一過
抜けるような晴天になる。2台の洗濯機を回し急いで洗濯。風があるので昼前にはからからに乾く。昨日65才の阿南市に住む定年後農業をしている人と話をする機会があった。農業は趣味の世界で、作物は全て近所とか友人にあげているとのこと。アマチュア農家が困っているのは鹿、猪、猿、モグラ。所謂獣害だ。朝出かけるとき室戸岬コースを取るときが時々あるが、この道で事故死した動物がだいたい4匹くらいコンスタントに見られる。一番多いのが、リスに似たイタチ。次に狸。鹿。猪と猿は交通事故に遭わないらしい。阿南でも事情は同じだが、阿南市は農業を営む人には申請をすれば、畠を金網で囲ってくれるらしい。そして鹿の捕獲量は15,000円とのこと。価格の相場は芸西村と同じようだ。老齢化で山奥に人が住まなくなり、50年くらい前に四国は杉や桧を一斉に植えた。それで山は動物たちが暮らすには難しい食糧事情となり、民家のほうに進出してくるらしい。彼等にとっては人間は悪の元だし、人間にとってもこれらの動物を害と感じている。
10月25日(金曜日)
室戸岬は通行止めに
今日は、室戸岬を回って帰る計画を立てていた。が、朝起きて雨量レーダーを見れば何と、野根から甲浦にかけての海岸線に赤〜紫の超豪雨マークが張り付いている。急いで道路規制のWeb を探索すれば、国道55号線や195号線など、徳島の南から高知に帰るルートは全て閉ざされているではないか。かろうじて問題のないのは、吉野川を上る192号線とそれと並行して走る高速道路が通じているだけだった。阿南市まで下った後だったので徳島市に引き返すにはもったいないと思ったが、ここは安全策をとって、きちんとした道を選ばなければと判断した。やっと芸西にたどり着いたのが5時過ぎ。波が高いとプールは中止だが、もう太平洋の波は収まっていて、プールも営業していた。暑いサウナに10分浸って、雨の残るベランダに出れば、冷たい雨が針のお灸のような感じで刺さり、肩こりが抜けていきました。今日は来場者も少なく、2.4kmをゆっくり泳ぎました。週末の水泳はことのほか気持ちがよい。
10月24日(木曜日)
いよいよ余波が来ました
時速70kmで車を運転していても、少し開けた窓から横殴りの雨が飛び込んでくる。外は風速20m/秒以上の風雨が吹き荒れているのだ。もういい加減にして風速の表現を時速に換算して表現したらどうだろうか!時速にすれば多くの人に風速の恐ろしさが実感として伝わると思うのだが。(アメリカはそうしている)それにしても、伊豆大島の市長は厚顔ですね。前回の大雨には「警報を出す必要がないと判断したと」言った舌の根も乾かないうちから、今度は本土に避難をさせると言う。素直に前回は間違ってました、今回は気象情報に従いますと言えば、すんなりと理解できるのですが。こんな人は台風で飛んできたトタン屋根にでも当たって死んで欲しい。前回の台風では3つの被害にあったので、今回は備えを怠らない。まずは浸水した旅行鞄だが、鞄の入れ物をすっぽりとビニールシートで覆った。籠の蓋を工夫するよりはコチラが効果ある。雨で動けなくなくなる前に食事。ホテルの食事は高くて食べ過ぎるので事前に食事を済ました。運動不足は、ホテルの展望浴場で泳いで解消した。
10月23日(水曜日)
賃金は政府が決める
政府のデフレ経済からの脱却は良いとしても、インフレで生活が厳しくなったので給料をあげて欲しいと、労働組合が企業の経営者に打診するのではなく、政府が企業に要求をするのはいかがなものかと。従業員は努力しなくても給料が上がり、生活が楽なる。これは絶対にあり得ないと思うのだ。いや、あってはならないことだ。ギリシャ、イタリアとかスペイン。このような国は怠惰な国民が、政府におねだりして結局は国全体がおかしくなった。アジアは政治が安定せず近年になってやっと成長を始めたが、先の3つの国は、アジアのように政情がわるくて国が発展しないのではなく、国民全体が怠惰になり発展しないのだ。それは、ずっと昔に栄華を誇った国で、国民を国がダメにしてしまったのだ。その道を日本も進もうと言うのか?一生懸命働いて、お給料をもらう。それが人間の基本ではないかと思っている私は古いのだろうが、歴史もそう言っているぞ。
10月22日(火曜日)
毎日夜が楽しみだ
昼間仕事をして夜になれば酒を飲む。そんな楽しみを持った人も多いのではないかと思うが、毎晩酒を飲まない私として夜の楽しみは、ニュースしかない。それが、今週は毎晩大きなニュースが続くのだ。それは台風だ。夕刻が近づくとそわそわする。高知の人は台風好きなのだ。じわじわと近づく台風は、毎日大きな話題を提供してくれる。今日は台風28号が巨大な勢力に育った話。私の予想は900ヘクトパスカルを切るのは昨年の筈だったが、今年になってもなかなかその数字は更新されてないが、とうとう905ヘクトパスカルまで来た。来年はいよいよ800ヘクトパスカル台に乗るぞ。地球温暖化の影響でスーパーコンピューターの予想する未来気候は、巨大台風が世界に4つか5つか同時発生すると告げる。香川県小豆島はオリーブ栽培で有名だが、どうやら地球温暖化で、ここでオリーブが育たなくなってきていて、栽培の地を三豊市(高松の西方)に移さなければならないとの事だ。稲の栽培は、高知も香川も昔の品種は等級が落ちて、鹿児島などで栽培している品種に既に変わっているという(にこたま)。話題を戻そう。それで、台風に備えて今日はパナソニックの防水懐中電灯を買った。LED電球になっているから、長い時間点灯できる。
10月20日(日曜日)
日本人は世界で起きていることを体系的に語れないのではないか
これは私の意見ではない。そんな大それた事を言い切れない。なぜ、そんな思いに至ったかと言えばこんな事情がある。私は毎週土日に本を切り刻んで、ウィークデーにスキャンする作業を繰り返している。作業は凄く安定してきて、週に100冊前後の能力だ。本を切り刻むには、本のカバーを外して、カバーは別に保管して、カラースキャンする。本体は、まずは表紙と裏表紙をカッターで切り離す。この際、著書の年月日を確認する。三笠書房なんか、本の命とされる発行日付が本体になく、カバーに記載されているから、注意しないと捨ててしまうことになる。次に、20〜30ページをひとかたまりとして、カッターで切り離しをする。最後に、本の裁断機で、とじしろ部分を切り離す。まぁこんな作業を行うので、切り刻む書籍は最低3度程度タイトルと著者を見ることになる。記憶力が衰えているから、個々のタイトルを覚えることは出来なくても、本のタイトルの傾向はつかむことが出来ますね。そうしてタイトルを俯瞰してみると、世界の情勢について書かれた本は圧倒的にアメリカ発が多い(もちろん翻訳物ですが)。日本発が少ないのだ。これはやはり作文能力云々より取材能力に差があるような気がしますね。昔でも今でも、世界的に通用するのは英語であり、アメリカ人は、取材に各国を訪問しやすいのだ。一方日本人は取材の前に、通訳の確保など手間がかかってしまう。私も通訳のお世話になって仕事をしたが、通訳はコチラの思いを充分くみ取ってくれないのだ。だから文章家は海外取材の場合どうしても腰が引けるのではないかと思う。塩野七生を除いては。
10月19日(土曜日)
先祖様
また、近所の人たちと飲む。先祖様は同じ先祖を持つ近所の家主が集まって酒を飲む会。誰も、そして先祖については知らないと言う。田舎にはこうした行事が多い。7月にも違うテーマで飲んだぞ。5軒が毎年交代で幹事を受け持つ。会費は1,500円。皿鉢料理3つ(30,000円)その他、料理をつくり、ビールは30缶。一人が5缶以上飲みますから。これが、田舎の飲み会だ。割が合わない収支でもある。話題は台風のことから始まった。次に、イノシシ猟と鹿猟。山林の若木をこれらの動物が食うので山が荒れるため、捕獲が推奨されているのだ。1万円以上の報奨金がもらえる上に、料理をして食べることができると言うのがもっぱらの評判で、今日はこれに話が終始した。そして、聞くところによれば、役場に捕獲した証拠の物件を持ち込んで証明とするとのことだが、市町村によってカウントが違うため、一頭の鹿で、行政区分をまたがると2頭分申請できる抜け穴もあると話していた。こうして夜は更けて行き、まぁ大きな声でしゃべるからのども乾くだろう。ビールのコップが回ってくる。日本酒と同じようにビールのコップを一気飲みして返杯しなければならない。日本酒ならまだ量が少ないので対応できるが、ビールはきつい。ぼろぼろになって、幹事の家を退散した。
10月18日(金曜日)
山奥の美人を全部集めました
高知県越智町にある喫茶店「屋根の上のがちょう」さんは、前回訪問して、おいしいコーヒーが飲める店と合格点を押した記憶がある。午後3時までモーニングがある意味不明のメニューもある。意味不明は高知の得意とするところだから気にしていけない。はりまや橋の前後の電光道路標示は「すまほはしのべちょき」とある。一般人はわからんだろうな。「カステラは売ってません」という車屋さんの看板もある。この店の名前は「長崎屋」。看板の色遣いは、「長崎のカステラの福砂屋」の衣装をそっくりまねてある。と、話はそれたが、この「屋根の上のがちょう」さんの前を通ったので、寄り道することにした。それに、今日は昼飯を食ってないのだ。PCを持ち込んで少々まとめ物をするのに丁度だった。チョコレートパフェを注文した。その時に気が付いたのだ。この店の審査基準は結構レベルが高く、普通の人ではまずは採用されない。美人度が高くなければならないのだ。だから、ずいぶんと広範囲から美人が通っているとのこと(推測)とまぁこんな理由で味は良いし、店の雰囲気も懐古風で、美人が居るので、中途半端な時間でもこんな田舎なのに客がいるのだ。それに伯父さんばかりではないぞ。若い女学生もいたぞ、彼女たちはケーキが目当てだ。
10月17日(木曜日)
ここまでやるか?
松山の道後温泉だ。友人から、「ゆっくりしたらいいがな」とメールをもらった。貧乏性の僕は、書籍をいっぱい抱え込んでホテルにチェックインした。フロントで手続きをしていると、2階がえらい騒がしい。何があるの?レストランです。いくらですか?1,500円。それに飲み放題がついてます!「えっ!」と絶句した私。食べ放題で飲み放題で1,500円。ほんとかよ。探検のため覗いてみたら、結構な料理が用意されているではないか。昨晩に続き今日も仕方なく、ブフェの食事をいただくこととなった。ビールはアサヒとキリンがあった。アサヒを飲んだが、どうもスーパードライではなく発泡酒のようなサーバーだった。でも文句はない。デザートの杏仁豆腐まであり、泊まりなれている方は、ビールを少しだけ飲んで、食事の方に重きを置いているみたいだった。当然ですね。意地汚い私はビールをしっかりと。その後スキャナーをして、いい加減疲れたところで、屋上に露天風呂があるとの案内だったので、まずはこちらを訪ねた。四国といえども夜は結構気温も落ちて風もあり、裸だと気分が悪くなるほど寒く感じた。洗いもそこそこに風呂に飛び込んだ。硫黄の臭いが少しだけ強い本当の温泉だった。松山の夜景を見ながら浸かりました。露天の洗い場はとても寒くて耐えられず、ガラスで仕切った洗い場で体を流した。とてもすっきりとする浴場だった。これだけのメニューがあって宿泊は4,600円だ。ほんとにすばらしいホテルだ。ホテル泰平さんだ。つぶれないで頑張ってほしい。
10月16日(水曜日)
素人でもわかる降水の被害
腹がもたれたまま五時前に目が覚めた。昨夜の食べ過ぎは眠りにも影響を及ぼした。それに、窓をたたく雨音もすごかった。国土交通省の雨量レーダーを開けて、台風の動きを探った。雨量レーダーは過去6時間ほどさかのぼれるので、昨晩の11時から始めた。すると、神奈川県の南で雨雲が張り付いているではないか。それに、降水を示す色も危険な赤色を越して紫色だ。これは被害が出てるぞ、と、NHKのテレビを点ければ、案の定大島で被害が出ていた。素人でも判断できる便利な情報があるのに、なぜ身の危険を感じなかっただろう。30mmの雨は高知でもよく遭遇するが、これでも雨粒が大きく自転車では雨が当たると痛くて走れない。それが30mmの雨だ。家の中にいても大きな音がする。ましてや100mmmだとなれば異常な音だ。これに誰も(住民も、市役所も)反応しなかったというのは、これこそ異常だと思わざるを得ない。
10月15日(火曜日)
台風の被害3つ
午後から雨になった。トラックの荷台に積んだ透明の収納ボックスに、明日の着替えとか身の回りの物を入れておいたが、蓋が割れていて、ガムテープで修理をしておいたのだが、そこから雨漏りをして、すっかり濡れてしまった。夏なら濡れたままでもOKだが、少し肌寒くなった今濡れた下着を着るのはいささか厳しいものがある。ホテルの風呂で乾燥させているが、水が滴り落ちるほどの濡れ方なので、如何ともしがたい。もう一つの被害は、スキャナーをするための書籍を同じく収納ボックスに入れておいたが、こちらも雨漏りがして、一番下の書籍が濡れてしまった。乾くとページがよれよれとなるので、果たしてスキャナーを通るか不安だ。三つ目は、この雨では、食料の買い出しに行くこともかなわず、宿泊先のホテルで食事となった。きれいなレストランで、ブフェ形式だ。この日は雨で動きが少なく、腹があまり空いてなかったが、食べ放題となれば、意地汚くいろんなものに手を出すから、結局食べ過ぎてしまったのだ。レストランの主人に、食べた量が分かるようにしてくれないと食べ過ぎる。と不満を伝えたが、みなさんそうおっしゃられますとの回答だった。
10月14日(月曜日)
今日も晴天だ
この部屋から海が見える。スリランカのホテルに宿泊したとき、こことおなじように部屋の窓から海が見えた。もちろん熱い国なので、窓を開けることはないので風は読めなかった。スリランカの首都コロンボ市の前にある海は、底が見えるほど透き通っていて、まだ海洋汚染が始まってない、かつて汚れたことのない綺麗な海だった。高知の海も同じく底が見えるが、こちらは人口減で自然浄化が進んだためだ。ここは窓を開けて風を感じることができる。ツクツクボウシも鳴き止み、モズとツグミが姦しい。今日は主にVHSのダビングとオープンテープのダビングを行った。やっとビクターのVHS機HM-HDS1の性質がわかってきた。初期のダビングは音のノイズが多い問題をかかえていた。このデッキは安定するまでに30分程度を要し、ヘッドのアジマスを手動で行い、しかもテープのはじめと、中間とでは調整を変えなければならない厄介さがある。だが、これを行うと画質は、42型のPDPで十分に見られるレベルにあり、音質は、カセットデッキ並みだ。やはりVHSの老舗だったことがわかる製品だ。オープンテープは、当時最高のカートリッジとアームとヘッドアップを使って録音したこともあり、音質はそっくりそのまま残されている。こちらはWAVで記録している。おだやかな昼間の風景だ。
10月13日(日曜日)
朝晩は寒いが、昼間は熱い
昨晩は冷たい北風が吹き、父の話によれば芸西村では、夜に西風が吹けば翌日の朝は冷え込むとの話通り、今朝は布団をかぶっても寒かった。この部屋は普通の民家と違い、鉄骨の倉庫に部屋を作ったようなものだから、外気の影響がもろに出てくるのだ。そして、昼間。ホームページ用の文章を打っていると、部屋の奥まで日の光が届くようになった今では、太陽が足に当たり、足がやけどしそうになる。空は抜けるように青く、海の潮は健康な黒色に光っている。こんな静かで穏やかな時があっていいものか?不安になる。まだどうしても、芸西に帰ってきてのんびりできるんだという気持ちの切り替えができなてない。まだ何かをしなければ、焦燥感に追われている。それで、寸暇を惜しんで書籍の切り刻みにまい進するのだ。そうやってとりあえずの仕事を片付けていると、気分が落ち着いてくる。貧乏性ですかね。
10月12日(土曜日)
とりあえずの長期計画
開けても暮れても、書籍の裁断とスキャナーの作業ばかり。1週間に処理できる書籍の数は100冊が限界。これを元に計算すると来年の8月に約4,000冊のスキャナーを終えて終了できそうな光が見えてきた。VHSからのBDレコーダーへのダビングは年内に終わりそうで、次はβからダビング。こちらは、友人から機械を借りての作業だ。これも約6ヶ月程度で終わり、その次はレーザーディスクからのダビングだ。たぶんこれは4ヶ月程度。カセットからのHDDへMP3規格でのダビングは来年の8月頃。東の納屋に収まっている家の家財の整理は来年の12月頃。つまり、15年のお正月から、この家の整理も大方片付き、趣味の世界にまい進できる目途が立った。この頃はカメラも夜の撮影が可能な機種が結構安価な価格まで下りてきている筈だ。4Kテレビも価格がこなれているだろう。プロジェクターは、いきなり4Kからの導入となりそうだ。
10月11日(金曜日)
誰も分かってくれない
7日の月曜日から、カセットテープの音楽をMP3に変換してPCに取り込んでいる。ソニーのラジカセ購入を考えたが、あまりにもチープな出来で断念した。それで、WalkmanからM3プラグでアダプターを介してPCのUSB端子に音楽を取り込むことにした。こちらのお値段は2,980円だった。75年〜92年までの音楽を順次とりこんでいる。昔の音楽はよかったと言えば、おじさんの回顧主義になるが、決してそうではなく、昔の音楽市場は6,000億円でずいぶんと売れていたのだ。(今は2,000億円程度まで縮小)だから、いい音楽は昔に多いことは事実だ。その昔の音楽を聴きながらPCのHDDにダビングしている。ホテルでコンビニ弁当をかじりながら、TVを点けるとストーカー殺人事件の痛ましいニュースが流れていた。僕の青春は寂しいとき、落ち込んだ時、勇気がほしいとき、いつも音楽に助けられた。音楽はちゃんと僕の気持ちを理解してくれていたからだ。だが、今の若者には、彼らをわかってくれる音楽が少ない。そう断言できるのは、それを買ってないからだ。売れる音楽は、大物アーティストと呼ばれる、80年代にデビューした人たちの編集ものだ。当然、今の若者は本も読まない(書籍の販売も激減)。世代の違う先輩の話を聞く機会もないだろうから(今や職縁の人間関係も希薄となった)、自分の中でだけで気持ちの整理をしなくちゃならなくなっている。理解者はゲームの中の主人公に自分を重ねるか、ネットの上の書き込みしかない。これじゃ、精神の持って行き場がなくなる。それが、結果としてストーカーとして行動に出たのではないかと思うのだ。やはり、プロの作曲家と作詞家が腕を奮わないと、いい音楽はできないということかもしれない。昔はよかった。
10月10日(木曜日)
台風一過の後は暑い
休憩に「コメダのコーヒー」店に寄った。名古屋のコーヒー屋さんはおつまみが出てくるが、コメダも名古屋出身だから、当然おつまみがある。いい風習だ。毎日毎日本を20冊ばかりスキャナーする。今は95年から2010年の間の書籍だ。スキャナーは初版の日付と、タイトルと著者名をファイル名としている。書籍は気の向くままに購入したが、それらをこうしてタイトルを年代順に並べてみれば、やはり日本がバブルの景気の後遺症を引きずって、奈落の底に落ちてゆくのがよくわかる。先日の日経新聞にミシシッピーで働く従業員の給与が3万ドルで平均を上回っている記事があった。働き盛りのアメリカ人の年間所得は300万円が相場の上なのだ。夢の国アメリカのなれの果てだ。そして、アメリカと同じように日本も庶民は貧乏になった。そして、犯罪が増えた。刑事小説は巧妙な犯罪になった。実際はどちらがリードしているかわからない程だ。結局日本も人種は違うとは言え、同じDNAを持った「人類」だから、先行しているアメリカ型社会に追いかけるように社会は変化してゆくだろう。安倍政権が景気を活性化させるという、四国はその恩恵がなかなかやってこないが、やがてじわじわと四国の景気も上向くだろう。そして、数値は上向き、この田舎にも景気の波が押し寄せてくるだろう。しかし、所得格差が広がり、数少ない高収入者が数値を上げ、多くの人は、物価上昇とともに更に貧困にあえぐことになる。これがアメリカ型だ。そうして我が家は底の生活で暮らすことになる。
10月9日(水曜日)
大山(鳥取県)
今日は私の頭がぼけていて、大切なモバイルルーターをホテルに忘れてきた(これで2度目)。それで、ずいぶんな距離を引き返した。だが、これがあったので、非常に貴重な話を聞ける機会に恵まれた。というのは、普段、高速道路を走らないが、今日は無駄な時間の挽回に、高速道路を通った。食事も昨日買った食パンの残りを高速道路の入野PAでかじるという節約を。でも、食後のコーヒーだけは売店で買って西条と新居浜(愛媛県)の街並みを見下ろすミニ公園ですすった。何と、そこには、三脚にカメラを構えておじさんがいるではないか。休憩の格好の話し相手だと思い声をかけた。このおじさんも、このカメラのことを話したくてうずうずしていたらしく、火に油を注ぐがごとく、話し始めた。長い話なったので、短くすると、ここから、鳥取県の大山が見えるというのだ。タブレットでシュミレーションした風景を見せていただいた。要は、大山からここまで、遮る山はないというのです。便利なソフトが出来たものだ。このソフトによれば、三重県から富士山が見えるとのこと。彼は、定年後のライフワークとして、大山をカメラに収めることを決めたそうだ。そのためにカメラも買ったとのこと。僕の定年後の話も聞いてほしかったが、あいにくと僕のほうの時間切れで、お別れした。この分だとまた再会する日もあることだろう。
10月8日(火曜日)
道後温泉
昨晩は道後温泉に宿泊した。素泊まり3,500円。6畳一間。だが、きちんと道後温泉のお湯は地下の浴槽に貯められて気持ちよく入ることができる。おかみさんが少々おせっかいなのは仕方ないとしても、くつろげる。食事はないので、紹介してもらったお寿司屋さんに出向いた。旅館の格からして、お寿司屋さんの程度も知れた。ところがである、何とこの店は、なかなかの高級店。ご主人が一人の旅人には話し相手になるというので暖簾をくぐったが、確かに祭りのことや、この辺の風習を聞けた。それに、学校を引退した先生も来ていて、愛媛県全体の祭の話も聞けた。どうして祭りのことかといえば、昨日は、この湯神社で祭りが執り行われ、みこしをぶつける壮大な祭りが開催されたのだ。愛媛県人は温和だと思っていたが、祭りに関してはどうもそうでないらしい。新居浜のお祭りもだんじりで激しいらしい。ということで、祭りを肴に酒を飲んだが、魚もそれに劣らずいい仕事をしていた。昔と違ってすべて自費の会計なので、途中で切り上げたが、旅館の女将さん、なかなか高級な店を紹介していただいた。当然、宿泊費よりずいぶんと出費をしましたね。
10月7日(月曜日)
半分正気だから、余計に腹が立つ
母のボケは40%程度がボケで、60%が正常。この60%に手をこまねいている。それは、40%の部分が支離滅裂だから、60%の正常な部分に接すると腹が立つのだ。もう話をしたくなる。お互い朝は早いから、炊事場で顔を合わす時から不快な一日が始まる。この感情は抑えようがない。だから、話さないほうが一番無難な選択だと思うようになる。老人の介護とは、体のしんどさもあるだろうが、我が家は心の問題が大きい。「トレイの神様」を歌った「植村花菜」さんは、おばあちゃんの格言を歌詞にしたが、人はなかなかこのように旨く老けてはくれない。我が家は、人のいやな部分を100%むき出しにして老けてゆくのだと知った。これはなかなかつらいものであります。逃避先は、音楽や映画や写真だ。
10月6日(日曜日)
畳が焼ける
ゴーゴーと鳴る潮騒の音で目が覚めた。ここは海辺から1kmほど離れていますが、高台だから、海の音は結構ダイレクトに届きます。台風23号は去ったのに、波は残った。24号の影響かもしれない。朝少し曇ったがすぐに太陽が出てきた。太陽も夏と比べると、ずいぶんと南に傾き、部屋の奥まで光が差し込むようになった。今日は南からの湿った風で温かいを通り越して、夏に逆戻りしたような陽気だった。窓を開けて布団をベランダに干した。太陽は部屋の奥まで容赦なく入り込み「畳を焼いた」。これ、比喩的な表現でなく、太陽の当たった畳の上を通ると、火傷しそうで飛び上がってしまった。夏の砂浜をはだしで歩いたとき感じたあの暑さです。高知の太陽は半端じゃないってことを実感しましたね。切って切って切り刻んだ書籍のデジタル化ですが、だんだんと作業が進み、この部屋の本箱の一つが空になった。捨てる生活を選択した私ですが、身軽になって行くのはホント気持ち良いですね。いっぱい詰まった時の写真を撮ってますから、何もなくなった時の写真と比較します。今日は畳のほかに、DVDも焼いた。VHSからのダビングのデジタル化です。VHSテープも残るところ後100巻に迫った。
10月5日(土曜日)
一転して大雨
昨日からは信じられないような悪天候だ。夜中から大雨となり、滝のようなのが断続的にやってきた。疲れているから夢の中で雨音を聞いたが、覚えているくらいだから、相当ひどかった。6時に一旦目が覚めてトイレに行ったが、この2mばかりの距離なのに、ずいぶんと濡れて、目がパッチリ。高知の雨は激しく、人の気性も激しい。日中も雨は降りやまず、洗濯物を干しに離れまで行く間に、洗濯機で絞った洗濯物がずいぶんと水を吸ってしまった。ラオスのビエンチェンで販売店の休暇につきあった。市内からずいぶんと離れたダム湖の畔にある、日本で言うところの海の家ようなことろでバーベキューのようなパーティーをした。その様子は以前に書いたことがある。今日はそこで働く小学4年生くらいの女の子の話だ。僕らの勝手気ままな注文を上手にさばき、母の作る料理をタイミングよく運びホントよく気のまわる女の子だった。僕らはここでビール20本近くを開けて休憩となったが、手の空いた彼女は、湖畔の店から、洗濯物を持って、50mばかり離れたおおきな廃船のコントロール室下の空間にロープを張ってある物干しに、洗濯物を干しに行った。普段は雨の少ない時期なのに、今年(2011年)は雨が多く、僕たちも当初予定していた川に蝶の撮影に行くのをまげてこちらにしたのだ。雨の中を傘もささずに洗濯物を持って店から出たのが印象深かった。雨の激しさはここもビエンチャンも変わらないので、そのことを思い出したのだ。
10月4日(金曜日)
一週間の締めくくりは何てたって芸西村温水プール
一日に10,000歩を歩き野菜中心の食事をして、塩分控えめ。と結構禁欲的な生活を送っているのだが、どうもこの10,000歩が連続ではなく、昼食時とか、コンビニに寄ったとかのチョイ歩きの寄せ集めで運動らしき実感がなく、ぶよぶよだ。そこで、今週の集大成としての水泳を芸西村の温水プールで実行するのだ。このプールは海水で、浮力はあるが水が重く、当初越してきて泳ぎ始めは水を切るのが大変だった。今でもバタフライは何日か練習を積まないと、突然ではちょっと難しい。そしてこれが、年を取った証拠みたいなものだと思っている。いつも19時半位から、1,600mを泳ぎミストサウナで腰痛体操を行ったあと上がるのだが、今日も例によって、いつものおばさんが追いかけてきて、私も我を忘れてヒートアップしたものだから、手持ちのエネルギーを使い果たしてしまった。「ピーマンとなす」しかない、芸西村にもこんな人がいるのだ。千葉でも、大阪でも、仙台でも大体500m位速度を上げれば振り切ることができるだが、今日はみっちり1,200mまで付いてきた。僕のエネルギーはフルスピードで1,500mなので危ういところだった。相手は若いとはいえ女には負けられないからだ。
10月3日(木曜日)
「日本一の蕎麦打ちに挑戦」
こんな看板を見かければ、入らないわけにはいかない。徳島県は「祖谷そば」と言う名物がある。昔高松の屋島の源平合戦で義経に敗れた平家は吉野川をさかのぼり、「大歩危小歩危」の、大歩危から山に分け入ったところの、祖谷(イヤ)と呼ばれる山麓に落ち着いた。気候はきびしく、耕す田畑も少ない傾斜地で、米は作れず蕎麦しか育たなかった。その蕎麦を打ったのが元祖とされる。今では、観光の一つとして饗される。その流れを汲んだかどうだかわからないが、吉野川沿いの美馬市192号線沿いのあるこの蕎麦屋さんは、こんな看板を立てている。老人人口比率では四国はずいぶんと高い平均値を誇っているが、この店もその域にあり、春日八郎や三橋美智也のカセットが流れる。あまりにも音楽が古すぎて、音楽通の私でも精一杯の理解で半分程度だ。釜飯とサル蕎麦セット890円を注文した。蕎麦はなるほど看板に掲げるだけありなかなかの風味がある。釜飯はすでに出来上がりのものを、蒸気で蒸しなおす調理で、もう一つだった。吉野川が一望できる店は夕日がなかなかいいとのこと。今度は夕日を見にこの店を訪問しよう。無口なおばさんと、おじさん2人が店を経営している。年齢を合計すると210歳は堅い。
10月2日(水曜日)
高松市を一望できるアパホテル
高松空港のすぐ近くにアパ空港ホテルがある。3500円で宿泊できる。四国は駅前ホテルより、こうした郊外にあり、車で泊まりに来るタイプのホテルが多くなりつつある。駐車場は広く無料だ。街の商店街はとっくに郊外に移ってしまったが、こうした施設も今後変化してゆくことだろう。ところで、もう一つ最近のホテルの傾向として、大浴場(そんなには大きくないが)を備えたホテルが多くなっていることだ。これは、湯の使用量が減るメリットもあるし、宿泊客としては旅の疲れが取れるのでWIN-WINの関係になる。そして今日は高台にあるアパホテルの11階が大浴場だった。屋島が遠くに霞んで見え、その←手前に高松市の灯が見える。最近は老眼が進み、眼鏡なしでも結構遠くは見えだしたのだ。大浴場は日本ならではものだから、日本人の先祖様に感謝しよう。タイのチェンマイにあるダラデヴィ―ホテル(なかなか良いホテルでお薦めです)に宿泊したことがある。一泊5万だった。ここの風呂はお湯を5色の光で照明する設備があり、ジャグジーもあるなかなか立派なお風呂だったが、何と浴槽があまりにも広すぎて30分経ってもお湯がいっぱいにならなかった。5〜6人は一度に入ることができるくらいのサイズだからお湯がいっぱいになれば、それなりにくつろぐことができたかも知れない。でも外気が風呂のお湯と同じ暑い国だから、まぁ風呂でくつろがなくてもいいのですが。
10月1日(火曜日)
沸々と湧いてくるオーディオ欲
ソニーからラジオカセットが発売される。カセットテープからMP3に変化して、SDカードに録音してくれる機器だ。これは待ち望んでいた機器でもある。なぜなら、700巻のカセットテープは、1m×180cmの本棚2本を占領しているのだ。書籍のデジタル化を進めているが、この本棚2本は困り者だ。家の窓をふさいでいるから。そこでこのラジオカセットの購入を考えたのだ。それで量販店で現物を見たが、あまりにも貧弱で、ノーマルテープしか対応できないのだ。一方私のカセットテープはノーマルテープがないのだ。ドルビーBも装備なく、これは残念ながら見送りだと判断した。ソニーのウォークマン20周年記念モデルEX20が手持ちであるから、ここから、PCへキャプチャーする方がまだましだと矛先を変更したわけだ。
9月30日(月曜日)
禁断の果実
子供達が大学を卒業するまで、僕の趣味は封印する誓いを立てていたが、どうも夜が寂しくて、とうとう禁断の果実に手を出してしまった。これからは自分を抑えることは難しくなりそうだ。どんな果実かと言えば、オーディオ機器の購入だ。ホテルでPCに入った音楽やDVDをヘッドフォンでなくスピーカーから再生するのだ。小さなPCスピーカーは4〜5千円程度で販売されているが、浴用石鹸箱の大きさで31,500円となれば、だれもが躊躇するサイズと価格です。それを乗り越えて買ったのが、BOSEのMusic Monitorだ。本当に小さいが、評判を知っているので躊躇しなかった。実際PCのヘッドフォン端子に接続して聞く音楽は、とてもこの小さなスピーカーから再生されているとは思えない迫力で、しかも、ボーカルはPCの画面中央に貼りつくような定位がある。次から次へとディスクをとっかえひっかえ聞きまくりましたね。一言で音質を表現すれば、「快感がある」特性的にはドンシャリだが、とても気持ちの良い音がするのである。音楽(音を楽しむ)の醍醐味を改めてかみしめました。
9月29日(日曜日)
ヤッシーパーク
ここから西に5km位行ったところにヤッシーパークがある。ガレージセールが開催されているし、飲食店もある。夏は海水浴場だ。ここにラーメン店が出来たので食事に行こうといつもの友から誘いがあった。11時頃迎えに来ると言う。靴下のアイロン掛けや布団干しなどを済ませ待っていたが、一向に迎えは来ない。しばらくしてから電話。今釣れ始めたから、釣っている所まで来て欲しいと言う。僅か自転車で5分だから全然問題ない。今日の釣果はサゴシと鰺だ。結構でかい。今晩のおかずにいただけると言う。都会の人には申し訳ないが、こりこりした臭いのない刺身をいつもながら頂いてますよ。さて話はそれたが、ラーメンの話。高知県の名産を活かしたラーメンで、鰹風味、ゆず風味があり、まずまずの味だった。他にも店舗あり、田舎ですが一寸無理して都会風の雰囲気が少しだけ味わえる所。しかし、人口が少ないので、採算に乗っているかどうか。その後プール。プールのベランダに出ると、裸のままでは一寸寒い風が吹いていた。もう海で泳げる気温ではなくなっている。慌てて屋内のプールのお湯に浸かりましたよ。所で、日本語では「お湯を沸かす」と普段何気なく使っていますが、よく考えるとおかしいですね。お湯は沸いているから、お湯と言うのです。英語では、boiled water と言い(水を沸かす)。これは英語のほうが正しいと思うのですが。
9月28日(土曜日)
いつものことだが
一週間の片付けものを今日行う。掃除洗濯の他に、芸西村の指定ゴミ袋に最低2つは満杯になるように、いらないものを捨てている。今日は高校時代に住んでいた部屋に行った。靴のまま上がらないと、ネズミの糞で歩けない状態。よくここまで放置したもんだと、あきれる。両親は後始末が出来ない上に高齢で、体が動かなくなったから、このような状況となった。とにかく古いが家屋は広いので片付けには相当な時間が必要だ。これら余計なものがなくなれば、なかなか雰囲気のある田舎の家となるのだが、楽しみは先に取っておこう。今日は祖母の33回忌のお祭りが近いので、座敷を掃除した。うっすらと白いホコリが積もっている。何にも置いてない部屋だから、ロボット掃除機が活躍しそうだ。昼過ぎに雑務から解放。本の切り刻み作業に移行した。最近は高速スキャナーを持ち歩いているから、1週間で100冊程度の書籍がスキャンできる。逆に言えば100冊の本を土日に切り刻んでないと翌週に支障を来すと言うわけだ。午後9時まで頑張って指が痛くなった。その甲斐あって、今住んでいる部屋の物置は空になり、ここに使えなくなったPCなどを収納できるので、この部屋(私的には書斎)の雰囲気が変わり始めた。CD以外は全て捨てるつもりがやっとカタチとして現れてきた。
9月27日(金曜日)
徳島県のブドウ
東さぬき市から、徳島県の吉野川沿いに広がる鴨島に通じる道路を走った。山越え。冬になれば一寸やばいかなと思わせるような高いところを走る。この徳島県側には道中にブドウ販売の看板が見える。それと同じくらい「たらいうどん」の看板も。まぁ徳島県の食事は旨くないので有名だから、この看板を見ても全く食指が働かないが、果物は先週書いた梨の例もあり有望株だ。この内の一軒だけ覗いた。今年はこんな山奥でも昼夜の寒暖差がなく、ブドウの色が付きにくいと嘆いていた。そういえば、昨年の今頃八甲田山系の山奥のりんご園で、同じような農家の嘆きを聞いた。地球温暖化ははっきりと人為的なものだと、国際機関は決めつけをした。農家は栽培の難しさを嘆いていた。でも、これは奥さんの話。実際は旦那が苦労しているのだが、しっかりとした農家はだいたいが奥さんが切り盛りしてこのように話してくれる。そういえば、昨年訪問した電気屋さんも、奥さんのしっかりしたところは、栄えていたぞ。話を戻そう。このブドウは今が旬で出荷時期を迎えている。箱に詰める時に、こぼれたブドウをいただいたが、なかなかの美味だった。今日も仕上げはプールで1200m。
9月26日(木曜日)
今日は一転して寒い一日。高齢化が進む四国では、こう寒暖差の大きな日が続くと行ってしまう人も増えるでしょうね。寝てて身震いして気が付き、あわてて布団をかぶるような寝方しかしてない私としても、いつまでこんなことができるのか不安だ。最近腰痛体操を始め、ついでに、筋肉のストレッチを行っています。寝る前の10分間ですが、体を伸ばす運動を布団の上でするわけです。年を取るといろいろと付帯事項が増えて、思いつくままの行動が出来にくくなっています。もうすぐ何かの薬を飲むようになれば更に思い荷物を背負って生きてゆくことになりますね。寒いのは嫌だと思いながらも、長野県が一番の長寿県ともなれば、寒さも長生きのためには必要と言うことなのかな。と複雑な思いです。
9月25日(水曜日)
昨日はまだしのぎやすかったのに、今日の気温は何だ?と思わせるような茹だる暑さ。8月は2リットルのペットボトルを毎日1本空けていたが、今日も1本行きました。彼岸花も峠を越して、赤い花が日に焼けて白っぽくなり、一つの季節が通り過ぎた感があります。台風も避けてくれたし、今週は興味をそそるニュースは途切れたかと思っていたら、何やらカメラ業界が騒がしくなっていることに気が付きました。台風の目はオリンパスのOM-D-M1です。少し前、パナソニックからGX7が発表になり、いよいよ本命が来たか!と思っていたが、もう一つ上が出てきました。ソニーからは1インチサイズの裏面照射センサーを搭載したカメラが出て、興味の焦点をどこに当てたらよいかの迷ってしまうほどにぎやかです。ここでもしEOS7Dmk2などが発表になれば、ほんと私の頭は混乱の極みに達するでしょうね。
9月24日(火曜日)
奥道後温泉
須崎から大洲を抜けて松山まで240kmを走り、奥道後温泉にやってきました。道後温泉は、少し騒がしいのと、車から荷物を移動させるのに多くの旅館が不便であるため、自由の利く奥道後温泉を選びました。和室のこじんまりした部屋でしたが、お湯はすごいの一言。いわゆるぬるぬるのお湯で、上がると肌がすべすべ。お風呂の中で本を読んでいたら、腰から滑って本と一緒に頭から湯の中に浸かりました。それほど潤滑豊富なのです。幹線道路から5分ばかり入り、更に道が分離して、民家の中にたたずむ、「清里フォンテーヌ」さんでした。おかみさんが、なかなかの美人でして、朝飯の時会うと一段ときれいでして、朝からいい気分でしたね。ここまでが良い話。悪い話は、布団がくさかった事。足の裏の臭いです。気にかかり枕に頬を付けて横向きに寝られなかったことだ。
9月22日(日曜日)
切って切って切り刻んで
書籍のデジタル化の基本がこれだ。指が痛くなるほど本を切り刻んでスキャナーに通す。一週間に100冊がせいぜい能力の限界ですね。まだこの先1年程はかかりそうだ。デジタル化の後は円盤化だ。バックアップにBDを利用していたが、焼くのに余りにも時間がかかり過ぎる。それでDVDに焼くようにした。東南海沖の地震が来れば、この家はひとたまりもなく崩れてしまう。一部の本は残るかも知れないが、地震の後では本の整理どころじゃないはずだ。それで、早くこの作業を終えなければならないのだ。バックアップの円盤は、旧くなった冷蔵庫に保管しようと思っている。これなら、湿気の問題も解決できるし、家屋倒壊の圧迫などの問題もなんとか箱の形態を保てるだろうと思っている。毎週この作業に追われていると何でも切り刻んでしまうようになった。今日の夕食も芸西村で取れたわかめを湯がいたのを料理した。まず鰺の出汁ジャコを切り刻み、ごまをすりつぶし、わかめを切り刻んで油で炒めた。お醤油をかけて仕上げ。父はこんなわかめは食べたことがないと喜んだ。切り刻む副作用がいい目に出た。
9月21日(土曜日)
観月の宴
再び昨日の浜辺。今日は芸西村あげてのお祭りだ。「村の鎮守の神様の今日はめでたいお祭りだ」。形を変えて現在風のお祭りが開催された。小学生の吹奏楽団。芸西村の雄志の楽団。室戸からやってきた太鼓の演奏。香川県三豊市からも太鼓の演奏。芸西村農家の若手がパーカッションの演奏を。と続々とイベントは続く。僕は友人を誘って、このイベントに駆けつけた。ビールはクーラーに10本準備した。まずは感動です。芸西村でもこんな秋のイベントがくめるなんて。そして役場の職員ですが、司会を担当したのですが、彼女が終始一生懸命で、プロのなめらかな口調よりも更に深い感動がありました。惜しむらくは、写真家のために「バックのついたてがもう少し高ければ、出演者の首をパネルが切らないのですが」と友人に告げると、友人は早速村長さんに後50cmばかりあげてくれと頼んだと、後で言ってくれた。最後はなんと芸西村の歌が披露され、キャラクターの人形が登場したのでした。この歌がなかなか良くて、田舎も捨てたモンじゃない。文化もこじゃんとあるきにと思いましたね。同級生にも会った。幸せそうで孫を見に来たと言っていた。
9月20日(金曜日)
中秋の名月
昨日は秋晴れで全国で大いにお月さんを眺めて大いに酒を飲んだことだろう。私はスキャナーで取り込みに忙しく、逃してしまったが、翌日にチャンスはありだと考えていた。週末はプールで一週間の汗と疲れを流すよう定例化しているが、今日はその浜でお月様も眺めた。この浜には坂本龍馬とお姉さんと妻が寄り添って立つ銅像がある。それを横に配置してお月さんを収めた。「14番目の月」一つ欠けた方が良いとユーミンは言う。あまり違わないので、写真には関係ないだろうとは私の説。とりあえずデジタルズームを使ってアップも撮った。お月様のウサギを撮るにはスポット測光を使わないと陰影が撮れませんね。1,200mを泳ぎくたくたで眠りについた。
9月19日(木曜日)
地球温暖化
友人の京都府に住む友人から電話があった。「お見舞いの電話がないね」。この友人はどうも僕の感覚としては大阪人なのだ。大阪の被害には敏感だが、京都はノーマークだった。そして、この友人曰く、「私の家は京都府だが」。「え!」と私、絶句。友人「これや!」。まぁこの人の家は歩くにしてはしんどい丘の上にあるから水害には問題ないのだが。彼が監督を勤める少年野球少年たちの家は被害を被ったようだ。そして河川敷のグランドがすべてだめになったとかで、甚大な被害があったようだ。それを知らずして、電話があったときは定期連絡のように、「元気?」とやってしまったのだ。弘前に住む知人にはキチンとメールして安否を尋ねたのですが。失敗の巻きでした。ちなみに竜巻に関しては、高知県の東部(つまり芸西村の近辺ですが)が日本で一番発生率の高い地区だそうで。関東よりは更に厳しい環境下にあることを初めて知りました。地球温暖化の影響で台風は来なくなったが、別のものがやって来始めた。
9月18日(水曜日)
梨
鳴門市は梨の産地だ。今年は梨をたくさん食べた。昨年はリンゴだったが。沿道には農家が梨を売っている。この梨は規格外だが、味は同じだから、僕としては大変気に入っている。農家で育った私は売り物は食べることはないが、売り物よりもおいしい規格外品を食べていた。おいしいというのは鮮度のことですが。いわゆる堅い野菜ですね。だから、規格外の農産物は気にならない。それよりも鮮度が重要だと思う。スーパに並ぶ野菜はどれもしおれて柔らかい。役目を終えた老人のおちんちんのようなキュウリ。お婆の乳のようなしおれたほうれん草。話を戻そう。鳴門でいつも買うのは同じ農家だが、ビニール一袋に梨が6個。これで300円。「ここの梨は特別に旨い」などと、奥さんに一言言えば、黒ずんだ梨をもう一個くれる。黒ずみは太陽に焼けたので、決して味には関係ないのである。このおいしい梨も今週がお納めらしく、これから「新高」になるという。新高は大きく大味で価格が高い。今年はこの梨を大量に食ったというのは、ジュースにしていただいているからだ。梨とキャベツとスダチ。この3点の組み合わせは絶妙の味ですね。大阪でもできるが少々高くなる。
9月17日(火曜日)
晴れ渡った太平洋を見ながら室戸岬を回る。室戸岬から阿南市までは大きな街はなく、むしろ人口減少地区。それで、とても海はきれい。話は変わりますが、車であちこち行くと、昼時にコンビニで弁当を買って、そのまんま車の中で食べている人をよく見かけますね。大阪など都会では仕方ないことかも知れませんが、こと、四国については、それはあまりにも寂しい出来事ではありませんか?と言うのが今日のテーマ。
四国の街は殆どが海に囲まれています。もしくは大きな川が近くを流れています。コンビニで弁当を買うのは良しとしましょう。僕もよく買うのだ。安くて待たずに買うことができる。しかし、コンビニ弁当は旨いかと言えば、そこそこですね。でも、この旨くない弁当をおいしく頂く方法があるから紹介したい。しかもそれはほんの少しの努力で実現できる。調味料は不要。まず、カーナビを広域に表示に拡大する。するとすぐ近くに海岸があることがわかる。次に、そこまで車を走らせて、風に吹かれて弁当を広げる。これだけで、弁当の味がワンランクアップする。誰もが間違く評価を上げてくれる味付けだ。と言うことで今日は内妻海岸で昼食を取った。黄色の砂浜に透き通った青い海。それよりも更に深い空。波は10cm。両側から湾を抱きかかえるように迫る山は濃い緑。絵の具の色は少しで良い。まだ太陽は強いが、気持ちの良い風にはもう秋の匂いがある。まさに、老後の静かな時間である。
9月15日(日曜日)
台風18号
夜中にザァ?と断続的に雨がやって来る。いい調子だ。まだ風はない。明るくなって起きると雨は止んでいた。何だか明るくもなっている。海の音も聞こえない。早速プールの支度をして出かけた。このプールは、台風の波を直接受けるので、あまり大きな波が来れば閉館となる。熱いサウナで体を焼いて、雨の降るベランダに出た。今回の台風の波は「弱」で砂浜を走る波もずっと沖の方で消滅だ。チョット残念だが、台風の波を芸西村で見られるのが嬉しい。金曜日に1,200m泳いだから、今日は体が軽く2,400mを一気に泳ぎ切った。不思議なことだが、このあまりにも激しい運動の後は返って体が軽くなる。最近マッサージ機ファミリーの販売の人と親しくなって色々と話を聞くが、何と身体の固い人が多いことか!と言っていた。この業界の人には申し訳ないが、僕には無縁の話だ。国土交通省のレーダーでは、もう雨の峠は越し、夕刻には晴れるかもしれない。埼玉あたりが、ずっと赤マークだ。多分被害が出ているのでは。
9月14日(土曜日)
洗濯と掃除に忙殺
いよいよ待ちに待った芸西で台風を待ち受ける日がやって来た。まだ雨の降らぬ間に掃除と洗濯を済まし明日に備えなければならない。それに祖母の33回忌がもうすぐやって来るので、座敷や客間の掃除をしなければならない。普段使わない田舎の家は広くて掃除も大変だ。その前に脱ぎ散らした父母の洋服を片付けなければならない。何ともはや大変な事態である。その上今日は蒸し暑く汗が滝のように流れた。並行してBDに撮りためた番組をBDにダビングしたが、TDKのLTHは時々読み取りにミスがあり録画できなかったりして、ストレスは最高潮に達した。夕刻早い時間に夕食の支度をして、父と晩酌。今日は新潟の「ふなくち菊水」を振舞った。「これは美味い」と評価。ワンカップで260円もするのだ。その後梅錦の山灰仕込み。これは淡泊で先ほどの濃厚な酒に比べて最初の一口は水のような感じだった。そんなことで、結局この日は酔いすぎて疲れもあり、本の切り刻みは出来なかった。
9月13日(金曜日)
川之江〜高知への県道5号線
名峰、笹ヶ峰1,855mを越える道路である。芸西村にも山の奥にある集落「九重」に行く道があるが、それよりも酷い道が、この県道5号線だ。道中の頂きからの風景は勘ですが、800mくらい。この坂道を抜けるのに45分も要した。高速道路の高知道を走ると、笹ヶ峰トンネル4.3kmがある。時間にして3分位で通過する。山道の運転は、対向車以外に、突然出会う、大型動物に注意だ。鹿や猿なら問題ないが、子連れの猪や、熊はやばいことになる。と、まぁこんな道を駆け抜けたわけです。山里と言うか、大きな山に挟まれた小さな集落「立川」があり、国宝級の建物が保存されていますが、近くを高速道路が通過するもだから、この彼岸花の咲く、静かな古里が騒音に包まれているのだ。高知道はよく利用するので、申し訳ない気持ちになった。夜、芸西村のプールで一週間の疲れを流した。おばさんの追い上げがあって、必死で振り切った。無理なんかする必要はさらさらないが、おばさんに負けるわけにはいかない。1,200m。
9月12日(木曜日)
Unbalance
高松は栗林公園の背後にそびえる小高い山にある旅館に来ている。修学旅行で宿泊するような旅館で、共同浴場、共同便所(ウォッシュレットなし)。当然のごとく学生が多くうるさい。6畳の和室をあてがわれ、価格は5,250円と安価。とここまで書けば、よく、そんなところに泊まれるな!なんですが、窓を開けてびっくり。山の斜面に縁りつくばるような建物は、高松市内が一望できるのです。部屋には昼間の眺望写真があり、正面には屋島や小豆島が見えている。ここは森の中にある家って感じです。街の騒音は眼下にかすかに聞こえる程度で、なんと申しましょうか、満足度が高いのです。ここに原稿用紙などを持ち込んで小説を執筆できたらいいな、と思わせる雰囲気があります(小説など書けないが)。盛夏の頃はたぶん蝉しぐれでしょうね。私と言えば、外見はビジネスパーソンですが、100円スリッパに軽四輪トラックで労働者風と、これもいかにもバランスが悪い。手の指が痛いことを報告したが、どうやら夕食に牛乳を飲むと痛みが和らぐようです。夕食にビールと牛乳を交互に飲んで夕食です。これもバランスが悪い。よく考えてみれば、私は、なんだか全てにおいてバランスが悪い。バランスの良い友人たちばかりなので上手く関係が回るかも知れない。
9月11日(水曜日)
Manual
書籍のスキャニングをして、私の持つすべての紙物を捨てようと思っていて、毎日スキャナーをかけているが、単純作業なので退屈をする。目先の環境を変えて、少しでも退屈感を和らげようと、マクドナルドで作業をすることにした。ここなら冷房もあり、飲み物もあり、おまけにガラスの向こうには景色も見える。PC持ち込みは当たり前でも、PCとスキャナーは従業員にとっても初めてらしく、注意はされないが、様子を見に従業員が何度も清掃にやってくる。店長らしき人も清掃に来た。なるほど、これがマニュアル化された危機対策管理というやつだと思いましたね。だが、1時間ほどで何事もなく終えました。そういえば、楽天でソニーのラジオをジョーシン注文したのですが、結局送られてこなかった。こちらは、「楽天ポイントを使用する」にチェックを入れて発注した。その時点では、私の持つ楽天ポイントが「0」になったが、今では元のポイントに戻っている。ジョーシンは楽天ポイントを使用されるのなら、「売らないがまし」とこれまたマニュアルにて判断したのでしょう。世の中はマニュアルばかりだ。ちなみにマクドナルドでスキャンした書籍は、たまたまAdobeのPhotoShopなどマニュアル本ばかり20冊だった。
9月10日(火曜日)
My Best
TVではオリンピック招致の話題ばかりだが、オリンピック選手にとって自己記録の更新は結構重い課題である。自己との戦いとはよく聞く言葉である。iPhoneのソフトウエアに、What a wonderful life!(なんてすばらしい人生だろう)があり、日記のように日めくりで、自由に書き込みができるソフトがある。これに、毎日どこに行き何をしたのか書き込んでいる。今日は大洲〜松山〜西条と移動した。前回も同じコースで移動したことがあるので、その時の記録を比べてみると、前回もなかなか素早く移動している、なかなか記録(時間)を越えられないですね。結局ホテルに着いたのが前回と同じ時間となり、記録の更新はなしえなかった。年と共にいろんなことができなくなり、行動は1点の単純なものばかりに絞っているが、そうであれば無駄がなく詰められる時間も少ないということになるのかな、と思いましたね。
9月9日(月曜日)
A leaden leg(鉛の足)
金曜日は疲れて、一週間の締めくくりである水泳ができなかった。土曜日は食事を作らなければならないのでプールに行けなかった。結局先週は日曜日に2.4kmを泳いだだけだった。するとどうだろう!久しぶりの運動のせいなのか、今日は疲れが出てきて箸を持つことも、一歩を踏み出すこともものすごい負担を感じてしんどい(まるで鉛の足だ)。かと言って眠いのか?十分足りてます的な感じ。何にもしたくないのだ。泳ぐときは昔とそんなに変わらない速度で航行でき年齢なんて関係ないよ!と言いたいところだが、その後の回復ぶりは明らかに加齢が効いてます。「老体にムチ打って」の言葉がぴったりの一日でした。あまのじゃくな私は、そんなにしんどいなら、もう一度プールで泳げば、と出かけてゆきました。ゆっくり泳ぐつもりだったのに、今日に限って後ろから追いかけてくるおばさんがいて、僕的には結構ピッチを上げたのでした。それでおばさんを振り切り1.2kmでプールから上がった。そして寝るときにはThe body became cotton.(今度は体が綿になった)
9月8日(日曜日)
ツクツクボウシの鳴く頃
この文章は毎週日曜日の午後、海の見えるレストランで書いている。書きあぐねて目を上げれば、遠くまで広がる太平洋が円弧を描いて広がる。坂本龍馬がこの海の向こうに何があると言った海だ。その後プールで2.4km泳いだあと、今度は、海の見える松林の中にあるベンチで仕上げを行っている。自然が一杯で極めつきの豪華な書斎だ。もっぱらiPadを使っている。この存在は大きい。今週はドイツのハノーバーでエレクトロニクスの展示会が開催されていて、その記事はインターネットで見ることができる。興味のある部分は、切り抜きをしてワードに貼り付けて保存している。これもiPadで出来る。日経新聞も、その記事のテキスト部分の取り出しも全てこれ一台で可能だ。チョット話が逸れたが、この豊かな自然の中で、こうして静かな時を過ごせるのは、何だか申し訳ない気がして、何時までこんな裕福な時間を過ごしていいのだろうかと、逆に不安の方が大きくなっている。誰かに相談して、大丈夫だと確信を得たいような気がするのだ。つくつく法師が鳴いて、不安を一層かきたてる。そうか、定年を迎えるというのは社会(会社)から切り離されるということが、始めて実感として身にしみるようになってきた。身体をすり減らすような厳さがあるもののバリバリ海外出張していた頃が懐かしい。戻れと言われれば今すぐにでも復帰したい。準備は出来ているのだが。
9月7日(土曜日)
カセットのデジタル化
ソニーからいろんなおもしろ商品が発売されそうだ。スマホに接続するコンデジなんか、なかなか興味深い。そして10月に発売されるラジカセは、カセットをSDカードに移せる。なぜ、こんな商品が今までなかったのか。700巻もあるカセットがデジタル化出来れば本棚一個が空く。離れの家の窓を塞いでいる本棚を捨てることが出来る。来夏はもっと涼しく過ごせるかもしれない。書籍のデジタル化が一週あたり100冊のベースに乗ってきた。とにかく紙は全て切り刻んで、スキャナーにかけている。気持ちのいいくらい書籍が減っていく。昔、寮に住んでいた頃、読んだ本を積み重ねるのが一つの満足だった。今月はこんなにも読んだぞ!それがいまではどうだ、今月はここまで減らしたぞと変わっている。持ち物は全てHDDの中に収まろうとしている。バックアップはBD-REだ。
9月6日(金曜日)
北川村
高知県の東部に位置する村。こんな田舎に高速道路がある。もちろん無料だが、何日かは高知と徳島を結ぶ高速道路に接続するはずだ。が、問題は高知県の東部や徳島県の南部は高齢化がどんどん進み、しかも人口がどんどん減っている。需要予測の計算が追いつかないほどの衰退があるのだ。その北川村の奥地を訪ねた。そこは大規模のがけくずれがあり、山の上から下のダム湖まで大きな工事改修中だ。だが、この改修は曲がりくねった道の途中にあり、よしんば、数年後にこの工事が終わったとしても、奥地の村人は便利になるわけではないのだ。また、大雨が降れば土砂災害が発生しそうな所はもう放置しておいて、そのお金で住民を開けた町に移した方が安上がりだ。15億もあれば、住民移転が行える。いずれ人が住まなくなる村の為に大きな土木工事は無駄遣いだと思う。そしてその道に通じる高速道路というもの意味不明だ。
9月5日(木曜日)
さわやかな秋晴れ
台風一過の後はさわやかな秋晴れだが、あいにくと高松市の朝はムーンとする湿気と高温でタマランかった。今日は吉野川の源流に向かうので、四国山脈を越える坂に向かう段になって、気温も下がり秋晴れが現れ始めた。こうでなくっちゃ。台風の後は木の葉が道に山積するものだがそれはない。吉野川はさすがというべきでしょうね。源流で記録的な大雨が降った後なのに、水位は河川敷まで届かず、悠々と流れていた。いったいこの川が暴れる大雨とはどれだけでしょう。四国は雨量が多いので300mm程度の雨では何ともない。首都圏では100mm位でNHKが騒ぐから、こちらの人は白けた目でニュースを見ている。それはともかく、秋と言えば「さんま」でしょう。ここは名物のスダチがあるので、早速そごうのデパ地下をのぞいてみた。何と一匹680円で販売していた。(イオンでは100円)。焼いたものは290円だったので、手の込んだほうがなぜ高いと店員に聞くと、大きさが違うと来た。(これ嘘だと思う)「古くなったので、焼き物にしました。それで安いのです」。と正直に言えばよいのに。百貨店のプライドなのかな?粗を探しに行ったわけではないが、つい突っ込んでしまう悪い癖がある。デパ地下の魅力はサラダですね。少々高いが、入っている野菜の種類が多く、これは絶対に個人ではできない。790円のサラダを買ったが不満はない。サラダを当てにシリアのニュースを見ながらビールを飲んだ。なぜここに至ったのかシリアの分析を報道しているが、紀元前300年ごろでも、ここは紛争のメッカだった。もともと平和などあり得ない人々が住む地区なのだ。その時代時代ではもっともな戦う理由があるが、それを戦いに転じるのはさすが中東民族というべきでしょうね。爽やかな季節を持たない人々もいるのだ。
9月4日(水曜日)
IFAがにぎやかだ
ドイツで開催されるエレクトロニクスショー。アメリカのCESに継ぐ人気度で、日本のエレクトロニクスショーの比ではない。今年は4K。4KのOELD(有機EL)。日本は、デフレ撲滅のため、政府が価格アップの旗を振っているが、世界の経済は少しでも安く販売してシェアを取ろうと必死なのだ。そしてこの4Kテレビの競争は、もう当たり前の事となり、samsungなんかはフルラインの4Kテレビ陣容を揃えたとの報道だ。更に、有機ELでの4Kにまで試作器は及んでいる。全てが価格競争の土俵の上だ。更に大画面タイプの画面は湾曲している。日本勢は、2週遅れだ。(フルラインと湾曲で)かつて日本のエレクトロニクスは最先端であったのだが、今や、フィリップスの4Kなど2流品と同じ位置づけですね。そのほかに、ウエアラブルも話題だ。携帯電話とリンクする腕時計やメガネが有望です。身につけるものが、WiHiで携帯電話とつながり、そこから先にはLTEでインターネットに接続される仕組みだ。この2つの話題は、大きなビジネスに育つ可能性がありそうだ。
9月3日(火曜日)
カネボウの美白化粧品
ずさんなカスタマーケア部門の為に多くの犠牲者が出ている。花王はマーケティングの優秀な会社だが、カネボウには影響力を発揮できなかったようだ。今日は台風崩れの到来で豪雨。それで、今日は運動量が少々少なくても、中年太りも休んでくれるだろう。とはならないのだ。毎日10,000歩は必要だ。だがあいにくの豪雨。夕刻でも7,000歩。あと、30分の散歩が必要だ。だがこの雨の中、傘をさして散歩をするか?薄暗いから、車に撥ねられでもしたら元も子もない。いい考えが浮かんだぞ。イオンモールだ。ここはでかい。充分に3,000歩の散歩理由が立つ。そこで、思いついたのが主題の化粧品を研究してみよう!となった。生憎と件(くだん)の化粧品は撤去されて展示品がない。しかし、美白の文字一杯の類似化粧品はまだまだ残っている。どうやら問題の化粧品のみ撤去で、他は問題ないということか、それとも、指摘がないので、残しているのか不明。店頭の美容部員に聞いた。「ソフィーナの美白とどう違うんですか?」「あれは別の会社なのでわかりません」???(おまえら同じ会社だろうと僕の心の声)。成る程。今回の問題の原因はこの人たちのマネジメントにあるぞ!現場は、ただの売り子のマネジメントしか行ってないことがわかった。お客様の反響は上げないのだろう。つまりですね、カネボウは花王に買収はされたが、魂まで売ってないぞと言うプライドが払拭できず、そんな空気は現場の人たちにも充分達している。買収により意識の改革が行われてないのだ。そして美容部員もその方が楽ですね。たとえ、売り上げが斬減方向であっても、昔のメンタリティで生きるのは。仲間と毎日同じ、愚痴を言い合い、上からの指示には女特有の筋なし感情論に昔の事をミックスして煙に巻いて巣の奥でじっとしているのだ。まるでこの豪雨の時のように。
9月2日(月曜日)
残暑は、どうなったざんしょ!
先週始めの雨からいきなり涼しくなって、台風崩れがやって来て豪雨となり、気温は下がりっぱなしだ。新居浜に来ている。ここはずっと前のことだがナショナルの優秀な販売会社があり、名物企画担当者が居た。高松弁の品格ない言葉と、穏やかな松山の言葉が混ざった、なかなかゴロのいい響きの方言があった。いまはどんどんと標準化が進み、お年寄りでないと、方言を聞く事はない。昔と比べて天候が変わり、人の流動性は増し、経済も変わった。新居浜市は第二次産業の石油コンビナートや素材産業のメッカで話題には登らないが公害と一緒に生きてきた街だ。その公害がなくなるとともに、空洞化で工場は閉鎖され、もともと商業施設は貧弱だったものが大打撃を受けて、壊滅した。東北にも有名な街だが、ゴーストタウンと化した所が一杯あった。岩手県と四国の面積は同じで、人口は2倍強あるから、東北よりはましだというものの、景気回復とか経済の活性化という安倍政権の看板がここでは絵空事のように思える。季節は巡るが、経済のあの熱気はもう二度と戻ってこない様な気がする。
9月1日(日曜日)
遠くで雷を聞きながら
アリスの「遠くで汽笛を聞きながら」ではないが、今朝は遠くで雷が鳴っている。早速国土交通省のレーダーを開くと徳島県の三好市の東で100mm程度の豪雨となっていた。芸西村沖にも同じ雲があり、急いで洗濯物を取り込んだ。雷は2時間ほど鳴って近づいて来たが、芸西村まで届かない内に止んでしまった。するとどうだろう、1時間もしない間にみるみる空が明るくなって、昼前には太陽が出てきた。高知は晴天率が高いと聞くが、まさにこのことだ。「降る、晴れる」しかないのだ。人の気性もおんなじで、「裏か表か」、中途半端はない。酒も「飲むか、飲まないか」チョットだけ飲むかのは許されない。人間関係も「好きか、嫌いか」。ボチボチ付き合おうというのはない。いたって明快で、住みにくい土地だ。他所から移り住む事は出来ない土地柄だ。
8月31日(土曜日)
納車祝い
掃除、洗濯、母屋の後片付け、週末のルーチンワークと言え鬱憤を溜まらせながらの作業。雨が降るかも知れないが洗濯も決行だ。乾かない洗濯物は午後コインランドリーにいけば良い。僕の感覚時計に基づいて作業を進めていると、突然の電話。兼ねてから予定していたT氏の納車祝いをもう始めるぞと言うのだ。つまりですね、昼から酒を飲むというのす。洗濯物の乾燥はもとより、自分の部屋の掃除も、書籍のスキャナー後のHDDからBDへのバックアップもすっぽかして友人宅に駆けつけた。今日は釣りの先生として「くっさん」が特別招待されていた。もう一人の友人のK氏が釣りを始めたので、くっさんは彼への教育を兼ねていた。彼はこの辺りで誰もが認める釣り名人だ。風貌は吉本の「いけのめだか」さんだ。先日この前の海(太平洋)でカマスを釣ったとのことだが、T氏20匹、K氏2匹の結果だったらしい。それでこの先生登場と相成った。このカマスはおすそ分けをいただいたが、風味満点で美味しかった。次回は大阪の僕の友人のF氏にも送るつもりだと言っていた。話は戻るが、T氏のVW社のポロは故障が多く、とうとうエンジンがかからなくなったと言うことで、もう外車はこりごり。軽自動車のアルトへ乗り換えたのだ。カーステレオがK氏の車から移植し、T氏のポロについていたカーステレオは僕の車に搭載される。軽トラックにカーステレオが乗る。このトラックではテレビも見えるしエンターテイメントがこの中に詰まっている。
8月30日(金曜日)
帰りたい、帰れない
いよいよ台風を取り巻く前線の影響が出て来た。雲の流れは早く黒くて重そうだ。愛媛県西条市で少しだけ降られた。松山に着く頃にはすっかり雨雲も定着し、よぉ?し、今から降るぞという体制で真っ黒になりましたね。急いで国土交通省のレーダーを開くと赤色の雨雲が近づいているではないか。赤色の雨雲は50mm/1時間のレベル。すぐバケツをうつすような雨が来ました。スーパーで買い物をした後で、僅か10mの距離が動けない。帰り道の三笠峠は大変だろうと、再びレーダーをみれば、雨は松山市限定だった。スーパーに寄り道したのは「松山三郎」の清酒を買うためだ。2,400円と幾分高価だが、生酒の様なコクがある。これもたった1週間でなくなり、僕が飲める量はコップ一杯だけだが、なかなか魅力的な酒である。週末最後の締めくくりは、芸西村のプールで泳ぐことだ。ベランダに出て太平洋に向かって柔軟体操を始めたら、寒くて鳥肌が立った。気持ちの良い時間を過ごしました。
8月29日(木曜日)
高知は魚が美味しいと聞くが
今日は高知市内のお寿司屋さんに寄った。回転寿司ではなくキチンと握ってくれる店だ。貝三昧は一貫当たり130円、回転寿司からすれば幾分高めだが美味しい。マグロ三昧も同じだ。ウツボタタキもポン酢で頂く。確かに高知で食べる魚は美味しい。でもよく考えると多くの魚は、魚は高知に水揚げするのではなく、東京だ。そこから冷凍で運ばれてくる。別に高知で食べなくても何処でも美味しいはずだが、雰囲気がそうさせるのか。高知のは旨い。中にはウツボのように、こちらでしか取れないモノを含むので平均レベルをあげるのか分からないが。その晩飯、昼贅沢したのでグランドフジのお弁当で夕食を済ませた。メインに巻き寿司、サイドにヒジキとポテトサラダ。だがこちらもナカナカの美味でスーパーと言えども侮れない味だった。単に私の舌の程度が低いだけかも知れないが。
8月28日(水曜日)
ポルトガル語
坂出のホテルで大勢の外国人と鉢合わせになった。エレベーターの中、大声で話す彼らの言葉が一滴も分からない。これは英語とは違うぞ。体臭は中近東のようだが、アラブの言葉でもない。ハテハテ。ホテルの支配人に聞けばブラジル人だと。なるほど、NHKのラジオ放送にポルトガル語ニュースがある。このあとにラジオ基礎英語があるので、時々耳にする。よくこんな意味不明な言語を理解できるなと常々思っていた。でもよく考えると、彼からすれば、日本語の方がもっともっと不可解だろうな。彼らはホテルで自転車を借りて夜の街に出かけた。治安の悪いブラジルではトンデモナイ行為だろうが、日本は安全だと知っているのか、平気な様子だった。ブラジルで関心があるのは、「リオのカーニバル」だ。友人の居る間に一度は訪ねこれを見たい。「よさこい」の熱気との温度差を知りたい。こぼれ落ちる巨乳も拝んで見たい。日本から50時間。トランジットを空港の中でなく、市内散策でつぶせるというな余裕のある旅ならば、多分大丈夫だろう。
8月27日(火曜日)
寒くて
昨日の雨のあとは急に気温が下がり、夜中に寒くて目が覚めた。タオルケットしか用意されてなく、体に巻きつけて眠りに入った。まるで寝袋で寝ているようだった。今朝の透き通った空気と突き抜けるような青空は、まるで秋だ。美味しいと評判のセブンイレブンのコーヒーで朝食を流し込む。暑い暑いとゴクゴク水を飲んでいたのはずいぶん昔の出来事のように思えるが先週の事だ。これから秋に向かって一直線とは行かないだろうが、一服つけた。だが一服も束の間で、台風が発生したとのこと、週末は影響があるだろうと言う。台風と言えば「波」が楽しみだ。高知の波は十分観賞になる面白さと規模を持っている。友人のT氏と学生の頃何度も見にゆきさらわれそうになった。あれ以降、波を見る目が出来たと思う。つまり次から次へと押し寄せる、どの波頭が長く砂浜を長く走り僕たちのいるところまで届くか見極めるのだ。毎年海岸で台風の波にさらわれる事故が耐えないが、僕たちのように学生時代に長い経験を積んでない人達が犠牲になっている。
8月26日(月曜日)
昨日に続き今日も所々鬱陶しい雨。強く降る雨は潔いが、しとしと降る雨は陰気くさくて敵わない。今日の雨の前線はまさしく横たわっていて、室戸岬のような突端は前線から外れてて曇り。安芸市や牟岐は同じ緯度なので雨、もう少し北上した阿南は曇りだった。今日のトピックスは行きつけの民宿の事だ。場所は東さぬき市。香川県の東に半島を持った部分。民宿は何にもないが海が見える広い部屋と気持ちの良い風呂がある。食事は途中のスーパーで買って持ち込み可能だ。女将さんは愛想は良いが、一旦部屋にはいると一切の接触なく、自由に過ごせるのだ。この部屋にこもって一心不乱に切り抜いた雑誌のスキャナーを行う。どうやら雑誌の切り抜きは今年中にメドがつきそうな物量となった。雑誌は主に1970年後半から80年代で、記憶が明確だ。スキャンの合間に記事を眺めると、懐かしいアーティストや、オーディオ機器が掲載されている。多分スキャンの記事を読むことはないが、私の歴史の一コマとして残すのだ。
8月25日(日曜日)
朝の喧噪は収まり、夜の調べが始まった
夏の定番であるクマゼミとキリギリスも、まだ夏本番である太陽の勢いに比べて幾分収まってきたような気がする。もう耳をつんざくこともないのだ。午後にはツクツクボウシが鳴き始め、いよいよ秋がやってくるぞと告げている。夜になれば、コオロギやその他の虫の鳴き声がここ一週間で倍以上の音量になっている。トイレに立つとき、ドアを開ければ虫の合唱が飛び込んでくる。うるさいに近い程の音の大きさだ。でも、寝るには心地よい子守歌ですね。むしろ虫の音が突然止むのが気にかかる。一日雨が降り、今日だけは秋の気配が濃厚だった。
8月24日(土曜日)
母のくそまみれの下着の洗濯から始まる
一日はじめは、まず洗濯だ。2台の洗濯機を回す。次に自分の食事。その後、食べたものを床にこぼしたままの台所の掃除、先ほどの洗濯物を干す。台所から風呂に至る生活動線にある掃除と、不要なものの廃棄。こうして、ゆっくりできるはずの土曜日のほぼ半日は家の家事に費やされる。そのうちに11時半の村の放送がある。父の昼飯の準備だ。なるべくなら指は使わないほうがいいですよと、医者から言われたが、最近は普段に増して指を酷使している。余った時間は、身の回りのものを捨てることに費やしている。この年になってやっと自分の生き方のようなものが見えてきた。それはsimple life。できるだけなにも持たない生活なのだ。
8月23日(金曜日)
八海山
毎週日本酒の一升瓶を買って帰り冷蔵庫に冷やしている。土曜日の夜に父とコップ一杯だけ呑む。その毎週違う銘柄の酒は、コップ一杯しか飲むことはない。何故なら、私がいない間に父が飲んでしまうのだ。
まぁ酒の好きな人ではあるが、
一週間に一升とは大したものである。今回訪ねた酒屋さんで久しぶりに東北のお酒に巡りあった。先日SOGOのデパ地下で東北のサラダフェアがあった。東京田電力が放射能の垂れ流しは止まってないと報道している矢先、この企画は如何なものかと思った。
どこの県の野菜ですか?と質問すれば、
問い合わせに10分くらいかかると言われた。青森や秋田なら買っても良いのだが。頑張れ東北の気持ちはあるが、福島産は頂けない。八海山は新潟だから買ったのだ。きりりとして正座して呑みたくなるような味だった。
8月22日(木曜日)
この暑さ
不思議なもんで、10時間も眠れば昨日の厳しい状況も一変する。首も回り運転するに後方確認もできる様になった。今週は暑くてたまらん。何時の間にか体が軟弱になったんだろうと老化を嘆いていたが、どうやらそうでもないらしい。ニュースでは僕の辿った道筋は百葉箱の中での気温が37度を越す場所だったのだ。当然アスファルトの駐車場も含めて実質の温度は40度を超えていたことだろう。ヌル目のお風呂に長くはいるのが好きな私としても、精々30分が限界だが、それを何時間も毎日毎日入っていたことになる。毎日エキサイティングなことは多いが、今日のトピックスは、ラブコールを送っていた人から返事が来たのだ。鉄道写真家の中井精也氏からfacebookのお友達承認が届いた。
テレビでも雑誌でも良く見かける人で、
この人の鉄道写真は一風変わっていて、人を惹きつける。写真をみれば「中井」さんだとすぐわかる。
彼曰く「ゆるい」鉄道写真家。
写真の構図理論も展開してて、「対角線の上に主題を置くのを基本としなさい」と述べている。しかし、中井さんの極め付きゆるい写真はこれから随分離れているのだが。
時間がなく、facebookにまだとどかないが、この暑さが去る頃にはボチボチ戻りたいと思っている。
8月21日(水曜日)
体が悲鳴
昨晩から急に左背中から左腕にかけて痛みが走る症状が出てきて、寝返りをうつもままぬ状態になった。神経の損傷だ。何処を無理すればこんな症状が出るのかは不明だが、
振り向く事や、洗面もできない程痛む。手の指は相変わらず曲げるといたむし、寝ている時指の関節が疲れたと言っているのが解る。少々やり過ぎのきらいがある。と言うのも、のめり込む性格の私は加減を知らないのでこれ以上は無理だというところまで延々とやってしまうことが多い。作業の後の疲労感が好きなこともある。だが、若い頃は良かったかもしれないが、今は体がついて行かない。そんなこと分かっている事だ。でも現実には全く無視している。その歪がこうして体に出てくる。おまけに風邪気味だがそれがだんだん激しくなって、夕刻には関節が痛くなった。今回のは相当キツイ悲鳴だ。
8月20日(火曜日)
普段、四国の夏の天候は、薄っすらと水蒸気がかかり、太陽がぼんやりとしか見えない。東北のように青空にきっぱりと入道雲はあり得ないのだ。が、今年は空気が清み秋の空の様に視界が良くて太陽光が直接降り注ぐのだ。夏の直射日光はヤマダ電機の価格だ。(半端でない)。半袖だと素肌が痛い。なんなのだこの天候は。
負けてはならじと、COCO'Sでサラダとピザを大枚1,000円札を使って注文。村上春樹の「色彩を持たない田崎つくる」を読む。著者はもう60歳を超えているが、30歳の感覚の文章を今でも書いている。ラジオ英語で村上春樹の「像の消滅」にチャレンジ、彼の文章を英語にすると随分と文章のニュアンスが平坦になってゆくのを感じた。そんな目で、この「色彩を・・」を読めば、
なるほど村上文学は全部は英語に変換できないぞと思いましたね。なぜ色彩なのかといえば、彼の高校時代つるんでいた友人が青山とか色のつく苗字だったからだ。その人物描写を語る所から始まる。田崎つくるは現実から一線を隔てて物事を見る人物設定で、のめり込んで周囲が見えない私とは正反対の人だ。
噛み締めれば味の出るピザと、文章は思った通りピタリの組み合わせだった。十分体を冷やしてレストランから出た。
8月19日(月曜日)
今日もピーカンの晴天。須崎市から愛媛県大州市に向かう。
このルートは友人のK氏の紹介。
津野町を通過する、大きな山を超えると涼しい風が吹いていた。こんな田舎にもコンビニがあり、多少年は取るものの可愛いお姉ちゃんが働いていた。早速声をかけた。ここだと夜はエアコンはいらんだろうね。「いえいえ、今年は暑くてエアコンは要ります」場違いな土地にも環境の変化は訪れている。この道中はずっと民家が切れない。人はどんなところでも住む。若い人はいないが立派な庭のある家もある。さぁここでどんな収入があるのだろう。国道33号線を通るルートと比べて12km程とお遠回りで大洲市に到着した。
途中の道の駅で刃物を出品した店があった。「売れますか?」
「ボチボチ」。(余り売れてない時の返事)。「店でじっとしてても商売にならんからね」。交通量の少ない道で果たして?の疑問は湧くが姿勢は立派だ。愛媛県なのに、なぜか刃物は土佐刃物だった。
8月18日(日曜日)
ナベ料理

土日の夕食は父と杯を交わす日々が続いているが、料理の選択には苦労する。常に思いつきが主だが。話はそれるが、今日はピーカンの天候でものすごく暑かった。ソックスとハンカチにアイロン掛けをすれば汗が吹き出る。昼前にプールで2,400m。 1週間に6km弱。この太陽だと、気温は35度を超えそう。家では到底エアコンは効きそうにないのだ。それでこの文章は近くの海を見渡すレストランで書いている。200円でコーヒー飲み放題だ。定年後の生活にこんな至福の時間が簡単に得られていいものかと、少々不安になる。しかし、腰痛や指が自由にならないなど、全盛期の頃と比べて支障があり、もう仕事で無理はできない体になっているのも事実。話は元に戻るが、こんなに暑いと自分の中にあるあまのじゃくが頭をもたげてきて、鍋でもしたらどうかと思った。出汁は2匹の鰺の干物と青森で買った昆布。それに、鶏肉のスライス。これは今日の発明だ。凍らした鶏肉をセラミックの刃で薄く削るのだ。なかなかいいアイディアだと思いませんか。これで、鍋のベースが出来たので、適当に野菜を放り込んで完成。味はなかなかのものだったと父が言った、
8月17日(土曜日)
墓掃除
祖父の墓は、家からは50m足らずの畠にある。だが、ほんの数mに人が入ってないので茅や雑木が道を塞ぐ。父の用意したカマで切り開いてゆくのだが、灼熱の太陽のした汗が吹き出る。2mを2時間かけて開墾した。墓の周りは笹竹で、こちらは30分程。途中で蜂が追いかけてきて家まで逃げ帰って事なきを得た。今の蜂はしつこいのだ。水2リットル分を飲み込んでこの作業は完了した。こちらに帰ってきて始めての墓参り。書籍のスキャンが一段落すれば、もう少し綺麗に清掃しよう。その夜は疲れで、8時に就寝。
8月16日(金曜日)
モールの発展
香川県綾歌郡の田圃に突然出現した巨漢ビルディング。3階建ての吹き抜けのあるモール。これはイオンモール。通路には椅子があり、涼みにきた人はここでゆっくりできる。まるで百貨店のような洗練された店作りで、通路から店内をぶらぶら見てても楽しめる。駐車場は無料だから、高松市内に出向いて駐車料金を払って、しばらく歩いてから百貨店に向かうのと比べれば、格段の便利さと格安さがありますね。もうどんなに百貨店が努力してもこの人の流れは止めることが出来ないように思えましたね。この中にヤマダ電機が出店している。直線の陳列棚。薄暗い蛍光灯の照明(家電店は昔は明るかったが、今では他が明るくなったので相対的に暗く感じる)プライスは何枚もあってしかも斜め線が引かれている。約200店ほどの店が並ぶ中にあって、如何にも家電店は異様で殺風景。これからの小売店はモールに収斂されて行くだろうが、家電店は郊外でスタンドアローンを続けるだろうか?もしモールの中に入るとすれば、曲線の陳列とかしないと、村八分になりそうだ。そうすれば郊外店とのオペレーションの統一が出来ず、コストがかさむ。どうすれば最適だろうか?
8月15日(木曜日)
ファイル形式についての先見性の問題
昔からしたためた日記の文章ファイルがMOに残されている。MOは光と磁気で記録する仕組みで、将来も安全なメディアとして購入したのだが、何と今は再生する機器が無く、しかもMOはSCSI(スカジー)接続で、現在のPCでは接続が出来ない。何ともはや変な先見性を選択したものだ。そして、記録している文章の拡張子はSAMで、ロータス社のamiproだ。これをTXTファイルにするには、リッチーファイルコンバーターと言うソフトウエア36,000円を買って変換しなければならず、更に高い壁が立ちふさがる。紙に書いておけば何ら問題無いことがPCを使ったために大変なことになっている。その他にもPanasonicのU1proのワープロで記録した文章もPCで読み出しができず、先のリッチーファイルコンバーターを使うことになる。85年に買ったNECのPCの「一太郎」で書いた文章は今でも全く問題がない。Windows95が発売されるまでの10年間はPCの黎明期で色んな規格やメーカーが出て理念ない戦いを仕掛けていました。Macは一貫して互換性がありますね。確かに企業理念というかポリシーは必要ですね。
8月14日(水曜日)
宴の後
大阪からの連中は8時半に出発した。T氏もK氏を誘って東京へ旅をするという。こうして、高知に一人残された私は寂しさを感じながら、いつもの海辺に行って本を裁断した。いつもの作業なのに、宴の反動で、今日の作業は今一ノリが悪く時間だけが過ぎていった。20冊近くの処理に2時間かかった。もうお昼の時間だ。プールで汗を流した後、森閑とした自宅に帰った。蝉の声とキリギリスがいつものよう迎えてくれた。風情はあるが華がない田舎の生活に戻った。今回もお客様の接待を支えてくれた二人の友人に感謝だ。物心両面を提供してくださった。
8月13日(火曜日)
高知ファジー会

大阪のお客さんは二手に分かれた。一組にはゴルフ。一組は観光。僕は観光コースだ。観光する前に、琴ヶ浜の風光明媚な松の日陰で、本の裁断を手伝ってもらった。本をスキャンするには、この裁断作業が欠かせないが、意外と時間がかかるのだ。1時間半でおおかたの作業を終えた。作業をしながら女のおしゃべりのようによもや話。桂浜は前回訪問したが、裏の桂浜だったので、今回は正式な表桂浜をご案内した。桂浜の浜辺にはガードマンがいて、海の水に触れることさえ出来ない警護の堅さだ。非常に印象が悪い。反面で飲みくさしのペットボトルや、コーヒー缶が砂浜に転がっていて、せっかくの風景を二重に台無しにしている。観光地は何の努力もしないで、ただ客の来るのを待っている定番の行動で、次第に減る客の減少を食い止められないでいる。有名な観光地でもマーケティングの必要性があると感じましたね。その後おひろめ広場へ。ここは多くの観光客でにぎわっていた。まさに客の求めるものを提供するエンターテイメント性があり、何時来ても楽しい場所だ。今日は余りにも多くのお客様がいて、僕らは食べることが出来なかった。それに、ゴルフ組の宴会が午後3時に始めると言うから、僕らは空腹を満たす食事を取ることが出来ず、喫茶店でうどんをすすった。さて、T氏の家にはゴルフ組3名、観光組3名計6名が揃ってかくも盛大な宴会がスタートした。ゴルフ組の1名はN氏で、僕の良く知っている人であり、観光組のメンバーも昔仕事で一緒だった人だから、自己紹介なしに一気に核心に突入した。ビールのピッチはどんどん上がりました。ローソンで買った1000円の氷がいい働きをしてくれました。こんなに多くの人が集まってくれて本当に有り難う。感謝で一杯だ。ゴルフのトピックスは、K氏が始めて「43」のスコアを出し、昔、歯牙にもかけなかったN氏が脱帽した。あの口うるさいN氏がですよ。
8月12日(月曜日)
よさこいU

午前11時に高知市にあるマクドナルドで大阪のお客様と合流した。彼等はお昼時なので、ここで食事?と心配していたが、きちんとしたお寿司屋さんにご案内して、暴動を未然に押さえ込んだ。その上、「鯖寿司」に100点満点の評価を頂き、逆に感謝をされた。鯖は名前こそ有目でないが、大分の「関鯖」と同じ所で漁をしていて、水揚げ地が違うだけだ。(コチラは清水鯖)今日はよさこい踊りの最終回。大手筋のメイン通路で、優勝した「ほにや」や5本の指に入る「とらっく」「十人十色」を堪能した。前回と併せて800枚ほどの撮影。激しい踊りはやはりキヤノンEOSが活躍する。ココはテレビカメラが入るので、撮影をじゃまされるが、一方でカメラマンが狙う娘はキレイなので、ゴミのなかから鶴を見つける作業はパスできるメリットもあるのだ。だが、今回は僕の前でうろちょろするカメラマンのセンスが悪かった。鶴に似た鳥を随分と撮影していたのだ。この鳥は鷺(サギ)と呼ばれる部類だった。よさこいの後は、定番化しつつある海岸でのバーベキューとファイヤーだ。今回は女性陣がいなかったので、準備や料理全てをこなしたから、忙しかった。途中からK氏の奥様参加で、随分と助かった。最後の打ち上げのファイヤーは、やっぱり心が燃えますね。海洋深層水風呂1,000円に入った後、我が岡村邸で、音楽を見ながら歌談義。長い時間談義するには椅子が必要だと思いました。夜も更けて大音量でThis is IT。
8月11日(日曜日)
後片付け
音の実験場である、離れのAVルームを片付けた。まだ2ch再生のままだが、やっとボーカルが、それらしく聞こえるようになった。現在の設定は低域にMX200Mのウーハー。中高域にビクターのSX500の2WAY方式だ。カットオフは800HZ。私の部屋からWiFiでNAS音源を飛ばす試みはもう少し後のことになりそうだ。まだ、私の中心作業は本の裁断と、スキャナーだから、AVの進捗は極めて遅い。千葉からの荷物を全て取り込んで、一段落しようと思っている。布団を3組干して、お客様を迎える準備を終えた。夜は焼き肉をしようと父が言うから、その準備の為、あまり自由に時間を使えない。
8月10日(土曜日)
よさこい

友人のT氏がよさこいを見に行こうと誘ってくれた。実は写真を撮るため、僕自身はよさこいを自転車で見に行く計画だった。僕は炎天下で撮影するつもりだから、あまり人に強要できない立場にある。だがお誘いとあれば彼の車に便乗するのはやぶさかでない。途中K氏宅を訪問。K氏も誘って見物。3時間ほど撮影した。今回DVDのビデオカメラは、あまりの暑さで途中エラーとなった。この日は四万十市で40度の猛暑を記録したそうだから仕方ない。サンダル履きの私の足もアスファルトに触れてやけどして、気温の高さを実感。一杯450円のビールは体の中で蒸発してしまい、トイレは不要だった。ファインダーを通して見た踊り子さん達は玉のような汗をかいていて、炎天下の過酷さを伺わせた。そして、随分とお年を召したなぁと思った。もう高知にはぴちぴちのギャルがいなくなってしまっている。「とらっく」はそつのない整った踊りだった。定番を今日は2つ見学した。回転寿司と同じで、帰る間際になると、いいのがでてくる。
8月9日(金曜日)
プールで一泳ぎ

今日はよさこい前夜祭の日。花火大会も同時開催。小中学生の頃は、高知のおじさんの家に泊まりがけで出かけて、この花火を堪能した。よさこいはそのついでだった。この頃のよさこい踊りは、ほとんどが都はるみの「よさこい節」をテープ再生して、浴衣に編み笠のおばさん達が踊っていくスタイルで、現在のような斬新な音楽や衣装はまだなかった。友人のT氏からお誘いがあったが、時間がなく、芸西村に帰り着いたのは午後7時過ぎだった。それで、旅の汗をプールの一泳ぎで流そうと泳ぎ出せば、むくむくと挑戦意欲がわいてきて、結局1,600mも泳いでしまった。この日は8,000歩近くを歩いていたので、プールから上がった後の疲れは激しく、食事の後はダウンしてしまった。
8月8日(木曜日)
阿波踊りと「びんび屋」

徳島県と香川県の境にある「びんび屋」さん。養殖だが生け簀の魚をそのまま料理して食べさせてくれる。昔々この店に両親を連れてきたことがある。まだ健在の店は懐かしさのあまり、ちょっと夕食には早かったが飛び込んだ。びんび屋定食。鯛の刺身が中心。身がこりこりで、なかなかの美味。みそ汁が鳴門のわかめを使ったもので、これまた旨い。徳島県は食べ物がまずいと豪語してたが(私だけだが)、この店だけは省かなければならないですね。その後、徳島市内へ突入すれば、公園の中では阿波踊りの練習をしているらしく、鐘太鼓の大音量が響いてくる。夏の踊りは「よさこい」しかないと決めていたが、阿波踊りもあの音を聞けば、血湧き肉たぎりますね。結局この夜は食事も終えてたし、ホテルの部屋があまりにも快適で出かける勇気を失ってしまい、阿波踊りには触れずじまいだった。ちなみに「びんび」は土佐と阿波の言葉で、「魚」の意味。
8月7日(水曜日)
全自動洗濯乾燥機
三菱の8kの自動洗濯機で母が洗濯をすれば、忘れてしまい、数日後に洗濯物を取り出すことになる。そのころには、洗濯物がこの連日の暑さで乾いてしまい、15万円程度のドラム洗の機能をもつ羽目になってしまった我が家の全自動乾燥機付き洗濯機。母のボケは更にすすみ、後をついていき、することなす事を全てフォローしなければならない状態である。実際それをやってみれば、腹が立ってどうしようもなくなる。介護は我慢の仕事だと思いましたね。もちろん寝付いてしまえば僕のようなシロウトには体力的に手に負えることはできないが、そうでなくとも、気分的に手に負えなくなってきています。
8月6日(火曜日)
田舎にしては凄い喫茶店「屋根の上のがちょう」

モーニング650円。田舎の喫茶店の価格だ。だが、駐車場には車が一杯で、待ち客用の椅子もある。ここは愛媛県に向かう途中の日高と言う町。何が凄いかと言えば、パンとコーヒー。こんなパンは食べたことがない。バターもマーマレードも何にも要らない。パンだけで味わえるのだ。それにコーヒー。どっぷりと濃いコクのある酸味のない、いい味のコーヒーがいただけるのだ。滅多にお目にかかれないコーヒーだ。ウェイトレスも、きちんとした若い娘が対応していて、この店の経営者は付加価値について、良く研究なさっていると思った。話は一転するが、今度は値段が勝負の場末の汚いホテルを予約した、だが行ってみれば、以前仕事で宿泊したことのあるホテル。そこそこのレベルだった。安いなりに努力はしている。そこから徒歩でいつものメシ屋さんへ出かけると、この店のおじさんは暑さでへばっていた。このおじさんは飯の分量を自由にしてくれるのが良い。大概多めだけど。ここはヒューマニズムの付加価値だ。
8月5日(月曜日)
旨い寿司屋
高知県須崎市は高知県で一番の良港。それで、昔は、高知と須崎を結ぶ道路が優先的に整備されていた。そこで上がる魚も多い。いわば漁港に近いお寿司屋さんですね。看板に誘われて訪問してみれば、確かにその雰囲気がある店だ。回転寿司屋さんですが、都会のきちんとした店に負けない、ネタの新鮮さと味を備えていた。高知は食べ物が旨い。そんな話をよく聞くが、確かにそれは言える。酒飲みが多いので、店が洗練されたのだろうか?しかし、遠いのが難です。
8月4日(日曜日)
睡魔
昨晩も午後9時前にものすごい睡魔がやってきて床についた。そして、今日は日中暑かったが、猛暑のなかで昼寝をした。不思議なもので、起きていると大汗をかくのに、寝ていると汗をかいてなかった。それで今日は遅くまでスキャンが(本の)出来るかも知れないと目論んでいたが、夕飯を食べている最中に再び睡魔がやってきた。食事時、いつものごとく父の話を聞く耳は持っているが、もう風呂に入って寝るべしだと体からの催促がやってきたのだ。今日は暑中見舞いの返信する人について、書いてみようと思っていたが、もう体力の限界で筆を置く。
8月3日(土曜日)
日立DPX-BRAVC
約30分間この機械のお世話になった。芸西村の整形外科にもMRI(magnetic resonance imaging)が施設されているのだ。腰痛の原因はヘルニア。背骨の2本が変色し、神経の通るパイプが丸から三角形に変形しているのが見えた。さすがMRIだ。どんなベテラン先生の触診の診断よりも正確にこの痛みの原因を指摘することが出来る。当面は静観だが、危険な病気を抱えたことには違いない。骨の周りの筋肉を鍛えて大事に保たなければならない。最近スクワットをすれば、右腰に電気が走る原因もここにあると思った。高知に帰ってきてからは休日も結構忙しく、休日の楽しみであった昼寝がさっぱりできなくなっているのも原因の一つだろう。日立のこの機会は筒状のものではなく、平らな、しゃもじのようなものが眼前3cmにせり出してくる。筒状のものに比べ閉所恐怖症の度合いは強くなる。この病気一応状況は分かったが、これと言って対策がないのが問題だ。来週は大阪の友人を迎えるため、午後シアターの準備にかかった。スクリーンはシーツを張った簡単なものだが、やはり80インチの画面で見る映画は迫力があり楽しめる。問題は全暗にしなければならないことだ。ご飯を食べながら見るには、42型のPDPを活用するしかない。どちらで対応するのか早く決めなければならない。
8月2日(金曜日)
ITデバイド
90年位のバブル経済がはじける頃から、僕はITデバイドでふるいにかけられるのではないかと、一生懸命勉強して、PCも自作して、PCソフトは本当に次から次にへと購入して置いてきぼりを食わないように頑張りましたね。そして20年後に分かったことは、確かにITによって職は奪われた人は多く、僕もその範疇に入った。しかし、昔言われたITデバイドは「ITスキルの事ではなかったんだと」今思うようになった。ITによる生産技術の向上や、販売管理、物流管理、とりわけ通信と、金融に関しては格段の進歩を見た。ITはブルーカラーもホワイトカラーからも仕事を奪ったが、それは、高度なITシステムが、自動化を果たすようになったからで、「エクセルやワードを使えないことが仕事を奪ったのではないこと」に結論を見た。秋葉原のヨドバシカメラ8階に子供達を呼び出して、これから社会に出かける前に、これだけは言っておこうと思ったことの一つを披露した。「お父さんはそんなことに何時気づいたの?」「残念だがここ1年前後だ」。「20年間の勉強は無駄だった」と。
8月1日(木曜日)
衣食足りて
高知と違って関東は雨模様。渇水の問題を抱えながらも夏空が広がってない。栃木県の宇都宮に来ている。ココには知人のKさんがお住まいだが、ちょっと面会はできそうにないようなスケジュールなのだ。ここで講演会を聞くのだが、最近日経新聞も真剣には読まないし、TVは見ないので世間事情を知らないのだが、どうやら言葉には出来ないが感じている潜在意識を、今日は箇条書きにして教えていただいた事で目から鱗の常態になりましたね。とりわけ、この環境問題は少々やばいぞと思っていたが、本物らしくて、「ゲリラ豪雨は今後10年間で10倍になる」予測を示されたのだ。原子力発電がとまり、火力発電に切り替わってものすごい大量の二酸化炭素を排出しているのだから、当たり前の事かも知れない。それと、「地球人口は100億限界説」を伺った。地球が養える人口はエネルギーと、食料と水を掛け合わせると100億で打ち止めらしい。つまりそれ以上増えると、飢饉が起こり飢え死にすると言うことだ。先進国では人口減が進むから、後進国と旨く調和できるかもしれない。インドの道ばたで寝起きする人達が一応仮の家を持つようになれば、人口増も止まるかも知れないと思いましたね。
7月31日(水曜日)
マレーシア
夜中に腰が痛いと目が覚めた。腰の上の方にある骨がビックリするほど痛みを持っているのだ。指でグリグリ押すと堪らなく痛む。骨の癌じゃないだろうか?と、心配で眠れなくなった。早速村にある病院を訪ねた。病院は爺婆で一杯だった。レントゲンの写真は骨から来る痛みは考えられないと言う。MRI検査でもう少し調べる必要がありそうだ。痛みは左右の脇で、医者は背骨を見ている。見ている視点が違うのでは、と指摘したら、悪い骨の下の左右に痛みが出ると、経験則を言われる。とにかく、今日は結論が出ず、週末に持ち越される。先週の指事件と言い、骨にまつわる問題が噴出している。骨を支える筋肉が弱っている可能性も有りと判断した。ラジオ体操は小学生の頃からバカにしていたが、そろそろ日課の中に組み入れる必要がありそうだ。プールで1,600m。その後東京に向かう。今日は昔の上司に藤沢から東京駅までで向いて頂き、日本酒で一献。共通の知人、未央嬢が結婚した話を伺った。なかなかの美人で、カメラテストのモデルさん役を快く引き受けてくれたので、彼女の写真はレベルの高い状態でもの凄い枚数がHDDに保存されたままだ。雑誌「カメラマン」の比較写真以上の精密さで撮影できたのは、「動かないで」と言う僕のリクエストに正直に応えてくれたからだ。カメラの写真比較は画角が変われば写りも変わる。そんな基本的なことさえ、結構多くのカメラ雑誌は守られてないので、私としては、この比較写真をおおいに気に入っているのだ。懇親会のもう一人のゲストはY氏で、今は会社を辞めてK社に入社。給料そのままで、海外開発を行っているとのこと。取りかかりは台湾からとのことで、後インドを攻めるらしい。「定年後外国に住むとすれば何処が良いか?」すかさず回答は「マレーシア」。「マレーシアには知人も多く、紹介してやるよ」。とお二人に励ましを受けた。アリガタヤ。死ぬまでに3年ほどは海外で暮らしたいと思っていたから、指標が出来たわけだ。マレーシアはマッサージも安く、腰痛持ちにはぴったりだ。ちなみにマッサージ氏はタイからの出稼ぎとのことで、タイ式だ。1時間600円程度らしい。みんなとのお別れは、See you again.
7月30日(火曜日)
JAの直販店
香川県の11号線沿いの高瀬にあるJA直売店は価格が安いのでこの界隈で人気がある。今日は瓜とメロンとアスパラを購入した。〆て590円。毎朝のジュースをスーパーのパックものから、本当の生ジュースに切り替えて1週間。食費は高くつくものの、昼飯が待ち遠しい空腹がやってくる。これぞ本来の人間の営みだと毎朝手間のかかる食事を作っている。こちらは東北と違ってリンゴが高く毎日2個の消費は厳しいが、代わりになる材料に事欠かない。それにもうすぐ梨の季節がやって来る。大阪のマンションではジューサーを使うと音がうるさいと苦情が来たが、ここは全く問題なしだ。ジュースを飲んで夏を乗り切ろう。
7月29日(月曜日)
体調コントロール
こちらの家は田舎式の汲み取りトイレ。夏の間は蚊が湧くし暑い。毎朝の行事も蚊の事を考えると行動が鈍る。そこで考えたのだ!トイレを昼間の時間にずらし、水洗のウォッシュレットのある場所で済ますと!しかしながらそう簡単に体は応えてくれない。では周期をズラすには何が効果的か?試行錯誤の上、編み出した結論は食事を1回抜く。inputが少なければoutputも少なくなる原理からだ。これは一応の成功を収める。しかも最近は懇親会が多いので食べるものは少なく、うまいこといったかに見えたが、伏兵が隠れていた。便秘だ。「来るときに行かなければ、なかなかやってこない」が結論。社会では上手く行かないのとおんなじで、身体も計算通りには反応してくれないのだ。
7月28日(日曜日)
もう一つの酒盛り
もう昨晩は酒を飲みたくはなかったが、父の晩酌のつきあいに、日本酒を飲んだ。政治の話、近所の人の話。農作物の話。体が弱ってきた話など身の回りの出来事ですが、まぁ酒のつまみになる話なら何でもいいわけで、とにかく酒の好きな父との語らいも介護の一種だと思いつきあった。父はぼけてないから、同じ話の繰り返しはなく、話は前に進むのである。そうして、最後にこれはいつものことだが、「健康に気をつけなければならない」と締めくくる。こんな事いつまでも続くことはないが、これが僕の一つの老後の生活でしょうね。僕はどんな終末を迎えるのだろう。(旨い酒を買ってあるので、酒が進のが問題か)
7月27日(土曜日)
おお!寒

松山から33号線を通って高知に帰った。久万を過ぎた所の絶壁で、ハンドルを切り損ねて、440号線に迷い込んでしまった。この先は四国カルスト、「天狗高原」があるのです。夏はともかく、冬に行って氷の幻想を撮影するつもりだから、一度下見をしておくのも悪くはないと言うことで山岳ドライブを楽しんだ。途中エアコンは寒くなり、窓を開けて新鮮な空気を吸いながら山道を駆け上った。途中に水飲み場があり、この水のためだけに来ている人もいた。山頂は日差しがきついものの、風は冷たく、じっとしていると寒くなる。ここにテントを張っている60才前後の男性に尋ねた。「寒くはないですか」「僕はいいのだが、相方は寒くて下界に着るものを買い出しに出かけた」全周囲に視界が効く山の頂上でのテントはなかなかのものですねと言うと、のんびり出来ますと応えられた。遠くからウグイスが届いた。この山頂は石灰岩と草原が広がる誠に気分の良い場所だが、その草原で放牧をしている。日本人のメンタルと言うのはまだまだ低いと思いましたね。この牛の屎尿は雨水とともに下流に流れ、先ほどの水飲み場の水にしっかりとしみこんでいるのであります。水辺の近くには放牧をしない法律はないものですかね。
7月26日(金曜日)
午前3時の請求書
-Mac.jpg)
今度は場所を変えて、松山で酒盛り。皆さんは高級なホテルを予約したが、僕は駐車場付きの温泉付きの旅館3500円を予約した。みすぼらしいかと思っていたが、意外とそうでもなくて、しかもきちんとした道後のお湯が楽しめた。6畳の和室でくつろげるし、きちんとスキャナーもPCも広げることが出来るのだ。(少々宿屋の女主人がお節介なところもあるが)懇親会の店は創作料理が得意な郊外の店だった。その料理、味は絶賛とは言えないが、なかなか珍しいものが並んだ。その中に太刀魚と茄子とキュウリの炒め物があった。他のメンバーは臭いと言って敬遠したが、私はこんなものだと思ったので頂いた。しかし、やっぱり問題があったのだろう。午前3時にきっちりと腹が差し込んできて目が覚めて、請求書の支払いを行った。松山会場は昨日のメンバーに、更に2名が加わり、昨日の話題とは全く違った方向になったが、おもしろいもので、最後行き着く先は、昨日と同じで、昔の会社の批判になってしまった。あなた達はもう会社の社員じゃないから、経営の事を語らなくても結構ですと言ってあげたかった。しかし盛り上がった開場は馬耳東風だ。
7月25日(木曜日)
第一弾懇親会

大阪から仲間がやってきた。まずは高松にやってきた。彼等は塩江温泉を予約した。ここは温泉と言うよりか、夏の避暑地ですね。山中にあるホテルで冷房なしでもしのげる気温低下がある。大阪からは3人。まずはお風呂で汗を流した後、部屋の中で持ち込んだビールで喉を潤す。ホテルの食堂で呑めば高くなるからだ。食堂は1Fだ。食事は会席料理から始まりフランス料理に移行した。お酒は四国4県のお酒セット(4杯)を注文した。全く知らないお酒の銘柄だったが、なかなか旨かった。ホテルのセンスある酒飲みの想像できるような選定だ。久しぶりに会うメンバーだから、話題が多く、そしてあちこちにどんどんと転化していくのは仕方ないことだ。12時まで呑んでお開きに。そしていびきの合唱に突入した。
<テーブルの上のお皿を私が片付けました>
7月24日(水曜日)
北からの便り
8月の初め青森では「ねぶた祭り」が今年も開催される。ねぶた祭りが終われば秋支度だ。昨年はたまたま暑さが長引き、秋は9月にやってきた。例年はこの日を境にエアコンも入らないそうだ。一年間の半分が雪に覆われている北国の生活は、私ら南国人には全く想像できないのだが、やはりこれじゃなければ季節を感じないとメールが届いた。「寒さがやってくればまた年齢を重ねると感じる」とその人は書いてあった。高知にはいろんな人を招待しているが、彼等にも高知の暖かさを感じさせてあげたく案内している。幸いに酒飲みの人達なので、高知のメンバーは全く問題なく対応出来る。
7月23日(火曜日)
暑中見舞い
昨年に続き、今年も暑中見舞いを出した。住所が変わったので、年賀状に間に合うように出したのだ。早速いろんな方から返事を頂いたが、その中に、宇都宮のKさんから、いただいたメールは厳しいものだった。とうとう透析を受けなければならなくなった。私の母も透析を受けているが、透析の日には死んだようにがっくりして病院から帰ってくる。その日は寝込んでいる。栄養を運ぶ血液から、水分をフィルターで抜くわけだが、ついでに栄養素も抜いてしまうのだろう。この病気は大変だ。自分と同じ年齢の人がそうした病気にかかってしまうのは忍びない。暑い日が続き、どうしても塩辛いものが欲しくなるのだが、腎臓の負担を考えると出来るだけお醤油をかけるような食事は避けたい。お寿司も握りは避けて巻きずしを選ぶなどしていると、ホント食べた気がしない。ウナギは高いので論外だが、カレーは御法度だと思っている。そして選択肢は狭くなる。
7月22日(月曜日)
いよいよ指が末期を迎えた
この数年間で身の回りの小物のほとんどを落としてきた。数十台のカメラは全部落としてしまった。それまでは不注意だと思っていたが、どうやら指の関節炎が原因のようだ。指を余りにも使いすぎたために、関節の間にある潤滑油がすり減ってしまい、痛みを伴うようなのだ。コンドロイチンなど、TVで宣伝しているようなサプリメントのお世話にならなければならない。そして今週から一段と厳しくなり、ワイシャツのボタンが留められなくなっている。特に親指が痛い。親指は曲がらなくなってしまった。いや、曲げることは出来るが、ものすごい痛みを伴ってと言うおまけ付きだ。年齢とともにいろんな支障が出るのは覚悟の上だが、もう少し遅くても良かったのだが。
7月21日(日曜日)
何という爽快感だろう
昨日と今日、久しぶりに1600mを泳ぎ、右腕の痛みは治まった。一体あれはなんだったんだろう。まぁ直ったことだし様子見だ。しばらく本格的に泳がないうちに腹が出てしまっている。腹の肉を落とすのは毎日運動をしている分には訳ないですが、運動が途切れるとなかなか難しいものがある。この体型をせめて70才まで維持したいと思っているのだが、ずいぶんと難しさがあることを感じるようになってきている。一つは、もう体を鍛えることができなと言うこと。無理して運動をすれば、どこかに故障が出てくる。無理のない運動とはどこまでが適度で、どこまでが無理なのか。加減がシロウトにはわからない。まだ、水泳は3kmくらいだとへっちゃらだし、自転車も100km以内なら問題ないのだが、もう用心に用心を重ねて生きてゆかねばならない。それにしても、水泳の後の体の軽さは何という爽快感だ。4時間くらいこの軽快感が続きます。薬物使用でもこのような高揚感の持続性はないと思う。
7月20日(土曜日)
夏にはJAZZ
今日も天候よく、風があったので、机と椅子を持って芸西村の海岸に出かけたのだ。海風は爽やかで気温は低く、汗さへもかかない。今回はラジカセPA7を持って、JAZZを聞いた。夏には屋外でJAZZを聞くのは1975年から「ライブアンダーザスカイ」で教えられた。田舎の高松から転勤でやっと都会の大阪に帰ってきた時、この広告を見てやっぱり都会だと喜び、早速チケットを買って万博公園まででかけた。あたり一面太陽を遮るものはなく、当時は熱中症なるものはなく、喉が渇いたら水を飲む程度だったが、誰も倒れなかった。強烈なJAZZのリズムが体を揺する。ここでマイルス・ディビスを見、デビットサンボーンにもお目にかかった。これには参った。一度でこのイベントの虜になりましたね。その後マウントフジジャズフェスに引き継がれ、これが終了するまで通いました。東京JAZZは一旦マウントフジが終了して、復活したJAZZ際だが、有楽町の国際フォーラムに会場を移した。夏の太陽と関係なくなったので、これには参加したことはない。
7月19日(金曜日)
急に腕が上がらなくなった
昼ごろ右ひじが変な凝りかたをしている違和感があった。この日は、指を曲げると痛みが走り、特に親指はその症状がひどいので、これはお医者さんに診てもらわなければと思い訪ねた。症状は老人性の関節炎。農業や漁業をしている人に多いという。治らない病気だ。痛みどめをもらったが、これは対処療法で飲むのは避けたい。しかし、右腕も見てくださいとは言わなかった。その時は何にも感じなかったからだ。そうこうしている間に夕刻になった。すると右ひじがだんだんと熱を持ち、腕も曲がらなくなるほどの痛みが襲ってきた。そして、深夜、寝返りを打つのもままならないようになった。何にもしてないのにどういうことだ。指の関節ための薬をもらったが、とりあえず同じ関節なので問題はなかろうと飲んだ。しばらくすれば痛みは静まって行ったが、腕を曲げることはできなかった。このところ体の故障が多い。仕事で体を痛めつけてきた反動だろうか。とにかくあと20年は楽しみたいので大事に付き合っていかねばならない。
7月18日(木曜日)
昔の上司
東京に行く予定があるので、東京の飲み友を誘うとお断りが来た。(月末なので)では、ということで藤沢にお住いの上司にメールを打ったらOKと帰ってきた。ついでに元の職場の同僚も呼ぶという。大歓迎だ。海外職場の飲み友は、変なつながりが深いのは、この上司の酒に問題がある。この方は日本酒しか飲まないのだ。だからおのずと日本酒の好きな人に限定され、群がる人が無秩序になるということだ。この方はどんな国を訪問しても、日本食しか食べないと言うもう一つの特徴を持っている。だが、現地の人間は、格別嫌な顔もせず、どこからかおいしい日本食の店を見つけて連れて行っているのだ。それは現地駐在員も、いつも現地食では飽きるだろうから、たまに日本食ということで見つけた日本食の店に通い出すと言うシナリオがある。だから、大概の人はいろんな日本食の店を知っている。それで、今回、日本酒を飲みに東京で一献お願いした次第だ。もう一人のお仲間は、切り込み隊長さんだ。まだ、治安の定まらない取引の無い国に出かけて行って、代理店契約を結んでくるのだ。小さな国だと、国の大臣とも直接交渉もありだとか。なかなか肝の据わった人である。そして地域の歴史に詳しく、文化とビジネスの慣行に造形は深い方だ。この人はまだ現役だ。一体どんな話が聞けるだろうか楽しみだ。
7月17日(水曜日)
拒食症になりそうだ
尿酸値が高い。何とかして落とさなければ痛風になる。一つは運動ですね。毎日1万歩を復活させた。一つは食べ物。これがなかなか手ごわい。高知の魚関係はすべてこのプリン体を含むものばかりで、食べるものがない。そして、脳卒中が恐ろしいので、塩分控えめにを心がけて、あまり甘いものは胃の酸性値を上げる可能性があるので敬遠。それで食べるものがなくなってしまう。そんなことを考えていると、どうしても肉が食べたくなる。肉は血管を詰まらせるコレステロールがある。あぁどうしよう。体重が3kgも減ってしまった。20才の時の体重と同じだ。
7月16日(火曜日)
生見海岸
サーファーの人ぞ知る海岸だ。遠浅で波の山が次から次へと押し寄せてくる。水際からずいぶん沖に行ってもまだ足がつく。高松に住んでいる昭和49年〜51年頃高知に帰るついでにここで泳いだことがある。その頃はまだサーフィンをしている人は少なく、自由に泳げた。沖に出ると、サーフィンの波にしては小さくとも、泳ぐにはいささか厳しい波がやってくる。波間に入れば周りの風景が全く見えなくなり、少々やばいかなと思った矢先大きな波に巻き込まれて、海底にたたきつけられた記憶がある。もちろん砂地なので、痛くはないが、波が重くてなかなか浮上できなかった。溺れるとはこのことだと思ったので陸地目指した。この海岸はどこから見てもきれいな造形で、サーフィン以外にも楽しめる景色を持っている。だが、ここに来るにはいささか遠い。主に大阪ナンバーの車が多いことからも、地元の人間はここまでは行けない。お金のない高知県人は近場で済ましてしまう。もし、この立地が都心部に近ければ、相当な賑わいとなっていることだろう。そこから少し行けば甲浦になる。ここはまた、立派な海水浴場がある。入り江にあり、波も静かだ。そして人がいない。高知県は過疎化に悩むが、人を引き付ける名所は多い。
7月15日(月曜日)
妖怪
わが村の隣にある町は屏風に怖い絵を描いて、それをろうそくで照らしてさらに怖さを倍加させる博物館がある。「絵金」。これはもともと各家庭が持っている屏風を博物館に提供して見せるものだが、年に一度だけ、各家庭に持ち帰り、各家庭の玄関にこれを置いて、日暮れとともにろうそくを灯して見せる行事があり、それが今日なのだ。友人が誘ってくれて出かけた。ここは写真は自由なので、カメラマンがわんさといた。暗い中での撮影ですので、ニコンもキヤノンのDのつく品番のカメラが多かった。さっそくカメラマンを捕まえてシャッター速度やホワイトバランスなどを伺った。大体わかったところで、一人の老人に出会った。この人もカメラマニアだ。70年近くのカメラ道楽をしているという。いくつ?「90才」。若いですね。シベリア抑留3年。それでは恩給と年金を足すと50万円は固いですね。「そうでもない」今まで大体のカメラは使ってきた。今はデジカメになり便利になった。「バッファローのHDDに写真素材を収録するいいものがあるよ」。「プリントせずにタブレットで楽しんでいる」。何と!ITレベルも高い。僕もおじさんのように生きたいです。
7月14日(日曜日)
お盆
この辺りの風習はお盆がこの日に行われる。8月は農家が忙しいからだ。親類ではないが近所のおばさんが亡くなったので、今日はお盆に訪問。両親は僕のおじいさんにあたる親類のお盆に行った。お参りには格別のやり方があるが、それは田舎のこと、聞きながら作法をすます。お盆と言ってもただただ呑むだけ。この家の主人が僕よりも1つ下。飲み助で名をはせた人の息子。高知は酒飲みが多い中で、特に選りすぐって酒飲みを集めた催しがこのお盆だった。先週に続き門外漢的なふるまいのある私ですが、しっかりとビールにつきあいましたね。と言うもの、午前中にコールマンの机と椅子を持ち出し、海岸の松林の下で、スキャナーのための本の裁断を行ったのです。涼しい風があるとは言え、じわじわと汗が流れること3時間。この水分補給をビールで行ったのですから、そんなことをしてない家の中で涼んでいる大酒飲みと張り合うことが出来たのでした。しかし、何ですね。高知にいると酒で体をこわす人が多いと言いますが、それは本当です。飲む量が半端でないのです。
7月13日(土曜日)
ミニミニシアター
離れのminiシアターについては既に書いた。今日はディスクトップシアターの話だ。先月末に購入したPCは、フルHD、BDドライブ、10万円この条件を満たすなら電話して欲しいと電気店さんにお願いして買った。だから、机の上で、今まで録画したBDが全部見えると言うわけ。ヘッドフォンは低音の良く出るオーディオテクニカ製。向こうの部屋の照明スタンドつけて薄暗い中でBDを再生すれば、目の前30cmにスクリーンが広がります。そしてなかなか音がよろしいのです。これでは大スクリーンがなくても十分に楽しめるわ、と思った次第。AVの世界は上を見れば果てないけれど、庶民のレベルでも随分と楽しめるようになった。
7月12日(金曜日)
クーリング
暑い。車に乗れば、腰から下がびちゃびちゃになる。それで、PCの電源トランスを冷却するファンを腰の下に敷いた。電源は丁度12V。イエローハットに行き、シガライターから電源を取るものはありませんか?「ありますとも」。ついでに、シガライターの2又はありませんか?「3又も4又もあります」。へぇ〜。車がまるで家電化だ。と言うことで、腰の下に12cmのファンを敷くことに。効果は?あります。しかし、こう暑いと、太ももも汗をかきますが、この下にはファンの風が届かない。フムフム。大きなファン1個と小さなファン4個が必要となりそうだ。みんなどうしているのだろうか?
7月11日(木曜日)
いよいよ来週
大阪の連中が松山にやってくる。その前哨戦として高松で一泊だ。結局料理旅館はあきらめて塩江温泉と決まった。ここは高松在住時に良く来た。混浴もあって、おばさん達が平気で昼間から入ってきたので、びっくりしたことがある。松山の宿も決まった。来週は四国の質量が多分重くなるはずだ。夕刻プールに向かった。大きな波が打ち寄せてきている。「えっ!何があったの?」「台風だ」。沖縄の遙か向こうを通過する大型台風の影響がここまで届いている。サウナに入った後、プールの縁側に出て、涼みがてらこの波を眺める。海からの風が吹けば、潮の香りにハマユウの香りが混じり、いい雰囲気となる。そういえば、田舎に暮らしてから若い女性のつけるオーディコロンの香りをかいだことがないなぁ。あれもたいそういい匂いなのだが、この自然には負けるだろうな。今日は疲れもあったので30分程度で引き上げる。
7月10日(水曜日)
梅雨明け
梅雨が明けた。高知県は天候がはっきりしないが、瀬戸内はピーカンの天気だ。まだ湿度は低く、木陰で風が吹けばしのげる暑さだ。しかし、直射日光は厳しく、車の中でも汗をかく。連日2リットルの水が喉を通過する。年齢の為だろうか?それとも異常気象による暑さだろうか?とにかく暑さに負けるようになってきている。原発がなくても電気は足りている。と、大声で叫ぶ政治屋さんも注意して欲しいのは、石油、石炭を燃やして電気は作られている。その消費が大変激しくなっている認識をしているだろうか。地球の酸素は有限だ。日本の発電所から空気を汚すことはしないが、二酸化炭素は大いに排出している。原発を停止する前と比べると倍増している。中国も、アメリカも、インドも空気をしたい放題に消費している。そこに日本も加わった。さて、この暑さの行方はどうなるのやら。
7月9日(火曜日)
逝去の話
もうこの年になれば、日常茶飯事のニュースだが、昔の会社で上司だった方がなくなった。スキャナー作業でテクニクス全盛期の記事や宣伝を取り込んでいるから、その時代に輝いていた人が亡くなるニュースは身近に感じられて、昨晩の夢に登場した次第。70年代のスイングジャーナルに登場する人達は既に多くの人達が鬼籍に入っている。ビルエバンスなんか今にも存在するかのような雑誌の扱いだが、今となってはジャズピアニストの名手としか言えない存在である。読む本、聴く音楽、耳にするニュース。私の頭は70年代に帰って行く。
7月8日(月曜日)
北からのお便り
岩手県の加盟を頂いた店から、感謝の電話だ。加盟をして良かった。今では取引も拡大し、お金を追加で振り込んでの取引となっているとか。もうパナソニックとの取引は厳しい条件で絶望的だから、本当に良かったと言うのだ。前の仕事を辞めてから最早半年。でも、こうして電話を頂けるとはありがたいことで。東北に絆が一つ出来たわけだが、問題はこの社長様も80才近い高齢。長続きして欲しいのだが。電話のついでに九州に旅行して楽しかった。次回はぜひ四国にも足を伸ばしたいと言う。大歓迎だ。僅か1年。絆を残すには3年必要だが、今回はやむを得なかった。7月末に東京に行くので、そちら方面の絆に連絡するが、決算で忙しいとかで、コチラは寂しい結果だ。
7月7日(日曜日)
先祖様のお墓参り
岡村家を名乗る人はこの近くに5軒あり、揃って墓の掃除に行く、今回は大塚様の清掃だ。大塚様はたいそう偉い人でして、どうして偉いのかは不明。多分どこか遠くの人が、この部落を通りかかって窮状を救ったと言うのではないだろうか。そしてそこで祭り上げられて住み着いた。立派な墓がある。そのついでに自分たちの先祖のお墓の清掃をするのだ。森の中での作業で蚊が凄い。僕も含めてみんなは腰に蚊取り線香をぶら下げて作業をしている。3人が草刈り機で作業するので、凄く早く草が取り除かれてゆく。みんな農家なので、この作業は得意なのだ。山の作業は1時間程度で終わったが、今度はメンバーでない民家の庭にあるお墓を清掃。だれも真相は知らないが、これは大塚様の妾の墓とか。偉い人は妾まで拝まれる。時代は江戸だろうと想像がつく。みんな大汗をかいて午後3時に作業を終えた。すぐに、このうちの一人がみんなを接待する。会費は1,500円。風呂を浴びてそのメンバー宅を訪問する。凄い料理とビール。皆さんの呑む速度が速いのでついて行くのに四苦八苦。日本酒を呑むときと同じように返杯の習わしがある。相当呑んだ後、コップとはいえビールをグラス一杯飲むのはきついですよ。
7月6日(土曜日)
本格的なスキャナー
千葉の家から荷物が届くと連絡があった。書籍が届くのだ。やっと高知にある書籍の取り込みが緒についたばかりだが、そこにごまんと又書籍が来るのだ。早速倉庫を片付けて、空きスペースを創った。そして、コチラの本を切り刻み始めた。新しいスキャナーが来てボトルネックに変化が起こった。今まではスキャンすることがボトルネックだったのが、今度は本の切り刻みがクローズアップしてきたのだ。1冊の書籍は5分くらいの時間でスキャンするが、本を裁断するにはやはり同じくらいか、それ以上の時間を要するのだ。これには、カッターや裁断機の能力が影響してくる。何とか効率的なやり方を考えねばならぬ時が来た。それで、書籍を分解せずいきなりカッターと定規で裁断してみた。これは、時間短縮はかなうのだが、指が痛いのと、本の切り口が曲がってしまう問題がある。まぁ今日の所は従来のやり方で行くしかないか。
7月5日(金曜日)
午前10時25分
この時間きっかりに、クマゼミが鳴き始めました。大阪で最速は7月16日。まだ高知の記録はもってない。しかし、NHKのニュースで流れるくらいだから、よほど早い事だと思う。箱根の山から西は夏の定番はこのクマゼミだ。一匹なら問題ないが集団で鳴かれると、睡眠妨害となる事必須。あの蝉の姿からすれば、炭で炙れば食べられるだろうと思うのだが、まぁそこまでしなくても食うものはある。このクマゼミは夏の到来だから何となくワクワク感があるが、同じ格好で少し小ぶりなツクツクボウシは夏休みの終わりを告げる蝉として悲しい想い出がある。宿題が溜まって最後の追い込みをしている時にこの蝉が鳴くのだ。ヒグラシもいいですね。毎年夏になれば友達を誘って赤野川にキャンプに出かけたのですが、この時に随分と体に浸みました。アブラゼミは関東でよぉ〜く聞きました。だが関東では鳴き始めるのが遅く、鎌ヶ谷でのよさこい踊りがある10月になっても鳴いていたから、何となく時期はずれな気がしてた。それに高知の灼熱の中でのよさこいとは違い、肌寒い中でのよさこいも併せてイメージが良くありません。
7月4日(木曜日)
7月4日に生まれて
このようなタイトルの映画があります。トムクルーズ主演。なんで、こんな中途半端な日に?実はアメリカの独立記念日でありまして、米人にとってはとても意義深い日なんです。実は私の誕生日は7月5日でして、非常にわかりやすい日なんですが、この日に大きなイベントはありません。それでも、Fbには数人のおめでとうメールが飛んできました。そういえばFbへの書き込みはやってないなぁと思ってサーフリングしていると、すぐにイベントのご招待がありました。アメリカに住むフィリピン人でメリッサさん。もちろん行ける訳ないのですが、常連のメンバーが激しくFb書き込みをしている状況に遭遇しました。世の中は動いているんだと思いましたね。文字だけなら何とか理解出来る英語ですが、いざ現地に行くとなれば、言葉の問題で蚊帳の外に置かれること必須でしょうね。もっと本格的に英語に没頭しないと向こうには行けません。
7月3日(水曜日)
空気清浄機はするどい
量販店の店頭では所狭しと空気世情機が並んでます。今は加湿器を兼ねてますので、そこそこの価格で販売できてます。今では中国で問題となった2.5ppmがフィルターで止まるかどうかの問題です。そもそもあの中国の汚い空気で健康に問題があるのではと測定したのが、このサイズのホコリでして、遠く日本海を挟んで浄化された空気に2.5ppmが含まれているなら、日中外を歩くときはもっと問題の筈。それを外して、空気が動かない室内のことに焦点を絞って云々するなんて、本当に日本人らしいし、大局的な視野がないのにあきれますね。所で、これを見ているときに、急に催してきて、音の出ないおならだけで交わそうとしたのです。ところが、何と、空気清浄機はこれを関知して、真っ赤なインジケーターが全部点灯し、急速運転を始めたわけです。驚いたのは当方ですが、分かっている人は実によく分かる空気清浄機の挙動であったわけです。恥ずかしや。
7月2日(火曜日)
気のいい小母さん
食事の目的は果たせませんでしたが、この民宿は風光明媚な高台にありまして、しかも16畳の和室を独占で使わせていただきました。新しいスキャナーを買ったので、小型の今まで使っていたスキャナーを持ち込んで、この民宿でゆっくりと77年代のスイングジャーナル誌を取り込んだわけです。座敷のテーブルにPCを広げて非常に違和感のある風景ですが、のんびり出来ました。こんないい場所なら、昔忙しかった頃ここでいいレポートでも書けただろうな!と貧乏人の発想をしてしまいます。相当沢山のゴミくずが出たのですが、小母さんは気持ちよく引き取ってくれました。どうやらこの薄曇は、梅雨は明けを予感させそうな雰囲気です。この民宿の下は立派な海水浴場で、このように利用させて貰えるもの今回限りでしょうね。次は秋に風景を楽しみに来たいと思わせる居心地の良い民宿でした。
7月1日(月曜日)
Mission:Impossible
現地工作員の私としては、大阪の仲間の来訪の下見をしなければなりません。大阪人は酒飲みでありますが、魚好物でもあるわけです。温泉旅館をご指名な訳けであります。それで私としてはまずは香川県の海沿いの民宿を訪ねたわけです。徳島から高松に向かう11号線沿いには綺麗な海や松林が広がる明媚な所。きっと漁港の近くの民宿は新鮮な魚があるだろうと期待したわけです。しかし残念ながら、この漁港はもう漁師さんが使う港ではなく、レジャーに使う船を係留する港に落ちぶれていたのであります。別の日にこのことを香川県在住の方に話すと、香川県人はうどんを食べるが魚は食べない。と一蹴でした。しかし食べたい人もいるだろうと私。そんな時は高知に行きますよ。なるほど。と言うわけで現地工作員としては、見事に使命をしくじった訳です。
6月30日(日曜日)
電源の切り方が分からないWindows8
新しくPCを買った。同時にスキャナーも買った。その設定をしている。昼飯時になった。電源を切って母屋に向かおうとしたとき、はたと困った。Windows8には7やVistaの位置に電源スイッチのボタンがないのだ。これは、誰も同じ事で困っていると思う。モバイルのアダプターの電源を入れ、ネットで検索すれば隠しキーの在処がわかった。今度のPCはタッチパネル式だから、マウスでも手でも電源を切ることが出来る。タッチパネルは思ったより便利だった。そしてスキャナー。コチラはアマゾンで買った。富士通のXi500。今までのスキャナーではA4サイズのAV雑誌一冊スキャンするのに20分程度かかっていたが、何とこれは5分。今までに随分とこの遅いスキャナーで取り込みをしたので、何て多くの人生を無駄にしたのだろうと思いましたね。切り刻んでいた本の山があっという間になくなりました。一週間に5−8冊程度の本のスキャンが、70冊程度に増えて、定年後の越えなければならない一つの山の目処がつきました。Windows8の勉強はこれからだ。
6月29日(土曜日)
プールの稼働
いよいよ足の怪我も回復して、本格的にプールに入ることが出来るようになった。これまでにも何度か来たが、かさぶたのすき間から水が浸みこんできて、途中で断念していたのだ。だが昨日このかさぶたも取れて全く問題がなくなった。長いこと水泳をしてきて、腹が出っ張ることもなく、入社当時のズボンがまだはける(1着だけ残っている)のだ。ここのプールは海水で、クロールや平泳ぎの時に水の重さを十分感じるので、真水のプールよりも運動量は多い筈だ。若い頃は海水も真水も感じるのは浮力の違いだけだったが、今は一寸したことでも敏感に感じてしまう。坂道もしかり。鞄の重さもしかり。老化には負けないぞと突っ張っているのだが、ざるの水のごとく体から若さが抜けてゆくのだ。もう走ることは出来ず、その関係から、自転車も膝が痛く厳しいので、運動は歩くことと、泳ぐことだけになってしまった。残念だが仕方ないことだ。
6月28日(金曜日)
田舎に引っ込んでも刺激のある日が続くのだ編
毎日鬱陶しい雨が降りますが、雨とて毎日同じ降り方ではないのと同じように、私の日常もずいぶんと変化に富んでいるのだ。時代の先端を行くトレンドや若い人に接触する機会は薄れてはいるが、老人や昆虫や定年後の友人達のなどめまぐるしく関係が動いているのである。今日は、その中でも、友人達の四国来訪に関する一端をご紹介しよう。高知には、元々住んでいる友人2名が守りを固めている(誰かが攻めてくるわけでは無いが)。ここに古い友人だが、定年後四国に移り住んで、仲間が加わり西の関係が強固になったのだ。北の大阪方面はもっと広い範囲で友人達が布陣している。この北の第一部隊が仲間を募って四国にやってくるのだ。来訪は7月下旬。高松で受け入れて、松山で接待する二段構えの体制である。高松は私が先鋒をつとめ、松山では先に書いた新しい住人が仕切る予定だ。下見を含めて大変だ。
6月27日(木曜日)
冷蔵庫を勝手に開ける人
まず都会では考えられないこと。よそんちの冷蔵庫を開けて、勝手にモノを入れること。だが、ココではありなのだ。友人のK氏がスズキを持ってくれていた。大きな魚だ。これがデンと冷蔵庫の中にある。こんな大きな魚はさばいたことがない。包丁を研いで取りかかるが、魚屋さんのようには切れない。父はコツがあると言うが、私に言わせれば、道具だ。野菜を切る刃渡りの大きな包丁では魚をさばけない。刀のような長くて、薄い刃をもった包丁でなければ難しいと思う。まずは鱗を取り除く。鱗を取る道具は、良く働くが、鱗が飛び散りメガネにもくっつき大変だ。さばいていて分かったことは、素材を手でつかむと、味が何となく想像でき、料理の方法が浮かんでくると言うことだ。それで、半身を下ろし、脇腹の骨を取る時に、この魚はフライパンでニンニクと塩胡椒で炒めても旨いのではないかと思った。インドでは食べるとき右手で直接食べ物をつかんで食べるが、手でつかむというのは、味覚に関して凄く大事な事ではないかと思ったわけ。当たり前の事かも知れないが私には新鮮な出来事だった。
6月26日(水曜日)
ハードOFFにて
中古の家電品や衣料品を販売している。四国ではこの店に限らずやたらとこの中古品販売の店が増えた。中古品の価格はデーターで一元管理して、迅速に購入価格と販売価格を提示しないとやっていけないと思うのだが、まだまだ仕入は個人の勘に頼ってやっていけるアイテムがあるから、中小の店も安泰なのだろう。暑くなって白のポロシャツを物色すれば、ブランドのついているモノが1,500円程度である。これはきっと買いだろうなと思うもののなかなか手が出ないのが中古品の購入であります。我が家のAVシステム用にAVアンプを物色しているのですが、コチラは結構な価格がついている。もう新製品のAVアンプが5万円台にゴロゴロしているから、3年落ちで4万円近い価格はあり得ないだろうと思うのだが、どうやらこれがこの店の方針らしい。AVアンプは生鮮食料品と同じくらいの鮮度管理が必要だと言うことが多分分からないのではないかと。と言うことで、ハードOFFの店はあちこちにある店を覗いてみたが、AVアンプに関しては価格が高めであり、アマゾンで新品を購入するのが得策かなと思っている。
6月25日(火曜日)
マクドナルド
なんて素晴らしい店だろうと感動している。それは、食べ物ではない。AC電源の魅力だ。モバイルフォンにしても、PCにしても、集中して使うにはAC電源が必要だ。見晴らしの良い屋外で車から電源を引くことも一つの手だが、こう暑くなってくるとAC電源を引き回して木陰のベンチに座り、PCを広げるスタイルも傍目から見れば優雅と言うよりも「変わり者」として映りかねないのだ。その点、何処のマクドもAC電源の設備はあり、100円のコーヒーで粘ることが出来る。そして時々朝マック490円を食べているので、マクドに費やす金は結構大きく還元しているのだ。そう考えると、原田さんの時代をつかむ経営と言うのは本当に凄いと思いますね。一方肉料理は塩気を使わなくても十分な味が出るのだが、マクドの味は結構濃いので、余り傾斜をすれば生活習慣病に転んでしまう可能性は大いにあるのでご注意。
6月24日(月曜日)
香川県人
高松と言えば「うどん」ホテルも喫茶店も朝から饂飩がある。ベトナムを旅行すれば朝から「ホー」があるのと同じだ。どちらもおつゆが素晴らしく、ネギが入っている。この魅力にとりつかれるとなかなか抜け出せない。ベトナムでは希望が叶う限りホーを頂いたのだが、高松ではうどんを頂く。うどんの店はセルフの店がよい。それは野菜の天ぷらがあるからだ。私は多くの場合レンコンと、カボチャを選択してますね。タマネギはニンジンとオキアミなどが入っていたりして純粋なベジタリアンになれないから敬遠しているのです。ところが今日は何と目の前で、「穴子が揚がりました」と割と若そうなおばさんが言うではないか。長さ20cmはあろうか。これを見て見ぬふりするのは「馬鹿」。自説を曲げて穴子を注文しましたね。濃いおつゆがしみこんだ穴子の天ぷらは、うどん麺にも影響を及ぼして、淡泊なうどんがこころもち、しっとりとしてきて、大量に乗せたネギに旨く絡んだ仕事をしてくれました。と言うことで、うどんは決して悪い食べ物ではなく、菜食主義も通せるのだが、時々こうした脇道にそれることがあって、毎日食べていると、結局は脳卒中の病気を発症してしまう恐ろしい食べ物であります。香川県は脳卒中の確率が一番高い危険な県であります。
6月23日(日曜日)
よさこい祭り
大阪の友人達がこの頃にやってくる。2組の来客だ。どうやら日程がずれるのが問題で、2組になるのだ。それで、コチラの友人に相談すれば、いつでもOKとの返事。僕の都合はまだつかないが、友人の助けがあれば何とかなると思った次第。高知の夏は灼熱だから、健康面の注意をしてもらわなければならない。「たっすいがいかん」これ、麒麟麦酒の宣伝文言。それほど強力な暑さがあるので、麒麟麦酒が受けるというわけ。もちろんラガービールのことですが。よさいこい祭りは今年60周年で踊り子さん達は相当力が入っているとのこと。最前列に陣取れば、いい撮影ができる。一昨年は、手持ちのカメラ3本。ビデオ1本を全て電池の無くなるまで使い切った。それほど楽しめるのがこの踊りだ。
6月22日(土曜日)
久米仙
イオンの酒売り場に沖縄の久米仙が並んでいた。懐かしくて買ってきた。沖縄は、何度も仕事で出かけたことがある。沖縄の料理には「オリオンビール」と若い頃は思いこんでいたが、今では「泡盛」だと決めつけている。本土にも沖縄料理と泡盛があるが、どうも沖縄とは一寸違う雰囲気である。香川県の饂飩を他の県で頂くのと同じ感じだ。我が家の料理は魚主体の醤油味だから、泡盛とは合わないことこの上ないのだが、「すする」ように呑む酒としてぴったりだ。日本酒はつい「ごっくん」をしてしまう。それに泡盛はプリン体がない。運動量が減った今、食事にも気を配らなければならなくなった。足の怪我が治ればプールを使えるので食事についてのうんちくは少なくなるのだが。日本酒一本槍の父にも呑ませたら、香りが良いとの評価。昨日は友人が、「すずき」を釣ってきて、お裾分けを頂いた。30cmクラスを2匹。友人の釣りは結構我が家の食卓を飾る。これを、肴に泡盛を頂く。鮮度が高くこれほど旨い肴(魚)は久しぶりで、久米仙も幾分土佐料理にすり寄ってくれた次第。飲み過ぎて夕食の後散歩。
6月21日(金曜日)
勤勉
前回ツバメの親子の事を書いたが、どうやらツバメは、カラスの恫喝で子供達は無理に飛び立ち、この家を巣立ったことが、家の前を飛び回るツバメの数の多さから分かった。内の2匹の親は、再び我が家を訪れて、新しい巣作りを始めたのだ。それで、その2匹にまつわるように飛び回るツバメは子供達だと判明したわけ。良かった。我が家で、ツバメが大量に死亡と言うことになれば不吉な事件だと思っていたからだ。そのツバメは、前の巣を使わずに新たに巣を作り始めている。土をこねてつなぎに、ひものような蔓やワラを混ぜ込んで、みるみるまに巣ができあがっていく。休むヒマもなく実に勤勉に働くのだ。そして、もう一つ蜘蛛。もう家の周りは蜘蛛だらけ。取り除いても取り除いても、瞬く間に巣を張る。厄介なのは夜も巣張り作業を止めないのだ。朝起きて母屋に向かうときべっとりと顔に蜘蛛の巣が引っかかるのは気持ち悪い。でも、この蜘蛛も勤勉なのだ。そんなふうに周りの動物たちを見れば、しんどいとか気分が乗らないからとか、人間のように不安定ではない。常にまじめに働いているのだ。おそれ入谷の鬼子母神。
6月20日(木曜日)
前例
再び台風だ。今回は雨が凄い。車は虫がへばりつき、フロントは真っ黒になっていたが、この雨の中車に乗れば、虫の汚れを全て洗い流してくれた。雨はどちらかと言えば瀬戸内海側に多く、高知県は置いてきぼりを食っている。昨日は地震の事を少し書いたが、我が家は山の中腹にあり、異様な大雨が降ると、土砂災害の危険性があるのだ。既に、台所の前にある崖は一昨年の大雨でだんだんと崩れている。私がつっかい棒で補強をしようとしたが、父が公共工事に絡めて工事をしてくれるみたいだと言うので、そのままにしてある。だが、普通の雨なら問題ないが、観測史上初のような雨が降ればやばいのである。山の中腹と言うのは景観が良いし、夏は涼しい風が吹く。津波の心配はないが、雨の心配はある。災害はない方がいいに決まっているが、最近は異様なことが多い。だが、天候の変化と、世の中の変化が同時に起こるのは、今に始まったことではなく、方丈記には今の世と同じ事が書かれているとNHKラジオ高校講座で先生が話していた。そうか、こんな不安定な世は初めてなのか?と思っていたが、既に前例があるのだ。
6月19日(水曜日)
3分割
6時半に目が覚めた。どんよりとした梅雨空だ。久しぶりに大阪のうどんを食べた。お汁に奥ゆかしさがある。讃岐うどんは腰がある分お汁が絡まないので、もう少し力強い味がある。今、僕の頭は三分割の状態にある。一つは友人達の付き合い。昔は片手間だったが、今は重要な一画を占めるまで昇華した。一つは親しくはないが新たな付き合いの始まった昨日の人達。彼らは定年後の過ごし方の先輩だ。生き方を教わる人達だ。三つ目には何時老後モードにはいるかのタイミングを探る事。僕は子どもの養育の為現役モードのままだが、今の頭のボケ進行からすると、20年は安泰と言ってられないようだ。老後の計画を早く実行に移さなければならないのだ。これは、自分が考えもしなかった事。これは、対策はないので自分の中で吸収しなければならない。もう一つ最近仲間入りしそうな現実は、地震。地震のエネルギーが津波に向かえば問題ないが、地上の揺れに向かえば我が田舎の家は倒壊する。南海地震で我が家は既に襖が上手く閉まらなくなっている。西にある田も地盤沈下し、稲作ができなくなった土地もある。この話はもう少し別の機会にしよう。
6月18日(火曜日)
酒にまつわる話
7時半に目が覚めた。こんなに遅くまで寝たのは久しぶりだ。ところがどうしたものか左の足がいたい。どうやら昨日何処かにぶつけたかもしれないが記憶がない。と言うのも、かなり前後不覚になるまで酒を飲んだのだ。日本酒は体に良くないと思いながらも、生酒の旨さについ羽目を外し行ってしまったのだ。それには、仲間が良くない。おおいに盛り上がる楽しい話ばかりして話が尽きないのだ。楽しい酒は体に毒だと思いましたね。辛い体を持ち上げて、大阪に来た目的の一つを済ますのだ。今まで生きてきた文化とは違う人達の話を聞くのは、目から鱗の部分がある。特に日本の常識と世界の常識の違いは携帯電話だけでなく各所に顔を出してくる。そして僕ら消費者は、時間をかけてそれを受け入れてゆく。こうして内なるグローバル化は進んでゆく。そんな話だった。夜はこの仲間とお酒を飲んだ。新大阪の駅前に、十三の場末のような飲み屋がある。しかも入ると結構奥が深く大勢のお客さんを収容できる大居酒屋なのだ。昨晩は日本酒だったので今晩は焼酎を頂く。長い時間の飲食なので、ここでも相当呑んだ。もう若くはないのだからと思いながら。
6月17日(月曜日)
快晴
と言うよりか、灼熱。9時を過ぎるとドンドンと気温は上がるが、高知は海からの南風が吹き、太陽光さへ避ければ、なかなか気持ちの良い過ごし方が出来るのです。後は、蝉ですね。耳を劈くようなクマゼミが鳴くと夏本番ですが、まだ暑さだけの序の口。出かける直前に昼飯を食べようかと台所に行けば父が座っている。母がめまいがすると言うので昼飯の用意が出来てないのだ。あれぇ。時間がないのを気にしながら、父の昼飯を作ったら、自分の食べる時間がなくなってしまった。昼飯抜きで自転車に飛び乗る。愚痴をこぼしているわけでない。僕もすっかり料理の要領を覚えてきて、年老いた主婦のように手ぎわ良く食事の準備ができるようになった。それに冷蔵庫にあるものを使って創作料理が出来るのだ。何日か友人を呼んで料理を振る舞いながら、酒を飲む日が来るのを楽しみにしている。なかなかの腕前になっているのだ。自転車に乗って近くの駅で電車に乗り大阪に行くのだ。
6月16日(日曜日)
共存
布団の上を虫が這っているような気がして目が覚めた。足音はムカデに違いない。急いで照明のスイッチを手探るが、寝ぼけているからなかなかスイッチの紐が見つからない。やっと灯りが点いた頃にはもう見つからない。気のせいではない。確かに音が存在したのだ。午前2時の出来事である。私の家のことだ。だが、どうやら考えてみると、この家は私だけのものではないようだ。別の日に、夜中に起きてトイレに行けば、件の猫の徘徊に遭うし、蜘蛛は再三の蜘蛛取りスプレーにもかかわらず、お構いなしに勝手に家屋に巣を張る。目に見えるかどうかの極限に近い小さな蜘蛛だ。昨日の雨で急に湧いた蚊は、集団でサイレンのような羽音を立てている。彼らはここが自分の住処だと思っている。それで縄張りと言うのは、人間様が勝手に決めているだけだと思うに至った。それほどここには人間以外の住人が多いのだ。これから、自分が死ぬまで彼らと共存をしていかねばならぬのだ。高知を離れて以来人間との折り合いをつける生き方をしてきたから面食らっている。毎夜オルゴールのような虫の音を聞きながら眠る幸せもあるのだが。それで今日は朝から頭が重いから近くにあるレストランに行ってコーヒーを飲みながらこれを書いている。ヘッドフォンステレオの音楽はジュリーニの指揮するマーラーの7番だ。これをカセットテープに吹き込んだ80年後半はマーラーで一世風靡をするインバルは登場してないし、マーラーはクラシック音楽業界ではまだ有名ではなかった頃だ。思い出に浸る音楽との共存はお手の物なんだが。
6月15日(土曜日)
雨
梅雨の雨だ。今年は空梅雨で、こちらではまだ稲を植えることができない。一昨日の朝、私の部屋の屋根でカラスがステップを踏むような音を建てるので目が覚めた。この上で何をしているのだろう?それは今日の出来事に通じる。この家の1階の倉庫でツバメが子育てをしてもうすぐ巣立ちとの段階だが、カラスがツバメに恫喝をかけにやってきたのだ。ビビったツバメは、子育てを放棄して逃げて行った事実が判明したのだ。それで餌を貰えない子供達は息絶えたという悲劇だ。毎日大量の糞を落とすようになっていた子供達の食欲は凄かった。ツバメの両親は、早朝から日暮れまで一時も休まず、餌を運んでいたのだ。それが途絶えたら一瞬にして子供達は死に瀕したわけだ。日頃カラスの横暴は目に余るものがあると感じてはいたが、今回の事件を引き起こしてからは、更にカラスに対する増悪が高まった。かくなる上は私にも考えがある。足の怪我はやっと膿が止まった段階でまだ傷口は塞がってない。この傷が癒え次第カラスに報復を致さなければならないと決意した次第。
6月14日(金曜日)
原酒
千葉に住んでいる頃には、新小岩駅の近くにお酒に詳しい酒屋さんがあり、浜松町に自転車で通った日には、その店でうんちくを伺って買って帰る事ができた。仙台に住んでいる頃は、何処の酒屋さんでも酒を語ってくれた。だが、四国ではそんな日本酒のソムリエは皆無だ。その上、日本酒は「土佐鶴」か「司牡丹」しかなく、楽しみは半減だ。だが、ここに新発見をしたことを紹介できる時が来たのだ。松山の「市駅」にある高島屋は、随分と背が高いおばさんの日本酒ソムリエがいたのだ。好みを伝えると「原酒」がぴったりだと言われる。車だから試飲はできなかったが、余りの自信ありげなお薦めに買ってしまった。お酒はディスカウントの対象物だが、こうして丁寧に売る酒もあるのだ。酒屋さんはもう価格で勝てないと勝手に判断して、店の規模を縮小しディスカウンターと同じビールや焼酎など利益を減らして商売している。自ら墓穴を掘っているようもんだ。どっぷりと浸かると目先のことしか見えないと言うことなんだろうか?
6月13日(木曜日)
夏の昼長
秋の夜長でなくて。仙台に住んでいる頃には恩恵に属さなかったが、四国は午後8時くらいまで明るい。やっぱり暗くなれば田舎のこと人の活動も途絶え、寂しくなってしまうが、明るければ、まだまだと活動できる。生憎天候が悪くやや暗いが、視界は効く。高知県の東には生見海岸がある。知る人ぞ知る、サーフィンのメッカだ。いい波と、静かな環境。広い浜。津波にはまずいがサーフィンには最適だ。サーフィンをしない私は、泳いで沖まで出かけたことがある。陸地で見るほど波は小さくなく、素手で泳ぐには結構厳しい思いをしたことがある。その波を見下ろすところが国道55号線にあり、7時過ぎにサーフィンをしているのを見ることができた。もうこのスポーツは僕の範疇を越えたと思うが、見るだけでもワクワクする波がある。
6月12日(水曜日)
気持ちの良い風に吹かれて
台風の雨雲は梅雨の雨雲も一緒に連れていってしまい、今日は夏空が戻ってきた。東北の太陽と違って、四国の晴天は半端でなく、太陽は何もかにも焼き尽くすような力強さがある。車の中で冷房をがんがんに効かせても、直射日光が当たる膝の部分はやけどしそうな熱波を感じるね。そんな灼熱の四国だが、ひとたび木陰に入れば、そよ風は涼しく気持ちよく過ごせる。お昼は、レストランとか、ラーメンとかいろんな選択肢があるが、スーパーでお弁当を買って、この木陰で風に吹かれていただくのも格別な味わいがある。以前もこうしたチャンスがあったので、お弁当のためのシートを車に常備しているのだ。街の生活は確かに刺激的で楽しいのだが、田舎の生活には又違った風情で楽しめる。川の中に足を浸してお弁当を食べるなどもありだ。山の上の公園で食べるのは真夏には良いかも知れない。夢は広がる。
6月11日(火曜日)
昨日、父が台風が来ていると言うので、今日はもしもの事があってはいけないと、動かないでいたら、なんと台風はかけ声ばかりで、台風銀座と呼ばれる高知を避けていってしまったのだ。台風が来るのは、遠くから知人がやってくるのと同じくらいワクワク感がある。どうやら、これは私だけでなく、高知に住んでいる男女は皆同じ気持ちを持っているようだと少し前に知った所だ。だから芸西村の海岸は結構波を見に来る人が多いのだ。この浜は長いので台風の波がおもしろいほど走るのが見えるのだ。もちろん潮風は海岸から1km位離れた我が家にも届くから、この波を見た人は車のメンテをしないと、いつの間にか床に穴が空いていたと言うことになりかねない。だが、今回は潮風は我が家まで届かず、波の音も聞こえない。拍子抜けとはこのこと。友人が来ると約束したが、都合でキャンセルされたと同じくらいのがっくり度合いだ。それでも国道55号線を走ると、車のフロントガラスは真っ白になる。
6月10日(月曜日)
デジタルアーカイブ
シングルレコード、VHS、Fmfan。現在はこのデジタル化を急いでいる。しかし、なかなか時間を食うので、目に見える程デジタル化できない。書籍は最近気がついたことだが、スキャナー速度をスーパーファインに切り替えれば、読むときに非常に美しい文字が再現できる。この魅力にとりつかれてから、スキャナー速度を落としたことも作業の進まない理由の一つだ。VHSは主に音楽ものばかりだが、1990年前後の録画が多く、素晴らしい作品が記録されている。パナソニックプラズマ42PX10だが、この貧弱なディスプレイとスピーカーでさえも、素晴らしい感動が伝わってくる。最終編集を終えてゆっくりと見たいものだ。シングルレコードは意外と時間がかかる。一曲4分あまり、付きっきりで操作をしなければならないし、録音し終わった後は、ひとまとめのファイルを曲毎に切り取って、曲名や歌手名を手入力しなければならないのだ。一日に5枚程度が限度。何時の間にこれほどのレコードを買い集めたのか不明。きっと合展のデモに使うために買ったんだと思うのだが。
6月9日(日曜日)
雨
いい具合に雨が降り出した。日曜日の雨は気持ちが落ち着き和らぐ。父の依頼であるトラクターの下敷きとして使うアルミの板の回収さえ済ませば、後は自由に時間を使うことが出来るのだ。まずは睡眠。最近は一度寝ただけでは、疲れが取れず、昼寝を2回ほど繰り返さないとダメなんです。これですっきりした後、母屋で台所から風呂に通じる廊下の掃除をしようとしたところ、何とムカデが出てきました。毎晩、友人の勧めで寝る前に布団やパジャマをチェックしてムカデの存在を確かめてますが、やっと出会えたと言うわけです。早速ガスレンジで焼きました。危険がいっぱいな田舎生活。決まり切った範囲の中での生活とは縁遠いワイルドな厳しい生活であります。雨音を背景にクラシック音楽を聴くのも乙なモノです。
6月8日(土曜日)
ドラムスは打楽器である
ベースとバスドラムは低音部分を司る楽器である。最近のヘッドフォンは低音が良く出ると銘記したのも多くあり、オーディオテクニカはその代表。低音が固いとか、定音が少ないとか、低音がこもるとか、低音にまつわる音質表現は多いのですが、「たたきつけるような低音」はとんと耳にしなくなりました。それは、音源がハイサンプリング化し、デジタルアンプなども使われ出し、何時しか低音は音楽の味付けの要素が強くなった気もしないではありません。一方、昔の音源と昔のオーディオ機器を使っている私としては、音の向かう方向が現在と違っていて、スピード感のある引き締まったものを求めているわけです。その近道がマルチアンプ化でして、今の言葉で言うバイアンプなわけです。しかも帯域を分けたバイアンプで、コチラの本家は2chのバイアンプで離れのほうは3chのバイアンプであります。そして、両方とも、「バスドラムはきちんとキックすることで音が出ているのだ」を実感できるスピード感を持っています。これに慣れると、ふんわり出てくる今の低音は聞くに堪えないですね。
6月7日(金曜日)
ズービンメーターがピアニストだったなんて
昔のVHSの整理にはお宝映像が随分とありますが、特にクラシック系に多いは、版権の関係か最近は放映されないからだと思います。最近のではズービンメーターがベートーベンのピアノコンチェルトを弾いているのは特筆モノです。私のベートーベンの3大ピアノはRadu Lupu(ラドールプー)氏が一番だと固定観念がありますが、これを覆すようなピアノを弾いてます。残念ながら、昔、私は映像に対する理解度が低く、ナショナルのビデオで3倍の録画をしています。何故ビクターで標準画質の録画しなかったんだろうと。(そのころはHIVIでビクターのビデオ評価が高かった)そのためトラックずれが多く旨く録画できている番組が少ないと言うのが反省であります。また時代を経た録画テープはスコッチ→ナショナル→マクセル→TDK→FUJIと切れます。何でスコッチのテープを使ったかは、明確です。オープンテープはスコッチが一番良かったからです。だが、ビデオテープは最悪だった。話がそれましたが、一旦BDのHDDに録画したお宝映像は、一番安価なDVDに焼くことが出来ます。
6月6日(木曜日)
NEC9821Nr166
「PCの速度が遅くて」「PCの立ち上がりが遅くて」。よく雑誌や新聞のキャッチフレーズにこんな記事が掲載されます。そしてこんな事とは無縁のPCがこの9821であります。CPU速度は何と166Mhz。Windows95。信じられないでしょうが、これでワードを開き、エクセルを開きめちゃくちゃ早く動きます。ATOKをインストールしてますので、会話程度の速度は十分に同時入力が出来ます。どうしてPCが遅くなるかと言えば、マイクロソフトさんが、UPDATEと称しまして、あなたのPCのOSをいじってくれるからです。ネット接続をせず、スタンドアローンでしか使わないこの9821Nr166は買ったままの状態の速度であります。問題は重いことで、握力の衰えた私にとって、4kgのこのPCは手に余る程の重量で落としそうになるのです。
6月5日(水曜日)
昔から眺める現在

溜まった新聞を逆に見てゆくと、重要な事と詰まらんことが一目瞭然で分かりますね。最近の円高のニュースなどは逆に見れば大変おもしろいです。今、書籍のスキャナーをしているところですが、丁度1980年代のオーディオ雑誌に取りかかっています。今では耳にもしないアーティストやオーディオメーカがあり、一方でそのころから今までも健在な歌手やメーカーがあります。とりわけカートリッジの「シュアーV15」 は酷評をした思いがありますが、今でも存在し製品も残っているのは立派です。我がテクニクスはカートリッジはおろかブランドまで消えてしまっていることを考えると、企業理念みたいなものは、相当筋の通ったもので無ければ長い年月を持ちこたえられないと思いましたね。私の勤めていた会社は松下幸之助の企業理念があり、世界に誇れるものだと教育を受けましたが、会社を辞めてこうして冷静な目で見れば、そんなに立派なモノではなかったんだと思えるようになりました。もっとも先の新聞から現在に遡れば、また違った見方も出来るかも知れませんが。
<今年の夏はココで泳ぐ、津田の松原>
6月4日(火曜日)
イギリス人の英語
基礎英語3はこの4月から講師が代わり、内容も一段と高度になりました。その上、耳になじんだアメリカ英語から、イギリス英語に変わって、ヒアリングが全くダメになってしまった。もう一ランク上のラジオ英会話のアメリカ英語の方がまだ聞きやすいのです。まぁ言ってみれば英語力はまだまだと言うことなんですが、いきなり自分の実力がダウンしたようで気落ちしているのであります。書籍のスキャンを行っていますが、この中に英語の本が含まれていて、1974年にはもう英語を勉強してみようと「時事英語研究」を買っていますね。今は読むことは出来るが、当時はこの書籍、買うだけでどうすることも出来なかったんだろうと思う。こうして、今もラジオ英語を聞き続けていられるのは、若いときから英語には関心があったかもしれません。
6月3日(月曜日)
生傷が絶えない

今朝まで雨が降っていた。朝食事の後、離れにある自分の部屋に帰る途中で濡れた玄関で滑って転んでしまった。それも前回と同じ場所で転んだ。同じ事を2回繰り返すのは馬鹿だが、昨日ここに滑り止めのシートを敷かなければならないと思った矢先の出来事だ。弁慶の泣き所をしたたか打って、今回は真っ白な骨が見えた。先週に引き続き血まみれとなったのだ。取りあえずバンドエイドを傷口に当て包帯を巻いた。怪我の準備は出来ていたのはホントの怪我の功名。9時を待って病院を訪ねた。肉に巻き込んだ皮膚を引っ張り出しての荒治療だ。もともと痛みがあるので、少しだけ痛みが増えただけだった。病院の処置の後でも血は流れ続け包帯が赤くなった。抗生物質をもらったが、前回の薬とけんかしないかと聞くが問題ないと言う。薬局に寄って、傷口に水が入らないようにするシートを購入。このシートは小々高いが、水を通さないので風呂にはいることが出来る。<知人のF氏が住む瀬戸の日没>
6月2日(日曜日)
雨
肌寒い朝だ。昨日は飲んだこともあって2食だった。腹が空いて目が覚めた。高知に帰ってきてから、この空腹で目が覚めることが多いぞ。朝飯を食ってラジオ英会話を聞いて、又布団の中に潜り込んだ。こんな天候だし、手の怪我もあるし、なかなか気分が乗らないのだ。布団の中でiPadに取り込んだ小説を開いた。「白骨」GMフォード氏の作だ。名前からしても車が好きそうだ。もちろん小説の中に車の登場は多く、車種が明確だ。この小説は映画「ダイハード」のように、次から次に災難が降りかかってくる。と言うことで、体のエンジンがかからなかった代わりに、読書熱が頭をもたげてきて、とうとう午後3時まで布団の中で読んでしまった。私の人生は仕事以外では読書にもっとも多くの時間を割いてきた。これからもそうありたいのだが、溜まり溜まった本の整理に今は忙殺されている。当分このような日々が続くが、いずれ本来の読書に戻れる日が来るだろう。その時はキットこのような生活パターンとなるはずだ。と言うことで今日は老後の先取をしてしまった。
6月1日(土曜日)
友人達
どうしてもメールをしなければならず、かといって自宅ではメール環境がないので、高知のネットカフェに出かけてゆくことになった。しかし、待てよ。高知市の手前にある友人宅でメールが使えないか?一寸確認だ。電話をすれば在宅だ。そこなら近い。早速訪ねてメールする事30分。やっと目的を果たせた。その足でこの友人を奥様から借り出し、芸西村まで連れてきた。酒盛りをするのだ。もう一人のT氏に途中で電話を入れて準備をお願いした。彼等は僕よりも自由な時間が多く、もっと頻繁に交流しているのだが、そんなこと関係なく声をかければこうして飲むことが出来る。いつまでこんなコトできるか分からないが、嬉しいことだ。それに今日は飲むことの他に別の目的があった。私の家のシアター紹介だ。音の評価は今一だったが、100W×2クラスのアンプを3台駆動して大きな音で演奏するわけだから、迫力の面で少し堪能して貰えただろう。マイケルジャクソンのThis is itもそれなりに鳴った。映画を観るための椅子が無いのが課題だ。
5月31日(金曜日)
友来る
どうも頭の調子が良くない。日常生活に必要な直前の記憶がどんどん失われていっているのだ。眼鏡を外すのは50cm以内に置くことと決めている。それ以上離れると捜すのが困難になるのだ。それがますます酷くなる。病気かも知れない。そして今日は大事なモバイル通信機器をうどん屋に忘れてくる失態をしてしまった。そんな不安を持っていたから、同世代の友人が高知にお越しになったので、聞いてみると、私ほど酷くはないが、やはり同じようなことはあるようだ。そんな話題から久しぶりに合う友との会話は始まった。共通の知人も狭心症とか、不整脈とか、とにかく年齢から来る疾患に悩まされているとのことだった。昔は大分のクラブや博多の中州でそんな未来が待っているとは知らず、友人はまだしも、僕でさえも無茶な飲み方をしていたが、今は健康の事が気になる年齢になった。帯屋町の「司」で呑んだ。おひろめ広場も選択肢があったが、僕は酒が飲めないこともあり、酒なしでは収まらない「おひろめ」は敬遠した。5月は2組の知人を高知に迎えた。退職後もこうしてネットワークが続いているのはありがたいことだ。
5月30日(木曜日)
馬立
愛媛県だか徳島県だか分からないところにあるこの小さなパーキングエリアは、どなたの采配か不明だが売っているもの一つ一つにセンスが光る店である。最大の売り物は「高原の大福」で、毎朝行列が出来る、20コの限定販売のお菓子だ。コンビニで販売しているコーヒー飲料も、売れ筋ではない砂糖無しのラテがあり、他のサービスエリアにはない選択眼が光る。そのほかにもゆずのふりかけとか。ホント小さな売り場で厳選した品物が揃っているのだ。売っているのはパートのおばさんだから、経営者の顔は見えない。四国の山奥にこんな人材がいるとは驚きだ。ただ、冷たい目で見れば、高知道はPAを設置する場所が無く、ここは前後のPAから随分と離れた場所にある商売上有利な場所にあるから、思い切った冒険ができる立地でもあるのだが。
5月29日(水曜日)
4Kテレビ
いよいよソニーの4Kテレビが店頭に並んだ。HDDによる4K演奏だから今一実感がつかめない。このテレビに期待するのは写真の表示だ。HDは200万画素だが、4Kは800万画素ある。私のメインカメラはEOS20Dで800万画素あるので、4Kにぴったりだ。ブレやピントの不安定は55型だと如実に分かるから写真の腕も、レンズ性能も評価できるのだ。来年はサッカーから放送が始まるらしい。いずれムービーも4Kになるだろう。放送やメディアに期待するよりも、4Kは自作が生きそうだ。一方では昔録画したVHSをDVDに録画して、8インチのDVDプレーヤーで観て楽しんでいるのだが。コチラは0.034Kだ。
5月28日(火曜日)
進化論

Mr.Darwinの話ではない。音質の話。パナソニックのポータブルMDプレーヤーの修理が帰ってきて、一躍昔録音したMDの音楽を聴くことに目覚めたわけ。2倍以上のMDはパナソニックで聴き、標準はソニーのMZ-R55で聴く。このソニーのMDプレーヤーは非常に音質が良く、iPodに慣れた耳にはえらく刺激的に聞こえるわけ。昔はこんな音を聞いていたんだ。昔は音が良かったんだ。いつの間にかポータブルは音が悪くなってしまっていたと言うことに気がついたのだ。それで、最近はカセットテープを持ち歩くのはなく、MDを持ち歩いている次第。未だに音の世界にはLPレコードがあり、真空管アンプがあり、僕たちがオーディオに携わった80年-90年は何だったんだろうと思うわけ。私たちサラリーマンは、「企業はユーザーに製品を通じて幸せを届けているのであり、よりよい進化がユーザーによりよい幸せだと信じていたのだ」。カセットテープだって、音の転写を我慢すれば、音質はなかなか良いのだ。昔の人が、昔の音楽を聴きおおいに楽しむ。進化とは無縁の世界に生きているのだ。<醤油をかけた食べる饂飩。昔から変化しない>
5月27日(月曜日)
不愉快
昨晩は傷むかと思ったが、そうでもなくぐっすりと眠ることが出来た。そして、腫れるとやばいなと思っていたが、どうやら落ち着いているようだ。右手が使えないと何かと不便。不便だがぼけた家族は待ってくれない。朝食の後の食器の洗い物も不器用な左手と、右手の指先だけを使ってこなさなければならない。離れの家に向かうとき、その腕に蜘蛛の巣がひっかかる。不愉快さが倍加する。不愉快さと言えば車のシートにズボンが汗で未着するのもその一つ。それで、PCショップを訪ねた。厚さ2cmくらいの冷却用のファンがないかどうか。ありました。そして電源はPCの電源を使えることを確認。車のシートと座布団との間にこれを挟んで、おしりに空気を送るのだ。果たして旨く機能するかどうか。
5月26日(日曜日)
窮鼠猫を噛むではないが。
野良猫がこの当たりをうろついていることは前に書いた。その猫が我が倉庫で子供を産んでいたのだ。困ったことだ。その子猫を追い払おうとしているとき、親猫が周りで警戒信号を発信する。それは、問題ないのだが、私が洗濯物を干しに行っている間に私の部屋まで入ってきて鳴く。そして私が部屋に入る、猫が部屋から出る時に丁度かち合ったから、頭に来た私は猫をつかんだ。つかんで何とかしようとしたわけではないのだが。とにかくつかんだ。そうすると、猫も必死だから、猫は噛みき、爪で私の肌を蹴破った。噛みつかれた傷は相当深く、右手は血まみれとなった。休日診療している救急病院を探して訪ねた。狂犬病みたいな病気があると困るからだ。先生曰く、「猫は病気を持ってない」。ともかく、牙の入った傷口を広げ、そこにピンセットを入れるのだから、痛いのなんの。傷の手当てはなく、ただ包帯で巻くだけ。時々傷口を広げ膿を出してくださいとのこと。腫れるともう一度来てくださいとのこと。抗生物質をもらい退散した。今日は本を裁断してスキャナーで取り込むなど、いろんな事を行い、両親の食事を作らなければならないのだが、全てキャンセルだ。指先だけは動くのでPCは使える。友人宅で蜜柑やジャガイモを頂く。近所の農家ではピーマンを頂く。いいこともあるのだ。
5月25日(土曜日)
開場
とうとう、いろんな準備が整い、離れの家にシアターが完成した。風呂から出た後、BD
レコーダーを下げて、訪問した。丸い大きな月が出ているので、懐中電灯は不要だ。自分の家だが、他人の家を訪ねるような新鮮みがある。VIERA TH42GH5のメニュー画面で、シアターモードを選択し、明るさを下げて、解像度を高めに設定した。照明を落として、オペラからグループサウンド、アニメ、映画と次々と観ていった。全暗の環境は整っているが、A5mk2のメーター照明が余りにも明るすぎるのは、次回調整だが、なかなか楽しく観ることが出来た。リクライニングシートも頭まですっぽり包み込むようなタイプだから、くつろいで観賞することが出来る。シアターはまず椅子が重要と言い続けてきたが、まさしくその通りだと実感。
5月24日(金曜日)
アクシゼント
今になると原因が何だったか分かるが、その時は何も分からず大失敗をしてしまった。それは、SH-D1000の出力から音声信号にDC成分が流れたのだろう。接続したSE-A100やSU-V10のパワーアンプを壊してしまった。分解して、コンデンサーがパンクしていれば交換しようかと思ったが、どうやらそんな単純なモノではないようだ。自己修理は断念。ネットで調べれば、修理する人は沢山いるようだ。これは、自分で下手にいじらない方が良いと判断。予備のアンプ最後の一台となったA3mk2を取り出してセットした。これらのアンプは40kg近くあるので動かすのが大変だ。チャンネルデバイダーをヤフオクで物色しなければならない。
5月23日(木曜日)
バリュームは酒で流そう
結構診断を受けた。高知日赤でバリュームを飲んだ。今までの健康診断の時と比べて、ここのはバリュームの量が多い。検便も日にちを代えて2回提出となっている。10時前に終えることが出来た。下剤は食後1時間後におのみくださいとある。とにかく水分の摂取量を増やしての食事となるとビールを飲むことしかない。それで、先日訪問した「おひろめ広場」へ出向いた。今日は自転車で来ているので安心だ。芸西〜高知32kmは1時間半程度だったが、今日は1時間45分。随分と体力も落ちたものだ。ビール2本と鰹の炊き込みご飯を頂いた。朝から飲むってなかなかいいことですね。ほろ酔いで、自転車に乗って南国のマクドでコーヒーを飲みながら下剤を飲んだ。この胃の検査、麻酔を使って検査する胃カメラの方が楽ですね。次回からコチラにしよう。
5月22日(水曜日)
バラ園

蘭は仕事の退職にかまけて忙しく見逃した。もう一つの花の王様「バラ」はばっちりとカメラに納めた。山形のバラ園は6月18日だった。私の定番である谷津のバラ園も6月の最初だった。だが、四国は違う5月の後半ではもう遅すぎるのだ。やっぱり関西は暑いのだ。朝は肌寒いが、昼間はもう夏だ。それに光線の強さが違う。太陽光に強い私の目もサングラス無しでは過ごせないのだ。では、この環境がバラにとってどうか?と言えば、どうやら、もっと寒暖の差のある山形の方がいいみたいだ。それは、薔薇の匂いが全く違うからだ。深紅の薔薇と、紫のバラは何度挑戦してもカメラには収まらない。周りから孤立して背後が抜けているバラがあればGetだ。ただ田舎のバラ園は蜘蛛の巣退治をしてないので、花の周りを手で円を描くようにぬぐって撮影することが肝要だ。目には見えなくても、ディスプレーに拡大すれば一寸のミスも全て写し取っているのだ。ニコンD800を持っている方はもっと大変な思いをしているのだろうと推測する。ともあれ、各色のバラを撮影。明るさは±0.7段階変更して撮影するブラケット機能を使った。
5月21日(火曜日)
腰の下の汗
車に乗って降りるとき、腰から膝までべっとりと濡れているのが気になる季節となった。車のシートと肌との間に空気層が無いからだ。それで、2cm近く厚みのある金属の金網(継ぎ足しラックの棚板)を買ってきて敷いた。少しは和らいだが、金網の上にタオルを敷いただけのクッションでは、今度は尻が痛い。2cm近くの厚みの間には、PCで使う薄型ファンが組み込めそうだ。なるべくお金をかけずにアイディアで勝負するのは大事なことだ。もう一ひねり無いのか考案中だ。
5月20日(月曜日)
昆虫との戦い
ここは自然が豊だ。豊かすぎると言っても過言でない。ハエや蚊は日常だが、蜘蛛も大問題だ。勤勉な蜘蛛は夜中に長い糸を張る。1本糸が通れば巣は簡単だが、最初の1本は大変だと思う。その1本の糸が顔にかかる、あるいは腕にまといつく。不愉快きわまりない。目に見えないだけに余計不愉快だ。ジェット噴霧を買って蜘蛛には用心しているが、まるで蜘蛛の子を散らしたように逃げるので、果たしてこの噴霧が聞いているのかどうか不明だ。高知の四季は十分知っている筈だが、記憶は薄く、だんだんと思い出すようになっている。いい面では毎晩コオロギが他の昆虫が風情を醸し出してくれる。月を見ながら眠るのは気持ちがよい。都会の喧噪と人混みは魅力の一つだが、人よりも昆虫と出会う機会が多い田舎の生活もなかなかいいものだ。家屋は広く、都会の友人達を集めて共同生活をするのが当面の計画だ。
5月19日(日曜日)
ミッドレンジをホーン型スピーカーに代えた
倉庫にはEAS-50HM16が転がっている。離れのシステムはマルチアンプシステムなので、スピーカーの交換は簡単だ。それで、午前中倉庫を片付けて、午後、SB-MX200Dのスコーカーをこのホーン型のミッドレンジスピーカーに変更した。今のアンプシステムでは、ちょっと音が汚い。アンプが若すぎるような気がする。このスピーカーは40年以上も昔製だが、アンプは1990年代モノを使っているからだ。もう少しつやのある管球式などを当てると良いかも知れない。試しに映画も2ch限定だが「沈黙シリーズ」を見た。確かにホーン型は台詞には最適だ。先般放送のあった中島みゆきライブは、音の濁りが気になる。まぁホーン型を手なずけるには、半年は必要だろう。ついでに倉庫で眠っているリクライニングの椅子もセットした。コチラは、腰掛けの部分はネズミが食って使い物にならない。幸いN氏の引っ越しの時に頂いた同じリクライニングの椅子があり腰掛けの部分は大丈夫そうだ。両方のいいところを取って一つに仕上げた。
5月18日(土曜日)
おひろめひろば
昨日のパーティーを開いた海岸を望むレストランで朝食。その後坂本龍馬を見るのに桂浜へ。ここは高知観光の定番だ。だが、地元の人が何時来ても、それなりに、この景色は楽しめる。空と海が青く、松の緑が実にいい風景を織りなしているからだ。彼等はさんざんおみやげ屋さんをからかった後、高知市内のはりまや橋へ、その橋は一瞬見た後、ほんの少し走り車を止めて、「おひろめひろば」へ酒盛りに。昨晩たらふく呑んだはずだが、ここでだめ押しの酒を飲む魂胆だ。随分長い行列があり「しおたたき」をGet。みんなは「ゆず割サワー」を呑んだ。ゆずサワーを販売しているお姉ちゃんが気に入って何度も注文を繰り返す輩もいて、第二の宴会もまずまずと評価いただけたようだ。午後3時過ぎの電車でお帰りになったようだ。私には、今日もう一つイベントがある。恩師の先生が亡くなったのだ。帰ってシャワーを浴びてひげを剃りセレモニーホールに出かけた。88才。もう友人関係の参加はないようだ。友人関係は先に亡くなっているからだ。ご近所と身内の参加のようだった。もう20年ほど前になるが、先生の女学校時代を語ってくれたときがあった。「鬼龍院花子の生涯」を書いた宮尾登美子とも同級生で、一風変わった人だったと話されていた。宮尾登美子の年賀状も見せていただいた。
5月17日(金曜日)
友来る
大阪から定年されたN氏、K氏、ウイン企画のW氏がやってくる。当方も3人のプロジェクトチームで受け入れを行った。更に、名古屋の友人T氏から30日頃を目処に予定を明けておくように電話があった。高知は千客万来なのだ。今の時期冷暖房なしで快適に過ごせる一番良い季節なのだ。高知駅で彼等をピックアップして、まずは、車に積んであったバーベキュウセットを下ろす。場所は我が美しの海岸「琴ヶ浜」。ここで宴会を行うつもりだ。そしてワラ焼きのタタキも造る。次に、我々は東に15kmほど行った安芸市に魚の買い出しに向かった。ここは結構有名な魚屋さんで「寺尾」と言う。鰹一匹を下ろしてもらう。他に蛤やエビなどを買って帰ってきた。そのころには炭火は起こり、いつでもタタキが出来る状態だ。私が車を置いて引き返してきた頃には、タタキのおおよそは彼等の腹に消えていた。大好評だった。小夏みかんを焼酎で割るカクテルは、半分の評価。蛤のバーベキュウは100点満点。暗くなると薪を集めて「ファイヤー」は100点。警察からの注意を受けたが気にもとめないで大騒ぎ。何と!帰って時計を見れば9時を回っていた。この海岸で4時間を過ごしたのだ。
5月16日(木曜日)
失礼ですけど
マクドナルドでPCを広げこの文章を打ち込んでいると、隣に座ったおじさんが声をかけてきた。それWindows95ですか?と聞いてきた。「そうだ」と答えると、「それって遅いでしょう。立ち上げに時間どれくらいかかります?」。「1分少し」と私。それを聞いて絶句。「ではインターネットはどれくらい」。「それも1分少し」。「これWindows8だけれど、これでそれくらいだから、そんなことはないはず」と大きな声でわめいていた。このおじさんはOSの進化は快適になっていくものだと信じているのだ。後の会話はこの延長線上で、いくら私がWindows95を擁護しようが聞き入れないようだった。このPC166hzの動作周波数で、約100Mのメモリーを搭載して、エクセルやワード、パワーポイントは実に快適に動くのだ。解像度も1024×800ドットもある、当時としては最高級品なのだ。iPadでNumbersを使うよりもずっと快適にエクセルが動く。惜しむらくは、昔のHDDなので、動作音が大きいことと、液晶が暗いので、屋外で使うには、ディスプレイの周りを段ボールで囲む必要があるだけだ。そして音楽はWalkmanでカセットを聴いておれば、完全におかしなおじさんになる筈だ。
5月15日(水曜日)
日々精進
一度つながった人はなかなか切れないのが僕の人間関係だ。久しぶりにFBを覗くとメールが届いていた。フィリピンで知り合ったパナソニックの販売会社の社員からだ。もう2年が過ぎるが、きちんと覚えてくれていて、来週「門真に来るのでいっぱい呑もうや」と言うお誘いだ。残念ながら、もう大阪に行く機会が無いので懇親はできない。もう一つ、日常のメールは辞書が無くても理解できる程度になっているので、実際の会話ではどの程度までレベルが上がったのか試したかったのだが、この面でも残念だ。こんな機会があるので英語の勉強は日々精進しなければならないと思うのだ。子供の仕送りが終わる頃までには、どうしても会話力を身につけて、フィリピンに住んでいる彼等の力を借りて、向こうで2-3年暮らしてみたいと思っている。ミンダオナ島のイスラム人の独立が実現すれば、この国はもっと安全になるはずだから、海外生活新米でも何とかなるはずだ。
5月14日(火曜日)
エクササイズ
最近軽トラックに乗る機会が結構ある。万歩計を装着して毎日歩数をカウントしているが1万歩を越えることがないのに、腹が出てこないのだ。逆にウエストがしまり、ズボンがベルト無しでは落ちるようになってきたのだ。大阪に住んでいる頃には、15,000歩を下回ることはないのに、結構体重は増えていった。仙台に住んでいる頃には、日産noteで月に3,000kmほど走り回っていたが、夜自宅に帰り、少し離れた西友モールまでの片道30分近くを散歩しないと腹がもたれて調子が悪かった。なのに、今はどうだ。余り歩かないで、体重が落ちているのだ。そして、その原因はどうやら、軽トラックで揺られることにあるのではないかと思うに至った。昔パナソニックから「ジョウバ」と言う体の上半身を揺するエクササイズの機器を発売し、ウエストが締まると宣伝してた、どうやらこれに近い効果が軽トラックの運転ではあるのではないかと思うのである。乗用車と比べて、サスペンションが固く、その上シートが固いし、更にシートが直立で、姿勢を正して座っているようなものだ。そのおかげか、昼飯なども結構旨く大量に掻き込むようにいただけるのだ。昨日などは伊予棚を望む高台のサービスエリアで弁当を食べた。少々太陽が強かったが風が気持ちよく、風景の調味料が弁当の味を引き立ててくれた。
5月13日(月曜日)
高知のオーディオ専門店
離れのリスニングルームは一応の完成を見たが、まだ5.1chの環境ではない。それにはAVアンプが必要なのだ。最終的には30万円程度商品の購入を考えているが、一気にそんなわけにはいかず、まずは中古品で楽しめば良いと考えている。高知市には唯一のオーディオ専門店「シキデン」があり、そこそこの陳列があると聞いたので、訪問してみた。ヨドバシカメラやビックカメラのようなオーディオコンポの売り場とは違い、やはりここはきちんとしたオーディオの好きな人が運営している雰囲気がある。まずは一通り見て回ったが、音の設定は私好みではない。下調べ格の店で、やはり実際に買うには大阪のシマムセンまで足を運ぶしかないか?と思った。AVアンプの中古品はパイオニアのSL-LX51が36,000円で出品されていた。フロントは今のシステムを使うので、このアンプで使うのは、5.1chの復調とリアアンプ用なので、これで良いかと思っている。問題は、システムを設置してある離れは、この家から僅か5mなのに、夜、懐中電灯を下げて訪問し、一人で映画を見るのは一寸寂しい気がすることだ。
5月12日(日曜日)
パトロール
きっぱりと晴れ渡った。高知は曇りのような中途半端な天候がないのが良い。大阪から知人を迎えるので、離れの家を整備している。今日は障子貼りだ。本当は12枚も張り替えなければならないのだが、見えるところだけに限定し6枚の障子を張り替えた。これは骨が折れる。障子紙は一枚ものになって貼るには問題はないが、前の紙を破るのに時間を要するのだ。4時間ほどを要してやっと終えた。それに、この離れの音響がなかなか決まらなく頭痛の種だったが、いろいろといじっている間にまずまずの音となった。ここでのおもてなしの魅力は音だから、これがしっかりしてないと、只のぼろ家となる可能性もある。とにかく一安心だ。私の四苦八苦する行動をすぐ近くで見ている猫がいる。野良猫だ。家の周りを数匹の野良猫がパトロールしているおかげで、ネズミがいなくなったようだ。夜寝ているときに天井が騒がしかったが今は静かなままだ。目の前にうるさくまとわりつく小虫もいない。これはツバメのパトロールが効いているからだ。何だか動物に助けられて生きているが、こればかりは何ともならないのが、蜘蛛だ。あちこちに巣を張って、とりわけ顔にくっつくのが気分を害する。しかし最近はいいスプレーがあって、蜘蛛を退治して、しかも巣を張らせない機能を持ったものが登場している。これで夏に向かって万全なはずだが。
5月11日(土曜日)
プロジェクトチーム結成
大阪から知人が3名やってくる。一人で接待するつもりだったが、どうもそんなに簡単ではないような気がして、友人の応援を求めた。せっかく高知に来るんだったら、タタキをしなければ収まらないのではないかと言うのだ。しかも、ココには非常に綺麗な海岸が広がっている。そこで、宴会をすべきだと言う。と言うことで、私が知人を迎えに行っている間に、彼等はこの海岸でバーベキューやタタキの準備をして待つことに。しかも、今の季節おいしい蜜柑「小夏」があり、これを焼酎で割って飲む酒は格別だ。この酒の担当も必要だと言うことで、高知にはお客様を迎えるプロジェクトチームが発足した。そして、これを一次会として、二次会には我が屋敷で、昭和の音楽でも聴きながら酒を飲む計画ができあがった。
5月10日(金曜日)
回り回って
ある街でホームセンターを捜して工具を買うつもりだった。それで、「コーナン」を検索して、カーナビにセットすれば、ここから5km程西の方向だという。ところが、現場に行ってもそれらしきホームセンターはない。どうやらお酒のディスカウンターに変わっているようだった。次の店を早速ネットで当たり、「西村ジョイ」を見つけた。今度は東の方向5kmだと表示された。少し遠回りしたが、向かった先は、先ほど僕が立っていた場所から200mの所。当たりを見回さずネットに頼ったのが問題ですね。自分で笑ってしまいましたよ。
5月9日(木曜日)
師匠は鳶(トンビ)
「今日で18日目になる宿泊だ」と言う50歳前のおじさんと話した。彼はキャラバンカーに仕事機材一式を搭載し、しかも車で寝られるような装備をして埼玉の自宅を出発したそうだ。全国でパラグライダーの講習会兼デモを行って、パラグライダーの販売を行っているセールスマンだ。セールスマンとはいうものの、ジーンズにTシャツで、服装は至ってラフ。「私も10年くらい前までは製薬会社に勤めていてネクタイを締めていたんです。今ではもうネクタイは結べませんね」、と言う。「主にどこで飛ぶんです」。「スキー場が多いですね」。「明日は鳥取砂丘ですよ」上昇気流を狙って飛ぶ仕組みですから、晴れている時でなければ、気流が無いので、この遊びはできない。どうやって上昇気流を見つけるんですか。気圧計や対地速度計など電子機器を装備していますが、我々が「師匠と呼ぶ、トンビを見つけることが先決。彼等は強い味方だ」。と言う。「パラグラーダーとエンジンを背負うモーターパラグライダーとの違いは?」と私。高いところと飛ぶのがパラグライダー。低いところを飛ぶのがモーター付き。これ、私の知識と反対のことを言う。天気の良い日に飛ぶのがパラグライダー。曇りの日とか、朝や夕刻飛ぶのがモーター付き。とずいぶんと偏ったご意見をいただいた。が、おもしろい人で、引き込まれそうになった。
5月8日(水曜日)
「柿の下よ!」
近所に「くっさん」と呼ばれるおじさんがいる。本名は知らないが、皆がくっさんと呼ぶので。このおじさんがキュウリを植え付けした。先日私の家を訪問して、父はいないか尋ねられた。生憎父は母の病院への送り迎えで留守にしていた。「透析は休みの日でもするんかい?」「病気は待ってくれないので」と私。このおじさんの用件は今年キュウリの生育が良くないので、何が原因なのか父に聞きに来たのだ。「腐っても鯛」で、父は農作物に関してはプロ中のプロなのだ。サンプルを持参されていた。無農薬で栽培していると言う。私は農薬を使わないので生育が悪いんではないか?と冗談を言ったが、どうもその冗談は通じんかったようだ。それで一旦引き上げたが、昼間父と会って話をしたようだ。結論はこの寒さでは路地植の生育は良くないとのこと。キュウリの話はこれで終わりだ。それで今日の朝。くっさんが大きな魚を持ってきた。コチラで言う「とうやく」だ。この間のお礼とのこと。彼は農作業はシロウトだが、釣りはプロ並みの腕がある。今夕の刺身はこれで決まりだ。僕もお礼かたがた、「何処で釣れた?」「柿の木の下よ」。多分釣り仲間に通用する地名の事だろうとは察しがつくが、普通の会話では??となりますね。
5月7日(火曜日)
ツバメの都はるみ
毎日寝不足が続く。それは4時50分になれば窓の庇の下でツバメが鳴くからだ。私の頭とは2mも離れてない。このツバメはつがいの一方だが、そのよく鳴く方が最近コブシを回して鳴くようになったので五月蠅いことこの上ない。まぁツバメの都はるみバージョンですね。朝方の眠りが浅くなる時、枕元でがんがんやられるともう眠ることはできない。一体ツバメは何を話しているのだろう?人間の言葉のように音程やさえずりが一定ではない。と言うことで毎日毎日早起きになっている。これでは体が持たん。それで、何か対策はないものかと考えたあげく、2つの方法が浮かんだ。一つは網を張る方法だ。庇から網をつるす方法だ。もう一つは、元はネズミ対策用の超音波発生器だ。人間の耳には聞こえない周波数を大きな音量で鳴らすのだ。まずは後者を試してみたら、すごく効果があった。前者は見かけが悪いし網の作業は危険だ。
5月6日(月曜日)
こんなに幸せな気分でいいのだろうか?
五月晴れの昼間。雲一つ無く、空は青く晴れ渡り、そよ風は気持ちよく、ウグイスはもう手慣れたプロ歌手並みに旨く鳴くし、魚は旨い。このような時期は今まで住んだ大阪にも、千葉にも、仙台にも必ずあったはずなのに、こんな幸福感はなかった。やはり故郷の風と言うのか、空気がなじむのです。丁度今の季節は裏のミカンが満開で、柑橘系の甘い匂いが漂ってくる。畳の上で寝転がれば、忽ち別世界に誘ってくれる。人生の終端はやはりこうでなけばならない。
5月6日(月曜日)
昔の写真が
毎日毎日片付けに追われているが、片付けをすると何か新たな発見があるのが新鮮だ。今日は昔の写真を見つけた。自分の写真は余り沢山撮影してはないが、それでも何枚かはある。自分の若い頃の写真を見て、あれぇ〜余り変わってないぞと思いました。進歩というか経験がなせる顔つきというかそういう年輪みたいなモノは僕の顔に刻まれることなく、いろんな試練はレールの上を走る汽車のようにさらっと僕の上を通り過ぎていったように思えますね。嫌なことに蓋をして深く考え込まないのが、僕の人生だったかも知れないと思うのであります。更にその写真の束には、高松に住んでいた頃、女島で撮影会があり、その時に撮影した写真がわんさと出てきました。マニュアルピント操作のキヤノンFtbで撮影した割にはピントをしっかりと捕まえてました。あのころは目が良かったのだろう。友人のK氏が新婚後手紙を書いてきたのもあります。無くなったおばさんの手紙も出てきました。宇高連絡船のグリーン切符なども出てきました。岡山県の宇野と高松を連絡船で結んでいた時代があり、出張の帰りはいつもグリーン券を買っていましたね。120円でしたから。井までは1時間もかかった連絡船の船旅は、僅か8分間の高速道路に取って代わっています。昔に想い出をたどって生きるのは好きじゃないけれど、つい懐かしさに手を戸手馬手しまうのであります。
5月5日(日曜日)
かなり贅沢な環境です
仙台の暮らしは6畳一間で「寝る、食う、仕事する」の全てをこなしてました。地震の際はまずいが、ラックを使い立体的に積み上げて、おおよそのモノがこの中に収まって何とか生活が出来てました。まぁ潤いなんてモノはなく、生きることが出来ればよいと言う感じでしたが。それとモノが詰まっているので暖房が良く効きましたね。一転高知の実家に帰ってきて、6畳2間のリスリングルームで「寝ると聴く」だけの空間で楽しんでます。更には大勢のCDやLPに囲まれてます。そして、今日離れの随分と前になくなったおばあさん宅を整理して、これまた8畳2間を整理して、大型スピーカーSB-MX200Dのシステムをマルチアンプで駆動するシステムを完成させました。コチラは、チャンネルデバイダーが大阪の16畳の鉄筋洋間設定なので、畳の部屋だと全く旨く鳴らないものの、一応は2つのリスニングルームを持つに至ったのです。マルチの音は、打楽器の力強さが格別です。この離れは、17日に大阪の知人が来たときに宿泊する場所でもあり、早い整理を迫られていたのです。布団を干して、毛布を洗濯してと完璧におもてなしの準備は進んだのであります。今日からやっと初夏らしい暑さが戻ってきて、汗をかきながらの作業でした。その分夜のビールは格別でしたね。
5月4日(土曜日)
懐かしさいっぱい
押し入れを開けると1974年〜1990年までのオーディオとカメラの雑誌が出てきた。この頃はオーディオの全盛期であり、いくつもの種類の雑誌が発行されていた。捨てるには忍びなく、全てスキャナーに取り込みをしている。もう30年以上前の雑誌は変色してしまっているが、懐かしいアーティストが続々と登場する。一方でVHSをBDレコーダーに取り込んでいるが、コチラも凄いお宝がある。若い頃の小澤征爾&ボストン響や、アバド&ベルリンフィルなど、どんどん登場する。シングルレコードも取り込んでいる。久保田利伸のYou were Mineなど、レコードを捨てるには惜しい高音質だが、これも取り込んだ後は捨てている。懐かしさは情け容赦なくデジタル化の後捨てるのだ。それでもこの部屋はモノにあふれている。それでも、サウンドレコパルやサウンドメイト、電波技術、ラジオ技術誌は捨てることにした。下の倉庫で捨てる荷造りをしていると、近所のおじさんがやってきて、その本を全部くれと言う。僕とそんなに年は違ってないので、同じ青春を生きてきたのだ。ピンと来たでしょうね。
5月3日(金曜日)
ファイヤー
今日はハーレーダビットソンの大会がこの芸西村の琴ヶ浜で開催された。それで早速自転車に乗って見学に行った。100台近くのバイクが来てましたね。主催者の方に話を聞けば、どれだけ来るのか分からない。とにかく集まって夜通しミーティングをして、テントに寝ると言うものらしい。おもしろいのは出店のなかに、ミシンを持ち込んで、刺繍などの加工を請け負う業者さんがいたことだ。ハーレーダビットソン→アメリカの文化→イージーライダー(昔の映画)のイメージ→革ジャン→「刺繍を施したジャンパーとジーンズにブーツ」。連想ゲームが長くなりましたが、このような独特のファッションを必要とするのがハーレーに乗ることの条件でもあるのです。と言うことで、我が浜で、たき火を囲んで焼き肉をする計画は場所の変更を余儀なくされまして、ずっと東の方の海岸で行ったわけであります。まぁこの浜は何処で宴を開いても同じ雰囲気が味わえるなかなか懐の広い海岸でありまして、焼き肉の調味料としては最高であるのです。メンバーは友人の姉夫妻とその子供達で、若いのが混じっている分だけ元気な食べっぷりにコチラも影響を受けましたね。
5月2日(木曜日)
えらい寒い
5月だというのに寒いのなんの。風が強いのなんの。こんなのあり?って感じ。二酸化炭素の異常な排出によって、地球の天候は明らかに影響を受けて昔の天候ではなくなりましたね。未来から振り返ってみれば、この時が環境変化のターニングポイントだったんだと思うかも知れません。近くにレストランはないが大きなショッピングセンターと大きな公園がある街に出かけまして、昼食はこのショッピングセンターで弁当とお茶を買って、公園で頂くことにしました。車の中で頂く手もありますが、妙に惨めなので少々寒くても公園を選んだわけであります。しかし見栄を張るものではありません。手がかじかむは、弁当の蓋は飛んでいくわ、お弁当の中に砂埃は入るわ、さんざんな状態で昼食を終えました。こう寒いと晩は日本酒ですね。それでAmax(ディスカウンター)の酒コーナーを覗くと、何と高知の酒屋さんは日本酒のレパートリーが余りにも狭く、東北で優雅な酒生活をしてきた身としては悲しくなりましたね。それで、今夕はチョウヤの梅酒にしたという次第。ところが、飲み始めても今日に限ってなかなか酒が回ってこなかった。ホント凍えていたんですね。
5月1日(水曜日)
セブンイレブン
四国にもセブンイレブンが登場した。これからサンクスやデイリー山崎は厳しい商戦に立ち向かうことになるだろう。それで早速訪問。新店舗はLED照明の省エネ設計で、今まで見慣れたセブンとは店の雰囲気が少し違う。まだ経験が少ないのか、遅い時間なのに、弁当やお総菜が結構揃っていた。この店は発注について厳しい指導が入るだろうな。徳島と香川で見かけた。日本は、いや世界の小売りは大型化とチェーン化によってますます大きくなり、地方独自の小売店は次第に淘汰されていくだろうな。仙台で暮らしていても、高知で暮らしても、結構見慣れた看板が多い。もう数年もすれば、外国に行っても同じ看板を見るようになるだろうな。POSと大量仕入に裏付けられたマーケティングは、カンと経験による商売の敵ではないのだ。おもしろくはないが、安心感がある。
4月29日(月曜日)
父は偉い
父は偉いのだ!ぼけた母が何度も死んだ犬の事を尋ねるのに、いちいちそれに返事をしている。僕はと言えば、「捜してくるとか、どこかにいるだろうと」犬のことについては本気で取り合わない事にしている。母は骨折があるらしく体が痛むし、頭はぼけるし凄惨な老後を送っている。正面から受け止めている父はどう思っているだろうか?もうここまで来たら仕方なくつきあうしかないか?と思うのだろうか。時々、昔ここに養子に来たときのことを話すことがある。それらをつきあわせると、やっぱり、この家を守るのは自分だと思っているのだろうか(事実そうだが)。僕の対人関係は鏡のようだ。相手の出方により、同じレベルで返してしまうのだ。意地悪なら意地悪に、親切なら親切に。僕の心には無償の愛はないのだ。親の血を引かず、なぜだか了見の狭い人間になってしまった。
4月28日(日曜日)
最初の体験が今の基本?
アナログコンテンツをデジタル化している。VHSからDVDへ。オープンテープはHDDへ。つまらん演奏は捨てているが、なんていうか全てが捨てがたいのであります。というのは、入社したての若い頃のショウルーム勤務時代に一番多く音楽を聴きました。この時の優秀録音はロンドンの「ショルティー指揮シカゴ交響楽団」が多かった。特にベートーベンのテープが一番多いが、これを聴けば音楽がしっくりと馴染む。当時の人気は何と言ってもカラヤンだったが、カラヤンの演奏がイマイチなのは余りにも長い時間ショルティーを聴きすぎた為の弊害だ。日記の整理をしているとショルティーは大阪でベルリンフィルを振った時に聴きに行っている。この時の感想はシカゴ交響楽団のようなスピード感は無かったが、弦の音の力強さが印象的だったと書いてある。所で過去を掘り起こしているが問題なのは日記の多くをMOに記録しているためドライブが壊れて取り出すのが困難になっている事だ。MOは永久保存だと思っていたが、思わぬ落とし穴があった。今の時代に昔のメディアが完璧に機能しているのはLPレコードだけだ。
4月27日(土曜日)
眩しくて目が覚めた
昨晩は、最終間際のプールで泳いだ。海の上に真っ赤な月が出て、息継ぎをする度に月が出てくると言う誠に贅沢な水泳の時間を持ってしまった。余りにも気分が良かったので少々度を越して泳いだせいか、夜の食事もそこそこに布団に入った。いつもの如くカーテンは開けたまま月を眺めながら眠りについた。夜中のいつ頃だったのか、月が西に傾いている時間だ。宵の頃よりも、空気が澄んで来て赤かった月は青白く輝き、まるで昼間の如く明るくなっていたのだ。水泳で疲れているはずだがそれさえも撥ねつける月の明るさだった。そして、今度は朝方余りの寒さに電気毛布の目盛りを一つ上げた。自然が一杯の高知だが目が覚めることがある。
4月26日(金曜日)
徳島のレストラン考
5回程食事をするが、美味しかったのは1回だけ。徳島県人の舌は美的感覚が無いのだ。何故このような文化が根付いてしまったのだろう。ここは香川県のような温暖な気候でもなく、高知県のような極端な気候でもない。その中間だ。しかし関西に近い気候で、交通も関西が便利だ。ならば食い倒れの大阪の食のセンスの片鱗でもあって良さそうな筈だが、全くだ。未だに高速道路が通じてないところを鑑みると、相当頑固な県民性があるからだろうか。頑固と言えば阿波踊りも昔から全く変化のない踊りだ。Yosakoiのような発展はないのだ。養殖が盛んな所で魚の種類は多く、スダチは料理を引き締めるし、良い食の文化の環境は整っている筈だが。そう言えば、これを書きながら、もう一つ悪いことを思い出したぞ。今から40年くらい前に祖谷(いや)ソバが有名なのでわざわざ徳島の山奥まで食べに行ったことがある。山菜が入ったソバで珍しさ以外評価のしようの無い誠にまずい味だった。祖谷は平家の落人が住み着き、吉野川の支流にかずら橋をかけて有名になった所だ。観光が今ひとつなのは、このまずさにあると思う。
4月25日(木曜日)
高松のレストラン
高松で食事をとるには、相当地図に詳しくならなければ、うどんになってしまう恐れがある。まず、どこにでもありそうな中華料理の店がない。ラーメン屋はゼロに等しい。回転寿司がかろうじて幹線道路に数軒存在するだけ。外食チェーンの「ガスト」と「Joyfull」が在るが、記憶に残らない数だ。四国でまともな食事ができるところは、愛媛県と高知県だけだ。五月晴れの清々しい天候だが、僕は腹を空かして高松市を彷徨った。Joyfullをやっと見つけた。「何人ですか」「一人だ」「どうぞお好きな席へ」「そんなら人数を聞くな!」と私。マクドナルドのドライブスルーでコーヒーを注文すると、お砂糖やミルクを聞かれる。「必要」だと答えるとこれらが入ったコーヒーを出される。ドライバーは量を加減して入れることは出来ない。何だか私がむつかしくなったのか世の中の仕組みが変わったのか?ストライクゾーンの狭さを感じているのであります。
4月24日(水曜日)
馴染む気候
昨夕遅くから嵐に突入した。私の住む家屋はトタン屋根で、雨の音が瓦屋根とは違いスゴく大きい。小雨でも大雨のように感じる。深夜の大雨はまるで豪雨だ。だが、この雨が気持ち良い。大阪や名古屋、福岡、仙台に住んだが、何処も雨の降り方が穏やかで私には馴染みの無い雨だった。ところが高知の雨はまるで台風のようで、これぞ「雨」なのだ。ついでに風も強く吹き付ける。納屋のトタンがバタバタと風に煽られる。雨のない日は虫が夜通し泣き落ち着くが、雨のこよなく安堵感を与えてくれる。同じ雨でもスリランカで雨に降られて交通機関が3日間麻痺した時の雨は凄いのを通り越して恐怖の降り方だった。それに雷がずっとセットだった。という事で、高知の雨の降り方が一番馴染む。夕刻には太陽が顔を出す。このコントラストが又いいのだ。
4月23日(火曜日)
何のことは無い
友人のPCの復活には僕としても少ない知識を駆使して方策を巡らせた。一番のポイントは、できるだけ元の状態にすること。自分のPCなら心機一転やり直すところだが。それでXP以降から備わっている「復帰」の機能がある事を思い出した。とりあえずルートドライブのデータは探せるだけ探して退避させ、メールアドレスと、お気に入りはバックアップをとった。一回目は4月の最初の日付で復帰させたが、NG。つまり友人はだいぶ前から困っていたのが解る。遠慮しないで早く言えば良いのに。それで年賀状も送り出した1月の末までの状態に戻してみた。今度はOK。動作を確認後、急いで宅急便屋さんを訪ね、送り出した。大げさに考えたが何のことはない簡単に復帰したのだ。PCは不足の状態に備えてOSごとバックアップをとるソフトがあり便利だが、慣れないとこれを日常の中に組み込むのは難しい。
4月22日(月曜日)
想い出ルート
今度は松山城に別の方向から登ってみた。見覚えのある風景だったのでドンドン進んでいくと、ロープウェイのある登山口だった。高校を卒業して、就職するまでの間の休みに、彼女のいない私は知り合いの女の子に頼みこんで一緒にロープウェイを登ったことがある。あの頃、西田幸子の「アカシアの雨に降られて」が流行っていた。次に登ったのは、全国を担当する少人数の営業組織となり、中国地方を訪問したついでに愛媛に足を伸ばし、更についでにここに来た。この頃は大型のライトバンで来た。記憶するのが大変むつかしくなってきているのに、昔は色んな事を意識せずに記憶できたのが不思議に感じる。登山道はおじさんやおばさん達と頻繁にすれ違い、煩くなって断念した。僕もおじさんだけど。帰りの道のこと。「180kmか140kmか?」これ松山から高知までの距離。長い距離は高速道路。短い距離は国道。到着時間は30-45分程度。国道は途中でぶっ飛ばせるのだ。勿論誰かの跡をついて行く運転手方ですが、この道は馬鹿なぶっ飛ばし屋が必ず居て苦労なく彼等に遭遇できる。彼等を煽ればいくらでも速度を稼げる。天候に恵まれて、大きな川を跨ぐ橋でおじさんカメラマンに出会った。早速自分も車を止めて撮影。仁淀川(大きな川)を塞ぐ巨石で、このために川が蛇行している。通称「軍艦島」。風光明媚だ。近くのレストランはそのままの「軍艦」。ちょっとひねろや!。この清流は四万十川よりも綺麗だが、人気がないのは、途中にダムが2つもあるからだ。その一つは僕の友人が絡んだ。休暇で高知に帰り、その友人を尋ねるには、佐川町と言う高知市から30km西に行かねばならなかった。こうして松山方面は昔の想い出がいっぱいのルートでありました。
4月21日(日曜日)
おお寒い
初夏だというのに北風が吹き、日差しさへ弱ければまるで冬だ。ただ、気温とは関係なく四国の太陽は強くサングラスがなければ目が開けられない。津軽に住んでいる知人はどうしているのだろうか?雪は嫌になるとこぼしていたが。北国の人は一年の半分が雪に閉ざされている。でもそこから抜けられないのは、雪のない半分の景色は、それはそれは見事なものだから、だ。その美しい風景を約10,000枚カメラに収めた。補正して使うのはこれからだ。季節とは関係ないが、友人のPCを復活させている。新規のPCを造るのは極めて簡単だが、いろいろと使い込んだPCは厄介だ。何処に何をいれたのか不明だから。それを探すのは、言わば人の頭をかち割って脳みその襞を一個一個訪ねていくに等しい。そしてこれは不可能だと気がついた。クローンを作ってしまえ。そうすれば昔のデーターも残る。これが余りPCの知識が無い私の結論でした。幸いにお金はあるのだ?友人にとってもこれくらいの出費は寒くは無い話だろう。
4月20日(土曜日)
何があっても最優先は掃除
昨晩はサウナに入ったので、その後の水分取りすぎで夜中に目が覚めた。午前3時だった。田舎のトイレは家の外にあるので、照明を点けて起きようとすると点灯しないではないか!近所の門灯を見れば煌々と灯っている。我が家の問題だ。懐中電灯を持ってトイレに行った。朝も暗闇でご飯を食べた。四国電力に電話が通じたのは8時45分。この問題は勝手にやって下さいとのこと。近くの電気屋さんにお願いして通電したのは午前10時。これから、洗濯をしながら母屋の掃除を始めた。もう両親は汚す一方だから、端から端まで清掃するのは、家屋が広いだけに大変だ。母のトイレの始末も苦痛だ。家事を終えたのが午後4時。手は荒れるし、腰は痛いし。そうこうしている間にヤマト運輸から荷物が届いた。S-VHSのデッキを買ったのだ。早速お宝映像をBDレコーダーにダビングした。それをDVDに落としてポータブルDVDプレーヤーで見ればまずまず楽しめそうだった。42型のPDPでのモニターはやや苦しい。先日購入したDACも試してみた。ネットワークに接続したHDDを、Wi-FiのPCで受けてUSB?DAC?アンプと接続した。これは感動ものでした。音源は19cm4tr2chのオープンテープですが、録音時にオルトフォンのピックアップを使うなど、アナログ段階では最高の装置で録音した甲斐あってか、PCM音源はしっかりとした音でした。これらの魅力は友人にコンテンツをプレゼントできることであります。
4月19日(金曜日)
ついつい余計な書籍の購入
昨晩は久しぶりに酒を飲む機会があった。酒は物忘れが激しくなるので最近は飲んでないのだ。ビールってこんなに美味かったんか、とか、焼酎も久しぶりだと結構甘みを感じられるものだとか、禁酒の期間が長いと新たな発見があったりするもんです。その後、新大阪のDAN(書店)に出かけた。AVreviewを買うためだが、書店内をぶらつくと、村上春樹の新書が出ていた。「色彩をを持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」これGET。Fifty Shades Freed/EL Jamesこれ、Amazon書店で日本語訳のサンプルを読んだ。ものすごく面白そうだった。よぉ?し、コレ原書で読むぞ。ページをめくる。これなら行けそう。GET。1440円。NHKラジオ講座。何とここにも村上春樹の講座。今日は買わなくても全く問題ない本をどぉ?んと買ってしまった。自宅に帰れば整理すべき書籍がごまんとあるにも拘らず。困った人だ。
4月18日(木曜日)
グランドファンクレイルロード(Grand Funk Railroad)を聴きながら
昔録音したカセットテープを幾つかカバンに詰めて電車に乗った。ウォークマンが見つかったから、積極的にカセットテープを聴いている。クラシックを1本。JAZZを1本。日本のPOPSを1本。ROCKを1本。表題のグランドファンクはその中の一つだ。70年代のROCKはギター演奏が気持ち良い。その間奏はJAZZに通じる要素を含んでいると思う。だから、年老いてもこの時代のROCKは楽しめるのだ。今日の行く先は大阪だ。大阪の地は2度と踏むことはないと思っていたが、その機会が再びやって来た。僕にとって、昔大阪といえば難波から日本橋界隈だった。今は梅田のヨドバシカメラだ。それで今日の要件を済ます前にこの店を訪問し大阪の空気を満喫した。ついでにNewFoceのDACを購入。今盛んにアナログ音源をPCM録音(16bit 48khz Sampling)して保存しているが、この再生にPCに接続するUSB-DACが必要なのだ。ハイレゾ(24bit 96khz)が今の旬だが、まだ、僕のオーディオはそこまで至らない。だから安価なDACで十分なのだ。シマムセンの鈴木さんに言わせると、多分この行為は侮蔑の対象でしょね。カセットテープはPCM化して保存しないのは、マクセルの最高級テープ(XL-2)でも転写が大きく、これはテープで残すべしだと判断したわけ。そして、ウォークマンで聴くとその時代の空気まで再生してくれそうなのだ。グランドファンクはしっかりとした記憶はないけれど、全くNewでもない。そんな感じだ。
4月17日(水曜日)
何の意味があるか?
VictorのS-VHSデッキをYahooで買った。昔録画したビデオテープが300巻。スコッチの5516と呼ばれる超高級なビデオテープを使ったお宝映像などがある。録画BDはもう既に3000巻を超えているから、もうこれ以上コンテンツは不要なのだが、これらのビデオテープを捨てるのは忍びない。そこで、ビデオテープをBDに残すために買ったという訳。録画した映像はどうせ見ることもなくファイルされるだけなのだが。そして、βのテープ150巻も欲が出てくる。しかし、これは断腸の思いで捨てるしかないだろう。次の課題は100巻のDATテープと300本程のMD。これはもうこのまま保存か?整理魔の私も残された時間の中で判断に迷っている。こうしてくるとソフトが身の回りにあるだけで幸せ。と言うような変な満足感に浸るのが僕の目標だったりして。しかし、こんな人いますね。もうゴルフはしないのに道具だけは最新のを揃えるとか。友人のK氏なんかが浮かんできます。
4月16日(火曜日)
松山へ
四国の住人だが、博多や札幌やシンガポールなどを自由に歩けたのに、近隣の松山や徳島の事を全く知らない。現役時代は人口が少なく市場としての規模が小さいから足を踏み入れるには、いささか効率が悪すぎた。だが、高知の田舎に暮らすと、四国のちっぽけな街が大きく見える。そして、四国の中では愛媛県が一番人口が多い。一番少ないのは高知県。人が住むにはいささか生活環境が厳しいからだ。松山は、向かいに広島市を控え、いろいろと条件が整っている。しかも気候が温和だ。大きな災害に見舞われた事がない。松山市をよく知らないので、駅前の古いホテルに宿泊した。隣にデオデオがあり、僕の記憶では、道の向こう側に在ったのに、こちら側に立地している。従業員に尋ねると6年前ならここだった。と言われる。僕が聞きたいのは20年前の事だ。結局分からないだった。話を元に戻すが、最近の東横インのような効率化された清潔なホテルは、今の若者にとっては快適だろうが、おじさんのような昔人間は、こうした人気の無くなった昔の高級ホテルを格安で提供している方がしっくりくる。第一に窓が開く。閉所恐怖症ではないが、外の風が欲しい。第二に寝巻きがある。寝巻きを着るわけじゃない。これを椅子の上に敷き、椅子カバーの代用をさせるのだ。第三に駐車場が広くて平場だ。立体はどうも苦手だ。
4月15日(月曜日)
父のお世話
父の寝ている部屋が臭い。毛布も敷布も何もかも洗ったが臭いは取れない。ファブリーズをふりかけるのは安易すぎてお世話をしているとは言えないような気がして掃除をする。もう十年近くに渡る垢がこの家にはこびりついていて、僕の生半可な整理や清掃では歯が立たない広さと深さがある。整理の一方でドンドンと両親たちは散らかし汚しているので、水前寺清子の365のマーチ状態だ「3歩進んで2歩下がる」のだ。そして書籍のスキャナーだが、物置からまだドンドンと旧い懐かしい雑誌が出てくる。サザンオールスターズのデビュー当時の特集記事が掲載されているFmfanも出て来た。これは捨てるわけにはいかないぞ。こうして僕の部屋は更に古い本で埋まって行くのです。そして、外から帰ってきてこの部屋に入ると図書館の臭い。古臭い紙の臭いがするのです。早くスキャニングを終えないと、この部屋が本の臭いで毒される。岡村家はどこに行っても臭いのだ。
4月14日(日曜日)
夜来風雨の声
「春眠暁を・・・」この台詞はよく使われますね。しかしその後の文言は余り使用された形跡が少ない。この日は随分と晴れていたが、その後雲行きが怪しくなった。母が私の洗濯物を取り込んで、何処に置いたのか分からなくなり一騒動あったのも、この天候の所為である。高知の天候は誠にはっきりしており、晴れるのか、相当な雨量を伴う豪雨かどちらかである。カラス退治に5cm程の魚のホシを買ってきて、それに3cm程度のクギを入れてセットした。これも雨ではせっかくのえさが台無しだと、家の中に取り込んだ。そして風呂から出て離れにあるこの部屋で本を読み始めると、豪雨がやってきた。その後、雷も追いかけてきた。この家は海抜30mの高台にあり、芸西村の100ドル(万の単位が付かない)の夜景が見えるが、更にその向こうには海も見える。雷は、随分と遠くの海の向こうで光っていた。カーテンを開けて寝ているので晴れているときには星を見ながら眠ることができるキャンプ生活のような体験も毎日できる誠に環境が良いところなのだ。今日は無理だが。
4月13日(土曜日)
父の居場所
今日も絵に描いたような晴天。だが、結構寒い。友人が鯖の子を釣ってきたからと言って料理をして持ってきてくれた。フライにして大根おろしをかければ極上の夕飯のおかずとなる。ありがたいことだ。何にもお返しするものがないのが残念だが、友人からの借りは多く作るべしだとしておこう。こんな晴れた気持ちのよい日には誰だって外に出たくなる。だが外は寒い。家の中にいれば、ぼけた母の話し相手とならなければならない。死んだ犬を探せと何度も言う。僕は探してくると答えているが、父はその都度、正直に死んだからいないと答えている。しかし、毎日その繰り返しをしていると、いい加減うんざりするらしく、最近は日当たりのよい庭に車を出してその中で寝ていることが多い。母は僕をみれば父はどこに行った。犬はどこに行ったと聞く。介護と言う問題にはお世話を焼く話しか出てこないが、実際は半分ぼけた人の話相手の方がもっと大変だと思う。我が家にかかわらず日本はいずれ人口の三分の一くらいがこんな人で占められる時代がやってくる。日本は大変だ。早くフィリピンのメイドさんが自由に渡航できるような法律をつくらなければ。
4月12日(金曜日)
寒い一日
引っ越しからもはや2ヶ月が過ぎても、この部屋は片付けが進んでない。あふれる書籍を何とかしなければとスキャナーで取り込みを始めたが、1冊につき15分程度はかかるので、すんなりとはいかない。一方で、昔お金がないときに、ナショナルショールームが購入したLPレコードを7インチのテープに録音したが、このテープのデジタル取り込みも同時に行っている。コチラは48khz16ビットのPCMで取り込みを行っている。これも場所を取る7インチテープだから、書棚が少し空くようになった。PC内蔵のHDDではとうてい間に合わないので、昨日2TBのHDDを買ってきた。このHDDはネットワーク上で記録するようにしてあるから、離れにシアタールームが完成したときに、向こうから無線でアクセスできる筈だ。下の倉庫にはまだ荷物が梱包したままだが、あまりの寒さで、今日は一日部屋にこもりスキャナー作業をおこなった。こんな日が相当続くだろうなと覚悟。
4月11日(木曜日)
何とここまでやるのか、讃岐うどん
ビジネスホテルを徹底的に合理化して安価な価格で宿泊させる「スーパーホテル」が登場した。しかし、これはヒットする矢先に、「アパホテル」と、「東横イン」が同じ価格で少しだけ豪華な仕組みとぶつけてきたので、思ったようなビジネス展開が出来なかった。しかし、この東横インは今ライバルの追い上げに苦しんでいる筈だ。横柄な従業員の態度に加え、一機しかないエレベーターと、狭い朝食会場、枕元を下水管が通り、頂上階以外は、この音に悩まされるビル構造。これを徹底的に解明して、全国チェーンを広げているのが「ルートインホテル」だ。東北の出張時は大概このホテルを目指した。そして、このホテルの朝食は誠に豪華なバイキングなのだ。インドに行ったときは、晩飯は移動中の機内食や空港のラウンジで我慢して、ホテルにセットされている朝食で腹を膨らす出張をしてきたが、まさにこのルートインホテルはそれが可能なのだ。夕飯を軽くして朝食で腹を肥やす。そしてこれは結構体の調子がよい。極めつけは香川県のルートインの朝食はうどんがあるのだ。そのうどんもなかなかの味なのだ。香川県では饂飩の呪縛から逃れられないと言うことかも知れない。
4月10日(水曜日)
怖い話
フルタイム4駆。私はホンダ軽四輪トラックに乗っている。ヘッドライトはハロゲンランプだし、昔の車とはいえなかなかの装備なのだ。フルタイム4駆は横風に強い筈だが。今日は強風の中、瀬戸大橋を渡ってみた。電光掲示板には風速17mと表示されている。気象庁ももうそろそろ、アメリカ並みに風速を時速で表示をすればいかがなものかな。時速61kmと。そうすれば今日の橋の速度規制は50km。風よりも少し遅い。速度規制の意味はきちんとあることが分かるのである。それで一般の通行車は、規制速度お構いなしにどんどんと速度を上げて車をぶっ飛ばす。私はこのことが分かっているので50kmで通行したのだが、これでさえもフルタイム4駆の恩恵は何処にと思わせるような、車の持って行かれ方をしたのだ。しかも、瀬戸大橋のガードレールは意外と低い。一寸転びでもしたら忽ち200m下の海面に直行だ。僅か10分そこらの時間だが十分に恐怖を味わいましたね。将来馬鹿が車を飛ばし、いずれこの橋から転落する車が出ますね。そして少々の風でもこの橋は通行止めになります。絶対に。
4月9日(火曜日)
大学の授業料
息子も娘も一方的に手紙を送ってきて、その中には大学の請求書だけが入っている。一言お願いしますとか、何とか書いたらどうかと思うのだが。そんな考えはもうとうなく、スポンサーの義務と思っているのだろう。彼らのために定年後の2,000万円の出費は腹づもりがあるとは言え相当きつい。両親に食べらしてもらっているからどうにかなる程度だ。それで、息子には奨学金を受けるように頼んだら、奨学金締め切り間際になって必要な書類を言ってきた。僅か3日程度で書類を集めなければならない。昔の職場にお願いして郵送をしていただいた。辞めた後で申し訳ない。遅くなった理由を風邪で寝ていたと書いてあった。私が話をしたのが1月の中頃だったので、息子は風邪で3ヶ月も寝込んでいたことになる。やれやれだ。友人のK氏が「貧乏くじを引きましたね」。と電話の度に言う。僕の晩年は、苦痛に満ちた晩年でもあるのです。
4月8日(月曜日)
春眠暁を覚えず
お酒を飲むと睡眠が浅い。それで、ずっとお酒を飲んでない日が続いている。随分と深い眠りから目覚めた筈なのに、昼を過ぎるとまた大きな睡魔が襲ってきた。春の日差しだが寒いし、うたた寝するよりも本格的に寝ようとパジャマに着替えて寝てしまった。鹿の背中に乗って空間移動するのだが、いつも到着先が木の枝の上と言うことで難儀したと言う不思議な夢を見た。ハリーポッターを読んでいる所為なのか。昼間こうして寝ると夜は遅くまで起きていられるのが、今までの体調だったのに、今夕は10時前に寝てしまった。春だな。もう虫やカエルが鳴き始め、気持ちの良い環境で眠られる。
4月7日(日曜日)
Walkman EX20
ずいぶんと昔、職場を移動するときに出てきた比較用の商品。誰かが私のオーディオ好きを知っていて、欲しかったらどうぞと言ってくださった。それを大事に保管してあったのでしょうね、今日引っ越しの荷物を整理しているときに出てきた。早速充電して聴く。モーツァルトピアノソナタ10番。おなじみの「サー」とテープヒスが出てきて音楽が始まる。音楽はこうでなければならない。音質はiPodを聴くのと遜色のないいい音だ。カセットテープは300巻ほどあるので、デジタルで取り込んだ後は捨てようかと思っていたが、こうしてなかなかいい音で聴けるなら捨てないで取っておこうと思うようになった。このテープは録音してから20年以上経過しているので、音の転写が進み、ピアニシモの部分は、小さな音で何度も聞こえるのだが、十分に楽しめる。
4月6日(土曜日)
嵐
父が雨戸を閉めろと言う。そんな心配は無用だと思うのだが、ここは年寄りの言うことを聞いておこう。後でNHKニュースを見れば随分と全国では被害が出たようだ。近年の天候は以前とは違った天候で、昔の経験が役に立たなくなっている。何で?とは誰も言わない。しかし、時折漏れる本音の新聞記事をつなぎ合わせると、後20年位でこのまま行けば、人類が住めなくなりますね。地球が耐えられる二酸化炭素の排出量は年間220億トン位が限界らしい。ところが200億トンがアジアだけで排出される予測が出ている。今中国では鳥ウィルスが密かに広がっていて、人類の危機はそこまで忍び寄っているが、それを待たずして、いよいよ人類の間引きをしなければ共存共栄はあり得ない時代がやってこようとしている。1000年に一度の悪天候はその兆候だと考えた方が良いかも。私の20年後は、政府から間引きに協力してくださいと通達が来るかも知れない。そうすれば子供たちに財産を分けることを許しますよと特典があったりするかも知れない。そうなれば、私はキャンプ用具一式もって森の中に逃げますね。そうすると私を捕まえるための、人間狩りが始まるかも。私も反撃に罠を仕掛けたりしますから、何人かが犠牲になりますね。何のための間引きやらと、そこで自嘲するでしょうね。まるで映画のような現実がこの先に待ちかまえているかも知れない。
4月5日(金曜日)
のどかな春
この天候は今日までだと報道がある。ヒバリの鳴き声はうるさいのでよく分かるのだが、実際にヒバリを見たことがない。今日やっとコンパクトデジカメでやっと、そのびばりを撮影出来た。雀と何処が違うの?私は答えを持たない。春なのに空は高く、日差しもまるで冬のように凛と張りつめている。こんな静かで、自然が身近で感じられる一時が僕の人生の中にあるとは思ってなかったので、広い野原を散歩しながら妙に落ち着かなかった。仕事に追いまくられマクドで資料を作成しながらメールする習慣がいつの間にか身に付いていた。そしてそれが一番落ち着く時だったとは、貧乏性ですね。だが、これからは、こうした時間がふらっと、時々訪れるようになる筈だ。大きなステージで堂々と歌う歌手のように、腰を据えたらどうかと思いましたね。
4月4日(木曜日)
饂飩にまつわる話
香川県は饂飩文化と切り離せない。インドの販売店を訪問すれば、必ず甘い紅茶なのかコーヒーなのかわからない熱い飲み物が出てくるとか、東北の販売店を訪問すれば、接待にお茶と漬け物がでるように、香川県では饂飩が出る訳ではないが、饂飩は身近な存在でいつでも、何処でも食べられる。そしてラーメンや他の食事の出来る店よりも、饂飩店は実際に圧倒的に流行っているのだ。饂飩は塩分が高く生活習慣病になる話は以前書いた。饂飩を食べることによって香川県民はどう変わったのだろう。それは性急になったとでも言いましょうか。車の運転をしているときに、よく分かるのが、追い越しをかけて、追い抜くとすぐ車線を変更する人が多いことだ。うどんは待たずにすぐに食べられる。これが人間の性格を変えたのではないかと思うのです。
4月3日(水曜日)
1970年代
日本がまだ伸び盛りだった頃、僕は半分ショールームでオーディオの仕事をして没頭していた。後半分は営業で九州や名古屋に住んでいた。その頃の懐かしい思い出が、昔購入した雑誌を整理しているとどんどんと出てくる。アルミダイキャストでできたカセットテープなどもありました。それで部屋の整理をしているのですが、こうした書籍が出てくれば、その本も捨てられず、切り刻んでスキャナーにかけるなどと、大変な作業を更にふくらませているのです。自分の書いた販売企画書なども出てきた。これでは売れんワ!書き直せと、今だと僕は即座に部下に言ったでしょうね。その時は時代が伸び盛りで、しかも上司も若かったので、見抜く力はなかったでしょう。申請書には判がきちんと押されているのだ。そんなことをしているので、なかなか作業が進まないのでもあります。
4月2日(火曜日)
知っているはずの高松市
高松市には3年半住んだ。先輩に連れられて飲み屋街も徘徊した。自転車を持っていたので、市内のあちこちも探索した。それがどうだ。40年後にこの町を訪れてみれば、新しい道ができて全然風景が変わってしまっているのだ。全国の地方都市でもこれほど変貌を遂げた町も無いでしょうね。徳島県は相変わらず高速道路さえも決断できない旧い街だが、ここは連絡船が無くなり、列車もここ止まりとなったのにもかかわらず、それなりにきれいになっているのだ。香川県民は教育熱心で貯蓄率も高いと言われていたがまさにその通り。その貯蓄で思い出したが、貯水の話である。香川県といえば塩田とまんのう池に代表されるように、雨の少ない所である。ところが、吉野川をせき止めてダムを作り山を越して水を導くことができるようになって、ため池は不要になった。だが、いざと言うためにため池は結構残っていて、それは今ではゴルフの打ちっ放しの所として利用されている。
元に戻るが、それで夜の高松市を徘徊したがiPhoneが無いともう歩けませんでしたね。
4月1日(月曜日)
腰痛の話
腰の痛みに昨日風呂の中で気がついた。右の腰上が痛い。もしかして前立腺ガンの骨移転?早速病院を訪ねた。病院は今年のお正月父を看てくれた親切な病院「平田病院」を訪ねた。背骨に負担をかけたための腰痛の可能性が高いと言われた。念のためにPSEの検査もしましょうと。僕は子供の大学卒業まではがんばらなければならない身だ。とりあえず軽い安心を得た。腰に巻くコルセットを出してくれた。これを巻くとずいぶん楽だ。楽だと言うことは、悪いという兆候なのだ。腰の周りの筋肉を鍛えるための運動を毎日しなければと思った。幸いに我が家の風呂は広く、あたたまった後、簡単なラジオ体操はできそうだ。一緒にスワットも始めよう。森光子さんがずいぶんとこれを薦めていたからだ。薬も処方してもらったが、更にお金がかかることを考えるとどうせ飲まない鎮痛剤は必要なしと判断し断念した。できるだけ薬を飲まないで生きたいと用心を重ねているが、そうは簡単にいかないのだ。
3月31日(日曜日)
やっと元通りの生活に
大阪や仙台で過ごしていた生活パターンにやっと戻すことが出来た。引っ越しの荷物を開き、高知に前と同じ道具のある空間を創るのだ。そうして、必要な時間を優先的に割り当てていく。そうすれば、生活が安定する。一月休んでいたラジオ英会話も復活した。風呂の中で受験生の為の英単語の書籍を読むのも復活した。これに、自炊と言うことで、書籍を電子データー化する作業を組み込むと、ほぼ僕の時間が一杯に割り振られる。家事が増えた分だけ、読書と映画鑑賞、カメラ撮影が減った。
3月30日(土曜日)
ピロリ菌
最近話題となっている。どうやら胃潰瘍の原因はこの菌によるものらしい。そして、この菌を殺すには薬が1種類しかなく、それで退治できなかったら、もうこの菌と仲良くするしかないらしい。ところが、もう一つの薬が認可されてアメリカと同じ基準になったと言う話を聞いた。これで更に菌の保有者が減る可能性があるようだ。今日は久しぶりに、おじさん所で酒を飲もうと、今週ずっと我慢してきた。夕刻電話をすれば何とおじさんはこのピロリ菌の退治で酒を断っているとか。残念。それでプールへ。とにかくお風呂代わりにココは利用できる。私の3大風呂と言えば、道後温泉、芸西村温水プーの風呂、自宅の父の沸かす風呂。
3月29日(金曜日)
桜も満開
連日の寒さも関係して、四国の桜もまだ頑張って咲いている。山がピンク色に染まると春休みだと小学生の時思ったのを、今思い出した。四国は何処に行っても、この桜が山の森の中に自然に生息していて、楽しむ桜とはならないが、山のにぎわいを助けている。山を見ればもう一つ特徴がある。竹の葉が黄色くなり葉を落とすようになるのだ。竹は常緑樹であるが、タケノコの生えるこの頃は、タケノコに栄養を取られ、本体の竹は青息吐息の状態となるからだ。夜はもう虫が鳴き始め、蛙の声が聞こえてくるよ。ウグイスの声もすっかりプロ仕様の鳴き声となり山にこだまするようになった。フト母屋の上を見上げれば、藤の花が紫色に色づいている。ここは芸西でも特に暖かい所だから、一足先に藤も咲いたのかな。
3月28日(木曜日)
疲れ果てたとはこのこと
昨日の水泳が確実に効いている。じっとしているとまぶたがくっついてしまう。コーヒーを飲んでも、ガムを噛んでも関係ない。体が綿のようにふわふわなのだ。実に気持ちの良いけだるさなのだが、車の運転には注意が必要だ。一瞬ココは何処?と思う時がある。眠ってはないと思うが、いつも見ている、知っている筈の風景に見覚えが無くなってしまうのだ。危ないなぁ。最近は食べても食べても腹が減ってしまい、ベルトの穴がもう一つ必要になった。住み慣れた高知に帰ってきて、何もかもしっくりといくから、僕としてはフルパワーの状態だろうな。電池残量の少ない状態で、更にパワーを食う水泳をしたので、昨晩だけでは充電の回復ができなかったと言うことだろう。ちょっといろいろやり過ぎの感もある。
3月27日(水曜日)
少し寒い曇り空なのだが
一日の締めくくりは、時間があれば芸西村プールに出かけることにしている。車で5分。料金は村民だと300円。温水だが、水ではなく海水だ。まずは水着に着替えて、サウナに入る。110度のパワーサウナだ。約10分間で汗が噴き出てくる。その汗を冷やすのに、ベランダに出て太平洋を眺めながらくつろぐ方法がある。少々寒くても5分くらいは海を眺めることが出来る。こんなリゾートのようなプールは何処にもない。多くの人はこのプールで歩いているが、私は専用レーンで泳ぐ。今になって気がついた事だが、海水は水よりも質量が重い。若かった頃はそんなの関係なかった。年老いて来れば、海水は掻くのに重いと言うことだ。それで、バタフライをすれば、普段だと思い切り掻けば、体の半分は水面に出てしまうのだが、ここだと胸を出すのが難しいのだ。同様に平泳ぎも手を回すのに負荷を感じる。と言うことで、ココで疲れ果てて、男性更衣室隣にある風呂に浸かる。窓を開ければ、やはり、先ほどと同じ海が広がる。天候に関係なく幸せを感じるひとときだ。
3月26日(火曜日)
言わなくても良い言葉がつい口をついて出る
もう母は頭がぼけて人格がほとんど無くなっているのに、普通に話すもんだから、ついついコチラも本気になり、きつい言葉をかけてしまう。後で、もう余生は短いのに何でそんなことを言うの?と自分を叱る。今日も大量のおはぎを買ってきた。これは体に良くないと注意したところ、「もらった」と言うのだ。近くのスーパーのビニール袋に入ったままなのに。私がいろいろと言うものだから、こんな嘘をつくのだろう。介護士の仕事はただ体がきついばかりでなく、このように、嘘や虚勢をはる事にも耐えなければならないとなれば、普通の人間は耐えきれず去っていくだろうと思いましたね。私の場合は強い口調で叱責して鬱憤を晴らしているのだが。
3月25日(月曜日)
口がおごっているのか?
ここ何日か讃岐うどんを食しているが、どうも旨くないのだ。どうしたんだろう?体の調子は悪くない。うどんのお店は車が多く駐車している人気店を選んでいるのだし。そこでものは試し、今日は「丸亀製麺」さんを訪ねた。この店は仙台にもあるし、日本全国で展開している神戸の会社だ。そして、味は?「旨かった」。と言うことは、讃岐うどんとして県下に点在しているうどん店は人気の割に僕の口に合わないと言うことなのかも知れない。確かにこの点在するうどん店は価格が安い。600円もあれば十分だ。結局価格を切りつめると味も落ちると言うことなのかも知れない。円高となり、讃岐うどんの粉はほとんどが輸入物なのでこれから価格の見直しが入ってくるだろう。安くて早いうどんの庶民性はこれから崩れるかも知れない。それに、そんなにおいしくないことも分かったのだ。
3月24日(日曜日)
いよいよ自炊の開始
今日から家の中で一番場所を占めている本の電子化を始めた。通称自炊。自炊のための書籍も出ている。単行本1冊15分程度を要するので、一日で処理できる書籍の量は知れている。しかし、千里の道も一歩からの精神で、コツコツと作業を始めた。4,000冊程度を取り込むにおおよそ2年。しかしそれぞれの本には少しだが想い出があり(全く新鮮な気持ちになる本もあるが)、それを裁断してスキャナーにかけるには丁度の時間だと思っている。電子本にすれば、友人に譲ることも可能だ。そして、文字を大きくして本を読めるのは何よりだ。年取ってつらいことの中の一つに文字を見るのにつらいことがある。自炊はそれからの解放でもある。
3月23日(土曜日)
花冷え

えらく寒い。まだ電気毛布のお世話になっている。掃除洗濯を終えて、一息ついたのが午後1時。早速友人と、ここから1kmばかり東に位置する小高い山に花見に出かけた。ここは芸西村運動公園で、その周りに桜が咲いている。意識的に違う種類の桜を植えたため、開花時期が長く何時までも楽しめる森となっているのだ。それほど素晴らしい桜の園だが、芸西村の村民は桜を楽しむことは知らず、花見をしている人達は2組。これなら場所取りの心配をしなくても良い。眼下に芸西村のビニールハウス郡が望め、更にその向こうには青い太平洋が広がる。風は幾分冷たいが、満開の桜とウグイスと抜けるような青空は、ココならではの花見ではないかと思いましたね。昨年は仙台の瘤が丘公園で花見をしたが、桜よりも人が多くうんざりした記憶がある。田舎はいい。
3月22日(金曜日)
つばめが来た
春になり、田を耕す時つばめがやってくるとずっと思っていたが、もう来てしまった。「つがい」でやってきた。「昨年岡村さん宅でお世話になったので、今回も高知県の岡村さん宅にしましょうよ」と雌の主張らしきさえずり。とにかくつばめはおしゃべりだ。近くの電線の上でこれをやるものだから、結構うるさい。他にも裏山では、仏法僧が鳴き、ウグイスは四六時中奏でている。自然が豊かと言うか、相当にぎやかな田舎生活であります。トンボは羽が4枚あるから方向転換をするのが実に巧みだが、つばめも旋回はトンボに負けず凄い切れ技を持っている。誰が言ったか分からないが、「つばめ返し」と言う技があるが、つばめを見ているとこの技を実感できる。
3月21日(木曜日)
親の年金にぶら下がり

もうすぐ61才になると言うのに、生活費を親に見てもらっている。今や30才代の派遣社員も、食費や光熱費を親が負担していると聞くが、私の場合はもっと酷い状況にある。その代わり、掃除や洗濯や食事の後片付けなど、ありとあらゆる家事をこなして奉仕している。それで、左右の親指や人差し指の先が割れて血が出ている。洗剤で食器を洗うことを止めてからは幾分楽になったが、指の表面はまるでペーパーのようにざらざらだ。そして問題は食事にある。両親は買い物に行って食料を結構買ってくるのだが、食材がほぼ同じで、しかも冷蔵庫にあるものを買ってくるのだ。それで古いものから食べることになり、新鮮なものが食べられる高知の食材は数日後経ってから頂くことになる。仙台では野菜が結構古く、その日に調理しても古いものしか食べられなかったが、ここでも同じ現象が起きている。やれやれだ。
<徳島にもうどんはあるが大変まずい>
3月20日(水曜日)
片付けは10%程度の進捗
毎週土日を使って片付けをしているがなかなか進まない。それに腰も痛いので作業には限界がある。それで、今日は一旦片付けは中断し、友人を誘って海の見えるレストランにお茶を飲みに出かけた。このレストランの眺望は相当素晴らしいといつも思う。惜しむらくは、椅子が良くないので、しばらく座っていると尻がべとついてくることだけだ。吉野川の水は「緑」だが、太平洋の海は「青」そのものだ。高知に帰ってくると妙に時間が止まったように感じるのは、このように自然とのふれあいが多いからだろうか。山の景色はほんのりとピンク色に染まっている。桜が開花したのだ。今度の土曜日、もう一人の友人を誘って花見をしようではないかと計画を立てた。家に帰ると、今度は大阪の知人から「高知に行くぞ!」とメールが届いていた。お越し頂いたときは、離れの家を使ってもらうつもりだが、まだ立錐の余地もないほどの混乱を極めている状況。とりあえず5月になってからと返信した。なかなか片付けが進まないのだ。
3月19日(火曜日)
うどんを食べる時の注意点

高松では何処に行ってもうどんの看板ばかりだ。確かに旨い。昔、日本全国を回っていたとき、坂出に営業所があり、訪問したときはいつもうどんを食べに連れて行ってもらった。その方と少し前だがお会いして、ご機嫌を尋ねると、脳梗塞を患ったと言われていた。うどんは塩を入れて製法するし、おつゆも結構塩が効いているのだ。そのおつゆも全部のみ干すのが讃岐流うどんの食べ方。しかしこれでは、野菜の摂取が少ない上に、凄い塩分を体内に入れてしまう。時々これにおにぎりなども追加して食べている人を見かけるが、このおにぎりにも塩を使っている。と、言うことで、讃岐うどんは確かにおいしいが、やってならないことは、おつゆを飲まないことだ。絶対に。
3月18日(月曜日)
春の嵐

ビバルディーの音楽にも同じタイトルがありますね。今日は風が強い上に、相当な雨量となった。高知を離れて長い年月が経過して高知の雨を忘れていた。アジアの熱帯地方ほどではないが、高知の雨も結構激しい。粒が大きいのだ。そのため、高知には結構大きな河川が何本も海に注いでいる。中途半端なのは嫌い、白黒をはっきりつける。これ高知の天気。そして人間もそんな性格の人が多い。東北ではとにかく白黒をはっきりささないのがつきあい方やビジネスであったが、ここは違う。久しぶりにここで生活をしても着慣れたジャケットを着るがごとく、すんなりととけ込むのは、ここの水が肌に合っているのだろう。この激しかった雨も夕方には止んで夕陽が拝めた。ホントはっきりした気候なのだ。
<土佐の国24万石さん>
3月17日(日曜日)
腰が痛く指先が割れた
毎日の家事は、相当負担で、腰が痛くなり指先はひび割れ痛くなった。それで今日は何もしないと決めたのだ。この原稿も海の見えるレストランに行きiPadで書いている。太陽は燦々と降り注ぎ、仙台では暗い(照度)生活をしたが、ここは誠に明るい生活ができるのだ。「とうとう帰ってきたぞ」との感を強くしましたね。そして、これから本当の第二の人生が始まるぞ。音楽と読書と映画に明け暮れるぞ。CD3,000枚。BD3,000枚。LPレコード500枚。カセットテープ300巻。DAT80巻。7インチオープンリールテープ150巻。VHSとβ500巻。LD100枚。恐らく残りの一生費やしても見ることや聞くことはできない。書籍は年間100冊弱を40年間続けてきたので4,000弱か。いずれもHDDに整理してすべてを捨てるつもりだ。多分2TBのHDD3個に収まるだろう。僕の一生の思い出が、わずか30cm四方の立方体に収まるのは、何だか悲しいですね。でもそんな時代が来たのだ。昔ビルゲイツが現役の頃、将来はアメリカのスミソニアン博物館がこんな小さな立方体(手のひらサイズ)の中に収まると豪語した。将来を待たずして個人でもそれが実現出きる時がやって来た。
3月16日(土曜日)
高知へ
高知へ帰ってきた。雨模様だが高知に出かけることにした。街の景観は電線が無くなれば良くなるとの持論を持っていた。お役所も多分そうだろう。高知の路面電車沿いの国道は電線が消えた。なのに、街が殺風景で景観が一個も良くならないのはなぜだ?そうなのだ。日本は全く不況の真っ直中にある。20年近くも不況のままなのだ。そこで安部政権は国の開放を狙ってTTPに参加しようとしている。すると、農協を始めこぞって反対ののろしを上げる。それが、農家の皆さんも周り回って不況を享受しているのだよ!とは分からない。それで反対だ。そして万が一にもTTP交渉が始まったって締結できたとなれば、次は補助金のぶんどり合戦だ。そして農家にはたっぷり金が入って来て、ますます農業は弱体化する。彼らの言うTTPは農業を弱体化させると言うのは、原因はともかく正しいのだ。話がそれたが、高知県は知らない間に高速道路が延び、我が芸西村からいきなり高速道路に乗れるのだ。西の方は、須崎を過ぎて窪川まで届いている。と言うことで、今日は高知の次は須崎まで足を延ばしてみた。雨が段々と強くなり、台風並になってきた。この軽四輪トラックはひ弱な割に風に強い。やはり四輪駆動が効いているのだろうか。須崎市も死んだ街だった。おそらく高知県の経済の元気度は、アジアの国のなかでも最低ランクに位置されるのではないだろうか。ベトナムのサイゴン(現ホーチミン)を一日ぶらついたことがある。市場の活気。パン屋の元気。屋台のにぎわい。そのどれをとっても、生き生きとしていた。ここではひっそりの単語が見つからない。これを見れば、日本はもう今変わらなければどうしようもないぎりぎりの時に来ていると思うのだが。
3月15日(金曜日)
昨晩はフィリピンバーでうまく無い焼酎をたらふく呑んだ。酔うより他は無かったのだ。少し頭が重い。取り敢えずこの経緯を大阪の2名に伝えた。(フィリピンバーの事ではありません)。早く松山行きを決断するようにです。K氏は3月は暇だが4月から忙しくなると言う。仲間の内、このK氏と私だけ仕事であくせくしている。あとの3人は裕福な生活をしている。松山の氏はクラウンに乗っている。随分と安い買い物だったと云うが、「いつかはクラウン」のあのクラウンだ。私にとっては安いはずがない。クラウンは静かで音楽が聞ける。彼は久保田利伸を好んで聞いていた。低音が凄い。僕は軽四トラックで帰った。音物は走行ノイズだけ。おかげで思索に没入できる。少し前、ガソリンスタンドの兄ちゃんはタイヤが方ベリしているので、一本だけでも交換すればと勧めてくれた。それでこの兄ちゃんには悪いが高知のオートバックスで見てもらった。そうすると、まだ一年間は問題なしとの判断。小売店はいよいよネットワークで支援された組織に属してないと「顧客支援は情報提供や商品知識の面で枯渇して生き残れない」と思いましたね。これは前の職場で使っていたトークだが、真実なのだ。ガソリンスタンドでもしかりと思う。疲れていたが、寝る前に映画「メカニック」を観た。昔の42型プラズマ(PX10)だが照明を落とせば発色が綺麗。それに46cmウーハー2個は、記録されている低音すべてを再生してくれる。サラウンドではなく、単なる2チャンネル再生だが十分に楽しめる。
3月14日(木曜日)
フィリピンバー
今日は愛媛県だ。愛媛と言えば道後温泉。その道後温泉に今日はたっぷりと浸かった。「東道後とらともり」と呼ぶ温泉を訪ねた。入浴料金1,050円。友人が会員なので950円。東北でも色んな温泉に入ったが、道後温泉も素晴らしい。その素晴らしさは肌に温泉のコーティングが出来ると表現したらわかりやすいだろう。お湯は少しぬめり感がある。それが、浸かったときに非常に心地よいのだ。露天風呂もあり、これはちょっと違った風呂で、一人分の瓶にお湯が張られている。これに浸かるのだ。篝火が焚かれムード満点。空には星が見える。これより低温や高温のお風呂もある。又来たいと思わせるお風呂だった。次に向かったのがタイトルのフィリピンバーだ。フィリピンから来てもう20年あまりの女性達の職場だ。歌を歌わなければならず、それもデュエットの曲だ。お酒は一人寂しく飲むものだとは言っておられない雰囲気がここにはある。夜の世界にどっぷり浸かった人と歌うのは、良く知られた歌ばかり。一緒に肩を組んで歌っていると、マニラで訪れたフィリピンバーのことを思いだし、日本人に媚びを売って生きていくフィリピン人のイメージがますます強くなり、妙に悲しくなりましたね。僕としてはどっぷり浸かりたいのは風呂の方でした。
3月13日(水曜日)

愛南町の農家 友人が就職した農家を訪ねた。ミカン農家だ。場所は松山から宇和島まで高速道路で南下し、そこから更に一般道を30分ほど進むと、温暖な愛南町に到着する。高知県の宿毛市が近い。ここはミカン栽培の有名な村で、昔から良く知られた温州みかんの栽培地だったが、今はそれを卒業して、もっと付加価値の高いミカンを栽培している。この農家さんは、息子二人が跡を継いでいる。彼らと話をしたが、凄く素直で、まるで大卒の新入社員に接するようだった。今この世にこんな若者がいるとは、ほんと昭和の化石を見た感じだ。彼らから、ミカンのイロハを教えてもらった。栽培しているミカン山も見せてもらった。そこら辺りの山全体がこの農家のミカン畑だった。おみやげにはミカンやその加工品を貰い、「瀬戸の花嫁」を口ずさんで帰りました。帰りの道は、高知で有名な四万十川を渡り、海岸線沿いに帰る道を選んだ。約200kmの道のりだが、1/3は高速道路がある。
3月12日(火曜日)
音痴ウグイス
この部屋の前には、もうすっかり花を落とした梅の木がある。ここに今朝はウグイスが来て夜明けに鳴いていた。遠くでこだまするウグイスの声は、春の訪れを感じとても美しいが、枕元でこれをやれれると、うるさくて眠れやしない。しかも、このウグイスは時々音程を間違えて、ゴロゴロ音になるのだ。まだ夢の中にいたい私としてこれですっかり目が覚めてしまったと言うわけ。ウグイスにはテリトリー性があり、この山一体は綺麗な声でなくウグイスがいるのだが、この音痴ウグイスはどこからか迷い込んできて、私の庭先で鳴いたのだ。まだ、朝は冷える初春の高知はこうして自然豊かな恵みの中で時を刻んで行くのだ。僕の人生の中で高知の生活はわずか18年間。大阪の生活がもっと長い。しかし、多感な時代を過ごした高知はやっぱり、本当の古里なのだ。
3月11日(月曜日)
古いがネットワークの完成
この部屋には僕の知的生活を支えるための道具が詰まっている。昔買ったPCもその一つだ。Macもある、OSは何と「8.6」。NECノートブックWindows95搭載のPC。これに、NAS(ネットワーク上に置けるHDD)を繋ぎ、Ethernet接続すれば、Macで作成した文章なども、Windowsパソコンで見ることが出来る。今でこそ、PCはネットワークが当たり前の時代なんですが、Macは昔から(92年頃)ネットワークを見据えていたんですね。感動です。この文章もMacで.txtデーターで作成し、それをメインの自作XPパソコンで開き掲載してます。毎年新しいPCが発売されて追いかけていた時代が懐かしい。そんなことをしなくても、十分に昔のPCは使えますよ!て今(2013年)になって思いましたね。この間200万円は下らない投資を行いましたね。
3月10日(日曜日)
やや肌寒い一日とは言え、そこは南国。引っ越しの荷物の整理をしていると汗ばんできて、ビールが欲しくなる気温だ。鉄骨の駐車場は半分荷物で埋まっている。多くは大阪交野市から千葉に引っ越したときに、荷物を半減させたため、半分を高知に送った。その半分を整理しているのだ。VHSのテープが300巻ほどでてきた。せっせと貯めた音楽番組のテープだ。あの時にはよもやこのテープが使えなくなるとは思っていなかった。千葉に移った2000年でさえも円盤に記録する時代が来るとは思えなかった。そのテープは貴重な番組だから、何時の日にかBDに焼き直さなければならない。DATのテープも出てきた。レンタルCDからのダビングだが、これもHDDにダビングして、音楽データーにしなければならない。そして何よりも膨大な書籍である。書籍で家が埋まってしまっている。だが、これもスキャナーで電子化してHDDに貯めるつもりだ。こうして、ほぼ家を埋め尽くす音楽や映像や文献はHDDに保存するつもりだ。多分2年ほどかかるだろうが、その暁にはこの部屋も、お婆さんが住んでいた家もスッキリするはずだ。
3月9日(土曜日)
3つの家

高知に両親が住んでいて、千葉に子どもたちがいて、仙台に私がいる生活は終止符を打った。高知と千葉の2カ所に住むことになった。さて高知だが、ここにも3軒の家がある。一つは両親の住む母屋。一つは私の寝泊まりする家。一つは今は使ってないお婆さんが住んでいた家。それぞれ5mづつ空いている。私の住む家は、鉄骨だが壁が薄く夏は暑くて冬寒い。だがここには昔から設置してあるAVシステムがある。勉強机もあり、PCもある。いわば私の書斎。ネットはまだ引けてない。NTTの調べでは、高知県安芸郡芸西村(げいせいむら)はまだ光回線が届いてないのだ。でも今は全く問題ない。モバイル回線を契約してあるので、主なPCはモバイルで接続できるのだ。まだ3Gだが、仙台ではフレッツ光マンション契約と遜色のない速度が出ていた。こちらでもさくさく感はある。そしてお婆さんが住んでいた家だが、今のところ開墾した荷物の置き場となっているが、いずれここにはシアターを設置するつもりだ。広さと言い、十分な空間がある。開演は5月の連休を目処としようと思っている。
3月8日(金曜日)
暑かった

南国の太陽の強さを知ったと言えばよいか。今日は車で東に向かって走った。すると運転席は南側になりますね。南国の太陽がサンサンと降り注ぎ、窓を開けて風を入れるだけでは済まなくなったのは暑過ぎです。これは窓を閉めて冷房を入れる気温だ。途中に凍結の注意のため、温度計が設置されていたので見れば何と25度。これは暑いわけだ。お昼のニュースでは何と北では猛吹雪とか。先月までは僕もそこで雪に揉まれていたのだ。寒いと体は固くなるし肩も凝る。しかし南国では汗をかきコーラーを飲んでリラックスだ。遠くの景色は白いベールがかかり幻想的な風景になっている。(東北でも雪を被り真っ白だったが)夕刻には太陽が大きく山の中に沈んでいく。この雰囲気はまるでインドですね。インドでも今の季節もやと言うか、スモッグがたなびき、大きな夕日が見えた。仕事ではなかなか成果が上がらない悪いイメージの残るインドだったが、もう一度1月か2月のインドを訪ねてみたい懐かしさがある。デリーでは気温も今の高知と同じくらいだ。
3月7日(木曜日)

徳島は隣町だが、高知とは大きな山や狭い海岸線で結ばれた全く違った異国の世界。四国は大きな山で隔絶されてきたので、四国四県と一口に言っても全く関連性がないのだ。高速道路が延びて一応は繋がったが、格別隣町に行かなければならない用事がない。そのため、岩手県の面積に約400万人が暮らしているのに、高速道路の交通量は東北自動車道と比べて極端に少ないのだ。(岩手県は200万人弱)それで車を運転するにも非常に楽なのだ。徳島県は魚養殖の盛んな地で、近くに阪神の大市場を抱えていることもあり、漁師の他にも魚屋さんも多い。今日はその一つである「太へいよう」さんで食事を頂いた。東京で頂くと1,500円は堅い、と思われるエビのフライ定食が980円だ。目の前には生け簀があり、オーダーすればそのまま料理をしてくれるシステムだ。昼間からお酒を飲んでいるおとっあん達がいたが、その気分はワカランでもない。帰り道は室戸岬を回ってみることにした。カーナビでは144kmと表示されている。カーナビには表示されなかったが、日和佐の薬王寺に向かう高速道路が完成していて、あっという間に着いてしまった。今日はついているぞと、今度は室戸岬を大きくショートする196号線を選んでみた。これは残念ながら失敗だった。曲がりくねった山道に迷い込んでしまった。山道の運転にはカーナビの道路地図が役に立つはずだが、生憎と「ストラーザ」は地図があまり正確でなく、ディスプレイを見ながらハンドルを切ることが出来なかった。富士通のカーナビは、遠回り案内が多かったが、道の精度は良かった。急カーブを切ったところで鹿の親子にであった。格別急ぐわけでもなく悠然と道を歩いていた。北川村を通って国道55号線に出たのが50分。ショートカットがロングウエイとなった。
3月6日(水曜日)
昔の目線
この一年間は東北の地で、電器屋さんやガス屋さんを訪ねる仕事していたので、車で運転していても、ついつい目が電器屋さんやガス屋さんの看板を探している。今でもドアをたたいて入って行けそうな気持ちが残っている。この仕事を一端離れたので、冷静に見えることもあり、説得する自信はあるのだが、もう関係無いのだ。それとスーパーの野菜や魚の価格ですね。今の時期の東北の野菜はしおれていて元気がない。それに値段が高い。こちらはほうれん草でも、葉っぱが立っている。もう一つはちりめんじゃこ。これは高知が圧倒的に安い。海洋資源の視点からすれば、ちりめんじゃこは少々問題ありとおもうのだが、とにかくこれは凄い。今日は「生のちりめんじゃこ」を頂いた。少し苦いが、少しあじ塩を振るだけでいただける貴重な資源と言うか食料。これはここでしか食べられない。これを肴に呑む酒が「どろめ」と呼び、これを少し食べて、ぐいと酒を飲む、早飲み大会が毎年開催される。一位の人は一升の酒を1分弱で飲みきる。話はそれてしまったが、スーパーでの買い物はこちらが安そうだ。
3月5日(火曜日)
目覚まし時計
今に始まったことではないが、芸西村では午前6時に村内全域に目覚まし放送がされる。昔は、聞き逃すことが多かったが、今では、5時過ぎに目が覚めるので、これが放送されるのが待ち遠しい。と言うのは5時半はまだ暗く、トイレに立つには、懐中電灯が必要なのだ。田舎のトイレは家の外にある。その上、もう1年くらい前になるが、このトイレの照明が壊れているので、トイレに行くには懐中電灯が必要なのだ。母屋にはトイレがあるので、この不便さはとりあえず私だけの世界なのだが。6時の起床は同時にウグイスの起床時間でもあり、裏山からウグイスが聞こえてくる。まだ春まえなのに、きちんと正確に鳴いている。相当練習したのだろう。雌のウグイスが駐車場の梅の花に止まって鳴いている。こちらはチッチだ。これを真似ると、このウグイス嬢は、チッチチッチと2回繰り返す。同じく真似ると、今度は3回繰り返す。なかなか面白い鳥なのだ。からかわれているような気もしたが。と言うことで、なかなか気持ちの良い朝を迎えているのだ
3月4日(月曜日)
うどんを食べに高松へ

今では全国ですっかりポピュラーになった高松のうどんだが、こちらは地元でしか知らないマイナーなうどん店が多い。今日はその一つの店におじゃました。何処の店もセルフの「のぼり」が出ているが、セルフの仕組みが違うため、一見様には不可解なこともある。それでも、リピーターがあってもおかしくない味や価格で、僕は大歓迎。もう一軒訪問したいのだが、近くにそれらしい店がないので、今日はこれで断念する。友人達に写真を送った。ネギはサービスで多めに入れたので、メールの返信は皆さんネギの多さにコメントが付いていた。
3月3日(日曜日)
雛祭りであるが、耳の日でもある
そんなイベント盛りだくさんだが、私としては引っ越しの荷物の整理に追われた。この部屋の下にある倉庫には、大阪時代の荷物、千葉時代の荷物、そして再び大阪時代の荷物と仙台時代の荷物が詰まっている。これを一つずつ開けて収納していく。仙台は6畳一間で暮らしたが、歳とってくれば、そんなに多くのアイテムを使い切れないと分かった。それで、荷物の大半は捨てることに決めたのだ。書籍も、衣類も、何もかも。それでも衣類は何時の間に買ったんだろうと思われるものが沢山あり、タンス2つを占領することになった。暑くなり作業が出来なくなる7月までにこの作業を終えなければと思っている。箱にして120個位はありますね。
3月2日(土曜日)
酒盛り
友人達と朝飯を食べに言った。海が見えるレストランだ。僕はモーニングを注文したのに、彼ら2人はビールだ。ここのモーニングはコーヒーのみ放題だが、ソフトクリーム食べ放題でもある。それで僕は彼らのビールにつき合う感じでソフトクリームをたっぷりと食べた。いずれも朝食の感じではない。この後、安芸市に阪神とオリックスの試合があるので見に行くという。僕は野球に全く興味がないので、彼らのアッシー君だ。野球は午後4時に終了するとのことで、再び迎えに行く。その帰りにスーパーで買い物をして、宴会だ。私の個人的な生活は、まだまだ荷物の片づけが終わらず、明日に持ち越す状態だが、PCだけは設定できた。ここは光回線がなく諦めた。もっぱらモバイルで利用するのみだ。3Gの契約だがそこそこ動く。さて宴会はT氏の家で行った。私は自分のBDと音楽ファイルを持ち込んで懐かしの音楽を再生した。懐かしの音楽はT氏の母も一緒に楽しめて全員がWIN−WINの関係となる。今日のメンバー全員が音楽通なのだ。この一年間は勤め先の悪口を肴に仲間と酒を飲んできたが、高知の酒は明るい話題で酒を飲むのだ。相当飲んだところでK氏の奥様が迎えに来てお開きになった。
3月1日(金曜日)
ヤマダ電機とケーズデンキ
高知県には2店ずつある。ケーズデンキは出来たばかりだ。それで、高知駅の近くにある店に訪問してみた。なかなか広く什器が低いので見通しがよい。雨の午前中だというのに満員御礼だ。この店の斜め向こうにはパナソニックの店がある。勿論誰も訪問はなく、照明も暗く寒々しかった。当面の間は、固定客の注文で食って行けるだろうが、生き残りは時間の問題だ。不可抗力と言っても良い。どんな奇策も通用しない。折しも今日はNHKテレビで、四国にセブンイレブンが上陸するニュースが流れ、地元の商店が如何に頑張るのか特集をしていた。しかし所詮頑張っても犬の遠吠えだ。24時間客を引きつけるコンビニエンスの力はしっかりとした情報に支えられている。人海戦術で太刀打ちできる物ではないと思う。この一年間家電の小売店の経営を見てきて、小規模とは言え小売りの秘訣は、客に対するフットワークと情報力しかないと思いましたね。この店とは少し離れるがヤマダ電機はどうだろうと覗いてみた。こちらは閑散としている。エスカレータ正面にリフォームコーナーがデンと鎮座しているが、客はいない。従業員2人はイスに座り打ち合わせをしている。この隣は雑貨やお菓子を売っている。その右には書籍。これらいずれも小規模で、何となく中途半端な印象は免れない。書籍は最低でも宮脇書店を上回らなければ魅力は半減だ。3階のAVコーナーを覗けば、確かに価格は安い。この店はなんやかんや言っても、価格が魅力だ。今日は京セラのキャベツの千切りカッター1580円を買ったが、こんなものにもポイントが付与されるのだ。見やすいケーズで選んでヤマダで買う。これが正しい購入だと思いましたね。大雨で随分と濡れてしまった。
2月28日(木曜日)
今日は引っ越し荷物が届く日だ。午前中を使って住所移転、確定申告に行って来た。還付金がもどるとのことだ。今日は母の透析日だから、昼飯を父の分と2人分作ればよい。さっさと作って昼から来る引っ越し屋さんに備えよう。食材の購入は何と言ってもかっぱ市だ。とにかく安い。東北の道の駅は相当訪れたが、ここほど安価な市場はなかった。そこで、「ニロギ」と「鯖のみりん干し」と「キャベツ」併せて530円を買った。仙台の生活と比べると大幅な食費のダウンとなる。「さかい引っ越し」屋さんは少々胡散臭い。営業マンが適当なことを言って契約しているみたいだ。その一つに追加の保証料金がある。TVなんか映らなくなった時の保証があると聞いたのに、今日の説明では外観のみ保証となると言う。全く違う説明なのだ。それに、料金の支払いも前払い。営業マンは後払いと言った。集荷の時荷物の個数も数えないし。今まで一番いい加減な引っ越し屋さんだった。アート引っ越しセンターが最高だった。今回の営業マンの会話は全て録音してあるので、ちょっとこれからごねてみようと思っている。春の陽気で窓を開けないと暑いくらいだった。空は何処までも青く、こんな所にいても罪にはならないだろうか?と心配になった。とりあえずPCを開きメールの確認だけを行った。どうやら、今月の東北地方の計画は未達だったようだ。
2月27日(水曜日)

爆睡の後目覚めたのが6時半。昨日の日本酒が確実に残っている。天候は雨。TVを見ながらやや呆然と過ごした。天満橋のマクドで食事を済ませた後、ウイン企画を訪問した。ここでは本当にお世話になった。そして訪問すればここには大阪の情報がある。日本橋の情報がある。家電店は無くなったとは言え懐かしい人は残っているのだ。今日は悲しい話題を聞いた。小池の富さんがなくなったとのこと。結構性根の座った物言いをするおじさんだ。その上の兄さんも若い年齢で無くなった。先の読めない不安な時代、まだ店を経営していたから、思い残すことがあったんだろうなと推測する。合掌。昨年末退社したK氏が訪ねてくるとも聞いた。丁度の仕事があればいいのだが。この後、植物園を訪問するつもりであったが、妙に気が失せてしまい、そのまま帰ることに。岡山駅で丁度昼となり、弁当を買ったが1200円。価格表示がなく、レジで精算するときに価格が分かった。ここは詐欺だ。そしてここの弁当を食った後、数日下痢が続いた。岡山で弁当を買ってはいけないぞ。高知には14時30分に到着した。友人に迎えに来てもらった。何と太陽があまりにも強くて車内は暑く冷房を効かせた。高知は一足飛びに初夏を迎えた。昨日仙台を朝出るときには道の脇にはまだ雪が残っていた。嘘のような別天地だ。赤野にある亡くなったお爺さんの実家を訪ねた。一言挨拶のためだ。ところが、中学の時言ったきりの場所は記憶が曖昧で住居を見つけられなかった。また、小学生の時お世話になった先生の娘さんは、頭の髪の毛が薄くなり、根本は白かった。僕より1歳年下。結構苦労されているようだ。父の弟は不整脈で調子が良くないらしい。気候は明るい話題満載だが、人間の話題は暗い話ばかりだ。
2月26日
引越し

いよいよ引っ越しの日だ。昨日スタートしたのが午後8時だったから、今朝5時に起床して取りかかった。午前7時に引っ越し屋さんがくるのだ。睡眠時間は4時間だった。それでも、今日はよく頑張った。10時半には部屋を後にした。11時半の新幹線で東京に向かう。仲間のプレゼンの資料がまだ完成してないので、車中で作成し、東京駅からメールを送った。ばたばたの引っ越し作業だった。でもここで一段落ついた。後は、未来に向かって活動しようと言うことで、車内販売が来たのでビールを買った。そして丁度富士山が見えた。富士山の雪は頂上付近のみで、裾のほうは蒼い山だった。東北の山は頂上からすそ野まで白色だから、ちょっと不思議な感じがした。今日は3組の人たちに会う約束だったが、出発が遅れたので、2組。天満橋の高麗橋近くにある事務所で少し歓談。ここの人に今までお世話になった会社を紹介頂いたのだ。一様に大変やなと激励された。それから、友人達に午後5時に合う。京橋の丸福さんで、お総菜を選びながら酒を飲む。話の中に「ウチの会社」がたびたび登場する。それって「何処の会社?」。「まさか昔勤めていた会社のこと?」。「そうや」。「もう卒業したんやで、いい加減に亡霊とつき合うの止めたら?」と私。「そんなわけにはいかん」声が優勢。ホント経営に熱心な御仁達だ。夜の10時近くまで呑んだ。
2月25日(月曜日)

最後のご奉仕。と言っても、顛末関係の仕事でクリエイティブ関係はない。昼過ぎに部下の一人がPCの使い方について教わりに来た。そうだ、丁度一年前を思い出した。僕は一人で赴任して来て一人で色んな業務を一人で開拓してきた。PCの設定なども、本部に電話だけの支援でこなしてきた。随分と本部負担は少なかっただろうと自負する。自分で作り上げるのはそんなに下手ではないと思った。借り物のPCをコンビニで送り出したのが午後6時半。それから引越しの準備に入る。簡単だと思っていたが、まだ風呂にも入るし寝ることもしなければならないので、順番があるのだ。最後にネットを切った。切ってから、手持ちのモバイルで接続確認。高知でも引き続きNTT回線は無くても接続が可能になった。この回線は、会社からモバイル借用で一時止めていたのだ。一安心。午前1時までかかって荷造りを進めたが終わりを待たずダウン。残りは明日の朝にしよう。
2月24日(日曜日)
又しても雪

朝目覚めると嫌に静かな気配。窓を開ければ一面の銀世界。これで二日目だ。しかし、なんだか雪の勢力は、動物園の老ライオンのように力がない。午前中にシャーベットになり、午後には乾燥している。もう冬も峠は越したのだ。朝の太陽も随分と北に移動し窓に差し込む光は強くなった。渡り鳥のように暖かくなると共に、僕も南に帰ってゆく。この一年は、仕事に明け暮れた。酒も飲まずに仕事をした。そのせいか、頭は割とスッキリしていて、いろんなことが見えてきた。とりわけ自分の事がよくわかってきた。中でも、遅まきながら、このどうしようもない頭をどう使えば効果的なのか?少し分かったような気がする。60年も分からずにいたのが怠慢だったのかどうかわからないが。これは最近ある人の公演でヒントをもらったのがきっかけだった。「1万、1000、100、10、1」の法則だ。一日1万歩歩きなさい。一日1000文字書きなさい。一日100回深呼吸しなさい、一日10回高笑いしなさい、一日1回自分を褒めなさい。僕には1000と1が欠けていたのだ。特にこの仕事は、対人折衝なのでめげることが多い。その時、なぜ上手く行かなかったのか自分を責めることが多いし、数字が上がらないと、これで最良なのか?やり残したことはないのか、盛んに自分を叱咤する。自分の内なる声はパチンコ屋の騒音よりも大きく難聴になりそうだったこともあった。どツボにはまると頭はフリーズする。フリーズの回数を減らせば、まだこの頭も何とかなりそうだ。昨日に続き今日も引き継ぎ書の作成で暮れる。
2月23日(土曜日)
雪

最近休みの度に雪が降っている。幸い昼間は太陽が出たので、溜まった洗濯を済ませた。空いた時間は引き継ぎ書の作成だ。まぁこの種のデーターはこちらが一生懸命になるほど、後継者は見てくれないのが世の常だが、自己満足の為にも、かなり完璧なデーターを作成している。特に名簿は、写真データーもあり、それは位置情報も添付されているから、活用しようと思えば随分と役に立つのだろうが、果たして?それでも完璧を期すのだ。手紙の発送があり、少し離れた終日営業をしている郵便局を訪ねた。丁度昼時だったので、手頃なカレー屋さんに入った。この店は全員が知恵遅れの人たちが経営している店だった。客も同じ種類の客。食器は叩くわ、大きな声で叫ぶわ、凄い店に来たと最初は思ったが、タブレットを開き本を読み始めると、喧騒は何処かに飛んでいった。それは、彼らなりに一定の法則があり無闇な音を立てているのではないことがわかったからだ。いわゆる人間の生活音なのです。だから、本が読めるという事なのか?と思いましたね。それまでは、この人たちを支援するボランティア組織があり、彼らの思い遣りは凄いと傍で見てたが、実はそれほど酷いことはなさそうだと少し感じた訳です。夕刻のプールは2.5km60分。又忙しさと共にタイムは下降傾向にある。
2月22日(金曜日)
最後の支店会議

いつものように、朝早く起きて、手っ取り早く資料をスキャンして、必要な部分を取り出しファイリングする。それに頭でイメージしていたプランを一枚追加して会議の資料完成だ。この仕事につき資料の作成が多かったことや、それ以外でも手紙なども頻繁に発送したので、資料の作成がなかなか早くなっているのだ。11時に作成を終えて近くの「カッパ寿司」さんで早めの昼食を取る。カッパ寿司は、回転寿司チェーンで最低の評価を下されている店だ。確かに一皿94円と格安で、メニューも限られている。が、近くで、しかも腹具合に応じて量をコントロール出来るメリットがある。会議は結構活発に意見交換があり、充実の時間だった。最後に「やっぱり数字が見えていると気分が良い」と長老が語った事が印象的だった。明日の孤独な引き継ぎ資料作成の為に音楽が必要だ。田舎に帰ればこのような事務作業も無くなるだろうし、それに音楽を買う店もない。という事でタワーレコードを訪問。Jazz 2枚 Rock 2枚。何れも資料作成に向いた音楽を購入。ランキングやマスコミ評価など関係ない。それと、ジャケットのデザインも気にしますね。いくら音楽が良かっても、飾って楽しくないジャケットは対象外。今回は久しぶりに澤野工房からFireの一枚を買った。
2月21日(木曜日)
宇都宮

今日は高崎で仕事をする仲間に、車の引き渡しだ。私専用に準備いただいた車を、私が去ることになり、関東支店に引き渡すことになった。本来なら大宮で受け渡しをするのですが、私の運転技術は都会向けではなく、北関東地区の唯一の田舎である、宇都宮で引き渡しをすることを提案した。朝はキンキンに冷え込んでいて、山形方面や、名取方面は厚い黒い雲に覆われていた。今まで無事故で来たので何とかそれを通したい思いは強かった。国見の峠を越えて福島県にはいると途端に凄い雪に変わった。気温もぐんぐん下がった。少し速度を落として運転した。反対車線は、車が全く来ない。しばらく行くと、事故で渋滞していたのだ。待ち合わせの宇都宮駅には少し余裕があったので、雪で汚れた車を洗車した。ここの洗車代金は975円が最低料金。会社は洗車代金は負担してくれないので自己負担。昨年から雪が降り洗車代金を随分とつかったなぁ。雪国だと毎週の洗車は必須ですが仕方ない。宇都宮では引き渡しの打ち合わせを餃子屋さんで行った。感動的な味かと言えばそうでもないのだが、一応名物だから。食事の後、後悔したのは、今日の夕刻得意先に向かうのだが、そちらは会社組織なので担当の女性が対応することを思い出した。
2月20日(水曜日)
支店長会議

会社組織を大きく変更する。今日の会議はその狙いを理解することも含まれていた。後僅かしかない私だが、皆さんへの挨拶と、明後日の支店会議の方向を見定める為に参加した。先行きが見えない時代に、これという確信めいた決定打はない。それで、一つの指標を信じてみんながそれに向かって進む。これが、現在の会社経営の方向なのです。帰りの飛行機は最終便を予約したが、空港に到着すれば一便早いのにも乗れる時間だった。しかし、経費の事を考えて一番安い切符にしたため、変更は不可能だった。だが、ここでおもしろい経験をすることになったのだ。飛行機に搭乗すると、誰もいないのだ。スッチは5名。みんな笑顔で僕の方を見る。えぇ!貸し切り?「いいえ、あと少しだけ乗っていただけます」「早く帰りたいでしょうから、少しだけ案内を早めました」。「あなた達も早く帰って、牛タンでも食べに出かけたいのでしょうね!」と私。「いいえ、明日が早いから、今日は寝ます」。「みんなホテルなの?」と私。「全員東京がベースなのでホテル泊です。ホテルには10時に着きます」。「えらい早く到着するんですね」。「専用の車があります、私たちは制服のままですから、電車に乗れないのです」。「乗ってもおかしくないよ!」と僕。随分といろいろ話して下さった。40才前後の女性だったが楽しいひとときを過ごすことが出来た。今日一の収穫だ。
2月19日(火曜日)
今日は移動日
名古屋で会議がある。そのために移動する。行きは新幹線だ。東京に着いた途端に雪だ。「東京で見る雪は最後だね♪」とはならないだろう。この後も寒気団が控えているようだから。ここで乗り換えの時間を利用して雪を見ながら食事だ。東京で見る雪は上品だ。仙台のように大粒でなく、小粒で落ちるとすぐに消える。寒さも心なしか表面的な感じの寒さで、芯から冷えるような感ではない。久しぶりにヘラルド新聞を購入。ロシアの隕石墜落についての記事はまだ尾を引いているが、これに関連して「アルマゲドン(ブルースウィルス主演)」を取り上げてあった。隕石のニュースは読売デイリーでも取り上げていて、欧米の人々には結構関心が高い事が分かった。名古屋では友人のT氏が送別会をしようと駆けつけてくれた。いつもいつもの配慮に、悪りぃなぁと思いながら、半分愚痴で半分は前向きな話を肴に酒を飲んだ。2月と3月は出会いと別れの時だ。
2月18日(月曜日)
何とももはや

今日は岩手県の宮古市に向かう。朝6時に出発した。この日はキンキンに冷え込んでいて、車の暖機運転に10分ほど使った。最近の車は燃費性能がよいので、なかなか暖まらないのが課題だ。約束の面会時間は11時半。カーナビをセットすれば既にオーバーの12時半到着予定だ。これは大変。高速道路を平均120kmで巡航した。幸い雪はなかった。相棒は、カーナビの通り盛岡から右折するのではなく、花巻から右折する方がよいと言う。というのは、花巻から遠野までは高速道路がつながっているからだ。岩手県の右側を縦に走る奥羽山脈を越えるにはどうしても雪道走行となるが、高速道路は雪が積もってない分、早いとの見解だ。と言うわけで割と早い時間に釜石市まで到達して、ここから海岸線沿いを北上した。距離が長い時、二人ドライバーというのは楽ですね。無事に宮古市には11時半前に到着し、ココで約1時間仕事をした。そして、終わるとすぐに失礼した。今度は仙台まで帰るのだ。カーナビによれば18時半到着予定となっている。しかし、食事をしてない。おいしいところで頂きたいと思いながら車を走らせればどんどんと山奥に入って行き、家が途絶えてしまった。少し絶望して、盛岡市までお預けかなと思った矢先に、古風なたたずまいの民家風のそば屋さんが現れた。僕たちの思いは肉かラーメンかと思っていたのだが、どうやら食べられる店は当分の間ココしかないと判断して、お蕎麦をいただくことに。おいしいが高い、そして立派なレストランなのに寒いのなんの。結局19時過ぎに到着した。やれやれだ。
2月17日(日曜日)

昨日から一転し、晴天だ。スケジュールをカレンダーに書き込めば、もう自由な時間は少ししか残されてないことが分かった。その中に確定申告が残っている。それと僕の責任で仕上げなければならない仕事は、仲間に少しだけ助けてもらおう。そうしなければ、26日に引っ越しが出来ないのだ。26日にコチラを引き上げてまずは大阪に向かう。大阪で一泊して高知に向かう計画だ。確定申告は26日に済まそうと考えているが、一寸計画が甘いかも知れない。27日に帰省して28日に荷物が仙台から届く。太陽はここ仙台でもずいぶんと強いが、高知の太陽はこんなもんでないだろうから、きっと春を感じられるだろうな。ずいぶんと雪も見た。もう十分見た。もう見たくはない。
<太白区のシンボルテレビ塔ともお別れだ>
2月16日(土曜日)

空腹で目が覚めた。外は猛烈に雪が降っている。だが顔も洗わず自転車に乗って近くのマクドにビッグマフィンを食べに出かけた。空腹には勝てない。雪が顔に当たり溶けて流れ洗顔の役目を発揮する。おじさんになれば身なりは問題ないから、こうした芸当も出来るのだ。出勤日ではないが、仕事をした。名簿の整理だ。この仕事は名簿が全てだ。コチラに赴任したときはそれがなかった。僕の歩いた足跡を(同じ意味のことを書いている)文字やデーターにして引きついでやりたいと思い整理している。それに全てのデーターには写真がある。写真はGPSカメラで撮影しているので「JPGmap」に貼り付ければ、地図も表示されるのだ。後任者がここまで利用できるかどうかは不明だが、凄いデーターを作り上げた自負がある。夜の9時ごろまでかかって完成した。目がしょぼしょぼで酒も飲まずそのまま寝てしまった。<中央のルイガノの自転車が私の分>
2月15日(金曜日)

朝5時から営業をしている温泉に行く。問題は、昨日受付をしてくれた、つがる三味線を弾かせば結構な腕前になるだろうなと思われる眉毛の濃い女性が、男性の脱衣場でなにやら作業をしてるのだ。私は挨拶をして、時間を稼ごうとするが、なかなかこの女性はそこから動こうとしないのだ。仕方なく、おちんちんを出して浴室に向かうところで、この女性はそこから離れた。いはやもはや。今日は東津軽郡に向かう。ここは青森の鎌になっている根本のところです。青森から1時間半くらい。ここで仕事を終えたのが、11時半。カーナビをセットすれば、仙台到着は午後6時。途中睡眠休憩を取らなければ当然帰り着くことは出来ず腹をくくった所で、腹が空いていたのに気がついた。いろんな車が止まるラーメン屋さんがありココなら安心とラーメン定食を注文した。ウエイトレスさんと言うか、女中さんというか、仙台では滅多に見慣れないなかなかの美人に。昨日の秋田での美人比べれば、少し落ちるけれども、なかなかどうして、ラーメン定食屋さんにおいておくのはもったいないグレードだ。そのラーメンもなかなかだった。とりわけ蕪の漬け物が旨かった。ご主人にそのことを伝えると、分かっているぞと言う感じだった。道中は雪の心配は無く、2度ほど休憩を取って、午後6時半に到着した。ほんとにやれやれだった。2日間で1,000kmほどだ。そうして帰り着いて、飯の支度をしているところに本部から電話。3月からの新しい作戦は中止するとのこと。
2月14日(木曜日)

最後の青森に出かける。3月から新しい作戦を展開する。そのために、私の知らない加盟店様に反響を伺い、作戦に無理がないのか検証をしようという目的だ。近場の状況は分かるが、遠隔地はちょっと事情が違うだろうと思うからだ。まずは秋田市。私がついているのは、いつも雪が降ってないことだ。今日もスイスイと北上市を通過し、秋田道に入った。路肩には雪はあれど、路面は雪解け水で濡れていて全く心配はない。秋田市は東北一の貧乏県。インフラがほとんど整ってないとはいえ、秋田市内は電線が取り払われた地区もある。しかし公共の駐車場はなかなか見あたらず、薬局の駐車場に止めた。ここは余り利用が無いらしく、雪がこんもりと盛り上がり、掘れたりでなかなかの難所。止めたは良いが出せない危険もあった。商談を終えて戻ってきてみれば、心配通り、バックではタイヤが空転して動かないのだ。ハンドルを切ったままでは厳しかろうと思うが、そうしなければ、後ろの車にぶつかってしまう可能性がある。そうこうしている間に東北電力の工事用の車がやってきて、一緒に工事関係者のひとも沢山来たので、私の車を誘導してくれたのには感謝だ。4輪駆動なので安心と高をくくっていたが、デフロックの無い車はやはり難しい場面もある。次は大館市。ここを終えて仲間の待つ弘前に向かう頃には雪が本格的に降り出し、あっという間に積もっていく。雪の一粒が大きく、気温が低いので解けないのだ。しかも、カーナビは最短距離を指示してくれるのだが、僕が行きたいのは、バイパスの速度が出せる方なのだが。でも途中で先行車がなくなり、時速は80kmで安定した。雪道の運転も慣れてきて、少々無茶が出来そうになってきた。弘前の手前平川市で宿泊。今日はカンコロ温泉と言う旅館だ。田んぼの真ん中に掘り当てた温泉。ここを庶民は銭湯として利用している。そこに併設された簡単な宿泊施設。そこが今夜の宿だ。眉毛の濃い、かわいい顔した40才過ぎの女性が親切に受付をしてくださり、部屋の設備案内まで至れり尽くせり。風呂は午後10までだと言う。今夜は飲みに行くので厳しいだろうな。
2月13日(水曜日)
NHKでトルコのイスタンブールから中国の西安までイギリスの旅行会社によるトラックで行くツアーを取材した番組を放映している。この前は2008年にアフリカを縦断するツアーを放映した。旅行者は各国から集まってテント暮らしで旅行を重ねていく。この番組を見るとものすごく癒される。問題はカメラマンの質だ。何処の国にも民族音楽を舞踊はあるのだが、この舞踊の撮影にカメラマンはカメラを動かすのだ。相手が動いているから、カメラはじっとしていると踊りが見え楽しめるのだが、カメラも動くから目が回ってしまう。HDカメラにはHDカメラの撮影方法があるのだが、昔のSD画質のカメラマン意識で撮影する輩が大変多い。そう思って昨年の紅白歌合戦を見たが、コチラも踊りが多いのに、カメラを振って撮影してないのだ。リハーサルがあるとはいえ、何が肝心なのか心得ているのだ。私も東北の旅で相当撮影したが、カメラは基本的に振らない撮影方で、水平線に気を配ることも出来る。そうやって撮影した映像は、自賛ではないが、結構見応えがあるのだ。これから4kの時代になってくる。テレビは進化すれど、放送局のカメラマンが技術が進化しないようでは普及しないだろうな。
2月12日(火曜日)

五時起床。まだ暗い。この頃日の出は早くなったといえども、6時にならないと明るくならない。今日は名古屋に向かう。退職の手続きを行うためだ。丁度1年前に、この会社に面接に訪問して、内定が出たのがこの頃だった。仙台に行ってもらうと言われた。まだ見ぬ陸奥(みちのく)に仕事よりも期待が膨らんだ。一年が経過しても、まだ見ぬ所は多い。上空から眺めると、南下するに従って積雪が増えてくるような気がする。まっ、飛行機は最短距離である日本の中央付近を飛ぶからだろうが、当たり前とはいえ不思議な気がした。会社の社長と会長に挨拶。仕方ない選択である理解を頂く。名古屋に帰り仕事をしてもらう僕の人事計画を明かされたが、名古屋でも高知は遠くどうにもならないのだ。その後人事との打ち合わせ。その後食事に出かけた。夜は居酒屋さんになる店に行くと、会社の人で占領されていた。850円のハンバーグ定食。これは旨かった。2時前に失礼した。秋葉原をもう一度見ておきたいのだ。レッツノートが17,800円であり、魅力を感じたが、先行き不明で手が出せなかった。秋月電子でヘッドフォンアンプキットを捜すものの見つからず断念。ダイナミックオーディオで耳の掃除をしようと思ったが、意外とセンス悪く、耳を汚してしまった。残念。ヨドバシでカメラを物色。意外に評判が高いのはパナの望遠デジカメでFZ200。在庫が何時もないとのこと。今日だけは1台のみですとの対応だった。F600mmf2.8が売りだとのこと。確かに、F600mmはf4からでしかないぞ。6時半から、東京の仲間と懇親。もうF氏が居ないので3人で近くのそば屋さんで。東京は雨が降りそうだったが、仙台は雪が降っていた。何かあればいつもここは雪だ。
2月10日(日曜日)
今週から報告書が増えて、とうとう月間11本になった。つまり、3日に一度は報告書を書かなければならないわけです。日本帝国陸軍は戦争中でも使った鉄砲の弾数を報告しなければならなかったそうだが、まさにソレですね。行動すれば、逐一メモに取って報告書の為のネタ探しだ。このために、ICレコーダーを使用するが、この問題点は、再生するのに、同じだけ時間がかかるのだ。それで、今日は一日かけて2回分の報告書を書き上げた。今まででも月の時間外労働が90時間、年間休日換算87日なのに、これ以上の労働がやって来るのだ。と言うわけで、このストレスを解消するために、再びプールに出かけた。北国ではプール以外の運動は考えられませんね。まだ乾いてない濡れ水着を着るのは一瞬勇気がいる。今日は昨日より更にスピードを上げてみたら、2.5kmを50分で泳ぎ切った。これは、自己ベストの記録だ。こうして一日が終わると、仕事のストレスと言うもの、スポーツにとっては好い作用をしているかも知れません。
2月9日(土曜日)
今日は2.5kmを55分で泳ぎ切った。どういう訳か今日はプールが、すきすきの状態で、1コースを独占できた。記録だけだと、まだ若いときのままの状態を維持できているが、問題はこの後だ。2-3時間は強烈な運動の興奮状態が続いているのか、頭も手先も普段より良く動くのだが、4時間後をめどに強烈な睡魔が襲ってきて朦朧となるのだ。昔はプールの後でも映画を見たり本を読んだり何ら問題はなかったのだが、ここ最近はさっぱりダメになっている。そしてもう一つ、昨年のオリンピックでは水泳をずいぶん研究させていただいて、クロールやバタフライの手の動きを、どうにかこうにかまねることが出来るようになった。彼等の動きは無駄のない動きで、それを僕ら一般人がまねても効果がある。「疲れが少なくなる」のです。とは言うものの昔と時間は変わらないから、昔は悪いフォームなりに少々疲れるが力で泳ぎ切っていたと言うことだろう。つまり早い話が、ここでも体力ダウンが見られるというわけです。60歳前までは、戦いの相手は「自分自身の傲慢さ」の精神面だったが、60歳を過ぎれば、「老いとの戦い」の身体面に変わるのです。
2月8日(金曜日)
直感

勧誘のような、対人関係の仕事は心理的な掛け合いだ。昨晩、カレンダーを見ていると、どうも先週訪問した岩手県方面のフォローが必要な気がしてきて、朝起きると思いが更に募ってきた。それで今日は福島方面だったが、急遽変更して岩手方面をフォローすることにした。天候は冬型の雪模様。移動中のニュースでは福島の磐越道で75台の衝突事故があったとか。福島方面を断念して良かった。東北道は、晴れたり、吹雪いたり何でもありの天候だ。やっぱり思った通り、コチラ方面のフォローは大正解で、旨く契約が進んだのだ。時には直感も大事にすべきだと思いましたね。だが、遠距離でもあり相当疲れたのは言うまでもない。朝早く起きて訪問の資料作成したこともある。車で自宅に帰り着いたのは午後8時を回っていた。雪まみれの東北道で速度を上げることが出来なかった理由もある。部屋に帰り着くと胃がむかつく。気も遣ったんでしょうね。冷蔵庫の中には、ここ数年間で貯めた医者の処方の薬がある。これとおぼしき薬を取り出して薬名をインターネットで検索すれば、ぴったりの薬だった。かつては飲んだ薬だから問題ないだろうと判断した。良く効いた。<遠野市の道の駅で頂いた鴨ソバ>
2月7日(木曜日)
宮城県の北部

TVをほとんど見ない私は世間の情報に疎い。更には地元の情報にも疎い。悪いことと知りつつ、経費の関係で新聞は千葉版の日経新新聞電子版(家族は紙の新聞を見て、私はWeb画面で新聞を見る)を見てるのだ。今日は、岩手県との県境にある宮城県栗原市を訪問した。何とココは「伊豆沼」と呼ぶ、県内有数の白鳥の飛来地だった。知らなかった。この湖の縁を偶然にも通りかかったのだ。首都圏と違い、アマチュアカメラマンも見かけず、白鳥は優雅に食事をしていた。手持ちのカメラは10倍のコンパクトなので、どうしようもなかった。更に行くと、造り酒屋さん「桂泉」がある。訪問すれば試飲も出来るとのこと。今日はそんな余裕はないが、宮城県はなかなか懐が深い。道路のはるか向こうには「薬師山」と呼ばれる台形の山があるが、ここは春になれば草そりができて、麓では地元産の牛肉のバーベキュウが出来るそうな。いろんなものを食べ尽くさずに宮城県を去っていくには一抹の寂しさが残る。
2月6日(水曜日)
北上市へ
ついていると言った方がよいのだろうか?僕が車に乗るときはいつも雪がない。あっても僅かだ。それで東北の豪雪を車で経験したことがない。せっかく車にはスコップや、防寒服や防寒のゴム長一式を買ったのだが出番がない。まぁそれは幸福なことだ。さて今日は、岩手県に向かった。雪がないのでカーナビの時間通りの到着が見込めた。仕事を終えたのが12時半。食事をしてから得意先にご挨拶でもしておこうかと電話をすれば、一緒に食事に誘われる。名物をのソバを食べたかったのだが仕方ない。お店の隣にあるレストランでラーメンを頂く。懇意にさせていただいている店なので、退職のことを話したら、せっかくの出逢いだからこれをプレゼントすると渡されたのが南部鉄のお面。重いのなんの。感謝です。で何処に飾ろう?変なところに飾り、地震で落ちてくれば大けがの元だ。
2月5日(火曜日)
にっちもさっちもいかなくなって、内勤
今日は一日事務仕事。ここで一旦立ち止まらないと、休日の内職だけではとても追いつけないほど、事務が溜まっている。自宅で事務処理をするのは非常に効率が良いが、暖房費がかかるのが問題だ。朝日が当たり、午前中は暖房が不要なのだが、午後は必要だ。仕事の半分は報告書、半分は引き継ぎの書類作成。意地でもきちんとしたカタチで引き継ぎたいと思っているので、時間を要するのだ。そして夕刻に契約書の回収に訪問する。とうとう雪が降ってきた。仕事を詰め込んで詰め込んで、何とか回している状態。自宅に帰り着き、ヨークベニマルへ徒歩で買い物に行く。往復で1時間20分。自転車だとすぐだが、一日の反省をしながら歩くと、時たまだが気づきがある。まぁ仕事100%に生きための処方箋でもあります。
2月4日(月曜日)
大宮へ
今日は引き継ぎの打ち合わせに大宮まで行った。東京の支店長が兼務するカタチで私の後任を務めてくださるので、中間地点として大宮が選ばれた訳だ。仙台は東北の中では大きな街だと思っていたが、やはり首都圏の都市である大宮はでかい。いろんな店が駅中にもある。服装を見ていると、僕のようなダウンを着た人はいない。首都圏は暖かいのだ。ここでも、なんだか田舎から出てきたハンディーを感じますね。スムーズに引き継ぎの話は終えた。帰りの電車で一眠りをすれば、外は雪景色だった。少し冷え込むとすぐに雪だ。でも、こちらの人は、汚いものをすべて覆い隠す雪はなんだか身についた習慣のように感じて愛すべき存在になっているのだろうと思う。まだ、その感覚は僕にはないが、彼らの言葉には「東北で最初」「東北で一番」と言う言葉が頻繁に出てくる。地震の問題にしたって「がんばろう東北」だ。茨城も埼玉も地震の被害を受けているのだが、こちらは門外だ。
2月3日(日曜日)
昨晩は水泳の疲れで早めに寝た。ずいぶんと寝た後に、体を揺すられて地震だと気がついたが揺れは長く続いたが弱く、そのまま寝てしまった。YouTubeには津波の映像がまた一段と多くの映像がUPされている。被災された方は、もう地震はこりごりだと思われているだろう。が、あまのじゃくの私は、地震にも善玉があると思っている。と言うのは、このぼろアパートは、今日のように強い風が吹けば、相変わらず顔を撫でるような感じの微風が通り抜けていくが、そのほかの欠点として、廊下とリビングを仕切る唯一のドアがぎしぎしを音を立てて閉まるのだ。蝶番に油を差すが一向に変化はなく、どうやら、ドアと下の敷居がこすれる音だと分かった。毎日ぎしぎしを音を立てている。もう慣れてしまった。ところが昨晩の地震でぼろアパートの傾きに変化が起きたのかどうか不明だが何かはあったはず。今日からドアの開閉に音がしなくなったのだ。
2月2日(土曜日)
すっきりの朝。酒を飲むとどうも睡眠が浅い。新聞や雑誌にも酒と睡眠は関係が良くないと書かれてあるので僕の体も正しく反応しているのだろう。何もできない、何もしない休日ではあるが、仕事の整理が半分あり、プールに出かけることが出来たのは午後4時頃だ。泳いでいるときプールの底から冷たい水が出てきて最初はとまどったが、2度3度と通過する内に気分が悪くなった。もしこれで脳梗塞にでもなれば大変な事だろうと、休憩を取った。体に無理をしない生活をする。これ信条だが、今週の深酒はきっと体への負担が大きかったのだろうな。年を重ねれば自戒が一番だと思いましたね。音信が途絶えていたM君から、SNSのメールが届いた。飲み助のM君は相変わらず身近な仲間を誘って飲んでいるのだろうか?一昨日電話が通じなかったUサンとも連絡がとれた。みんな松下時代の友だ。
2月1日(金曜日)
白河市
もう少しで栃木県。福島最南端の町。相当飲んだ酒も、質のいい酒だったのか、翌日はすっきりで、午前中に精算業務のあと、出かけた。車の暖房も止めるほどの気温になり、道路標示の温度計は10度を示していた。仙台はこんなに寒い所でないと、コチラの住民の方は言われるので、今年は異常だと思っているが、この気温はまた反対の意味で異常だろう。白河市には「肉の万世」がある。秋葉原にあるあの有名な肉屋さんだ。コチラが本拠地だと言われる。今週は山形市で、米沢牛と山形牛の格安の店に行き、肉のブロックを買ったばかりだから、ちょっと肉はストップという感じだが、看板を見れば興味はわいてくる。昼から1件の訪問だが、白川は遠く、帰ると6時半だった。冷蔵にあるもので夕食を作り、音楽を聴きながら頂いた。わびしい食事だが、金曜日の晩はこれでも心が浮き立ちますね。
1月31日(木曜日)
仙台市通称「国分町」

今日は支店のメンバーに集まってもらい会議。会議のあと懇親会。利休の牛タンの店。今日は伏兵が待ち受けていて、懇親会を解散した後に、仙台のメンバーがもう一軒と言うのでつきあった。計画も達成したので、気がゆるんでもいたし、日本で一番景気の良い飲み屋街と言われる国分町で飲む好奇心もある。そこで訪問した店は、美人のママさんと従業員さん(コチラが更にキレイ)がいて、なかなかいい気分だった。去年の今頃は、仕事がまだ決まって無くて、もがいていたことを思うと、天国と地獄の差だ。そうこうするうちに、大きな人が入ってきた。だが、どうもコチラに気があるようで、声をかければ元松下の社員だった。それもバレー選手だと言う。それで、僕の友人に電話をするが、なかなか出てくれない。友人達は団らんのひとときだから仕方がないのだが。少し遠くに止めた自転車を連れ戻してきて帰ろうとするが、今日はもう一軒行くと言う。JAZZの店だと言う。これは高いぞ!と思ったが、まぁこれで仙台も終わりだ。とついて行けば、カラオケの無い本当のJAZZの店だった。「山崎12年」を飲みながら、仙台の1年が終わった感慨を深くした。女性が隣に座る。相棒は魅惑の女性が座ったが、僕の隣には若い娘が座った。コチラに年を聞けば、21歳。丁度ウチの娘と同じか。あの娘も、もうこんな仕事が出来る年に仕上がっていたか。
1月30日(水曜日)
計画達成

久しぶりに計画達成だ。支店長はここ最近なかなか開発の仕事が出来なく、成績も鈍っていた。コチラは一人の増員があり、実力を発揮してくださるようになり、今月は丸く収まったと言うわけだ。それで、秋田県での仕事を少し残していたので、訪問することにした。雪での遅延を心配したが、ここ数日は気温が高く、道には雪が無くスイスイなのだ。それで予定よりも早く終わるかなと思いきや、最初のお店はものすごいオーディオマニアの店で、オーディオ談義となったのだ。なんせ、プリがアキュフェイズC230ですから。プレーヤーSL−1000MK3、あの名機SP−10MK3を搭載したプレーヤーだ。ここでのロスは30分強。次は、角館。桜の有名な所だ。道路の雪は解けているが、道路際の雪は依然と深く、桜に近づくことは出来なかった。昔F氏と訪ねたのが懐かしい。ココはロス無し。最後の店は山本郡と言う、青森県境にある。途中、峠を何本も越えるがその道中に田沢湖がある。この湖畔を通過する道を選択した。松に降り積もった雪が突然落ちてきて、一瞬車は雪の中に埋もれてしまった。徐行しているときだったので無事通り過ぎた。15分のロス。最後の店に訪問すれば、今は能代の店にこの仕事をバトンタッチしたよ、と言われる。ここから1時間少しの距離だ。と、言うことで更に日本海側にある能代市まで行き、盛岡のホテルにたどり着いたのは午後9時を少し回っていた。昼飯も、休憩もなく走り続け600km。
1月29日(火曜日)
福島県伊達郡〜塩竃へ

ここは宮城県との県境。寒さも、宮城県並と思いきや、全く違っていて、道路は完全なアイスバーンで、時速20kmで移動しているのに、ブレーキを踏むとABSが働く凄いところなのだ。この国道4号線沿いは仮設住宅が延々と続く。よりによってこんな寒いところに家を建てなくてもと思うのだが。仮設住宅の外見は何処も同じだが、ずいぶんと中身は違うようだ。コチラで仕事を終えたのが11時過ぎ。次は塩竃だ。一旦仙台に帰り仲間の航空券の変更をかけて塩竃に向かった。丁度昼時なので、国道に並んでいるレストランを物色していると台湾ラーメンの看板があった。台湾ラーメンは、名古屋が発祥の地。懐かしさの余りココに車を止めた。名古屋の「味仙」とは全く違う味だが、スープに酢を垂らせば一段とうまさが増した。この傾向は喜多方ラーメンのスープに通じるものがありますね。大盛りを注文して満足したが、満足はもう一つあって、これで380円だったのだ。価格にも納得ですね。仙石線中野栄駅下車すぐ「満城香」さんだ。また来たいお店だ。
1月28日(月曜日)
酒田へ

先週は相当雪が降ったし、日本海側は相当な雪だろうと心配して、早めのに出かけたが、カーナビに示す2時間と少しで酒田市に着いてしまった。高速道路の積雪は時速100kmくらいで走れるのだ。どうやら時間が読めなくなるのは、積雪のために除雪車が作業をしている為、速度が上がらない時だけみたいだ。青森の連中は、地吹雪で前が見えなくなり車が進めなくなると言うが、そんな酷い所は未だに経験がない。酒田市と鶴岡市の仕事を終えて、山形市に向かうには、月山(がっさん)と言う大きな峠を越えなければならない。その日本海側の登坂途中にあるそば屋さんで丁度昼時となり、のれんをくぐった。山形のソバは何処で食べても外れがないというのが、私の持論。そこで、今日は初めての店ではあるが、板ソバを頂くことにした。2.5人前。いやぁ旨いのなんの。普通おそばを頂くときにはおつゆが足りなくなるのが僕の頂き方ですが、ここでは、ソバが旨くて、おつゆを半分残したまま全部を平らげてしまった。板ソバがどれだけのものか写真では想像出来ないかも知れないが、手前にお箸を入れてあるので想像して欲しい。こんな旨いソバを東京で食ったら、5,000円は固いですね。ここは1,400円だった。
1月27日(日曜日)
組み合わせ
1コース、音楽−読書−散歩。2コース、自転車−旅行−カメラ。3コース、仕事−酒−映画−友人との語らい。大きく分けて3つのパターンで生きてきていたようだ。自分としては1から順番に充実感が落ちていくような気がする。お金は3から順番に出費が少なくなっていく。だが、どれも欠かせない自分の生活パターンである。ところが最近1の方にやおら目覚めてきて、どんどんとのめり込んでいるのだ。アメリカと同様に内向き志向になっているのだ。雪が降るのも理由かも知れない。Kindle Fire HDを買ったのも理由かも知れない。また、大きな転機があると3から順番に1に収斂していくパターンをいつもたどっていたかも知れない。近所の雪かきをしているおばさんに朝の散歩の時に話しかけると、年を取ればこの作業も骨が折れるようになったと言われていた。特に今年は雪が多いとも。そして、はたと気がついたのは、今までのようには行かなくなっているぞと言うこと。年も環境も収入も。
1月26日(土曜日)
前向きについて

このころ、夜の散歩と朝の散歩は欠かせない行事になっている。昼間運動が全くないからだ。それで散歩の際に、音楽を聴きながら歩いているが、「いきものがかり・バラー丼」と「D51・ONENESS」にたまたま遭遇したと言うか発見した(シャッフルプレイで)。一つはバラードで一つはラップだ。普段好んで聴くジャンルではない。それで何とはなしに聴いていたが、これらに共通するのは、若者なのにえらい考え方が前向きなのだ。僕たちおじさん達は飲めば愚痴、歌えば恨み節の演歌と消極的なのだ。僕は何時の間にこんな人間になり果ててしまったのだろうとハット気がついたわけだ。思えば90年のバブル経済がはじけた頃から始まったかもしれない。人の所為にするのは簡単だが、自分にも消極的な芽が心の中に育っていたかも知れない。と言うことで、音楽は自分にないものを発見させてくれるいい友の役割もあるのだと分かった次第だ。今日は制限をかけず泳いだので、夜は早々にダウン。
<左の三角形はかちかちに凍った手ぬぐい>
1月25日(金曜日)
花巻市

今日は花巻市で商談。車は相棒のマーク2で行ったが、轍に車が取られて難儀した。雪道は小型の日産noteの方がよほどましだ。今日の商談相手の社長さんは成金趣味で、部屋の調度品はアジアの木彫り細工のついたてや椅子など豪華絢爛たる修飾で成り立っている。しかし、これは昔の話で、今は人気がないと結構醒めた考え方をもたれている。66歳。考え方は若い。話が長引いて、次の予定に食い込んできた。慌てて仲間に花巻駅まで送ってもらい、電車に飛び乗る。と言っても東北の電車はドアが開いてないので、飛び乗るには、「開く」ボタンを押した後に乗ることになるのだが。本来なら、ここから車で弘前に向かうのだが、どうやら今夕から一年に一度の寒気団がやってきているそうで、雪道に慣れてない私としては少々やばいかなと思い電車に切り替えたのだ。盛岡で乗り換え時間が40分ほどあり、有名な「わんこソバ」の3つのみのバージョンを頂いた。「まずくはない」評価。青森で仲間と打ち合わせたあと、時間がここでも40分位あった。付近を散歩しようと出てみれば、-6度で、傘を持つ手が一瞬に凍てついてしまう厳しさで断念。駅中のラーメン屋に入り、熱燗と一緒に流し込んだ。ラーメンは普通だが、熱燗(菊駒)は抜群の味だった。
1月24日(木曜日)
今日は一関市

幹線道路には雪はないが、住宅街に入れば凄い積雪。今日の商談は、若い人なのに、全く家電の事が分かってない人が相手だった。先方から見れば、当方が全く住宅のことを知らないと映っただろうと思う。今日の教訓は商談というのはある程度ベースとなる基礎知識が共有できて、始めて成り立つものだと言うことですね。長居は無用。早々に退散した。日本は画一化した文化を持っているとは言え、「外」もあるのです。食事時は過ぎてはいたが、今日は千厩(せんまや)ステーキの店を紹介いただいた。岩手県は山形県に並ぶ畜産農家も多く、いい牛を生産する農家も多い。そんな真ん中にある肉の店。ただ、ランチで提供されるのはオーストラリア産だと言うことらしい。結構厚めの大きな面積の肉を炭火で焼いていただく。胡椒だけでも十分な味覚があった。サラダが自由だったが、その中に煮たリンゴのデザートがあった。これは美味だ。その後、気仙沼に向かった。気仙沼は「おさかな市場」があり、津波で流された後再会したようだ。今回は時間無く寄れなかったが、次回のお楽しみだ。
1月23日(水曜日)
ガンに効くキノコ

山形県の加盟店さんが販売している「タモギ茸」と言われる茸がある。この茸は癌に良く効くらしく、全国から注文があるという。私も友人に送った。それで、今日はそのタモギ茸のお茶を一杯ごちそうになった。味は感動するものではなく、尿がリポビタンDを飲んだときと同じように真っ黄色に変色した以外は変化がなかった。だが全国から多くの事例が報告されていることを考えると、凄いパワーを持っているようだ。山形でおいしいソバを食べる計画だったが、次の訪問先は、近辺にそのような店が無く、台湾料理の店に入った。たまたま入ったが、そこは台湾人の経営する本格中華料理の店だった。そして、ニラレバ定食を注文すれば、更にラーメンが付いて来るという豪華版だ。ニラやもやしは余り火が通ってない炒め方。とにかく大量の食事か運ばれてきて、それを全部平らげると、満腹を越して苦しくなった。値段は850円。この夜は、バナナ2本で済ませた。
1月22日(火曜日)
名古屋から、本社の幹部が応援に来てくれる。雪の嫌いな人だが、生憎と今日は雪。食事は「利休」の牛タン定食。地元の人は「牛タン」を好きこのんで食べているようには見えないが、地方の人はこれを食べないと死ねないとまで思っているようだ。利休の牛タンは切り身が厚く、味付けしてある。一方世間一般の焼き肉店での牛タンは薄く、さっと火で炙ってレモンなどで頂く。どちらが正しいのだろう。利休で提供される脂身の多い牛タンを薄く切ってさっと火で炙って食べればどうだろう。この日はスケジュールが立て込んでいて、夜の7時まで活動して家路に急いだ。車に乗れば歩くことをしなくなるので、家に帰り着いて、雪の中を散歩した。雪で歩きにくいが、雪道は乏しい街路灯でも結構明るいのが取り柄だ。防寒のゴム長があるので、格別寒いと言うことは感じない。
1月21日(月曜日)
遠野市

名前からしていい感じの町だ。メルヘンを感じる。穏やかな街である、一方東北本線からも海岸からも同じだけの距離があり、僻地の感は免れない。今日はコチラで仕事があり昼過ぎまで滞在した。同行の仲間はグルメだが、この日は道の駅で普通の食事を頂いた。道の駅のレストランは今までの所「外れ」がない。ココではラーメンのつけ麺を注文した。サラダバーがあり、湯豆腐まで自由に選択できる。珍しいわさびドレッシングがあったので、サラダにたっぷりとかけると、とんでも無い厳しい味になった。ウェイトレスさんが純朴なおばさんだったので、残すわけにも行かず頑張った。次に向かったのは水沢市。花巻のある本線まで出ず、山間の道を進んだ。途中「猿ケ石川」を遡ったが、この川全体が凍っていて、広大なスケート場となりそうだった。凍った川をみたのは初めてだ。なかなかキレイだった。
1月20日(日曜日)
アルジェリアのテロ組織による誘拐事件が報じられている。当事者に取っては最悪の出来事だろうが、アルジェリア政府の取る毅然とした態度は立派だと思う。日経新聞の社説は甘い願望だけで、この会社は本当に外国の状況を知っているのだろうかと思った。朝日はまっとうだと書いてある。毎日は事実のみの報道。内戦終結後間もない頃のスリランカに行ったが軍の指示力は強烈で、西欧諸国のそれとは違うレベルにあると感じた。だから人道的などとはなかなか通用しない国があるのだと思っている。人の命はこれらの国では軽い。イスラムは特にその傾向が強い。世界ではイスラムに改宗する人々が多く、そしてイスラムは出生数が多い。世界を滅ぼす要素に@地球温暖化。Aウイルスの蔓延。が予測されているが、これに三番目のイスラムの人類虐殺が加わるかも知れない。彼等の根底には、嫉妬が渦巻いている。世界が自由化すればするほど、格差が広がるので、イスラムに改宗して嫉妬の火を燃やす人が増える構造なのだ。インドネシアの知人にイスラムの信仰をしている人がいるが、個人的にはきわめて楽天家で、断食のラマダンも結構ずるしている。今回の人質事件もイスラムは帰って良いなどと人道的なのだ。我々が理解できない道徳で生きているのがイスラムだと思う。
1月19日(土曜日)
「バランスドアーマチュア」と言う振動板の構造がある。これは主に補聴器に使われる振動板だが、これを高級ヘッドフォンに応用していくつかの製品が発売されている。一度試してみたい誘惑に駆られていたので、ソニーのXBA-30¥17,800を購入した。何のことはない、痩せた音質で高価な値段に期待したががっかりだった。それはiPhoneで聴いた評価で、CDプレーヤーからの音はさすがに、細かな音が聞こえてくる。800万画素のデジカメで撮影した写真と、3400画素で写した写真の違いがココにはありますね。と言うことで、散歩しながらいい音で聴きたい要望ははからずしも実現できなかったが、家で聴くにはなかなかの表現力あるヘッドフォンを得られたと喜んでいる。大きな幸せはお金がかかるが、小さな幸せは結構安い費用で実現できる事が分かった。仙台で寂しい生活をしている時、なぜもっと早くこのことに気がつかなかったのだろう。
1月18日(金曜日)

福島で一泊した。翌朝山形に向かうためだ。朝起きると相当な雪が積もっている。車に積み込んであるゴム長を履いて散歩に出かけた。相当歩いたつもりでも時間にしてみれば僅か10分。知らない土地で見通しの悪い時には意外と遠く感じるものだと思いましたね。それにしてもこの雪は凄い。米沢に入る道は相当高い峠を越えるのだが、大丈夫だろうか?心配は杞憂でして、幹線の場合は結構頻繁に除雪がされていて、びゅんびゅん飛ばして米沢に入ることができた。ここで伺った電気屋さんは、なかなかの人格者で、いろいろな話をしてくださった。従業員の飯を食わすために働いていると言う責任感の強い方で、定年後ゆっくり仕事をすれば良いわと思っていた私には冷水を浴びせられたような気がした。この店はこの社長さんがいる限り安泰だなと思いました。こんな人にまれに出会うことがあるのがこの仕事魅力でもある。次は長井市へ向かう。この頃から本格的に雪が降り出して、時速40kmくらいの速度しか出せなくなった。とにかく前が見えないのだ。今日の5時には仙台で面談の予定があるので、時間節約で昼飯はコンビニで買ったパンをかじりながら走った。伺った先での話。「今年は雪が多いですね」と私。「去年はこんなものでなかった」と先方。そうか?道路脇の赤白のポールの先端が見えなくなる程雪が積もっていても、昨年より軽いと言うことか。
<ホワイトアウトでも通行できる山形道>
1月17日(木曜日)

それで、昨日断念した相馬市行きを仙台方面から攻めることにした。コチラからだと海岸沿いを南下するだけで、雪の影響はない。時間通りに相馬市の仕事は終え、次に南相馬市に向かう。ここは原発の放射能が依然高い地区だ。そして、目指す電気屋さんは南相馬市のずいぶんと外れに位置していていた(つまり南よりの、原発に近くなる側)。すれ違う車は急激に減って、道路の上にはぽつんと自分の車だけが走っているようになってきた。どうやらやばいな。富士通のカーナビは昨年5月に購入したのだが、原発の事は全く考慮になく、何処にでも行ける案内なのだ。いよいよ市街地に入るが、信号だけで全く人気がない。もちろん目指す電気屋さんもシャッターを下ろしたままだった。唯一交番があり、車で出かけようとする警官手を上げて止まってもらい尋ねると、ここは、人の住めない地区で、少し前は立ち入り禁止区域だったとのこと。なるほど、道理で人がいないわけだ。きっと今でも相当放射能レベルは高いだろう。車の窓を閉めて、大急ぎでこの街から遠ざかった。まだ死にたくない。
<無人の町>
1月16日(水曜日)
今日は福島県のいわき市に行った。磐越自動車道では、覆面パトカーを追い越してしまった。左車線を走る覆面パトカーの前には車が一台あり、右側車線を高速で走る私の車にすぐ追従できなかったので事なきを得た。郡山から会津への道中は覆面は多いが、郡山から岩城には覆面はいないと思っていたので誤算だった。そしてもう一つの誤算は、いわきから北上すれば、双葉郡に当たり(大破した原発があるところ)、ココから左方向に迂回して相馬市に出られる道があると思っていたが、通行止めを管理している警官によれば、その道はない。一旦いわきまで引き返し郡山から北上して、福島手前で右折し相馬市に抜けてくださいと言う(カタカナのコの字型に進みなさい)。警官は親切に国道の名前で教えてくれたのでその通りを走った。雪の深い道で、速度が40kmを越えることがない。次第に暗くなり、とうとう夜になってしまった。カーナビは午後7時到着と示しているが、雪道は依然と続き、このままでは訪問できなくなってしまうと判断して、今日の訪問計画は中止。自宅に帰ることにした。雪の影響はずいぶんと大きくビジネス活動に支障を来すものだと感じましたね。
1月15日(火曜日)

昨日の雪が残る中、すぐ隣町にある住宅街に出かけた。仙台にはこれほど山があるとは思わなかった。その山を切り崩し頂上部を平らにして大きな住宅地としている。これを上空から撮影した写真を見たことがあるが、仙台や名取の住民は多くがこの山の上に住んでいる。曰く夏は冷房無しでも過ごせるときが多いが、冬は雪が残る。今日はその台地にある雪の相当残る住宅地の訪問だ。話を聞けば、一緒に同行したメンバーの友人は、この訪問先の電気屋さんの元上司だったとか、なかなか人間関係の輪は狭い。話が長引いて、コーヒーを2杯ごちそうになったので、ちょっと胃の調子が崩れている。帰りに太白区のケーズデンキを覗くと、84型の4Kテレビが置いてある。一台ご成約の名札も貼ってある。168万円。仙台ヨドバシカメラにも、ヤマダ電機のLABIにも置いてないテレビを郊外店舗に置いてある。空気はキンキンに張りつめていて、車から店舗への僅かな距離を歩くのさえおっくうになる。そんな中、夜、仙台市民プールに出かけた。10cmの雪なら何とか自転車に乗れるが、20cmの雪だと、相当頑張らないと自転車に乗るのは難しいですね。チェーンにも雪が張り付き重いのなんの。大汗をかいてプールにたどり着いた。
<仙台駅前、アイスバーンの陸橋を寒々とした月が照らす>
1月14日(月曜日)

朝起きると千葉は雨だった。結構降っている。7時15分の列車で仙台に帰ってきた。大宮までは雨だったが、気がついた頃には一面雪模様。仙台は気温−1度の雪。スタットレスタイヤを装着してないのに自転車は積雪の中を力強く進む。バランスを取る乗り物なので、雪に強いのだろうか?昨晩船橋にある行きつけのときわ書店で、めぼしい本を見つけた。それはメモに控え、日本の作家の書籍は購入した。メモに控えた書籍は、Kindleで検索して購入した。リアルの本よりもいくらか安い。いよいよ、書店も危なくなってくるのではないかと思う。(こんな人がいるので)紙をめくるよりも、フリックする方がよほど楽なのだ。今年は遠ざかっていた読書を復活する年になりそうだ。自宅にたどり着きとりあえず睡眠。目が覚めると、大雪になっていた。プールに出かけた。僅か20cmの雪でも自転車で乗り越えるのはなかなか難しい。しかし、新雪の所は相当雪が深くても問題なく自転車は進む。プールはお客さんがいなかった。そこまでして体を鍛えたくはないのだろう。だが、雪を見ながら泳ぐのは気持ちがよいぞ。
1月13日(日曜日)

久しぶりに東京に出かけた。1時間ほど有楽町のビックカメラを覗く。やはり楽しい。ソニーのWalkmanはFM放送が聴けるのを発見。パナソニックの55型のVT5は17万で投げ売りされていた。製造元は赤字だと言うのに現場の商談感覚はまた別と言うことか?その後に、本郷3丁目にある中華料理屋さんに向かった。ここで旧知のT氏と懇親。この中華料理屋さんはとにかく旨くて野菜が多いので私にはぴったりの料理だ。最近ろくなものを食べてないだけで、体に栄養がしみこんだ気がする。週末の懇親でビールを飲んだら、冷たさに胃がやられてしまい、今日は紹興酒を頂く。懇親は、写真業界の流通の話だった。家電業界は知っている、燃料業界も分かった。それに、建築業界もおぼろげながら分かってきた。しかし写真業界は知らなかった。この世界は富士フイルムの政策に大きく左右される業界だった。なるほど。食事の後、秋葉原まで徒歩で向かい、そこから千葉の家に向かった。子供達と話をするのは久しぶりだ。姉の方は十分に話が通じるようになっていた。従兄弟の娘と比べるとまだテキパキ感が無いが、まだ学生なので許してあげよう。弟の方は世間知らずで高校生レベル。父の窮状を伝えたが何処まで伝わったのか不明。だが、まだ会話ができる関係があるので良しとするか。深夜1時まで話し込んだのだ。
<神田明神さん>
1月12日(土曜日)
名簿の整理に4時間ほどを費やし、この日の主な部分を奪われた。電子書籍で本を読むのはなかなか便利で、どうやらはまりこんだ感がする。と言うのは、8型の僅かな面積でしかないものの、文字の大きさを自由に設定できるので、実に読みやすいのだ。それに自炊と比べるとページめくりが全く違いすらすらとページがめくれるのだ。この日は余った時間を全て読書に使い、「64」を読み上げた。横山秀夫の文体は暗く、悪いことばかりが重なる「やるせなさ」がベースだが、今回は、それでも「本心でぶつかれば物事が開ける」と言う、勇気が所々に顔を出し、この人も変わったなと思った。もしくは、そこまで読み込むことが出来たと言うべきか。プールは生憎と休みで、名取川の向こうにある市民プーを紹介してもらい寒風の中往復1時間強。この消耗も併せ、久しぶりの水泳でえらい疲れ果ててしまい、午後9時には目を開けることが出来ない状態となった。倒れ込むようにして布団に入る。これほど気持ちの良い事はない。
1月11日(金曜日)
仙台に青森のメンバーに来てもらい、支店会議を開催した。彼等曰く、一旦外出するには雪かきをしてからでは無ければ外に出られないし、それに道路も積雪のため1車線となり、何かと事故が多くなっていると言う。もう車で来ない方がよいも言う。「最高気温」は昨日-6度だったと。雪国の話を聞くのは楽しい。今日の会議はコチラの関係者が全員揃った。総員5名。会議の後、青森のメンバーと食事に出かけた。手袋をしたが、地下鉄の1駅分自転車に乗っただけだが、指の感覚が完全になくなった。気温は1度。この寒さは尋常ではない。食事の後、自宅まで指が持つのかな?と心配したが、夜が更けるに従って寒さもゆるんだようで、難なく帰り着くことが出来た。
1月10日(木曜日)

今日は賀詞交換会。講演会もありなかなか盛大な催事だった。東北からも参加された店があり感謝。こういう光景は直近ではインドやスリランカで経験がある。彼等の人種は酒に弱いので、結構めろめろになり、只でさえ英語が分からないのに、ろれつの回らなくなった英語は全く理解不能だった。それに比べると、日本の懇親会は言葉の障壁がないだけでもありがたいことだった。午後3時前には会議は終了し、名古屋駅の地下で仲間と食事をした後、空港に向かった。セントレア国際空港で待ち時間多く、再びデッキに出て飛行機の撮影。また撮影マニアがいた。今回は私と同じくらいの年齢で静止画の撮影をされていた。「今日は夜景の撮影まで頑張る」と言われていた。EOS5DVはISO3200くらいなら全く問題なく撮影できる。私のコンパクトカメラは発着を2回くらい撮影出来たが、それ以降はぶれが激しくなって断念した。丁度そこに、テレビ局のカメラが来たので何かあるのか聞けば、何もないと言う。寒さも限界に達した。暖かい待合室でコーヒーを飲みながら、買ったばかりのKindleで横山英夫氏の「64」を読んだ。
1月9日(水曜日)
完璧に準備した会議資料。それでも指摘あり。実績上げるのも難しいが資料作成も難しいぞ。一層資料作りにも邁進しなければならないと思いましたね。要は核心をつくこと。会議の合間を縫って、退社の意志を伝えた。タイミングは2月末。このような問題はぐずぐず悩むべき事柄だが、一方で両親の介護が待ったなしの状態だ。何時までも近所、親類に迷惑はかけられない。この仕事は、会議で攻められるもののなかなか知的な仕事でもあり、脳が活性化させられるのだ。しかも、周りのメンバーは昔の職場で結構なポジションで仕事をしただけに、その考え方を気安く聞けるだけに、非常に勉強にもなる。疑問に応えてくれる扉は沢山用意されていると言うのがこの会社の強みですね。会議では、大量の情報を頂いた。金曜日には仙台に仲間を集めているのでこれを整理して、伝えなければならない。早速ホテルで資料作成に取りかかった。途端に電話。飲みに来ないか?ホテルは飲み屋さんの中心部にあり、アクセスが好いのだ。でも今回はお断りをした。時間がない。
1月8日(火曜日)

今日は名古屋へ移動日。資料も完成したし、会議では多分困ることはないはずだ。朝はずいぶんと積雪があったが、出かける頃には解けていた。仙台は雪が降るもののずっと残らないのがよろしい。飛行機は定刻通りに到着。駅前のビックカメラを訪問し、アマゾンのKindle Fire HDを購入した。今年は電子書籍の幕開けだ。書籍と言えばアマゾンだ。iPadの自炊でも書籍は読めるが、自炊の作業は大変なのだ。それで、世の中の動きを知るためにも一年奮起したわけだ。ついでに、4Kのテレビも見ることができた。仙台では見えないものが、都会では見える。ソニーの84型の4Kテレビは感動の一言ですね。プラズマテレビと液晶を比べて云々してたが、所詮ドングリの背比べだったと思い知った。4Kテレビは圧倒的な迫力と感動と精細感で迫ってくる。もう元には戻れない気がしました。折しもCESが始まっていて、ニューヨークタイムズでは「Bigger is absolutely better」と評価。こう言う時には「absolutely」を使うのかと少し勉強にもなった。アメリカのポルノサイトで、より綺麗な写真集の場合、この言葉を多用してたので、この単語の本当の使い方を知ったわけだ。夜は、同士が集まって、T氏の卒業お祝いパーティー。卒業と言ってもこの会社は継続雇用が可能なので、全くの悲壮感はない。
<これが名古屋>
1月7日(月曜日)
今週は会議だ。そのための資料を作成しなければならない。データーを集めて、分析をしなければならず、なかなか簡単にはいかない。えいやぁで作成できないのだ。そこで、自宅にこもって、コンピューターと向かい合うことになる。市場分析の作業だが、ネット上にはデーターを捜せばあるある。無限大にいろんなデーターが提供されていることがわかる。今まで、データーはもらうことだと思っていたので、なかなか新鮮な作業であることはまちがない。自作パソコンは消費電力が高いので、画面は小さくなるのだがノートパソコンを使って作業を進めた。それにしてもS氏のことが気になる。彼は長い間私の勤める会社の商品を店頭で販売してくれたスペシャリストなのだ。彼に接客された人は、エスキモーでさえ氷を買ってしまう程の凄腕の販売員なのだ。昔、この病気で一人の部下の方がなくなり、悲痛な闘病を奥様から聞かされていただけに、余計に気になるのだ。
1月6日(日曜日)

高知から仙台までの移動日。午前9時半の南風号で岡山に向かう。DVDでニーベリングの指輪第一幕、メトロポリタン劇場版を見る。今年はワーグナー生誕200周年に当たり、東京では何回か演奏会が計画されている。しかし、なんと言っても大しかけはアメリカだ。これは4時間もの長丁場で途中岡山に到着した。岡山では50分の待ち時間。商店街に出て「尾道ラーメン」を頂く。喜多方ラーメンと親戚の味付けだが、コチラには「酢」を置いてないのが違いか。岡山から東京まではヒカリ号。グリーン席だったので、コチラでは、宮部みゆきのソロモンの偽証を読んだ。スキャナーで取り込みiPadで読む。この本は全部で3巻あるが、記録タイトルをAとBを書き間違えたため、Aだと思って読んだ本は実はBだった。宮部みゆきの小説は推理小説なので、この後Bと記録された本物のAを読む気がしなくなった失敗をした。仙台東京は主に睡眠で移動した。最寄りの長町駅に着いたのは午後8時過ぎ。南国からの帰りなのでものすごく寒く感じた。夕食は「ダイニング」と言う居酒屋に行った。鳥料理の旨い店だ。そこに電話がきた。大阪に住むS氏だ。彼には何度も販売の窮地を救ってもらった恩がある。病気の為リタイヤしたが、調子を盛り返していたので、安心していた。電話は新年の挨拶だったが、ついでに病気が進行しているとのことだった。さぁ大変だ。他の器官にも広がっていると言う。それは大変心細いことだろうと思った。何か手助けすることが出来ないかと思うが遠く離れた地では、思い浮かぶものがない。いや、待てよ。得意先の社長がこのDVDを見ろと紹介された記憶があるぞ。その店は、電気店でもあるが、この種の病気に良く聞くキノコを販売しているのだ。明日早速電話して、とりあえず送る手配をしてみよう。
<毎日この月の光を浴びて眠った>
1月5日(土曜日)
今日は母を透析に連れて行く日だ。朝飯を食べると車に飛び乗った。帰ると洗濯と食事の後片付け。今日が世話できる最後の日なので、父と母の布団や毛布を近くのコインランドリーに持ち込んで洗った。汚れ落ちの確認は出来ないが、臭いが無くなりすっきりした。家に帰ると11時過ぎ。昼飯の準備をしなければならない。近くに「かっぱ市場」と呼ばれる村営の市場がある。ここで小アジを買った。出荷していたおばさんに聞けば、刺身でも良いと言う。唐揚げが簡単だけどとも言う。20匹くらいで150円。余りにも安い。早速唐揚げにしてみた。時間は1分半がベストだった。実はこれがなかなか旨く、「良くできました」の二重丸クラスだ。これを父に食べさせていると、T氏から電話。昼飯のお誘い。K氏も来ているという。3人で近くのSEE SIDEへ。昼間から宴会だ。いい加減に酔ったところで、彼等は釣りに、私は家に帰り母を迎える。ついでにタクシー会社に寄って来週からの配車手配。介護の事務所にも行き、車手配の事を伝える。これで来週の事は完璧に終えた。すると父から米がないと言う。農家だから米はたくさんあるが、まだ精米をしてないのだ。更に父を風呂に入れなければならず、今回は米を買ってくることで時間を買った。と言うことで、今日はほとんど両親のお世話で一日が終えそうだった。そこへ、又先の友人から電話。「チヌ」が手に入ったから一杯飲もうや。沈んでいた気分が一気に最高潮に舞い上がった。介護は大変だ。だが、友人の支援が帳消しにした。
1月4日(金曜日)
医者の見立ては、「父は入院をしなくてもよい」となった。したがって「母を病院に入れなくてもよい」この方程式が成り立ち、ほっとした。返す刀で、村の介護施設を訪問し、私のいなくなる来週は、母を透析のバス停まで連れて行ってくれ、また、バス停から自宅まで連れて帰れるのか相談に伺った。対応してくれたのは30歳すぎの女性でテキパキしている。村にもこんな人材がいたのか。ありがたいことだ。次は、来週末に父の再診断のために30q西方の高知市に行く足の便を確保することだ。父の弟を訪ね、お願いしようとすれば、おじさんもお正月から倒れていたのだ。首が回らない神経痛だ。酒も飲めず大変な状況になっていたのだ。我が一族は病に祟られていたのだ。次の訪問は村役場。ここで、父も母も一級身体障碍者であるので、タクシーチケットを申請したら、すんなりと通過して、13,000円のチケットを2枚得ることができた。これで、父も母も当面の足は確保できたわけだ。帰って炊事場とトイレの掃除。結局メールを開くことができたのは午後3時半。1時間でその作業も切り上げて、夕食の準備。人間は一日に3度の飯を食う至極当たり前のことが実は大変なことだと分かった。そして、洗剤に負けて指先がぼろぼろになった。
1月3日(木曜日)
ストーリーを追う自分流の話しのスタイルについての是非

最近映画を見るのがだめになっている。なぜかと言えば、突然脈略のない言動や動き、そして不明な動機で起きる殺人。自分の場合はどうしてもこれに引っ掛かりを感じてしまい。そこを見抜くと一歩も前に進めなくなるのだ。一方私の主張を通して至極まっとうなストーリーを展開しているだけではつまらなくて誰も見てくれないのも解る。だから映画はこれで良いのだ。僕が悪いのだ。問題はプライベートな友人関係の会話においても、僕はこのストーリー性を追いかける癖があるようだ、それで、これに基づいてずっと話し続けるのだ。一方友人たちは、テレビから拾った話題や、携帯電話をいじって次から次に話が飛んでゆく。僕は一旦その話の終息をして、新しい話題について行こうとする。それで、話がワンテンポ遅れてしまう。そんなことに気が付いてからは、出来るだけ聞く方に回ろうとしているのだが、お酒を飲むとそのことを忘れてしまう。お酒が醒めるとまた冷静になれるのだが。
<この家のおじさんの車に乗って何度か高知の病院に入院した>
1月2日(水曜日)

一日のスタートは家事から。休暇とは相当遠い過ごし方。父を風呂に入れたのが午前10時。それから1時間だけ読売新聞を読んだ。ローリングストーンズの特集があった。この記事はイギリスのライブについて書かれていた。私が録画で見たのはアメリカのライブだ。ミック・ジャガーはなんと69歳とのこと。キース・リチャーズのギターは全く衰えてないし、ミック・ジャガーのあのステージの動きは何なのだ?新聞にはその問いには触れてない。今日当てにしていた高知市在住のK氏の来訪はなく、彼はもう枯れかけたのか?とローリングストーンズと比較するのは酷か?それで仕方なくT氏と二人で、芸西村一番のレストランSea Sideを訪れた。風光明媚とはここの事をいうのだと納得できる風景だ。ここのドリンクバーが面白い。ソフトクリームが含まれているのだ。ひとしきり歓談の後、一人でここから見える海岸の松原に行って、車の中で本を読んだ。太陽は力強く、車の暖房を切ってもポカポカ陽気だ。もっと長く本を読みたいのだが、家族の夕食の準備をしなければならない。1時間で切り上げた。この数日は父を抱えたが、「重い」の一言。家族介護で腰をやられるというのは本当だ。プールの解禁を待って腰をいたわらなければならない。ウエットスーツがあれば、目の前に広がる大きな海で泳げるのだが、素ではいささか寒い。
<一足先に咲くロウバイ>
1月1日(火曜日)

今年も幸いなことに朝日を拝むことができた。ここ数年曇った日の記憶がない。今回は不況の為か海岸で日の出とともに始まる太鼓のパフォーマンスがない。新聞を買って帰宅。お正月の新聞はホント読み応えがある。母を透析に送り出し、父を風呂に入れ、洗濯を行い、家の掃除。なかなか家事にも骨が折れる。やっとくつろぐことができたと思ったら、午後3時。母を透析から迎えに行かねばならない。今朝は1時半に目が覚めて、宮部みゆき「ソロモンの証言」Tを読み終えた。買ったばかりの本をカッターナイフで切り裂き、PDF化した。6,000円の大金を払った書籍はページを開くことなく、裁断するのは躊躇した。しかし、帰省時に重い書籍を抱えての移動はちょっと考えらなかったのだ。布団の中で読むiPadはこれ自体が冷たく、指が凍えることを除くと非常に快適だ。しばらく小説とは縁遠かったので、楽しく読んでいる。問題は一番の楽しみである本を読む時間も深夜になってからのこととなっているのだ。
<芸西村の夜明け 像は坂本龍馬の姉「おりょうさん」>
12月31日(月曜日)
先週1週間の週報を作成。PCと通信環境があればどこだって仕事ができるのが悲しい仕組み。3時間ほどかけて仕上げて送付。父の病状は変化なく、私も決断の時が来たと感じた。まずは父を入院さすこと。そして、ついでに母も透析の治療をしてくれる病院に入院先を探すこと。この2つの作業を4-5日の間に仕上げ、6日に仙台に帰ることとする。そして、残念だが父母の介護の為、会社を去らなければならないこと。収入の道は途絶えるが、こればかりは何とも仕方のないことだ。そのことを友人にも相談し、親類のおじさんにも相談した。いずれは起こる両親の介護。多くの人たちがこの問題を抱えているはず。じっくりとこの問題に取り組もう。夕刻は再びTさん宅での懇親。彼の家に入り浸っている。今日は食卓にDVDプレーヤーを設置、エリッククラプトンを上映しながら音楽談義。こんな話ができる人は一人しかいない。価値ある友人だ。飲みすぎの為紅白歌合戦はパス。
12月30日(日曜日)
父の足の状況はまるで変化なく、全く動けないことに変わりない。高知県の救急病院に電話し、対応してくれる病院を紹介いただく。家の玄関から車までは、荷物を運ぶ台車に父を載せた。高知市内の病院での診察は、昨日と同じで血が溜まっているとのこと。処置も同じだが、ギブスを作成し、痛み止めの薬を出してくれた。心臓の疾患で手術を受けていることを伝えたが、「問題なしと即決」。昨日の医者は、「それなら痛み止めの薬は控えましょう」。この差は如何に。ギブスをした父は更に重くなり、車から部屋に運ぶには大変だった。ところで車いすについて一言。病院などに置いてある車椅子。これは大概畳んで幅を小さくしてますね。使用時には開く機構です。もしこれを使ったことがある人なら、たぶん一度は経験するはずです。開くには手すりの部分を持っても開ききらないので、腰にあたる部分を抑えて広げるはずです。そうすれば確実に開くのですが、この際確実に指をかみむ仕組みとなっているのです。これは2つの病院の車いすで経験したので間違いのない仕組み。こんな時代でもまだまだ盲点はあります。価格の高い車いすは指を噛まないのをセールスポイントとしているかもしれない。
12月29日(土曜日)

昨晩は風呂が沸いてなくシャワーを浴びた。足が痛い父は風呂を沸かすことができなかった。いつもの事か?と思っていたら、朝起きることさえもできない状態だった。どうやら倒れて足を打撲したのが原因のようだ。近くの町医者を訪問すれば、血が溜まっていると言う。処置をしてもらった。これで一安心。友人のTさんが夕食に招待してくれた。Kさんとこの昼間魚釣りに出かけていて、50cmクラスの「ボラ」を釣り上げたのだ。「寒ボラは鯛より旨い」のことわざ通り、刺身でいただくと旨かった。今日の歓談のテーマは、貝細工について。Tさんは芸西村の海岸にたくさん転がっている貝を収集してきて、磨きニスを塗って、小さな穴をあけてストラップ用のひもを通す趣味を見つけた。しかし、これは、アト一ひねりで販売できるのではないかと思った、Tさんも同じ考え方だったのだ。彼は東京に販路を開くことができないだろうかと考えている。私の心配は、もしうまく行けば、ライバルが出現すること間違いなし。それで、もう一つオリジナル性を持ち、参入障壁を高くすることができないかと言うこと。幸い彼は音楽に関する知識や経験は長く、そこに何等か付加価値をつけられる要素があると思うのだが、今日の宴会ではそのアイディアはそれ以上発展することがなかった。飲みすぎの為だ。
<芸西村の海岸>
12月28日(金曜日)
抜けるような仙台の青空の下9時に自宅を出発した。10時26分の仙台発東京行きの列車に乗るためだ。気温は0度。これでも昨日と比べると少々暖かい。自宅からJR仙台駅まで徒歩で丁度1時間。最寄りのJR長町駅まで徒歩35分。ごろごろ(キャリー)に荷物を載せて歩く。思えば、このキャリーとはあちこちを旅した。ハノイ、サイゴン、シンガポール、バンコック、クアランプール、デリー、チェンナイなど安全な国はことごとく歩いたのを思い出した。ずいぶんと頑丈なキャリーだ。乗り換え時間の為久しぶりに東京駅を30分近くぶらついた。東京にいれば地方の不況はワカラナイ活気に満ちた街だ。OKYと言う言葉あるそうだ(おまえここにきてやってみろ)。来年はこの言葉が流行するかも知れない。東京からの新幹線ではiPadでミンション・イン・ポシブルを見た。隣に座った学生だか社会人だかワカラナイ兄ちゃんが、この映画は何ですか?と問いかけてきた。僕の持ち物は男性の1/3くらいは関心を示すものばかりだ。そのために重い荷物となっているのだが。関西からは雨となり、四国に入れば雨が上がった。ごめん−なはり線の電車で30分。最寄りの駅で下車。芸西村は真っ暗だ。ここから徒歩で自宅まで30分。午後8時前に帰り着いた。所要時間11時間。父はもう寝ていて、母が待っていた。
12月27日(木曜日)
年内に片付けなければならない事務処理がある。それに、昨日まで走っていた車の洗車もしなければ。融雪剤を撒く道路を走ると、車の左右のドアは、この薬品の為白くなっているのだ。などなど一応の業務が片付いたのが午後7時。一切外に出ないで、黙々と仕事をしてもこの時間となる。それでも半分片付いただけだ。後は田舎に帰って進めよう。一日は仕事に充てる覚悟が必要だ。それに新たな課題メールで飛び込んでくる可能性がある。せめて年賀状を書く半日と、お正月お酒を飲む一日は仕事をしないで過ごしたいものだ。夜、明日田舎に持って帰るものをリストにまとめた。宅急便で送ってよいくらいの物量となった。私の性格はいつも過剰に準備をしてしまう。早い話カバンが重いのだ。もう一度荷物を取り出し再点検した。DVDプレーヤーの持参は大いに迷った。岡山から高知に向かう土讃線で一本の映画を見るだけの為に持っていくのか?と言うのは付属のバッテリーが2時間しか動作しないのだ。純正の4時間タイプは26,000円。この金額の出費は躊躇しますね。そこで、だめもとでネットを開くとサードパティーから7,500円でアマゾンに提供があるではないか。これなら買える。8700mAのバッテリーだ。と言うことで、田舎の住所に購入の手続きを行い、DVDプレーヤーを持ち帰ることにした。
12月26日(水曜日)

昨晩の寒さは、今年一番の寒気がやってきた。白川市でも積雪。今朝は凍りついた道を散歩した。そうは言うもののマイナス3度程度。厚手のジャンパーとYシャツで散歩に出かけてもまだ耐えられる。やはり岩手県の寒さとは異質だ。福島県の矢吹町は饅頭屋さんの多い店(なぜだか不明)。ここでお土産を買って会津若松で知り合った店に出かけた。ここで少し時候の話。その後、喜多方市。先の店では喜多方市は北方にあるので、ここより寒いと言われたが、会津若松市の道路はすべてがアイスバーンなのに、喜多方市はシャーベット状態だった。電気屋さんは昼のごはん時に訪れるのが我々の常識で、そのため昼食は午後2時前となる。せっかく来たのだから喜多方ラーメンをいただく。今日の店は500円の一品しかないお店。駐車場は雪が多く、少し道路から高く盛り上がっているので、4輪駆動にしなければ乗り越えられないところだった。麺は太めだが割とコクがある。それにもましてチャーシューの旨いこと。少し塩気が多いが良しとしよう。次は猪苗代。ここに向かう道で地吹雪にあった。一瞬で目の前が真っ白になる。何も見えなくなる。小さな雪の粉が風に吹かれて飛んでくるのが地吹雪だ。これが密度濃く固まって横からくればやばい。前を走る車が見えなくなり、どこが道なのか分からなくなる。今日は晴れていて、地吹雪が収まれば視界がすぅーと抜けるからそれでも良いのだが、夜道はやばいだろうな。猪苗代は有名な猪苗代湖がある街で、目的地の手前500mに車を止めて歩いたが、マイナス7度の気温で、スーツだけではいささか厳しかった。すぐ背後に会津磐梯山スキー場が見えた。リゾート地でもある。もちろんスーツ姿は似合わない。
<磐越高速道を時速100kmで走行する 正面は会津磐梯山>
12月25日(火曜日)

福島県に来ている。茨城県との県境にある白河市から順番に新幹線の駅のある街を訪ねている。こちらの人はこのルートの事を「中通り」と呼ぶ。いわき市のような海岸は「浜通り」と呼ぶ。東北は午後4時には暗くなるので、午後7時となれば真っ暗になる。カーナビをセットして訪ねた先が、なんと店舗がなく民家だ。個人宅に真っ暗な夜、玄関のベルを押す勇気がまだ僕にはなくてすごすごと尻尾を巻いて帰ってきた。それに雪もちらつく。まるで深夜の雰囲気。仙台から200qほども南下したので寒さが和らぐかと言えばそうではなく、ほとんど違いはないのだ。ホテルに入って明日の報告の作成をしていると、ひしひしと寒さが忍び込んできた。寝る前に、寒さに耐えるのか、暖房でのどを痛めるかの2者択一の選択に迫られる。だが今回も前者を選択。
<安達太良山の山頂は行き雲に覆われている>
12月24日(月曜日)
今年最後のHPを書き上げた。先週の出来事を綴っているうちに、今年一年間の出来事を想い返してみた。「オリンピック」のような大イベントがあった。中国人を本格的に嫌いになる「事件も発覚」した。民主党は「元の鞘」に収まった。岩手県を旅すると小沢さんのポスターの多いことに驚く。その小沢さんも今回の選挙では国民の洗礼を受けた。個人的には「飛び込み訪問販売に似たような経験をした」が、意外なことにこんなこともできる自信を得た。そして何よりも貴重なものは「青森の友人たち」だ。東北の人情の機微に触れながら、一歩突っ込んだ関係に出会うことができた。そうしてこの年になっても私はまだ財産を得続けている。更に「リンゴエネルギー」についても触れなければならない。10月頃から出回り始めた青森のリンゴはおいしい事は言うまでもないが、安価なので毎日2個くらいは食べ続けることができた。すると何が起きたのか?「疲れが出なくなった」のだ。というのは、毎週休日にはプールで泳いでいるが、今までは翌日朝つらい時間を過ごさなければならかった。それが、今では昨日の水泳の事をすっかり忘れているほど平常な調子で動き出しているのだ。リンゴエネルギーは私に大きな影響を及ぼすことを発見した。また、「雪道の運転」も知った。雪道でのブレーキは思いのほか良く効くが、アイスバーンでのブレーキは全く止まらないことが分かった(当たり前だが)。そして路面がどちらなのか目で確認できない場合が多いとわかった。今年はここ数年の間でも非常に変化に富んだ年だった。
12月23日(日曜日)

マイクロソフトのWORDで文章を作成するには問題なしだが、写真や表などを含む文章を作成するとなれば、ちょっとシロウトにはWORDを使いこなすには難しい。それにはPowerPointやExcelを使う方法もあるが、Publisherを使うのが簡単だ。製本用のソフトです。昔はAdobeにPagemakerがあり、こちらが重宝されたが、業務用的な要素が高く、一般人には次第にコチラにシフトしたようだ。今回このソフトを購入して、少々複雑な罫線や写真を含む文章を作成しみた。もちろん見るためには、PDFに変換して見ることになる。別の使い方では、市中で販売されているフォトブックのような写真集に、自分独自の文章をつけることも可能だ。つまり製本ができるわけです。今まで撮りためた写真には位置情報も記録されている写真も多く、ピンポイントで思い出を語ることができるわけだ。まだ時間はないけれど、いずれアジアの写真&思い出集を発行するつもりだ。
<仙台の夜明け>
12月22日(土曜日)
昨日の津波の話は衝撃的だった。本来なら帰ってルーチンワークである報告書に記入すべきだが、それさえできず、YouTubeを見ながらただただ酒を飲んだ。今日も仕事。今まで3連休を経験したことがない。それで計算してみた。月の平均休日は6.5日で、月平均72時間の時間外業務ですね。これには、毎日の業務日報の作成時間は含まれてませんので、これを1時間含むと、90時間程度。もちろん残業や休日手当はありません。かなり拘束時間の長い仕事をしているわけです。ところで今日は「3Dの怒りの話」。最近3Dの放映が多いので、今日はアユの3D番組を見た。結果これでは3Dが敬遠されるはずだとよく理解できました。まずはカメラのショットが2秒に一回切り替わるので、脳がなかなか映像について行かない。日本のカメラマンは音楽シーンをカメラワークで表現しようと頑張るのですね。音楽シーンで頑張るのはアーティストであってカメラマンでないことをどうやらご存知ないようだ。次に、アップのショットがあまりにも多いこと。ハイビジョンになり、ロングショットで構図をとる。これが当然の流れなのに、昔の4:3のTV画面のイメージで拡大撮影しようとしている。お茶の間ドラマと同じ感覚なのだ。一方3Dではないが、先週放映されたローリングストーンズのライブはロングショットで撮影し、動き回るミックジャガーを十分にフォローしていた。このような程度の低いカメラマンのことをCheaperと呼ぶ。この呼び方は蔑称です。NHKの歌番組のカメラマンは良いカメラマンなのだが。
12月21日(金曜日)

再び被災地。まず最初に訪ねた先には店舗なく、電話をかけて新住所に向かう。伺った話では、ここでは住宅ブームが起こり、坪単価70万円が相場だそうだ。もと経済産業省を定年退職したお客様がこられ、怒って話されていた。これぞ便乗値上げの規制対象だと。被災地ではビジネスの話と津波の話が交互に出てくる。もう一軒お邪魔した。こちらはすでに契約なさっているかただ。ご主人を津波で亡くしたとのこと。対応されたのは寡婦とその母。ところが、このおばあさんの話がすごくて、衝撃的だった。この方は昭和8年の時の津波を経験されている。8歳の時だそうだ。実家のすぐ下の家まで津波が来た。今度の津波は、それを超えて実家もやられてしまった。放送で何度も「6mの津波が来るので歩いて避難するように」放送があったという。奥さんは、これを聞いて歩いて帰宅したそうな。ご主人は車で避難し、車の中で遺体が見つかったと。私は家に帰って気仙沼市の津波をYouTubeで見た。確かに6mの津波が来るので、車両は使わないで歩いて避難してくださいと繰り返している。その放送は淡々として、返って悲壮感を漂わす。その後、志津川を訪問。こちらはガソリンスタンド。伝票は今でも手書き。レジを流されたと。天井もところどころ破れている。事務所はなく、紹介いただき高台にある自宅を訪問。そっとしておいて欲しいのだろうが、こちらは厚かましくも勧誘に回る。
<あなたは船を残した方がよいですか?>
12月20日(木曜日)

国道4号線を北上する。海岸線の道路と違い、車の往来は多く、雪が降っているとはいえ、道は濡れていて緊張するような運転ではない。だが、気温は非常に低くなっていて、-5や-6度と言うのがこのあたりの気温。車では汗をかくような高温に設定して、降りるときにはサウナで水風呂に入るような環境に体を持って行くのです。まぁ普段味わえないような経験を積んでいるのであります。盛岡市には夕方の4時に到着した。例によって、少し手前に車を止めて、訪問先まで歩く。城下町のような昔の家並みが続く。その中に忽然と水飲み場であり、洗濯場のような水源が出現した。そこで水を汲んでいる女性に話を聞く。「この水はおいしい。試しに飲んでみて」。コップが用意されていたので、少しだけ飲んでみた。「ぬるくて甘い」。たぶん氷点下の気温で飲む地下水は暖かく感じるのだろう。保存は一か月程度はOKとのこと。容器を持ってないのが悔やまれる。用事を済ませて車に帰る。体の芯1cmで体温を支えているような凍え方。車を降りたときは、ぬかるみだった地面は帰ってくるときには凍っていた。体感でも急速に気温が落ちてきているのを感じたのだ。最後に一関へ向かう。こちらは生暖かい。先ほどの冷凍庫のような気温からすれば冷蔵庫なのだ。
<おいしい水>
12月19日(水曜日)

もともとTVを見ない生活だが、これほどまで天候が変化するとは。朝起きて外を見れば一面銀世界なのだ。さっそく散歩の用意をして、付近を歩くがアイスバーンでツルツル。これは世間が活動し始めるまで私は動かない方が安全だ。雪道は何とか慣れたが、アイスバーンは道路状況が判別つかないので危険だ。幸いに雪は降り止み、今日は抜けるような晴天だ。道路はすぐに溶けるだろう。これから向かう下閉伊郡は遠い。3時間の道のりだ。海岸線を南下する。道中に鷹ノ巣海岸があった。写真を撮影。ここは絶壁で民家もなく自然が残っている。底まで透き通るような海があった。さらに釜石で用事を済まし、気仙郡へ。この頃になると雪が舞いだした。幹線から離れて山奥に入ってゆく。川沿いに民家が点在する。少しでも平地があれば人が住む。カーナビの示す道路は大きく曲がる。大きな山を迂回するためだ。前よりも、もっと大きな平地が開けた。つまりミニ街ですね。ここで訪問を終えたのが午後5時半。今から岩手県の中央部を縦貫する新幹線の走る街に向かう。大きな峠を越えることとなるが、雪はますます激しくなり、ライトをUPにすれば、こちらに向かってくる雪で前が見えない最悪の状態となる。カーナビを100m尺度にして、カーブの方向を見極めながら運転した。相当な雪でも、GPSデーターは受信できることを知った。水沢市の「北ホテル」と言うところで宿泊したが、暖房を強にしても寒くて寒くて震えた。風呂のドアを開けて、熱いシャワーを全開にして暖房の足しにすれば何とか人心地着いた。
12月18日(火曜日)

今日から4日間岩手県を訪問する。岩手県はほぼ四国と同じ面積。四国には88か所めぐりがあるが、岩手には海岸線と、内陸部の2つの幹線めぐりがある。この2つをつなぐ道路は2時間半程度の道程を要する。つまり、高松から高知に抜けるという感覚です。さて、まず向かったのは二戸。道中に電話も何本か入り、所要時間は5時間。こんな寂びされた山間部にも街があり、電気屋さんもある。驚いたことに、店番をしてたのは、ここに置いておくのはもったいないような「斉藤由貴」に似た女性が出てきた。話を聞けば、この街を出たことがないとか。なんとまぁ、まだこのような現実があるのですね。次は九戸。この青森と岩手に分散する「戸」が付く地名。僕には関連性が不明。二戸の北に五戸があり、その東には八戸。九戸は八戸のずっと南に位置する。九戸には、高速で八戸に向かいそこから45号線の海岸線を下る。だが、崖が高く津波の被害はない。だんだんと天候が怪しくなり、4時には暗くなってしまった。電気店に向かうには、少し手前とか、行き過ぎてから安全な場所に車を止めて、少し歩いて向かうことにしている。ここは漁港に車を止めた。海岸から急な坂を登って向かった。コートは嵩張るからスーツだけで。これはきつい。体の芯まで冷え込んでくる。そして、強い風。体温を短時間で奪ってゆきますね。軽装備で冬の山岳登山をするようなもの。鼻水をすすりながらの訪問となる。ここで仕事を終えて久慈市のホテルに向かう。この45号線は昔自転車で北上したルートなのだが全く記憶にない。記憶力にはもともと自信はないのだが、ここまで落ちぶれたのか?と嘆いていると、ローカル鉄道の小本駅が見えてきた。そこで記憶がつながった。ここから先の道は(つまり車で来た道)アップダウンが激しくて、途中で断念して引き返し、この駅から電車に乗ったのだ。だから、道の風景に記憶がないのは当然だった。よかった。
<二戸リンゴの直売所>
12月17日(月曜日)
先週の会議を受けて事務作業が山積している。1週間ほど事務所にこもらなければ処理できないほどだが、そうは言ってられない。とりあえず、仲間にこの状況をお伝えしようと、仙台の仲間とミーティング。仙台と言えども寒さも本格化してきて外出には完全武装が必要だ。1時間ほど私の作戦を伝え同意をいただいた。よしぃ、この方向で作戦を練るぞ。それを文章にする時間がないのが問題だ。とりあえず今日いっぱいはその資料の基となるデーターを整理しようと、急いで自宅事務所に帰った。だがなかなか世間様はこのような事情を許してくれませんね。昔マーフィーの法則がヒットした。「急いでいる時に限って野暮用が入ってくる」今日の事例はまさにそれ。その問題を片付けると、夜の8時過ぎだった。もちろんこの間に食事はしましたが。これから、本来今日の目的とした資料作成だ。限界があるのは当然だ。ああ今日も終わってしまった。頭はぼけてないだろうし、ITはフル活用していのだが、どうも能率が落ちているように感じる。昔はもっとテキパキできたはずなのだが。それとも昔の仕事が粗かったのか不明。
12月16日(日曜日)
意表をつく女
サンタナのBlack magic womanとイーグルスのHotel Californiaと、ディープパープルのHighway Starは私の中で3大Rockの傑作だと思っている。聞けば聞くほど味が出てくるするめみたいな音楽なのだ。ところが、今日これにもう一つ加えなければならないと思ったのは、ローリングストーンズのPaint is Blackだ。Wowowライブで今日ローリングストーンズのライブ演奏が生放映された。この中で歌った。名曲だ。それにミックジャガーの若さは驚きだ。タフだ。60歳を越してもステージ上を走るのだ。これは感動のライブだった。そこに突如バックコーラスとしては、えらいソウルフルな歌い方をする人がいるんだと感心していると、なんと金髪のレディーガガが登場したのだ。この人ほど衝撃的な登場をする人はいない。このコンサートでも同じだ。ミックジャガーを差し置いて自分のステージにしてしまうような歌いぶりだった。ファンも僕も感動した。
12月15日(土曜日)
今日は仕事。車で福島は二本松市まで。雨だが暖かい気候。弘前の仲間から電話があったのでついでに天候を聞けば雨とか。どうも気候がおかしい。あの寒さは何処に行ったの?車中、テレビ受信でアメリカで小学生達が銃乱射によって殺害されたニュースを聞いた。自宅に帰りNew York Timesにアクセス。詳細が報じられている。子供が主だが、大人もいる。その一人は精神医学者のMaryさんは発砲を阻止するために立ちはだかって撃たれたと書いてあった。ガンマンのAdamは、母に腹を立て、母を殺害し、母の教え子を殺そうと学校に侵入したようなのだ。犠牲になった子供達は、母への八つ当たりのとばっちりを受けたと訳だ。それで銃規制はどうなるか不明だが、だから銃が必要であるとの声は多いようだ。もう一つ、信号待ちをしているとき、車に何かがぶつかったようだ。バックミラーを見てもそれらしきものは見つからない。風も吹いてない。家に帰ると、机の上が乱雑だ。あの車への衝撃は地震だったのだ。振動を受け止めるサスペンションがある車でも、あれだけ揺れる。地震は怖いものだ。怖いものが多くなった。
12月14日(金曜日)

名古屋では、ノロウィルスが猛威をふるっているニュースが流れている。吐き気や熱は無かったものの、昨日の食事には何かあったのだろう。空港で待っているときにも2度目の下痢がやってきた。だが大事に至らず良かった。あれだけ海外で屋台を食べあさったのに大丈夫で、日本の清潔な調理場で作るものが良くないとは、大きな矛盾。今でも思い出すのは、タイの屋台。ナベをさっと拭く手ぬぐいのようなぼろ切れ。いくら油が浸みているとはいえ、真っ黒で、僕らは機械整備するときにそれをウエスと呼んだが、まさにそれとそっくり。だがそこで作る焼きめしは40バーツ(120円)でなかなか旨く問題がなかった。セブンイレブンの店先なので、コーラーや水はセブンで買って飲んだ。久しぶりの仙台は暖かく良かった。
12月13日(木曜日)

今日は全国から支店長が集まる会議で、いろんな話が聞ける。と言っても、食や風習のことしか書けないのだが。北海道の支店長によると除雪機を持っているようだ。スコップでえっちら除雪をするのでは間に合わないと言うのだ。そういえば、この大雪で多くの人が遭難している。一晩で歩けないような雪が降り、下山も出来ないようなのだ。雪に関する話題は関東の支店長には通じない。やはり日本の経済は、雪のない地方で運営されているのだ。名古屋の内勤者からは、仙台も雪が降るのですか?と聞かれる。仙台は雪の経済圏ではないと考えられている。私は仙台も雪の経済で動いていると思っている。夜は忘年会が開催された。名古屋にかかわらず、料理は上手くて、上品な器に盛られていたのだが、何故だか帰りの電車で猛烈な腹痛が襲ってきた。ホテルの部屋に駆け込むのがぎりぎりのタイミングだった。
<名古屋の朝は抜けるような晴天、北国では拝めない空>
12月12日(水曜日)

毎日新聞の英語版に、WashingtonPost紙が一部掲載されている。今日の特集は、隣の韓国掲載についての論文だった。不思議なことに、この論文は多少の誤訳もあるだろが、僕には明確に意味が伝わってきた。会社に向かう地下鉄の中でこの記事を読み終えた。松下もソニーもシャープも国内の電気メーカーは厳しい経営環境に直面しているが、この原因を作ったのが、SAMSUNGである。特集記事は次のように書いていた。家はSAMSUNGの家屋に住み、学校も、病院もSAMSUNGである。政治にも手が届いている。いずれ韓国がSAMSUNGになるだろう。その流れを変えるのが、間近に迫った選挙。世界シェア大手のエレクトロニクス業は、アメリカでも注目の的となるようだ。一方韓国人はウォン安で物価高騰に苦しみ、SAMSUNGに働く以外の人の賃金は低く、不満は高まっている。選挙前から結果が見えるようだ。この記事を読んで、世界の電気業界でトップの座を不動にした歴史はなく、いずれSAMSUNGもその運命にあると睨んでいたが、以外と早くその時がやって来そうだと思った。今日の昼飯は、会社の近くにあるなかなか美味しい天ぷら屋さんにご案内頂いた。美味しく頂いのだが、事務所から一歩も出なかったので、夜まで残った。
<クリスマスの飾り付けが施された錦>
12月11日(火曜日)

今日の面談は相当厳しく叱責された。ここにいない部下のメンバーも一緒だ。一切のリカバリーは通用しなかった。会議の後で、ここから外に出て思い切ってストレスを発散してくださいと、ありがたいアドバイスを頂く。ついでに寸志のようなボーナスも出た。これは期待してなかっただけに感激した。年末実家に帰るのに6万円ほどの出費をともなうのだが、その足しになったのだ。飴と鞭とはこのことですね。前向きに行かざるを得ない。しかし、今日の事は、もう少し冷静になったときに考えよう。余りにもテーマが重いからだ。会社から駅までの20分あまりの道のりを余り考えないように歩いた。ホテルはラグナスイィート。名古屋でもっとも気に入っているホテルだ。このホテルの部屋に入れば一切下界と遮断された環境が生まれる。この落差を生み出せるビジネスホテルは凄い。インドの旅ではタージホテルがこれだった。一泊4万円近くするが、一日中車の警笛音に毒された耳は、このホテルで回復することができた。生憎とこのホテルに宿泊できないコースを選んだときは、シンガポールに帰ってくるまでお預けだった。シンガポールは静かな街ではないが、インドから比べると雲泥の差だった。今日は、早速PSPを取り出して、シューマンのアシュケナージ版を聴く、ピアニッシモの余韻もきっちりと聞こえて癒された。
<本来のカタチとは全く違った諏訪湖>
12月10日(月曜日)
余りにも僻地を回ることが多かったので、ホテルではその日の報告書を仕上げるのが精一杯だった。それで、メールチェックが疎かになっていた。そして、この中に、重要な会議の連絡があり、それを私はすっぽかしたのだ。会社幹部の時間をフイにしてしまった。伝え聞くところではずいぶんと悪い噂が立っていたとのこと。その会議の再会が明日ある。どうやら個人面談のようなので、相当な覚悟がいるだろうと思った。とりあえず、現状分析は必須だからこのまとめに一日を使った。この半年間の営業スタイルは突撃隊だったので、ここらで今までの情報を集めて整理するのにもいいタイミングだと思った。PCのあちこちに散らかった情報を一つのファイルに集約するのだ。自宅にこもって作業をしていると、いつの間にか気温は12度を割っていた。体に震えが来た。慌てて暖房を点けたが冷え切った体はすぐには温まらない。
12月9日(日曜日)

窓を開けると一面の銀世界。今年4月以来。さっそく防寒長靴をはき、裏の神社に出かける。雪はべた雪で、樹木にしっかりとへばりついている。気温は0度。これが冬の始まり。北国と比べると、まだ仙台は大したことがないと人は言うが、確かにこの雪を見れば、青森の雪とは違いますね。ゴルフの好きな人はどうしているか?聞いてみた。いわき市に行きます。と言う。いわき市のゴルフ場は雪の心配がないとのことだ。(放射能の心配はあるけれど)
12月8日(土曜日)
事後処理

新聞から得た震度5の地区にある加盟店様に電話して確認。1時間ほどかかる。その後報告書を作成している時に、本社から報告の催促。地震よりも、大変なのは本社報告だった。これが本当の僕にとっての本当の地震。天候は曇りだが洗濯物を干しているとちらほらと雪が舞う。その後雨。休日自宅でも何とか過ごせるようになったのは、窓にプチプチの断熱材を張り付けたからだ。今まで隙間風があり結露しなかった窓も、きちんと結露するようになった。ゆっくりと本を読み、夕刻プール。このころになると雨が雪になった。食事をした後、何もすることがなく就寝。なんだか雪国の過ごし方です。そうだここは雪国なのだ。まだ関西人の感覚でした。
<左=ツルツルの私の靴跡。右=地元の人の靴跡、しっかりと雪を噛むようになっているが滑った後がある>
12月7日(金曜日)
リンゴ箱

昨夜雪道をむつ市から十和田まで戻ってきた。交差点では案外と車は止まらず、何度もABSのお世話になった。最近のホテルの空調は各部屋のエアコンによるところが多く、昨晩宿泊したホテルも三菱のエアコンだった。氷点下になる地区でのエアコンは当然ながら十分機能しないし、エアコンを入れたまま寝るのも喉をやられる心配がある。と言うことで、電気毛布を持ち込んでエアコンを切って寝たのだ。実はこれは極めて正解でして、暖かい上にのどにも影響なく眠れたという訳。車での移動だからできる技ですね。朝起きてホテルの周りを散歩。道は完全なアイスバーン。スケートができる状態だ。私のつるつるのっ靴はよく滑る。今日の訪問先の近くではこの寒さであるが、露店が開かれていて、リンゴを売っていた。スーパーで並んでいるようなちまちました販売ではなく、箱単位の販売です。それも、リンゴ箱で。昔「食卓の代わりにリンゴ箱」を使ったとか、「勉強机はリンゴ箱」だった。と聞いたことがあるのですが、本当のリンゴ箱は知らなかった。それを目の当たりにしたのです。結構大きいものです。この箱単位の販売が4,000〜6,000円。「富士」「ジョナ」「ゴールド」「王林」、いろんな種類があるが、どれも玉が大きい。スーパーでは包装して398円などと価格のついているものです。こちらでは一盛り6個500円、おまけもある。とにかく抱えきれないほどリンゴを買った。帰りに顔見知りの電気店を訪ねると、「リンゴを持って帰れ」。これでリンゴの山となった。このリンゴを持って岩手の顔見知りの店にあげよう。と水沢ICで降りた。店には奥様も待っててくださり、香ばしいリンゴをプレゼントした。そして、コーヒーが、干し柿と一緒に出てきた。その後に来たのは地震。フラダンスを踊っているような「ぐにゅぐにゅ」した揺れ方だった。長かった、これで縦に揺れ始めると大変だと思っていたら静まった。店主曰く、金華山沖の地震で、津波が来るな。事実その通りとなった。しばらく話し込んで7時過ぎ退散した。高速道路には規制はなかった。
12月6日(木曜日)
地域性について

弘前から青森、そしてむつ市まで行き、宿泊は十和田市まで帰ってくる。走行距離400q。昨日と同じくらい走る。雪道ありだが、まだ凍結はしてない。ものすごい風。下北半島を北に向かう道は、陸奥湾の沿岸を走る。多くは防風林があり風や雪の影響は受けないが、途中に開けた展望の場所がある。コンビニもある。休憩がてら、外に出た。風でまともに歩けない。展望の柵に両手で捕まって、両指でカメラを操作して撮影した。ニュースで報道のあるように、風速30mでは本当に人は歩けないですね。防水でないカメラも潮風で濡れてしまった。むつ市を通り抜けて20qばかり行けば、川内と言うさびれた街にでる。ここに用事があったのだが、要件を済ませた後、どんな街なのか興味があった。何でこんな人々は辺鄙なところに暮らしているのか?回答は見いだせなかったが、選挙の立候補者のボードに、一枚だけポスターが破られているのが見つかった。ここでは風も雨もあり、はがれたのだろうと思っていたが、あちこちで、この一枚だけは意図的に誰かが破っているのだと言うことが分かった。法律を犯してまで、このようなことをする土地柄なのだ。それが許される土地なのだ。文化は均質化されたとはいうものの、まだ地域の閉鎖性が残っている。
<嵐の陸奥湾>
12月5日(水曜日)
弘前市

仙台の仲間と弘前に向かう。こちらで青森の仲間と会議を開催するためだ。雪はなく安全だと思いきや、なんと弘前市の手前で雪となった。仙台から4時間はかかる。会議は公共施設を使う。強烈な暖房もありで費用はなんと315円。昼食はこの近くのラーメン屋。適当に入ったが、なんとこの店は「弘前ラーメンラリー」のその一つで有名な店だった。頑固そうな親父さんと、客あしらいのうまいおかみさんと、息子の3人で店を守っていた。濃厚なスープだが、酢を入れるとなかなかマッチする。どんぶりからはみ出すようなチャーシューが3枚。今日気が付いたのだが、この店の駐車場で性能チェックの為急ブレーキをかけてみたら、安価な車(日産ノート)なのに、ABSが装備されていて。かくかくしながら短い距離で車は止まった。びっくりだ。会議中に電話。実は本日名古屋で、会議が開催され、私はその会議をすっぽかしたことになった。メールで知らせていると言っていた。あれぇ。これにもびっくりだ。
<宿泊の旅館から弘前市を望む>
12月4日(火曜日)
暴風雨

天候は荒れ模様。その中を山形に向かう。まだ、雨と風の道中だ。道路に標示される気温計は4度を示している。向かった先は新庄だ。山形市からまっすぐ北に60qほど向かった街。新幹線も来ている。市役所に車を止めて、商店街を歩く。片側タイプのアーケードはあるが、歩く人はいないし、店はほとんどがシャッターを下ろしている。この惨状でもまだTTP反対を掲げて住民に訴えているのぼり旗が商店街にあった。まるで喜劇ですね。訪問した先は12時半に社長が帰ってこられるといわれるので、丁度昼時でもあったので、先に食事を済まして再訪問することにしたのだが、問題は食事をする店がない。再び市役所まで戻れば、需要のあるところに供給ありで、真ん前に蕎麦屋さんがあった。この寒いのにざる蕎麦はないだろう。で、暖かい親子どんぶりを注文した。そんなにきれいな店ではなかったのだが、なかなか結構な味だった。訪れた店は私たちと同じサラリーマンをやっていて、2年前に店を引き継いだと言われた。と言うことで、少し昔話になった。初めての人と打ち解けて話すというのは結構パワーを食うもんですが、いろんなことが聞ける。その後酒田市を訪問した後、鶴岡市に向かった。もう3時過ぎには暗くなりヘッドライトを点灯した。雨と風はますますひどくなり、4時過ぎ、車を止めて最後の店に向かう。ほんの50mばかり歩いただけなのに、ズボンがすっかり濡れてしまい、体の芯まで冷え込んだ。名刺を差し出すにも指がかじかんでうまく取り出せない。500円の透明傘は骨が1本折れてしまった。帰り月山に向かう途中で雨が雪になった。峠は完全な雪道だった。運転しながら、片手で雪道の運転を撮影した。曲芸です。
<このとんびは強い風で進みもしないが流されもしない、静止状態>
12月3日(月曜日)
健康と安全

ホームグランドから大きく離れた所に住んで、厳しい環境で暮らしている。今までの人生になかった経験をこの年齢になってやっている。人生における試練にしてはいささか遅すぎるタイミングである。目的は一つお金のためである。お金のために働いている。人生を楽しむとか余裕のない時である。楽しみは読書と音楽だけである。それでも悲観に明け暮れせずやっておられるのは、深く考え込むことができない頭の構造にあるかもしれない。その単純な思考で考えたことは2つ。これを守らなければならないと思っている。それが冒頭の事。健康はおじさん共通の事だから今更書くことはないが、今日は安全についてである。北国はいささか寒くて雪が降る。そして、車で4,000q程度は月に走行する。雪道の運転は極めて危険度が高いのだ。北国の道は、赤白のポールが立ち、「ここより外は道路ではないですよ」。とか、「道路の中央線はこの下ですよ」。と、南国にない指標がある。それだけ、道に迷いやすいことだろう。地元の人も吹雪で前が見えないときの運転は前の車のテールランプだけだと言う。命がけであるとも言うのだ。そこまでして仕事はしたくないわ。と思うのだが、アポイントをした以上は訪問しなければならない時もあるのだ。防ぎようのない危険の中に足を向けることもあるのだ。
<仙台ではまだ紅葉が楽しめる>
11月30日(土曜日)
熊の発想

天気予報の通り、仙台でも雪になった。4月に降って以来の雪だ。大阪の雪と比べてコチラの雪は降れば積もる。早速カメラで撮影だ。玄関を開ければ山形方面は真っ暗だった。来週からの山形行きは楽しみである。ここから見える背の高い山はもう真っ白だが、目の前にあるそれほど高くない山はまだ、木々が見える。だがもう時間の問題だ。先日、福島の会津田島と言う小さな街を通りかかったとき、ホームセンターで、冬用の機材を一式揃えた。防寒の靴、手袋、ズボン、上着、スコップ。車がもし大雪でストップしたときに脱出に使うための用具だ。合計1万2千円。豪雪地帯は雪の用具が豊富だ。また、今日は、住居の窓に貼る断熱用のプチプチ一式を購入した。3,500円。なにぶん初めての冬で、しかもお金はかけられない事情もあるし、もうどうしようもなくなったときには布団で寝て過ごすしかない。熊の発想です。それで今日は雪も降っていることだし寝て過ごそうと布団に入れば、本当に眠ってしまい、もう起きて夕食を食べなければと頭の中は覚醒しているのですが、体は眠ったままで、とうとう外が真っ暗になるまで寝てしまった。
11月29日(金曜日)

今日も秋田県だ。ほぼ秋田県全域を巡ることになる。極め付きは「大曲」にあるあの川(丸子川)を渡った時だった。2007年に友人に誘われ秋田の大曲の花火大会に行った。一生の内でこんな所に来るなんて、「この時しかない」と思っていたが、何と今日は花火こそ無いが、そこらをぶらついている。こんな巡り合わせと言うのもあるもんですね。昼食は勿論稲庭うどん。大曲駅前にある洒落たこの店は、酒屋さんが営む店で、店構えが居酒屋さんだった。目の前にでんと一升瓶の日本酒(出羽鶴)が並び、酒でも呑まなければ何だか悪いなと!思わせる雰囲気があった。勿論、仕事だし、車の運転があるので飲まなかったのですが。いつも車は訪問先からの500m程離れた広々とした道路に止めている。少し歩いて体を動かすのと、交通の邪魔になるのを避けるためだ。今回車を止めた先に親父さんが庭木の手入れをしてたので聞いてみた。窓の外の防護策は、雪下ろしの雪が窓を塞がないためですか?「そうだ」。雪は2mくらいになり、ガラスを破る危険があるらしい。この仕掛けは初めてだ。福島も、ここ秋田も家に残っている爺さん婆さんが、冬支度をしている。もうすぐ雪がやってくる。このおじさんは親切にも作業を止めて雪道の運転も教えてくれた。訪問先は順調に進み午後3時には終えることができた。朝は晴天だったのに午後には雨が降ってきた。秋田道は岩手県に入り「湯田」にさしかかった辺りで暗かった景色は急に明るくなり一面の銀世界になった。路肩には相当な雪があるが、道路に積雪はなく順調に車は進んだ。帰りの4時間は、福山雅治「冬の大感謝祭」20121.1.1放映を見ていった。彼の歌には馴染みはないが、実に丁寧にコンサートを進めてゆく好ましい性格に感動した。ちょっと真似のできない観客とのやり取りだ。なるほど、日本で一番のアーティストだけのことはある。彼のライブは行くべしだと思った。外は寒いが車の中は暖かく音楽がある、この落差がたまらん。<秋田の朝は朝焼けで始まった>
11月29日(木曜日)

昨日に続き今日も友人からの連絡が有った。有難いことだ。シンガポールのRemus simさんからだ。私の友人の中では一番年齢が若い。でも外国人にありがちな主張がずばり明確、というわけでなく、結構あやふやなところがあり、付き合いやすいのだ。怪しい日本語と英語と中国語とマレー語を話すバイリンガルだ。彼と行けば知らない国の何処でもOKだった。3年半ばかり暑い国で仕事をしていて、日本の寒さを忘れていたが、一転今年は日本の寒さの極め付きを体験している。少し歩けば汗をかき、冷えたタイガービールの飲める洒落た店が立ち並ぶ赤道直下のシンガポールが懐かしい。今日は秋田県を回っている。大館から入り、男鹿半島の先端迄行ってきた。生憎、半島に着いた頃は、日はどっぷり沈んだ後なので、雄大な日没はお目にかかれなかった。八郎潟は開いているか、閉じているか?疑問だった。正解は「開いている」。何とか日本人は良識を保てた訳だ。こんな大きな干潟を淡水湖にすれば生態が変わるからだ。僕が小学生の時に習った八郎潟は、開拓で全部が水田になる情報だった。日本の将来が明るく開けている時だった。今はその水田も多くが栽培されてないという。半世紀の間に日本人の意識も日本の環境も激変してしまった。
11月27日(水曜日)

丁度空きの日、代休に切り替え、健康診断を受けた。普通の町医者なので、信頼性は心もとないが、会社での要請でもあり、一人暮らしの不安もあるので。それでとりあえず問題なしとの診断だった。自分では気をつけてはいるものの、どうしても生活習慣があるだろうから、野菜中心の食事を心がけている。その野菜の話。東北の出張は全て車だから、あちこちの「道の駅」を通過する。寄れば必ず野菜を物色する。家の近所の西友に比べて安ければ買うのだが、昨日は福島県は南会津を通過中に、「南郷の道の駅」に寄った。丁度昼時だったので、ここには似合わない旨いざるそばを頂いた。そこで買った「南郷のトマト」。5個350円。安い。そしてこれは旨い。トマトの風味と、酸っぱさと甘さが混在し、そのままで頂けるのだ。福島県は放射能の心配があるが、大変美味いのだ。
<仙台では太陽は南から昇る>
11月26日(火曜日)

約束の福島県は河沼郡昭和町へは、福島市からカーナビによると4時間もかかる。福島市で朝の訪問先は9時からだし、どう足掻いても12時の訪問時間には間に合わないのだが、高速道路を時速120kmに維持したら、何とか可能性が見えてきたのが、会津坂下インターを降りたところだ。これなら何とか行けそうだ。だが、雲行きが段々と怪しくなり、とうとう雪になった。対向車はナンバープレートが見えない程の雪を付けている。時間の事よりも次第に「雪」で血が騒いで来て、トイレが近くなった。年を重ねるとトイレが近くなりますがそれとは違う性格の催しです。結果は同じですが。カーナビをみれば、まだ30km程距離があり、雪は段々と深くなってゆくので、もう興奮度は最高調に。金山町から、更に高い所に向かう道がそれた時から雪は本格的になった。雪国の人には申し訳ないが、雪ほど楽しいものはない。台風の波と同じ興奮を与えてくれます。更に道はシャーベット状になり、もう一息と言うところで下り坂となり、あっけなく寒さは残れど雪は消えてしまった。約束の時間に10分遅れで到着。ここでしばらく商談をしたのですが、丁度お昼時だったので、トンカツを注文していただいた。それが、なんとこんな田舎(失礼だが600世帯しかない盆地です)には珍しくものすごくおいしのでびっくり。丸形の業務用ストーブを囲みながら頂いた。
11月26日(月曜日)
落とし物

これで全ての持ち物を落としてしまった。高級一眼カメラEOSを初めiPhoneも10台近くあるコンパクトデジカメも全てコンクリートの堅い地面に落としてしまった。そして最後の砦であった、キヤノンの高級コンパクトデジカメも本日落下。電池蓋がおかしくなった。これで全部落としたことになる。確かに握力は弱っているが、僅か数百グラムを持てないわけではないのに落としてしまう。落下防止のストラップも役に立たない。そして、落下してもかまわないようなものは落とさない。どうしてこんなになってしまったのか?いつのまにこんなになってしまったのか?悲しい話である。そしていずれ自分自身が固いコンクリートにぶつかってしまうことになる。嗚呼、先を思えば暗くなる。
<冬支度をするおばあさんに理由を言って撮影、今年は柿の豊作だ>
11月24日(土曜日)
耐乏の4年間だと決めてはいるが、ほんの少しだけは羽目を外さなければ生きてはいけないだろうとCDを買った。今までは主に書評を頼りに買っていたが、今回は直感を頼りに。タワーレコードは、試聴コーナーが多く設けられていて、店員の書いたコメントと聴いた感じが一致すれば購入を決めた。今回は、Halie LorenのStagesが秀逸だった。ジャズのレコードだが、スタジオ録音の他、ライブも混じっている。ジャケットに書かれたコメントを読むと、本人はライブ録音を望んでいたとある。内容はJAZZボーカルで、輸入版で歌詞カードはないが、NHKのラジオ英会話のようにすごく明確な英語で歌ってくれるから、おおよその意味はわかる。私にとって今年の名盤の一枚だ。Joe SampleのCDは彼の知名度に多少惹かれて買ったが、全曲を通して聞くと、今一の出来栄えだった。上原ひろみのMoveは正にタイトルの通りとても忙しいジャズで、落ち着いて聞こうかと言う感じではない。Stone Sourはロックバンド。これはただ騒がしいだけの音楽で意味不明、だが、凄く気持ちの良い低音が記録されている。音楽よりも音を楽しめる一枚だ。本を読んだり、考え事をするのに最適だ。中古のCDも少し買ったので、生活は貧相だが、これでリッチな音楽三昧を過ごせるようになった。これって昔に帰っているような気がする。「フナ釣りに始まってフナ釣りに終わる」格言があるが、そのままを実行しているようだ。
11月23日(金曜日)

手が切れるような寒さの中、自転車で長町駅に向かった。徒歩では35分の距離も、自転車を飛ばせば10分で到着する。今日は名古屋でプロジェクト会議。10月から休みなく働き、少し体を休める時が必要だと、この3連休を楽しみにしていたのだが残念。それで名古屋に着けば、こちらで着ていたダウンジャケットは暑くてとても着ていられない。そして、冬のこの生ヌルさが懐かしい。東北の地は余りにも厳しい。最近は良く笛を吹く音が聞こえてくる。今住んでいるボロアパートは北風が強いと、玄関のドアから風が入り、一部屋しかないこの部屋を通り抜けて行く。笛は窓を風が通過する音だ。笛が聞こえれば、少し遅れて顔を冷たい風がサッと一撫でする。スキマ風テープを貼ればと思うだろうが、この部屋は東の角部屋で、北風が回り込むので南側の窓側は気圧が低くなる。そのため、気圧の高い玄関側との差で、スキマカゼテープのようなウレタン系では役に立たないのだ。ゴムパッキンのようなもので、密封しない限り無理だ。名古屋の事務所では、内勤者達は「ご苦労さん」と丁寧なねぎらいの声を掛けて下さる。会議の内容をよぉ?くご存知なのだ。私はどうしても今日は帰りたい希望があったので、時間ギリギリまで会議に参画し退散させていただいた。重い荷物を背負って帰途に着いた。夜の仙台は、余りにも寒く外で酒を呑むとやばいのではないかと自戒した。
<名古屋の紅葉>
11月22日(木曜日)

秋田県にも電気屋さんの組織があり、そこの組織長に会いに行った。と言っても300kmを越す工程で簡単ではないのだ。そして、もう雪のシーズンで如何なる困難が立ちはだかっているか予測ができない。昨日も、近所で家一軒が丸々焼け、昼間は通りかかったアミューズメント施設がこれまた全焼の大きな火災があり、アクシデントが多くなる時なのだ。水沢で気温は0度となり、岩手県から秋田県にさしかかる八幡平では路肩に雪が相当積もっていた。だが、秋田県大館市に入ると8度になり、これなら仙台と変わりないや!と安心した。無事に30分以上早く到着。商談の中に太陽光発電の話が出てきた。雪の多い所では屋根の勾配を東西か、北向きに設定するとのことだ。これは、雪下ろしをする時、雪が玄関前に積もらないようにするためだとか。なるほど、生活の知恵ですね。一方で太陽光発電の為の屋根は南方向に勾配が必要で、矛盾がある。ここの人達は厳しい生活があるのに、さらに厄介な問題を抱えている話を伺った。大変だ。昼飯は、比内鶏で有名な店を訪問した。前回親子丼1,200円をいただいたので、今回は「稲庭うどん」を注文した1,500円。お汁は「比内鶏」の脂を煮込んだ甘いもので、稲庭うどんが少々存在感を薄くしていた。秋田県は、写真家木村伊兵衛が「秋田美人」を発表してから、俄然美人の故郷的なイメージが強くなった歴史がある。そして、この店には秋田の3点セットが揃っていたのだ。はるばるやって来た甲斐はある。残念ながら秋田県は人口流出が一番激しい県だ。隣の青森や山形は街の風景に華があるのに、この県にはないは何故だろう?それが理由の一つかも知れない。北緯40度の街は3時を過ぎるともう暗くなり始め、車のライトを点灯した。午後4時、車を仙台に向けた。カーナビによる到着時刻は午後9時。明日は遅くとも午前5時半に起きて名古屋に向かわなければならないのに。やれやれだ。矢沢永吉のブルーノート東京でのライブを聞きながら車を飛ばした。矢沢の音楽は良い悪いは別としても、収録されている音が良いので、気持ちよく聞ける。
<岩手山>
11月21日(水曜日)
Risponsibility
いきなり首相を辞めます。と言って、仕事を投げ出した。学生のアルバイトじゃあるまいに。その安倍晋三氏は突然マスコミに顔を出すや、日本の国を憂えだした。何で今更?とマスコミは言わない。誰も言わない。国民は黙って受け入れているように見える。安倍氏は欧米でよく言われている、「説明責任」を感じないだろうか?民主党の輿石氏はどう見てもグローバル化には一番遠い人で海外では「無に等しい人」だったが、安倍氏は世界の人からは「信用できない人」とのレッテルを貼られていることでしょう。これは多分汚職の政治家よりももっと低い位置づけだと思う。日本にはこんな人しか人材がいないのか?明治維新のころ、立派な人をごろごろ輩出した同じ日本人とは思えない体たらくぶりです。自分も含めてですが。
11月20日(火曜日)

ユーミンが少女だった頃影響を受けたミュージシャンにプロコルハルムがいると言う番組をWOWOWが放送した。プロコルハルムは、「青い影」のヒット曲があり、聞けば聞くほど音楽に没入出来る深さを持っている音楽だ。ロックでもなくジャズでもない。この曲に触発されユーミンが書いた曲は「翳りゆく部屋」でユーミンの中では異色のスケール感を持った曲だ。これを、大口径のウーハーを持ったステレオで聴くと感動する。そして、番組の中で、ユーミンはイギリスに渡り、アビーロードのスタジオでプロコムハルムと共演した。最近のユーミンはアイディアが枯渇したのか、毎年年末に新譜を発売する行事が途絶えている。私の若い頃は、寒くなった今頃に彼女の新譜をカセットに録音し、耳に馴染ん頃がスキーシーズンだった。道中車の中で良く聴いた。毎日の気温が10度を越えなくなり、遠くの山は雪を被っているのを見ると、その頃のユーミンを思い出す。僕の中で一番印象が強いアルバムは、「DA・DI・DA」だ。高域が良く伸びるスピーカーで再生すれば、気持ちが晴れる爽快感がありました。今日は石巻市で電気屋の奥様から、地震の被害について話をうかがった。今でも地盤沈下が続き、お客様の多くは亡くなったと、悲惨な中で、ホント前向きに生きねばならないと思っている感動の内容だった。一方で行政の動きは遅くどうも不満が残るらしい。今年も寒い冬を越さねばならない。
<仙台市内も紅葉が降りてきた>
11月19日(月曜日)

土日休んだら体が軽くなり今日は気分良く福島県の二本松市に商談で出かけた。相手先は携帯電話を扱う会社。この業界ではiPhone5の影響は大きく、ここには新聞紙上で聞けない、電気業界でもわからない話題が転がっている。確かに、これ一台で、日常のことは全て賄える。昔、ユビキタスの言葉を使って電気屋さんの前で話をしたことがある。その時のテーマの結論は、将来家電メーカーはソニーと松下しか残らない。と言うものだった。所がその将来がやって来て、松下とソニーも残らない可能性が見え隠れしている。この話の結論は先の事は分からないとすべきだったのだ。携帯電話は有無を言わさずスマホに変わると思う。それによって、社会の在り方も今以上に変わるだろうな。だが、どんなに変わるのかはやはり断言できないが、今の兆しを見ていると、人との繋がりは距離に関係なく親密になって行くような気がする。フィリピンやインドネシアの友人と直ぐそこにいるような感じで会話ができるのは、一つの表れでは無いかと思う。企業経営もグローバル化したが、人間関係もグローバル化しているかもしれない。
<福島県安達太良山>
11月17日(土曜日)
口は災いのもと
先日の会議で、つい口が滑って発言したことが災いとなり、会社で進めるプロジェクトの一員に加えられた。会長は、冗談だが開発の10件ほどは免除してやるぞ!と言われるのだが。そのプロジェクト、早速反応ありで23日に名古屋へ招集がかかった。10月も11月も休みなく働いたから、これから年末まで旗日と土日は休むぞと計画してたのだが。早くも不履行。今年はこのようにして旗日を休んだ記憶が余りない。「思っていても口には出さない」。これが鉄則だと40年間反省し続けて来たのだが、浅はかな私はつい口にしてしまうのだ。本当に懲りない人だと自分で飽きれてしまう。それはともかく、今日は久しぶりに晴れて休みに没入できる。掃除、洗濯を済まして本を読む。自炊もドンドン進めた(自炊というのは読みたい本をスキャナーで取り込むこと)。最近は老眼が入り、書籍の小さな文字が読みにくくなった。それで、書籍は全てスキャンして、iPadで読んでいる。老人には優しい本の読み方である。夕刻プール2km。酷かった肩こりも一掃された。今まで重かった手の上げ下げ、足の一歩が何と軽いことか。相当弱っていたのが改めて分かりました。
11月16日(金曜日)

いわき市にある販売店さんを訪ねる事になった。訪問の約束時間は午前10時。後で逆算すれば、自宅を7時前に出発することになる。やれやれだが、明日から久しぶりに2日の休暇が取れるから、今日の苦痛は気にならない。福島原発の事故がなければ、仙台から6号線を南下すれば最も短時間で到着出来るが、今は郡山まで行そこから東に走る三角形の2辺を通過しなければならないコースで高速でも3時間は覚悟をしなければならない。目的の仕事は午前中に終えた。午後は、新規加盟の仕事だが、まずは食事。例によって福島を含む東北は食べる店が極端に少ないので、あらかじめ知っている店がなければ、道路沿いでレストランを見つけるのは難しく、コンビニでパンと牛乳と言う羽目になる。今回も例外なくそれ。ここは海沿いの街なので海産物の店がありそうだが、放射能汚染でやばいから、現地物産は口にしないことだ。いわき市の南端にある小浜地区の訪れた店は、珍しいオーディオ専門店だった。タンノイとJBLの店だ。地震でスピーカーが倒れたと言われたが、津波の被害はないようだ。大阪や東京でもオーディオ専門で食っていくのが難しい時代だが、こんな人口の少ない地方でやっていけるというのは、何か秘訣でもあるのだろうか。でもお客様はオーディオにかける余裕がなくなり、商売はさっぱりだと言われていた。その所為かどうか不明だが店頭にエアコンが積んであった。その後、いわき市の中心街を訪問し、一区切り終えたのが午後5時過ぎ。真っ暗だ。本日はもう仕事の打ち切りだ。早い時間だが、ここから3時間少々の道のりを通過すれば8時半になる。
11月15日(木曜日)
スリット

空が一面厚い雲に覆われ、太陽の位置だけ雲が切れて日が差す状態をスリットと呼ぶ。私がそう言っているだけなのだが。これは東北地方の共通する天候かとおもいきや、どうやら積乱雲が突然発生し大きな勢力に成長しスリットが生まれる減少は、今や日本全国的な状況にあることに気がついた。地球の天候は中国の化石燃料消費によって大きく変化をしている。中国人は世界のことを考えるような広い心の持ち主ではないから、この先もっと大きな環境変化が起きる可能性がある。ベニスの洪水はパロディーとして済まされるかもしれないが、北米のSandyはそのような捕まえ方を出来ないほどの被害を出した。環境の及ぼす影響が、元凶である中国にもっと集中すると良いのだがそうは旨く行かない。ともあれ、今日は知多湾でそのスリットを拝むことになった。感動的な風景。風は冷たく、仙台の地ではもっと厳しい寒さが到来しているかと思いきや、大して変わらない気温だった。今日は仙台市内の店を自転車で訪問した。車を運転すれば、市内の狭い道路で駐車場を探すのにウロウロして車をゴツんとぶつける可能性が高い。それで、少々寒いが自転車だ。足先がしびれてきて鼻水が垂れ出せば仕事の終了時間。
11月14日(水曜日)

新大阪から名古屋に向かう。大阪でしか買えない新聞を買って読んだ。新聞には、インドでは「デュアリ」が始まったとある。昔はこの時期を目指して仕事のスケジューリングを行ったものだ。インドにおけるこのヒンズーの催事は、欧米のクリスマスのような需要がある。舌先が丸まった英語が聞こえてくるようだった。朝飯は名古屋の東海道線ホームに登り、ホームにある売店できしめんを頂く。名古屋のきしめんは、だいたいがまずいけれど、ここのきしめんは別格で上手い。今日の会議は厳しい追求があり、新しい方向が示された。我々現地人は、これをクリアーしながら、当面の目標を越えなければならない。すべきことが山積し健康が許す限り、これに邁進しなければならない。大変重い。だが世の中も大変な状況で、パナソニックとシャープの存続が危うい噂が飛んでいる。政府は日航のような援助を家電メーカーには差し伸べないだろう。給料が貰える会社であると言うことだけが今の価値を占めている世論もある。もう農家の機嫌取りとりも止めて、TTPなど国を開放しないと、ますます世界のビジネスから置いてきぼりを食うだろう。批判ばかりのマスコミも、社会をリードする主張をするように変わらなければならない。でないと、そろそろ翻訳機が有効になり出し、日本の新聞は価値のないことが多くの人々に解りだせば、存続が危うくなる可能性もあるだろう。今日のホテルは中部国際空港の隣にある東横インだ。どこの東横インにも共通している事項がある。「水洗の水音が物凄い音で室内に飛び込んでくること、客とは思ってない従業員の態度」。そしてここは、一つだけ違っておまけがあった。割り当ての部屋はドアが開いたままだった。おぅ!ここまで来たか。
11月13日(火曜日)
大阪へ

今日は明日の会議を控えて名古屋への移動日だった。飛行機は定刻通り仙台空港を飛び立った。小さな飛行機だが一応ジェット機だ。機内では読みかけのHIVI誌をiPadで読んで行ったが、機体の揺れが激しくなり酔ってきたため、読書は中止目を閉じた。暫く順調に降下していた機体は急に上昇に転じた。一体何事?間髪をおかず機内放送があった。「着陸を試みたが、横風がひどく少し上で旋回待機したのち、再び試みると」いやに待機時間は長く感じたられたのは、揺れが激しく吐き気と戦っていたからだ。機は再び下降するそぶりをしたが、直ぐに体制を立て直し、断念したことを放送した。「機は大阪に向かう」と。大阪はもう訪れることの無い街だと諦めていたが、思わぬ福が転がり込んだ。名古屋のホテルを早速キャンセルし、淀屋橋の東横インを予約した。阪急電車で梅田に向かった。生暖かい空気が何と!自分に肌に馴染む事か。大阪は私の街だったのだ。梅田は沢山の人が動いていた。アジアの国々から帰ってきた時、何て沈んだ活気のない街か!と失望したが、仙台から久しぶりにきてみれば、ここは活気のある都会。けばい化粧の若いネェちゃんも街に溶け込んでいる。仙台では買えない書籍を買って、驚くような長い連結の御堂筋線に乗れば、電車の混雑が懐かしい。東横インは木で鼻を括ったような対応。いずれこのホテルは衰退するだろう。近くの居酒屋で夕飯。大阪の薄味が懐かしい。感慨はここまでで、酒を注文すれば、青森と秋田を勧められた。
11月12日(月曜日)

朝起きて朝食をいただき、すぐにホテルを飛び出した。午前10時の商談が仙台である。山形道は宮城県に入ると雨になり、仙台市に近づくほど雨が激しくなってくる。一旦自宅に帰り、資料を持参して仙台市を抜ける。世間様はあわただしい月曜日だ。いつもはこんなことはないのだが急にコーヒーを飲みたくなり、ローソンに立ち寄る。最近ではコンビニでコーヒーを沸かして販売もしているのです。今日は契約書を頂くための訪問だったので、気持ちも明るい。それから帰って週報を作成するのですが、メールを開ければ、別の要件がある。結局、途中まで書きかけて保留。夜には、別の場所に訪問する約束があるのだ。ネットで調べて訪問すればガソリンスタンドだった。燃料を満タンにして、車も洗ってもらい、いざ商談。責任者のお名前を告げれば、場所はここでないといわれる。まずい。約束の時間をオーバーするぞ。訳を言って車の洗車は途中で放棄し、すぐさま駆けつけましたね。携帯電話で連絡を取り合っていたので、住所はネットで調べたのがまずかったのだ。仙台の近くの街なのに、夜は深く、駐車場で車から降りると遠くの明かりを頼りに歩くことになる。帰り着いて週報の残りを書き終えたのが午後9時。やれやれ。
<紅葉が始まった霞城の堀>
11月11日(日曜日)

朝早く目が覚めて、近くの霞城を散歩した。近所の人々が三々五々集まり、NHKのラジオ体操をここでやっている。銀杏は黄色く色づき、ポプラは上から赤く染まり下の緑に見事なグラデーションを描くが、コンパクトカメラではD不足で描けない。今日の展示会は相当な忙しさが予想されたので、散歩もほどほどで退散した。今日の参加店は家族全員で詰めかけて孫の翔太君(小学2年生)も参加だ。この子がナカナカ面白く、接客以外は、元気いっぱいの翔太君と話をした。私の大阪弁を指摘して言葉の最後に「や」をつけるのを止めて「だべ」にしなければダメだよ!と山形弁の指導もしてくださるのだ。今日は招待客のみの接客をするつもりであるのだが、一般客にもつかまり、あちこちで商談となる。呆然と立っている人は客は寄り付かないが、忙しくうろうろしていると、客は呼びかけてくる。不思議な現象にも遭遇。疲れ果てた売り出しも午後7時には解散。これから伝票の処理や、荷物の発送でホテルに帰り着いたのは午後8時。今日も昨日同様に弁当を買って頂き、午後10時前には就寝だ。
11月10日(土曜日)
洗濯を干し生乾きのまま取り込んで、近くにあるコインランドリーで乾燥。とりあえず必須の家事をこなせば、もう出勤タイム。午後は山形に移動して展示会の準備だ。あいにくと天候は曇り、ところどころ雨で景色は沈んでいる。この40日間あまり休みなく働き風邪をこじらせて2日間ばかり休んだが、後はまた働き、もう私生活と呼べるものは完全に払拭された日々が続いているのである。体は何とか調子を取り戻したものの、体の芯が疲れていて、なかなか気分が高揚しないのが困りもの。営業だから大きな声で元気よく、目配り、気遣いはお手の物となるはずだが、その力が不足しているのだ。電池残量の少なくなったバッテリーに過充電をして、使っている携帯電話みたいなものだ。それで夕刻も仲間内で食事に行くのもお断りをして、ホテルの隣にあるイオンで惣菜を買ってきていただけば、9時にはもう眠くなる有様だ。窓をたたく雨音を聞きながら床に就いた。
11月9日(金曜日)

この仕事はいろんな人との接触がある。その中には企業の社長様もいらっしゃるし、個人商店の社長も含まれる。今日はその小さいほうの社長というか会長サマと話をさせて頂いたのですが、何分お年も90歳を超えていて、話すことは矍鑠としているが、古い言葉が出てきて往生した。あなたは「ハットリのプリンター」を知っているか?と質問されて、すぐにエプソンだと想像できるだろうか?一事が万事これで困惑だ。そして店名の印刷は行書体で住所は草書体、フォント名を言ってくださればありがたいのですが。カレンダーの裏にマジックで書いたものをよこしてこれで印刷をしてくれ!。私は途方にくれましたね。ここはモバイルルーターも通じない僻地で仙台から4時間も要する山奥なのだ。東北の地をくまなくフォローするのであるがお山の大将が居て、「Back to the future」もありでは、頭もどうにかなりそうである。一転その夜は、福島市で8時まで説明会を開催した。こちらはiPadを持った若い人たちに囲まれ、議論百出。福島から仙台は1時間の距離だが、夜遅くなり真っ暗な高速道路を駆け抜けるには、私のドライブ能力は不足がちで、30分オーバーで帰宅だ。道中は東京JAZZの録画番組を聞いた。何と松田聖子ばかりでなく「スガシカオ」も登場し、何だかレベルダウンした感は免れないです。それもこれも何だか変化、変化、変化の連続です。
<只見川の魚は食えない>
11月8日(木曜日)

昨日の夜自転車がパンクし、仙台市内に放置した。これを5時半に起床し車で回収に向かった。この時間帯だとどこでも車の駐車はOKで、無事自転車の回収できた。同時に自転車で運ぶ予定の重いカバンをコインロッカーに預けてたがこれも無事回収できた。クロスバイク(タイヤの小さな速度の上がるタイプの自転車)はやっぱり荷物を積むには問題ありで、昨日はプリンターやプロジェクターを入れた重いカバンを積載したためにこのような事態となった。ちなみにパンクの修理代は3370円もかかった。引き返して朝食をとり、昨日の積み残しの仕事を片付けたらもう出発の時間だ。体が熱っぽい。この日は一日布団の中で寝ていたいと体が求めているにもかかわらず、約束があるから出かけなければならない。今の体の調子は限界ギリギリのところで踏ん張っている感じだ。あと一歩何かがあれば寝付いてしまうだろう。今日の行く先は福島県西会津だ。仙台から車で4時間の場所。道中の高速道路は横風がひどく、途中で乗用車が横転するなどの事故もあった。私は4輪駆動に切り替えて、車の挙動を安定させ、速度もそこそこに保って運転した。磐梯自動車道(郡山から新潟に向かう高速道路)は真っ黒な雲に覆われて、東北道の晴天から一転した。燦々と照る太陽のために冷房を入れていたが、暖房に切り替えた。熱っぽい体はどう反応したのだろうか、すごく心配だった。会津若松市で高速を降りて、ここから南下する。紅葉で山がものすごくきれいだが、撮影すると太陽光線がないためにくすんだ色でしか撮影できてない。就職してから半年が過ぎて、やっとみんなと同じ軌道に乗って走れるようになった。よくここまで来たなと思う反面、相当無理してきたんだという感じもする。それでもいままで何とか我慢できているのは、厳しい仕事に向かう道中の綺麗な風景があるからだと思う。雨がなければ心が洗われただろう風景だった。目的の販売店様は訪問するなり、息子を迎えに行ってくると私に告げて店を出てしまった。後で聞けば、バスや列車の運賃がすごく高いらしい。それで毎日親父が息子を送り迎えするとのこと。いい息子さんに育ちそうだ。ここで仕事を終えたのが午後6時半。今日の宿泊する只見の旅館をナビでセットすれば2時間の工程だ。すごい山道で車の往来はない。雨模様で気温も6度に低下した。これから雪のシーズンに向かうわけだが、今後は販売店との商談は遅くとも日没前の5時までに切り上げるべきだと思いましたね。こんな峠で雪のため立ち往生すれば、死んでしまうかもしれないと恐怖が走りましたね。ホント。
<只見川の見事な紅葉>
11月7日(水曜日)
私は管理職でも何でもないのだが部下が3人いて、東北の地で同じ目的の仕事をしている。今日は月一の支店会議だ。メンバーの2名は青森から出てくるので、会議は午後から。それで私は午前中を使って会議の準備をする。昔、チームの会議をするときには、1日半かけて番頭さんと協議をしながら資料を作成したものだが、今は時間もないので簡素化している。それにみな家電メーカーでそれなりの職種についた立派な人たちばかりだから、一から説明するような紛らわしさがなく、ツーカーで通じるのだ。それに営業に携わった人たちなので、商売の機微をわきまえている。優秀な営業マンたちの集まりでもあるのだ。それで、会議は早々に終えて懇親会に繰り出すことになった。生憎と私は風邪がますますひどくなり、酒の飲める状態ではなかったが、それでも食べ物はうまく、酒(日本酒)が格別だった。それもそのはずで、店名が「月桂冠」さん。よくもまぁこれだけ高齢者ばかりを集めたな!と思わせるほど、ばあさんばかりの店員で構成されている。みな創業以来と言う。つまり30年選手なのだ。そして味も格別だったのだ。愛想も笑顔もそれなりに洗練されているのは、客層が結構立派なサラリーマンばかりだったと言うのもある。青森のメンバーの一人が昔ここで支店長をやっている時、行きつけの店だったと言う。10年も以前の話だ。ここでは歴史が止まっている。その後、メンバーはこれから唄の店に行ったが、私は失礼した。咳がひどく、話すこともままならなくなったからだ。最寄りの長町南で下車、自宅に向かう道中にBOOK-OFFがある。酔いを醒ますためにしばし徘徊。大黒摩季のベストアルバムが250円、元ちとせと併せて2枚購入した。彼女たちには申し訳ないほどの価格で販売されている。
11月6日(火曜日)

ものすごい雨。今日は仙台市内の企業様と商談だ。呉服も扱う店なので、濡れるがきちんとしたスーツを着た。普段は自転車にジャンパーで向かうのだが、今日はそうも行かないのだ。売り場責任者は50歳代の女性で元ヨドバシカメラに努めた経験のある方で、商品知識もそれなりに深く、しっかりされている。それで久しぶりに歯車がかみ合う会話が交わされた。咳が出なければもっと会話ができたのですが、もう限界って感じで退散させてもらった。丁度昼食時で、商店街を歩くと、近くにある鳥の店に通行人がぞろぞろと向かうので私もそれにつられて伺った。そしてこれは大正解でして、仙台で有名な牛タンの店がいくつかあるが、それにも負けず劣らないチキンでいい勝負だ。これが890円で提供してくれるところも好感。午後になっても雨は降りやまず、一旦自宅に帰り、訪問先は車に乗って、車を置けそうな立地にある電気店さん検索し訪ねた。ここはパナソニックの店で、訪問するなり、「うちはいい」と断りを入れられる(大半がこのような反応です)が、そこを食い下がって、今日はそう言う話ではないのですと、話をそらして別の話題で近づく。丁度ライオンがシカを見つけて一気に襲わず、近くを気のないそぶりでぶらつくような手法ですね。そしてこちらは情報を聞き出し、きっかけをつかもうとする話で揺さぶるわけです。それで、今日はこの辺でと言う見切りをつけて退散するわけです。次回の訪問のきっかけを残して。実に意味深なやり方です。帰りにその街のスーパーで夕食の食材を買う。地方の店は大概なんでも高いが、この地元スーパーは結構安いので驚き。丸森と言う町だった。
<仙台の焼き鳥チェーン店「焼き鳥ダイニング」>
11月5日(月曜日)
入力と出力

山形県にいる。寒河江(さがえ)と言う山形市の隣町で商談があるので、その街まで早く行き、時間までマクドで先週の報告の週報を作成する。その間に得意先からの電話と対応。もうマクドは私のスモールオフィスなのだ。たぶんマクドもこれを察し、その対応の店舗運営を行っていると思う。モバイルルーターと携帯電話、それにPCがあれば完全なオフィスと化すのだ。今日の商談相手は携帯電話会社のオーナーでありながら、電話の他にも別の商売を手掛けられている資産家。パン屋さんも一時検討したとのことだが、設備があまりも高く断念したとか。地元の名士にはおいしそうな物件が優先的に転がり込んでくる。そして無名の人には、カスの情報が舞い込んでくるのは社会の仕組みだ。サラリーマンは残り滓にしがみついて生計を立てる。今日は経営という立場で話を伺い、提案も行い、僕の肥やしとさせていただきました。終えたのが丁度昼過ぎ、このまま高速道路に乗って帰れば、仙台で食べることになる。ここはそばの名産地。少し動けばおいしい蕎麦屋さんがある。どちらを採用するかはあなた次第となれば、俄然こちらで車を動かして蕎麦屋さん探索となりますね。車で5分も走れば、流行っている蕎麦屋さんに遭遇。ここはちょっといい加減な店でしたが(熱い蕎麦を注文したが冷たいのが出てきた)、おいしい蕎麦と天丼のセット(850円)をいただきました。帰りの道は紅葉真っ只中の山形道を運転しながら撮影。この後は、報告書と電話対応で暮れました。夕刻、ちょっとやばいかもしれないが、しばらく運動をしてないのでプールへ。1.5q泳ぎ気持ちよく体を動かしました。この頃栄養の輸入超過状態。食事がまずいし、腹は出てくるし、生活習慣病に一歩近づいているのではないかと不安が募ってくる。風邪をこじらし2週間目に突入、その間運動らしきものをしてない。
<月山は冠雪、酒田に行くにはこの麓を抜けてゆく>
11月4日(日曜日)

この高畠にあるJRのホテルは、さすがと思わせる設計を施している点は、新幹線も走る駅兼用のホテルなのに、部屋の中に列車の音が飛び込んでこないことだ。JR新大阪のアパホテルでは列車の騒音がやかましくひどい思いを体験したが、そんなこととは無縁の快適な部屋なのだ。それに、新幹線と宿泊とJRレンタカーのセットで結構安いパックがありそうだ。そんないいホテルなのに朝飯のご飯たるや食べられたものではない。コメが炊き上がらず芯が残っているにも関わらず、お粥のような柔らかごはんなのです。支配人はこれを食べたことがあるのだろうか?こんなものだと言えば、おいしい山形のコメが泣くだろう。今日の売り上げは、あまりふるわず足が痛くて往生した。でもサウナ付の温泉があると思い我慢をしてたら、帰り間際、接客のために呼び出しがあった。30分ほどだがフロアを走り回ると、あの疲れがどこかに飛んで行った。まだ若さが残っているのだろうか?仕事を終えて、近くにあるケーズデンキを覗く。客の入りは変わりないが、こちらの店舗が大きく品ぞろえが充実していたように感じた。疲れていても電気屋さんを覗きたいと思うのは、仕事とは関係なく、やっぱり電気製品が好きなんだろうな。そういえば、高校生の時も、学校から帰り際「英光チェーン」の店を訪ねたことを思い出す。何の当ても無かったのだが、毎日通った。電気製品に囲まれているのが好きだったのだ。もうその頃から、僕の道は決まっていたということでしょう。
<JR高畠駅前>
11月3日(土曜日)

午前中だけ休暇。たまっていたハンカチと靴下にアイロンを当てた。久しぶりの家事。その後、近くのメガモールにコーヒーを飲みに出かけた。ここでしばらく呆然とすれば、もう11時半。コーヒーのついでにうどんを注文して昼食とした。帰れば12時過ぎ。急いで出発準備を整え米沢市に向かった。カーナビは山形道を推薦するが、グーグルマップの福島経由を選択した。今日も天候は最悪。道中は雨。気温は8−9度の表示が多かった。山の景色は紅葉のピークを迎え見事な黄色と赤のマダラ模様となっている。グーグルマップの推奨が正しく、2時間を切る所要時間で到着。明日の売り出しのための準備に訪問した。仕事を終えたのが、5時半くらい。そこからホテルに向かった。高畠にあるJRのホテル。駅がホテルだ。この駅は温泉も併設していて、宿泊客はただで入浴できる。さらさらしたお湯で気持ちがなごむ。地元の人たちも銭湯の代わりにここを利用している。駅には数百台は駐車できる町営の駐車場があり、住民にとっても非常にアクセスの良い温泉だろう。サウナもあり、風邪をひいているとはいえ、過激な水風呂とのセットを繰り返した。
<仙台はよい天気なのだが>
11月2日(金曜日)

福島県に出かけた。無理を承知で契約書の回収だ。これを逃すと回収がのびのびになってしまう恐れがある。白石を過ぎたころから天候がおかしくなり始めた。空は暗く、横殴りの雨交じりの強い風が吹いてきて、ハンドルを取られそうになる。あわてて4輪駆動のスイッチを入れて速度を落とした。高速の4輪駆動は非常に足取りがしっかりしてくるのは、モーターマガジン誌で知識を得ていた。4輪駆動はダートや雪道ばかりではないということを改めて実感。これはよいニュース。悪いニュースは、商談に行った先では会話を始めようとすれば咳き込んでしまい、会話にならない、先方に迷惑をかけてはいけないとあわてて退散。この後3つの訪問先をリストにしていたが、今回はその店の様子を見るだけにとどめたと思った。空はますます暗くなり、もう雪の降る直前の様相となった。もう2軒目で終われば良かったと今では思うが、どうしても予定をこなさなければ気が済まなく、無理して午後7時に訪問した。先方は夕食時だった。「ごめん」と言いつつも、咳をしながらしっかりと話を聞いてもらったのは、先方も結構話に乗ってくれたのだ。寒くて暗い道のりを慎重に車を運転した。幹線道路である4号線に出るまでに20分くらいを要した田舎の店だった。疲れ果てて帰り着いたのは午後9時前。病み上がりにここまで仕事をしなくても良いのでは?と思ったのだが。
11月1日(木曜日)
仕事に復帰はしたものの、声が出ない。明日の行動のためにアポを取る電話をしただけなのに、会話が続かない。すぐに咳き込んでしまうのだ。今回の風邪は結構深刻なのだ。最近出張が多く、ほとんど事務作業をしてなかったら、この際できることはすべてしてしまおうと、内勤で頑張った。そうすれば幾分熱も収まり、昨日までの景色は一変し、モノクロの世界から総天然色に変わった。文字を書くのやプレゼンの資料を作るのがこんなに楽しいのか?と「事」にも輝きが生まれてきた。少し健康になっただけで僕の精神がやっと正常に戻りつつあるのだ。やっぱり仕事は価値のある素晴らしいものなのだ。これが、私の仕事観。ところが今朝は嫌な風景を見てしまった。寝込んで買い物をしてなかったので朝飯の調達に近くのローソンに行った時のことだ。朝も早いのに、私と一緒にパトカーがローソンの前に止まった。警官も朝飯をローソンで買うのだ?と思いきや、店の前にいるおじいさんに詰め寄ったのだ。見ているとどうやらこの貧相なおじいさんは、弁当とパンを万引きしたようだ。この寒いなか、素足にサンダル。仕事もなく、年金だけでは食いつなぐことができなくなったのだろう。つい手が出てしまった。まぁこの年では仕事も見つからないだろうが、昔、何時の日か不明だが彼は神聖な仕事をどこかで踏みにじったかもしれない、そして仕事からそっぽを向かれたかも知れない。それが今の姿だ。と思いましたね。自分もいつかそうなるかも知れないが、仕事にはきちんと向き合っていたい気持ちを新たにしましたね。
10月31日(水曜日)
不思議な縁もあるのだ。大阪時代には、海外で仕事をした人たちとの付き合いがあったが、その仲間は、経理の女性2人と北米担当のおじさんと、ブラジル在住のもう少し若いおじさんと5人で、酒飲みグループを形成していた。経理の女性の一人はスリランカ人だ。いわゆる外人さんです。職場が相当違うので、愚痴のような話ではなく、もっぱら海外の話題が多く締められる国際色豊かな飲み会だった。僕とおじさんは昨年のリストラで会社を出され、私は定年。もう一人は出向の形で落ち着いた。彼は定年するには少し若かったのだ。そのおじさんは単身で東京に向かった。仕事は会社とは全く関係の職場で、海外に行く日本の企業の支援をする仕事だ。もちろん海外の研修生も受け入れる仕事もあるようだ。その中に「オチョロ」さんがいることが分かった。「オチョロ」さんのFBで分かった。「オチョロ」さんはフィリピン人だが、日本語を使って私とFace Bookの通信をしていた人だ。ダバオ島出身で現マニラ在住だ。ずいぶんと親しい、その東京のおじさんと最近会ったことはないが、FBで知り合った彼女を通じてつながっているのを発見した時は、人間の縁てあるものだと思いました。
10月30日(火曜日)

今日はとうとうダウンした。咳がひどく、そして気分が萎えてしまった。サラリーマンの意欲の減退は禁句だが、休日なしでは、いつか病気にもなり、気分も低下するだろうと、この際自分を甘やかしている。布団に入ればいつまででも寝ていられる。そういえば、最近朝の目覚めは6時半の太陽が顔を出してからの場合が多くなった。その前までは、5時半あるいは、5時に目が覚めて、眠いのになんで眠れないの?と困っていたが、今では、なんぼでも眠られる。朝のごろ寝をしても、昼寝もできるし、夜は10時が来る前に瞼が重くなっている。5時に目が覚めるのが普通で、6時半に目が覚めるのは異常だということなのか?話は違うが、アメリカのハリケーンsandyが大変な被害を引き起こしている。USA Todayなんかアクセスが殺到しているのかなかなかサイトを見ることができない。台風関係の記事はおおよそ使われる単語が決まっているらしく、最近では辞書なしで結構すらすらと読めたりするのだ(残念ながらTV放送はまだ理解できないのだが)。今年の2月頃はマクドで英字新聞の一つのコラムを読むのに2時間程度は優に使っていて(もっと前は2日ほど要したので)、進歩をこの紙面で報告したが、今では20分くらいあれば十分なのだ。今、外した眼鏡を探すのに時間を要したり、カギをかけ忘れたのではないかと、何度も家に引き返したりして、直前のことをずいぶん忘れるようになってきたのだが、なんだが英語力だけはついてきたりして、結局この頭は何がどうなっているのか、さっぱりわからないのだ。
<調子が悪くても食欲はある>
10月29日(月曜日)
咳はますます激しくなるが、今日は須賀川市で仕事の約束をしている。それで出勤日なのだ。27日間連続して仕事をして、肩こりが始まり扁桃腺に影響を来たしのが数日前。そして、先週の木曜日から、扁桃腺の悪化から風邪に引き継がれて、今日に至った。病院へも行った。が、あまりにももうけ主義が高じて、二重三重の薬の処方箋を書くのだ。処方箋を持って薬局に行き、不要なものは省いてほしいと頼んだが、だめだという。薬屋を変更してもそれは同じだった。そんなら、もう薬はいらない。自力で直そうと思いましたね。薬に頼らないのは咳が出始めると止まらなくなり、そのたびにうがいをしなければならないことだ。夜中に何度もこれを繰り返さなければならない。正直これはつらい。一方メリットもありますね。それは、食欲が落ちないことだ。風邪薬ですっかり胃をやられてしまい、まったく食べたくなくなる。これはないですね。それで、朝鮮漬けや、豚シャブやら、結構カロリーの高い食事をして、この病気が早く飛んで行かないものかと努力をしているのだ。最近妙にこだわりができてしまい、変な頑固さができてしまった。自分でも意図しない行動に出るなどして、ちょっと大人げないのと、何でそんなにまで頑なか?妙にわからない部分がある。
10月26日(金曜日)
今日は病気の体に鞭打って遠征だ。まずは山形に向かう。山形は気分的には遠い土地だが、距離は短く1時間もあれば到着する。ここには、ご年輩だが商売に情熱を燃やす家電店様があり打ち合わせのために訪問だ。訪問時丁度来客があり、その接客を見ていたが、なるほど、よく顧客のことを知っている電気屋さんというのは、その過程の電気容量まで熟知しているのかと感心した。打ち合わせ時間は丁度一時間。その間電話を切ってあると、すごい数の留守番電話が入っていた。さっそく近くの道路に車を止めてネットを開き、情報を得ながら処理をしていくこと1時間。車の中はまるで疑似事務所。それが終わり、もう一軒の訪問先を終えるともう12時前。次は福島県のお店訪問だ。到着時間が1時10分になることを伝えた。山形道を結構飛ばして時間の余裕があれば、ヒルメシでも食おうかと思っていたら。国見インター手前で工事の大渋滞。結局ヒルメシなしの商談となった。こう言う時に限ってコーヒー。それも缶入りの砂糖がいっぱい入ったタイプ。仕方なくいただければ、ものすごい胸焼け。インドの販売店を訪問したときに饗される「インディアンティ」に似た食後感。ヒルメシの食欲は失せましたね。この福島のお店での商談はいいところまで行って、所要時間が2時間。次の面会先までの余裕時間は1時間を切っていた。あわてて車を飛ばし、約束の時間に間に合った。のどの調子が良くなく、声があまり出ないときに限って、話さなければならないことが多く、最悪の状態になった。それでも無事5時までには仕事を終えてホテルに向かうことができた。喉の痛みを抱えた風邪気味の体にはいささかきつい仕事だった。ホテルで仲間と合流して、食事に出たが、食べ物の味があまりわからなかったのは残念だ。
10月25日(木曜日)
体が熱っぽい。しかし、こちらは抱えた案件がある。その一つに、面会の電話を何度かけても出ていただけない候補店がある。そして、その奥様の対応は非常に冷たい。こういう場合はこちらも精神的にしんどい。それで、顔を合わせば、私はそんなに悪い人間ではないと思ってもらえると思い、思い切って訪問することにした。他の用事を済まして、この案件の店を訪問した。訪問する前に市内の訳の分からない道をぐるぐると回った。このカーナビは路地をコの字の一番長い辺を走らすようにいつも設定されるのです。明るいうちは、それでも感を頼りにハンドルを切るのだが、暗くなれば、カーナビに従わざるを得ず、往生した。カーナビを検討されている皆さんは富士通のカーナビだけは買わないほうが良い。と忠告を申し上げたい。さて、件の店の奥様は思った通り、顔を合わせはきつい言葉は出ず、普通の対応をしてくださった。次回からの電話は少し気が楽になるでしょう。ここは仙台から100q離れた登米市。帰りはたっぷり2時間を要して帰宅した。ホントにやれやれの一日だった。
10月27日(土曜日)

あれほど厳しかった体調も、なんだか復活して、車を運転できる状態になった。ここから1時間高速道を南下して須賀川市へ。ここで加盟店さんが売り出しをしている。その激励だ。友人のT部長は、本社でこの加盟店さんの販売を支援する責任者なのだ。僕は現地の運転手として随行だ。燃料店様の売り出しを始めて体験しましたが、売り出しの雰囲気は例えばベトナムのホーチミン市にある「ベンタン市場」の雰囲気とも同じで、アジア系の人間がもつ同じ志向だと思いました。タイヤや、酒や、ガスコンロ、液晶テレビなどが、テントの中で所狭しと並べられ、買い物をするには最高のムード。コロナのガスコンロは、卵焼きまでできる火力調整があり、エレクトロニクスの進化は完全に火力を傘下に置いた感じでした。酒は久保田や伊佐実が半額程度。焼酎は今一好みでないので、久保田百寿を1,680円でゲット。帰りに仙台の最寄りのケーズデンキに寄ってwindows8を見た。確かに指でタッチ出来るのはおもしろいが、ノートPCの画面をタッチするのでは操作が遅くなる。全く違った操作体系となるこのOSは5,980円でVISTAからアップデイトできる。魅力的でもある。タブレットが普及してから考えても良いかなとも思いましたね。
<紅葉の進んだ東北国見PA>
10月26日(金曜日)

今日は病気の体に鞭打って遠征だ。まずは山形に向かう。山形は気分的には遠い土地だが、距離は短く1時間もあれば到着する。ここには、ご年輩だが商売に情熱を燃やす家電店様があり打ち合わせのために訪問だ。訪問時丁度来客があり、その接客を見ていたが、なるほど、よく顧客のことを知っている電気屋さんというのは、その家庭の電気容量まで熟知しているのかと感心した。打ち合わせ時間は丁度一時間。車に戻れば、すごい数の留守番電話が入っていた。さっそく近くの道路に車を止めてネットを開き、情報を得ながら処理をしていくこと1時間。車の中はまるで疑似事務所。それが終わり、もう一軒の訪問先を終えるともう12時前。次は福島県のお店訪問だ。到着時間が1時10分になることを伝えた。山形道を結構飛ばして時間の余裕があれば、ヒルメシでも食おうかと思っていたら。国見インター手前で工事の大渋滞。結局ヒルメシなしの商談となった。こう言う時に限って初めて訪問する店だが、まずいカンコーヒーを出してくださる。それも砂糖がいっぱい入ったロングタイプ。仕方なくいただければ、ものすごい胸焼け。インドの販売店を訪問したときに饗される「インディアンティ」に似た食後感。ヒルメシの食欲は失せましたね。この福島のお店での商談はいいところまで行って、所要時間が2時間。次の面会先までの余裕時間は1時間を切っていた。あわてて車を飛ばし、約束の時間に間に合った。のどの調子が良くなく、声があまり出ないときに限って、話さなければならないことが多く、最悪の状態になった。それでも無事5時までには仕事を終えてホテルに向かうことができた。ここで、かかってきた電話の処理に1時間。喉の痛みを抱えた風邪気味の体にはいささかきつい仕事だった。ホテルで仲間と合流して、食事に出たが、食べ物の味があまりわからなかったのは残念だ。完全に声が出なくなった。
<山形道の風景もすっかり紅葉>
10月25日(木曜日)
体が熱っぽい。しかし、こちらは抱えた案件がある。その一つに、面会の電話を何度かけても出ていただけない候補店がある。そして、その奥様の対応は非常に冷たい。こういう場合はこちらも精神的にしんどい。それで、顔を合わせば、私はそんなに悪い人間ではないと思ってもらえると思い、思い切って訪問することにした。他の用事を済まして、この案件の店を訪問した。訪問する前に見知らぬ街を、方向がつかめないままぐるぐると回った。このカーナビは路地をコの字の一番長い辺を走らすようにいつも設定されるのです。明るいうちは、それでも感を頼りにハンドルを切るのだが、暗くなれば、カーナビに従わざるを得ず、往生した。カーナビを検討されている皆さんは「富士通のカーナビだけは買わないほうが良い」。と忠告を申し上げたい。ソフトウエアが良くないのだ。さて、件の店の奥様は思った通り、顔を合わせはきつい言葉は出ず、普通の対応をしてくださった。次回からの電話は少し気が楽になるだろう。ここは仙台から100q離れた登米市。帰りはたっぷり2時間を要して帰宅した。ホントにやれやれの一日だった。熱っぽさは更に上昇機運にある。
10月24日(水曜日)
もう完全な風邪状態だ。だが仕事は待ったなし。本社支持である団体を調べて訪問する仕事が追加された。その名簿は、ネットから検索して、所定の用紙にペースとして仕上げてゆく。公開されてない組織は、Googleの高度な検索を使い調べてゆく。しかし、どんなに頑張ってもヒットしないのは公開されてないかもしれないと、九州で頑張っている責任者に電話をかけると、不可能な先は、懇意にしている加盟店に聞くしかないと言われる。まだ半年で懇意のコの字にも満たない私としては万策尽きた状態になってしまった。熱っぽさが次第に増したのは言うまでもない。久しぶりに大阪の友人から電話。彼の再就職は旨く行っているので余裕があるのだろう。様子伺いの電話だ。もう24日も休んでない事を伝えた。休まなければいいアイディアは浮かばんぞ!しかし今20%の達成では休むわけにはいかんだろう!と私。体あってのものだね!と忠告がある。息の抜き方を知らない私なのだ。息を抜けば、そのまま立ち上がれないのではと不安もある。とにかく寝ることだ、早めの就寝。このところいくらでも寝られる。
10月23日(火曜日)
喉の調子は益々ひどくなり、体も熱っぽい。数々の訪問先にお礼の手紙やら、お願いの手紙などを書いていればたちまち時間が過ぎてしまう。昼過ぎに仙台の市内にある小売店様との商談だ。少しだけ早く到着し、何か美味しいものをと物色すれど、おじさんに合う食べ物屋さんは見つからず、すき家でネギ塩豚丼を頂く。大阪は食べ物の街。何処でも、安価な値段で美味しいものが食べられたが、東北はそうは行かない。料理の幅が狭く、場所も限定され、圧倒的に数が少ないのだ。通りがかりで見つけようなどとは、甘い認識と言わざるを得ない。仙台市内でもだ。今日の商談はきちんとした企業さんで、理路整然と話しても通じるし、それなりの要望や質問がある。いわゆる普通の商談ですね。訳の分からん話や、常識を超えた要望がないのは嬉しい。たとえこの商談が不発に終わるにしても、納得の行く終わり方だ。それぞれに違う面会者。私の精神は何処に基盤を置いて活動すれば良いのだろう?禅に挑戦すべきだろうか。善は急げというのだが。
10月22日(月曜日)
少々お疲れで事務仕事をこなして行く。その間一段と電話の量が増した気がする。それだけビジネスが動いているのだ。自宅が事務所だから、出勤の手間はないが、エンドレスで仕事をする羽目になる。そんな中、取引先候補である店の会長に電話をするよう、本社から指示がきた。どうやらクレームの電話らしい。電話をすれば契約書の条項に関する質問で、しごく真っ当な指摘。だが、それは曲げられないことを説明した。所が、それは納得したのか、話が中国のデモ問題となり、モノハン事件から始まってこの問題は相当奥が深く解決しないと、話がとんでもない方向に移って行った。ヤマダ電機は中国に出店している事からの発想の飛躍だと45分に及ぶ電話の後で気づいた次第。面と向かえば、話の筋も追えるだろうが、表情が伺えず、しかも言葉も十分に分からない中での会話は、疲れますよ。と言う訳で、喉の調子が次第に悪くなってきた。夕刻久しぶりのプールは取りやめにして、早々に寝ることとした。
10月21日(日曜日)

晴れれば早朝出発。雨ならば、ゆっくりと出発。ところがどうだろう、雲のない快晴だ。仲間が帰るので近くの駅まで送る。ここから下北半島を登り七戸へ、ここから少しだけハンドルを右に切り、十和田湖を目指し東北道に乗るコースを選んだ。距離は対して変わらないが、少し時間がかかるだけだ。この道を走っている時に気がついた。この道はかつて来た事があるぞ。そうなのだ2005年いきなり多くの部下の転入を迎え仕事のプレッシャーがきつく、それを跳ね返す為に少々過酷な運動に挑戦したのが、東京から八甲田山を自転車で目指す旅だ。一度には実行できず、最初はいわき市まで、二回目はいわき市から仙台まで、三回目には仙台から八戸を経由して八甲田山を目指した。(この通過した道は、原発や津波でことごとく被害を受けた)その道を今度は車で通過しているのだ。当時の誤算は余りにも風が強く思った距離が稼げず、途中で断念した。奥入瀬温泉郷で車を止めて、自転車をレンタルして十和田湖を目指した。電動自転車なので、上り坂もスイスイと行けた。紅葉には少しだけ早いが、所々で見事な風景に出会った。奥入瀬渓流を見ていると、自然に心が和んでくるのは、人間の祖先は水の中に居たかと言うことでしょうか。本格的な三脚を構えた叔父さんがいれば、必ず声をかける。親切に撮影ポイントとセッティングを教えてくれるのだ。素人ではないが、あまり知らない風を装うのがコツだ。楽しかった撮影も3時間で終わり、車に帰ればクレーム電話が山積していた。日曜日ですよ。早く帰らなければ、仙台は夜中になる。けど、1時間は電話にかじりつきましたね。クレームの内容は一度買った商品を返品したい。と言うものだ。それはできないですよと答えれば、そんな事は聞いてないと答える販売店とのやり取りだ。常識ってものがあるでしょう!とは喧嘩になるので言わないが、この店は、長いことこんな感覚でメーカーの販売会社とやりあってきただろう。販売会社も利益を出せなかった訳だ。結局この日は午後8時過ぎに自宅にたどり着いた。これからメールを開き週報を作成する勇気はもうありませんでした。
10月20日(土曜日)

展示会を行った。私は言葉の問題を気にしたが、弘前と比べてこちらはかなりまともな日本語を話す。青森は、津軽藩と八戸の南部藩に分断され今でも違う文化をお互いに競っている。その結果ねぶた祭りと、ねぷた祭りは全然違う祭りだった。立ちっぱなしの仕事も時々接客が入れば疲れは飛んでゆく。フロア全体にあるいろんな商品の接客にもだんだんとなれてきて、展示会に恐れるものはなくなっった。名古屋からきた伝票処理担当者は若い故に作業がてばやく、7時過ぎには会場を引き上げることが出来た。夕飯は、むつ市の居酒屋さんを探索し、「下北物語」と呼ばれる人気の店に入った。料理は旨く、上々と思いきや、陶板焼のメニューも注文したが、他の料理が一杯出てきてそれをゆっくりと嗜んでいる時に、この料理を出し直ぐに火をつけたものだから、たまらん。料理を出すのは構わんが、点火するのは客の状況をみたらどうなんだろう?その文句を若い兄ちゃんに言ったが、火を付けたままそのまま行ってしまった。頭に来た私は、それ以降ビールのお代わりを注文する気も失せ早々に退散した。料金も3,000円と高く、田舎で素朴な味を格安でと言うのはもうあり得ないと思いましたね。はやり人口の多い東京のような場所で、人気の居酒屋で食べるのが一番いいのだ。と言う教訓を得ましたね。雨が結構強く降ってきて、その上風が強くなり、ホテルの風呂の換気扇は通風口が笛の様に鳴っていた。冬には毎日がこんな感じだろう。今夜、東北の宿泊場所は10万以上の都市に取ると言う鉄則が出来上がった。インドの旅も同じような経験をしたが、こちらは最低でも100万人以上の街でなければならなかった。
<料理はいいのだが>
10月19日(金曜日)

今日は、朝からドライブだ。想定時間は8時間。つまり今日はドライブだけなのだ。行き先は青森県むつ市。明日展示会があり、その応援に駆けつけるのだ。昨日DVDに音楽番組を沢山ダビングして、それを見ながらの北上だ。カーナビでCDを聞くには余りにも刺激が少なく、見いだした音楽の試聴はDVDに記録したTVの音楽番組を再生することだった。NHKのBSで放送された、東京JAZZには、何と松田聖子が出場し、「上を向いて歩こう」を歌った。このフェスティバルのコンセプトが揺らいだのか、聖子ちゃんの歌唱力が向上したのか不明。今回は「カシオペア」とか「大曽根誠」とか、日本のアーティストの出演が多かった。それでも盛岡までの4時間が限界。そこから先は肩こりや睡魔や退屈と戦いながらの北上。今回は八戸からの北上は太平洋側の道にルートをとった。こんなど田舎でも護岸工事が施されて、一体誰を守るんだ?と疑問を感じた。大きな湖の様な風景を眺めながらどんな魚が釣れるのだろう?と想像したが、近くには原子力の施設がある六カ所村なので、ここの自然は、全く自然じゃないと結論づけた。ホントに寂しい話だ。むつ市ではヤマダ電機を訪問してPCを午後8時まで悪戦苦闘して接続。ホテルに帰り、近くのスーパーへ夕食を買いに出かけた。ついでに服飾関係の売り場もあったので覗けば、かなり広いフロア一面がおばあちゃんの洋服だった。支配人の年配の女性が一人残っていたので、話を聞けば、ここには「じじばばしかいないのです」。と答えられた。本店と青森の支店で衣類を扱っているが、他の店は食品だけだと言われる。むつ市が本店と言うのがこの支配人のプライドだった。店の名前は「まえだ」老舗の地方の百貨店みたいな存在。灯りの少ないバスターミナルもある。
<下北半島のススキは黄金色に輝いていた>
10月18日(木曜日)
今週は時の経つのが早い。そして全く開発活動の時間がない。今日の昼間が唯一の時間だ。天候は芳しくないが、車は相棒に貸してあるので、僕は15kmばかり遠方だが自転車で出かけた。昼食は若林区に入る前に気になっていた蕎麦屋さんで。カシワざる蕎麦を頂く。つけ麺のお汁に鶏肉が使われている。まずまずの味。東北のそば屋さんの実力は侮りがたい。こんな時に限り風は強く、ペダルは重く訪問先は不作だ。膝は痛いわ気も滅入る。約3時間ばかり活動して時間が来たので成果のないまま待ち合わせ場所に向かった。喉の渇きも忘れていたので、待ち合わせ場所の少し手前のファミリーマートで水分補給にたちよれば、相棒もそこに同じ目的で車を止めた。偶然の一致。今日のメインエベントの訪問先は、衣料関係の年商50億の会社。ポイントは、この社長の3人娘は全てが美人だと言うことを、相棒から伺った。そして事務所訪問。なるほど、一番下の娘さんが丁度通りかかりお顔を拝顔。40歳できりりとした顔立ち。今日の目的はこの娘さんではないので、気持ちを切り替えて商談。何とこの会社の社長様が大の音楽好き。ポールモーリアなどの軽音楽の特集新聞記事を持参され、これを聞きたいので、入会すればすぐにでもコンポを買うよと、言ってくださった。大人のオーディオにはビクターのコンポが最適ですよ。後で専務様にメールを送りますね。とお伝えした。64歳。忙しいが、今楽しまなければいつ楽しむのだと、コンポを買うのを決断されたそうだ。この仕事は人格の襞を自己分析しなければならないような谷の損底から、今のように、天にも届かんばかりの喜びまで余りにも感情の起伏が激しいのだ。私は一風変わった人間だが、拍車がかかりそうだ。そして、ますます孤独になりそうだ。

10月17日(水曜日)
朝はきっぱりと晴れていたのにホテルを出る頃にはもう雨が降り始めていた。販売会議にふさわしい天候だ。今日は販売会議の前にセレモニーがあった。僕らの開発している加盟店活動が3,000店に達したのだ。マクドナルドが3,000店に達したのは28年の歳月を要し、セブンイレブンは14年だが、我が社は7年と2ヶ月。親会社のヤマダ電機さえ予測できない成果である。そこで、この不況期には珍しい感謝金が従業員に支給された。何と10万円。その上何か不明だが、積立金の払い戻しが7,000円あった。この会社は中小企業で変わり身が早いので、販売会議の度に新しい指針が示され、戸惑いと希望がある。毎日悶々と課題を抱えたまま過ごす大企業の販売会議とは違った刺激があるのが面白い面である。大変な仕事であることには違いはないが、希望と言う光がこの会社にはある。会議は午後4時に終了をして、北海道の支店長と一緒に空港行きの電車に飛び乗った。僕はギリギリの時間に到着し出発ロビーに駆け込むと、飛行は1時間の遅れが生じたとアナウンス。一旦ロビーに出て2階にある「味仙」で台湾ラーメンと青菜炒めを食べた。以前名古屋で暮した10年間、このラーメンに随分とお世話になった。店の親父さんに「味が変わったね」と言えば、親父さんは、味仙には2系統の店があり、当店は生のニンニクを入れないのだと答えた。矢田川沿いの「味仙」は、唐辛子よりもニンニクの辛さが強烈だった。飛行機に乗る前に遅れのお詫びに1,000円支給があった。今日は随分と余計なお金が入る日だった。
10月16日(火曜日)

この日も何だが慌ただしい日だった。今日は仙台で新しく採用した人の入社日だ。新人と言っても年は僕よりも上で、我が社の平均年齢は高いのだ。さっそくヤマダ電機に間借りしている事務所にご案内し、打ち合わせを行った。ここは表の店舗の華やかさとは全く違いパットしない地味なスペースだ。昔、東京の新宿にある小田急百貨店に2年間務めたが、そこよりも地味で、きちんと利益を出す会社の裏はこのようなものなのだと納得。その後自宅に帰り費用清算をして、この新人に車を渡すために西友のMALLで合流。僕はこれから電車に乗って空港まで行き、名古屋に向かう。その間電話のできる場所では電話をかけて処理をする。午後7時、電話も途絶え三越のデパ地下で食料品を買った。野菜中心に惣菜を100gづつ注文するが高いのなんの。そして問題は名古屋らしくそのどれもが旨くないことだ。こちらの方がより問題。ホテルはラグナスィート。名古屋で一番くつろげるホテル。風呂が大きく、シャンプーとリンスは資生堂のTUBAKIだ。久しぶりにゆっくりと湯に浸かり、英文手紙の書き方を読む。知っている単語をつづってもこれくらいの文章は出来るのか?と感心する。
10月15日(月曜日)
鶴岡市の朝は抜けるような秋晴れ。放射冷却で少し寒い。名古屋の仲間をJR鶴岡駅に送り、僕は仙台までの帰りの途についた。その前にいくつか電話。ANAのキャンセル待ちのメールが届き、切符も手配しなければならない。この手続きは電話しか受け付けてくれないが、メールには電話番号が記載されてない。ネットでANAのメンバーズナンバーを入力しなければ電話番号が出てこない仕組みだ。まぁこの会社も老巧化がすすんでいますね。どこかで破綻するだろうな。アジアしか知らないが海外ではもっと簡単に予約できる、まだ電話とFAXの会社だと思いましたね。という事で結構不愉快な経験をしたので午後は快適だろうと思いきや、とんでも無い伏兵がありまして、私の確認不足が裏目に出てなすこと、言うことがとことん旨く行かず、その収拾に午後を費やした。だが昔なら動揺したことがどうだろう。それを余りにも抑圧と感じず、けっこう切れずに対応できているのだ。もう心の感情が切れているのかな?もしくは、最近自分が信じられない忘れ物をしているが、今回の事件もこの延長線上にあるからすぐに忘れてしまい、動揺しないのか?どうも不明である。言えることは、一体昔の自分はどこに行ったのだろう?と言うこと。年を重ねて、体も頭も変化していると言うことか?疲れていたが、夕刻プール。疲れに拍車がかかり、明日大丈夫かな?と心配しながら就寝。
10月14日(日曜日)
頭が重い。体がだるい。歯を食いしばって、ヤマダ電機に向かう。今日も展示会なのだ。今日は開店前からお客様が並んでいる。我々の招待したお客様だ。コチラは店の息子さんが跡を継ぐと言うことで、今日がデビュー戦なのだ。お客様には余りしゃべらない彼を紹介して、どうかよろしくお願いしますと。いつのまに私はお調子者になったんだ?この日は昼食を取ることが出来たので、近くのすき屋さんへ。驚いたことに、この近辺は中古の本やなにやかやを販売する一大中古マーケット地区なのだ。その一つを覗けば、カードゲームの机もあり、若者がカードで戦っていた。ありとあらゆるカードがここには展示されていた感じを受けました。もちろん衣類の中古も沢山ありました。この日の展示会は午後7時に終わることができて、電気店様と一緒に食事に行きました。行った店は、鳥屋さんで、誠においしい焼き鳥と日本酒を頂きました。ここを80kmばかり北上すれば比内鶏ですから、鳥の平均レベルは高いと合点。いろいろなことがあり、酔った頭で、瞬く間に日が去ってゆくのを感じながら床につきましたね。
10月13日(土曜日)
今日は展示会だ。今まで経験したことの無いような来客を迎え、私も受付を他の人に回して積極的に商談につきあった。白物から理美容品まで沢山の商品を説明するには、たじろぐが慣れれば、意外とそれなりに対応出来るものです。それに結構おもしろい。食事の時間はナシで、午後5時までフル活動しました。そしてそれから売り上げ伝票をPCに入力し、受領表をプリントするのですが、余りにも件数が多く、何と終了したのは午後10時半。ヤマダ電機の店員様も遅くまで我々につきあってくれて、違算無く終了しました。我々はこれから、車を飛ばして山形県の鶴岡市に向かうのです。私が運転しようと思ってたのですが、一緒の仲間がどうしても運転をすると言って聞かないので、ハンドルを握らすと、普段穏和な人が豹変して暴走族に。途中で狸をはねて、大きな衝撃を受けるなど、アクシゼントもあるが、3時間半の道のりを2時間で到着してしまったのには驚いた。12時50分とりあえず到着。それから風呂に入って寝るのは午前2時前。いつもスリランカやインドを訪問するときと同じ時刻だ。そして、この時間の睡眠はきわめて浅い眠りしかないのも理解している。やれやれ。
10月12日(金曜日)
懸念した到着物が届かないクレームが入りその追跡におおわらわ。明日と明後日はどんなことがあっても旨く事が運ばなければならないのだ。昨日のお疲れもあったが、今日はぴりぴりして雑務をかたづけていった。夕刻、展示会をするための準備にヤマダ電機を訪問した。我々の持ち込んだPCとヤマダ電機のPOSレジを接続するのだ。これが、ハブの都合でつながったり、外れたりする非常に不安定な挙動をするのだ。結局この日は2台のPCを同時に駆動するやり方はあきらめて、1台のみで使用することに決めた。午後9時解散して、私は近くの王将でセットメニューを頂いた。最近体の動きが少なくなっているので、この店の大カロリーには疑問があるのだが、空腹を満たすにはこの店のボリュームでなければならないのだ。成人病と言うのはこういう精神の弱さからじわじわと煩ってゆくものだとおもいつつも決別出来ないですね。
10月11日(木曜日)
八戸へ
前回は6時間も要したが、今回は会議の時間に遅れるわけにはいかない。それでカーナビは4時間半で到着するので安心だと言っているが、6時間の余裕をみて出発した。道中の天候は雨。スピードも出しにくい。最近高速道路で目に付くのは、車間距離を取らずにぴったりと前の車に張り付く仕草だ。もし何かあれば大事故だが、これが結構多い。しかも、そうされると前を行くドライバーはすぐに左車線に車を寄せて、ぴったりくっついた車を追い抜かせる。それは結構なことだが、左車線に車を寄せるとき、左車線の車を無視していきなり車線を変更してくるものだから、左車線を走っている私はブレーキを踏まなくてはならなくなる。こうした、幼稚なドライバーが増えたと言うことは、当然事故も増えると言うこと。もう運転マナー云々する時代ではないのだ。そして、もうすぐ雪がやってくる。運転マナーの悪さは雪が降っても変わらないだろう。雪道の運転は大変だと皆さん言われるが、自分が注意を払うとともに、人の運転にも注意を払わなければならなくなる。
10月10日(水曜日)
天候が不順だ。晴れてくれれば自転車で訪問活動できるのだが、降りそうで降らない天候が一番困る。昨日は川縁で彼岸花を見つけた。北の地ではこの花は咲かないと思っていたのだが、そうでもなかった。昼間の気温は十分に高いので、南国の草花も結構生息出来るかも知れない。昼食に東北一園でひろがりつつある和風レストラン「まるまつ」で昼飯を食べることが多い。たまたか昼時にこの店の前を通りかかる機会が多いこともある。ここは399円で昼食ができるメニューがある。499円出せば更に豪華な食事となる。しかもメインが魚なのでヘルシーなのだ。近所のおばあさんまでが団体で利用しに来る。量も結構多いがおばあさん達は一生懸命に食べて平らげている。今日は車での移動なので、食ってはいけないのだが、あのおばあさん達同様に私も平らげてしまう。この余計な食事分はどこかで発散しなければならないのだが。
10月9日(火曜日)
今週の前半は仙台で商談があるために、前半は遠くの出張はない。空いた時間は近くを開発するのだ。この開発という大変な仕事は、別名人格破壊と呼んでも良い程過酷なもの。しかしもう半年も続けられている。孤立無援で仙台にぽつんと一人生きている。私って結構タフな人だったんだ。寝ても覚めても毎日一人。そして毎日違う人と接する。少しでも共通する話題があれば、出来るだけそれをネタに引っ張る。そうして一日が過ぎ去るのを待っている。帰ればその日の出来事をレポーに書き込む、大きな商談は録音テープを文字に起こすので1時間はたっぷりかかる。床につくまでの数十分はPSPで音楽を聴いて過ごす。毎日の楽しみはない。そして、今月は土日も仕事で休みはない。やけを起こして酒でも飲みたくなるが、ここはぐっと我慢して出金をおさえようとすれば、更に不満は溜まる。でも、耐えかねて爆発でもすれば大変だ。いやいや後からやってくる幸せの時間のためにと考えることにしている。こうして一日が終わる。
10月8日(月曜日)

知らなかったが、今日は世間は休日なのだ。だが私はここ八戸から帰る仕事があり、更に向こうでは事務処理が待っているのだ。この6時間の移動時間をどうすればよいのか?実は用意したものがある、先日放映された「ものまね紅白歌合戦」、4時間ものをDVDに録画してきたのだ。まずは6時に起きて7時まで散歩。ジャンパーを羽織ったが手がかじかんだ。新聞を見ればこの秋一番の冷え込み。たぶん10度くらいだったのだろう。だが太陽は強く、瞬く間に気温は上昇する。八戸から盛岡まで2時間。いよいよものまね番組も隠し球が登場し始める。運転よりもTV番組に気を取られそうになる。とにかく一番遅いトラックを見つけて、それにぴったりとついて行くこと。80kmで走るトラックは追い抜きはしないし、急ブレーキもなく安心だ。と言うわけで、少し前、車で音楽を聴きながら移動すれば良いことを覚え、それには録音した音楽よりも、録画した音楽番組が最適であることを知った。録画した番組はロック、演歌、日本のポップス、クラシックと多彩だ。
<岩手山SAで岩手山を望む>
10月7日(日曜日)

今日は展示会。ヤマダ電機の店舗を使っての展示会。6月に別の場所での経験がある。ヤマダ電機はどの店も仕組みや店舗レイアウトが同じなので、場所が違えど違和感はない。このような標準化は徹底されてますね。さて展示会。お客様と直接はなす事もあるのだが、果たして言葉が通じるのか?それが、八戸は意外とわかりやすい言葉を使うのだ。青森や弘前のひどい言葉とは雲泥の差。修学旅行に行くと言う小学6年生の女の子にデジカメの紹介をしてLUMIXを買ってもらった。現役の頃と品番が同じだったし、デジカメは海外でも同じ品番だったので、融通はきいたのだ。この参加店様の奥様は割と綺麗な人なのだが、大体において綺麗な人ほど料理はまずい定説通り、お弁当を持ってくださったのだが、まぁ無理して食ったと言うかんじだったのだ。しかし、その心意気には感謝だ。こんなお店は今までに無かったのだから。そして夕刻を迎え、まずまずの成果で展示会を終えた。この展示会は準備や片付けが簡単で15分もあれば完了だ。午後8時にはホテルの近くの居酒屋でお酒を飲んでいた。
<左右衛門さん名物のだし巻き卵>
10月6日(土曜日)
ここまで来れば情けなくなるより、怖い

万全に準備を整えて出てきたのだが、何とカードの入った財布、携帯電話一式を家に忘れてきている。財布だけは持っていたが、手持ちのお金がない。忘れ物が多いので、家の玄関にはチェックリストを作成して毎日チェックしているのだが、今回はチェックリストを見るのさえ忘れていたのだ。もう何を信じて良いのか解らなくなる。その少し前に、大事なポケットメモが無いので大騒ぎしたのだが、これは重要なので最初にワイシャツのポケットに入れたのだ。それを忘れて、このメモを普段置きそうな場所をくまなく捜すという愚かな行為をしてしまった。さて、今日は青森市で会議なので、少し寄り道をして青森市に行くことにした。寄り道は八甲田山だ。高倉健さんの映画で有名だ。1時間程度で行く。途中黒川市に入り上り坂になると、リンゴ直売所があった。リンゴ一箱2,500円。お金がないとはいえ、このチャンスは2度とないので思い切って買った。農家のおばさんに尋ねた。リンゴの収穫のない時は何をしているのですか?すると農作業の大変さを語ってくれた。特に枝に付いた雪を下ろす作業。ところが今年は雪が多く、下に積もった雪で雪下ろしが出来なくなり、下の方の枝はほとんどが折れてしまったとか。リンゴの花を間引く作業も大変だと言う。リンゴは梨と違って上に伸びているから、それは理解できる。それに農薬の散布。今は農薬が薄いので7回もの散布をしなければならないと言う。でも、それを一つかじると、その全ての苦労が報われるような見事な味だった。(こいうこともあろうかと、果物ナイフは車に常備しているのだ)そこから上ること30分。見事な渓谷に出くわし、これをまたぐ大きな橋がある。そこで車を止めてしばし撮影。曇り空。風は冷たくシャツ一枚では厳しい。もう紅葉が進んでいて、太陽光がないためこの艶やかさを写真に残せないのが残念。登山道の手前で再び車を止めて、湯気のでる池の周りで、カエデの赤をカメラの設定をいじりながら撮影した。寒くて、冬を感じてたら、いきなり雨。標高の高い山での雨は容赦なく、視界は数メートル。土砂崩れなどに遭遇してはまずいと、一目散に下山した。下界は薄日が差していた。青森駅で仲間と落ち合い、打ち合わせ会議。ついでにお金も借りる。ここから八戸までどのくらい?「1時間半」それを頼りに、既に八戸入りしている名古屋からのメンバーに到着時間を知らせる。しかし、カーナビが示したとおり、2時間半かかってしまった。
10月5日(金曜日)
午前中仕事をして、自宅に帰り事後処理と、手配を行えばもう午後3時。あわてて自宅を飛び出した。今日はなんとしてでも弘前まで行くつもりだ。400kmを走破するには私の腕だと優に5時間は必要なのだ。仙台南インターに向かう途中に郵便局がある。ここで先ほど作成した書類を投函。この業界に入って良く、郵便局を利用するようになった。コストを考えると公共機関にたどり着く。高速道路に乗ると、たたちまち大きな睡魔。最初のパーキングで15分の爆睡をして再び運転。頭すっきり。DVDの視聴にも熱が入る。辻伸行が、トルコから招待を受け、そこでモーツァルトの「トルコ行進曲」を演奏する番組だ。日本人らしい脚色のない精緻な演奏を繰り広げた。ヨーロッパ系の演奏は食べ物の生なのかどうか不明だが、音にキャラクターが乗る。そのキャラクターが心地よいのですが、そうでない方もいる。真っ暗な道をドライブしていて思い出したのは、先日自転車で駆け抜けた海岸沿いの道路のこと。ここはまだ沢山の霊が漂っていて、車に人を乗せると、何時の間にやらその人が消えていたという話。一度は救急車もその方を乗せたとか。思わぬ津波に足を掬われた人が多く無念だったろうなと思いますね。音楽の話と関係ない方向に話が行ってしまったが。
10月4日(木曜日)
やはり不可能もある話
得意先のPCが壊れたので、修復に向かった。DELLのコンピューターだ。DELLのサポートを受けながらあれこれ試すが修復できない。どうやらソフトウエアの問題ではないようなのだ。こうなればDELLとしてもお手上げで、このPCの寿命だと宣言された。そこで私としては、最後の手段としてHDDに残されたデーターだけでも抜いてあげようと、SATAのドライブアダプターを買ってきて、旧PCからHDDを取り出し、データーの救出を試みたのだが、どうもHDDを認識してくれないのだ。これは接続するもう一つのPCに
問題があるかもしれないと思い、HDDをお借りして自宅のPCで同じ作業を行った結果、どうやら原因は旧PC本体ではなく、HDDのI/Oにあることが判明した。ここまでくれば、私の持つスキルでは難しく、専門業者に依頼することになる。その費用はなんと14万円。私に知識があればこの費用が無料になるのだが、残念かな私には不可能だ。得意先にはこの原因をご説明して断念していただいた。と言うわけで、今まで培ったパソコンマニアのスキルも活かしての営業活動を展開している。
10月3日(水曜日)
新人の発掘
音楽のプロジューサーでもなんでもないのだが、最近の若い歌手たちから、応援をする歌手を見つけるために、この夏の音楽イベントを録画したDVDを移動の車の中で聞いている。私の情報網がさび付いているらしく、このイベントで歌う歌手たちの名前は全員が知らないアーティストばかりだった。そして、同様に音楽も全くなじみのない違和感満載の楽曲ばかりだった。「サマーソニック2011」では、延々4時間見知らぬ音楽と付き合った。私の感性に合わないが、彼らの音楽はミリオンヒットに達してない。世間も彼らの音楽がつまらんと評価しているかもしれない。唯一、「さかいゆう」のみ、応援しようと思った。彼は春から着目していて、今回のDVDでもやはり引っかかってきた。君との僕の挽歌♪How is going♪ と切なく歌うシーンは耳に残る。高知県出身だというのを差し置いてもいい曲だ。福島県で仕事終えて帰るときも、DVDから何かもう一人発掘できないものかと、時速80qの低速運転で耳を澄ましたが成果はない。
10月2日(火曜日)
山形県に向かった。得意先との展示会の打ち合わせだ。4人の観客の前で一席ぶった。私の到着を待っててくれて話を聞いてくれる。こういう時、結構生きがいを感じますね。その後、天童市巡回を行った。任天堂は娯楽の範疇を大きくとらまえて、花札の商売からゲームに移行して成長した。一方、天童市の企業さんは木工と言う範疇で物事を考えてしまった。山形県天童市と言えば泣く子も黙る「将棋」の本場。しかし将棋だけでは心もとないと、「こけし」にも手を出した。いずれも世の中の流れを捕まえられず衰退した。その結果かどうかは不明だが、天童市を歩いても活気は感じられず、さびれた町のイメージが付きまとう静かな町だった。そして山形と言えば「そば」。老舗の蕎麦屋さんに足を運んだら、おつゆがどうも。という感じでおいしくいただけなかった。ご主人がそばを打っているわけでなく、主婦のパートさんが給仕をする店に成り果てていた。この町は徒歩で訪問した。普段なら自転車を持ってきて、効率よく巡回するのだが、今回は生憎の雨で断念した。夕刻5時に仕事を切り上げて福島に向かって移動した。福島のホテルで午後9時まで本日のまとめのレポートを書いて一応本日の活動を終えた。
10月1日(月曜日)
深い理解なしに生きてきたのだ
どうやら、自分の見ている世界、自分に聞こえる音の世界、それは普遍的な世界ではなく、自分が理解できる範囲での世界しか見えないものだと、遅まきながら気が付いた。たとえば映画を見たとしますね。主人公がこう話したのだが、私はそれを肯定的にとらえ、ある人は悲観的にとらえるかもしれない。そして、私の場合その理解がどうやら普通の人とは違った方向で理解をする場合が多いようだ。日常の商談でも、有力なお客様だと思っていたのに、実はそうでなかった。という事例は毎日感じている。そこで、商談内容の会話を丸録して聞き直しているのだが、聞き違い、聞き漏れではなく、どうも何度聞き直しても、理解が変わらないのだ。これは、今まで生きてきた経験に由来するもの、性格に由来するものではないかと思い始めたのだ。それを突き詰めれは、自分というのは実にいい加減に生きてきたのかということがわかりますね。残念だが仕方ない。今日の活動は若林の海岸方向にたまたま出くわしてしまった。家屋はのこっているものの、人が住んでいる気配はない。帰りも、この海岸線に沿って名取川まで向かい、そこから川の堤を上って家路についた。途中、東の方から中秋の名月の一日遅れを見ることができた。風は少し冷たいが、鈴虫が鳴き秋真っ盛りという感じだ。
9月30日(日曜日)

いよいよ台風がやってくる。高知の友人にメールを送ったが、波の消息がやってこない。コチラは少しでも台風を感じたくて、広瀬川の河口に向かった。ここは遠浅の海で、サーフィンに最適な波がやってきている程度の波だ。太陽はぎらつくし、一向に台風の気配はない。10時過ぎに得意先からPCが動かないと電話。近くなので訪問するも、これまたOSが壊れ修復できない。デルコンピューターに電話するも、日曜日は営業してないとの返事。静かな日曜日だ。今日もPSPで音楽を聴きながら過ごそう。台風の来る前にプール。高知の父に電話をすれば、台風と言わなければ解らない小雨が降る程度とのこと。
<高知の波に比べれば、迫力のない台風の波>
9月29日(土曜日)
PCのOSは頻繁にアップデイトを行うので困っていたが、今日はそのアップデイト中に電源が切れて、OSが一切立ち上がらなくなってしまった。その修復に半日を要してしまった。デジタル機器の恩恵に属しているものの、ひとたびデジタルが反旗を翻せば、大変な被害を被ることを経験した。とは言うものの昨日の音楽体験の感動は忘れがたく、早速レンタル屋さんに向かいCDを借りてきて、インストールしてPSPで聞くことに。一日でも音楽を聴き続けていたい誘惑に駆られますが、何度かお得意先から電話があり対応せねばならず、ゆっくり休むわけにはいかないのである。このようにして休日はあっという間に過ぎてしまい、酒を飲む暇もなく睡魔がやってきて寝てしまった。
9月28日(金曜日)
ひさしぶりに感動した話
PSPを買った。32GBのメモリーを含み20,000円。DVDの映画を見るのと音楽を聴くのと2つの目的のためだ。まずは映画。これは、480×240の解像度では余りにも不足で断念。次に音楽。MP3,ATACKの他にAACが対応している。AACはアップル規格だ。再生音は少し低音不足。そこで手持ちの低音が得意なBose社のノイズキャンセルヘッドフォンQC3を取り出してきて聞けば、実にバランスの良い音を出すのです。PS3は映像や音質の良いことがHIVIで掲載されていたのですが、PSPも音だけは結構頑張っているのです。これはメモリーが交換できるため、記録出来る音楽は無限大にあるわけで、iPoneの64Gのメモリーでは心許ないと思っていただけに朗報でありました。早速このメモリーに手持ちの音楽をドラッグしましたね。とりわけ、静かな場所でしか聞けないクラシック音楽が、ノイズキャンセルで聴けるようになり、持ち出す音楽に制限が無くなりましたね。ホントに嬉しいことだ。来週から11月中頃まで休みが無くなる。出先で音楽が欲しくなったときに、これで十分間に合う。
9月27日(木曜日)

朝、米沢から帰ってきた。着替えを済ませ、市内で開催している商品研修会に参加した。今日はシャープさんのAV研修会だ。昔私が精魂込めて立ち上げた研修会チームのことを思い出した。AVと言うのはほんと専門用語の羅列で聞いている方がこんな子と言っても良いのかなと、はらはらしてしまった。その後黒川郡へ。国道4号線を北に向かって進むこと1時間。成果は無し。紹介してくれた人に、その結果を伝え再び市内の新規加盟店様にPCの接続設定に向かう。説明もなにもかも終えたのが午後8時。西から東、東から北へ。今日も良く動いた。広瀬川にかかる橋の手前の交差点で信号待ちとなった。いい匂いが流れてくる居酒屋さんがあり、覗いてみればなかなかいい雰囲気だ。自転車を止め、荷物をほどきここで夕食と決めた。まずはビールを飲みながら、報告書をiPadで作成する。そのうちに若い兄ちゃんが注文を取りに来た。と言うよりか、これを注文しろと。「大将のおすすめ」1,000円。これがこの店のしきたりなので、それを注文する。報告書作成はしばらくかかって終えたあと、大将のおすすめをいただいた。ボリュームあり、刺身ありでかなり無理した価格だった。震災以降この大将は無理してこのメニューを提供し続けているとのことだった。どこから来たのかと聞かれたので、大阪だと応えると、この店は阪神ファンの店だといい、後ろで騒いでいる5人ほどの関西人を紹介してくれた。阪神のユニフォームも見せてもらった。と、言うことで、この店なかなか楽しい店でありまして、価格もリーズナブル。仙台に一つ拠点が出来たようなうれしさだった。だが、この店の雰囲気は女は決して来ない。
<米沢は稲刈りも終わり冬を迎えようとしている>
9月26日(水曜日)

朝起きれば一面の霧。近隣を散歩した。少し寒いが我慢できる程。幹線道路に近いが、一歩筋を入れば静閑な住宅地だ。家屋は広く庭には野菜が植わり、豊かな生活が伺える。だが、それは一年の2/3。1/3は深い雪と、強い風に覆われる。まぁその厳しさがあるから、豊かな自然が見えるってことかも知れないが。午前中の訪問先は企業さんで、伺うと全員が起立して、いらっしゃいませ。この儀式は細川政権下でよくやったな。皆さんにどうぞ、ご着席してくださいとお願いした。ここを終え、次の約束までに1時間。トイレ休憩のコンビニを探していると、旧家の広い敷地が見えてきた。駐車場もあり、ちょっと高価なトイレを借用した(致道博物館)。トイレ休憩のついでに、静かな庭園に椅子もあり、ここで書類を広げて事務処理だ。昼時間の面談は加盟店様。この方の親類の店でパスタをご馳走になった。先客が居て、白バイのお巡りさんだった。ここは隠れた美味しいレストランだったのだ。次の訪問先は120km先の米沢市。高速道路を飛ばしても2時間はかかる。月山の峠を越えるので時間もかかる。ここは駐車場がないので、近くの道路に停めたのだが、商談を終えて車の所に帰れば、何と車がない。川沿いの道路だから間違いないはずだが。物忘れが激しくなっているので自信がないのだが。暫くこの川沿いに沿って暗い道を歩いた。車のシルエットが見えれば、キーを押してみる。という事で15分ばかりクルマ探しに手間取った。今日は更にもう一つ仕事が残っていて、これを終えればすっかり夕食時を過ぎていた。これでカーナビ頼りに福島までの峠越えの自信はない。高畠にJRの経営するホテルがあり予約した。食事は近くのスーパで買った惣菜とビール。まずは、駅中にある温泉へ。ホテル客も近隣の住民も利用している温泉銭湯だ。ちょっとおもしろいのは、ホテルの浴衣を着て、駅の待合室を横切るので変な感じだ。ここにはサウナまであり、すっかり疲れを落とした。流した汗の量だけビールが美味かった。
<鶴岡市にある博物館>
9月25日(火曜日)
まだまだ働かねば

定年後のお金についての話。前に書いたも知れないが。まずは、毎月25日を目処に千葉で生活する家族に30万円振り込んでいる。(家族からは何の感謝も無いのだが)それでいて、僕の給料は25万円。これで差し引き5万円の赤字だ。更にこちらの生活費は10万円必要だ。実に単純だが、毎月15万円蓄えが減って行く事になっている。この生活を4年間続けたら、最後に残る持ち金が100万円と少し。その頃には年金が貰えるとは言え、些か心許ない残金である。病気で倒ればそれで終わりなのだ。一方でこの頃ちょっと汚ない話だが、尿が物凄く臭う時がある。前は疲れている時だと認識してたが、そうでない時にもある。もしもの事があってはと、病院を訪ねた。スケジュールの関係で福島県は西会津町。商談の合間に食事を挟んで2時間の余裕があったので、西会津の診療所で検査してもらった。「掃き溜めに鶴」と言うたとえ話があるが、ここの看護師に、こんな田舎の診療所に似合わない物凄い美人がいたのだ。背が高く、顔が小さく目が大きく。モデルでも食って行けそうなレベル。この人がまず問診票を書くのだ。僕はウットリと眺めていましたね。元に戻るが検査の結果は問題なしとの事だった。もっと過激な仕事をしても良いとの診断結果だった。取り敢えず一安心。収支は心細いが、働ける安堵感を得た。午後一の商談を終えて、磐越道を西に向かって走った。新潟県を通過して山形県へ4時間の行程。谷村新司の40周年記念コンサートの録画を聴きながら。一本筋の通った男の生き方は感動を呼びます。フラフラしている男からみれば。
<日本海を疾走する特急列車。この右側に佐渡島が見える>
9月24日(月曜日)
分水嶺
毎日毎日違う人と会って商談を行う。誰も知った人はいない。仙台に一人で赴任をして、ここに根を張り仲間の増殖を図るのだ。月に一度報告に名古屋に行く。月に一度仲間と懇親できる。誠に「ようやるわ!」って感じだ。本人が言っては身も蓋もないが。そして半年がすぎた。人間不信に陥いるかと思えば、「拾う神あり!」で、この世も捨てもんではないと思う事もある。しかし、なんですな、人間関係には分水嶺ってものがありまして、山の向こうとこちらとでは、人間の反応が180度違ますね。具体的に話そう。私の加盟開発の基本は飛び込みだ。飛び込みは当然ながら相手にも警戒感がある。その障壁を乗り越えようとすれば、物凄い抵抗のパワーを感じる。人間不信に陥る程の落ち込む。だが、ひとたび加盟いただき、その山さえ越えればこちらは感謝される立場となる。まるで旧知の友人に久しぶりに会った時のように。その境目は、一体どこにあるのだろうか?ズバリ、「知り合いか否か」だろう。ホントは「損か得か」かも知れないがそこまでは言うまい。人は、知っている人ならば警戒心を緩め、知らない人なら敵対心を強める。中間は存在しないのだ。それで、毎日気分は、ジェットコースターなのだ。そして、それに耐えていられるのが不思議だ。人生の分水嶺を越したから、変なこだわりがなくなったのかな。
9月22日(土曜日)
8時まで寝てしまった。ずいぶんとお疲れの様子だ。風呂に入ってエアコンで火照りを冷ます日常だったのに、昨晩は風呂から上がると凍えるような寒さを感じた。温度計では24度を示していた。それでエアコンを使わないで寝たので快適に寝過ごすことが出来たのだろう。体が綿のようだ。久しぶりにゆっくりと新聞を見る。アメリカの新聞はiPhone5の記事が多い。これは一つの文化だろうからマスコミも取り上げる。そして地図の評価が非常に悪い。昼から再びぐったりしてきて昼寝をすれば起きあがれないほど体がだるい。900kmの移動は体への負担が大きかったのだ。だが布団の中でだらだら過ごすのも体に悪いだろうと、老体にむち打ってプールにでかければ、割と早く泳げるではないか。2kmを泳ぎ切り上げたのが午後7時。録りためた映画を1本見ようと予定してたが、目が開かなくなり、朦朧としてきてダウン。
9月21日(金曜日)

今日は青森県むつ市。車では到底往復出来ない。新幹線に乗って、レンタカーを借りてやっとアクセス出来る所。仙台から450km。新幹線七戸十和田下車。ここまで新幹線だと2時間だ。ここでダイハツムーブを借りて北へ。陸奥湾を左に眺めながらの移動。陸奥湾は意外と水が汚れているのでがっかり。むつ市を通り抜けて、津軽海峡へ。流れ流れて♪北の涯てまで来ました。海岸が見えるところで車を止めて波打ち際まで歩く。掘っ立て小屋がありそこに青森のノレンが掛かってあったので写真を撮ると、中から大きな罵声が。中に人がいたのだ。手を振ってスマヌと謝る仕草をした。しばらくの間津軽海峡を眺め、引き返そうとすると先程の罵声の主があらわれた。割と若い人だ。もう一度謝った。話せば解る。快く写真の件は流してくれた。「漁師ですか?」「昔はね」「どうしてやめたの?」「魚が取れなくなったし、原発の影響もある」「福島の原発の影響?」「いいや、むつ市の原子力船のこと」。「風評被害で魚が売れなくなった。それに、魚もへった」ここにも原子力関係の被害者がいた。大間への街道筋は火が消えたようにひっそりと静まっていた。じじばばしかいない中に、肝心の漁業が大不振に陥ったのだ。この荒廃ぶりは半端じゃない。その上厳しい寒さがある土地だけに人々は身を縮めるしかないだろう。しかし訪問した得意先は一転しえらい元気。まずはイカを食べに行こう。近くの魚料理店へ。透明なイカを丸一匹料理。この食感は、「九州の呼子のイカ」とはまた違う。イカの塩辛。イカの握り寿司など豪華イカづくしの昼食を頂く。ここで水揚げされるイカは氷に詰めて築地へ出荷されるが、一日置けばイカは白くなるとのこと。この仕事にはいいこともたまにはあるのだ。帰りむつ市で仕事をし、少し時間があったので恐山に向かおうとしたが、どうやらこの山は背の高い山では無く、参拝がメインの山のようで、これは駐車場を含めて嫌な気分をたっぷりと味わえる場所だと推測し断念した。289号線は高速道路のように80km走行で、予定の時刻よりも大幅に時間短縮。仙台に午後7時25分着。iPhoneの予約ぶりを確認して帰途についた。
9月20日(木曜日)
老舗のガス屋さんの社長とお会いした。ずいぶんとご年配であるが、実にわかりやすい話をされる方で、ガス屋の経営の仕組みについても触れられた。小規模企業というのはこういう形で経営が成り立っているんだ。よく解りました。毎日違う人との接触なので、一瞬でその人の感触を掴む感覚はどうしても研ぎ澄まされてくる。しかしそれだけでは心許ないので毎回会話は録音して、自分が相手の要求に的確に答えられているのか?チェックする。結構電子機器のお世話になっているのだ。記録はMP3 256kbps。重要な話は、PCに保管する。午後は新規加盟して頂いた宅でPC設定。今度は、PCソフトのダウンロードの間に、震災後のリフォーム業界の話を聞かせて頂く。世の中は不況だが、儲かっている人たちもいるのだ。これで、本日の重要な仕事は終えた。夕刻までの3時間は、仙台市の宮城野区の名簿に基づき訪問。だが、この不況の中、尋ねる先は倒産か廃業で該当住所に痕跡がない。これが平均的な日本の実態だろう。日銀は秋以降に薄日が射すと期待感をただよわせるが、それはグローバル企業の事で、末端の市場は仄かな明かりさえも見えない。格差社会の到来と言うには余りにも露骨な状況に日本は陥りつつある。しかも身を守るには投資をしない事が一番なのだ。今日は自転車で動いたため、エネルギー枯渇で早々にダウン。
9月19日(水曜日)
突然だが、今日の予定がキャンセルとなった。一方で本社からは、債権を放棄せざるを得ない得意先の情報が届き、その処理に向かわざるを得ない状況が発生した。色んな出来事が毎日展開されるので、こんなことをプレッシャーと感じてては立ち行かないのであるのだが。今にも雨が振り出しそうな暗い天候の中、つらい商談を行った。帰りは、「矢沢永吉のROCK」を録画したDVDを大音量でかけた。今まで矢沢の音楽は一切受け付けなかったが、今日は実にすんなりと耳に届き、気持ちが良かった。矢沢の音楽はドライブにこれほどマッチするものとは思わなかった。食わず嫌いだったのだ。大発見である。家に帰り今回の報告のメールのあと、プールで嫌な気分を流し落とせば、疲れで早々に寝込んでしまった。これでいいのだ。
9月18日(火曜日)

朝起きると一面の霧、窓を開けたまま寝たので部屋の中まで霧が立ち込めていた。裏山だと思った茂みは、川の岸辺に生える草木で、目の前には只見川が横たわっている。福島県は昨年津波、原発の被害を受けたことは周知の事実だが、100年に一度の豪雨もまたこの県に大きな被害をもたらし、只見線は寸断され復旧のめどは立ってない。早朝散歩で出会った老婆は、会津川口駅まで振替のバスで移動をすると言われた。何処から来たのか聞かれたので「仙台」だと答えると、「仙台も雨の被害はあったのか?」と聞かれた。ここの人々にとっては地震よりも豪雨が話題の中心なのだ。だが国は、しっかりと原発の痕跡をここにも残してある。それは、大きな看板があり、「この川で釣れる魚は、調査の結果、100ベクシルを超える放射能が検出されたので、釣りを禁止します」と。福島市から180km離れた山奥でも放射能はきちんとばら撒かれているというのが分かりましたね。昨晩食ったヤマメの焼き魚はどうだんだろう?今日の商談は須賀川市、只見からは山の道を縫って幹線に出れば須賀川市なので、会津若松まで引き返して高速道路をぶっ飛ばすのを避けて山道を選択した。ソフトバンクの携帯は圏外で、しばしの間息抜きができた。昼からの商談相手は、見るからに頭の良さそうな女性だった。男性社会のインドでも何度かこんな雰囲気を持っている婦人と商談した。それから次の商談までの2時間ばかりの空白時間は、車の中で電話応対と、PCでのメール処理を行った。車があり、そこから100V電源を確保できれば、この狭い空間だって立派なオフィスに変わる。モバイルルーターは自前とは言え、世の中はこんなに進化した。会社から配布される膨大な資料一式はスキャナーで時系列ごとにファイルされ、iPadに保存してあるので、これまた事務所のファイルキャビネットの必要がない。もう一件の商談は夜から始まった。商談の後、雪道の運転についての心構えを教えていただいた。ポンピングブレーキは必須だとのこと。マニュアルシフト車では経験があるもののオートマでは自信がない。夜遅くまでお付き合い下さりご苦労な事だ。しかし、私はここから120kmばかり北方の仙台まで1時間45分を要して帰らなければならない。ニッポン放送「昭和の歌人」の録画DVDを聴きながら運転した。暗い東北の夜道には演歌がよく似合う。
<福島の風景は3色>
9月17日(月曜日)

今日が休日だとわかっていたら、仕事なんか入れなかったんだが、生憎とiPadのカレンダーはその表示がなく、びっしりのスケジュールを入れ込んでしまった。朝6時45分
福島県白河市に向けて出発した。Googleマップでは3時間の表示だ。平均120kmで走行し、少しでも余裕を取ろうとすれば、何と2時間で到着してしまった。ちょっと飛ばしすぎかな。約束した先方様には早すぎるが、電話でどうかと伺えば、OKだと快諾。それだけ早く終えることができ、次の約束は30分遅刻だったものが、ピッタリの時間に到着。こんな長い距離を走って、5分以内に収めるとは大したもんだ。さて、今日の一件目はSONYの店だ。インドではずいぶんとSONYのブランドショップを見てきた。インドでは店頭POPは必要ないと元居た会社は言うが、SONYのブランドショップはPOPを多用し、展示が非常にキレイであった。そのためかどうか不明だが、SONYは元居た会社の3倍ほどの売り上げがあった。そのインドの店を彷彿とさせるような展示が、この田舎の店にあり大変懐かしい思いをした。今日の最後の訪問は只見。福島から高速を使い会津坂下(あいづばんげ)から只見川を遡る190Kmの行程だ。この川は可哀そうだ。川として水が流れる所がないのだ。ダムが連続して設置されているのだ。そのため綺麗な川沿いの風景が全滅なのだ。わが国は美しい風景を汚すことにかけては天才的な能力を発揮している。そして、昨年の豪雨で壊滅的な被害を出したのだ。何のためのダムだったのか?頭をひねる。商談を終えたのが、午後7時。会津若松まで戻れば都会風のビジネスホテルがあるが、この川沿いの真っ暗な夜道を走るのは些か自信がない。(それ程酷い道で、トンネルの中で直角に曲がる所もあるのだ)そこで、只見町にある旅館(逢川屋)を予約した。それが何と拾い物で、愛想の良い女将さんの応対で、8畳の和室。森に面した窓を開けて、虫の声を聞きながらの天然クーラー。そして極め付きは、食事。檜枝岐で仲間と宿泊した民宿があったが、そこに負けずと劣らぬ量と内容が供されたのだ。ただ残念かな、今回は一人。iPadに取り込んだ書籍を見ながら食事を頂いた。ここは雪の深い地区で、11月を過ぎれば僕の運転では来れなくなるだろう。
9月16日(日曜日)
昨日の水泳でずいぶんエネルギーを使ったので、9時過ぎには起きていられなくなり、酒も飲まず寝てしまった。朝も7時前まで寝てしまう。60のおじさんが20歳そこそこの若い人と張り合ってどうするのだとは思うのですが、ついついエキサイトするのですね。今週合った飛行機を撮影する兄ちゃんの作品を見ようとYouTubeで検索すれば、どういう訳か航空機関連の映像に関連する映像が動物同士の戦いの映像にリンクされて、蛇とマングースの映像に釘付けになってしまった。世の中では、デジカメとムービーとでは圧倒的にデジカメが売れているが、見て楽しいのは動画だ。YouTubeはキリがないほど映像がある。TV番組が無くてもいっこうにかまわない。私も相当録りためたので、いつか公開したいと思っている。しかし、いかに笑いを誘うか?が無ければ見てくれない。その工夫がテーマなり見せ方に必要だと思う。
9月15日(土曜日)
今日も仕事、10月になれば休日は無くなるので、休める内に休んでおこうと思ったのだが、どうやら、先方の都合で今日の午前中の仕事となった。場所は名取市、自転車で出かけた。仙台は東北の中出一番涼しい土地だが、それでも自転車を漕いでいれば汗がにじみ出てくる。仕事そのものは2時間程度で終えたが、暑さしのぎのために、近くのマクドナルドで1時間ほどクーリング。iPadに入れた本を読んだ。僅か数百グラムの重量の中に、書籍が80冊ほど収録されている。生活の一部である。帰ってからは、旅費清算、勤怠の報告等、訪問の約束の電話とか、これまた仕事を続け、結局5時過ぎに仕事を終えて解放された。プールで気持ちよく泳いでいると、ずっと後を付けてくる人に気づいた。色の白い女であることが分かったが、2m程度後を付けてくるのは余り気持ちの良いものではない。いくらい速度を上げてもついてくる。それも平泳ぎだ。大概1kmくらいで振り切れるのだが、今回のはしつこい。2kmで一旦やり過ごして、私も平泳ぎに切り替えて再びゆっくりと泳いだ。後でこの女性に話をすれば、「平泳ぎしか出来ないのですよ」とこぼしていた。次回は出来れば立場を変えて私が後ろをついて行きたい。大きく広げた股を目の前で眺めながら泳ぐのは楽しいかも知れない。
9月14日(金曜日)

酒を飲めば忘れ物が激しくなるので昨日もビール2杯で我慢した。ところが、今朝起きるとメガネがない。仕方なくキッパリと晴れ渡った秋空の下、ぼんやりとしか見えない景色だが散歩に出かけた。周りはすっかり黄色く色づいた稲穂が広がり、遠くの山はあくまでも緑で、空は青く、このコントラストはどう表現すれば良いのか分からない。ソニーのコンパクトデジカメしか持ってきてないのが悔やまれる。昨日はiPhone5が発表されたが、ニコンからもD600一眼レフが発表され、この仕事を終えるとキャノン5Dmk3を買って余生を楽しもうと思っていたが、多いに悩ませる情報が届いた。そして一方では、東北にいる内にこの壮大な景色を納めなければと切迫感がある。とりあえずパナのLX7でも何か買おうか?今日は仲間と秋田県の能代市に向かった。大館から秋田に入る。この道には、地中から風が吹き上げてくる洞窟があるので、休憩がてら立ち寄れば、何と18度の風が吹いてくる。秋田県でもこのところ32度くらいの猛暑が続いているので、この風は誠に気持ちが良かった。日本海に位置する能代を訪れるのは始めて。こ仕事は辛いが時々知らない土地を訪問できる楽しみもある。昼食は帰り道の大館で比内鶏の店で親子丼を頂く。東京なんかでは、秋田の比内鶏を使った焼鳥屋さんがあるが、本物の地鶏かどうか?しかし、ここは本場の地元の比内鶏の店。何と1,200円の本格派の価格だ。普通親子丼は玉ねぎが含まれているが、ここは卵と肉のみの勝負。自信の程がうかがえる。濃厚な卵と、噛みしめれば確かに鶏肉だと思わせる味がにじみ出て、これを絶品と言わずして何を絶品と呼ぶのだろう?と言わす程の懐の深い味だった。量はそんなに多くはないが、十分1,200円の価値を納得させられる。次回半額券を頂いたのだが?仙台に帰り着いたのが、午後6時。ヨドバシカメラでiPhone5の予約状況を確認。そんなに混雑してない。最寄りの長町で下車。簡単な食事をとろうと入った居酒屋はまるで詐欺のような店で(ビール1杯198円だと書いてあるので誘われたが、小さな紙コップにビールが注がれていた。お通しだと出された枝豆は、黒ずんで固く、もう何日も解答しては、冷凍したようなものが、紙皿にのっかり、これが350円だった。びっくりして退散し540円の出費で押さえることが出来たのだが)今日一日のいい想い出が消し飛んでしまった。
9月13日(木曜日)

仙台まで飛行機で帰る。5時すぎに目が覚めて、もっとゆっくりできるのにもう眠れず、空港に向かう。当然ながらここで1時間半も出発便を待つことになった。年を取れば、早めに駅について待つことが苦で無くなるのも、早く出発した理由だ。空港を散策すれば、見送りのデッキがあった。登場待合室の屋上は広く立派な運動会が開催できる程だ。この隅に若い男性が三脚を構えてビデオ撮影待ちをしていた。この兄ちゃんの籠絡はお手のもんだ。早速彼の心をくすぐる声をかける。「今、飛行機は何処にいるですか?」今では航空管制等の情報や、飛行ルートの情報は公開されているから、きっと彼もそれなりの装備をしているだろうと推測したのだ。汗だくの兄ちゃんはスマホで付近の状況を見せてくれた。彼の目的は、撮影した映像を編集して、YouTubeに掲載し、世界の人から評価を受けるのが楽しみだと教えてくれた。三重県の津市の方だった。仙台までの飛行時間は1時間10分。仙台で、早めの昼食を取り、11時半の新幹線で八戸に向かう。ここでレンタカーを借りて商談するのだ。何だが分刻みのスケジュール。北国の人々は純だから、急いでいるからと言って言葉には気をつけなければならない。関西方面の冗談は通じない。2軒の訪問を終えて次の列車の出発までに何と5分しか余裕がなかった。弘前で仲間と合流し、先ずはホテルに案内していただく。実際にはホテルではなく、保養センターだ。ここは弘前市の南部に位置する田の真ん中にある温泉旅館だ。「大望温泉」。この近辺の住人が途切れることなく入浴に来る。@250円。湯は掛け流しの新鮮なお湯が自慢だ。今週は2度温泉に浸かる。もう一人の仲間と弘前市で合流し懇親会。テーマは張り切り過ぎの私を以下に気を緩めるさせるか?でないと、死ぬぞと言うのが忠告と警告であった。それにこんなことも。もしこの仕事を辞めると、刺激がなくなり呆然として、無気力になってしまうぞ。それから、ボケ防止のお互いの対策披露に。おじさんたちはこんな感じで酒を呑むしかないのだ。
<田んぼの中に浮かび上がるネオン>
9月12日(水曜日)

朝5時半に起床、2泊3日の旅に出る。今週はずっと出張なのだ。まずは、8時15分発の飛行機で名古屋に向かう。ここで方針会議があり、全国から仲間が集まる。総勢50名。
開発部隊もこれだけの人数だと結構なパワーを感じる。昔ステレオ事業部の販売会議みたいな様相だ。九州や東京の事情を聞く。これも昔と同んなしだ。今月は期首で各地の方針を発表しなければならない。発表はいつも東北は北海道についで2番目だ。昔の課長会議では緊張したが、今は何も感じなくなっている。こんな感じで会議は5時過ぎまで続き終わった。自由な時間が有れば見込み客に電話をして訪問予約を取る。保険の外交員と同じだ。昔、保険のおばさんたちもなりふり構わず公衆電話にかじりついていたが、今は携帯電話に変わっただけで事情は同じだ。夜はここの友人と食事をする。自由に言えるのはこの友人だけだ。上社(かみやしろ)の駅前で呑んだ。その間に彼は別の人からお誘いを受けた。もう飲んでいると答えていたが、2回目の電話でこの懇親会が終わると駆けつけるという。お誘いがある時が華だと彼は自分の心情を語った。私は睡眠時間を削ってまで呑めない。つい翌日の辛さを天秤にかけてしまう打算が働く。名古屋で立派なビジネスホテル「ラウンドマーク」に宿泊すれば、浴槽に陰毛がこびりついていて、評価はガタ落ちだ。高い、汚いのではどうしようもない。
<傾いたように見える名古屋モード学園のビル>
9月11日(火曜日)

今日は福島のずっと下の方で、茨城県に近い白河市という街での商談。商談相手は結構なご年配であるにも関わらず、精力的な活動家で、人生の手本としたい方だった。それで、時間が長引いてしまい、次の訪問地は宮城県県境に近い田村市で、高速道路を飛ばしても約束の時間に間に合わない。途中のパーキングで電話をいれて、失礼を詫びたら、待っててくれるという。1時間の遅刻で商談を始めた。こう言う地方の街は高齢化と過疎化が急速にすすみ、市営の駐車場も無料開放されているが、それでも車は1台しか駐車されてない。ローコストで生活が出来るというものの、商売は結構厳しいと思われる。ここで仕事を終えたのが午後2時。例によって福島県は食事をする店がない。国道を宮城県に向かって上ること2時間。田には稲が色付き、空の青、森の緑に、田の黄色が加わり非常に綺麗な風景が左右に広がる。これで放射能がなければ最高なんですが。宮城県が近づいてきたところで幸楽苑(創業100年のラーメン屋)あり。やっと昼飯にありついた。このラーメン屋さんは、喜多方ラーメンの伝統を売打ち破り、街に出て、会社も喜多方から移したので、地元ではブーイングとのことだが、290円でラーメンが食べられるとあって、東北の地では人気上昇中。
9月10日(月曜日)
今週も濃密な計画を立てている。それで隙間時間がないと余裕を失ってしまうのではないかと、朝2時間、日中1時間、夕刻1時間の空き時間を作ったのに、みっちりと消化をしてしまい、寸刻の猶予もない状態でホテル入りした。今日と明日は福島県を訪問する計画で、移動距離が180qほどあるから、移動中の時間ロスも加わっての話だが。それにしてもこの東北の暑さは酷いもんです。特に福島県は盆地であり暑いと言われる地域だが、もう9月で、そろそろ秋風が吹いてもおかしくない季節であります。私は車のエアコンはいつも弱で済ませていたのに、今日はもう一段レベルを上げないといたたまれない状況。車の出張はほとんど歩かないので、今朝は早起きをして、自転車で1時間ほどの散歩をしてからの出勤とした。朝飯前の運動はナカナカ調子が良い。今日の面談者は相当な熱血漢の経営者で、すぐに結論を出そうとされる方だった。それで、今回は逆に私のほうが押しとどめ、この方向で問題がないか前線の営業マンにはかってくださいとお願いして退散した。世の中にはいろんな方がいるものだと思いましたね。商談を切り上げたのち、50qばかり西方にある会津若松に向かった。途中でPCを開き、ネット通信で事項の確認。いろいろできるということは、いろいろと引き受けてしまう反省でもあります。夕刻5時半にすべての業務を終えてホテルに向かった。東山温泉。チェックインの後、近辺を散歩した。山がホテルまで迫る渓谷の温泉で、車の通りが途絶えると薄暗い道を歩くのはいささか怖い。途中で、川沿いの道に出ようと、裏通りの小道をたどれば、女湯の正面に出てしまった。幸いもう暗く、入浴客たちは話に夢中になっていたので、やり過ごすことができた。このホテルは夕食付。食事の後、メール作業や、商談まとめを行っていると、9時半。温泉に来たとは言え、かなりのパワーで仕事をしているのであります。
9月8日(土曜日)

朝起きて、名取川を自転車で河口に向かった。朝の散歩に往復1時間半の自転車ツーリングはなかなか気持ちが良い。生活も安定してきたので、少しずつ自分の生活が出始めてきたのだ。その帰りに朝マック。汗で濡れたシャツが乾くまでここで粘るのだ。幸いに早朝は客が少ないから問題ない。コチラで録りためていた番組もBDディスクに落とす作業も復活した。と言うことで、いろんな僕固有の習慣を復活させている。捨てるべき生活習慣も確かにあるのですが、大概はだんだんと復活し始めていますね。そしてプライベートの生活も重くなる。
9月7日(金曜日)
加盟店様に集まってもらって会議をした。このような会議が望まれているため、ここでは初めての開催だ。販売会社が販売店を集めて、販売会議を行うようなものですね。今はどうしているのか分からないが、当方は企画、実施、運営まで一人でこなしていくので、まぁ言ってみればローコストにおいては、比較にならない安上がりです。こんなのが、結局商品の価格に反映されていたのかと思えば、納得行くわけです。今は、モバイル通信や、紙を配らなくても、プロジェクターがあり、必要な資料は全てサイトアップで対応出来ているので、このような離れ業が出来るわけであり、隔世の感を覚えますね。と言うわけで、今週の濃密な時間は終わり、夕食の時間となったわけですが、昼食が遅かった分だけ、時間が来ても腹の空き具合はそれほどでもなく、軽くビールでも飲める店を物色したのでした。そしたら、この砂押南の裏街道を通る沿線に丁度のお好み焼き屋さんがあったのです。入るといきなり、カウンターで飲んでいた、51歳のおっさんが話しかけてきたのです。僕の自転車についてです。ビールを注文するまもなくいきなりの話ですので面食らいますね。まぁ今日は、僕も話し疲れた所でもあるし聞くとしようとココロを決める。まぶたの厚い、妙な色気のある女将さんがそれでも話を割って注文を取ってくれて、ビールと冷や奴にありつくことが出来たのでした。彼は、この裏の高台に住んでいて、夏でも扇風機だけで過ごせるとのこと。冬は厳しいとして夏はなかなか快適らしい。話は飛んで「曲がりネギ」の話になった。彼はこのネギを作っているらしい。今度食べさせてあげるわと、始めて合ったとは思えないような会話に進展した。どうやらこの店、いろんなおもしろい客がいそうな気がする。
9月6日(木曜日)
余りにも多くの用件が過ぎ去っていく。それは、年齢が高くなり、このスピードに目を回しているのか、それとも若い時と比べても遙かに処理物件が多くてコチラが負担に感じているのかは不明だ。今、もし若い体と、若い頭を与えられるならば、比較ができるのだが、あいにくとこの古びた頭しか残されていない。朝一番に商談に出かけた先では、ご年配の経営者が、この先の行く末を心配されていた。天候でさえ、平年と比べてままならない時代。日本の経済を見るだけではもう片手落ちの時代だし。政治がふらついているので、先読みも出来ないのだ。ましてや一カ所にとどまって商売をしている人にとっては、余所の動きが手にとって見えないのだ。とても深い井戸の底から、空を見上げると星が見えると村上春樹が小説に書いてあった。それは魅力的だが、周りの景色が見えないのは心細いのだろう。
9月5日(水曜日)
もし、まだ若くて、このような仕事を与えられていたならば、不平不満でストレスが溜まりきっていたのだろうと思う。一人で赴任をして、毎日毎日違う人達と面談をし、しかも、多くが飛び込みの断られる話ばかりだからだ。営業も経験し、スタッフ業務も経験し、海外の孤立無援で働く人達の話を聞き、そこの中小企業と仕事をしてきた今になって、始めてこのような仕事に対する耐性が備わってきたかもしれない。だから、飛び込みでも結構ぶっちゃけた話を聞き出すこともあるのだ。今日は、電気店様でいかにして廃業をするのか?と言う、複雑な心境の話を聞かされた。自分の体力や気力の話。メーカー支援のない販売店が生きてゆくにはとか。この気力の問題に関しては僕も自信がない。どこでフゥ〜と消えてしまうかも知れないのだ。と言うことで、話に共感したり、激励したりして、話し込んでしまったのだ。銭にならない仕事でしたが。
9月4日(火曜日)

隙間の時間で、進めていた若林地区の販売店を訪問。今、住んでいる太白区の隣町なので当然ながら自転車だ。暑さはひしひしとしみこんだ。電話、メールなど、自転車は制約がないのでペダルを漕ぎながら、あるいは木陰を見つけて休憩しながら対応。そして、夕刻約束の法人様を訪問する。リフォームさんだから、靴のままでOKだ。ひとしきり商談を終えたのが5時前。まだ、時間的にはもう数件回れる余裕を残し引き上げた。空が真っ黒だったのだ。今日も濡れるわけに行かないのだ。帰ると加盟申し込みの用紙がFAXで届き、しばしこの申請書作成に専念した。
<近場の朝の散歩>
9月3日(月曜日)
今週はスケジュールをみっちり組み込んだので、濃厚な時間を過ごすこととなるはずだ。連絡や打ち合わせ、調整、決済などを済まして、このたび新規加盟された法人様に出向いた。いろんな得意先を訪問するが、一つ共通するおもしろい現象を紹介しよう。燃料系の法人様はほぼ靴を脱いでスリッパに履き替えておじゃますることになる。なぜか不明だが、何処に行ってもこの様式なのだ。そろそろマイスリッパを構える時が来たかも知れない。今日はその燃料系の法人様におじゃまをする。約20名様の聴衆を前に2時間ほど紹介を行った。外国での説明と比べてやはり自由に言葉を使えるのが良い。そして図を書かないで説明できるのも良い。こみ入った話は英語では出来なかったので、不完全燃焼が時々あったが、日本語だと、こみ入った話も紹介できるので、当方も燃焼度が高いのだ。と、言うことで説明会を終えたのが午後7時半。車に荷物を積み込み見上げれば、夜空には一面の星が輝き、辺りには光るものが何もない。ここは東松島市。この得意先がかろうじて残っただけで、付近は広大な草原が広がる場所なのだ。海から1km程はあるが、津波はそんな距離をものともしないで勢いよく押し寄せたんですね。ここの社員さん達曰く、まさかここまで来るとは思わなかった。完全燃焼の帰り道、運転はとても眠かった。
9月2日(日曜日)

またやってきた尿管結石。これは痛い。朝方にやってくる。先日は朝方地震に起こされたが、今日はもっと激震の結石だ。早速水をたらふく飲み、自転車にまたがり、ツーリングに出かけた。出かけた先は広瀬川堤防を下る道だ。早朝の新鮮な空気を吸いながら、出来るだけ段差のある部分を選んで走った。振動で石が下りやすくするためだ。まぁ何と申しますか無茶な方法ですが、なかなかこれが自分にとって効果のある方でありまて。昼。加盟申し込みのあるお客様と面談。まぁ休日もあったもんではない。しかし、最近ではこんな事がストレスにならなくなっているので、何でもないのだ。面談場所は名取のマクドナルド。近くなので自転車で出かけた。面談された方は、自分で起業をするのが夢だったと言われるロマンティスト。出来るだけ応援をしてあげたい。その後、前から気になっていた「鳥の海」へ出かけた。名取市の南に位置する亘理町の海岸に地図で見れば大きな干潟があるはずなのだ。津波の関係で鳥たちはどうしているのか気になる。ここへのルートは、阿武隈川の堤防を下ると行ける。だがどうやら雲行きが怪しくなっている。遠くの柴田町の山沿いは雨で山のカタチが見えなくなっているのだ。これは急いで行って急いで帰らなくてはならない。鳥の海は地震の影響が無く、中央にある浮島は鳥たちが騒いでいた。だが、この付近の家は津波で全滅。感慨に浸るまもなく、雨がやってきた。雨とは反対の方向に逃げたが、雨の速度は自転車よりも速く、追いつかれてしまった。近くの被災した無人家に入り雨宿り。小降りになったところで再びこぎ出した。こんなことを何度か繰り返すが、名取市に入った所で本降りに。やれやれ。レストランに入り、ビールを飲みながら、国土交通省のリアルタイムレーダーを開けば、仙台付近は赤い斑点が散らばっている(豪雨なのだ)ビール一杯では時間が持たないかも。と思いきや、急に雨が遠ざかった。それ行け!アンパンマンだ。幸運は10分ばかり。自宅から僅か1km手前で、再び豪雨。今日はビジネススーツに、電子機器満載なので、プライベートの時のように雨の中を突破するのが難しい。
<真ん中の島に鳥たちが生息する>
9月1日(土曜日)
休み。と言っても、経費の精算や、訪問先の名簿整理などで午後4時まではみっちり仕事をした。休みは貯まる一方なので、もう勤怠には書かないようにした。やっと自由になった夕刻プールに出かけた。泳ぐのは久しぶりだ。2.5kmを泳げば、疲れが激しく。ぼろアパートの階段を上るのさえ一息つかなければならない状態。簡単な食事を作りオリンピックを見ながら頂いた。アメリカのバスケットチームの動きは神業。女子サッカーアメリカ対フランスを見た。普段テレビで見る国内のサッカーと比べるとパスの精度が違いますね。シンクロナイズドスイミングでは意外と美人が居なくなっていて、鼻をつまむ栓を外せば、そこら当たりの芋姉ちゃんだったりしてがっかり。プールに飛び込む前に少々上向き加減に肩で風を切る歩き方をする印象からの落差が激しい。9時に就寝。
8月31日(金曜日)

福島から再び南相馬市に向かう。今日はこの沿線には人がいないことが分かっているので、一般道路だが、時速100kmで駆け抜けた。今日は飛び込み営業だ。最初の店では、ビジネスの目的から話がそれて原発の話になった。ここは放射濃度が高く、子供や若い人が住むのには適さないので、家電の商売は非常に小さくなっているとのことだ。もうじいさんばあさんは家電を買わないと言う。その証拠にマクドナルドがない。なるほど。そしてこの原発の後処理をする人の為のアパート建設は非常に盛況であるとのこと。しかし、原発に関する人はもうそろそろ放射能を浴びる限界に達している。交代要員が必要だが、どうやら交代の人はいないようなのだ。どうするのだろう。と言う。除洗が始まっているが、まずはどぶから始めているようだが、屋根は後からするらしい。「先に上の屋根からだろう」と常識では考えるが、どうやら、そんな効率の良いことをすれば、仕事がすぐになくなってしまうので、どぶの後屋根を行い、その後再びどぶを除洗するとのことだ。そんな業者の悪巧みを知らず、政府は除洗に大量のお金を投下する。現場は恐ろしくて近づけないからチェックのしようがないのだ。それよりも、先に垂れ流しの放射能に蓋をすることが先で、それから除洗だろうと地元の人は思っているよ。いつでも逃げられる準備をして暮らしている人々は違う発想をするのだ。確かにその通りだ。政府と現場が食い違っているのはいつものことなのだが。
<この近くを歩く女子高校生に、ここ以外にマクドはないか聞けば「スミマセンここしかありませんと謝った。まるで市長さんのような責任感の強い娘だった>
8月30日(木曜日)

疲れているのに4時に起こされた。ひどく体を揺すられ、夢の奥深くから浮上した。棚のモノが落ちてくる前に立ち上がって照明をつけた。地震だ。今日は南相馬市へ。ここの加盟店を訪問する。私はここには原発の関係で人が住んでないと思っていたので、この店にも営業しているのか?と電話で失礼なことを聞いてしまった。相馬市まではダンプの往来が激しく道が混雑していたが、この街を過ぎると、途端に車が少なくなり、予定の30分前に着いてしまった。この店には元日立で働いていた営業マンがいて、話が通じやすかった。私は元の会社では十分な営業成績を上げられずたいした営業マンでなかったが、どうやら経験だけは有利に働くらしく、ひとしきり昔話になった。最新の家電の商品説明をすれば、向こうも火がつき熱心に聞いてくれる。これぞ営業だと思いましたね。(そんな事は今の会社では求められてはないが)次に向かった先は、飛び込み営業。最近の傾向は、簡単に断られるか、それともじっくり話をするかのどちらかである場合が多く、だんだんと時間が読めなくなってきている。ここでは1時間半ほど話し込んだ。途中で息子さんが飲み物を買いに行ってくれた。仕事を終えると食事時だが、メシ屋がない。今回は車に自転車を積んで、市役所に車を置き、市内を自転車で徘徊しているのだが、どんなに捜しても見あたらない。そして、やっと一軒だけ屋台村のなかで、営業しているメシ屋さんを見つけた。どんぶりだが、なかなかしゃれた創作丼でして、放射能混じりの風の吹く屋外のテーブルで頂いた。市役所では放射濃度をプロットした地図を公表している。大体0.5ミリマイクロシーベルトだ。他の県よりも一桁高いが、所々に1ミリシーベルトが存在する。これは点在なので、避けることが難しそうだ。4時半まではコチラで頑張り福島に行こうと考えていたが、電話やその他の用件で出発したのが5時15分。この街にはホテルがなく、福島に向かうのだ。ところが、この道中が大変なところだった。南相馬市から福島には山2つ越えるが、その盆地は飯達村を通過する。一つめの山の中腹から、飯達村の盆地を越して、2つめの山の麓にある川俣町の半分まで、おおよそ30kmに渡り、人が住んでないのだ。人が住めないのだ。夕暮れ時点在する民家には団らんの火はなく、少ない街頭が点るだけ。途中道を猪が横切った。世間では原発はもうけりがついたと見られているが、今でも放射能を垂れ流していて、周辺30km以外でもこうして飯達村には人が住めないことが伝わってないようだ。この広大な土地が無人であるのを見れば、原発というのはいかに危険なモノなのかがよく分かる。首相の管さんはろくでもない総理だったが、一つだけいいことを言ったのは、原発全廃だ。かれは、ここを視察したので、原発の恐ろしさを身に染みて理解しただろう。
<相当暗いが電気の灯らない家 福島県飯達村>
8月29日(水曜日)
今日は規模の大きな法人様の商談で、本部から上司に来てもらった。60歳のおっさんの上司は72歳のおじいさんだ。だが、彼はぼける暇もなく詰めていると若々しくて、昼飯はイタリアン風のカレーを一緒に頂く。エキサイティングな商談を終えたのが4時過ぎ。ここで上司と別れ私は車を駐車に自宅に帰る。1時間だけ、連絡やFAXや事務作業を行って、再び市内に出かけた。ここで上司と落ち合い、こんど採用となる方との面談だ。私も2度ほど面談し、一応採用は決定したが、最終確認だ。だから面談と言っても懇親であり、近くの居酒屋に向かった。地下の店なので冷房も効きやすいと思えばそうではなく、結構蒸し暑いのだ。がんがんにエアコンを回していただいて、汗を収めた。話がずいぶんと盛り上がったが、お断りをいれて、9時半に解散した。と言うのも、明日は南相馬市に出かける。ここは高速道路がないのでたいそう時間がかかるのだ。朝5時起きで出かけなければならないのだ。
8月28日(火曜日)

何と今日もエアコンナシでの商談だ。雲一つ無い炎天下であり、建物の中も凄い状態だ。ここで1時間半の商談。体の中の水分が切れた頃にお茶が出てきた。出してくれた奥様が天使のように見えた。商談後、近くにあるマクドナルドに駆け込みました。のどの渇きもあったのだが、事務処理が山積する状態だったのだ。パソコンとネットと電話があれば、そこが事務所に早変わりだから、マクドであろうが何処であろうが仕事が出来るのだ。車の中にはプリンターもあるから、必要書類はまとめてプリントも可能だ。そんなことで、体を冷やしながら一仕事終えた。午後は黒川郡に向かった。市内縦断だと2時間程度を要して目的地に到着した。ここは田んぼが広がるのどかな所だ。幾分風も涼しく感じる。ここでも商談のあと、車の中で山積する事務処理をこなして、いざ帰宅。高速道路の泉インターからが近いと乗れば、工事渋滞で1時間ほどを要して自宅へ。昨日も今日も休憩無しのノンストップ営業でいささか疲れ気味だ。帰って報告書の下書きメモを書くだけでダウン。
<宮城県黒川郡の穀倉地帯>
8月27日(月曜日)

北へ。岩手県には「区」がある。田んぼが広がるところにその名も立派な「奥州市(おうしゅうし)」がある。そこに併合された市は「区」であるのだ。水上区。駅前の商店街はほとんどが閉鎖して、唯一総合スーパーだけが細々と営業しているくらい。入ってみれば損さんが買い物の合間に休憩する椅子が設置してある。これが奥州市の中心地なのだ。一仕事を終えて、加盟店さんに電話をすると、昼飯を一食食べようと言うことになった。地元で有名なそば屋に連れて行ってもらった。ざるそばの大盛りを注文した。おじいさんとおばあさんが営業している店だが、なかなか旨いソバなのだ。値段を心配したが、何と600円だと言う。この味で、600円とは申し訳ない。今日は暑くて冷房が無いところでは過ごせないほどだ。食事の後、その加盟店で商談。そこには冷房が無く、先ほどのソバが全部汗で流れ出してしまった。ついでに北上市にも入ったが、ここでも暑くて、お盆が過ぎてもまだエアコンが売れると喜んでいられた。8月初めまでは暑くなかったのに、お盆が過ぎてから急に暑くなった。仙台でも暑いのは同じ。
8月26日(日曜日)

私の予測は頻繁に間違うが、おおむねその傾向にあるというのは間違いのないことだ。その一つに、台風は900ヘクトパスカルを切ると言う予測だ。今年は残念ながら910ヘクトパスカルだったが、来年には期待できるかも知れない。気象庁も超大型台風の到来を予測している。原因は温暖化による海水温度の上昇だ。もう対応の方法がないので逃げるしかないとの対策も発表した。アメリカでは"Hurricane Isaac"がやってこようとしている。話はそれるが、アメリカのニュースは実にわかりやすい。例えば風は時速○○kmと表現されるので、程度がわかる。日本の秒速だと30mでは立っていられないと解説しているが非常に不明確だ。「時速100kmだと」表現すれば、凄いと言うのがわかるのだが。気象庁は風は瞬間に変わるから秒速が正しいと言うだろうとは分かるが、意味が分からなければ警告の価値がないのだ。地球の気候環境はだんだんと人間が住むのに適さなくなってきている感じがする。
<仙台市若林区の海沿いは津波の影響で耕作できない>
8月25日(土曜日)
大槌町

釜石の北に位置する町。この街も川が町の中心にあり、その川は一直線で町を貫いている配置であり、この街は津波で全滅です。相当上流まで全滅でした。TVでよく見た水門だけが残っている状況。その被災した電気店を訪ねた。海岸から5kmほど上流。ここに仮設住宅がものすごい数だけ建ってます。その内の1軒が訪ねる先。仮設住宅は悲惨かと言えば、なかなかどうして3LDKの立派な平屋のマンションという感じだ。エアコン、洗濯機、テレビ、炊飯器、ポット、冷蔵庫は支給され備え付けで、出るときは持って行ってよろしいと言う。おかげで電気屋さんは大型家電の市場を失ったと言うわけだ。私の想像する仮設住宅とは相当開きがあり、これなら何年でもここで暮らしたいと思っても不思議ではない。仙台市には中古のぼろアパートがあり、なぜこれを貸さないだろうかと思ったが、とうていこれでは、他の仮設に入っている人と差がつき、提供することが出来ないだろうと思う程、立派な住宅でした。電気屋さんもこれで十分だよと満足。なかなかここを訪ねた人はいない、この実態を見た人はやり過ぎではないか?と思わざるを得ないでしょうね。大槌の町はこれから2-3mほどかさ上げしてそれから区割りをするそうだが、あの広大な面積をかさ上げするには相当な土砂が必要だろうと思う。近辺の山を2-3個はつぶさないと、間に合わないだろう。釜石から花巻に向かう列車は4時間おき。レンタカーは釜石に返却せず、花巻空港で返却するように切り替えた。それでも3時間を要して花巻に帰った。途中、遠野の焼き肉屋さんで牛タンを頂く。仙台とは違う濃厚な味だった。
8月24日(金曜日)

早朝会議開催の案内文面を作成して、午前中にFAX送信を済ます。12時半の「はやて」で八戸に向かう。普段なら車だが、今回の移動は広域で列車を使わざるを得ない。2時半から4時まで青森の連中と会議をして、4時の新幹線で盛岡へ。ここで快速電車に乗り換えて釜石に向かう。到着するのは7時半だ。そう、今日は釜石まで向かう予定を立てたため、強引にでも列車のスケジュールに合わせた動きをするしかなかったのだ。8月17日に帰省の時、年老いたご婦人に大宮から乗り換えて川口に行くのはどうしたらよいのか聞かれて、お答えし、いまでもこんな新幹線に乗ったことがない純情な人がいるだろうか不思議に思ったが、今日も同じような光景に出会った。盛岡発釜石行きの列車は満員だった。それにもかかわらず、目の前の若い女性は、自分の荷物を座席に置いたまま、人に譲ろうともしない厚顔だ。世間を知らない田舎娘だ。釜石駅を降りるとその母が迎えに来ていた。どんな教育をこの母は娘にしたのだろう?釜石ステーションホテルは、親父さんが酒に酔っていての対応だ。津波のことを聞けばこのホテルも1m程度はやられたらしい。繁華街はあるのかと聞けば、このすぐ裏に仮設の繁華街があると言う。早速そこを尋ねると、プレハブアパート2階建ての集合飲み屋さんが軒を連ねてました。そのうちの一軒へ、食べるものがそれほど新鮮でないとか、魚の種類が少ないとか、特産物がないとか、それにも増して高いとかして、この繁華街で食事を2度としたいとは思わせないような状況でした。被災者だから鷹揚にと思ってはいたが、度を超したエゴが露骨で意気喪失でした。もう二度とこの街では食事をしない、宿泊をしない。イメージの悪い町です。
8月23日(木曜日)
仙台採用は一名で、先に面談した人にはお断りをしなければならないつらい仕事を済ませたのは午前10時。本社報告を終えて次の仕事に向かったのは、1時半。ここでは先方の専務さんに家電のマネジメントについて一端を披露する。この業界で長く働いてきたので、大概のことにはお答えできるのだ。しかしパワーは食いますね。次に、仙台で仕事をする上には欠かせない大御所様の販売店様に伺い、会議の打診をする。暑い夏に相当ダメージを受けていたように見受けられた。今日は休み明けいきなりの実務だが、なかなか厳しい仕事始めとなった一日でした。
8月22日(水曜日)
組織の入れ替えがあり、知らない人が支店長席に座っている。我々の部署は定年後の人達ばかりで構成されているので、結構お年寄りが多い。平均は64歳くらいか?それが、少し若返りをしているのだ。やっぱり若いとフットワークがあるので、口の立つお年寄りかは良いかも知れない。予定通り5時の新幹線で東京経由仙台に。夜の9時だ。長町駅から自宅まで30分ほどかかるから、途中で食事をすれば10時のご帰還だ。昨晩は深夜、今日も深夜になりそうだ。小さく暑いぼろアパートでも住めば我が家だ。一安心する。
8月21日(火曜日)

名古屋にやってきた。本社に向かう。人事の事で打ち合わせがあるのだ。丁度、会長もそこにいて、そのほかの話もすることが出来た。中小企業というのはこのようにトップがそこにいるから、そのまま話ができると言うのがいいですね。一長一短もあるだろうが、たまにしか会えないから価値ある会話になるわけですが、内勤者は毎日会うことが出来るというもの、また違った感覚かも知れません。夕食は、この会社にいる昔からの友人と涼しい名古屋の店に出かけた。この人は、昔は同じ職場で働き、会社を変わってもたまたま同じ会社だった。というきわめて珍しい友人なのだ。よもや話もつきたところで歌を歌いに行くことになった。この店で、北海道の支店長や内勤の有志が参加し、相当盛り上がった宴会になった。何と12時まで呑んだのだ。新しい職場では深夜まで呑むことが結構あるのだ。
8月20日(月曜日)
天候不順

夜中に突然雨がやってきたが、朝はけろりと晴れていた。佐和チャンと言っても、僕より一つ下のおばさんではあるが、結構若々しい女性に会って、父の膝に良く効く薬を紹介いただいた。膝の痛みは今や治せる病気になったようなのだ。ただし医者はそうは言わないそうだ。昼飯に、野市のおいしいうどんを食べに行こうと友人が言うので、出かけたがあいにくの休み。それで少々遠いが山田にあるうどん屋に向かった。どうしてもうどんと言うつもりはないのだが、道中いろんな話もあったし距離が問題になることはなかった。ところが、ここも休み。仕方なく、その近くにあるうどん屋さんに伺えば、ここが旨いうどんを提供してくれたというわけ。高松のうどんは本当に旨いが、高知のうどんもなかなかどうして、いい勉強をしていると思う。この道路は、徳島に向かう道路で、山を越えれば芸西村に抜けられる。その山道は車一台が通れるような険しい山岳道路だが行けないわけではない。そして我々はその道を使って太平洋側に出たわけだ。昔は自転車でこの道を駆け抜けたが、今は車でなければ行くことが出来ない。もう山はツクツクボウシが鳴き、夏の終わりを告げていた。私の夏休みも今日で終わる。また、休日とも平日とも見分けのつかない厳しい仕事が始まる。
<山越えの道中にはとても綺麗な清流がある>
8月19日(日曜日)
図書館で

久しぶりに芸西村図書館で本を読みながら過ごす。いろんな事を経験してきたが、本を読んで過ごすのが、どうやら僕にとって一番の充実する時間だと思うようになった。今日は「曽根崎心中」と「2012年大局を読む・長谷川慶太郎」を読んだ。曾根崎警察署の少し南にお初天神様があるが、これが、この物語に出てくる「お初」さんが心中した場所のことだ。物語では「新地」から橋を渡りずいぶんと逃げてきたらしいが、新地と曾根崎は歩いて5分位の距離だ。ステレオ事業部時代に、この新地ではずいぶんと接待で飲んだ事がある。お初さんのような、従順なホステスは一人もいなかった。みんな金目当ての顔をしていたように記憶している。夕刻になり、高知の友人が置いていった車を届けに高知市まで行った。そこでは、友人が子供会の夏祭りの応援をしていて、焼きそばや、焼き肉をお土産に頂いた。芸西村に帰り着いて、友人T氏と二人でまたもや酒盛り。
8月18日(土曜日)
エビ取り

高知市に住む友人が何と朝6時には遊びに来ており、僕らも2人午前7時過ぎには、それなりの格好をして出かけることにした。行く先はここから3kmほど東にある赤野川だ。清流の源は芸西村の山奥で、流域に民家がないため、河口付近でも水は透明で飲める程キレイなのだ。ここで石を転がし、その下流に網を持っていくと、中にエビが入ると言う単純なエビを捕まえる仕組みなのだ。このエビはネギとのかき揚げにしていただく。もう一つ「よしのぼり」と呼ばれる、この川に生息する魚が、網の中に入ってくる。コチラも持ち帰り甘露煮にする。こうして我々3人は酒の肴を午前中に捕獲して、もう11時には、家で料理をして酒盛りと相成ったわけだ。久しぶりの会話はとびとびだが、お互いの環境が明らかになった。高知市に住む友人は来週から娘の住むカナダに遊びに行くとのこと。まぁせっぱ詰まって働いているのは私だけだ。ビールだが酔いが早かったのは、のどの渇きが激しかったので、一気に飲んだためだろう。途中で寝てしまった。
8月17日(金曜日)
午前7時10分発

仙台から東京に向かう列車の出発時刻だ。これに間に合うように、自宅を6時に出発した。徒歩だ。1時間もあれば余裕だと思っていたが、なかなかどうして、途中3回くらい駆け足で急がなければならなかった。大汗をかいた。大阪に住んでいた頃からの経験で言えば、関目〜大阪の距離感覚ですね。今日は休暇を頂いて田舎に帰る日なのだ。あいにくと飛行機の便はなく、新幹線を乗り継ぎながらの旅で、8時間半の旅程なのだ。新幹線は窓際の席を予約したので、AC電源が使え、ポータブルDVDで映画を見ていった。岡山からは、バッテリー駆動で。昔の旅は本を読むしか方法が無く無為な時間が合ったのですが、今はなかなか快適に旅を過ごせるようになっている。友人に午後3時半に後免駅に迎えに来てもらった。この友人は定年を待たずして退職して、ゴルフ、釣り、家の周りの庭仕事を回しながら悠々自適の生活を送っている。最初の話題は、先頃襲った竜巻の話題だ。全国ニュースに載る規模で、しかも2回発生したのだ。そして、異常とも言える台風の大波。地球温暖化の影響がこうしたカタチで徐々に姿を現している。父も母も年老いてよろよろしているが、何とか夏の暑さを凌いでいるようだった。
<徳島県吉野川 大歩危付近>
8月16日(木曜日)

今朝の早朝散歩は名取川を遡ってみた。コチラは河口向かう堤ほど整備されて無く、自転車がすれ違えるほどの道幅で、余り楽しくない。途中で右折れすれば、家の前を走る286号線にでた。ずいぶんと遠くに出かけたつもりなのに、川は蛇行して家のすぐ側まできていたのだ。今日も昨日に続きPCに向かって仕事。今日は休みに当てているが、どうも気になる事を始めたら夕刻までずるずると来てしまった。夜は録りためたオリンピックを見ている。綺麗なのはシンクロナイズスイミングで、意外と年増のおばさん達が活躍しているのが射撃と、トランポリンですね。テニスの「シャラポア」もいいですね。不思議なことに棒高跳びに美人が多いのも気がつきました。世界のトップの競技を見たいと、オリンピックを全録したが、乗馬なんか老人を写してそれで終わり。全くつまらん。まずは首位の美しい演技を放映すべきだろ。でないと、若手が育ってこない。なおかつ文句があるのは敗退でもインタビューを受け「私なりに頑張った」と言うコメントをする。ここは非情でもインタビューはしてはならない。金メダルを取る人のみがたたえられる世界でなければならない。閉会式はツィターでさんざんたたかれたNHKのおしゃべりを確認。世界屈指の演出家の前で下手なコメントを言わない方が賢明だと今回NHKも気がついただろう。
8月15日(水曜日)
朝の散歩

こもって仕事ばかりしていると体に悪い、と言うことで、早朝は散歩に出かけることにした。今日は15kmばかり遠方の名取川の河口に自転車で向かった。仙台の朝はひんやりしている。シャツ一枚で自転車を漕ぐと最初は少々寒い。少し行くと、名取川に出る。ここから堤を下る。津波の影響はどんなのだろう?と興味もあった。河口の500m手前から空き地が目立ってきました。そして、津波被害の直接の原因となった、名取川の堤防は復旧の工事を行っている。不思議なのは、崩れた堤防は土の堤防で、津波に決壊してしまったのだが、再び土を積み上げて復旧工事としている。性懲りもなく同じ仕様なのだ。普通に考えると、高くするとかコンクリートにするとかの何らかの工夫を加えるのが順当なのだが、前のままなのだ。日本の土木工学は世界の最先端にあるのにこのざまだ。この河口付近は見渡す限り視界が広がる。住居が撤去され、ここには誰も戻ってこれないのだ。広場の真ん中に廃寺が残っていた。そして田んぼに稲はなく無農作なのだ。宮城県の海岸沿いの平地はたぶん何処もこのような感じだろう。衝撃的な朝の散歩。
<前方は仙台市若林区 サーフィンが出来る波が立っている>
8月14日(火曜日)
今日から二日間は今まで集めてきた名簿の整理作業に入る。名簿は膨大で、一つづつ精査しながら登録してゆく気の長い作業だ。幸いにして仙台は風の通る町なので、どんなに暑くても窓さえ開けておけば、無理をしなくても快適に過ごせる。大阪はかなり無理をして冷房を止めて生活したのだが。朝からパソコンの画面に向かって作業をしていると、夕刻の3時過ぎには肩が凝ってどうにもならなくなった。目もしょぼしょぼしてきた。そこで気分転換に冷やした桃を食べた。この桃は禁断の果実だ。福島県産なのだ。しかし、しっかりと熟れて冷たくて甘い桃は極上の天国を味わせてくれる。福島県はフルーツロードと呼ばれる街道がある。リンゴ、ブドウ、梨、桃。これらの畑が延々に続く道がある。この道の先には「智恵子抄」で有名な「安達太良山」が聳えている。一度飛来した放射能は、ゆっくりと地面の中に浸透してゆくが、落ち葉や枯れ草にはしっかりと付着して、持ちこたえる。それが腐敗したときに始めて地中に浸透するらしい。桃は落ち葉を下地に栽培されている。それに、今でも福島市やその近辺は放射能の濃度が高いのだ。原発は今でも放射能を付近にばらまいている。と言うわけで福島県産の桃は安かったのだ。「一度くらいはいいかな?」それは「絶対にない」
8月13日(月曜日)
こちらで人材を採用する計画、だが本社も陸奥は遠くフォローできかねて、全面的に私に任すと言われる。これで事務所作りから、採用まで一応手がける経験を踏むこととなる。そして、今日は最後の面談だ。面談にはいい話のほかに悪い話もしなければならない。それに条件も。人の行く末を決める仕事は経験を積んでも楽しくはない。汗が鳩尾付近を滝のように流れる。気が付けば2時間も話し込んでいた。別れた後、事務所で少々仕事が待っている。相当時間がかかることを覚悟して、事務所に入る前にツタヤでCDをレンタルした。CDをリッピングしながら仕事をするのだ。この事務所は暑いので大変だが、今日は店長自らがこちらに来て、「冷房を使ってもよいですよ」と。冷房を入れたが、ほとんど効果なし。たっぷりと汗をかき午後4時に退社。外の風が気持ちよかった。昼に食ったとんかつが腹にもたれてなかなか消化できないまま、夜を迎える。
8月12日(日曜日)
とても気分よく起床。ホテルの朝食は、木陰の屋外で頂けるようにしてあり、昨日の大浴場と言い、市内にして温泉に来ている気分を味わえるビジネスホテルなのだ。近くには最上川が流れ、なかなか酒田市は自然豊かな雰囲気が持ち味の街なのだ。この街は昔大火事があったことで有名だ。そのためか、街は整然としてきれいだ。この火事の後の復興計画は阪神淡路地震の都市計画に生かされたとの事らしい。今日、伺った電気屋さんは、どこの電気屋さんとも共通してPC操作に弱く、少々PCの基本的な使い方を教えてあげた。最近はWebがなければビジネスが回らないのだが、これを最大限生かすと、日常で結構便利に使える道具となっているが、電気屋さんは若者のように扱えないのだ。一方若者は、扱いはできるがビジネスに生かす方法を知らない。これが現在社会の抱えている問題でしょうね。次は米沢に向かう。米沢市に入ると「ABC」の看板がある。Aはapple。リンゴの産地である。Bはbeef。牛はとても有名。Cはcarp。鯉。鯉の産地とは初耳。四方を山に囲まれた田舎町だが、上杉鷹山が藩財政を立て直した地方だけに、賢者が街を守っているようだ。山形から米沢に向かう高速道路は途中で切れるが、米沢市に入ると復活する。福島に向かう高速道路も着工されている。ここは山形とは違う。帰りはカーナビに任すと、福島に向へと表示される。その通り高速に乗ったが、渋滞に次ぐ渋滞。お盆休暇が始まっていたのだ。仕事バカは世間に疎いのだった。
8月11日(土曜日)

当初は休日なので、陸奥をご案内する予定だったが、来仙された東京メンバーはショッピングとなったので、この重要な日程を仕事に充てることにした。今回は山形県に向かう。いずれも大きな県なので、宿泊を前提としてだ。まずは市内で用件を済ませ、鶴岡、酒田に向かった。なんだこれだけか?となりそうなのだが、一軒では約2時間程度の話となり、店間の距離が100q程度なので、一日の仕事となるのだ。今日の話で圧巻だったのは、余談の中に出てきた雪の話。家のドアが開かなくなるので雪下ろしをしなければならない。「なるほど」。私は雪下ろしのタイミングは、屋根から雪が落ちてきて危ないからだろうと思っていたが、そうではないさそうだ。自宅に向かう引き込みの道路の雪かきも大変だという。この雪かきをしなければ、近くまで帰れても、家には入れなくなると言うのだ。大変興味深々と聞かしてもらった。冬になれば、一度雪かきをやらせてもらおうと思う。さらに、雪道での運転だが、前のテールランプが頼りだそうだ。それが見えなくなると、田んぼに落ちる可能性があるとのこと。ポールが立っているではないかと聞くが、ポールなんて見えるほど視界は良くないと言われる。ますます雪に対する興味が高まった。最後の店はPCに強い店だったので、ネットオーディオの現状の話をした。ここ数年の間に、音楽を聴く環境が大きく変化していることを伝えた。CDを聞いている人なんかいませんよ!と言うとびっくりしていた。こちらの話はiPodやスマホで聞く意味ではなく、HDDにリッピングした音楽を聴く話。こう言う傾向の知識なら豊富だから、仕事を離れて詳しく教えてあげた。
<道路の正面にうっすらと鳥海山が見える>
8月10日(金曜日)
思い切って休みを取ったが、半分は仕事だ。休みを取った理由は2時間ほど、年金の申請に出かけなければならないからだ。どうせ貰えない年金だと覚悟はしているが、相談すれば、予想通り年内の年金支給はないとのこと。来年からの年金となるが、月に40,000円程度だという。やれやれ。消費税率も上がることが決定し、年金の手当てに充てるらしいが、健常者には払う金額が少ないらしい。その後はまた仕事に戻った。どんなに仕事をしても、仕事の量は多く、果てがない感じだ。午後5時に切り上げて、市内に向かった。今日は東京の飲み仲間がやってくると言うので、これから懇親会なのだ。せっかくだから、やはり牛タンだろう。牛タンは脂っぽくて結構固くて、そんなに食べられるものではないのだが、名物なのでご案内。一応つまんだ後、近くのホテルの喫茶店でだべって解散。やはり仕事の環境があまりにも離れてくると話題もすれ違いが多くなり、断片の話に終始した感じだった。やっぱり、酒の肴には、悪口の対象となる人物や組織が必要ですね、一般人には。翌日はショッピングをして帰るそうだ。東京からなにも仙台まで来て買い物をしなくてもよいと思うのだが、どうやらこの感覚は私とは違うらしい。
8月9日(木曜日)

やっと足は全快となり、普通に歩くことができるようになった。福島市を終えて伊達郡川俣町に向かう。だんだんと原発に近づくのだ。川俣町は第一原発のある浪江町の隣なのだ。最初の爆発でいきなり強い放射能汚染を受けた地区なのだ。だが、水田もあり、桃も熟れている。福島の桃はやばいぞ。今日は汚染のことは話さないで、ビジネスのことのみ話してこちらの商談を終えた。もう宮城県との県境なので、帰りの高速道路は宮城県から乗った。東北自動車道はだんだんと車の数が多くなるとともにマナーが落ちてゆき、パーキングエリアから本車線に乗るときにも車線を譲ろうとしない輩をたくさん見かけた。交通事故の予備軍ですね。夕食時になるが食欲わかず、イオンで惣菜を買って自宅で食べるという、昨日と同じような食事だ。
<福島県は夏芙蓉が盛りだった>
8月8日(水曜日)
昨日よりは幾分回復に向かった足の痛みをこらえて、今日から2日間福島県を訪問する。まずは会津若松市へ。東北の夏は終わった。霧雨の中を走るが、気温は25度、車の冷房弱でも寒い。こちらでの仕事は午前中に終えた。昼飯を食ってから、いわき市に向かう。食事処が見つからず仕方なくハンバーグ屋さんの「ビッグボーイ」さんへ。肉類は控えたいのだが仕方ない。とかく福島県は食事をする店が少ないのだ。いわき市は磐越道を走り、途中で東北道を横切る。途端に道が悪くなる。高速道路なのに凸凹が激しく、尻が痛くなるほどの突き上げをくらいながらの走行だ。こちらの加盟店さんはダイヤル回線でインターネットに接続する契約をされておられいまどき珍しい状況なのだ。いわき市は原発に近い街で、空中の放射能の濃度も他の地区に比べると幾分高い。この街では「飲まない、食わない、息をしない」でいられたら最高だ。2軒の訪問を終えて福島に向かった。この地方の距離感がつかめないので、ホテルを福島市に予約したのだ。郡山市で予約すればよかったと反省した。それはここから150km程度の距離で2時間近くの行程なのだ。セットしたカーナビによると午後9時過ぎの到着と表示されている。今朝は7時過ぎに移動しているので随分と体への負担が大きい。やれやれ。道中は先週放映された「昭和歌謡黄金時代、吉岡治」をカーナビで再生しながら行った。その当時の映像が流れついつい引き込まれるので危ない運転だ。自分の過去と一致する時代の音楽を聴くのは、後悔ばかりがつのり、つらい。「大阪しぐれ・都はるみ」や「ふたりの大阪・五木ひろし」「天城越え・石川さゆり」など知っている歌が次々と登場する。何であの頃はああしなかったんだろう、こう動かなかったんだろう。と。しかし結局は今気が付くことだが、その頃は気が付かなかったかもしれないと自分に言い聞かすことしかできない。納得が行かなくても自分の中で丸く収めるしかないことなのだ。駅前のホテルなのに、近辺に食べ物屋が全くない。コンビニもない。仕方なく、チェックインの後、車に乗って一番近いコンビニに出かけ、ざるそばを買って食べた。虚しい夕食だ。
8月7日(火曜日)

足の痛みは限界に達していて昨晩は寝返りを打つ際にも目が覚めた。今日は得意先でプレゼンだ。車移動なので、動きはこのぼろアパートの階段を下りるだけでよい。午前中に資料を作成して、昼飯は遅れないように現地に行って食べることにした。場所は東松島市。車で40分もかかるなど距離はある。ところがここは被災地でもあり、食事をする場所などほとんどないのだ。それでも一軒だけメシ屋が営業していた。さっそくここに足を踏み入れたら、何と昭和にタイムスリップしたようだった。昔、長距離トラックの運転手さんが立ち寄るメシ屋がありましたね。気っ風の良いおばさんがいて、てきぱきと旨い大盛りのメシを提供するような。それが目前で展開されているのです。そして客はみな作業服ばかりで、髭を生やし、手拭いを頭か首に巻いてうどんをカッ食らっているのだ。震災復興の関係で土木関係の人が多いのだ。昔と違うのはこんな風景の中にも若い女がおじさんと同じような姿で飯を食っている風景だ。雇用均等法が生きているのだ。ともかく、冷房もないメシ屋だが懐かしい思いで飯を食った。メシはうまかった。白熱の会議を終えて、フィリピンで講演して以来の久しぶりに拍手をいただいた。その後、とんでもないカーナビの指図と格闘しながら登米市に向かった。こちらの加盟店さんに挨拶をして、帰宅の途についた。この日も200q近くを走っている。痛む足も車なら何とかなる。最近は動かないため腹がぶくぶくとなり始めた。だがどうしようもない。
8月6日(月曜日)

歩けない。一歩も足が前に出ない。左のふくらはぎあたりの奥の筋が痛くて足を持ち上げることができないのだ。ごみ出しに近くの集積所に行くのがやっと。しかし、今日は手紙が事務所に届いている可能性があるのでどうしても仙台駅前の事務所に行かねばならない。自転車にまたぐとペダルは何とか漕げそうだった。40分もかけて事務所へ。だが手紙は届いてないとのこと。近くの商店街では七夕祭りが開催されているので、足を引きずって見て回った。確かにこのオブジェの数はすごいが、だからこれが何だ?と聞かれれば、これだけですとしか答えようのないものだった。バーゲンの呼び込みはすごかったのだが。帰りの自転車もとにかく無理しないようにゆっくりと漕いだ。だが、広瀬川を渡ったあたりからぽつぽつと雨が来た。早く帰らなければ雨にぬれるが、足は痛い。数分後にぽろぽろ来た。必死の思いで漕いだ。こんな時に限って家は遠い。本格的な土砂降りの2分前にたどり着いた。あいにくとこのぼろアパートはエレベーターがないので階段が大変だった。手紙の送り主にもう一度書類を書いていただくようにお願いして、その書類を今度は車で届けた。
8月5日(日曜日)

スゴイ温泉を経験したので、朝も入浴することにした。朝は露天風呂にも入ってみた。昨日の気持ちの良さは疲れているかだろうと思っていたが、何と元気溌剌な朝でも、このお湯は気持ちが良かった。これはやはり鉄分の多いお湯と関係あるかもしれない。ホテルの部屋も広く気持ちが良いので、ここで週報をまとめることにした。温泉宿にこもり書類の作成と言う最高の環境です。9時半出発、今度は秋田県にある販売店に向かって出発。午前中に仕事を終えて帰宅する。実はこれが大変だった。高速道路に乗ると瞬く間に眠くなり、休憩。しかし、しばらく運転すれば又眠くなる。今回は都合3回の休憩を経て夕刻6時前に帰宅した。一昨日から800qを走破しての帰宅だ。大いに疲れ切ってしまった。足もなんだかおかしな感触だ。
<お湯は鉄がさびた色>
8月4日(土曜日)

昨晩は、入ったり切れたりする窓用エアコンの音でろくに眠れなかった。少々疲れ気味で、青森の店回りを始めた。ここでの問題は、はっきりと言葉を発音しないので、方言に語尾不明確さが加わり、十分に理解できないままのご意見を聞くことだ。コチラの質問は、時にはちんぷんかんぷんのことを言っていることだろうと思う。電気店に奥様がいれば、まだ標準語に近い方言で話してくれるので助かるが、ご主人しかいないと、どうも会話が理解できないのだ。外国と同様にこの地で商談はできないなと思いましたね。弘前市の次は五所川原市へ向かった。地図で見れば青森市に行く回り道程度だと判断したが、あいにくと、東北は広く、しかも祭りのため交通量が多く難儀を重ねた。さらに青森市に向かった。こちらは渋滞が何度もあり、倍の時間をかけてたどり着いた。午後5時、雨の降りそうな天候となった。その足で青森市内まで突っ走り仕事を終え、市内に向かう。ネットで探したところ割と無難なイオンの駐車場に車を止めることをお勧めしてあった。ここから徒歩50分で駅前の舞台へ。そう、今日は「ねぶた祭り」を見るのだ。隣のアベックに声をかけてねぶた祭りの概要を聞く。始まりの時間も併せて聴取。親切に教えてくれたのは19:10に花火が上がると踊りの開始時間となるとのことだった。拍手とともに踊りやねぶたの披露が始まった。こちらは昨晩と比べ、モニュメントが明るく、掛け声も大きくにぎやかで、明らかに観光のためのパフォーマンスになっていることを感じさせる。弘前のは歴史の伝統を重んじたという感じで、参加者の方が重要なのだ。コチラは見物客が重要。写真は200カットとムービーを抑え退散。終了時刻は午後9時だが、少し早く出発し交通渋滞に巻き込まれないように。今日の宿泊先は秋田県との境にある温泉旅館だ。ここまで足を延ばさなければホテルが予約できない。遅かったが風呂だけは入れそう。何とこのホテルの温泉はすごい鉄分の多いお湯で、真っ赤な湯で底が濁って見えないほどの濃厚なお湯だ。肌を刺す感触ではないが、それに近い肌に染み入るような気持ちの良いお湯だった。
8月3日(金曜日)

今月は、特に忙しい。新規の店訪問と、既加盟店の訪問と2つの要請があるからだ。それで今朝は新規の店訪問だ。須賀川市に9時。逆算すれば、仙台の自宅を6時半に出発することになる。途中高速道路の工事渋滞があり、ぎりぎりの時間帯に到着した。山の中にある石の礎がとても立派と言うか、お城のような感じのご自宅が事務所だった。商談を終えた後、いくつか事務処理が残っている。車には100vの電源変換コンバータと通信機能があり、ミニオフィスの状況だから、ここで文面を打ちプリントして、近くの郵便局から書類を発送した。等々事務手続きの仕事を終えると12時だった。これから一路青森まで車で移動だ。450q。そして福島県の二本松インターからは酷い工事渋滞ため、一旦高速から降りて国道4号線を北上する。それを含めて延々6時間の行程で青森県弘前市に到着した。ここで仲間と落ち合い夕食に出かける。が、先に弘前市の「ねぷた祭り」を見ることになった。延々歩くこと30分。すでに祭りは始まっていて「実にきれいな幻想的な電照のはりぼてオブジェ」が荷車に引かれて街を徘徊していた。私はこのようなシーンの撮影には慣れてなく、フラッシュを使ったり、ISOを変更したり、露出補正をしたりしてやっと撮影の基本のようなものを見つけた。キャノンワイドレンズ11-22oを持参したが、このレンズはピントを合わす機能が弱くて断念。24-105oのLレンズでやっと本来の撮影ができた。それでも真っ暗な中で、結構速いスピードで動くモニュメントをとらえるのは難しかった。それに人物を撮影するのは難しい。そのあと、我々は、今度は津軽三味線を聞かせる酒場で食事をいただきながらの音楽鑑賞。叩きつけるような三味線と、頭から突き抜けるような女性の唄で、津軽の厳しさを感じながら素晴らしい演奏を聴いた。問題は出演者が80歳代のばばあばかりだった。色気はあるものの食指を感じる色気ではないことは理解できるだろう。この後、スナックでカラオケ。私はストレスがたまるが、同行の氏達は「こんなことでもなければストレスが発散できない」と大いに乗りまくっていた。
8月2日(木曜日)
面談

別に私が人事の仕事をするわけではないが、こちらには一人しかいなく、なんでもこなさなければならない。今日お会いした人は、私と同じ会社に勤めていた方で、同じ家電畑を歩いたこともある同い年の男性だ。話を聞けば、私の知人とダブル人が何人か出てきて、お互いに懐かしい想いをしたわけだ。話がちょっとこちらのほうに流れ、少ない面談時間は瞬く間に終わってしまった。やっぱりそのあたり没入する性格の私は人事失格ですね。近くにある事務所に久しぶりに顔を出せば、気仙沼の得意先からお中元に蟹はいかが?的なメールが届いていた。さっそく得意先に感謝の電話を入れた。物量が不明だが、結構安価な感じだった。午後の時間は、市内にある店を訪問した。日差しが強くサングラスが欲しいくらいだ。木陰で立ち話の商談であり、この仕事は結構プライドをそがれることもあるなどなかなかつらい仕事なのだ。仙台市内は車の駐車や、駐車場を探すために車をぶつける事故も考えられ、自転車で回ることにしている。この炎天下で、2リットルのペットボトルの水は、ほんの少しだけ残っていた。
<仙台市の教会の前で咲く百合>
8月1日(水曜日)
毎日出歩くと事務作業がたまる
それで、今日は朝から事務作業にあてた。カンカン照りの炎天下では自宅の事務作業はいささか不都合化と思いきや、机に広げた書類が飛ぶほどの風が吹き抜けるではないか。室温も28度を超えることはなく実にさわやかなのだ。これで仕事効率が上がらないわけはない。やっぱり夏とはいえ、東京から350qも北。38度線を超えると気温が低いですね。仙台はすごしやすいと人は言うが本当のことだった。報告書の類は出来るだけその日のうちに現場で処理できるように、iPadに書式を移した。できるだけ外で済まそうと思うのです。iPadはマイクロソフトのオフィスが無いかわりに、後でエクセルやパワーポイントに変換できるソフトが850円で販売されている。このソフトであらかた入力をしておくと、自宅のPCに転送し、余り多くの作業を追加しなくても、エクセルやパワーポイントに変換できて使えるのである。少しは仕事を軽減出来そうである。それと、当社では送られてくる書類はPDFが多い。しかも検索や並べ替えが出来るエクセル表も、PDFになっている。そう思っていた矢先、PDFをエクセルに変換できるソフトが流通していることを知った。さっそくアマゾンで2,980円で購入した。試に変換してみれば、実に正確に変換してくれる。このソフトは一種のスキャナーだが、元が電子データーなので、精度が高い。ここへきて手持ちの電子機器が恐ろしいほど充実ぶりを見せ、作業時間が減る傾向にある。
7月31日(火曜日)
iCloud

iPadとiPhoneは同じようなソフトが入っている。ふと思いついてiCloudを設定してみた。これはアップルのサーバーを通じて、この2つの端末を同期する仕組みだ。いままで気が付かなかったが、iPadは入力をするのには便利だが、いつも鞄から出して持ち歩くにはちょっと大きすぎる。しかし、iPhoneはポケットに入るのでみるのに便利。と言うことで非常に便利なつかいかた環境が整ったわけだ。さらに、毎日めまぐるしく日常が過ぎていき、メモもきちんと取っておかなければ、約束を忘れたりすることも多い。そこで、日記のようなソフトに業務メモを取ることとした。「My days 85円」のソフトで、これは2つのメディアに購入した。そうすると、大事なことがその都度メモできて、2つのメディアに書き込まれているのだ。これは便利だ。と言うことで、スマートフォンと言う電話機をフル活用してビジネスに生かしているのだ。囲い込みと言うのは規格の独自性で排他的な意味合いが強いが、ことiPhoneに関しての囲い込みはそれだけのメリットがあっての囲い込みであり、偏狭な発想から成り立っているのではないということがよくわかりました。
<夏の会津磐梯山>
7月30日(月曜日)
三度目の気仙沼

宮城県だが、ここは3時間を計算しなければ行けない僻地である。仙台とは言葉も違い、なかなか聞き取れない言葉も多い。おのずと人の話には耳をすますことを覚えた。ところがである、この耳を澄ませる習慣は他に副産物があったのだ。英語だ。映画などを見ているとき、もちろん字幕の助けも必要なのだが、何を言ったのか、その台詞をもう一度話すことができる時が時々あるのだ。こちらに来て英語を勉強する時間があまりなく、ラジオ講座をただ聞くだけの日々が続いていたが、アジアに出かけて実際に英語を使って仕事をしている時よりか聞き取り能力は向上しているのは、この地方の方言のおかげである。今日の訪問先は多角経営の経営者で、待ち合わせの店舗はリサイクル店だった。冷房がない店舗であるが、海からの風が吹き抜けて、冷房なしでも十分しのげる気温である。商談を終えた後、昼飯に連れて行ってもらった。それは近くの何気ない定食屋さんだが、ここは港町なのだ。カキフライがすでにメニューにあり注文。そしてどうしようもないほど旨かった。6個のうち半分はそのままで頂けた。被災したとはいえ、ここは魚関係の宝庫なのだ。(後日談、東北地方を徘徊していると、小さな規模のリサイクル店がものすごく点在する、そこにはCD100枚くらいしか販売してないなど、ホント規模は小さい。いずれブックオフやハードオフに淘汰されるだろうから、この業界はつらい運命が待ち受けている)
7月29日(日曜日)
過ごしやすい仙台

朝6時に目覚めて散歩。気温は低く風は爽やかで気持ちがいい。殺人的な昼の暑さの面影はない。北国の花は寒暖の差が激しいせいなのか、匂いの強い花が多い。昆虫ではないが散歩は匂いに釣られて方向を決めることが多い。部屋を閉め切って留守にすればこの部屋の気温は36度近くになるが、在宅の時は2方向にある窓を全開にして、通路側のドアを開ければ、四六時中風が通るので快適だ。丁度木陰で風が吹き抜けると言う快適さですね。福島や山形の方が仙台は過ごしやすいと言われるが、本当にそうなのだ。夏の間風が抜けるのはありがたいこの部屋なのだが、寒いときも結構すきま風が抜けるようである。夏の快適さと引き替えに冬の厳しさがあると言うことでしょうね。
<今年一番のグラジオラス>
7月28日(土曜日)
今日の収穫

あいにくと、学生達が沢山宿泊していて、7時からの朝食には15分間ばかりの待ち時間が発生する。7時半には出発しなければ、目的地の酒田市には9時半に到着できない。仕方なく、コンビニでサンドイッチと野菜ジュース。こんな食事が多いぞ。仕事は12時を少し回ったところで終えた。それにしてもコチラの言葉の難解なこと。ご主人と奥様の会話は全く不明だ。奥様は私に話してくださるときは標準語だが、旦那様は方言のままなので、適当にうなずかざるを得ないのだ。この店の近くには山居倉庫がある。酒田は米所として栄えたが、その米を北前船に出荷するのに使用されたのが、この倉庫。ただの倉庫なのだが、今は改装して特産物などを販売している。この対岸には漁港がありおいしいものがありそうなのだが、3時間の移動では魚が弱る可能性ありで断念。昼を回ったがこの近くにあるタンメン屋さん「満月」に向かった。地元の方が次々と訪れる有名店だ。スタミナタンメン850円を頂いた。一寸ピリ辛の味だ。鶴岡市を過ぎてのパーキングで見つけました。当方区に来て何を一番期待したのか?と言えば、リンゴである。至る所にリンゴの木が植わっている。大阪のライフではワックスで磨いたリンゴしか食べられなかった。大阪の3年半はリンゴが食べられない悲惨な食生活だった。そして、今日見つけたのは、「青いリンゴ」だ。小学生の頃は夏の初めに高知でも青いリンゴが出回っていたが、それ以来見かけなくなった。早速買って食べてみた。梅と同じ味で酸っぱく渋くプラム系の味だった。Good。これだけでも幸せだ。高速を降りて仙台に向かう道ばたでは農家の市があり、カボチャとキュウリと満願寺を買った。いずれも硬くて、時間が経過してない。夏野菜を食って元気になるぞ。
7月27日(金曜日)
今日でお別れ

上杉鷹山の通った道
福島の開発を手伝ってくれているS氏が今日を最後に福島を去る。主な引継ぎは終えた。それにしても彼のすごさは、電気店のブスッとした奥様を一瞬のうちに朗らかな会話に乗せる話術だ。ちょっと常人ではできない技。彼の話を聞いていると、その自信で長年勤めた会社を51歳で辞めて、他の仕事に就いた。他の仕事でも食って行けると思ったからだそうだ。この日は早めのに出発して、仕事の前にダムを見に行った。ロックウエル方式のダムで、高知県の魚梁瀬で初めて施工された方式だ。ここはそこよりも規模が大きい。国土交通省の説明員がいて、ダムの寿命は100年だと説明してくれた。それはそこに泥が堆積するからだそうだ。ダムの堰堤では契約社員が清掃に勤しんでいた。今週末にここでイベントが開催されるからだそうだ。このおじさんは神田の生まれで、江戸っ子には田舎はつらいとこぼしていた。だが奥様の実家なのでそうも言えないとのこと。福島市内を巡回し、今日の仕事は終えたので、私は山形に移動することにした。東北道が工事のため通行止めとなり、この機会に福島から米沢を抜けて山形に向かう国道13号線を走ってみようと思っていたので丁度良い機会だった。距離は80q少しなので、まぁ2時間もあればいいだろう。東北道や山形道が順調でも2時間弱はかかるので、その差は30分程度だと踏んだ。上杉鷹山が宮崎の高鍋藩から移動となり、米沢に入ったのと同じルートに13号線があり大変高い峠を越えた。それでも2q強あるトンネルを3本以上は抜けた。車でも大変な峠越えだったので、昔の人はもっと大変な苦労をして峠を越えたのだろうと推測する。山形市に到着したのは7時前だったので、霞ヶ城跡を見に行った。山形も盆地特有の暑さがあるが、北緯38度は超えているため太陽が沈むとしのぎやすい風が吹いてきた。やっぱり、ここは北国だと思いましたね。夕食はホテルでハンバーグ定食。
<鏡に映った少女はおじさんをしっかり見て「おはよう」と挨拶をした>
7月26日(木曜日)
あれぇ!携帯電話がないぞ
昨晩は支店会議の後、皆で懇親を行った。平日の懇親では酒に酔わないようにビールだけにしている。それでも、やっぱり気が緩んでいるということでしょうね。朝起き、今日の仕事の段取りを済ませ、提出期限の迫った資料をメールで送り、いざ出発と言うときになり、電話がないのに気が付いた。困ったぞ。無いのは会社貸与の電話だし、お得意先も含めて一杯データーが入っているのだ。とりあえず、昨日訪問したホテルに電話してみよう。「ダイワロイネットホテル」さんだ。良かった!ここのロビーで拾ってくれた人がいた。4月には個人の携帯電話を落としたばかり。それで、電話機のケースはモバイルルーターと予備のバッテリーの袋とも一緒にして「ひもで繋いだ」。これなら忘れることもないだろう。確かにばらばらにならないから忘れることはない。ところがである、会社の電話は必要性が高いのでズボンのポケットに入れているが、時々入れる場所をシャツの胸ポケットにしたりして変更しているのだ。それでいつの間にか置き忘れても気が付かない、間抜けなことをしでかしてしまった。これからは、携帯電話をクリップのついた紐に変更して、身から離さない自衛策を取らなければならない。運動能力しても、日ごろの元気度にしても、あまり年齢を感じさせるようなことがないのを喜んではいたが、頭だけは着実に年を重ねていると言うことでしょうね。それで特にこの頃は、メモ用紙を胸ポケットに忍ばせていて忘れないようにメモをしているが、以前は3ヶ月も使って一杯になったものが、最近は1ヶ月で満タンになってしまうようになっている。忘れるのが怖くて、メモ魔になっているのです。だが、最近ではそのメモを見ることさえ忘れてしまう。
7月25日(水曜日)
快適生活を得た

どうも眠いのに朝早く目が覚めて眠れない。そんな日々が毎日続く。脳は睡眠を求めているのに体が言うことを効かないのは何かしら原因があるかもしれないと思っていた。それで、ふとしたきっかけからコーヒーを控えて、最近はコーヒーを止めた。そして、1週間もすれば、眠りの深い湖の淵から浮かび上がってきてフット息を吐けば目覚めの時である忘れていた快楽が戻ってきた。結構眠りが深くなったのだ。そして疲れも取れている。なかなか快適生活であるのだ。シジミのエキスを配合したサプリメントもある。試そうとしたが、ある人が全く効かないと言うとその気も失せていた。自己解決だ。パーキングエリアでもシートを倒せば2分で夢の世界に入っていける。こうして今は、ちょっとした時間を使って体力を回復する術を会得したのだ。さて、今日は支店会議。自社の事務所は手狭であり、外部のホテルを借りて会議を開催した。オブザーバーとして、本社から幹部のK氏がやってきた。彼の視点はすべて経営者視点であり、現場のちまちまとした事に捉われている私としては戦略の組み立て方に大いに参考となったのは言うまでもない。このような視点でものを考える人が身近にいなかったので大いに新鮮だ。
<スカイツリーほど話題性がないが、仙台のテレビ塔もリニューアルを施した>
7月24日(火曜日)
今日は忙しい

朝4時半に起床した。シャワーを浴びて5時に出発だ。本来ならこの時間帯は自宅のはずである。ところが、昨日は疲れ果ててしまった。それは福島県本宮から二本松の間ではものすごい交通渋滞が発生してぼろぼろの状態に陥ったのだ。このまま家に帰ると確実に午後10時を回るし、とてもじゃないが車の運転に自信がない。と言うことで途中下車して福島のホテルに宿泊したのだ。早朝の高速道路は快適で、巡航速度80qで快適に進むことができた。帰りついて、事務処理を行い、11時の面談に場所に向かう。予定通り1時間の商談の後、退散する。30分で昼飯を掻き込み、1時の商談に向かう。この日は時間通りに商談が進み、午後3時には自宅にたどり着く。ここで1時間プレゼン資料を作成して、午後4時には二本松に向かう。約束の午後5時半過ぎ、得意先の事務所を訪れると、皆は2階で会議中だと言われる。「その会議に来たんですよ」と私。会議室は熱気でむんむんしていた。午後6時から1時間熱弁をふるった。久しぶりのプレゼンだ。後片付けを行い、今度は昨日の教訓を生かして二本松から福島までは国道4号線を通った。この道路は高速道路ではないが信号がなく巡航速度は80qで高速道路並みだった。ここを担当されているセールマンのアドバイスは正解だった。福島の手前にある「aa」に立ち寄り夕食を。大阪の「aa」とは全く違う系統で、メニューも料金も本格的な中国料理だった。味は濃く、酢を使って弱めた次第。午後10時過ぎ無事自宅到着。昨晩よりは疲労は少ない。
<仙台に向かう高速道路は一面の濃い霧に覆われていた>
7月23日(月曜日)

採用面談。数か月前は逆の立場でめげる思いを何度も経験したが、今度は逆の立場で、何人も面談している。そして、今回は紹介者による面談で、近くにあるロイヤルに向かう。ここのドリンクバーは不味く料金も高いが、砂押南近辺では身近な駐車できる喫茶店がないからしかたないのだ。面談者は人当たりの良い方で音響メーカーの元セールスマンだ。話は少し白熱して、予定の時間をオーバーした。福島駅、午後12時半の約束で、埼玉からくる仲間と合流予定だが、20分程度の遅れとなりそうなのだ。そこで、高速道路をぶっ飛ばすことになった。時速140km程度で巡航し、遅れの時間を挽回した。毎回このようなことをすれば疲れるのだが、今回は致し方ない。この商談は1時間程度で終わり、次の予定地である会津若松の訪問には若干の時間がある。そこで、遅めの昼食をとることにした。「馬力ラーメン」これは、喜多方ラーメンの一種だが、チャーシューが「馬肉」だった。それでも結構いけるではないか。会津若松での仕事を終えたのは午後5時過ぎ。これから仙台に向かう。所要時間2時間半。帰りは疲れてもいるので80qでゆっくりと走ろう。少し走ると、私を追い抜いた車がいた。そして突然サイレン。覆面パトカーの出現だ。このときは私の速度も下り坂で少し上がっていたから、それを追い抜くには相当速度が出てたのだろう。彼にはかわいそうなことをした。磐越道から東北道に入ると車の流れが悪くなりとうとう止まってしまった。工事に伴う渋滞とは言え、車が止まるのはおかしいのだが。これで本日のエネルギーを使い果たしてしまった。これ以上は運転できない。停車中の車から福島のホテルをネットで予約して、福島で高速を降りた。宿泊したホテルは福島グランドホテル。格式あるホテルで、今日はディナーショーを行っていた。沢田研二の歌ばかりなので、私はフロント方に聞いた「沢田研二ショウー?」いえいえ、飲み放題、食べ放題5,000円では本物を呼べません。この方は「物まね」です。しかし、ドアの外から聞いている分には若い頃の沢田研二の声そっくりだった。高松に住んだ頃の唄ばかりが流れてていた。
<東北の夏は短い、一気に夏の花が咲く>
7月22日(日曜日)
森山先生

滋賀県大津のいじめによる自殺者を出した担任教師は森山先生。彼は韓国人で、マスコミで何を発言されるかも不安なため、学校側がかくまい、マスコミに登場しなくなったと言う。いじめを見て、「ほどほどにしておきや」と学生に声をかけたとか。ここ仙台でも、中学生が学校行事でどこかに出かけるらしく、バスが道路をふさぎ、学生が歩道を塞いでいた。もちろん盲人のための黄色のプレートの上にもたむろしていた。僕は散歩の途中だったので、彼等をよけてこの道を通った。自転車の通行人は降りて自転車を押した。それを見ている先生は学生達に対して注意もなくただ漫然と立っていた。森山先生に限らず先生はただ教科を教えるだけの技能しかない人間になりはててしまったようだ。今の教師に人格を求めるのはもう望んではいけないことなのだ。そして教師に限らず職業と言うくくりでは人格を評価できない時代になった。日本も地に落ちたと言うことでしょうね。原発の近くの被災地では無人の住居を荒らす人がいないのか見回りを強化している自治体もあるし。
<ホントの色が出せない露草の紫>
7月21日(土曜日)

映画のつっこみ
腹が減って7時過ぎに目が覚めた。昨晩はお土産のお弁当だけだった。冷蔵庫には何もなく、近くのコンビニへパンを買いに出かけた。そういえば、名古屋に行った水曜日からろくなものをくってないのだった。散歩にカメラを持って出かけた。仙台は一段と冷え込み、シャツ一枚ではとてもしのげない寒さだった。この気候どうなっているの?北米では熱波による不作。インドではモンスーンが来ないために水不足による不作。ブラジルでも。日本もおかしいが世界の穀倉地帯が気温変化でやられている。私もこの仕事を終えた後は農業で生計を立てられるかも知れないと思えるようになった。フランス映画「スペシャル・フォース」を見た。フランスの精鋭コマンドの隊員達が、タリバンに拉致された女性ジャーナリストを救出に向かい、無事救出するのだが、タリバン達はこの救出部隊を執拗に追いかけてくる。それで、彼等を殲滅する作戦をとるのだが、この少人数の精鋭部隊は大人数のタリバン達と正面撃破を行うなどと言う作戦がないのだ。リーダーの「企画力は全くゼロなのだ」大きな疑問だ。人数が少ないなら隠れて少しずつ勢力をそぐのが常套手段だろうに。どうも訳のわからない戦いを演じるのだ。この中に狙撃のプロもいた。狙撃のプロは現場に行かなくとも、幹部から落としてゆく方法があるはずなのに、他のメンバーと同じように戦っている。リーダーは「全くマネジメントを発揮してない」のだ。すこし納得性のある行動をこの人達に演じて欲しかった。そうでなければ「精鋭」と言う言葉が恥ずかしくなるのだ。またリーダーはひたすら西を目指したので、彼等は雪の積もる山脈を苦労して越えて逃避した。しかしタリバン達はこの山を越えないで彼等の行く先で待ち伏せをする。ではどうやって山に入った彼等の行動を察知出来たのだろう。あり得ないのだが、ぴったりと下山した彼等に出会うのだ。「なぜ?」つっこみばかりが散見される見て歯がゆい映画だった。
<今日は霧もなくテレビ塔が見える>
7月20日(金曜日)
山形へ

午前中は、この3日間電話ができてなかった腹いせなのか、電話が鳴りっぱなしだし、来週の複雑なスケジュールを調整することに専念した。一人でプレーヤーとマネージャーを兼ねるのはいささか苦しくなってきた。泉区の山奥にある販売店を尋ねた。山奥と言っても仙台のベッドタウンだが。あいにくと来客がいて、時間つぶしに喫茶店へ!街ではあるが喫茶店はない。仕方なくラーメン店へ。3軒あるなかで一番従業員の多い店を訪問したらこれが大正解。昔懐かしいラーメンの店だったのだ。おいしく頂いて500円。ここでの商談を終えたのは午後3時半。これから山形に向かう。カーナビは仙台まで戻り高速道路を指示するが、私はこの目の前にある48号線を下ることにした。この国道は仙台と山形を結ぶ道路なのだ。小雨のぱらつくなかどんどん気温は低くなり道路に標示されている電光の温度計は13度まで下がった。暖房を入れての運転だ。作並温泉を抜けた。この温泉は別名「美女の湯」と表示されていた。意味不明。訪問する約束の時間は午後6時。これからPCにインストールするのだが、少し古いPCで十分時間を食ってしまった。この店の奥様はどこかで見たことがあるぞと思って作業をしたが思い出さない。午後8時過ぎにようやく完了して失礼することになった。奥様はお弁当とサクランボをお土産に渡してくれた。途中のサービスエリアで車を止めて、カーナビをテレビ切り替えて9時のニュースを見ながら頂いた。思い出した、この奥様は20年後のW子にそっくりだった。
<とても匂いの良いクチナシの花>
7月19日(木曜日)
年金手続き
鎌ヶ谷市の市役所に行けば、ほぼ終わるだろうと見込んでいた年金手続きはどうやらとんでも無いことだとわかった。戸籍謄本も必要だと言われたのだ。妻の収入の証明とか複雑なことこの上ない。しかも、申告をしたとしても、年金は貰えないはずだ。一日休暇を取得して、炎天下汗を滝のように流し市役所まで行く必要があったのかどうか?それでも午前中一杯かけてこの手続きを行い、鎌ヶ谷を出発した。電車の強烈な冷房が心地よい。夏はこうでなければならないのだ。東京から「はやて」に乗った。青森行きの車両「E5」(グリーンの電車)なかなか快適だ。沢山届いているメールにiPadで返信をしながら移動。私のメールアドレスはyahooメールなので、こうして道中でも仕事が出来るわけだ。仙台には4時に到着した。どんよりと曇り、午前中の灼熱の太陽は何処に行ったんだと聞きたいような肌寒さ。もちろんスーツの上着を羽織る。銀行に寄ってお金の引き出し近所にある日産自動車へ。我が愛車の日産note修理代金5万円を払い、車のへこみが完了していることを確認。これからは慎重に運転をしよう。
7月18日(水曜日)
組織変更

どうやら会社が組織変更をするようだ。内部の人達にとっては結構な関心事だが、僕たち支店の営業マンは火の粉が降りかかってこないためか、あまりこのことに関して気持ちが揺れてないように感じた。私が無関心であるから人もそのように見えたかも知れないが。焼け付くような外気だし白熱した会議だから、結構熱が充満したせいか、エアコンはオーバーヒートしブレーカーが落ちるアクシデントがあった。会議を終えても今日はゆっくりする暇もなく東京に向かった。東京では昔の仲間と懇親を予定しているのだ。元居た会社は大赤字を出したので、まだそこに勤めている彼の今年の年俸は大幅に減給され手取額は激減したとかの話をしていた。にもかかわらず、資産家の彼は、ホンの最近アメリカに遊びに行ったとの話。アメリカ本土とハワイでゴルフをして帰ってきたとか。どうも私の周りの人達は海外に遊びに行くことが好きなようだ。御徒町のお寿司屋さんの回転寿司だったが、これがなかなか結構な味で、しかも種類が多い。やはり日本のおいしい魚は東京に集まっているというのがよくわかった。船橋のトキワ書房で書籍を購入。ここはいつも購買意欲をくすぐる。帰ると子供達は学校から帰っていた。しばし就職の事について話をした。彼等がフリーターになれば、僕の人生は破滅する。
<名古屋のひまわりはこころもち明るい>
7月17日(火曜日)
鹿野さん

今日は明日の会議のために名古屋に移動だ。新幹線を使おうとすると、昼には出発しなければならない。高速の乗り物がだと言っても、やはり名古屋は遠い。今日は始めて仙台でも暑くなり、駅までの徒歩は35分を要した。気温も30度を超えてたように思う。岐阜には「3人衆」という仲間がいる。この3人との関係も深く長い。おおよその性格はお互いに把握している。僕が名古屋の会社に入ることになり、再び関係が高まった。そして今日は名古屋の高島屋にあるレストランで会食をすることになった。その中の一人に鹿野さんがいる。様子は変化無いのだが、ガンを患って生死を彷徨ったとのことだ。その時の状況を細かく教えてくれたが、どうやらかなり深刻な状況からの生還だったようだ。そして、今は昔のようにふっくらとしているので、とても病気をしたようには見えない。まぁ生命力が強いと言うことでしょうね。この3人衆の内2人はもう卒業されていて、ヨーロッパを中心に旅行している。話を聞けばアジアより洗練された見所があるようだ。いつかは彼等に合流してヨーロッパを回る事になると思う。来年の3月のイタリアに誘われたが、私にとってはもう少し先のことだ。
<仙台の不吉な夜明け>
7月16日(月曜日)
祝日のこと

近くの工務店に商談にでかけた。先方からの質問に答えられず、社内に電話をすれば、自動応答の業務終了のお知らせ。そう、世間では今日を祝日と呼んでいる。前の会社では、休日と出勤日はきちんと区分けしていたのだが、今は渾然となっている。理由の一つは、自宅が事務所になっているからで、いつまでも仕事をしていられるのだ。早いときには5時半くらいから仕事をしている。一日の稼働時間は12時間などというのもざらにあるのだ。しかも、仕事の大半が折衝業務で、どうも旨く説得できなかったときなどには、結構コチラが燃えて、次には絶対に説得してやろうなどと意気込んでいろんなものを準備してしまうから、これにも時間を食ってしまい、長時間労働となっているのだ。最後に電話は曜日に関係なく得意先からかかってくる。この3つの要素が世間の祝日を忘れさせている理由である。かといってストレスが溜まっているわけではない。ストレスがあるとすれば、折衝件数をもっと増やして解消している。どうやら私も話すことが好きになったようなのだ。
<仙台でもひまわりは咲く>
7月15日(日曜日)
気候と人心の関係

やっと休日だ。世間では3連休であるが、当方はこの日曜日しか休みはない。天候も良くなりやっと洗濯日和である。それにしてもこの日差しにもかかわらず、結構過ごしやすいのは、風が爽やかであるのだ。熱中症の報道とは無関係だ。天候不順は人間の心の奥深に潜み、少しだけ歯車のかみ合いを妨げて、各人の思いをふらつかせて、政治やいろんなものに影響をしているような気がする。WOWOWで石原裕次郎特集をしていて少しだけ見た、彼が出演する右肩上がりの時代には迷いがなかった。この頃は天候も正常だった。シーツを洗濯し取り込んだら一日のほとんどが終わっていた。後はプールで体をほぐすだけ。仙台市民プールも急にお客さんが増えてきて、入場の時には混雑度を確認してくれと表示されている。北国の人は夏になると泳ぎたくなるようだ。2.5km。9時就寝。
<裏山からは太平洋が見える>
7月14日(土曜日)
回収
支店長は何でも屋である。今回は債権の回収に向かった。宮城県なので移動は1時間程度で割と楽だが、果たして反応は?あいにくと土曜日なのに休みで未接触。近所の話を伺って帰ってきた。この辺りまるで刑事。そういえば、最近第一印象でいろんな状況を把握して分析をする癖がついてきた。人間は意識するとしないにかかわらず、いろんな情報を発信しているものですね。ましてやそこに住んでいるとなれば、言わずとも「私はこうなんです」と書いてある。そこに口があるから、ついついしゃべってしまう事もありますね。と言うことで、今日も仕事。帰って名簿の整理。今週は疲れました。疲れを癒しにプール。ここで、コースの真ん中しか泳がないおじさんがやって来て、すれ違う度に止まらなければならない。疲れを癒すための水泳なのにいらいらが募り余計疲れる。注意するのも気まずく、3人が共用しているレーンに移った。帰って「ハリー・ポッター」。ダンブルドアがハリーに言う「杖を出せ」と日本語字幕。原文は「Wand on hand」通常英語を使うときは「Take your wand」芸術が絡むと表現が変わる。
7月13日(金曜日)
リンゴ追分け

美空ひばりさんの唄。リンゴ追分けはここ津軽、弘前の唄だ。この辺り一面がりんご園だ。大阪ではおいしいリンゴに当たらなかった。名古屋ではそこそこいいリンゴが来る。つまり、リンゴの流通は名古屋までが限界かも知れない。アジアでも中国産のリンゴが来るし、インドでは北の方からリンゴがやってくるが、ことリンゴに関しては、日本のリンゴにまさるモノはないと思う。と言うことで今年の秋は旨いリンゴが食べられると期待しているのだが、一体リンゴの木とはどんな木なのか?リンゴの子供はどんな格好をしているのか?リンゴの生息に関しては全くのシロウトなので、今日の会議が終わって帰るだけの時に、弘前市内にあるリンゴセンターを訪ねた。広々とした敷地にリンゴが植わっていて、遠くにはお岩木山も見えるではないか。園内を散策していると、剪定をしている人達に出会った。このおじさんはなかなかの博識で、今はボランティアに近い活動だという。剪定は同じ枝からのリンゴを切り落とすとのこと。これはなすの剪定とも良く似ている。「落としたリンゴは食べられないか?」「食べられない、ただある会社がこの中にあるポリフェノールを抽出した」と。園内には種類の違うリンゴが1000本植わっているとのこと。園内にはおみやげ屋があり、リンゴに関するあらゆるものを販売していたが、アップルコンピューター関係のものはなかった。園内では「リンゴ追分け」の唄が流れていたが、ずっとこれ一本だろうか?ずっと昔、摩周湖に行ったとき、布施明の「霧の摩周湖」が誰もいない駐車場で繰り返し流れていた。あれは侘びしい。ご当地ソングは考え物だ。
<リンゴの向こうは、お岩木山>
7月12日(木曜日)
弘前市へ

鞄の荷物をほどく暇無く支度を調えて350km北の弘前へ。先日首都高速でどえらい交通事故のニュースが報道された。出来るだけ車間距離を取って、後ろにはトラックを着けない運転を心がける。天候は雨、曇り、晴れ。青森までは梅雨前線は届かなくて、こちらでは晴天だった。運転は疲れる。道中2回の居眠りのための休憩。5時間を要して弘前市の駅前にあるホテル到着。ここで名古屋からのメンバーと、弘前在住のメンバーと合流して、疲れを癒す暇もなく少し外れにあるレストランでもあり居酒屋さんへ超ビッグな夕食を頂きに出かけた。この店ではニュースが流れていた。高知県安芸郡芸西村のビニールハウスが竜巻の被害にあったと。早速父に電話を入れると、小学校の裏のビニールハウスらしい。最近のビニールは3年ほどは長持ちするので、園芸が終わってもビニールを張ったまま。それだけ強力なビニールなので、竜巻のような風には、ビニールではなく本体のハウスそのものが被害を受けるとのことらしい。安いビニールを使って、毎年ビニールを剥いでいる農家は助かったらしい。皮肉なものだ。宴会は海鞘から始まった。天然の海鞘は旨い。味付けは海鞘の中にある汁と塩とのこと。仙台は海鞘の産地なので帰ってから一度挑戦が必要だ。身欠きニシンとなすの和え物も絶妙な味だ。ここに青森のメンバーがもう一人合流して、ひとしきり仕事の懇談の後はカラオケだ。唄はもう10年ほど歌ってない。数少ない青森の唄をご披露した。ご当地ソングは必須だと言うことを記憶力の衰えたこの頭は覚えていた。駅前のルートインホテルは最上階に大浴場がある。温泉なのか不明だが気持ちの良いことには変わりはない。少々酔ってはいるが、腰湯で我慢して入浴。
7月11日(水曜日)
郡山市

昔の会社で関係のあった福島在住のK氏に電話を入れると、まだ福島を担当するセールスをしていると言う。時間が合えば逢いたいですねと連絡を取り合った。だが、今日は二本松市の方に向かう事になり断念。道中に五重塔があったのでトイレ休憩方々立ち寄った。拝観料400円と表示。もっと奥にゆけば、脇からこの塔の下に行きついた。?。それから、あじさい街道になった。道の左右には延々とあじさいの花壇が続く。15分位走った後とぎれた。色とりどりのあじさいが目を楽しませてくれた。S氏は凄いセールスマンだと何度も書いたが、話し始めるとどうやら頭の中の全てが会話に回るらしく、それが運転中でもあれば、運転よりも会話に神経が行くらしく、バックの時にとうとう車を電柱にぶつけてしまった。あれぇ!それから運転を代わった。相当の出費は覚悟してたが、近くの日産で見積もると5万円程だと言われた。ホッとした。これからはやっぱり運転は私がしなければなら無いだろう。帰り着くと、九州のものすごい雨の情報。もうそろそろ現象を報じるのではなく温暖化が原因だとはっきり言うときが来ただろう。エネルギーの消費を止めないと、経済よりも先に人間が住めなくなってしまう。福島は今日も晴天だったので、よその地域の事が実感として沸かないし、こんな緑豊かな所では、地球の砂漠化などは考えられないが地球はえらいことに驀進しているように思われてならない。
7月10日(火曜日)
喜多方市へ

安達太良山を越えて福島から喜多方市へ向かった。道中にフルーツ道路がある。さくらんぼ、梨、りんごが植わる。これが道の両側に延々と続く。東北はみのり豊かな土地だ。だが落ち葉にくっついた放射能は地中から根に取り込まれ果物に行き着く。福島県の果物は要注意だと思う。安達太良山は生憎の厚い雲に覆われ見えなかった。高村光太郎の「智恵子抄」に登場する有名な山だ。この山の下を抜ける長いトンネルがある。その先はきっぱりと晴れ渡った会津盆地だ。今度は磐梯山が見えてくる。別に観光しているわけでは無いが、最短距離で移動を考えればこのコースをカーナビはガイドしてくれる。向かった先は明徳会の会員の店だった。「大学の道」の触りを合唱した。天上にはガンガンに照りつける太陽がある。だが風は爽やかだ。電気屋さんはクーラーの商売がまだ来ないと嘆いている。商談のあとは「喜多方ラーメン」だ。昨日もラーメンだったが、この場合は仕方ない。ここら辺り一帯がラーメン店だ。会津若松で仕事を終えたあと、これまた最短距離で郡山に向かった。猪苗代湖を回る道だ。猪苗代湖の水は、街のある方はあまりきれいでないが、対岸の我々が通る道筋は底が透き通って見えるほどの透明度なのだ。しばし休憩時に、ここでボランティアをしている小父さんに合った。曰く「折角花壇に植えた花が盗難にあう」と嘆いていた。「ここから眺める磐梯山が一番綺麗だ」と説明してくれた。小父さんの家族は対岸の猪苗代町にいて、夏の間此方に泊まりにくると言っておられた。郡山では銭湯と旅館が合体した旅館に宿泊した。露天風呂付きの流しっぱなしの温泉は誠に凄い。食事は部屋に運んでくれるし、6,200円では申し訳ない。温泉でもの凄く汗を流したあと、お互いにビール一本づつ飲んだ。ほんの最近までは工事関係者の人で宿泊出来なかったようだが、今は問題ないとのS氏の情報だ。S氏は通常の域を超えた営業マンで、かなり確度の高い情報を簡単に仕入れて来る。
<猪苗代湖守のおじさん>
7月9日(月曜日)
福島県へ

今月は引き継ぎの月に当てて、福島県を行脚している。福島県と言っても非常に広く、縦と横に高速道路が走っている程だ。今は非常に良い季節で、原発が無ければ最高の地方である。緑は濃く空は青く、雲は白く。森は深くトトロの情景がここにある。その他に問題があるとすれば、極端に飲食店が少ないことだ。特に市の中心部を外すとコンビニしか拠り所がなくなる。今日も昼にかかり、レストランは無く、一軒だけ営業をしているラーメン店「○×」さんを訪ねた。駐車場は車で溢れている。味が有名と言うよりも、独占販売状態にあるからだと見た。所がどっこい出てきた野菜ラーメンは、ネギが山盛りで中々元気の良い仕上がりだ、健康にはこれがピッタリだ。胡椒を多めにふりかけて美味しくいただいた。申し訳ない思いこみをしてしまったようだ。このように食事では問題が有りながらも幸運もある。福島市と言えども携帯電話が入らない山間部があり、寂れた山村も在る。こんな所にも電気屋さんはあり、ここで商売を営む80歳を越した社長さんと話した。と言うよりか一方的な話を聞くだけだった。言葉が解らないので相づちをうつだけと言うのが正しいのだが。そしてこの社長さんが非常に明るい。これが元気の秘訣かな?と思った。今日の宿は例によって伊藤園グループ。168組の客で満員。来ている車は地元のナンバーが多い。老人ばかり。大広間でみんなで食事をするのを眺めていると、自分の将来を各年齢に別に見ることが出来る。後10年後はこんな感じか。後20年後はこんな感じか?と短い自分の後半の人生を見つめた。
7月7日(土曜日)
ハリー・ポッター
目が覚めると午前8時だった。久しぶりによく寝た。最近は疲れているのに朝の5時過ぎに目が覚める習慣ができていた。土砂降りの雨だが体が軽い。こんな爽快さは久しぶりだ。洗濯や、その乾燥や、一週間の書類のスキャナーや番組のBDダビングなど、身の回りの片付けを行っていると夕刻の3時がやって来た。ここからはいつもの水泳時間、その後夕食にもつれ込みだ。一冊105円のハリーポッターをスキャナーして、iPdadで読んでいたらなかなか面白くて映画も見たくなった。丁度WOWOWがハリーポッター特集を放映していて、全部録画したばかりで、今夕は本と連動して映画を見る。映画は原作を相当端折って撮影されている事が分かるが、使われている英語は少し分かるので原作を読めないわけでも無かろうと思った。又、書籍では想像できない「魔法の生き物や現象」は映画でなければ可視化できず、映画も捨てたものではないと思いましたね。毎日倒れ込むようにして寝に着くと言うのは、この年で果たして正しい姿なのかどうか不明のまま、夢の世界に入ってしまう。
7月6日(金曜日)
収穫無し

今日は工務店様にプレゼンを行った。少しだけ手間をかけたプレゼント資料を用意した。昼飯を食っても十分間に合う時間に出発しようとしたが、何と肝心の自転車がパンクだ。電車に乗って訪問するには時間がない。と言うことで、コンビニでおにぎりとトマトジュース。最寄りの駅でiPhoneナビをセットすれば、何と7分で到着だ。まだ時間に余裕はある。道中に定食屋さんがあったので「野菜天ぷら定食」を注文。ところがどっこいこれがなかなかのくせ者で、こんなに「光る米」は食ったことがないうまさなのだ。おばさんにそのことを告げると自慢げに原産地を教えてくれたのだが、記憶に残ってない。仙台の食は奥が深い。プレゼンにはPCを持参したが、その後、近隣の販売店様を回るにはこれはじゃまだが仕方なく持ち運び5時半までリストの店をつぶした。収穫なし。足が棒のようになり、一寸動けない状態になった。普通1万歩程度は平気だったが、この重量物の持参ではいささか厳しい。たまたま来た仙台行きのバスに乗った。動きを止めて多少回復した足で駅前のヨドバシカメラでもう一度MacBookを確認。何度見ても高精細のレティナディスプレイの凄さが理解できない。ここでも収穫なし。長町南駅に到着したときは、これ以上今日は動けない状態、雨が降る直前だったが、ファーストフード広場でエネルギー補給。食べ終えた頃には土砂降りになっていた。
<赤い花は多いが、2色は始めて見る>
7月5日(木曜日)
誕生日

忙しさが富に増して来た。この仕事にどっぷりと浸かり、開発した加盟店も増えて来て、そこからの電話もありてんてこ舞いの状況だ。今日は、加盟店であり、昔量販店のFC推進の責任者を行っていた店を訪ねた。この業界には過去色んな仕事をしている人が多く、単純に人の評価ができないのだ。話せばわかる、見れば分かるとは言え、奥が深いのだ。午前中はこの人に開発のテクニックを教わった。何時の間にか天候は悪化して雨となった。一旦車を置きに自宅に帰り、今度は徒歩で開発に出る。雨も何時の間にか上がり久しぶりに蒸し暑いと感じた。この感覚をすっかり忘れていた。こちらは、暑いようでも風は爽やかで、過ごしやすかったのだ。一見様のとっかかりは中々難しく、今日も成果のないまま思い足取りで帰る。本当に足が重く、晩飯前だが、宮沢橋のたもとにあるロイヤルホストで、休憩した。休憩している間に強い雨が降り始め随分濡れて帰宅。60歳の誕生日はこうして日常の中に埋没してしまった。
<東北ではコスモスが初夏に咲く>
7月4日(水曜日)
まるで映画のようだ

昔の映画に「7月4日に生まれて」があった。この日はアメリカの建国記念日だ。だから映画も出来意義深い日なのだが、翌日の7月5日は何にもない。それが私の誕生日だが映画にはならないものの、なかなか面白いドラマの渦中にある。今日は見事な晴天。少し早めに出発して近くにある滝を見に行った。福島の観光地は変なビジネス感覚が横行していて、車を停めれば土産を買わなければならないがとか、滝を見るのにお金がいるとか、立腹することばかり。これでは興醒めだ。ここでは一銭もお金を落とさず退散した。身をやつしてもこのような商売はしたくないですね。今日は朝から電話の応酬で、運転を代わってもらった。電話の一件一件が実に重いテーマで処理は一筋縄では行かない。それぞれの電話にはそれぞれの事情と背景を抱えている。相手は組織人でないので、事情が複雑だ。それに言葉に特徴がある。相手が名乗る前に、方言で地区が分かるようになれば最高だ。今日の最終地は二本松市。ここは前訪れた時、昼飯を食べる店が無かった事を思い出し、手前で食事を提案するが、S氏の営業スタイルは約束の地まで行きそこで食事をする基本を譲らない。そこで、二本松市。探しても探しても食事をする店はなく、スーパーマーケットに入り、バナナとお寿司のパックを買って、玄関のベンチで食事を頂いた。福島は暑いとは言え風は爽やかで、満足ではないが気分良く昼飯が食べられた。これで2日続けて昼飯を簡単なものです済ました。奥様には頭の上がらない2代目若旦那様と話をしながら、彼の苦労を聞いた。奥様支給の携帯電話の暗証番号を教えて貰うだけでも大変なやりとりをしていたのだ。得意先で仕事を終えたあと、駐車場で留守電の対応で小一時間。そこから車で1時間と少し。夜の8時半に帰り着いた。体を動かしてない疲れは重い疲れだ。良くない疲れ方だ。だから言って、今から散歩をするには遅すぎるし。やれやれだ。
<昔、茅葺きの農家だった>
7月3日(火曜日)
失敗の連続

郡山で10時に待ち合わせ。少し早めに出発し、国見SAで10分間だけ眠る。これで快適な一日が送れる筈だった。15分もあればこの芸当がいとも簡単に出来てしまう。予定通り眠りにつく矢先に電話。今日の調子が完全に狂ってしまった。案の定、郡山インターの出口では、後ろを見ないでいきなり方向転換する女のドライバーに車をぶつけられそうになり、今日の一日がとんでもない事になるのが予測できた。見事に予想は的中し悲劇は続く。同行の熱心なS氏は、昼飯も食わず次次と訪問予定をカーナビに打ち込んで移動する。勿論福島の田舎ゆえレストランもなし。やっと休憩に立ち寄ったコンビニでサンドイッチの昼飯。途中通過した鮫川村はゴーストタウンだった。行き交う車が全くなくなり、村の通りには全く人が居ない。S氏曰く、原発の関係で人が住まなくなったと。この光景は異常だ。原発反対と言うのはここを見れば解る。夕刻の商談は父子の熱心な会話が交わされた。こんな土田舎に情報を届けるセールスマンも無く、さりとて、親子で電気屋を営むには、だれか相談する人も必要だが、それがない。昔々、寒村を訪れる旅人に熱心に都の話を聞き入ったと言う物語を耳にしたが、今でもあり得るのだと思いましたね。と言うわけで時間を忘れ、ホテルに到着した時は、食事に残された時間がわずか40分だった。例の如く、食事付きのホテル(伊藤園グループ)で、5,500円で、酒飲み放題、食べ放題、夕朝食事付きだから恐れいる。しかも温泉だ。TVを点ければ九州の被害が報道されている。中津の友人M氏に電話をして、無事を確認した。今回テレビでは始めてこの大雨の原因について触れていた。「温暖化で海水温度が上昇している」。これはもっと声を大きくするべきだと思う。
<福島県田村市にあじさいの綺麗な寺があった>
7月2日(月曜日)
再び若林区
朝方激しく降っていた雨も、出かける頃には止み、やがて太陽が出てきた。名古屋からの電話が入り、開口一番「暑いね」「?」仙台はスーツをきていられるほどの気温だ。咄嗟に返す言葉がなかった。東北の快適な気温をしみじみと味わっている。一日の中で何か良い話があるのがこの頃。今日は面談先では良い話はないが、電話でいい話が飛び込んでくる。いいですね。昼飯はマクドナルド。格別ここのハンバーグが好きなわけではないが、食事の後、少しうたた寝できるからだ。私の立場は、色んな福祉がカットされはいるが、昼の休憩時間だけは1時間あるのだ。これは、ハードな仕事をする身に取っては有難い条件だ。外回りの仕事は4時半に切り上げた。明日からの出張に際し、色々と済ませなければならない事務が有るからだ。自炊の時間も無いほど事務仕事を片付け、近くのスーパー「ヤマザワ」の弁当で済ませたが、どうやらこれに何かがあったのだろう。夜中に激しい腹下しが始まった。睡眠が必要な時に限ってこんな事が起きる。
7月1日(日曜日)
疲れを押してもプール

気持ちはあるが体が動かない。起きあがれない。寝ても寝ても体はだるいまま。今週は疲れたが、体を動かした疲れでないので、休日の運動だけは必要だと思うのだが、どうやら疲れは尋常ではないようだ。この原稿もナカナカはかどらない。気分転換にマクドにでかけコーラーを飲みながらも書き続ける。帰って昼寝。だるいままではあるが、それでもプールに出かけた。夕食をおいしく頂くために。水の中に入ると幾分しゃきっとして泳ぐことが出来た。ペースを落とし2.5km。プールから出ると不思議なことに先ほどまでの疲れが飛んでいった。もしかすれば体の奥に隠れたのかな?体が引き締まったところで、旨くない夕食をつくり映画を見ながら食事。ハリーポッター。この映画の主人公3人は、子役の頃から同じ人物が登場しているのを知ってびっくり。まるで「北の国から」の設定をまねたような構成だった。今日はPCモニターで安易に映画を見たが、黒つぶれが多く、こうした本格的な映像は、やはりPDPで見なければと思いましたね。
6月30日(土曜日)
反応

先週、お世話になった皆様へ住所変更のはがきを投函したら、いろいろと返事を頂いた。メールもあり、はがきもあり。まぁこういう事で人とのつながりは続いていくものですね。だが一度住所が変われば、先方さんの住所録から落ちてしまい、ある確率で連絡が取れなくなる人が出てくるものです。僕らの年齢はメールアドレスと言うのが十分機能してない世代だから余計です。さて、今日は仕事日、一日かけて名簿の整理。我々の仕事は基本的に出かけて折衝、帰って整理。この2つです。最近はデーターベースマーケティングと言う言葉が盛んに使われます。確かに重要ですので、これを自分が使いやすいように作成している。そして、他の人も活用できるようにする。この2つのテーマで書式を考えて、結果パワーポイントで作成することにしました。オフィスの「アクセス」が一番の理想ですが、これは我々の仲間のお年寄りが使えない可能性があるためです。パワーポイントなら、写真の貼り付けも比較的簡単だし、シート形式のカードとして機能するからです。プールも2kmでセーブ。
6月29日(金曜日)
福島市へ

今日はかなり本格的な商談で気合いを入れて臨んだ。暑くて汗だくになった。東北はひとたび風向きが変われば冷風が吹くが、風がなければ盆地特有の高温となる。この日は東北地方に高温注意報が発令されていた。仕事は6時過ぎまで及び、相手方様も残業で対応してくれた。S氏を福島駅まで送り届けて、さて帰る時間となったのは午後7時。サイゼリアで食事をして帰る。JAZZを聞きながら夜のドライブ。ナカナカいい雰囲気である。帰り着いて風呂に入り音楽をYoutubeで聞きながら酒を飲む。今週の締めくくりとして、ザ・ピーナツを聞こうと思ったからだ。一通り聞いた後は関連する懐かしの音楽にサーフした。酒は、先日、会津坂下の酒屋さんで買った「吉の川」。地元の人に親しまれている。福島の酒は甘い。食事をした後、酒だけを飲むには最適な味だ。
<昨日見つけたアヤメ>
6月28日(木曜日)
福島3日目
昨日は精根使い果たし、ホテルで熟睡した。寝ると体が軽くなる。天候も良く、今日は遠方まで出かけるのに最適の日和だ。会津に来て気になっていた、飯豊山(いいでさん)に向うことになった。この山は今でも大量の積雪があり、会津盆地の風景の重鎮だ。この山の麓に、山都町(ヤマト)がある。ここを訪問するのだ。ここまでくれば電気屋さんも兼業農家となり、昼間ご主人は農作業に出られて留守だった。我々が前持って提案しておいた回答を聞き、意向を確認した。次は会津坂下に3時の約束。それまでに昼飯を食おう。有名な蕎麦があるはずだと聞く。そばセンターで車を止めて入ってゆくと、そこは介護センターだった。ここには似合わない美人の娘さんが出てきて、蕎麦が食べられる所はもう少し向こうだ。教えられた道を行くのだが、私は間違ってしまった。S氏曰く田舎の人の紹介する距離感は少し短めに取らなければ道を間違いやすい。婆さんでも、若い娘でもこの事情は同じだと言う。成る程。そして、このそばセンターで食べた、「からみ大根ざる蕎麦」は絶品だった。確かに山形の蕎麦とは違う方向の味だ。もう一枚食べても良さそうな味だ。若い店員に聞けば、そばは毎日打たないと、食べる時に折れるらしい。ここから、猪苗代町まで会津磐梯山を左に見ながら田舎道をドライブ。空の青と山の緑以外は目にしないと言う絶好のロケーションだった。午後4時に仕事を終えて、郡山市までS氏を送り届け、午後7時帰宅。今日早く仕事を終えたのは、明日企業へのプレゼンが待ち構えているからだ。街の電気屋さん相手ではパンフレットで十分だが、企業さんとなれば相手の事情を鑑みた資料で無ければならないのだ。今日までのくたびれたスーツを脱いで、まだ折り目のあるスーツを戸棚から取り出した。
6月27日(水曜日)
会津若松市

今日も福島だ。会津若松にS氏を迎えに行く。昨日と同じ7時出発。大丈夫かな?体が。重いし。今日は喜多方市が含まれているので、S氏には喜多方ラーメンを昼食時にたべる計画を申し出た。彼はネットフリークではないが、同じ程度の情報を人から得ることに長けている。今までメーカーの営業マンを数多く見てきたが、彼は、一人で営業が出来る真の営業マンだ。売るものは何でも良いのだ。ちょっと僕ら凡人にはまねの出来ない人との接し方や人の中に入り込む技術を持っている。こんな人にであったのは初めてだ。彼ならエスキモーに氷を売ってしまうだろう。非合法の世界でも十分通じる実力がある。こんな人にかかれば、田舎の老人はいちころだ。と言うことで、僕は齢60歳にして営業と言うことに関して強烈な刺激を受けている。それで喜多方ラーメンのおいしい店もきちんと聞き出していた。昼を過ぎると手打ち麺故に品きれになっているかも知れない「喜一」さんを1時前に訪ねた。平日だから大丈夫と彼は言う。案の定OKだった。このオーナーのおじいさんの名前が喜一さん。おじいさんは医師で、福沢諭吉が友人だった。一緒に写った写真もあった。さて喜多方ラーメンの味は?「おいしい!」。半分ほど食べた後、酢を入れてスープと一緒に頂いた。薬味のネギが欲しかったが、このスープには合わないと言うことだろうか?入ってない。5時に仕事を終えた。これ以上は体が動かない。それに、もう2時間もかけて仙台に帰る勇気が無く、こちらに宿泊だ。東山パークホテル。伊藤園が経営するホテル。と言ってもピンと来ないかも知れないが、この会社は倒産したホテルを買い取り、最低限必要な改装を経て、安価で客に宿を提供するするシステムで人気がある。例えば、部屋の窓は密閉性が高いサッシに変更し、モダンなロールカーテンがある。畳は古いが張り替えをしてある。トイレはウォッシュレット。テレビは32型のオリオン製。食事は2時間程度の時間限定だが、食べ放題飲み放題。カラオケは歌い放題。これが、夕食込みで7,900円だ。そんなわけで、このホテルは平日なのに満員。若いカップルも、おじいさん達の旅行グループも、おばさん達のグループもみんなこの時間制限のある食事を楽しんでいる。
<向こうに見える雪を抱いた山が気になる>
6月26日(火曜日)
引き継ぎ

福島県を担当くださっているS氏は非常に優秀な営業マンであるが、残念ながらその手腕を買われて東京地区を担当するような動きがあるようだ。それで時間切れになってもいけないので、早速彼からの引き継ぎを始めた。その第一日目が本日だ。新白河駅で待ち合わせた。9時50分で、もう一仕事終えた時間帯だがここからは2時間40分の距離だ。朝5時半に起床して7時出発。途中で10分間の休憩と電話。今日は南会津〜只見〜会津版下〜会津若松へ帰ってくる計画だ。いぁ〜これは参りました。余りにも広い。福島の会津地方はソバの名産地でもある。有名なネギソバもある。お箸の代わりにネギ一本を使っていただくのだ。薬味のネギはそれをかじるのだ。人目をひく割にはおいしくなかったのですが。道中にどうも昔通ったことのある道に出会った。最近は夢で見たことも現実もごっちゃになっているので、記憶は信頼できないが、後で見れば、友人達と尾瀬に行く時檜枝岐で宿泊したが、その道を通過したのだ。福島県は津波の被害もさることながら、原発による被害で苦しめられている。一方で、この只見は、昨年の大雨の川の氾濫で町全体が浸水するとか、新潟へ抜ける道は未だに寸断されたままとか、鉄道は橋桁もないまま回復ままならずとかで大変な状況下にあった。こんな山奥で仙台と同じように頻繁にダンプが走るのは、もう一つの災害のためであったのだ。会津若松に宿泊するS氏を送り届けたのが、午後7時。高速道路をぶっ飛ばして帰り10時。10通ほどの手紙を書いて封をしたのが11時。くたくただ。
<真ん中の白いのがネギ>
6月25日(月曜日)
仙台市若林地区

東日本大震災の時、田園に押し寄せる巨大津波を上空から撮影していた場所がここだ。まだ海岸には行ったことはないが、高速道路から分断された市内に地区はこうして豊かな田園が広がる。仙台市はまだなんと言っても田舎で農業が盛んであるのだ。ここは住居から近く自転車で出かけた。気温は低くスーツのボタンを留めてもまだ寒い感じだった。宮城県の刑務所もある。大きな木々に囲まれた静閑なところだ。外部の騒音が全くないという恵まれた環境下にある。我々の税金で彼等に裕福な生活をさせているというのは解せない。狭い所に押し込んでおくと言うのが普通だろう。いつでもそうだが、営業に出るとほとんど休憩無しに動くので、トイレに困る。大きな木々のある場所は格好の場所だから刑務所を見つけたのだが、一寸不向きだった。そして、その東方に、またしてもこんもりとした森を見つけた。ここは人気もなく、気兼ねなく立ちションができた。用を終えて、森の正面に向かえば、国の重要文化財のお寺さんだった。「いや、失礼しました」。東北のお寺さんや神社は他の地区に比べて立派だ。タイやラオスに於けるお寺さんのような数と敷地面積を誇る。
6月23日(土曜日)
太白山

長町病院で胃カメラの検査を受けた。もし病に倒れるようなことがあっては、何のための仕事か分からなくなるので。隣にある今野病院はヤブで検査を途中で止めて貰った。今度の病院はもう少し大きいので大丈夫だろう。看護師さんに念を押した。「痛くないのか?」安定剤は良く効き、起こされたときは検査が終了していた。結果胃酸過多の傾向があると言われた。そして酢の物を食べるとこうなると言われた。高血圧が心配なので、塩分控えめに、それで味付けに酢を使って料理していたのだが、これがダメだという。かといって塩分はダメだし。味のない料理を食べるのも限界があるし。食生活の改善を要求されたわけだ。しかしとりあえず問題なかったわけだし、記念に近くの山に登ろうと。「太白山」は仙台市の西方に位置し、標高は低いがなかなか格好の良い山だ。多分林道があり自転車でも行けるだろうと挑戦した。道を間違えて、とんでも無い林道を自転車を押して登った。登り切ると、きちんと舗装された道があった。iPhoneの道案内は、そのことについて教えてくれないので、やはり山には携帯電話は当てにならないと思いましたね。その林道からそれて階段で頂上までの階段がある。10分で神社に行き、20分で頂上とあるが、この道が険しくて大変だった。格好が良い山はそれなりの角度を持っているが、それが結構きつい。その証拠は、最後の20分は全て鎖が張ってある。立っては登れないのだ。東北一の高さを誇る福島県の「燧ヶ岳」に登ったことがあるが、高度は低いがあの比ではない厳しさだった。こんな近くにこんな立派な山があったとは。下山してすぐにあるセブンイレブンでビールを買って飲んだら旨かった。
<名取市方面、海岸沿いは更地>
6月22日(金曜日)
富山の薬売り

飛び込み営業は緊張を強いられると共に、横並びで訪問先を比較するので、その家庭や企業の差異がよく分かる。自分の中にどうしても契約を取らなければと言う想いがあれば、なかなか余裕は生まれないが、好奇心が勝てば、別の見方もできる。訪問される側も、好奇心が勝てば、ただ自分の意見を感情的に言うのではなく、視点を変えれば、我々の情報にも価値ありと気付くはずだが、そのような余裕ある訪問先はかつてない。昔、私が幼少の頃、高知の田舎にも一年一度富山の薬売りのおじさんが訪ねてきていた。お土産は紙風船だった。よもや話をして帰って行ったが、その人が、よその家の話をしたのかどうかは覚えてない。が、聞かれれば答えた事でしょうね。話題には事欠かないほど持ち合わせているのだから。そしてそのおじさんも思ったことでしょう。「人間は感情で動く、勘定ではない」。あの頃のおじさんと言っても多分まだ40代だったと思う。今日はフルの訪問活動をしたため、帰り着いて名簿を整理していると目がしょんぼりして来て寝てしまった。午後9時の事である。60歳のおじさんとは体力が違っているので感じ方も違うかも知れないのだが。
<ねぎぼうず>
6月21日(木曜日)
仙台にて
始めて支店で会議を開催。青森からと埼玉からメンバーが集まり初めての会議だ。本来なら僕の強力なブレーンがもう一人ここにいるはずなのだが、生憎とまだその体制ではない。会議は列車の時刻もあるので定刻の4時に終えて解散。来月は泊まりで来ると言われる。そうなのだ、こちらの人は集まれば酒なのだ。東北6県を回ったが、酒屋さんの元気なことは他の地区と違う風景だ。関係ないが、他に元気のあるこちらの業種では墓石屋さん。葬儀屋さん。私はヨドバシカメラでRetinaを搭載したMacを見るため少しだけ寄り道した。iPadでも同じだが、人間の目の解像度を超えた映像は新たな感動を呼ばないことが分かった。ただ薄くて大きなディスプレーのPCを持つ喜びはあるのだが。4K2Kがテレビの救世主のように叫ばれているが、シャープの90インチ液晶テレビのように大画面ならともかく、50インチ以下のテレビで2m以上離れて見る分には解像度は現行のままでよいと言うことだ。それで日本のテレビの浮上は当面見込めないような気がした。
6月20日(水曜日)
気仙沼

台風がこの近くを通り過ぎようとしている。午前4時半起床。高速道路が不通だと気仙沼まで150kmを駆け抜けるのに4時間は必要だろうと6時に出発した。案の定いつも乗る仙台南インターは閉鎖している。開いているのは泉インターだ。仕事柄、仙台市を縦横に駆け抜けていたから、こう言うアクシゼンントには融通が効くようになった。泉インター6時半に通過。先ずは岩手県一ノ関インターまで東北道を北上する。そこから東方向に太平洋を目指す。そこが気仙沼だ。50kmの一般道。運転していると、やゃ地震か?地球が揺れている。危ないとブレーキを踏んで気がついた。知らぬ間に睡魔に襲われているのだ。これはやばいと途中で睡眠。約束の時間までは十分にある。気仙沼到着午前9時。約束の時間は10時だから、興味のある漁港を訪ねた。港には、100トンクラスの漁船が停泊していた。出身地をみれば、宮崎県と高知県だ。地元の漁船はない。気仙沼港は湾の奥にあるから、湾の奥で津波は増幅されたのだろう。地元の漁船はまだ復興してないかもしれない。仕事は昼前に終わり食事に行くことになった。レストランは、はやり被害にあった中華料理店。最近は空いているが、少し前までは、一杯で入れなかったとのこと。近所に食事する店がないからですね。得意先様とよもやばなしや、仕事の話しを食事をとりながら。宮城県とも言えども、こちらは方言がきついので70%の理解力だ。同じようなシーンで比較的わかりやすい英語を話してくれるフィリピンのジョイスさんとの会話と同じ程度。パチンコ屋さんの盛況はもう終わったが、今でもまだまだ人気があるらしい。災害のお金が(国からや、義援金など)パチンコに向かっているとのこと。人の心は、純真でもあり、怠惰でもあるのだ。この得意先は気仙沼では超有名な企業で、震災の後、中国人の従業員を直ぐに国に返した決断をするなど、マスコミ登場の多い会社なのだ。災害についてはいろいろ話を伺ったので、おいおい記して行く。帰りは、台風一過の素晴らしい晴天で、海岸沿いを通る選択した。時間的には変わらない。南三陸町は酷い被害だが、その原因の一つに、この街の真ん中を川が流れている。津波はこの川に沿って登ってきたので、海岸から随分と離れた山奥まで被害が及んでいた。だれもここまでは想定出来なかっただろう。村はずれの数軒だけ被害を免れたって感じだ。そして、この河川は昨日の台風で今にも溢れんばかりの水量だった。何れにしても、ここは自然災害の発生しやすい場所だと思った。今になって言えることですが。帰りの道中も凄い睡魔がやって来て、途中2回ほど休憩をした。
6月19日(火曜日)
台風4号
俄かに脚光を浴びてきた台風4号は、ここ仙台でも雨だけは影響を受け、私の活動に支障を来たした。仙台市内は地方都市と言えども車の駐車は自由でなく、街の電気屋さんの訪問には自転車が最適であるのだが、この雨ではどうにもならなく、車で出かけた。ホント世の中には色んな人がいるものですね。今日は矛盾を持った奥様と話をすることとなった。「取り扱いは専業メーカーだけですか?」と私。
「いいえ他メーカーも扱いがあります」
「それでは専業メーカー以外の商品のご注文はどうされているのですか?」
「いろんなところから注文してますね」
「どうですか、わたしどものにそれを一任されては?」
「専業以外に間口を広めると修理が大変だから」
あれぇ、先ほどの話は何処へ行ったの?
一事が万事この調子なので、
私は話の行先が見えないまま、その話終えなければならなかった。話題の遡上に登った約10本のテーマを全て「一体どっちやねん」と聞きたい事ばかりだった。話を終えて遠くに止めた車まで雨の中をとぼとぼと歩きながら先ほどの話を反芻した。
「本当に訳がわからん話をしたのはどっちなんだろう?」。
次に向かった先は、ご主人と話をしているのに奥様がしゃしゃり出て話を潰しにかかってくる。こちらは軒先でご主人を強姦しているわけでないので、別に不機嫌な顔をしてお出まし下さらなくても良いのだが、犬を追い払おうとされるように時々出てきてチャチャを入れる。こちらの訪問先は目の前に大きな遊園地があり駐車場を利用できたので、雨の中をすこしだけ歩けば良かった。ホント雨の日は大変だ。
6月18日(月曜日)
山形県の魚

山形市で仕事。道中の運転が眠くてたまらなかった。何とか昼前に到着して、イオンの隣にある「はま寿し」さんへ。一皿94円。この価格と内容はちょっと釣り合わない重みがある。平日にも関わらず満員な理由がこの価値だ。そして、ガリの味がまた格別で、全然回転寿司屋さんらしくない味だ。以前築地で食ったことがあるが、雰囲気は兎も角、味はいい勝負出来そうな感じだ。そして鯖の押し寿司は圧巻だった。腹一杯食べて669円だった。まいりました。山形は27度を超える気温となり、スーツを脱いで商談に入った。途中でコーヒーやお茶を頂いた。ごくごくとのどを潤した。感謝。3時前に終了。近くで開催されているバラ園に足を延ばした。今まで色んなバラ園を訪問したが、ここほど香りの良いバラ園はない。門番のおばさん、(と言っても相当綺麗なご婦人、このあたりにはこのような綺麗なおばさんがごろごろ存在している)に聞けば、日本で一番匂いの良いバラ園として入賞していると話された。なるほど。花は見頃で、全景を撮影しても傷んだ花がないのが良い。今年は就活で東京蘭展を見逃したが、バラはしっかりと収めることができて良かった。残るはアヤメだ。
6月17日(日曜日)
もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』
少々長いタイトルの書籍だが、映画にもなった。その映画版を録画ビデオで観た。見始めると引き込まれて、あっという間に最後まで見てしまった。今日は他にも予定があり、とりわけ読書に当てる時間を計画していたのだが引き込まれた。ドラッカーのマネジメントはハウツーものではなく、「相手に気づきを与えるように、自分が動く若しくは変わる」と言う根底があり、これに枝が付いているのが本筋だ。この映画は、実に真面目にそのことについて描いているので、枝に注目すれば、意外と軽い映画になってしまうが、その気で幹を見れば、きちんと奥まで描いている深さがあるのだ。なかなか意味深い映画であった。昼寝の後プール。3日間で7kmを泳ぐ。流石に前日の疲れが残り、疲労困憊だ。何のための休暇だったのか?夜は、週報を書き上げるのが限界で、10時を待たず床についてしまった。
6月16日(土曜日)
久しぶりの休日
雨の来ぬ内に洗濯。次に内科。ハードな仕事には体の検査は必須。長町病院へ。前回は近所の今野病院で酷目にあったから、事前に内視鏡は痛くないのか確認した。とりあえず良しとしよう。ここの佐藤医師はカルテをPC画面に打ち込むのだが、何と平仮名入力だった。確かに打ち込むキー数は少なくて良く早いのだが。もうドイツ語は使わないし、アルファベットも不要と言うことですね。確かにカルテを他の医師と共用しようとすれば、確かな伝達のできる日本語しか用をなさ無いのでしょう。この先生は臨時の応援者だったので、必要以上に詳細を打ち込んでいた。MicrosoftのIME辞書を使っているのでミスタイプが多かった。やはり日本語入力はATOKに限りますね。これだとほぼ会話の速度で入力が出来る。家に帰り久しぶりに昼寝。近頃は夜の睡眠だけでは疲れが取れなくなっている。それで土日の昼寝は必須事項となりました。
目が覚めるとプール。やはり寝ると元気回復で1,500mをフルスピードで。バタ足だけで25mも健在。血圧は112-74正常値だった。3週間ぶりの休日。休日のありがたみをひしひしと感じている。
6月15日(金曜日)
正常な活動に戻る
これで3日目。玄関に鍵を掛けずに寝た日数。別におじさんを襲っても何にもならないのだが。鍵を忘れていると言うこと事態に問題を感じる。それも連続で。得意先との約束がこのような事になりはしないかと心配なのだ。今日はそんなこともあろうかと、先方側が気を効かせてくれて、約束の確認電話を頂いた。福島県二本松市に伺う。迷路のような幹線道路が走る。どうやらここの住人は迷路を構成している山の向こうとこちら側を違う商圏と認識しているようだ。福島市にも市を二分するような大きな山がある。さすがにこちらは大きなトンネルで結ばれている。伺った先は米屋さんだったので、僕の持ちネタで炊飯器の高級機と普及期の味の違いを紹介した。途中でお爺さんが入ってきたので、いらっしゃいませと声をかけると、何とそこの主だった。「社長の貫禄がないからな!」と皮肉を言われた。でも黙っておくよりかは良いだろう。二本松市も食べ物屋がなく、ミニストップでコンビニ弁当を買って食べた。昨日も時間がなくてセブンイレブンでサンドイッチだった。今日は契約が取れたので、帰りはJAZZを聴きながら運転したら途端に眠くなり暫し休憩。事故ったら大変だ。帰り着いてメールチェック。後プール。今日は始めて休憩なしで25m潜り、25m泳ぎ、再び潜るのを3回繰り返した。訳のわからない人と話し、気が長くなっていたが、息も長くなっていたのだと気がついた。親会社のヤマダ電機の文献は目を通さなければならない宿命にあるのが子会社。送られてくる書籍も、店頭で配っている雑誌も。この雑誌(シャニム)だが、真面目に読むと結構深い内容の取材がなされているのが分かる。前の会社では同じく月刊誌があったが、それにも劣らない高級な文章がある。相当な取材費がかかっていることが伺える。その気でみれば世の中には情報が転がっているのがわかる。脱帽。
6月14日(木曜日)
面談
午前中は拠所のない電話で忙殺され、時間切れとなり、会場に向かう電車の中でおにぎりを食べた。今日は、僕の仕事を手伝ってくださる方の採用面談の日。私が雇用される条件と同じ条件が提示されている。しかし、宮城県は復興需要の最盛期を迎えているようで、活況を呈している。そのため、なかなか人材が集まらないのだ。大阪では考えられない状況である。面談には本社から説明にきてくれたので、話し合いを聞きながら、密かに人物評を行う。人を見抜くのは至難の技であるが、スキルで評価するのは比較的簡単である。この仕事は、折衝半分、スキル半分の割合である。一人採用されれば楽になるのだが、なかなか簡単には行かないようだ。訳の分からない人がくれば、私の時間が潰される恐れがあるので慎重に対処しなければ。2月の厳寒期ハローワークに通い、K氏と傷をなめあい過ごした日々が合ったとは考えられない様変わりだ。
6月13日(水曜日)
いろいとありまして
4時半起床、5時すぎにはチェックアウトしなければ、中部国際空港発仙台行きの飛行機には乗れない。中部国際空港には東横インがありここだとこんなに無理をしなくても良いことが分かった。夜の食事は相当厳しいだろが。先ずは長かった旅の荷物を解いて、メールや会議資料の整理。その後泉区の店を訪問。訪問した店では「興味は無い」と言われながらも、最近の状況を教えてくれた。私以外にも同業者がいて、この業界は凄い競争になっていることが判明した。電気屋さんも有名無形の私たちの業者をどうやって選べば良いのか困惑しているようだった。それで、この手の話には決して乗らないことが無難であると判断した。と言われるが、仲間から色んな話を聞かない限り、この電気屋さんの意見には賛同出来る。今回もハイブリッド訪問で、現地までの18kmを車で行き、大きな公園の近くに駐車をして、そこから、自転車で回ることとした。周辺の10km圏内の自転車なら全く問題がない。
6月12日(火曜日)
うっとうしい雨
梅雨空が広がる名古屋。東北は青空になかなか恵まれないので、せめてこちらでは太陽を仰ぎたかった。今日は月に一度の支店長会議。現在の世相を一言で切り取る話を聞けるので楽しい。同じニュースを見て、読んでいて、自分の中にもおぼろげながらに塊が浮かんでいる。しかしそれは言葉にできない。それをこの会議ではきっぱりと言葉にするのでモヤモヤが取れると言う訳だ。梅雨空を一掃するかのようだ。本社には色んな人材がいて、新米の私には親切にご指導してくださる人が多い。無理をすれば本日中に帰れない事もないが、ここで情報を拾わないでどうすると言う気持ちがあるので、今日も最後まで粘って失礼する。宿泊先は「ルートインホテル」どこも温泉付きだが、入ったことがない。やはり温泉は硫黄の臭う本物に入りたいですね、特に温泉の地元にいるわけだし。
6月11日(月曜日)
名古屋へ

山形県鶴岡市。朝6時起床。メンバーから届いた報告書をチェックして週報のシートに収める。残念ながら、私の報告書は時間がなく未完成のままメール送信。身支度を整えて食堂へ。朝飯を食って7時半にホテルを出発。この上ないような晴天になった。雪を抱いた月山がくっきりと見える。庄内平野の緑は深く、空には入道雲、アニメで見るような東北の夏の景色だ。帰りの運転は慎重に制限時速で走行。車窓からの景色をカメラに収めながら。それでも11時過ぎに帰宅。新着のメールチェックと書きかけになっている週報を仕上げて発送。午後2時に身支度を整えて、今度は徒歩で最寄りの駅まで。そこから、仙台空港へ。明日の会議の為に名古屋に移動。午後6時セントレア中部国際空港に到着。ここから1時間かけてホテルに移動。名古屋の友人のT氏と近くの居酒屋で懇親会。彼は痛風で酒が飲めないとのこと。確かにこの仕事をしているとハードな割には歩くとかの運動は無いので、食べた養分が体の中に蓄積されて痛風に直結するのだろう。私も、先週は車の生活だったので、ほとんど歩かなかった。気をつけねばならない。人が集まれば、そこにはドラマが生まれ、何かしらの酒の話題となるネタが生まれる。今日はそんなツマミを食べながら酒を飲んだ。帰り際T氏を近くの駅まで送った。女子大小路にある池田公園を横切った。ここは事件の多い所だから気をつけるようにと言われた。なる程日本人はいませんね。タイ語でもない言葉が聞こえた。マレーシア語かな。帰りは足早に公園を通り抜けてホテルに無事到着。
<まだ雪の残る月山>
6月10日(日曜日)
ヘトヘトに

昨日は雨で、予報では梅雨入りしたから今日も雨だろうと言われていた。雨の方がお客様は来るとのこと。晴れるとワラビ取りに出かけるらしいので、来客は減ると言われた。仙台や岩手ではワラビはご法度だ。放射能汚染の影響があるためだ。大きな山を2つ越した鶴岡ではどうやら汚染の影響はないとのことで、ワラビは今が旬とのこ。そして今日の天候はきっぱりと晴れて、爽やかな初夏の兆しとなったのだ。展示会の成功が危ぶまれる。ところがどっこい、ようけお客さんが来て対応できずお帰り頂いた次第。そして受付を担当する私は「言葉の壁と沢山の来客」でてんてこ舞い。昼食を4時に。目の前にあるモスバーガーさんで15分で仕上げる早業でしのいだ。お客様は途絶えずご案内時間以降もお見えになり大盛況で終えた。午後から変な天候になり、月山の方向は大雨が降りこちらは晴れていて大きな虹が2度に渡って花開いたがいいタイミングでの撮影は出来なかった。残念。全ての仕事を終えてヤマト運輸に今日使用した機材の発送に伺った。ここの女性店員も若いのに、すごいなまりで半分程度の理解だった。鹿児島の意味不明な言葉はまだ推測がつくが、こちらはそれさえも不明。もごもご言うのだから。ヘトヘトでホテル到着。「いろはにほへと」さんで地元で有名な「南禅寺豆腐」と、「高菜おにぎ」を頂く。何で京都の豆腐がここまで届くのか?と言う理由は伺ったものの、酒を飲んでいるから完全に記憶は消失しまっている。不思議なもので、あれだけ疲れていたのに、座って酒を飲めば、疲れを忘れてしまった。
<背後の山には雪が残る、山形県鶴岡市>
6月9日(土曜日)
鶴岡へ
片道160km。約3時間を要する。以前のように時速140kmで頑張らない。制限速度の80kmで走行するのだ。速度が遅いと疲れが少ない。山形市を抜けて月山に向かうと何とまだ道端には雪が残っているではないか。冬を安易に考えてはいけないと思いましたね。11月くらいになれば、食料と、ホカロンや寝袋などを用意して車の中で一夜が過ごせる準備をしなければならないだろう忠告を受けたがまんざら大げさではない。予備のガソリンも積載出来る準備が必要かもしれない。今日は展示会の準備だけなので、割と簡単に終わった。展示会と言っても既に商品は3000uの中にきちんと展示されているわけだし、プライスも付いている。今回主役となる販売店さんとはホテルの近くのMr.ドーナツで打ち合わせを行った。適当な喫茶店はここ一軒だけ。近くにはコンビニさえもない。その後我々は駅の建物の中にある居酒屋に向かった。深く考えないで近場を選択しただけだが、何とビールはモルツが出てきて最高のコンディションだった。ここは日本海の幸があったのだが、不覚にもビールに惚れてサラダだけで終えてしまった。しばらく歩いた先にあるコンビニで水を買ってこの日は終了。
6月8日(金曜日)
厳しい週だった
西へ東へ北へと来るまで駆け抜けた。こんなに遅くまで熱心に仕事をしたのは始めて。今週の日曜日、河北新報と言う仙台を中心とする新聞に人材募集の広告が掲載された。あいにくと留守してたので、やっと本日、新聞営業所に行き手に入れた。カラーの立派な広告だった。給料は20万円で、大阪で就活をしていた私にとっては十分な金額だ。早速問い合わせがあるというので、その方に電話をいれて面談だ。このように仕事は多義に渡り担当区域は広大でフル活動だ。その上借用している車のメンテも手配しなければならない。1ヶ月半で4000kmを越える走行だから、車の調子は最良でなければ大変なことになる。等々今日は一日事務処理日だ。夕刻プールで久しぶりの運動。やっと体が軽くなった。
6月7日(木曜日)
被災地

今日は気仙沼から北上市へ。カーナビはとんでも無いルートを示すので、目先の目的地に切り替えて都度入力を変えながら走った。私の選んだルートは、海岸部地を抜けるルートなのだ。特に陸前高田市は通過したかった。津波は北向きの湾には厳しく、東向きの湾には被害が及んでないのだ。それと、遠浅の海岸なのかどうか?テレビで何度も見かけた建物は街の象徴なのか残されたままだった。それに、これほど広大な面積に住むことが許されないとすれば、一体何処にその場所を見つけるのだろう?と言う疑問も浮かんだ。海岸がから相当上がった高台の家も流されていて、少々の高地では津波に対応できないと思えた。今では国道に「ここまで津波が来ますよ」と言う看板が掲載されているが、もうそんな事を書かなくても、人々は津波の怖さを覚えているだろう。この看板はホント嫌みに見えましたね。平地には仮説商店街が開設されたところもあった。覗いてみれば、価格もそれほど高くはない。食べ物屋さんが無かったので、ここでお金を使うことは出来なかった。呆然とたたずむご婦人にも逢った。聞けばこの家の持ち主ではないと言うので、少し話が聞けた。この人は気仙沼から来た。向こうも海岸沿いは壊滅状態だから同じような景色だと言っていたが、こちらでは駅舎を見たかったと言われた。しかし、大きな建設機械が入っていて行くことは出来なかったと言われた。目の前を走るJRの高架は高さ10mほどだが、一部が壊れて消失している。気仙沼は更にひどい状態だった。商談の得意先も流されて借家で営業をしている。顧客名簿は流され紛失したと言われる。まだ、この人達とは会う機会もあるので、生々しい話が聞けることだろう。次に向かったのは、岩手県北上市。車で2時間半の所。こちらは、私の挨拶のために一時店を閉めての会議だ。滅多にお目にかかれないタイムスリップだ。その後閉店後に、PCネットワークの説明をさせていただいた。皆高齢者なのに熱心にメモ。午後7時半終了。これから食事に行こうと社長様。帰り道は遠いからと遠慮したが聞かず、近くのレストランへ。酒は飲めないので、時間は割と早めに終えることが出来た。照明のない高速道路は視野が狭く、80kmの巡航速度で帰り着いた。何と11時。
<気仙沼市ではまだ復興に至らず>
6月6日(水曜日)
4度80km、5度110km

寒河江市(さがえし)は山形県にある街の名前。仕事で朝9時の訪問予定だから、自宅を7時には出発しなければならない。高速道路の山形道はささ山トンネルを中心に登り、下りとなる。この勾配はきつく、ギアをニュートラルにすれば下りでは110kmの速度が出る。勾配は5度。東北道は4度の勾配があるので、ニュートラルにすれば80kmの速度が出る。ここでもPC操作の説明だが、40歳代の若い経営者だったので話はスムーズだった。ここからまだまだ雪を被っていた月山が望める。今日の問題点は財布を忘れたことだ。それで、胸に入れるカードフォルダーの中にあるクォークカードでお弁当を買って食べた。これは惨め。車の中に誰かしらからいただいた珈琲缶があり、これが食後の飲み物。地方に行けば、道の駅で売っている野菜を買うのが楽しみだったが、それも出来ず一路自宅へ。溜まったメールを整理すれば、もう夜の帳が降りていた。
<もうすぐサクランボの季節>
6月5日(火曜日)
昨日の電話のクレームに、パソコンの使い方がよく分からないと言うのがあった。我が社はパソコンで全ての情報をやりとりしているのだが、新しいパスワード方式に切り替わり、特に高齢者にはハードルが高いようなのだ。その説明を今日のスケジュールの中に無理矢理割り込ませたので、昼飯はコンビニのメシとなった。今回は宮城県なので少し楽だ。カット&ペーストなどの作業はPCを使い慣れてない人には難しい作業で、10回位練習を繰り返し理解を頂いた。僕としてもずいぶんと気が長くなったもんだと不思議だった。就活未定の時間の惨めさが教訓としてあるからだろう。それでも100km程を走って業務完了。今日は2件の処理をこなすだけで一日が終わってしまった。帰り着いて、月曜日に提出すべき週報を書き上げる。頑張りたくても頑張る時間がなかったのだ。先週から車ばかり乗ってほとんど歩いてない。一日15,000歩を日課をしていたのだが。それでも夜は眠いのは疲れているのだろうな。
6月4日(月曜日)
昨日は疲れていたのかよく寝られた。ルートインホテルは朝食が豪華なので助かる。満腹状態で出発。向かう先は盛岡市。ここで加盟店さんを集めて会議を行うのだ。カーナビのセットは例によって到着時間はでたらめ。おおよその推測で、本部から来ている幹部に連絡を入れた。盛岡駅で合流して、近くの郊外レストランへ。ところが適当な店が無く、またもや回転寿司。まぁいいけど。こちらは105円皿でしょぼい内容だった。会議は予定外の参加者があり、資料をプリントするやら、エアコンが効かず調整に走り回るやら忙しかった。午後4時に終えて皆様を駅まで送りだして、私も帰路についたのだが、切ってあった電話を開けたモノだからどどっと電話の嵐。その対応や、カーナビの案内ミスの為の遠回りとかで、結局到着したのが午後8時。疲れたぜ。
6月3日(日曜日)
合展

昔の職場ではよく合同展示会の応援をしたものだ。商品の搬入や接客、後片付けなど休みが潰れると言う不満以上に大変な労働だった。海外でも同じことを経験し(海外ではこれに徹夜が加わった)た。だが、今回はヤマダ電機の店舗を貸してくれるというので、準備は15分で終りだ。片付けも10分程度。企画は1名、応援者は2名でOKなのだ。ローコスト経営とはどういうことなのか本当によく分かった。以前の職場の1/200の人手で良く、展示品の再生費用はゼロ。一般家電店でも安く売れない訳がないのだ。当日の私は来客の受付。ところが、問題は言葉が分からないことだ。見事にさっぱりだ。どんなに聞き耳を立てても、此方の知っている語句にヒットしない。特に言葉の最後に付けるのが不明。接客に出ている店主さんを早速携帯で呼び出す。それで一息つく。昼飯を取る暇もない忙しさで6時に終了。6時半には店長と伝票の突き合わせも終わり退出していた。こんな合展ならいつだって対応可能だ。今晩はこれまたホテルの近くの回転寿司で夕食。この回転寿司は590円の皿もある豪華版だった。
6月2日(土曜日)
大館

今日は午前11時から秋田県の大館に向かっての移動日だ。車でで300kmを移動するのはいささか厳しい。睡魔を堪えての移動だ。3時間半。眠さからの開放は岩手県と秋田県の新緑のまぶしさだ。短い初夏を短期間で駆け抜けるために新緑はまばゆい位に輝き、空の青に映えて、見事なコントラストのある風景が目の前に広がる。正に、目を見張るとはこのことだ。夕刻得意先と打ち合わせを終え、ホテルに帰り着いたのは午後7時。月曜日の会議の出欠の電話確認を終えて、やっと精神の開放時間になった。名古屋から来た仲間のH氏の紹介で「きはちらくはち」さんで比内鶏を食べようということになった。ホテルの近くだ。早速く名物の焼鳥を注文。日本三大鶏の一つだと言う。そうか。頂くと成る程美味い。では、他の2大は何?と言うツッコミは言わない。彼とお酒を飲むのは初めてだ。非常に繊細な方のような雰囲気があったが、酒を飲むに従い打ち解けた。二人でビールを9杯も飲んだ。後は何はさておき寝ることだ。
<岩手山にはまだ雪が残っている>
6月1日(金曜日)
小さなドラマについて
綱渡りの6月だった。それは自己申告の目標に対し、直前でずっこける連絡が届いたためだ。我々の仕事は契約を交わすことなので、リカバリーを打つにしては、日数が足りないのだ。ここは、素直に本部に対して謝るしかない。理由は他責だが、自己管理の至らなさに切り替えてメールを書いた。その事に対し取り敢えず、叱責はなかったが、自分としては凄く恥ずかしかった。だが、数時間後、本部の担当者から携帯にSNS。他の物件で入金あり。来月に契約をいただけると進めていた物件は入金を先に実施してくれたのだ。これで、当初の面目は立った。これが昨日の大きな出来事。その後の顛末みたいなものや、得意先とのスケジュール調整や、会議の準備、催事の打ち合わせなどを手がけると、今日は一日事務作業となった。病院にも寄った。胃カメラを飲むためだ。所がこの医者は技術が無いのか、痛くないように麻酔を頼んだのに関わらず、すごく痛いのだ。そのことを伝えるとそんなことはない筈だと言う。痛いのは気のせいだとも言い始めた。そんなことはない、本人が痛いと言うのだから痛いのだ。其処で止めるのかどうかを聞かれたので止める旨伝えた。料金は色んな処置を施したが無料だった。医者としても私に対し腹を立てているだろうなと言うことは容易に察しがついた。だが、僕も「ヤブはヤブ」だと判断せざるを得なかった。麻酔の使い方で看護婦と一寸もめていたのだった。
5月31日(木曜日)
寒い仙台

昨晩は洗濯物を干す時にベランダに出ると寒かった。今日の日中はスーツを着て出歩くには些か暑すぎて、上着は手持ちだった。販売店を訪問する時のみスーツを着ることにした。仙台にもようやく初夏が届いたのだ。最近は飛び込みにも慣れてきて、厳しい断りが少なくなり、いきなり商談に入るような場面がで始めてきた。訪問効率は落ちるが、こちらが本来の目的なので良しとしなければならない。それに、一日一件は最低でもこのような話になる確率が解ってきたので、こちらも余裕が出てきたのだろう、肩の力が抜けるとともに滞在時間が長くなった。10軒程を訪問して帰路につく頃には、気温は下がり、スーツのボタンも留めてしっかりしなければ寒かった。ジャンパーを羽織りたい。月末で多くのメールが飛んできて、片手でメールを読みながら自転車を漕いだ。路上でも十分事務仕事が出来る現在の環境に感謝だ。
<東北の地仙台で、博多の味>
5月30日(水曜日)
ハイブリット

新しい試みとして、目的地まで車で移動する。車の中に自転車を積み込んで、駐車できる場所を探してそこから自転車で移動する。これを試して見た。最初の駐車場探しに随分と戸惑ったが、そこからは実に効率が上がった。自転車は5km圏内なら訳もなく移動できるからだ。これは使えると思った。車に自転車を載せる時に汚したり擦り傷を付けたりするが、慣れれば問題なくなるだろう。今日はそんなことで当初の予定よりも多くの販売店を訪問できた。ところが最後に立ち寄った販売店に引きとめられること2時間。ここは電気屋さんの生き字引的存在で、仙台の電気店の歴史や、各メーカーの歴史。ビデオ、管球などの歴史を教えていただいた。僕にもまだまだ知らないことがたくさんあるようだと理解した。この店にはVHSビデオデッキが相当数あり、まさに電気店の歴史が見える博物館的存在でもある。ただこの店主さんの興味を引くような話ぶりを交えないと単なる滞留品の山としか見えなくもないのだが。こんなに時間を費やしても、こちらは半分も説明してないので、又訪問するつもりだ。次回も聞くばかりかも知れないが、それで本をかけそうな物語がありそうな気がする。次回はレコーダーを回そう。駐車はスポーツクラブの駐車場を利用させていただいた。問題なのは、自転車で元の場所に帰ることが出来なくなった。記憶の片隅にある風景にやっと出会い無事ドッキング。この手法は出発点をiPhoneに記録しておくことだった。
<仙台は神社仏閣が有名>
5月29日(火曜日)
まだこんなところが残っていた

昨晩は相当無理をして、山形県は新庄市まで車を走らせた。昨日の走行距離は400km。そして晩飯は鶴岡市の郊外にある閉店間際のスーパで「みかん、トンカツ、サラダ」を買ってホテルで食べると言う悲惨な食事だった。だが、朝飯はホテルの豪華なバイキングで不足をとりもどした。今日の面談は、訪問した店の裏にある自宅の応接間での接見となった。見事な庭を挟んで母屋がある。隣の茶室から美人の奥様がお茶を持ってくる。正座して商談は始まった。話が高じてくれば膝を崩す時もあったが、この雰囲気は純日本風で居間ではなく、痛い膝を我慢して姿勢を正す。商談は締結に至らなかったが、雰囲気としてはいい感じだった。海外のお金持ちの家にも行きその豪華さには驚いたが、日本の上流家庭もなかなかいいものですね。いずれも僕の持つ作法で叶わないのは分かっているのだが。次に向かったのは、以前、僕のかけている電話を一方的に切った店。一体どんな店なのか?どんな人なのか、これは顔を合わす必要があるぞ。帰り道だから立ち寄る事にした。会えば、「不幸があるから」と言う理由で、その人は仕事着のままで軽トラで立ち去った。山形県最上郡には普段着でお通夜に向うのが正しい弔問理解した。喪服が必要ない土地柄だろう。この道は国道48号線で宮城県古川に抜ける道。道中は温泉だらけ。一軒のひなびた温泉を訪ね、宿泊なしでも入浴できるか?聞けば、OKだと言う。「今はただで良いから入って行け」と言う。いや、「今日はその用意してないから」といえば、「俺の手ぬぐいを使え」とポケットから取り出した。「それは申し訳ない」と断る。「何時でもきて良いぞ」と言われる。「俺のいない時は○○さんに言え」とも言う。なかなか豪傑なお祖父さんに出会った。その付近一帯は湯気が吹き出し、硫黄が強く匂った。コケシの故郷を抜けて古川に到着。ここから東北道。
5月28日(月曜日)
あわただしい一週間のスタート

朝一から、福島県会津若松へ出張だ。今週はほとんど落ち着かない日々が続く予定だ。ここではPCの設定とその使い方の説明だ。ところが、我が社のソフトウエアは最新のOSに対応する仕様で、得意先さんにあるOSはあいにくとWindows XP SP2だった。PCオタクを自認しているのでトラブルにはならないが、これをSP3にアップデイトするのに2時間を要し、大幅に本日の計画が遅れてしまった。次に向かうのは山形県の鶴岡市だ。カーナビをセットすれば、一旦仙台に戻り、そこから山形道で山形市を抜け月山を超えて鶴岡市へ行けと表示される。地図上では、新潟市を北上する方が近いのだ。だがそのルートは5時間弱の表示となっている。それでは夜の8時をすぎてしまう。いくらなんでもそれまで店を開けて待っていろとは言いにくい。今回は好い加減なカーナビを信用せずに、新潟ルートを選択した。実所要時間は3時間半。Google MAPで検索した時間通りに到着した。カーナビとの時間差は1時間半。これが2流と言われるカーナビの実力だ。やっぱり高くとも一流品を買うべきですね。方や8万円、方や無料のサービスですが。日本海に沿って北上中に夕暮れとなった。インドのムンバイで見た夕日は赤く大きかったが、こちらもそれに劣らず立派な夕日だった。但し夕陽を見る暇人は誰もいなかったが。
5月26日(土曜日)
今昔
少しだけ胃もたれするのは今週のハードな仕事の所為だろうと思う。連日の緊張は胃への負担が大きいだろうと、隣にある内科で胃カメラの検査をしてもらうことにした。まだ精神は強気なのだが、体がついて行っているのかどうかは不明だからだ。こちらでは麻酔を使ってくれるのですか?OK。じゃ受けることにします。そのあと、来週のプレゼンの資料に取りかかった。冷蔵庫の説明を行うのだ。AVは得意だが、白物は一寸勉強しなければ。昨日ヨドバシカメラで1時間近く説明を受けておおかた納得した。これをベースに作成した。iPadのソフトにKeynoteがあり、PCのパワーポイントで資料を作成するよりかはに使いやすく、位置決めなどの精度も高く断然いい。iPadからは1280x720PのD-sub出力ができ、プレゼンとしてはこれで十分だ。今までのパワーポイントとはいったい何だったんだ?となります。このソフト数百円ですがパワーポイントは13,000円です。仕事とはいえ、このKeynoteは随分と楽しみながら資料の作成ができます。マイクロソフトがwindows8に邁進している。ステールバルマー氏曰く、windowsは3億5000万もの売り上げのあるOSだ。「ダブレットの数は比ではない」。こんな言葉、他の会社でも聞いたことあります。その録音があれば今再生してみたいです。メモは残ってますが。日中は暖かくなったが、夜は寒く布団を被って寝る。
5月25日(金曜日)
大館へ

普段なら車で出かけたかも知れないが、連日の仕事で疲れている。その上、往復600kmを走破するのはちょっと自信がなかったし、よしんばできたとしても翌日は疲労で惨憺たるものになることが予測できたので、今日は新幹線を使用した。時間にして1時間早いし、その間資料が作成できる。行く先は東大館駅で大館駅で下車、そこから徒歩で35分。ローカル列車を待つのとほぼ同じ時間に到着する。商談は2時間。その後、帰りの列車の待ち時間は40分。そういえば昼飯を食ってないぞ。殺風景な駅前もよく見れば駅弁屋さんがあるではいか。さっそく鳥弁当を購入した。850円。袋を下げて出ると、その隣に同名のレストランがある。わけを話して、この店のテーブルで弁当を食べたいと伝えると「ぞうぞぞうぞ」そして「こっちで注文したほうがもっとおいしかったのに」と言う。朗らかなおばさん達だ。「気が付かなかった」と私の弁明。よく考えれば「比内鶏」とはこちらの名産だ。だから鳥弁があるのだ。たまたまの弁当ではなかったのだ。来週はこちらで2泊する予定だ。今回もそのための事前打ち合わせだ。次回こそ、比内鶏の焼き鳥を食べるぞと意気込んでこの街を去った。仙台に到着して、念願のゼンハイザーのヘッドフォンHD958¥22,400円を購入した。緊縮財政だが、引っ越してきたときインターネット契約で20,000円のクーポン券があり、これを利用した。さすがにドイツ語の説明書は読めなかったが、聞けば良さがわかる。高域に少しキラキラしたものがあるが、安っぽい尖り音ではないので良しとした。そして、包む込むようなふんわりとした低音が再生される。クラシックに最適だ。アメリカのシュアーのヘッドフォンはロックに合い、お国柄がきちんと音に出ていると思いましたね。AVの贅沢はホント心を癒してくれますね。この日はさして運動もしなかったのに、疲れてていて、酒も飲まずに寝てしまった。
<比内鶏の弁当>
5月24日(木曜日)
おばあさんの日

今日は青葉区の隣の街、泉区を訪問。いつものように山を一つ越えての訪問だ。今日は青葉茂る歩道で出会ったおばさんの話。車の往来が激しいので、自転車を押して歩道を歩いていた時のことだ。すれ違いを待っているのかと僕は足早に歩いたが、実は話をしたかったようなのだ。仕事には関係ないのだが、その場の雰囲気で話を聞くこととなった。こうなればこの地区の事情も分かるだろうと思ったが、それ以上の収穫がありましたね。このおばあさんは84歳。ウチの母よりももっと若そうだ。歯もきれいだし、かくしゃくとしていらっしゃる。先祖は伊達正宗に仕えた武家の一族だったようだ。生まれは仙台市の大学病院の裏と言う。仙台は伊達公が美人を集めたので、美人が多いと言われるが、このおばあさんも結構な美人だった。そのことを言うと、すっかり喜んでしまい、さらに話は長くなった。近くに開通したトンネルでここの住民は大きな経済効果を得ているらしい。人の流れが変われば商売も変わるだろうな。40分ほどの立ち話だったが、昔お転婆娘と呼ばれた、このおばあさんは平気だった。おかげで商談タイムは少し短くなったが、先ほどの地元情報が役に立った。日も暮れて本日の業務は終了。食料のために近くの西友で夕食の材料購入。買い物をした後、食料を鞄に詰めていると、目の前で自前の袋に食料を詰めていた、これまた70歳は優に超えているだろうおばあさんから声をかけられた。「あなたはノイローゼにならないだろうね」僕の鞄は仕事の資料でほぼ満杯状態、その鞄に食材をかなり無理して詰め込んでいたのを見られたので苦笑いをし目が合ったのだ。昨日友人から「一人で悩むなよ」と忠告されたばかり。そのおばあさんは少々「風邪気味だが、どうしても酎ハイが飲みたくてね」と自分の袋に酒を袋に詰め込むときにこぼした。お年寄りはみんな話したいのだ。だがそれを聞いてあげる人がいない。
<仙台市のあおば通、新緑がまばゆい>
5月23日(水曜日)
仕事のこと

下半身がしびれていて体がだるい。連日の訪問活動で足腰に相当無理があったようだ。いろいろと連絡事項もあるので、こちらを優先し出発を少し遅らせた。11時過ぎ出発。仙台駅を抜けて勾当台公園にさしかかると、広場で山形県村山市フェアを行っていた。この3日間の開催だという。平日なのに?と思いきや、結構お年寄りでこのフェアは盛り上がっていた。テレビカメラも入っていた。バラの実団子を醤油味で煮込んだものを買った。風味はこんにゃく風。これで食欲に火がついたので、少し早いが昼食とした。一番の中心地である青葉区も山向うの住宅街は食事をする店はファストフードしかなく、ちょっとこれじゃねと言う感じもするので。今日はこってりで有名なラーメン屋さん「田蛇(ダンガー)」さんへ。「超こってりチャーシュー大盛」りを注文。味は薄く、酢をいれて食べたら旨かった。最初の訪問店は、「もう商売をやめようと思っている」と言われる。でも忙しそうではないですか?と尋ねると、いろんな話が出てきて、その電気屋さんの歴史が開陳された。こういう話は聞いてあげなければならない。その中に、光る玉が出るかも知れない。そして出ました。「最近多いのは販売会社から買うのは、遅いし高いのでヤマダ電機で買っている」と言う。「えぇ!」の話だ。店頭価格で買っているのだ。「それならウチから買ってよ!」。電気屋さんも客にせかされれば、利益が少なくてもなんとか尽くすのだ。これが電気屋さんの良さですね。次の店も、「もうメーカーに気兼ねなんかすることはないよ」と言う。この店もヤマダやケーズで買っているという。そうなんだ!時代とともに商売の感覚もかわりつつあるんだなと思いましたね。
<団子の写真、ソニーのカメラはこのようなマクロ撮影に弱い>
5月22日(火曜日)
シンセイ野菜

青葉区を回っている、青葉区は太白区の隣にある区で、仙台市の中心部に相当する。歩いているとワカラナイが、自転車だとこの街は微妙な高低差があることに気がつく。つまりペダルを漕がなくても自転車が走る、もしくは止まるかだ。街全体が坂なのだ。そして、少し街を離れるとものすごい坂が待ち受けていて、GPSを頼りに行くととんでもない坂を上ることになるので、地図を俯瞰して回り道になるが幹線道路をマズは選択して、道案内を全面的に信用しないことにしている。iPhoneの地図検索も大体わかってきて、地図検索だけではとんでもない表示をすることが分かった。宮城県で探しているのに、大分県のある街を示すなど、これは全く信用ならないソフトだったのだ。しかし、現在地から目的の場所への経路検索では正しい地図を表示するのだ。こうした使い回しというのがアプリケーションソフトには必要だ。午後2時過ぎに雨がパラついてきたので、一旦自宅に帰り、車に乗り換えて、自転車では行けない遠方の店に行くことにした。青葉区も遠方ではここから1時間ほどを要して結構広いのだ。雨は激しく自由に動けないが最後の仕事を終えると、丁度そこに物産市が開かれていた。そこは古川の農産物を扱う店だった。古川は仙台から新幹線で15分位の北方にある、距離にして70qくらい。珍しい野菜があった。茎を食べるのだと店主に伺った。茎は赤いが、ゆでるとこれが見事なグリーンに変わりおいしそうに変色した。激しい雨は今夜中降り続くそうだ。午前中の巡回が体力を消耗したのか、風呂の中で少しうとうとしたがこれでも覚醒せず、雨音に癒されながら9時過ぎには床についてしまった。
<青葉区には突如巨大な仏像が出現する>
5月21日(月曜日)
厳しい仕事環境は自分だけではない

来る日も来る日も知らない販売店回りで加盟店の勧誘を進める。断られてなんぼの世界。気分がめいらない日はないのだが、今日友人のK氏から電話がかかってきた。彼も仕事を始めた。京都の大学で自転車の整理を行う仕事だ。駅の自転車の整頓と比べると、その数はすさまじく7,000台との事。それを朝7時半から夜の6時まで。ミーティングに間に合うように、家を5時半に出発するそうだ。休憩はキャンパスの中を歩いて30分ほどかかり、地下のボイラー室で取るとのこと。冬は良いが夏は大変なようだ。そして雨の日は合羽を着ての作業で蒸れて雨にぬれなくても汗でびしょびしょになるとのこと。家に着くのは夜の9時で、寝る暇がないと嘆いていた。そんな彼の仕事に比べれれば、まだ僕の仕事はましなのか?と、お互いに電話で慰めあった。もっと後になって酒を飲む機会があれば、僕らの素晴らしい経験を語り合えるネタができたということだ。今日訪問した店は、私があちこちの店を訪ねている情報があることを話してくれた。電気屋さんのネットワークでは、こうした勧誘があるのかどうかというのも話題の一つだろう。「どんな基準で店を選んでいるの?」と聞かれたが、「嗅覚です」と答えたかったが、これでは失礼だ「全軒訪問です」と答えた。私の投じた一石が水面下で広がっているのはうれしいことだ。どんどんと広がって雪崩が起きればなお結構なことだ。
<90%は欠けると報道、だが太陽は依然と明るかった>
5月20日(日曜日)
気分の問題
少し前に借りたCDだが、一枚だけPCの中に残っていて、あわててゲオに返却に行った。「大変申し訳ないです」。その店員はニコリともせずに、「住所が間違っていますね」。「住所の訂正をもう一度この紙に書いてください」。「町」が抜けていたので、訂正した文章を書いて、「ここを訂正しました」とボールペンで示すと、「シミがついたのでもう一度書き直してください」。まるで警察で調書を書くようだ。挙句の果て、延滞料金が2,600円。仕方ない出費ではあるが、あの愛想のなさは何ということか。二度と「ゲオ」には行くまいと思いましたね。まぁアルバイト店員だから彼女に腹を立てても仕方ないのではあるが、気分がよくない。それによく見れば、CDは古くても新着扱いで高慢だ。新着映画意外は棚に埋もれて捜しようがない。少し古い映画のランキングもない。データーベースがしっかりしてないのでやりようがないのだろうが。いい機会だ。同じように「うさぎちゃん」クリーニングも対応がよくない。こちらも店員が愛想のない上に、客に指示を出す。クリーニングをやってやるのだと言わんばかりである。安いので目をつけたのが問題だった。こちらはすぐ向かいにあるクリーニング店に偉い美人の女性が居て愛想が良い。背が高いのでモデルでもできそうだ。私の鞍替えは当然ですが、こちらの店に結構客が出入りしているのだ。他の客もそう思っているのだろう。
5月19日(土曜日)
良いことと悪いことを織り交ぜて

毎日が変化の連続で、いいことも悪いこともほぼ同数でやってくる。今日のアクシゼントは、業務用の手紙を出したのに、切手を貼らず投函したことだ。あわてて郵便局に電話して手続きの方法を聞くが、この人は要領を得ない人で、結局わかったことが郵便局に行って手続きをすること、その郵便局は3つあること。私からは、「その住所を教えて」たったこれだけのことなのに6分も要してしまった。そちらに車で向かうのだが、カーナビは正しく案内してもらっていると思っていたが、最後の交差点で全く違う方向を示し、自宅に帰ることを示した。「?」。ここまでくれば、郵便局はわかるので、もう一度大回りして郵便局に到着した。ここで、状況を説明するが、先方は郵便物の引き取りを概念で話を聞いたらしく、ちっとも理解してくれない。電話で教えてもらったことと、郵便局での対応が全然違うので、こちらも面食らった。ヤマト宅急便と郵パックの不在通知の対応の手続きの違いを事例にすれば、郵便事業が如何に赤字にあるというのが説明できます。いいことは友人が京都の食べ物を送ってくださったことだ。実に奥ゆかしくてうまい。なるほどこれが伝統の味なのか?と感激。プールで2,5q。
<藤の花もピークを迎えている>
5月18日(金曜日)
幸之助の精神について

今日は仲間のメンバーと福島県の販売店を回る計画だ。その前に、ちょっと打ち合わせ。と言ってもこういう田舎は喫茶店がない。20分も遠回りしてデニーズを訪問した。課題を共有できたのがこの打ち合わせの収穫。それから、開発活動に向かった。メンバーのS氏はホント「口が旨い」。すらすらと言葉が出てくる。難しいおやじや奥様と日常会話を話してしまう。彼曰く、「なんで電気屋さんは苦虫をつぶしたような人が多いのだろう」なるほど。違った業界から入ってくるとこう映るのか?その中で、今日は非常に典型的な店に出くわした。「量販店はすべて嫌いだ」と言う。「量販店で買った客のためにエライ被害を受けている」。「そもそも幸之助の精神を知っているのか?」我々は突然、「そんなことを言われても」という感じだ。要は、量販店で買った客が修理にわが店を訪ねるというのが論旨だ。「買った店に行ってください」というのが筋だと思うのが、それを言えないので、我々に不満を漏らしたというわけだ。どんどんと自分で興奮してしまい、最後には怒り出した。あわてて退散した。あの人は幸之助の精神の何を伝えたかったのだろう?次に訪問した先は、地元の名士でもあり、企業の会長さんだ。68歳だと言う。なかなか風采のある方だが、このS氏にかかればたちどころにうち解けてしまい、しまいにY談になった。この方の場合、ちょっと普通のセールスマンでは太刀打ちできませでしたね。一喝ですごすごと引き下がってしまいそうだ。メールや知らない人からの電話など、通信関係はすごい状態になっている中での出来事。混乱しないように、運転を間違わないように。
<ムスカリーの花 本物はもっと紫が濃い>
5月17日(木曜日)
販売店会議
メーカーの販売会議は何度も経験した。販売会社の販売会議も経験した。しかし、小売店の販売会議は初めてだ。資料が生々しい。そして商品ポイントも簡潔だ。カタログを読んでも何がポイントなのか不明な場合が多い昨今、この資料は実に短い言葉で書かれている。家電品のすべてを3時間程度で網羅する。昼食は持ち帰り弁当が用意されていた。豪華ではないがボリュームのある内容だ。小売店はあくまでも質素に簡潔にというのがこの会社の方針なので、絢爛豪華の昔と比べさわやかさがある。会議も終盤に入り、非家電ビジネスの紹介もあった。「水」の商売だ。エネルギーと水はこれからの社会で問題となることが目に見えている。すでにアフリカでは水のために紛争も起きて、飢饉が始まっている。水の問題は目前にある。それに、私も4月後半から水道の水を飲むのをやめた。水道水のセシウム汚染が恐ろしいからだ。2リットルの水一本で1週間賄えたが、5月になると1週間に2本のベースとなった。日本の水は安全よりも健康志向と一段と高いレベルにあるが、いずれ、安全のための水の時代もやってくることだろう。帰りの飛行機は大いに揺れたが定刻に到着。二泊程度の出張で十分だ。それ以上は厳しい。
5月16日(水曜日)
最新のニュース

新聞記事や業界の動きなど先週から今週にかけては我々の環境が大きく変わりそうなニュースばかりが報道されている。ここまでは、誰しもが知りうる情報である。このことから、先行きどうなるのか?これがインテリジェンス。本当に意味のある情報知である。今日はその話をたっぷり聞かせてもらい、「なるほどそういうことだったんか」。と納得した。「100円のコーラーを1,000で売る」この本が話題を呼んでいると聞きさっそく読んだが、こちらにも、世間の情報のウラにある真実を披露する部分がありひどく共感した。僕の浅はかな知恵では到底そこまで到達できず、いい勉強をさせてもらった。定刻に会議は終了し、近隣の地区を担当する支店長の懇親に付き合った。私は新米であるが、これでも若手でもある、たくさんの人が説教をしてくれる。ありがたいことである。こちらの説教は裏読みではなく、テクニックの技術編だ。みんなと別れたのが6時。ほろ酔いだ。まだ太陽は天中にあり、妻より古い付き合いのある友人に電話をすればいると言う。守山にあるその店をさっそく尋ねた。その旦那さんも駆けつけてくれて、ご無沙汰の4年間余りの積る話を開陳した。店の常連客にも電話して、少し遅くなったが出てきてもらった。昔のメンバーがそろって酒盛りとなった。全国に散らばる友人たちでも、この人たちは全く個人的な関係の人ばかりで異色だ。夜も更けて懐かしい思いを残して退散した。
5月15日(火曜日)
名古屋へ

明日の会議のために今日は移動日だ。高崎のメンバーがルートインホテルを予約したというので、同じホテルを予約し、夕食を約束した。名古屋には仙台から飛行機で移動する。長町から仙台空港までは非常に便利がよく20分で到着するのだが、このアパートからは駅まで徒歩で30分も要する。iPadにフル充電して蓄積した本を読みながら移動した。生活がすっかり変わり飛行機に乗る時だけが前の生活の面影を残している。名古屋は雨が上がっていた。先日の竜巻の影響で天気予報は積乱雲について大げさに報道するので、気構えたがそれほどでもなかった。仙台では多少寒く感じた夏のスーツも名古屋では暑くて、上着を脱いだ。高崎のメンバーI氏はまだ事務所が開設できないでいる。そのためのインターネット環境はモバイルとのこと。最新式のモバイルは50Mbpsが実現でき、事務所にいる必然性などまったくない。私のモバイルは昨年12月バージョンだから最高でも40Mbps。料金は1,000円ほど安いが、ちょっとの間にこれほど変化している。名古屋では「山ちゃん」で手羽先をつまみながら懇親した。仙台で一人だと酒を飲む機会も少なく、10日ぶりの酒だった。
<仙台では菜の花がピーク>
5月14日(月曜日)
よく働いた

明日のスケジュールのことを考えると、今日は朝から活動しておかなければつじつまが合わなくなる。と言うわけで、8時過ぎに出発して電気屋さんを回った。今日は天気も良く、坂も多い方面は車。平地は自転車と切り替えた。途中で自宅に帰りFAX作業。この時間に近所にオープンしたイオンの自転車屋さんに自転車のメインテナンスをお願いした。ブレーキシューがすり減り、切り替えもスムーズに動かなくなった。1時間ほどして伺うと、もう軸に使われているベアリングの寿命が来ているという。そのため車軸ががたがたしていると指摘された。そういえば、この10年あまりの間、千葉から東京まで往復70q近くを一週間に一度程度、自宅から最寄り駅まで20kmをその他の日。千葉から青森の八甲田山にも一度、などなど相当な走行距離を乗った。タイヤも3本ほど交換している。この店員さんは非常に親切で詳しく、自転車が好きな人だ。そろそろ自転車の交換時期ですと言われたが、交換すればすぐに盗難にあうから問題だ。「車軸やペダルを交換すればどうなります?」と私、「4万円ほどで可能です」と店員。「ボディー以外が新規になります」と続けて。なるほどそれでも良しとするか。
<近所の山形蕎麦 550円>
5月13日(日曜日)
気を許さない気温
昼間は関西地方とも遜色のないぽかぽか陽気で初夏の日差しは誠にすがすがしく気持ちがよい。木々は大阪などと比べ一ヶ月短い夏の間に葉を茂らせ花を開き実を結ぶ忙しい中にあり、今はなかなか元気がよいので見ごたえのある景色を醸し出してくれるのだ。これが東北の魅力なんでしょうね。だが待て喜ぶのは早い。汗ばむ陽気でも太陽が陰ると一気に冬に戻ってしまう。昼間は半袖もOKだが、夕刻の買い物には真冬に着たジャンバーを羽織り自転車で出かけたのだ。これが東北なのだ。関西のように夕刻網戸にして、涼しい風に吹かれて野球を見ながら枝豆つまみにビールの一杯というシチュエーションはあり得ないのだ。
5月12日(土曜日)
寒い。

昨晩、電気毛布の温度は真冬並にセットして寝た。大阪の感覚では2月の始めだ。掃除と洗濯を済まして、近くにあると言われる薬草園にカメラを持って出かけた。仙台にきて始めてののんびりする休日だ。国道286号線沿いに大年寺があり、ここから寺のある山頂に石の階段を登ってゆく。標高差僅か200mくらいだが、一直線の階段はそれはそれはきつい。この石段を高校生達が走り上がっていた。聞けば、1分ほどで登ると言う。薬草園は、NHKのテレビ塔の直下にあった。木々が生い茂り、ぽっかり空いた空間には芝生が敷き詰められてのどかな雰囲気がある。まずはハンカチの木を目指した。東京でもこの花は同じ頃に開花する。白いハンカチのような花が咲くので命名されたそうな。園内は広大で、ウグイスの鳴く森林の小道を通って散策するようになっている。アヤメはまだだったが、ツツジとシャクナゲが満開だった。高山植物のスミレも開花。風は強く冷たいが太陽は久しぶりに強く輝き、絶好の写真日より。森の中はISO400でも厳しかったことを考えると、いくら木漏れ日があるとはいえ、東北は光が弱いのだと思いました。逆光で新緑を撮影すれば、目も覚めるような緑が浮かび上がってくる。「いやぁなかなか心慰められました」と言って、出発点でカメラを仕舞っていると、管理人のボランティアの方が話しかけてきた。いろいろと話をしている中で、最後の決め手に愕然と来た。「森の中は放射能がきつく、毎月市役所から測定に来ていますよ」と。「この値は平均福島と同じくらいのレベルですね」。せっかく憩いの場所を見つけたのに、体が蝕まれるようじゃ話にならんわ。最も寒い話でした。
<Canon 20D + Tamuron 190mm MACRO>
5月11日(金曜日)

中古屋さんで買った事務机や椅子が届き、やっと事務所の体をなした。FAXとプリンターを買い、○○社東北支店の完成だ。誰も祝ってもくれないし、かと言って、誰かに自慢の出来る見栄えでもない。今週はじめに電話と光回線を引き込んでおいたので、今から何でも出来るのだ。兎に角拠点が出来た。これでしっかりと仕事ができるのだ。今日はこんな出来事で本来の仕事から少し外れてしまった。仕事を終えて帰り際、近くの生鮮食料品店に寄ると、閉店間際で烏賊がお薦めだった。400円の表示でお金を渡すと2匹での値段だった。一度に食べきれないので、保存の方法を聞けば皮をはいで冷凍すれば良いという。早速それに挑戦をしてみた所、生皮はそう簡単には剥がれない事が判明した。それに、内蔵を破かないように取らなければ、台所が臭くなってしまう。料理の道もなかなか深い事がわかった。しかし魚の料理のためには、なんと言っても包丁ですね。現在はステンレスの小さな果物ナイフで料理してますから、切れないのに問題がありそうだ。そのおかげでこの4年間手を切ったことも無いのですが。
<13日に開催される国際ハーフマラソンの出発地 住居の前を彼等は走る>
5月10日(木曜日)
初夏の花

アマリリスは今が見所だ。高知県でも5月の連休が丁度だった。東北では遅い春だが、シーズン終わりの日程が限られているので悠長なことは言っておられず、木々はかすかな春の気配で一斉に芽吹き、草花も一斉に開花すれば、一気に南国の草木のスピードに追いつくのだ。その変わり身の早さは凄い。仙台を代表するセンダンの木には若葉が茂り、もう立派な木陰を作っている。朝のうちは太陽があり、初夏を思わす陽気となったが、午後からは曇り空が広がり、冷たい風が吹き下ろし一転真冬の気温になった。待て待て、午後の話になる前に、本日の重要な事を書かねばならない。昼食の事だ。今日も近辺の家電店を訪問したが、道中にある山形蕎麦の店「伝五郎」さんに入った。店の雰囲気がおいでおいでをしていたように見えたのだ。純日本風の家屋の玄関で靴を脱ぎ、縁側のテーブルに通される。庭には赤と緑のカエデが植わり、燦々と降り注ぐ太陽を受けて、八つ手の影を作っていた。店員は若くて綺麗な娘っ子で、大量のお漬物とそば茶を持って注文を聞きにくる。「何がオススメですか」と私「今は、げそ蕎麦です」ではそれを1つ。待つこと5分。来ました、見るからに旨そう。蕎麦つゆに余り付けなくとも、蕎麦そのものに味がある。しかも蕎麦の量は結構あり、追加をしなくとも十分だった。こんなに近くに、こんな美味いものが。午後は、時折小雨がばらつき風景の色合いもモノトーンになり、初夏の緑が何処かに飛んで行ってしまった。スーツだけだったので震えた。
5月9日(水曜日)
やれやれ

既にここで活躍されている、臨時の仲間と作戦会議を行った。松下のOBの方で営業畑が違っていたので接点は無いが共通の話題はある方。場所は長町のロイヤルホストのレストランで。ここの食事はあまり上手くないですね。ファミリーレストランは不況だと言うが、確かにこれでは客を呼べないなと思わせる味と価格でした。その点マクドナルドはすばらしいのだが、どうも東北のおじさん達は、これを敬遠するようだ。その後、今度は宮城県南部の山の中にある街を訪ねた。車で1時間強の距離。田が広がり稲の植え付けの終わっていて、かすかに蛙の合唱が聞こえた。寒いので蛙も鳴き方を遠慮しているかも知れない。こんなのどかなところで、随分と熱い論戦が繰り広げられて、何とその店から失礼したのが午後8時過ぎ。近年は、多分こんなに遅くまで販売店で粘る販社セールスマンも居なくなっただろう。昔と言っても今から20年ほど前は当たり前の光景だったのだが。寒波襲来の影響で雨が降っている。暖房をつけて此処から真っ暗な道をカーナビ頼りに運転して帰らなければならない。慣れない道程このカーナビは案内がなく、地図を頼りに自分の判断で曲がるだけ。仙台市内に入っても沈黙のこのカーナビは、随分と行き過ぎてから、思い出したように案内を始めた。太白区から、若林地区に入る手前で折り返したのだ。ホント、疲れが倍加しましたね。冷蔵庫の中にある残り物で食事を作り腹に納めた。単身は寿命を縮めると言うが確かに。
<柴田町に広がる田園風景>
5月8日(火曜日)
異変続き

今週は近辺の家電店訪問だ。例によって裏山のアップダウンの繰り返しを行くわけだから、無理はしないまでも長時間の山歩きは体のエネルギーを消費しますね。友人のFさんは定年後山歩きの練習を精進し、体力を増強しているそうな!だいぶんと差をつけらたようだ。こちらは、なんの備えもなくネクタイをしての活動ですから、余計疲れるかも。ノンストップというのも問題ありかも。太白区は仕方ないと思ってはいたが、青葉区も上り下りが同様だったとは。青葉区は仙台駅や区役所や県庁がある所なんですが。昼飯に、大学生の学食に出品しているカレーを頂きました所、量が多いのと、やたら塩辛いのとで閉口です。早い話、おじさん向けでは無かったですね。来ている人を見れば、30歳迄の大型の男性ばかりでした。やれやれ。昼から急激に冷え込んできた。真冬の厳しさに。鼻水が出てどうしようもなくなり、雨も降ってきた。でも、何ですかね。電気店に訪問した際、私の訪問を嫌なモノを見るようにして剣もほろろに断る癖して、差し出した名刺はしっかりと握って返してくれませんね。名刺も言葉も一緒に突っ返してくれれば、気持ちが収まるのですが。今日は収穫無し。それで、家に帰った後、本日の纏めをしていると、まだ9時半なのに目がショボショボ。誤字脱字が急増し、開いているファイルの保存先さへ考える事が出来なくなり、10時前なのに就寝。最近はなんだか天候もおかしいが、当方の生活も10時前に寝付く事が多くなり、異変が起きている次第であります。
<広瀬川でギターを弾くとよく似合う>
5月7日(月曜日)
居るかも知れない、この部屋の住人

まだ低気圧の影響が残り、強い風が吹いている。東北地方は南北に伸びるから、低気圧や、高気圧の関係で、風は西から東に吹くことが多い。このボロアパートも南向で、西からの強い風は、玄関のドアはおろか、窓のサッシもすきま風が微妙に通り、「ビュー」と風の通過音がする。その上、玄関と、この一部屋しか無い居間を区切るドアは、蝶番にいくら油を挿してもドアの開閉時には「ギィー」と音がするのだ。この2つの音が昨晩は相当喚いていたのだが、寝込んだ時も依然強い風は吹いていたのだろう。この風に乗って、誰かが忍び込んできたようだ。強い念力によって体が動かず、目も開けられない。布団の布団を丸めてす巻きにしようとするのだ。僕は動けないまでも必死に抵抗をしましたね。長い格闘の末、ドアの「ギィー」と言う音と共に、この部屋の住人は去って行った。思えば不思議な事がある。この部屋の外の通路は何時も甘い匂いが漂っている。近くのお寺さんが焚くお香かと最初は思ったが、お寺さんに祭られているお墓は境内のずっと向こうにあるので違うようだ。この住民の誰かが、部屋の中で霊媒を育てているかもしれないとも思いましたね。それが、しばらく空き家になっていたが、最近入居したのでこの部屋に立ち寄ったと言うことなのかもしれない。結構強い霊媒だったのだ。
<シャクナゲは今が見頃>
5月6日(日曜日)
もう一つの買い物
もう一つささやかな買いものをした。アップルストアでsplashtop 450円を購入。これは、iPadで自分のパソコンの画面の中に入ってゆけて、エクセルや、PhotoshopなどPCにインストールされたアプリケーションを自由に操作できる。ご存じだろうが、iPadにはエクセルのようなマイクロソフトofficeはない。もちろん、iPadで不可能なフラッシュも動く。これには、自宅のPCにも同じソフトをインストールして、電源をONにしていることが条件で、外からもWiFiを通じで操作できる。難点はiPadの画面があまりにも小さすぎることだ。だがiPadは余りにも魅力があり過ぎで片時も離せない。話は変わるが、今週も前半は、まだ気分が乗らない問題に苛まれた。その問題を解決してくれたのが、「スティーブン・セガール」主演の「沈黙」シリーズだ。スティーブン扮する「ケイン」が圧倒的な力で悪をネジ伏せてゆく物語で、ダイハードのように主人公は弱くないのだ。殴られもしない、撃たれもしない。兎に角めちゃくちゃ強い。B級と言わればそれまでだが、気分は高揚する。WOWOWで5巻連続放映がありそれを全部見ると、僕の問題は解決した。それと、有無を言わさない後半の強烈な雨。世間では遭難や避難勧告がなされたようですが、私には+に作用した。
5月5日(土曜日)
私服

間違って大阪からの転勤に私服のズボンを高知に送ってしまったようだ。昨日Gパンが濡れて洗濯をすれば、代わりのズボンが見つからなかった。その後、雨も上がり、買い物はスーツのズボンを履いてそれに見合う革靴を履いて近くの西友に買い物に行った間抜けな話。そして、今日はそのGパンがまだ乾かず、祭りの太鼓の音が聞こえてきても、カメラを持って飛び出す訳にも行かず一日音楽を聞いた。北国は連休中にお祭りが多いようだ。田植えの時期に相当し、豊作を祈るお祭りとのこと。昔はゴールデンウィークなんか無いが、たまたま時期が重なったのうだろう。昨日のオーディオのメンテは随分と効き、手持ちの音楽をもう一度聞き直したい誘惑に駆られるのだ。総費用1,500円。耐乏の生活者にとっても許される贅沢だ。不思議なもで、買わない生活を続けておれば、それで何とかなって行く。夕刻プール3.5km。レンタル8本。ルーター不調で音楽タイトルが取得できない問題発生。一難去ってまた一難。
5月4日(金曜日)
整理
もう少しこの部屋を片付けようと思い切って捨てることにした。色んな思い出がまだまだあるが、ここは冷酷に対処。読みかけの書籍もすべて裁断してスキャナーに取り込み捨てた。午後、「さくらの」百貨店に買い物に行った。この百貨店は古びているが、痛んでもいるし、手入れがされてない。仙台の復興景気が消える2年後には、多分この店はなくなるだろう。地下の食品売り場に呼び込みのとても上手な女性がいて、ジュースを販売していた。僕も釣られて買ってしまいジュースを飲みながら観察していると、次々に客を誘導した。これは優秀だ。だが、「貴方の職場はいずれ消えるのですよ」その先どうするのだろうかと、余計な事を考えてしまった。次はオープンしたヨドバシカメラ。場所は仙台駅東口からさらに遠くになり、不便になったが、さくらの百貨店とは全く違い大盛況。ここでスピーカーケーブルを購入。何と帰りは大雨となっており完璧に濡れた。北国の雨は冷たい。アンプの極性を取り、ケーブルを交換すれば、音の定位が良くなった。60年代のモノラル録音のジャズは、キッチリとセンターに定位する。音質は、「高域がちょっとキツクなった」。1m150円のケーブルだから、値段相応の音か?深夜、夕刻に降った雨が嘘のように晴れ渡り、月がクッキリと見えた。幾分大きくも感じたのは、空気中の埃が雨で流し落とされたのだろう、と思いきや、翌日のNew Yourk Times紙に次のように書いてあった。一年間で一番月と地球の距離が短くなる日。日本では条件が違うかもしれないが、よく似たようなものだろう。
5月3日(木曜日)
嵐(歌手ではありません)

朝から雨、ひどくなりそうな予報。今日も出勤日だが、〆後の事務処理をパスしてこの2日間外勤したのは、この日のためだった。こんな天気で外回りはできない。この部屋は1m程度の庇があるが、雨は窓を打っている。なかなかいい雰囲気。雨量も風もすごいことになっているのだ。こちらへ来てからというものの、ひどい天候にあっている。大阪と比べて厳しい気象環境なのか?それとも、今年はたまたまこんな気候なのか?地元の人に聞くが回答は妙に自信がないようだ。こんな雨でも会社は動いていて、ひっきりなしに電話が入る。それで一歩も二歩も先に進める。夕刻作業を終えてプールに出かけた。道は冠水し、歩道を通るしかない。プールのおばさんが、「こんな雨の日にきてくれて有難う」公共施設だが、田舎はなんと心のある対応だろうか。2kmを泳いで退散。先週は気分が萎えて、プールにも行けなかったが、動かないと余計に気分が萎える事も分かった。やっぱり、激しい行動があってこそ、ハツラツとした気分でいられるようなのだ。
<猫ではありません。白石市にて>
5月2日(水曜日)
白石市

雨になりそうなので、今日は車で仙台市の南部に広がる白石市を訪問した。ここを終えると仙台市から南はほぼ網羅したことになる。さてこの街は一言で言えば、「死んでいる」不況もここまで来れば単なる政策だけでなく、人の気持ちのケアから始めないと立ち直らないだろうと感じた。国はバラマキの行き先しか眼中にないようだが、なけなしの財源をはたいても単なる時間稼ぎにしかならない。もっと根本的な、人が自発的に活動したくなるような、規制の緩和などの手法があるはず。死んだ街でもパチンコ店だけは元気だった。これにヒントはないのか?この街を見るといたたまれなくなる。住民はジワジワと劣化する景気にこんなものだろうと、違和感を感じないかもしれないが、僕のような部外者は大変な状況下にあると感じる。日本がダメになる縮図がここにあると思いましたね。訪問した店から、帰りに「○○麺」を食べるように言われた。僕はラーメンと聞こえた。店に入り、注文をした。ラーメンかと聞けば、「ウー麺」だと言う。そこで、店の女将さんに蕎麦と、ラーメンとの違いについて教えてもらった。これは饂飩の一種。つなぎに油を使わないので、腹に優しいという。私はざる蕎麦と、冷やし素麺の中間と見た。中々美味いのに余り知られてないのは残念だ。そう言えば名古屋には「にゅう麺」があったな。最後の店は少し遠かった。カーナビをセットした。ちょっと不注意だったのはカーナビを信じてしまったこと。何と、南に行って福島県に入り、高速道路に乗り、手前に引き返し、高速道路の途中で飛び降りろと言う指示なのだ。行き先は高速道路のそばに在るのでこんなミスが発生した。地図で見れば、最初の南下の途中で、左折すれば目的地に行けるのだった。このカーナビは、何が何でも高速道路を指名する。有料道路を除く指示をしても乗ってしまう指示なのだ。なんともはや「富士通のAVNG01」は信頼性に問題がある。
5月1日(火曜日)
塩釜市

得意先を訪問した。あらかじめGoogleの地図で調べて津波の被害がないのを確認した。被災者には声のかけようがないからだ。朝のラッシュには車の運転は自信がないので電車で向かった。朝の時間帯を除くと電車は東北本線と言えども1時間に2本。不便だが、安全第一だ。ここは桜の花が満開で仙台市内より少し遅い。11時前に失礼し、次は事務机を買いに向かった。予め中古品屋さんをiPhoneに登録して置いたので、その地図に従って伺うと、飛んでもないところに着いてしまった。iPhoneの地図検索は当てにならない事をすっかり忘れていた。家に帰り、車のカーナビをセットして訪問した。値段優先で買い物をしたので、色の統一がないのは仕方ない。昔の職場で、組織を立ち上げたことは有るが、机まで手配したことは無かった。支店長用の肘掛椅子は3,000円だった。ミィーティング用椅子4脚16,000円、まぁ色々と経験できています。夕刻整形外科。先週土曜日から続く膝の痛みが取れない。レントゲンの結果骨は異常なし。痛風かもしれないと、血液検査。これだけ運動しているのに?取り敢えず痛み止めの注射を打ってもらう。清算をして帰る頃には、膝の痛みは消えていた。こんなに効いて良いのだろうか?
<釜石駅構内で育てているチューリップ>
4月30日(月曜日)
高速バス

28日に弘前から東北道を500km走って帰ってきた。疲れ果てた。帰りは急ぐ旅ではないから、時速90km〜80kmを維持した。高速道路の制限速度も80kmの表示区間が多い。その横を長距離バスが何台も追い抜いてゆく。高速バスと言えども、20kmオーバーは当たり前でこれが高速道路の常識かと思いましたね。例えば山形〜仙台間は一時間を切る時もある。利用者はありがたいのだが。このバスに普通乗用車でついてゆくのは、なかなか大変だ。それに最近のバスの運転は横暴でまるで自家用車並みの運転。観光バスの2台キャラバンの後ろの車は特にひどい。それにしても道幅が狭いのには閉口です。それで関越自動車道で発生した事故は起こるべくして起こったと思いました。また、このような事故は起こりますね。運転手のモラルが非常に低くなっていますから。いくら規制を高めても、モラルの問題は解決できない。仙台駅前のバス乗り場は50番代まであり、駅前だけでは間に合わず、周辺のビル前もバス乗り場と化している。電車が走ってない地方都市も、新幹線が走っている主要都市も、高速バス網が整備されている。20名足らずの乗客を乗せて突っ走る。これではどう考えても、運転手の給料がいいとは思えない。300-400万円とは言うが、大半はそこまで満たないだろうな。定年後のおじさんの給料とそんなに遜色がないのだ。
<ユキヤナギは大阪の開花時期にに追いついた>
4月29日(日曜日)
まだまだやる気が起きない。闘争心が眠ったままだ。体はだるく眠い状態が続く。左の膝も痛み最悪の状態。だが報告書は月曜の朝必要だから無理しながらも書き上げる。家族への仕送りに銀行に行ったついでに榴岡(つつじがおか)にある桜の花も眺めに立ち寄ったら、花は少し盛りを過ぎていた。いつの間にか春がとおりすぎていたのだ。春霞のように頭がボンヤリとして、録画した番組を見て呆然とした時間を過ごした。これまで、一分たりとも無駄な時間を過ごさないで詰めてやって来たのに。明日もこのままだったら、仕事に差し支えるだろうな。
4月28日(土曜日)
ストレス

死角と言うものはあるものですね。仕事では余りストレスを覚えたことはないのに、この車の運転が僕にとって大変なストレスになっているとは昨日気づかず、今日になって後遺症が出て来た。意欲の減退です。朝から何をする気にもなれないのです。兎に角洗濯だけは何としてでも済まそうと頑張ったものの、週報やその他の残務処理や個人的な光熱費の支払いなど体や頭を使う事に意欲が湧かず放心の状態になった。唯一できたのはレンタル屋で映画を借りて見ることだけ。レンタル屋さんよりも映画館が近いがそれさえもおっこうなのだ。長距離運転のものすごい反動が出てきてどうにもならなかった。映画は「ミッションインポシブル」。これは楽しかったが、映画が終わるとまたガックリときた。キチンと体は年老いているのだと観念。青春とは心の若さであると言う名言があるが、ストレスがきちんと消化されてこそ心も気を張れると思いましたね。プールもなく9時には就寝。
4月27日(金曜日)
弘前市

朝から抜ける様な晴天だ。ここ「大坊温泉」から岩木山がくっきりと見える。電線が邪魔で田圃の畔を少し歩いて撮影した。この靴で土の上を歩くのはインド以来だ。岩木山に限らず周りの山は雪を抱いている。おやおや、東の方には八甲田山が見えるぞ。抜群に旨い朝飯を頂いて会場に向かった。津軽の加盟店様が話す言葉はちょっと難解だ。小声でボソボソと話されては全くの意味不明だ。昼飯は津軽一番の蕎麦屋に連れて行ってもらったが、生憎と休日。次回に期待。こちらのメンバーと久しぶりに懇談し、更にもう一つ仕事を終えて弘前を出発したのは午後4時。行き先を自宅にセットしたカーナビは8時30分を示している。無理のない運転で行くが、途中大雨となり視界不良で更に速度が落ちる。おまけに眠くなる。再々の休暇を取るが眠さは去らず往生した。ラジオは山の中を走る為に十分な受信とならず、本当にどうしようもなかった。暗くなりPC作業用のメガネでは80km走行も難しくなり、遠くが見えるメガネに変えた。運転が少し楽になった。どうにかこうにか帰り着いたのが9時前。帰宅途中で得意先から電話があった回答をPCを開いて作業する。10時。それから飯を作って酒を飲みながら映画を見る。大変な一日が終わった。
4月26日(木曜日)
大館市

12時までに来て欲しい。先方からの要請だ。仙台からは車で310km強。カーナビで4時間の表示。午前7時に出発し、120km位の速度を保ち急いだ。東北道は運転が難しい。先ず道路の幅が狭い。そのため速度をあげると白線の内側を通るのが難しくなってくるのだ。次に道路のデコボコが激しい、第三に登り下りも激しいのだ。5%勾配の登りもある。最後に、道路は80km規制なのに、カーナビは100km規制の時間表示をするのだ。少々急いでも到着時間が早まらないのである。岩手県から秋田県に移る手前でカーナビはこのように告げた。「そろそろ2時間、休憩しませんか」「それどころではありません」と私。秋田県は美人が多いと前にも書いたが、当然男もかっこいいのがいる。今日の商談相手は相当なイケメンだった。失礼な言い方だが、こんな田舎でクスぼっているのは勿体無い程の男だった。性格も爽やかだし、非の打ち所がない。更にもう一件仕事を終えて弘前に向かった。5時到着。ここで休憩。念願の「弘前城の桜」。あの有名なポスターは何処から撮影したのか探るのだ。駐車場のおじさんに聞けば、パンフレットを渡してくれて、多分この辺りでは?生憎と雨がぱらついたが、取り敢えず現場を押さえた。もっと大きなお城かと思ったがそうではない。拍子抜けする位ちっぽけな見張りの用の城だった。本丸ではない。高知のはりまや橋と変わらないガッカリ度。桜は蕾のままで、そこら辺りに雪が残っていた。でも観光客は多かった。弘前のホテルはもうずいぶん前から満杯で、地元のメンバーに旅館を紹介してもらったら田んぼの中に佇む温泉旅館だった。食事は少し手前にある「函館」という名前の回転寿司で頂いた。ここは、520円の皿もあり中々豪華な握りが頂けた。北の幸は旨い。500kmの運転で右の肩がコチコチになってしまった。ここの温泉は、一般客用と宿泊客用がある。違いは、一般客用にサウナがあり、シャンプーや石鹸がない。そこで、先ずは一般客用の風呂でサウナに入った。今日は気温が高いとは言え、北国に於いてはの条件付きで、僕にとっては寒く、中々汗が出なかったが、肩のコリはほぐれて行った。畳の部屋は8畳ほどありゆっくりとくつろげる。薄いサッシ窓だが、目の前は広大な田んぼが広がり、騒音が入ってくることはない。高知の様に煩い蛙の合唱もない。静かなものだ。つかの間の贅沢。
4月25日(水曜日)
エアコンの勉強会

今日は東芝さんのエアコン勉強会。始めてパナソニック以外の商品説明を聞く。この仕事について、いろんな事が始めてだ。脳の刺激にはピッタリだ。友人のK氏も仕事が見つかりそうだと連絡があった。働くのは素晴らしいことだと思う。今年は全国的に寒かったから、夏は相当な猛暑がやって来る筈だ。エアコンが家電の景気を押し上げてくれれば有り難い。南国より東北の夏の気温が高いのは、フェーン現象が影響している。今の気温からは想像も出来ない。今週は予定がいっぱいで時間がなく、なけなしの午後だけ太白区で活動。ここは小山が連続するため、アップダウンでホント直ぐにばててしまう。まだ寒い風が吹く中汗だくになった。太白区は、新幹線で仙台に行く時に、進行方向左手にテレビ塔が見えるが、その近辺が太白区だ。今日は、桜も咲き、チューリップも水仙も芝桜も開花し始めた。東北の花は一斉に咲くというが本当だ。とにかく、この坂の激しさには少々参った。帰りにコープで夕飯の買い物をした。西友よりも安価で品物がよい。ウォルマート傘下だからアメリカの食品なんかは西友有利なはずなのに。例えばグレープフルーツは西友が小さくて最悪。ヨークベニマルとコープは玉が大きい。
<東北大学キャンパス>
4月24日(火曜日)
鶴岡市

僕の中では「東京ロマンチカと鶴岡正義」のイメージが強い「山形県鶴岡市」。会社の車が届いたので、運転しての移動だ。面談の約束時間が10時だったので、7時前に自宅を出た。カーナビがあるので知らない所でも何となく行けるのだが、こナビは、高速道路を利用するように働くので、本当にこれが正しい行き方なのか不明だ。仙台南インターから南下して山形道に出るのはどう見ても不可解だ。山形は仙台からは真っ直ぐ西方向なのだ。山形道から見える山々はまだ雪が残り、月山の峠(日本海側に抜けるにはどうしてもここを通らなければならない)は道端まで雪が残っていた。川の水は雪解け水で激しく流れ、南国とは違った川の風景に驚く。こちらで少々分かりにくい言葉を理解に務めながら商談を終えて昼食となった。さて、山形県は知る人ぞ知る蕎麦の名産地。だが昼飯は「ラーメンに行こう」という。僕は何でもokなのだが。何でラーメン?ところがどっこい、このラーメン店は昔懐かしいラーメンの味ですごく美味しいのだった。場所も幹線道路から少し入った倉庫の隣にあり、「文下食堂」としか表示がない。これでは一見さんは無理だろう。しかもメニューは2種類。「普通なのか大盛り」なのか?だけ。客でいっぱいのこの店は、お母さんと娘の2人だけで営んでいる。奥が深いぞ東北の麺は!この文章を書いていて、後でネットで調べると、とても有名な店だとわかった。地元人でなくても知られているみたいだった。http://www3.ic-net.or.jp/~si-on/hodasi.htm 。なんともはや。
4月23日(月曜日)
環境の変化
今日は昼一番より商談があり、その後は採用の面談だった。2ヶ月前は就活に四苦八苦していたのだが、今日は私の仕事を手伝って下さる方を予備面談するのだ。勿論最終決断は本社の決済事項だが、現在は加盟店開発と同じくらいの重要性を含んでいるのだ。そして、いざ、人を探そうとするとなかなか適任者が見つからないのだ。逆の立場では、なかなか職が見つけられなかったのに。不思議なものだ。それはさておき、この方と面談することになった場所は仙台から松島の方に向かって20kmばかり東に行った「利府」という街だった。空を見ながら少々やばいかなとは思いながら、自転車で向かったがやっぱりマズイ結果となり、面談を終えた頃には本格的な雨となっていた。近くのスーパーで傘とビニール袋を購入し、リュックの荷物はビニールに梱包して、家路を急いだ。知らないところは暗くならないうちに通過しよう頑張った。1時間半。かなりの雨脚と、車の跳ねる水を浴びながら帰り着いた。この水は放射能含みだからあまりありがたく無いのだが。皮肉なモノで太白区に帰り着く頃には雨は上がっていた。
4月20日(土曜日)
春の唄

TV番組の録画の中にミュージックステーション「春の唄特集」があり、酒を飲みながら聞いた。忙しくて酒を飲む暇がなかったが、今日はゆっくりと飲める。ベスト100位から紹介があるが、順位が上がるに従って昔から歌われている曲目が増えてくるので安心する。一位は福山雅治の「桜坂」360万枚を販売した。日本は音楽文化が盛んで季節毎に音楽が作られている。中でもクリスマスには欧米の音楽以外に邦楽でもずいぶんといいのがあるが、アジアなんかでは欧米の音楽以外にクリスマスの音楽はない。暑いくにだから音楽なんか作る気にならないのかと言えばそうでもなく、ポップスでは結構聞けるのがある。感性はあるのだ。ところでこの音楽もただ聴くのと味わって聞くのとでは感激に違いがある。先日ゼンハイザーのHD598を聞かせてもらったが、これはデザインは悪いが音楽の中に華がある。こう言うので音楽を聴けば、知っている音楽でももう一度聞きたくなる。春の唄で「はなみずき」は結構好きだが、これがランキングに入ってない。昼寝を挟み夕方まで仕事の事務作業をしてプールに出かけた。風は冷たく依然冬のままだが、裏のお寺にある桜の花が満開になっている。
<裏のお寺の桜>
4月20日(金曜日)
三春の桜

その車を駆って郡山へ出かけた。時間の余裕を持って出かけたが、福島で渋滞に巻き込まれ4号線を走ることに、カーナビはしょっちゅうインターに引き返せと叫ぶ。無視して4号線を南下。郡山でメンバーと合流、打ち合わせの為の喫茶店を探すがなし、いきなり訪問活動となった。行った先は三春。とにかくおじさんおばさんが多いのだ。一仕事を終えて食堂へ。割り子そばを注文した。1,000円。田舎なのに高い。理由が判明した。三春の滝桜は日本で一番有名な桜なのだ。食事の後、それを眺めようとして向かったら、観光地独自の独りよがりのビジネスが横行し、遠い駐車場、高い駐車料金。気分は一気に減退。そして肝心の桜はまだ咲いてなかった。確かにお金は欲しいだろうが無茶はいけない。二度と客が来なくなるぞ。外はとにかく寒い。結局ここは通過しただけ。気温は6度。大阪では2月の寒気団がやって来たと言われる寒さ。いくら陽光が強くなったとは言え、これでは桜も咲きにくいだろう。一応ここで仕事を終えたのが4時過ぎ。郡山にメンバーを送り、高速道路に乗ったのが6時。ところがまたもや渋滞でずっと手前で国道にでた。暗くて雨の降る抜け道をナビ任せで運転して8時過ぎにやっと到着。車が絡むと電話やメールが中断されこのための停滞があり、頭の混乱があり、なかなか大変だと言うことに気がついた。燃費は13.5km。
<土手にはツクシが顔を出し、背後に桜、花が小さく梅を間違いそうだ>
4月19日(木曜日)
聞いてないぞ

久しぶりに営業活動ができる。夕刻車の納車があるので、今回は住居の近辺を訪問する計画を立てた。ところが、行く先々で辛夷が白い花を開き所々で桜や梅や水仙やヒヤシンスやチューリップが咲いているではないか!春の話は誰からも聞いてないぞ。道中でおばさんが庭作業をしてたので声をかけた。急に暖かくなって一変に花が咲いたんですよと、訛りのある言葉で教えてくれた。こちらは小学生から始まりおばあさんまで道行く人が声をかけるので、何でも聞きやすいのだ。そういえば日差しは春だしかし風は依然として冬だ。夕刻3時半、案内をしてくれるモバイルのバッテリー切れを契機に仕事を終えて帰宅道中で電話があり今から納車をしますとのこと。東京の日産から遙々noteをこちらまで運んでくれるのだ。この車はパート4輪駆動で、先に納車された北海道の方に言わせると、発車の時のみ4駆だそうだ。すっぽんぽんの車で早速カーナビを取り付けにイエローハットに向かった。決済の通りのカーナビを購入した。取り付けをした店員に説明を聞くために、エンジンをかけてくださいと言われた。キーは何処にあるの?と聞けば、妙な顔をされた。キーを差さないでエンジンはスタートできるのですと、店員。えぇと私。何と、車の鍵がなくてもエンジンのスタートは出来るのですね。この店員にしてみれば、遅れているおじさんと映っただろうな。ナビだけ必要なのにDVDや地デジやラジオやらが含まれ操作が一層複雑になっていた。そしてタッチパネルは最悪。アップルを見習えば?と言いたいですね。フリックがまるで逆に動きますので。セルフでガソリンを入れる事も覚えた。車に関しては浦島太郎たった。
<これから咲く辛夷>
4月18日(水曜日)
事務所開設

何でもできるのが小規模の会社の特権だ。今日は事務所開設の工事の立会いだ。道具の進化はすごいもので、この大工さんが持っていたレーザー光線の器具は、昔大工さんが黒墨を糸で引いて、そこに当て材を打ち付けていたが、今はこの黒墨の作業をレーザー光線で行ってしまう。2次元レーザーで壁の直角もきちんと出るし、これなら、僕もできると思いましたね。この地区の大工さんは大忙しで作業をお願いして一月半が経過してお越しいただいた。大工の賃金は今や2倍程度になっているようだ。仙台でもあちこちで家が立っている。こちらなんか被害がないのだが、この際に建て替える需要と、事情の許す人が沿岸から此方に移住してきているだろう。兎に角こちらは凄い建設ラッシュで景気が良い。今ここでしっかりと自分の地盤を見つめておかないと、この復興景気が終わった時大変な経済となるだろな。ここ以外、日本の他の地区は経済不況にあえいでいるから。元にもどるが、兎に角箱は出来た。中身の机を準備しなくてはならない。机の購入は時間がないからこれは来月になってからのこととなる。名刺を出す度に東北に事務所が出来たんですか?と聞かれるが、出来つつあると答えることにしている。
<近くのダイソーの隣にある桜、夕刻撮影すると背後が青くなる>
4月17日(火曜日)
名古屋

月に一度の会議だ。我々は全国のブロックに別れて営業をしているので、全員が集結をして本部からの徹底事項を聞き、その後、我々の活動目標を確認する。当然未達が出る地区もあり、その理由を述べなければならない。昔営業を担当していた頃と同じ状況にある。マネジメントいかんで成果を出す可能性もあり、営業戦略いかんで成果を出す可能性もあり、その手法は種々あり、如何に信念を持ってぶれずに手綱を緩めず頑張るかだ。この感覚は昔も今も大変精神的な負担ですね。が、今は何だか他のメンバーとの知恵比べコンテストの様な感じであり、少しだけだが楽しみがある。勿論この競争に参加するため、ほとんど休日に休まることがない過酷さがあるのだが。隣に座る方に北海道担当の方に聞けば、彼も休日はないと楽しそうにこぼしていた。所で名古屋は空の青さが違う、桜の花も散って葉が出ていた。ワイシャツで過ごせる汗ばむ陽気だった。人は暑ければ汗をかくと言う事を忘れていた感覚が戻ってきた。会議中も窓が開きそよ風が気持ちよかった。世間は初夏なのだ。会議の合間にも電話ありの、調整事項有りーので瞬く間に夜。友人のT氏と食事に行ったのは8時だった。ここまで来て八海山を呑むのもどうかと思ったが、やっぱり北国の酒は美味かった。ホテルは窓が開かず、冷房が効かず暑すぎた。贅沢な話だが。
<名古屋では桜が終わっていた>
4月16日(月曜日)
冬服
2008年から2011年までの間冬服のスーツを着てない。この間の出張先が常夏の国だったので冬の間も夏服で過ごした。2012年一転して、冬服のスーツを着て毎日過ごしている。上に羽織るジャンパーや冬用のコートも4月一杯は活躍する。関西に比べて、冬が一ヶ月遅くなった。多分秋も一ヶ月早く訪れるだろう。太陽は十分春の日差しになって来たが、風は切るような冷たさを含んでいる。特に海から吹く風は冷たい。風の中に春の兆しはない。いつ迄寒い思いをして暮らすのだろう。電気毛布は、此方に引っ越してきた当時からすれば一メモリ下げたが、それでも大阪の冬のポジションだ。朝早くから事務処理を行って出張する予定だったのに、色んな事務作業をしている間に、とうとう日が暮れてしまった。それは夜の10時まで作業は続くのだ。事務所に向かう通勤時間がありませんから相当の事務処理のはずだが。まぁ何と言いますか要領が悪いのだ。その上、寒さを堪えて根をつめるとなかなか寝付かれないのも問題だ。
4月15日(日曜日)
良く動きました

よく働きましたではなくて。今週は様々なことがあり移動距離が長くなりました。中でも、会津と釜石は新しい風景で感激でしたね。先の南会津の道は後60km行けば檜枝岐に続き、そこは東京時代に2回訪れた尾瀬沼への宿泊場所だった。反対方向に行けば、CEの人達と撮影会に訪れた大内宿に続く道だった。東北地方で営業したことがなく土地勘があまりないが、これから旨い食べ物を中心に頭の中に地図が形成できるだろう。釜石は時間がなく探索できなかったが、ひどい言葉のなまりからすれば、相当興味あふれる場所であるはずだ。ここでの商談時に、あなたは何処の出身だ?と聞かれた。僕の高知弁は標準語に近いと思っているが、どうやら彼等の耳には相当違和感があるようだ。休日は掃除洗濯などに加え報告書の作成があり、昼寝も挟むとほぼ一日が終わってしまう。この昼寝は若い頃はともかく、最近は習慣として消えていたモノが復活したようだ。昼間寝ても夜もきちんと眠られるのだ。夕刻プール3km。春の便りもない冬の休日だった。
4月14日(土曜日)

青森駅と新青森駅はほんの少ししか離れてないが、歩くには少々時間を要する。それで電車を選択するが、何と一時間に一本の便しかないのだ。新青森は街の中心地から離れているのでホテルも何もない。中心地は青森駅の方なのだ。だが今日は新青森で待ち合わせたから、こんな僅かな距離なのに努力が必要なのだ。今日の用件は弘前に住むメンバーと打ち合わせなのだが、適当な喫茶店がない。車で延々と街をめぐり和風のファーストフードの店を見つけた。モスバーガーやマクドは道中にあるが、こちらのおじさん達には気に食わないらしい。正面に八甲田山、後方に「帰ってこいよ」で有名な岩木山を眺めた。彼らは今日は暖かい、雪も溶けるだろう。と喜んでいた。それが気温10度。一昨日と同じ薄いジャンパーを羽織ったが、宇都宮では暑くて、釜石で適度で、青森では寒かった。12時前の新幹線で仙台に向かった。仙台で支援下さっている方を東京の支店長さんが紹介してくださる。何だかんだと言いながらも、だんだんと仲間が増えてくる。ほとんど疲れて帰宅し、メール作業。アサリとタコをベースにした水菜のサラダでYMOのコンサートを見ながら夕食。キレの無いYMOは魅力半減。みんな60歳以上のおじさんだもんね。
<まだ寒いぞ、新青森駅>
4月13日(金曜日)
釜石

インドではないが、ここは何かしらアクシデントが必ず発生する。今日は花巻から釜石に向かう途中の遠野駅で電車がストップ。強風のためだ。車掌さんに聞けば、トラックが浮く様な事故があり、それ以来風に対して敏感になったと教えてくれた。地方だから、車掌さんも人間味がありいろんな話を列車の業務連絡の合間にしてくれた。しばらく待ってそこから先はバスによる振替輸送となった。問題は帰りだ。風が収まらないと、電車は動かず、僕の行動が止まってしまう。今日の電車を全部キャンセルして、レンタカーを借りた。車で盛岡に向かい、そこから青森まで新幹線に乗るつもりだ。訪問先の電気屋さんに聞けば、この電車はよく止まるとのこと。釜石は遠くて不便だが、更に輪をかけて不便だと言われた。盛岡まで102km。2時間の行程だった。途中に「風の街、遠野」の看板あり、昔から風の強いところなのだと分かった。道路から見える遠くの山は高く、まだ雪を抱いている。東北新幹線は、高い山に囲まれた盆地の中を走っていることになる。関西とは違った風景が広がる。盛岡からヤハテで新青森へ。この地を踏むのは初めてだ。新幹線は殆どがトンネル。地上の生活圏で工事をするよりか、こちらの方が支障がなく工期が早いのではないかと。夕食は「大戸屋」と言う洒落たメシ屋さんで頂いた。酢豚定食950円。駅前に続くアーケードを少し散歩した、だが風は冷たく手足が痺れてきたので中断しコンビニでビールを買って帰った。iPadに保存した写真を見ながら飲んだ。今週も激しく動いたので写真は豊富だ。些かお疲れだった。
<全然快速ではない釜石線>
4月12日(木曜日)
宇都宮

新人がメンバーに加わる。という事で面会に宇都宮に向った。ホンの2ヶ月前は就職で困っていたが、今度は採用で困っている。不思議なもんだ。スーツの上に薄いジャンパーを羽織ったが、ここでは不要だった。新人と言っても61歳のおじさんで、僕らの職場は色んな雇用形態がありそして年齢も高い。なんせ上司となる部長は72歳だから。昼食でも一緒にどうかとなったが、今日はとんでもない用事を請け負っていて、これから白川に向かわなければならないのだ。ここでレンタカーを借りて雪の降り積もった甲子山の下を抜けて、南会津にある加盟店様を訪問するのだ。明日も早朝から仕事があり、今日をゆっくりすることができない。それで餃子も食べずに新白河に向かったのだが、カーナビをセットすると片道2時間と表示される。距離は57kmなのに。相当の雪道を覚悟しなければならない?だが道中の景色は雄大で素晴らしく、運転しながら何枚も写真を撮影した。1時間10分で到着した。ここでの仕事は拍子抜けするくらいスムーズに運び24分で終了した。昼飯はコンビニで買ったおにぎりだったので、帰り道に蕎麦屋さんを訪ねた。福島の蕎麦はつなぎを使わないので、ボロボロと切れるのが特徴だ。腰もない代わりに蕎麦の風味満点だ。蕎麦つゆはとても美味しい。ここの奥様に遠くに見える雪を抱いた山の名前を教えてもらった。「五月雨を集めて、、、」と言う有名な句があるが、隣を流れる川は雪解け水を集めてほぼ満水の状態だった。最上川も梅雨の水よりは、雪解け水の方が多いのではなかろうか?東北新幹線に乗ると、大宮からずっと左手に雪を被った山が見える。webではその山の名前を連続して紹介するページもある。今回少なくともその一つをじっくりと見たわけだ。ここまでは、快適な話。ここから悲しい話。家に帰り着いて携帯電話を充電しようと気がついた。電話がない。忘れ物がめっきり多くなったので、携帯電話はモデムとラッチの様な金具で接続し、レーザーポイントを付けて目立つようにしてたわけだが、それでもこうしたことが起こる。しかも、どこで忘れたのか不明だ。先月は切符を無くして1万円を失ったが、今月はもっと大きな犠牲が待ち受けてたわけだ。カバンの中には、名札や、財布や、USBなど大切な物が満載だが、もうこれからは無くさないように紐をつけてカバンから離せないような自営手段が必要となった。昨日は忙しくて次々と要件を処理して行ったので、空白が生じたのだろう。自分が知覚しない所で起きる事故はもうどうしようもないのだ。
<会津から見た唐沢山、新幹線新白河駅近辺からも見える>
4月11日(水曜日)
柴田町へ

角田市の手前にある柴田町へ自転車。午後から雨になる予報で、午前中に仕上げてしまおうと出発を早めた。車を使った移動でも自転車を使った移動でも30km圏なら殆ど差がない事が分かった。それに今日のような風のない日には、自転車だって結構速度が上がるのだ。という事で、12時30分仕事を終えて一路自宅へ。後10分の所で雨がきた。おおよそ計算通りのスケジュールで合格の評価だ。着替えて、今度は別の訪問先へ電車で。そこへの道中で見かけました。セリの田を。雨の降る中でお百姓さんが収穫をしていた。この田に張った水は大丈夫だろうか?収穫したセリは、田の水で洗っていた。このまま出荷すれば、あの水で洗ったセリが食卓に並ぶ。恐ろしや。道中で電話とメール。お金に絡むトラブルの調査依頼だ。金額は僅かだが。現地の人間は何でも対応しなければならないのだ。国の経済力が落ちて久しい。政府は政権争いに忙しく、この経済状態を放置したままだ。お金の不足を増税で補うか、経済発展で補うか?どちらが国民にとって幸せなのか明らかだが。無策のままもう20年近くが過ぎ、弱者から経済危機に見舞われている。犯罪の多さもこれに関係があるだろう。私の今の生活は社会の底辺層に近い所得でビジネスもその近くで仕事をしているから、今までと違った世界が見えてくる。生活基盤が違えば見えないものがあるのだ。
4月10日(火曜日)
角田市へ

昨日の続き。今度は車での移動。あれこれ考えながら走るので事故の心配があるが、二日連続の自転車は耐えられない。渋滞と駐車場探しに時間を要するのを考えると、自転車と殆ど違わない効率だ。ちなみに現地を出発する時間は、昨日より15分程度遅かったが、自宅到着時間は殆ど同じだ。こうした外回りの仕事で一番心配なのは放射能汚染だ。福島ほどではないが、結構高い濃度の放射能がただよっているのが見えますね。もう僕の年齢では影響の出る頃には死んでいるとはいうものの気がかりだ。イオンではセシウムの濃度を表示する食品を並べ始めた。毎日食べる野菜は放射線に晒されている。そして野菜は仙台や茨城産が圧倒的に多いのだ。食品スーパーはこの近辺に西友しかなく選択肢がすくないのも問題。角田市は白川と阿武隈川に挟まれた所で、市役所に行くと水が溢れた場合の想定地図があった。でも、その合流地点の風景は雄大で災害とは無縁の景色だ。世間のトレンドは万が一の災害に備えてという風に変わってきてますね。人類が化石燃料を燃やすことで温暖化が進行し人類が地球に住めなくなるシナリオよりも、地球自身の大きな環境変化で人類が絶滅する危険の方がもっと大きいのではと思うようにもなりました。
<東北は蕎麦が旨いがうどんも旨い>
4月9日(月曜日)
亘理市

今日は仙台の南にある亘理地区とその東にある角田市を訪ねた、往復工程80km。亘理と角田市の間には山があり厳しい。その上、今日はとても強い風が吹いている。風の強さを表現するなら「息ができないほど」クラス。実はこの風は電気屋さんにとって朗報でアンテナが倒れて大忙しなのだ。電気店さんを訪ねる仕事も段々と慣れてきて、どんな反応があるのか楽しみになっている。そしてナビで活用しているiPhoneのソフトウエアバグが分かってきた。位置検索はとんでもない場所を表示するが、ルート検索はわりと正確なのだ。片手にこの電話、片手にハンドルと強風の中を移動した。角田市に入るには阿武隈川をもう一度越える。その前に堤を暫く走るが、実に気持ちの良い風景が広がる。こころが洗われますね。こちらへ来てからというもの、いろんな風景で感動を受けている。思えば、2008年からの私の人生は新しい風景との出会いの連続だった。丁度デジカメの普及期に突入したのでずいぶんと撮影した。東北のカットはまだ2,000枚程度だ。膝の痛みが活動の限界時間を教えてくれた。家に戻れば、買ったばかりのFAXに着信履歴があるがFAXは届いてなかった。どうやら設定が必要なのだ。今ではFAX専用機がないので、こういう事が発生する。僕にとってはFAXは過去の異物だが、この業界ではまだまだ現役で重要な役目をするのだ。
<亘理市から福島県相馬へ向かう列車はまだ不通のまま>
4月8日(日曜日)
蔵王

早起きして7時50分の仙台初山形行きのバスに乗車した。ここから約1時間。バスの乗り換え時間は30分。その間何を話したかと言えば、彼の新しく買ったスマホの使い方。久しぶりに会ったというのに、これだからおじさん達はつまらんのだ。山形から再びバスに乗り換えて40分。蔵王温泉はまだ雪の中だった。気温は−8度。ロープウェイで山頂まで行き、写真をバチバチ撮影した。他の客は全てスキーやスノボで僕らだけ浮いていた。従業員の人に聞けば今はシーズンオフで、ロープウェイも明日から止まると言われた。が、実は昨日の大雪でゲレンデは最高の状態だし、木には雪が張り付き、シーズン最高のコンディションになっていたのだ。少しの撮影時間でもとても寒くて指が動かなくなり、ヤバイのではないかと待合室に駆け込んだ。それに靴は雪でぐじゅぐじゅ化しもう下山すべきだと警告信号が鳴っていた。時々太陽が顔を出すと、白銀と青空のバックが絶妙で時を忘れさせる感動があるのだが。下山してこちらで有名なそば屋さんへ伺った。店の名前は「もってのほか」盛りそばがお薦めだと言う。お酒は「住吉」。友人はビールとゴボウソバ。私の方の盛りそば。この味は書き表せない。腰のあるソバに昆布と何かの出汁で取った絶妙なおつゆ。これに、わさびではなく、辛み大根で薬味とする。とても贅沢な盛りそばなのだ。もう一本お酒を飲みたくなったが、まだ先は長いのでここらで切り上げた。友人曰く、津波の被害を見に行かなくて良かったと。僕もそう思う。帰りのバスは爆睡状態で仙台到着した。
4月7日(土曜日)

5時に起床急いで食事を済まし、洗濯を片付けて、報告書の仕上げを行い、得意先に電話をかけ郵便物を発送し、ぎりぎりの時間に仙台駅に到着した。今日は友人のT氏が来仙するのだ。かれは今、小田原に住んでいる。来る前に相当寒い事を伝えてあったのでそれなりの服装だった。今日の仙台駅周辺では雪がちらつく真冬日だった。まずは彼の知人である楽器店に訪問した。そこの社長さんと昼飯をご一緒した。利休の牛タンだ。いきなり仙台名物だ。彼からは、こちらに暮らす仙台事情を伺った。それから、彼のリクエストで被災地を見学に向かった。その途中に松島があり、遊覧船に乗ることにした。この湾は深く、被害はあまりなかったようだ。船が出発すると、カモメが追いかけてくる。最初は理由が分からなかったが、船でカモメの餌を売っているのを見て合点が行った。船尾でこのお菓子をカモメにあげるのだ。手で持っていると、その餌(3cm位のおかき)を上手にさらってゆく。船は相当な速度で進んでいるし、風も強く吹いているのに、カモメは上手に手から餌をかすめ取ってゆくのだ。相当な飛行技術。この可愛いカモメだが、アップで撮影すれば目は笑ってなく、結構恐ろしい人相なのだ。そして口の中は赤く、凶暴な感じがする。遊覧船では島の説明を必死に行っているが、カモメに餌を与えるほうがもっと楽しく、多くの人がこちらに関心を抱いたままだった。楽しい遊覧船のクルージングを終えて、石巻に向かった。湾に向かって右側の地域がやられているのだが、民家もちらほらとあり、何処まで津波が来たのか判別付かない状態に復帰している所もあった。明らかに新築の家もある。不思議なのは、その家は盛り土をするのでもなく、前の土地にそのまま建てたようなのだ。私なら、この津波の経験を生かして、土台を高く上げる工夫をするのだが、ここの住民がなぜ対策を施さないのか分からない。港に面した工場のコンビナートは廃墟になっていた。余りにも巨大な工場はまだ撤去が進んでない。高台の家は震災前のまま密集して建ち、波の及んでないところとは一寸した差で明暗を分けていた。そして更に進と広大な平地が現れた。痛ましい風景だった。明日は更に陸前高田市に行きたい希望を説得して蔵王の雄大な景色を見ることにした。
4月6日(金曜日)
北上

かねてより予定していた北上市。気分的には大げさな移動だが、距離は大阪から岐阜羽島に行くのと同じだ。今日の面談者は地元の名士さんで随分と貫禄がある方。僕としては、貫禄負けしないように、もったいぶって情報を開陳するのだ。商談は終わり食事にお誘いされた。ショッピングセンターを一緒に歩いていると、行き交う人がこの名士さんに声をかけてくる。相当に有名な方なのだと思いました。集計すれば、一ヶ月に毎日違う人と40人程お会いし再び合うのは年に一度くらいだ。ストレスが溜まっているのかどうかは不明。レストランで同じ天丼を注文した。ご飯が美味かった。その事を口にすると、彼らはこう言った。「ご飯が固い」。成る程。食感と言うのはこうも差があるものかと。北上駅で帰り電車を待っていると、突然雪が降りだした。吹雪だ。余りにも嬉しかったので友人にメールを送った。撮影の間だけでも、雪まみれになる。この日は報告書の作成を午後9時まで。ほぼ書き終えた。
4月5日(木曜日)
再び
勧誘業は、粘りが必要だが、しつこさは不要だ。その境はどこかといえば、感情だ。だから、裏目に出る場合もあるし、表に出る場合もある。保険のおばさんにとっては周知の事実だろうが、僕にとっては未知の分野である。今日は、それが表目が出たのだ。所謂、僥倖という奴だ。しかも近所だから、移動にも時間はかからない。嬉しかったですね。酒を飲んで祝いたかったのですが、明日も重要な面会があり気を許す訳には行かなかった。せいぜい、外食で680円のピザとサラダ580円を注文するくらいだ。この近くのレストランはピザがうまいのだ。
4月4日(水曜日)

時折カンカンと鐘を叩く音がするのは、強風で煽られた何かだろうと推測しながら寝ていた。目覚めると窓にはシャーベット状の雪が張り付いている。猛吹雪になっていた。ブリザードと呼んでも良い凄い風と雪だ。14階にあるレストランで朝食。自慢の「ひとめぼれ」の米はそれ程でもなく、父が送ってくれた高知の米をパナソニックのIHジャー炊飯器SR-SY102で炊いた米がもっと旨いように感じた。今日は、こちらに在る得意先の社員さんが開発したお店に伺い、当社へのPCアクセスをご説明する仕事だ。じつは、新人の私にはこのアクセス権がなかなか与えられず、一昨日自宅で開通できたばかり。それで今日ぶっつけ本番なのだ。しかし、そこはそこ、PCマニアを自他ともに自認する私としては十分な仕事が出来たのは言うまでない。趣味が私を助けたのであります。一仕事を終えて、この若いセールスマンと北国の生活を聞きながら、事務所に帰った。責任者の方は、胃薬を持参しているような、課長さんだった。駅まで送って頂き再会を約束して別れた。時計をみれば3時前。釜石までいけそうな時間。早速先方に電話をかけると待っていてくれるというので向かうことにした。新幹線の出発は1分前だったので急いで駆け込んだ。 だが、待てども一向に電車は発車する気配がない。30分位待って強風で電車が止まっている事を告げられた。もう北上から釜石への接続はない時間だった。あれぇ!先方に電話をかけて訪問できない旨伝え切符をキャンセルして、仙台行きの切符を買った。東京行きも40分待って電車は出発した。疲れて仙台に到着。
4月3日(火曜日)
低気圧

嵐がくるのはわかっていた。それで傘を持って出かけた。今日は盛岡から、販売店を訪問しながら南下して宮城県の県境まできて、再び盛岡に帰る計画を立てていた。どんな話の展開になるやら見えないので、スケジュールはゆっくりと組んだが、最初からつまずき、2時間も滞在してしまった。もう昼前で、小さなJRの駅前にある、蕎麦屋さんで昼食を取った。ところが、知る人ぞ知るここはそばの名店で、続々と客がやってくる。僕は、列車の時間を告げて間に合うようにお願いした。まだかまだかと待たされるのは気分が落ち着かないからだ。店員さんは、「どうか間に合うようにお召し上がりください」。と、心が通うではないか。都会で失われた人情を感じますね。次に向かったのは、駅から歩けば24分とiPhoneは表示しているので、ぶらぶらと1時間前に行動を開始した。ところが行けども先が見えてこない。何と、この時間は「車での移動時間表示モード」だった。ありゃ!急遽駅前でタクシーの運転手さんに貰った名刺の電話番後に電話。その待つ場所は何と葬儀屋の前だった、何か悪いことが起きそう。さて、この行き先だが、iPhoneの表示は新幹線の線路の真ん中を表示する。おかしいなと思いながらも行くと、案の定田の真ん中だった。新幹線はこの地下を走っているのだ。慌てて訪問先に電話をかけ場所を教えてもらいたどり着いたと言う訳だ。まぁ色々あるわな。次はJRでぐっと下り金ヶ崎。とうとうここで嵐になった。約束の時間には少し時間があり駅の待合室で過ごした。無人駅で駅の周辺にも店は無い。だが待合室は暖房があり快適なのだ。東北の駅はだいたいこの様に暖房設備が整っている。嵐は益々酷くなり、やがて日が暮れて外は真っ暗になっていた。午後7時持参の傘をさし歩き始めたが、時折物凄い突風が方向を変えてやって来る。風のフェイントですね。道は暗く遠くの街灯を目指して進むしかない。雨が激しくなった頃、強い突風が後ろからやって来て、傘の布地部分を持って行った。骨だけになった傘を抱え、ダウンのフードを被って行った。道は益々暗く、水たまりを踏んでしまった。ここまでして仕事をするか?でも道半ばでは帰れない。できるだけダウンジャケットで身を包んで歩いた。訪問先ではちょっと失礼だが、濡れたまま話し込んだ。気がつけば帰りの電車の時間だ。急いで失礼した。途中にダイソーが見つかり傘を買ったが、駅までに壊れてしまった。駅で列車を待つこと1時間。盛岡からの遠隔放送でわかったのは、列車は来ないことだ。えぇ!暖房があるとは言え濡れた服や靴はここでは乾かないし、ここにはホテルはないのだ。地図ではちょっと遠いが新幹線の駅がある。そこまでタクシーに乗ることにした。北上駅で待つこと40分。濡れた靴は寒かったが、新幹線は定刻にやって来た。15分で盛岡駅。さて、普段は一日の出来事をここまで書いたら終わるところだが、今日はまだ続きがある。濡れて疲れ果ててホテルにチェックインしたが、腹の方はペコペコ状態だ。そこで周辺に何か無いかと探せば、コンビニがある。旬を過ぎた弁当が寒々しく少量並んでいた。これではあまりにも侘しすぎる。小雪のちらつく中、ブラつけば、タンタン麺の店が空いているではないか。覗けば多くの酔っ払いが食べている。もう酒を飲んで帰る時刻なのだ。早速入っていただく事にする。ついでにキュウリと鳥肉の和え物も。実に感動的な味わいでした。全体を引き締めたのは、長ネギを縦方向に刻んだトッピング。シコシコ感が、辛さを抑えいい仕事をしている。時折、キュウリの胡麻を使った和え物で、舌に甘みを追加し、ヒリヒリ感も無く頂いた。岩手県は麺の王者が潜んでいるようだ。
4月2日(月曜日)

長いことメーカーにいてむずがゆしさを感じていたのは、応酬話法だ。セールスポイントの羅列にすぎない応酬話法は何の説得力もないと思っていた。これは、海外の資料でも同じだった。ところが今日は、販売店による販売店の会議に出席して目から鱗が取れた。売れないと言う声を封殺する販売トークが聞けたのだ。あまり外に出る話ではないが、本音の商売のやり方がここにあった。ここはメーカーとは随分と離れた場所だった。販売店の前でいくらメーカーが応酬話法を話しても馬耳東風なのはここに原因があったのだ。現場現物と昔からよく言われるが、現場にゆけば行くほど、変な矛盾はない。ごまかしも効かない。長い営業生活の締めくくりができそうです。ここは前橋。昼前に到着したので食事をと見回しても何にもない。OL風の人達がビルから出てきたのでついて行くと弁当屋さんがあった。ここで弁当を買って横にある椅子で頂くのだ。味気ないようだが、ロケーションは良かった。所謂道の駅みたない感じの店だったのだ。
4月1日(日曜日)
すっかりこちらの生活も落ち着きを取り戻し、自分の生活パターンに回復した。減ったのは英語と読書の時間で、増えたのは仕事の残務整理、下らないTVを見る時間と、FM太白を聞く時間。とりわけこのFM放送が優れている。この放送を聞くためにだけ、こちらに住みたいと思えるほど素晴らしい番組だ。おしゃべりはかっこ良くないが本音。流す音楽は、懐かしのJ-POPからJAZZまで豊かだ。出力20Wなので、ほとんどこの近辺でしか聞くことができない。今までインターネットでアメリカのJAZZ-FMサイトにアクセスして聴いていた音楽は中断してしまった。日本の文化は東京だけではない。大阪にもキチンとあるが、仙台にもまだ奥深い文化がありそうだ。2月97,000円、3月98,000円。これ一ヶ月の総支出。今月も余計な色んな出費をしたが何とか10万円以下で収まった。名古屋や秋田、いわきなど宿泊を伴う出張もあっり、ホンの少しだけ手当があり、上手く回った。放射能が含まれているかもしれない野菜を買って自炊を続ける限り、10万円以下で収まりそうだ。
3月31日(土曜日)
土曜日も仕事
今月の実績をまとめて報告する作業に半日。大雨になるというので、洗濯と乾燥に半日を費やし一日が終えた。事務処理能力が遅いこともあるが、土曜日の半日以上は仕事に使う事を覚悟しなければ、この仕事が回って行かないことが分かった。夕刻プール。どえらい早い水泳選手が僕のレーンにきて、スイスイと横を追い抜いてゆく。その感覚たるや、新幹線と在来線の差だ。中学3年生の女の子だった。
<仙台にいてこの川を掲載しなければ居る価値がない=広瀬川>
3月30日(金曜日)
ホームシアター

目覚ましは地震。パット目覚めます。起きる前にぐずることはない。この所、地震が多い。雪が降るのと同じように地震がある。そして両方にまだ慣れない。会社からプロジェクターとスクリーンが届いた。事務所がないので、まだ自宅が仙台拠点だからだ。EPSONのEB1760W。1280x800の解像度だ。スクリーンサイズは80インチ。つまりこの6畳の部屋の横一杯のサイズ。こんな機器を届けられて血が騒がない筈がない。この夜早速映画劇場の試写会ですね。プロジェクターにはBW680からHDMIで接続し、音は既存のオーディオシステムから再生した。何とこの機器スピーカーまで搭載し、小さいながらも音も出る。勿論会議用の機器ですから輝度が高く、照明を落としても、スクリーンの反射で部屋が明るくなるのは仕方ないとしても、色はしっかりと乗っている。3m位離れた位置で80インチの映像はなかなか見応えがあります。アンジェリーナ・ジョリーの「ツーリスト」を見た。大写しになる彼女の唇が艶かしいかった。家庭用プロジェクターの黎明期の頃から、触れていたが、最近のは非常にできが良いですね。家庭用にはファンの音をチェックのこと。
3月29日(木曜日)
エネルギー問題について

古川に行った。仙台から新幹線で僅か15分の北寄り。だが接続の悪い在来線では2時間近くのリスクを見て行動しなければならない不便な所。車があれば問題なし。こんなちょっとした距離なのに、吹く風がとても冷たく、同じ県内なのに随分と気温に差があるもんだと思いました。要件は30分程度で終えて、今度はこの近辺にある電気屋さんを訪問した、昨年のエコポイントの時操業していた店も今では廃業している。その数滅法多く、日本は深刻な不況下にある事を感じますね。電気店さんの訪問にはiPhoneのGPSが役に立った。記入した住所で呼び出すと、現在地から案内をしてくれる。転職と共にいいタイミングで買ったもんだと自慢したくなる。午後一の新幹線で仙台に戻り、今度は仙台市にある店を訪ねる事になったが、iPhoneを頼りに行くと、とんでもない田舎に来てしまった。得意先の事務所はビルの5階なのだが、ここには田んぼしかない。約束の時間に遅れることになった。GPSはやばいので、webで調べると、先方の住所は仙台市なのに、名取市の一部を示す。飛地というのもあるのだろうか。それに仙台市の住所も変な番地だから可能性はあるぞ。それで今度は名取市まで行った。そしたら、そこは同名の保養施設だった。またもや先方に約束の時間に遅れる旨連絡し、失礼が重なるので今度は住所と付近の風景を聞いた。そこは、仙台市の東の方にあるのだった。今度は名取市の中央から仙台市を横断ですね。結局2時間半遅れで訪問できた。この日は、古川市で2万歩近くを歩き、仙台市で自転車で道に迷い、3時間ほど乗ることになった。体力には十分自信があるのだが、今日はエネルギー枯渇ランプが点滅し始めた。COCO1番で大盛りカレーを平らげ、午後9時に床についた。
<まだ昔が残っている街並み(古川市)>
3月28日(水曜日)
シンプルな経営
毎日毎日電気屋の親父さんに合っているとわかってくることもある。それは非常にシンプルな考え方である。儲かるのかどうかが行動基準だと言うこと。大企業の従業員になれば、無駄とはわかっていても大量の資料を作成するように要求される。自己保身のために報告書を作成する場合もある。それらの資料は一銭の価値を産まないにも関わらずにだ。そして、それに慣れれば、疑問を感じなくなる。しかしだ、実際には利益を蝕んでいるのだ。それが個人企業では一切無い。状況が厳しければ長く働くし、客に目を向けている。今までこんなことは見えなかった。多分経営の基本はここにあると思う。創業者が経営者であれば、企業の大小を問わず、そう言うシンプルな考え方が社内で通じるようだ。企業の寿命30年説と言うのはここから来ているのでは無いかとも思いました。
3月27日(火曜日)
不作の一日

出かける前にまた雪。近隣を自転車で訪問する予定。行った先は高台にある団地の中で、道中の日陰は雪が残っている。故郷の高知では桜が満開になったニュースが届いたというのに。今日は仙台から南に20kmばかり南下した。すると肌を指すような北風が幾分柔らかくなるではないか。仙台でも北の方に位置する泉区では雪が残ると言われるので地形や位置で随分と気温に違いがあるようだ。今日は行けども行けども不作で気が滅入る。移動中iPhoneで会社や得意先とのメール更新を行いながら、行き先のナビを表示しながらと、
大活躍だ。先週までは、訪問先の地図を加工してプリントアウトしてと、リストを作成するのに半日を要していたが、今ではリストをiPhoneにインプットするだけの1時間で終えてしまう。何というITの威力。昼食に立ち寄ったスーパーでおじさんの人が昆布の販売をしていた。話を聞けば、今がワカメの今が旬だと言う。三陸沖のワカメがいかに美味しいかを分かりにくい方言で教えてくれた。確かに試食は美味かった。それって「味付けが美味いからだろう」。「素が上手いものは、簡単な味付けで美味いもんだよ」。とおじさん。彼は毎週スーパーを変えて行脚しているそうだ。「あんたも営業かね?」と聞かれたので、「そうだ」と答えた。また何処かで会うことがあるかもしれない。このようにおじさんから話を聞き出すのは上手いのだが仕事はうまく行かない。帰りは真っ直ぐ帰ったが1時間半を要した。
<宮城には神社仏閣が多い、名取市「竹駒神社」>
3月26日(月曜日)
再び雪

これ程立派な朝日は無い。清々しい朝だった。昨晩は10時間も寝たからその感覚は倍増だ。所がどうだ。10過ぎには空が暗くなり雪が舞い出した。そして、猛吹雪となった。もう動きが取れません。そして、1時間後、再び太陽が顔を覗かせたのです。この天気の変わり様には関西人はついてゆけません。今日は駅前にあるLABIでFAXを買った。売り場で機種による機能の違いを見ていると、私と同じ年格好のおじさんがやって来て、違いが分からんとぼやいていた。確かに子機への送信周波数が1.9Ghzと2.4Ghz、この違いが価格差なのかPOPで理解するには少々難し過ぎますね。そのお客様さんもシャープの機種は眼中になく、パナの2機種から選びたいようだった。私は此方がお勧めですよと伝え、目玉品のPD301を買った。11,000円。コジマではPW521が13,300だった。どちらが得なのかよく分からない。FAXは仕事に使う。このように色々と個人でも揃えなければならないアイテムがある。このために電話料金も950円増加する。だが仕方のない投資だ。帰り道で新発見。LABIの正面に「野菜と魚の市場」がある。那覇市の海鮮市場のような感じで。駅前なのに相当大きな市場だ。覗くと確かに安い。カツオの刺身1/4カットが300円。西友では580位だから、ずいぶん安い。アスパラガスも両手で握れる大きさで100円だ。多分アメリカ産だが、西友では親指と人差し指で握れる大きさで98円だ。今日は何だが嬉しい発見をしたね。関西よりも確実に野菜方面ではいい買い物ができてますね。その分放射能が心配だが。夜になるとまた雪。
3月25日(日曜日)
夜明け
大阪に比べて、こちらは朝が早い。午前8時となれば、大阪の午前11時の感覚ですね。つまり世間で言う一仕事終えたようなお日様の対応となる。それに、この部屋はやや東向きの高台にあり、日の出と共に太陽が北側の玄関まで差し込むから、朝の時間が長いのだ。ここは見晴らしが良く、カーテンも閉めることはなく、朝日も直接なのだ。こちらに来てからほとんど本を読んでないので、今日はゆっくりと読書に浸った。夕刻プール。コレにエネルギーを使い果たし、午後9時就寝。
3月24日(土曜日)
雪は10cm程積もった、洗った洗濯物は乾かないだろうと、コインランドリーに行った。僅かこれだけの雪でも自転車ではよく滑る。今日はこの後、インターネットの設定をしなければならない。NTT東日本はえらい強引で、この日に設定しないと無効となるような話しぶりだった。回線速度は大阪よりも心持ち早いという感じか?これで、一応仙台の生活基盤が完了した。夕刻プールへ3km。北国の人は余り泳がないのでプールが空いている。一時泳いでいる人は僕だけになってしまった。他にも仙台の特徴にスーパーのレジのスピードがある。行列が出てきているのは客が多いためではなく、レジのスピードが遅いのだ。大阪のおばさんなんかが買い物に来たら、「ねえちゃん、さっさとやってや!」と言うだろうな。東北人はホント、とろいですね。それとレジの人は言葉がおかしい。「1,000円から頂きます」と言う。「1,000円頂きます」と言うのが日本語とちゃうか?それに「レジ袋はお持ちですか?」「持っていない」と言うと、5円のレジ袋が加算される。それで、毎回「レジ袋は必要でない!」と言って、レジを訂正して貰っている。こういう場合「レジ袋は必要ですか?」と聞くのが正解だろう。東北のレジのおばさんを責めても仕方ないが、大手スーパーの企画マンは歴とした教育を受けているだろうに。日本語がおかしくなっている。それと東北の魚は新鮮ですね。ここの部屋が小さいので、魚が焼けないのが残念。だが放射能入りの可能性もあるので、まぁ手を出さない方がいいかも。
3月23日(金曜日)
幸先良いぞ

山形の店に電話をすることとなった。その店には紹介はするが、自分の名前は出さないでくれという。私としては朝早いのだが朝しか在宅してないと言うので、期待して電話をすれば、話している途中で電話を切られてしまった。がっ〜ん。朝一番から幸先の悪い話だ。だがこんなことで泣いていてはこの仕事は勤まらない。もっと顔のツラを厚くしなければならないと気分を取り直してホテルを出た。飛び込みは断られてなんぼだから、次々と回る。と!突然私の携帯電話が震えた。先ほど訪問した店からだ。ご主人が帰ってきたので、もう一度説明にきて欲しいと言われる。脈ありだ。私の数少ないセールスポイントを駆使して成約にこぎ着けた。この仕事を始めて2週間目で始めて得られた成果だ。今日は幸先良いぞ!モチベーションは猫の目のように変化する。2万歩を歩き、午後遅くなり、雨も降ってきたので退散することにした。それにヒルメシも喰ってない。小説で熱心な刑事が5万歩を歩き調査したと書くがあれは嘘、一日隈なく聞き取り調査をしても精々3万歩が関の山だろう。5万歩では、調査をせずただ歩いているだけですね。今週は太平洋と日本海を見た。もう一つ、「いわきの言葉」は関東弁で全く問題無しだった。この3年間は言葉で不自由してきたので嬉しかった。仙台は冷たい雨が降っていた。家に帰ってカトリーヌドヌーブの映画「昼顔」を見ながら山形の銘酒「刈穂」を呑んだ。超辛口との友人のメールだった。なるほどすっきりしているが、甘みもありコクもある。凄い酒だ。今日は最終26,000歩を歩いたので、酒が甘く感じたかも知れない。車の音が聞こえないので外を見ると銀世界だった。
3月22日(金曜日)
いわき

新聞やテレビでこの街は復興需要で活況であることを何度も報道している。これは是非訪問すべきことであるとして、出かけることにした。その活況ぶりは、まず、ホテルの予約からサッシがつきますね。予約が出来ない。満杯。郡山泊もやむなしとして出かけた。念のためにキャンセルが出てないのか確認すれば、一室だけあるというではないか。これが震災で湧いている福島の海岸沿いの街の実態である。この街は新幹線から遠く離れているので、仙台から3時間を要する。もっとも自宅から仙台までJRを使えば1時間を要するので、地方都市の移動時間は笑えない部分がある。それで仕事を始めたのは次第に暗くなりかけていた午後5時からで、コンビニの明かりで地図を読む時間まで活動した。仙台と違ってこちらは夜になっても気温が下がらないのが有難い。この仕事は結構緊張しますね、飛び込みセールスマンほど負担の大きなものはない。しかし実際にその場所を訪ね、相手の意向を聞かねば実態は解らない。ハローワークの求人は、例えそうであっても絶対に飛び込みセールスはないと明確に書いてある。でもやってみて、それが自分でやれるんだというのは驚きでしたね。今日はエネルギーを食うだろうと、昼食に「東京トンカツ」を頂いた。だが、胃もたれして、夜は軽いものとなった。海鮮コースの店も多々あったが、ここの魚はちょっと怖いだろうと敬遠。それで「安曇の蕎麦」をいわきの駅前を眼下に見下ろせるレストランで頂いた。と言っても地方都市なので寂しい夜景なんだが。それにおじさん一人がiPadを見ながら食うのでは、ロマンチックも何もない。ホテルへの帰り道、バーやスナックが集中している所を歩くが、時間が早いせいか人通りは多くなかった。
3月21日(水曜日)
山形で約束があり出かけた。

7時半のバスに乗って山形に向かった。駅前で前回と同じレンタカーを借り、目的地に向かった。搭載のカーナビ案内も同じ人の声で前回で感触がつかめていたので、今回は余り間違えないで指示に従うことができた。仙台も少し小雪が舞っていたが、こちらではかなり本格的に吹雪いていた。最初の商談の店では、店の駐車場に車をいれることができず、いきなり社長さんに挨拶をする前に車の運転をして頂いた。何とも頼りなく見えたことだろう。次に向かったのが酒田市。カーナビは高速道路を選択してくれない。何で?この指示に従えば3時間もかかることになる。大変だ。約束の時間に間に合わないし、飯も食えない。しばらく行くと高速の乗り口が見えてきた。思い切ってナビを無視したら、到着時間が30分短縮された。有難い。今度の商談は運転技術を見抜かれてはまずいので、近くにあるイオンモールの中で行った。ここだと広い駐車場があり、私でも楽々駐車可能だ。スリランカの友人にロシャンと言う青年がいる。彼の英語は非常に綺麗で、私には関係代名詞を余り使わない英語を話してくれるから、結構プライベートなことも理解ができた。完璧な理解ではないのだが。実は今日の商談も同じような感じで、僕が完璧に理解しているとは言い難い感じだった。何度も「私が聞いている意味はそうではない」と訂正された。日本語も地方にゆけば英語同然、結構難しいのだ。しかし、それでもかなり打ち解けた話ができたのは、iPadを仕事に活かす方法や、そのソフトウエアなど関心事に共通する部分が多かったからだ。こちらは、僕の得意とする分野だから、突っ込んだ話が出来たのだ。先週のPCマニアのお店と言い、なかなか面白い人に巡り合わせて貰った。この先どんな展開があるかわからないが、この仕事は面白そうな予感がしますね。帰りは7時に車を返却しなければならないのに、カーナビは6時59分とぎりぎりを示している。心持ちスピードを上げた。月山付近はアイスバーンで結構慎重な運転を要求された。山形からの走行距離は往復200km。更に仙台からバスで片道70km。若い頃でもこんなにハードな仕事はしなかったぞ。
3月20日(火曜日)
ビジネス

今日は近場の電気店を回ることにした。昨日のデータの信憑性を確認するためだ。非常に寒い日であるが交通便は自転車。もし私が従業員を採用して、効率が良いから、自転車で訪問しろと言うのはキット嫌がるだろうな。この姿は、しがない行商人と同じスタイルにだからだ。パナソニックの店は全面的に休んでいて、量販店の書き入れ時に休んでいる小売業のあり方はどうかな?と思いましたね。海岸沿いの店も訪ねて見た。漁船が田んぼの中に忽然と現れ、津波の凄さを今でも見ることができる。尋ねた店は、付近の民家と共に更地となっていた。貸切のバスが近くに到着し喪服をきた大勢の人が降りてきた。道は直線だし、後500mで波をまぬがれたところではあるが、人々はよもや津波が襲ってくるとは思わなかったのでしょうね。この風景をみるとご冥福をお祈りするしかなかった。引き返し団地の中にある店も伺った。仙台の団地は市の西側にあり結構な高台にある。コレを自転車で登るのだ。寒いので厚めの服を着ているので忽ち汗だくとなるがパワーは残っていた。昼間食ったステーキ1,200円の効果があるかも。自転車の山登りは休暇の度に遊んでいたから、気にはならなかったのだが、家に帰り着いてから問題が出てきた。物凄く腰が痛くなったのだ。もう若くはないと思いましたね。しかし商談も含めると6時間自転車と戯れたのだから、こんなモノかも知れない。10時前に床に就いたが、暫く体が痛くて眠れなかった。かなり無茶なことやってます。
3月19日(月曜日)
事務処理
就任という事で力んで仙台に飛び出してきたものの、現地の情報は余り持ち合わせがない。何処かで整理をする必要があると思っていたが、バタバタしていて、今日までその時間がなかった。それで今日はネットから入手できるデータを整理して、地図と連携させた。手間がかかるが、訪問には便利だ。PCと終日の膝詰め談判は久しぶりだ。これは事務所ですべき仕事だが、現状は自宅が事務所だ。寒いのにも慣れてはきたが、室温11度で我慢していると、とうとう寒さで指が動かなくなった。それで暖房を入れる事になる。自宅事務所は光熱費の件で問題ありですね。しかし高性能PCを2台使うので、通常事務所で能率の低いPC一台使うよりも能率が上がる、痛しかゆしだ。
3月18日(日曜日)
休日
明け方に腰が急に痛み出して、ぼんやりした頭でうずくまっていると、これは尿管結石の症状だと思うに至った。それで早速風呂を沸かし、入る間際になって、痛みが飛んで行った。それでとりあえず事なきを得た。振り返れば、こちらに来てずいぶんと日本酒を呑んでいる。僕の場合、日本酒は結石に直結しているからだ。東北はまだ日本酒の文化が残っていて、あちこちに大きな酒の販売店さんがある。店に入ると買ってしまいそうで、外から覗くようにしているが、よだれが出そうな陳列と好奇心をそそる銘柄がある。今月の休日は9日間。儲かっている会社でもこれだから、赤字の会社がのうのうと土日休んでいるのは、何をか言わんという感じだ。それで今月は祝日と、土曜日一回の出勤がある。それでも休日にはやることが多く、本など読んでいる暇がない。メールも入ってくるし、週報を送信しなければならない。私の場合、従業員で雇用されたが、いきなり支店長となり仙台に赴任した。そして支店長は結構事務処理をすることが多いのだ。やっと自分の時間となりアイロンがけが終わったのが午後3時半。ネットで調べるとすぐ近くに仙台体育館があり、そこに温水プールがあるようだ。早速行くとお客は少ないし、料金が200円安い、500円だった。2.5km泳いだ。外の気温は関西では経験しない寒さで濡れた髪が痛かった。眠る前に、映画「武士の家計簿」を見た。加賀藩に務める「そろばん侍」を描いた物語で、倹約をベースに家族の物語が展開される感動の物語。武士役に伊藤祐輝が扮し、その妻役に仲間由紀恵が演じたが、役者の格は、仲間の方が一枚上手で、シナリオは妻が一歩引いた立場であるが、どうもこちらが目立つ演技であった。
3月17日(土曜日)
秋田美人

朝6時に目が覚めて散歩に出かけた。ピンと張った空気の中を歩く感じ。このホテルの前は、飲屋街。街のサイズよりも多いような気がする。港まで歩こうと頑張ってみたが朝の散歩の距離ではなく断念。まずは本荘市に行った。こちらは意外と早く終わり、僕はメンバーと別れて大曲の別の店に向かった。東北は広く移動だけに時間を食ってしまう。最初の計画ではレンタカーを借りる予定だったが、電車の接続が上手いことあり、JRにした。このタイミングを逃すと、2時間も駅で待つことになる。秋田から大曲へのJRは普通電車。ベンチシートの向こう側に座った女性の数は8人。そのうちの3人が美人。やはり秋田には美人の含有率が高い。駅の売店のおばさままでウツクシイ。タクシーは番地を告げてもわからないので、右とか左とか指図した。当方はナビを持っているので細かい注文が出来るのだ。さてタクシーを降りたのだが、あるはずの道が雪に埋れて無いのだ。そこで、途中の道からナビ通りの道に出ようとするが、今度はその道は雪の壁に阻まれる。どうすりゃいいんだよ!とにかく元に戻り大きな道を歩いてゆくと、私道が見えてきて目的地に到着。iPhoneの位置表示とグーグルの地図とのマッチングは凄いものだと思いました。今度の店の方は話を聞けば凄いコンピューターおたくだ。そのシステムを、事務所と本宅を見せていただいたがRAID "1"のバックアップや指紋認証のWebバンキングと言い、相当レベルは高い。この場合凄さを正しく評価してあげるのが一番肝心だ。昨日お会いした方と言い、本日の方といい、仕事を楽しんでいる。実は僕もこのうちの一人だが、こんな人はそう多くはないと踏んでいたが、そうでもなかったのだ。恐れ入り屋の鬼子母神。帰り近くのタクシー営業所まで送っていただく。このタクシーの事務所で待っている間に、配車の人から、大曲の花火大会の事を教えていただく。3月24日。これは、新人の花火師が競う大会だそうだ。スキー場で開催される。行きたいが寒そう。大曲の駅で、昨日の友人から薦められたが呑めなかった超辛口「苅穂」を購入し帰途についた。
<始めて見るラッセル車>
3月16日(金曜日)
秋田

秋田への出張が決まった。これに合わせて、岩手県の水沢市の仕事を組み込んだ。岩手県は四国と同じくらいの面積がある広大だ。それで水沢市は「区」がある。ここに行くには一関市市で新幹線を降り、東北本線で北に向かう。水沢市駅の2つ前に、前沢駅がある。東北弁は口を大きく開かないのでハッキリと聞こえないのは前に書いたが、私は「前沢」と「水沢」を間違えて下車したのだ。次の電車は、1時間半後。とても約束の時間に間に合わない。仕方なくタクシーに乗る。雪が所々残り風は厳しい。太陽は低く、3月と言えども南国の力強さはない。西の山は雪を被っている。今日訪問する店は加盟店だ。話を伺えば太陽光パネルの販売では日本でも有数の実績を誇っているとか。もう太陽光パネルの市場がそこまで来ているような感じを受けた。新聞で予想されているよりも、普及は少しばかり早そうな気がした。今日の目的はこれで終わり。あとは秋田まで移動するだけ。でも時間は午前10時半。これでは如何にも不合理だから、温めておいたリストによる勧誘の訪問を開始した。いずれも徒歩の範囲だが、それでも相当距離がある。予約無しの訪問だが、門前払いはなく、意外と話を聞いてくれる。これは、絨毯爆撃のような作戦が功を奏するのではないかと思いましたね。そうこうしているうちに夕刻になり秋田まで移動。秋田に近づくにつれて雪が深くなる。そして、とうとう一面の銀世界になった。予約いただいたホテルはルートイン。駅からGPS頼りに30分ほど歩く。ここの寒さは尋常ではない。このホテルは玄関で靴を脱ぐ。靴下だけの妙な感触だ。はっきり言うと不快。食事はこのホテルの「マグロ館」で頂いた。立派な夕食だ。日本酒の熱燗を頂いた。今の季節に良く合う。仲間は僕を含め2名。よく飲まれるし、それに強い。9時に解散。これから入浴。共同浴場がある。これは温泉だ。室温は少々寒いが、お湯につかればホカホカ。少しばかりヌルヌルする紅い湯だ。露天風呂もあったが、酒を飲んだ身にはまずいだろうと遠慮した。なかなか快適に秋田の夜は更けていった。
<水沢市から見る経塚山>
3月15日(木曜日)
始めての飛び込み
睡眠時間4時間、朝6時には起床して帰宅する。風邪気味な調子はすっかり潜んだ。前回はバスの中で、今回は短時間の深い眠りで体調を取り戻した。名古屋からの帰りの飛行機はアップグレードが可能で、ビジネスクラスのシートに、朝食付きという豪華な旅だった。自宅に帰り着き資料の整理と明日の準備を終えて、兼ねてより訪問しようと決めていた近くのある法人FC店を訪問した。アポイントなしだが、何だか気やすく受け入れてもらい長話になってしまった。勿論勧誘の仕事は簡単に決まるものではなく、相手の状況が変わった時連絡があると言うジャブだ。飛び込み訪問は門前払いを覚悟していたので、少し拍子抜けしてしまった。何はともあれ、このような活動が今後の僕の仕事のメインになるとおもえば、そんなに気苦労なことでも無い事が解った。外の風は一段と厳しくなったが、明日からの出張の為に、これから洗濯を行い、コインランドリーで乾燥させ、会社から届いた荷物を宅急便屋さんに電話して受け取る作業が残っていたが、少しばかり体が軽かったのは言うまでもない。
3月14日(水曜日)
体調不調

寒気がする、鼻水が出る。あまり調子は良くない。しかし今日は会議だ。朝一番の飛行機で名古屋に向かわなければならない。仙台空港は近い。近くの長町駅から乗り換えなしで、20分程度で空港につく。路面は凍結し、あわや転びそうになった。かかとで歩くと危ないのだ。1時間10分後、気温は一転、名古屋の風は優しい。今日の会議では東北地区の方針を発表しなければならない。ユニークで目立つことが寛容だ。仕事に取り組んで1週間。その経験で今後1年間の方針を述べるわけだから、少々無茶があるのだが、激しく動いているこの会社はそんなことは宣告承知の助だ。各地の方針は笑ありで中々楽しいものだった。夕刻懇親会。色んな人に話を聞きたいのだが、一つの話が長くて、面談者はそう多くない。それに料理がなかなかで、結構忙しい。所がまだ本番がこの後に控えていた。名前は書けないがある人と懇親会。それは、長く6時間にも及んだ。体調が最悪でこんな無理して大丈夫かなと思っていたが、不思議なことに翌朝、体調は復活していた。
<名古屋の空はこんなにも明るい>
3月13日(火曜日)
会津若松

晴れてはいたが、一面の雪景色。昨晩も雪が降り積もったようだ。とても革靴では歩けそうにしない状況。今日の出発は8時。家の中で少しゆっくりしていると、瞬く間に雪が降ってきた。いはやもはや。福島を過ぎると雪も少なくなり、郡山では溶けていた。100kmの南下は随分と気温に違いがある。ここで元ベスト電器に務めていていた方と合流。車はプリウス。家電品の様に電源スイッチONで始動する。ところが我々は慣れてないから、戸惑い発車までに10分を要するのでした。トヨタでさえこれだから、日本の製品が世界に出てゆくには言葉の他にも壁がありそうだ。彼の話を聞くと北海道や、大分や、新宿で接点がありそうだったが、顔に見覚えはない。会津若松が近づくにつれて雪は深くなった。独自の文化が根づいている気配がする。食事する余裕があり、目的地近くの中華料理店で焼きそばを食った。大盛りをお願いしようか迷ったが、杞憂だった。ボリューム満点の大盛りの焼きそばがでてきた。今日の面談者は地方の経営者そのもので、朴訥で情報は広く深く大変勉強になる部分もあった。初対面とは言えこうした話が出来るのは営業冥利につきます。随分と情報交換して失礼した。帰りは有料でも急ぐので高速を使ったが、料金所でお金を払う段になって、無料だと告げられた。これじゃ行きも高速を使えば良かったねとは後の祭り。1時間新幹線に乗って仙台に到着。更に冷えこんでいた。昼が重く夕食の気分ではなくディナーはパンだけ。ベルトの穴が時々足りなくなっている。締める方側に。
<目の前に磐梯山が見える>
3月12日(月曜日)
酒田市

8時の酒田行きのバスに乗った。昨晩の雪は残っているが、今日は凛として晴れ渡った。路面は凍結し結構滑る。昨日の凍えが効き熱がある、寒気もするが、取り敢えず約束しているので移動だ。体がだるい、無性に眠い。バスの中で眠ると、何とか熱っぽさも過ぎ去ったようだ。そして外をみれば一面の銀世界。猛烈な雪が降っている。にもかかわらず、バスは結構なスピードで走っている。もちろんチェーンなどなしだ。路面は圧雪し室内がものすごく振えだした。こんなシーンは燃えますね。シャッターを押し続けた。月山の峠は圧巻。視界は効かずしんしんと大粒の雪が降る。通常よりも10分程度遅れているようだ。でも、これで10分とは凄い。鶴岡市まで降りると雪は止み、路面の雪は溶けていた。 坂田駅前で早めの食事を撮り12時10分発の羽越線に乗ろうと、付近を隈なく探したが、食べるところは見当たらない。街は寂れてシャッターは閉まったままだ。恐らく郊外にあるイオンが決定打を放っただろう。バスセンター前まで引き返し近くのファミリーマートでパンとおにぎりを買い、駅中の待合室で食べた。東北地方の駅はきちんと待合室があり、それなりの暖房がありますね。今度の電気店様は自宅で営業をしていて店舗は無い。応接室にお邪魔しての話し合い。まるで家庭訪問ですね。随分とシャイな需要家心境と、一途な需要家様との折衝について教えていただいた。一筋縄では行かない地域性がここには存在する。ここ、砂腰(さこし)は風の強いところで、電車が吹き飛んで犠牲者の出たところと伺った。バケツの水もひっくり返るとか。風当たりは強いが、人当たりは柔らかい街だった。電車の中で男子高校生の話を耳にしたが、「わがんなかった」仙台から高速道路を使っても3時間15分。大きな山を2つ超え、文化は中央から切り離されていると思った。
3月11日(日曜日)
ラジオやテレビは震災のことばかりを報じている。「このブームに乗らなきゃ」的な心そこに無い空疎な言葉や、歌詞が妙に気障りだ。キンキンに冷え込んだ午後、このマンションかかりつけの佐藤電気さんがエアコンの工事にきてくれた。常設のエアコンを外し、僕の持って来たエアコンと交換するのだ。このエアコンはこの部屋に寄付する。その代わり、工事代半分を大家さんに負担してもらう。この作業は窓を全開で行うもんだから寒くて、僕も暖房なしには慣れているが、今日の気温は3度だ。この気温で2時間と30分。凍えました。でもこれで、部屋がすっかり片付くと気分が良くなった。最後に絨毯の洗濯にコインランドリーを訪ねると、何と超満員。この気温と雪模様では洗濯ものは乾かない。それでコインランドリーが大人気なのだ。おばさんたちの井戸端会議もここで開かれていて大層賑やか。暖房もありイスもあり女どもには丁度のシチュエーションだ。夜、今週の週報を書き上げメール。なかなか休日と云えどもする事が多いのだ。またしても外は雪が降っている。
3月10日(土曜日)

4時間くらいは仕事をしましたね。仕事時間と給料の連動しない契約なので、成果を上げるしかないのだ。それに外は雪。出かける予定もないので、これでいいのだ。ここは少し高台で、しかも部屋は4階であり、安アパートなのに見晴らしが非常によろしい。疲れると仙台市太白区の城下町が見渡せるのだ。気温は0度、暖房なしではいささか厳しいものがあるが、この古いエアコンの消費電力は恐ろしい。午後から片付け。この狭さでは思い切って捨てる事が必要だと思い知った。時期を見てドンドン捨てて行こう。部屋が片付くと気持ちが落ち着きますね。仙台では寂しい想いをしないように、音楽は完璧を期して大阪から持ってきた。2台のPCに1万曲分の収録がある。再生装置はステレオの他に、大型CDラジカセRXーPA7と狭い部屋だが充実している。それに太白区のみ聞くことが出来る小さなFM放送局があり、結構JAZZを放送している。と言うことで音楽に関しては、大阪時代よりもリッチな過ごし方が出来るようになっている。もう一つ、夕刻食料の買い出しに出かけた。雪混じりの雨だったが、自転車で近隣を駆け抜けたら、なんと、立派な酒屋さんがあるではないか。訪問すると、日本酒が相当数並んでいる。ご主人に相談すると「豊杯」甘めの酒だ。と言うことで買った。今井美樹を聴きながらその酒を飲んだ。ここには日本酒の充実がありますね。北の酒は旨い。
3月9日(金曜日)
結構忙しく
今日はガス屋さんを訪問する。不思議なもので、勤める会社が変われば業界も変わる。そして街を流している時でも今までとは違う看板に目が行く。その後、私の事務所となるところを訪問した。厳重なセキュリティが施されたビルで、6畳程のスペースを用意してくださっていた。自宅事務所も6畳で、どうやら仙台は6にご縁があるようだ。午後は、宮城野区にあるお得意先を訪問。仙石線に乗る。JR東日本の技術が低いのか、地震の影響なのか不明だが、電車がよく揺れる。iPhoneのナビを使って訪問する。小さな路地を抜ける道でも迷う事なく定刻に訪問し無事要件を終えることができた。午後2時前、これ以上空腹に耐えられなくて、近くの場末のような食堂に入った。おじさんらしき人がビールを飲んで、その後横になっていた。まだ僕より若い感じのひとだったが仕事がないのだろうか。ここの定食が「当たり」だった。物凄いボリュームだったのだ。労働者向けの食事ですね。最近空腹傾向が続くので平らげた。550円。良心的な価格ですね。こんな店が住居の近くにあれば良いのだが。直ぐに自宅職場に帰り、電話連絡やメールなどフル作業をこなした。寒いが電気代の事を考えて暖房はなし。午後7時半に終了し、映画を見ながら食事。どうも外食よりこちらの方が落ち着きますね。ウガンダのアミン大統領を描いた、「ラスト キング オブ スコットランド」を見た。中々の秀作だった。
3月8日(木曜日)
生息地について

今日は午後2時から会議なので、要件をいれることもできず、自宅事務所でメールを開いた。処理することが結構あった。て言うよりか、一つの処理に時間がかかるのだ。その後、重くなっていた会議資料を全てスキャナーにかけ、一先ず資料は持たなくても良くなった。会議は午後5時に無事終了。得意先と食事に行くことになった。どなたも仙台をご存知でなく、結局僕がご案内を司った。仙台の担当者だからだ。牛タンと云えば「利久」時間限定だが席を予約できた。この牛タンが実は厚く、脂身が結構ある中々の美味だった。一緒に白菜の漬物が大量に出て来た。牛タンの味に疲れた時に口直しをするそうだ。感激の味だった。仲間は「毎日牛タンが食えるね」と冗談を飛ばしてくれた。こちらは味覚よりも家計が許さないのですが。明石の友人が仙台は美人が多いと言った。今までの行動範囲では、どうもそれらしき風景に行き当たらない。魚と同じように美人の生息地に踏み込んで無い可能性がある、と言うことで今日は国分町に出向いた。ご存知でない方のために。札幌のススキノ、東京の銀座、名古屋の錦、大阪の北新地、高知の帯屋町、広島の流川、博多の中洲、と並ぶ有名どころ。人の噂では美人の生息地らしい。そしていましたね、美人が。
3月7日(水曜日)

仙台に事務所はまだない。自宅が職場だ。これでも全く仕事に問題ないが、電気代が嵩むのが問題だ。東北電力からこの4日間の請求書が届いたが、何と850円だった。自宅事務所はあまり利用しない方が良いみたいだ。事務処理を1時間で切り上げ9時に自宅出発。遅めの出勤で変な気分だが、当面仕方ない。今日は登米市に行った。最初はこの文字が読めなくて、駅の案内で聞けば、トメシと読むことを教えてくれた。iPhoneではバスが便利だと表示している。バスの乗り場を聞き1時間半かけて移動。待ち合わせ時間までの間に近辺を歩いた、ケーズデンキのすぐ向こう側にヤマダ電機がある。2店が競争すれば、他が疲弊するだろうな。こんな田舎でも価格は相当シビアになっていることが想像できた。今日の面談は非常にシャイな方で、「おれは何にもいうごとねぇだがや」と口に出される。僕は本能的にこれは聞き逃せないと受け止めた。言いたくないのは、言いたいことがある反対の表現だろう。北風が吹き抜ける街で事務所の中にいても寒かった。仕事の要件は終わり、再び登米市役所前のバス停に向かった。バス停は暗くて寒い待合室があった。人生に疲れたおばさんが一人いた。こちらは意気軒高だが、おばさんにはどう見えたのか?バスは数名の乗客を乗せて仙台に向かった。
<広大な水田>
3月6日(火曜日)
山形へ

据え置きPCに無線LANの子機機能を追加したら、手持ちのモバイルルータでとりあえずインターネットが可能となった。早速必要書類を取り出しプリントして仙台駅に向かった。山形にある店のアポイントが取れ訪問する事となった。山形まではバスが便利。時間の余裕を持って約束をしたが、レンタカーの手続きに戸惑い、カーナビをセットすれば、ぎりぎりの時間。出来るだけ急いて運転をした。ダイハツムーブ四輪駆動車。走りの安定感はさすが。大きな峠を越す頃になって大変な所にきたんだんだと認識。一面の銀世界だったのだ。約束ぎりぎりの時間時間に到着、昼飯はない。雪を見て感激をした旨お伝えをしたら、奥様が「せっかく来られたんだから、お土産に雪でも包みましょうか?」とお話くださった。東北で笑を取るのはむつかしいのだが、今日は調子が良い。チョットここで時間が長引き次の訪問予定は1時間ずれてしまった。とうとう食事なしで次の訪問予定地へ。地理的には山形市内に引き返すのだがカーナビは別の道の案内だった。米沢から天童まで駆け抜けたが、カーナビ案内なので僕の頭には道路地図が記憶されない。途中で月山が雲のあいまから見えた。感動。此方でも随分と時間を食って、レンタカー返却の時間を10分ほどオーバーして山形駅に帰着。そこからバスで仙台まで揺れるバスの中で、今日の面談をiPadにまとめる。仙台に到着した時はクタクタだった。それで、ちょっと高級な回転寿司屋さんを訪問し、美味しく頂いた。帰りは地下鉄の下車駅を間違えて、結局40分近くも歩いた。泣きっ面に蜂ですね。
<山形県南部地方>
3月5日(月曜日)
会議

幹線道路からあまり離れてないので、昨晩は結構車の音が入ってきてたが、今朝は静か。朝、まだ早いからなのか?起きてカーテンを開けると静寂の事情が分かった。雪が降っていて、周りの音が全部消えていたのだ。寒い。室温計はかつて見たことのない温度を示していた。取り敢えず飯を食って、ゴミを出して出張だ。所がどこを間違ったのか、行けども行けども駅が見えない。これはヤバイ。GPSで調べると隣の駅に向かっているではないか。仕方ない、意を決して隣の駅に向かったは良いが、今日に限ってGPSの見方を間違い、反対方向に進んだ。気がついた頃には、更に向こうの駅を目指していた。大慌てで引き返した。しかし悪いことは続きますね、大宮駅では切符を無くしていて、もう一度切符を買い直した。指定席に座るまで切符はあったのだが。それ以来記憶は飛んでいる。一体僕の切符はどこに行ってしまったのだろう?会議は東北6県の引き継ぎだ。今日から全責任が僕のものになる。明日から、何をすれば一番効果的なのか?よく考えて行動だ。取り敢えず、ドンドン飛んでくるメールのプリントアウトが必要だ。まだ自宅にはインターネット環境の備わってない状況で何ができるのだろう?帰りは切符を無くさない様に細心の注意をはらった。
<足跡が瞬く間に消える>
3月4日(日曜日)
引っ越し2

美味しい朝食をいただいた後、駅に送って頂いた。ここから今度住むことになる長町までは徒歩で50分位だし、道案内のGPSもあるのだが、終日片付けのあることを考えると体を休めておこうと思い車に乗った。長町の駅は、仙台から一つ先の駅だ。JRのローカル線の列車は、ドアが閉まったまま停車しているのを思い出した。開くボタンでドアを開き乗車しなければならない。不動産屋ミニミニに伺うと、全員が僕の方をふりむいた。朝会中だったのだ。しばらく待って店長さんに車で送って頂いた。気温は0度でよく冷えているが今日は4度くらいまで上がりそうだとの事。大阪とずいぶんと温度の感覚が違う。案内いただいた部屋は随分と小さい。それに古びている。例によって運送屋さんはただ運ぶだけの引っ越し屋さんだから、こちらの負担が大きい。その上、エアコンをつけたが全く効力がない。先ほどの不動産屋さんに電話をして、電気屋さんが来てくれるになったが、「富士通のこのタイプは暖房に向かない」と電器屋さんは言う。「そんなことを言われても困るんだが」ここでは「石油ストーブしか無いよ」。北国の人は素直。そこで、大家さんに交渉。「僕の持ってきたエアコンを進呈するので、工事費を半分出さないか?」OK。電気屋さん曰く、「外気が氷点下になれば、このパナソニックのエアコンでも十分温まらないよ」。と実に素直「富士通のよりはマシだろう」と僕。駐車場も用意してくれている。車は4輪駆動車を手配中とのこと。何と!これで本格的な地域密着の営業マンになれそう。一通り片付けを終えたのが午後6時。近くの西友に夕食の買い出しへ。これが関西で言うイオンモールの規模で余り大きすぎて買い周りには不便。大阪と違って、この辺りにはこれ一軒。弁当は298円。大阪のライフの弁当398円よりは安いが内容が薄い。風呂は48度に設定したが、それでもぬるいお湯。浸りながら60度に変更した。やれやれの一日が終わった。
<雪の残る砂押南の住居から>
3月3日(土曜日)
いざ、仙台へ

この会社は1月1日以外は休まない。利益の出る会社はそれなりの頑張りがある。それで、今日は昼まで昨日に続く受講。昨晩ぐっすり寝たので今日は負担が軽い。昼飯を食って解散。頂いた大量の書類と、引越しの荷物を抱え名古屋駅に向かった。春の陽気でダウンが邪魔になった。北に向う電車は30分ほど時間があった。それで久しぶりにビッグカメラを訪ねた。東芝のX3の前で裸眼3Dの実演があるので見せてもらった。結構な解像度。東芝のヘルパーさんは、720Pだといった。「これで十分でしょう、実はメガネ3Dもフルハイビジョンデはない」と言う。いらんことを言うと墓穴を掘るのだ。そこで、「BDディスクからの3Dは24Pのフルハイビジョンだよと」懇切に教えてあげた。この人はフィリピンやインドのプロモーターと同じレベルだ。この2カ国は英語なので僕にも彼らの知識レベルが見抜けたのだ。新幹線ではこの2日間の会議資料をiPadのメモ帳にまとめた。書き直すことによって整理できるやろうと思いきや、メモの内容が理解できないところもある。困ったもんだ。大宮をすぎると、景色は一変し雪が見えるようになった。雪国の人には申し訳ないが、雪を見るのは楽しい。楽しすぎる。仙台の駅も雪が積もっている。仙台は以前宿泊したペンションのようなホテルに向かった。1.5kmだが寒さを堪えて歩いた。iPhoneに住所を打ち込むと、地図上にGPSで現在地を知らせてきれるので、迷わず行ける。このホテルは何時の間にか女性客が多く宿泊するようになっていた。風呂は部屋の中にない、1階の大浴場に入るのだが、温泉のような雰囲気があり中々良い。部屋は静かで良かった。ビールを飲みながらU2のコンサートを見た。いいホテルなのに、エアコンの入り切りの音が大きくその度に目が覚めた。普段はエアコンを入れて寝ないのだが、エアコンを切ると寒さがヒシヒシと押し寄せてきた。仙台は寒いのだ。
3月2日(金曜日)
実は、最先端の会社だった
隣を走る電車が五月蠅くて目が覚める。このホテルは、道一本挟んで線路がある。仕方なく起き出して近所を散歩。雨が来たので中断。今日の導入研修は朝から18時半までみっちり。ほんと疲れた。これだけの情報をこれから出先で誰の手助けもなく使いこなせるだろうか非常に不安だ。すると突然入ってきた会長から、質問が来た「どうかね?」僕は感想を述べた。「覚えきれない」。ところが、会長はそれを見越して、全員にタブレット端末を用意したと言われた。「えぇ!上場企業でもまだまだ導入できてないですよぉ」。前の大会社では利益が出てないので、もうずいぶんと古いシステムで古い考え方で営業をしていた。前の会社では、こんな話も聞かされた。会社を変わる時、「前の会社はこうだった」と言って自慢しないように戒められた。ここでは「前の会社のことを話すのが恥ずかしくなる」のだ。あれぇ!なのだ。この会社は名前こそグローバルでなく、マイナーだが、どうやら仕事の仕組みは世界の流通の最先端をゆく超一級だったのだ。これは大変なことだと思いましたね。昼からのセミナーも重く、肩が凝ってきた。休憩時にネクタイを外し、首の運動を何度か。教わった内容は、重さ3kgになるほどの資料。企業小説を書けそうな材料もある。ここの友人は金曜日だと言うのに遅くまで残業し、私は成城石井で弁当を買い、部屋の中で「レッドバロン」を見ながら食った。iPadに映画が6本程詰まっているので、当面一人飯でも寂しくない。
3月1日(木曜日)

昼からの集合だったが、ホテルは追い出されるし陽気も良い。会社までブラブラと徒歩で向かった。iPhoneのGPSがあるので、心配はない。会社の仲間と昼食に行った。元仙台の住民2人がこの中にいらして、僕に注意事項を。「ガソリンは小まめに満タンにすること」いつ何時吹雪で閉じ込められるかもしれない。それと、「スコップと、タイヤの下に敷くスタック脱出用のマットにカロリーメイト、水」。何れも命に関する用具であるとのこと。実はこの様な話にめっぽう弱い。僕の好奇心が燃え上がるのだ。火に油を注ぐようなもの。これだけで、1週間は眠る前の空想に使えそう。地吹雪の話も出てきたが、耳を塞いだ。「その話はもっと後にして欲しい」と思いました。昼から導入研修が始まった。僕はこの逆の立場で6年間取り組んできた。自分の得意な話を知識「ゼロ」の人に話すのは快感だ。彼らも忙しいが楽しいだろうと思う。嬉々として話されていた。入社手続きの書類の提出に妻や子供の生年月日を記入する用紙があり往生した。小沢一郎になった。その心は「全く記憶がありません」。同期の人はライバルメーカーからきた人。この人と夜お酒を呑んだ。メーカーが違えば考え方も、お酒を飲む習慣も違う。この方は、地元での仕事で、既にもう僕の何歩も先を行っている。聞けばいろんなノウハウを持っていて、ずいぶんと勉強になった。この方も気分が良かったようで、日本酒7合程を軽く腹に仕舞まわれた。北の人は無口で酒に強い。
<本屋さんではありません>
2月29日(水曜日)
引越し1

朝6時起床。大阪最後のHPのアップデートを行なった。当面更新できない。引っ越し屋さんは、宣伝で有名な引っ越し屋さんではないので、ずいぶんと手荒いが、自己負担ではない事を考えると、これでも有難い。PCのHDDのみは取り出して自分で梱包し毛布の間にくるんだ。昼前には何とか荷造りも終え、「最後のチェックをして下さい」と運送屋さんに言われた。何もない部屋から外を眺めると、ここに来てから僕の人生は大きな変化の波に乗った。そして、興味深い時間を過ごすことができたと感慨に浸った。最後にブレイカーを切って退散。あれぇ!ブレイカーは天井近くにとりつけられているではないか。何でこんな所?と言いたいのだが、最後だ、何も言うまい。次に向かったのは、関目食堂。今日迄の期限付き100円割引券がある。どうせなら、この店で頂こう。ほうれん草のおひたし分が無料となった。遠回りだが谷町線で谷町4丁目に向った。このハローワークで失業保険終了の手続きを取った。今度就業する会社での給料は失業保険よりも少ない。だが、仕事をして仲間と過ごす方の幸せ度が幾分か高い。今から4年後約400百万の赤字解消のメドはまだ立たないが、仕事をしていると何か見つかるかも知れないと楽観度100%で行くことにした。本町まで歩き、地下鉄御堂筋線に乗って新大阪へ。雨は上がり暖かくなりダウンは不要となったが、週末の仙台の事を思うと手放せない。名古屋は藤が丘にあるホテルに宿泊。外国のホテルのように建物に入るにチェックはなく、フロントでの手続きも素早く、日本は最高だ。アジアでは結構いいホテルにも宿泊したが、これほどスピーディーな手続きはどこにもない。日本はモノの力は衰えているが、コトの力に関しては日本は他の追随を許さないような気がする。夜は、今度務めることになった会社のT氏と食事。有名な「風来坊」。手羽だけでビール3杯飲んだ。T氏の存在は偉大だ。社内の要にいるからだ。しかも「友人」だ。社内の事を聞けば大概の事を知っている。多分その裏のことも。僕は、新入社員だがこれほど気持ちがリラックスできるのは彼のおかげだ。でも割り勘で。このあと、台湾ラーメン。世界中探しても台湾ラーメンはここ名古屋しかない。辛さは普通だった。タイやラオスで食った青唐辛子入りと比べると。やさしい。<風来坊の手羽>
2月28日(火曜日)
最後の大阪

息子の大学が無事に決まったらしい。それで入学金を払うことになった。カードの振り込み上限は50万円だが、窓口で交渉をすれば300万円まで可能だと言うことが判明した。僕の就職も決まり、息子も入試が決まり岡村家は一つの山を越したわけだ。大阪最後のお別れに「咲くやこの花館」を訪問して花の撮影。ここに植わっている植物はもうかれこれ100回以上撮影している。そしてどこから撮影すれば最良なのかも分かっている。外気は寒かったが、24度の温室でしばらく過ごした。夕刻友人にご足労願って懇親。この友人は結構辛口の発言をするので、僕にとってはいたく感謝している。特に今回の僕の就職については、もっと最善の方法があったのではないかとアドバイスを貰った。余りにもリスクが多い。と言うのだ。僕としては心機一転の心境であるが、僕の単純なオーバーヒートを冷徹な目で見る友はありがたい存在だ。そんなことも糧として頑張ってみよう。とりわけ、自分の営業力が何処まで通用するのか分かるはずだ。
2月27日(月曜日)
アジアで学んだこと

始めて一人でマレーシアに行った時だ。飛行機はマレーシア航空で、アナウンスには日本語もあるがほとんどが英語だった。そしてクアランプール国際空港に降り立った時、完全に日本語が消えていた。さて、ここから先、目当ての人にたどり着けるのか非常に不安だった。入国審査で何か聞かれたが、全く不明だった。これが始めて受けた英語の洗礼だった。(今にして思えば、この時は始めて来たのか?と聞いているのだが)そして、今日その時を彷彿させるような出来事が発生した。今度入居するアパートに電気とガスの開通をお願いする電話をかけたのだ。東北電力は問題なしだったが、仙台プロパンさんへの電話は、最初全く言葉が解らなかった。僕の頭は英語ではないかと、理解できそうな単語を探しましたね。この3年間の教訓は、話がわからない時は、おおよそこの様な事だろうと推察する聴き方をするのです。そうすれば、大局を掴める事があるのです。そうして暫くすると、すごい訛りのある日本語だと気がつきました。北国の人は寒いので、口を開いた発音をしないため言葉が不明瞭なことだ、次にアクセントが違うことだ。声のキーから若い女性だと推察したが、若い人でも時折このような人がいるのだ。ましてや、今度、僕が話す人は全て僕以上のご年配の方が多いのだ。大変な所に行くのだなと思いましたね。今日の午後引っ越し屋さんから電話があった。営業の方は、夜遅くの集荷だと言っていたのに、電話では朝8時に来ると言う。ここでも混乱。インドで何かを手配すると必ずこの様な事がある。日本にいて、今日は随分とアジアの雰囲気を思い出させて頂きました。因みにこの営業マンは、小太りで、寒いのに汗をかくタイプで、メモを取るにも落ち着きのない方でした。だが、ゲームには凄腕のような感じです。そして女性からあまり好まれないような。もっともっと人物像が書けそうな方でした。僕を育ててくれた大阪も、後もう少しの時間。お世話になったS氏には電話、ウイン企画には訪問。大阪程居心地の良い街はおまへん。
2月26日(金曜日)
News of USA
"Every gig is gig."(全ての演奏は演奏ですから)これはホワイトハウスでミックジャガーがオバマさんを前にしてコンサートを行い、ワシントンポストの貴社がインタビューして、緊張しないですか?と聞いたときに対する回答だ。つまり、プロだから、緊張はしないと答えたのでしょう。ローリングストーンズは長い活動を続けており、ミックジャガーは67歳にもなる。そして、ジャンプして、ステージを走り、カメラは追いかけられず、ピンぼけもする。若い音楽家が年を取っても音楽を唄っていたいと、いとも簡単にFMラジオでしゃべっているが、その延長線上にはローリングストーンズのような偉大なアーティストをとらえているのだろうか?と思いましたね。もう一つの話題は、"Punterest"だ。"Facebook"よりも、より写真掲載を増やして、仲間とコミュニケーションを取る新しいカタチのSNSだ。一ヶ月で1,000万件のユーザーが詰めかけていると言う。僕も登録をしたが、しばらくしてからメールが届くのでそれからの開設と言うことになる。私の英語理解はまだら模様で、全く役に立たない分野と、何とか読める分野があるが、世界の人々が向かっている船に一寸でも乗ることができれば嬉しいと思うのだ。
2月25日(土曜日)
想い出を詰める
早速荷造りを始めた。高知に送り返す分。仙台に送る分と仕分けをして。よく見れば一つづつの品物に自分の思い出が一杯詰まっている。捨てるのは惜しいが、この際仕方がないものもある。どうしてものモノは自炊に回そう。雨模様で気分は高揚しないが、黙々と作業を続けた。撮りためたBDも2,000枚を超えた。3台のBDで録画を続ければ、あっという間の来事だった。だがBDは高知行きだ。これからはHDDに残された映画を見よう。冷蔵庫は400リットルだが持ってゆくぞ。冷やすものは大してないが、生ゴミを冷凍出来るからだ。臭くなくて良い。CRTのPCモニターは残念ながら高知行きだ。重いのと奥行きがある。代わりに42型のPDPをPCモニターにするつもりだ。画面が大きく首を振って文字を追いかけることになるが、動画を見るには問題がない。私服は半分以下にして仙台に持ってゆく。スーツとカッターシャツも半分仙台に。単純に半分だ。女性の場合だと、衣類が優先事項だと思うが、私の場合は逆だ。こうして、快適な大阪関目の住まいから、窮屈な仙台の住まいに移る準備を済ませた。今から40年前の同じ季節に、高校を卒業して、大阪の会社に就職が決まり、少し空いた時間で高知を堪能したことを想い出した。苗字は忘れたが「和子」さんと言う女性を誘って松山に行った。西田幸子の「アカシアの雨に打たれて」が流れていた。いまではその女性のことよりこの唄と、久礼峠が印象に残っている。次の仙台ではどんなドラマが展開するのだろう。
2月24日(金曜日)
自炊

昔、買ったがまだ読んでないJAZZの本や、先日から買い貯めた書籍などを富士通のスキャンスナップを使ってPDFに変換した(これ自炊と呼ぶ)。このPDFデーターはiPadに取り込んでちょっとした待ち時間などに読める。リーダーソフトにはadobe readerでなく、iAtate(500円)を使っている。英語版だが、PDFの上にマーカーが引け、メモも書き込める便利モノだ(もちろんメモは日本語で書ける)。最近のアップデートで使い勝手が向上した。仙台の引越しには、多くの荷物が持ってゆけないので、お気に入りのCDもリッピング。何だかiPad中心の生活になりそうな作業である。そう言えば、先日TSUTAYAで映画を多量にレンタルし、iPadに取り込んだ。読書、音楽、映画、写真とスポーツ以外の僕の趣味がこの中に凝縮されている。このタブレットと言うジャンルは、今後ものすごい発展をするだろうと思われる。テレビ放送も、一旦コピーガードを抜いてDVDに録画すれば、iPadの中に入る。もう暫くすれば、アップルロスレスの音源も再生できるコンバーターが発売されるようだ。これに取り込んだ音源は、超高音質で再生が可能となるのだ。バラ色のデジタル世界が広がりそうだ。お金があればの話だが。
2月23日(木曜日)
相場の価格

毎日酒を飲むのは少々お疲れだが、以前と違うのは、昼をすぎると復活するのだ。今日も昼食は根菜類のかぼちゃ。硬くて皮を剥くのがたいへんだが、その後ラップに包んで電子レンジにセットすれば出来上がり。大概のかぼちゃは味があるため調味料は不要。かぼちゃは200円位で、2回の昼食をこなせるから、随分とお金の節約になる。昼間は、新会社からの業務マニュアルを読んだ。主にPCを使った作業なのであまり現実味がわかないが、いくつか疑問事項は浮かんでくる。ずいぶんと難しい業務を理解しなければならないようだ。暖房なしで過ごしたので、もう足の先がしびれて来ている。もう限界だと言うところで時間が来た。出かけなければならない。今日の夜は、海外関係の仕事で仲間だったメンバーと酒を飲むのだ。場所が天満の立ち飲み屋さんだ。女性をお誘いしたのだが、果たして雰囲気に合うのかどうかが問題だったが、杞憂だった。この店は予約ができる立ち飲み屋さんで、他にもチラホラと女性客がいた。すでにオーダーされていて出てきたのがフグのコース。何と何とです。あちこちで飲んできたが、立ち飲みでこんなの始めて。暖房も効いていて快適に飲めます。足の疲れが出てきた頃が帰る時間。これは良い。帰り道古本屋さんへ寄った。この3日間帰る道中、毎日違う古本屋さんを訪ねた。そうしてわかったことは、本の価格にも相場があり、例えば「ハリーポッター」はどこでも105円だ。今日は、「賢者の石」を買った。昨日は「秘密の部屋」。少女小説"Moetan"も買った。これは英語版だが、途中に英単語の辞書が挿入されていて、入試に使われやすい意味などと解説してある。ページの前後を繰り返すと何とか読めるだろうと思えた。表紙は完璧なロリコンなので、変なオジサンだと思われそうだが、高校3年生程度の英語で書かれている難解書だ。
2月22日(水曜日)
商売繁盛

仙台の住所が決まったので早速運送屋さんに連絡をすれば、何と今年の2月は昨年を上回る異様な程の仕事があり、トラックのやりくりが大変だというのだ。私が推測するのに一つはリストラでしょうね。企業は2月一杯で人員を整理して3月から心機一転巻き返そうと企んでいるかもしれない。実は住居探しも一杯なようで部屋の確保が大変だったと言う。こちらは、東北地方の地震の復興需要が関係するのだろう。ところで仙台の家は小さく、ここの半分しかない。家賃も半分以下だが。地図で計算すれば仙台駅からこの住居まで徒歩で55分。京橋〜関目とおなじくらいだ。なにわともあれ、いよいよ僕の周りが動き始めた。夕刻、元会社の就職サポートの会社に訪問し、無事就職が(貴方の所から斡旋もなくてとは言わないが)決まりましたと報告に行った。アンケートも書くようにと指示があった。お役所の手続きのようだった。さて、今晩は、大阪の友人達の集まり「大阪ファジー会」の開催だ。今回は僕の欠落に加え、T氏も定年で高知に帰るので、2名が減る。一方昨年末定年で東京から帰ってきたF氏が加わるので、差し引き1名減だ。賑やかにガンコで開催した。時間があっという間に流れ解散。彼らは仕事があるので余り遅くまで引きとめられないのだ。帰り道は随分と雨が降っていたので慎重に自転車を漕いだ。
2月21日(火曜日)
「仙台」、盛り上がりの話題と言えば
その問題とは、3日間連続で飲み歩くことだ。やんごとなき関係があるからだ。先ず本日は就職を紹介して頂いた方達だ。緊縮財政だが今日は奮発だ。その時間まで、この際、前から気になっていたiTunesの整理を行おう。2004年ごろからため込んだ楽曲が、デタラメになっているのだ。一つは重複録音。もう一つはそれをiTunes上で消すと、同じファイルから楽曲が消えてくれない。さらに厄介なもう一つの問題は、「アラ40」のような、色んな歌手の歌を集めたものは、iTunes上で一つのアルバムとして認識してくれない。最後に、アルバムの写真(専門用語でアットワーク)が添付されてないので追加する。おまけに、読み仮名を記入してないのでアルバムの並びがデタラメ。これを一曲づつ整理してゆくのだ。このジグソーパズルを解くような整理はやり始めると辞められない魔力を秘めているから不思議だ。もし貴方がiTunesを使っているなら、アルバム単位に曲を表示してみるがいい。非常に見苦しい収録状況となっているはずだ。iTunesとはそんなソフトなのだ。夕刻5時前に、彼らの会社を訪ねた。天満橋にある。どうやら本日このビルの一画を私が入社する予定の会社は借りたようだ。しばらくして全員が出発。近くのお蕎麦屋さんへ。まるで東京ようだ。そこで皆さんの祝福を受けて懇親会は始まった。話題は東北の放射能汚染の事だ。もう年を重ねているので、放射能は関係ないと皆は言うのだが、僕としてはそんな訳にも行かない。毎日そこで暮らす訳だから。ガイガーカウンターを購入しようと発言したら、この会社のメンバーの一人はそれを扱っているので良く事情をご存知だった。入荷すれば直ぐに売り切れになるとの人気商品だそうだ。そうなんだ!みな同じことを考えているのだ。特にスーパーなんかで買った野菜は、チェックが必要でしょうね。牛乳なんかも必要がありそうだ。この蕎麦屋さんは東京のそば屋さんと同じように焼酎のお湯割りに蕎麦湯を使っている。これは飲みやすいのだが、飲みすぎる傾向があるので注意だ。最後の仕上げにざる蕎麦。これが絶品だった。山形の高級蕎麦に負けない味。それで600円だとのこと。これは凄い。今日一の出来事だった
2月20日(月曜日)
ビジネス感覚
わずか2ヶ月だけ仕事を休んだ。入院みたいな期間だ。だが、僅かな期間でももうビジネス感覚が鈍っているようだ。今日は入社する予定の会社から大量のメールが届いた。それらを開きながら読んでいくと、なんと今日の大半を費やしてしまったではないか。朝の新聞を読むのでさえ、1時間もかかっている。特に最近は日経新聞の私の履歴書に、「佐久間良子」が寄稿しているから尚更時間がかかる。彼女の大ファンだ。丁度WOWOWで「飛車角」の放送があり、記事を見て映画を見るとこの映画の奥深さが見えてくる。話は元に戻るがこの大量の中から、短時間に取捨選択して、自分の情報となる感覚は、ちょっと時間がかかりそうだと思いましたね。とくに、この会社ならではの専門用語。これは辞書やネットに掲載されてないから難しい。転職経験が多い方だと、その会社独自の感も働くだろうが、コレにはトンと疎い。早急に頭の回転を上げなければならないのだが、今週は問題を控えている。
2月19日(日曜日)
ヒルメシの問題
最近の昼飯は根菜類が中心だ。ジャガイモ、さつまいも、人参、かぼちゃ、スーパーに並んでいる野菜に挑戦している。大概はレンジの「根菜ゆでメニュー」(7番を選択)で出来上がってしまう。りんごやバナナも値段の安い時はこれに加えている。そして、同じものを口にしないようにしている。まぁ毎日自宅に居るからできることですが。それに、訪問するスーパーも「玉出、ライフ、業務スーパー、関西スーパー、アポロ、マンダイ」と次々と訪問し、一品150円を越えないように選択して買っている。牛乳なんかも、脂肪無しの安価タイプで、最近は本物の牛乳を飲んだことがない。こうして、勤めている時には出来なかった、野菜中心の食事ができるようになった。これはなかなか体の調子にいい影響を与えているようだ。特に夜のビールがナカナカ美味いのだ。新しい生活方法が見つかったのだが、これにも問題があった。それは、根菜類の昼食は午後4時までが限界ですね。腹持ちがしないのだ。そこで、コーヒーやココアを飲んだりして腹をごまかしている。仕事をしている人には向かないですね。しかし考えてみると、今から100年くらい前の日本人はみなこのような生活をしてのだが。こんな贅沢もあと少しの事だが。
2月18日(土曜日)
ひきこもり
朝から一昨日撮影した写真の整理と編集を行った。音楽教室の個人レッスンは狭い部屋で行う。それを撮影するには、11-22mmのワイドレンズを使う方法と、28mmのレンズでパノラマ撮影する方法があるが、今回は両方試みた。パノラマはパソコンで合成。これが意外と時間を食う。私はプロの写真家ではないが、彼らが試みるであろう手法は駆使した。撮影に2日編集に3日。この経験でお金をもらえる仕事ができる自身を得た。3年間アジアの写真を7万枚強撮影し続けた事は決して無駄では無かったのだ。夕刻プール。2.5kmは優に一時間を切っている。ホイットニーヒューストンの死はアメリカ国民ならずとも悲しい出来事だ。今でもアメリカの新聞の記事を飾っている。それで、録画してあった映画「ボディーガード」を観た。
2月17日(金曜日)
仲間達と

今回お世話になった方の事務所を訪ねた。皆さん自分の事のように喜んでいただいた。「仲間入りお目出度う」と言う感じだった。昨日最後の不採用通知が大阪真空工業さんから届いていた。営業職で年齢が高くても良いか確認をとって送ったのだが。残念ながら不採用だった。今回は営業用に作成したので死角はなかったはずなのだが、返送されてきた自分の履歴書をよく見ば写真の添付が無かった。もうその気がなくなっているので、緩んでいたということでしょうね。まぁもう済んだことだ。履歴書は37通の送付、面接は9回。来月は営業センス一本で生きて行くぞ。もう仙台での会議スケジュールが届き、緊迫感が一段と増してきた。前の会社では就職斡旋するので、退職後も心配しないと力強く言ったが、この仕事斡旋会社は何の連絡もなく一ヶ月過ぎてしまった。僕は、この会社からの斡旋にかけていたので、もし今回の件が無ければ本当に焦っていたでしょうね。この会社は「エクセルスタッフ」で、就職の決まった事をお知らせすると、斡旋の連絡はなかなか届かない代わりに、就職先の書類を提出する様に訪問することを強要すると言う、全くもって酷い会社だったのです。これで彼等は自分たちが仕事をした成果になるのです。夕刻、東京からUさんが帰って来るので、K氏を誘って京橋で夕食懇親会を開催した。丁度一緒にT君も居て連れられてきた。彼も50歳で若くはないが、このおじさんの中ではなかなか発言の機会を与えられず苦笑して居た。その理由は話題が昔のことになるからだ。おじさん達は直前の事は忘れるのに、昔のことはよく覚えているからだ。特に90年のバブル前後は鮮明だ。おじさん達が一番輝いていた頃でもあったから。2合入りのお酒を何本注文したのかわからない、ずいぶんと飲んだ。雪が自転車のサドルに積もっていて、払いのけて帰途に着いた。だが余りの寒さに野江にある本屋さんへ温まりに立ち寄った。ついでに「ハリポッター炎のゴブレット上下巻」を買った。発売時7,600円だったが、105円でget.
<何故だか店のおばさんが入っていた>
2月16日(木曜日)
アイデアは無限だ

今日は6時に起床して名古屋のホテルを飛び出した。早朝の新幹線で大阪に帰るのだ。久しぶりに日本のホテルに宿泊して、蛇口を捻れば水が飲める不思議さを味わった。駅で「きしめん」の朝食。そういえば昨日の昼飯もうどんだった。明石の駅に午前9時到着。友人の務める音楽教室の支店を撮影に回る。前回の続きだ。平日の音楽教室は、朝から賑わっている。幼児の英語教室や高齢者の楽器や歌の教室が開催されているからだ。その隙間を縫って撮影。今回は要領が解ったので素早く撮影出来る。多くの写真はパノラマ仕様とした。前回はソニーのスイングパノラマ機能を使ったが、今回はPCで合成することを前提にした。少し手間を食うが、スイングパノラマはやはり遊びの延長で業務用には使えない。昼食には「釜揚げうどん」。うどんの食事が続く。しかし、意外と飽きないし、それぞれが美味しく頂ける。音楽教室を訪問するのは楽しい。女の先生や女の店長さんばかりであるからだ。一仕事終えたのが午後4時半過ぎ。店の片隅でメール作業。iPadがあれば何処であってもそこそこな事が出来る。もうパソコンを持ち運ぶ事はない。さて、今日のテーマだ。夕食に明石焼の店にご案内いただいた。場所は「魚の棚」の近くだ。この店は何と一年間の明石焼が無料になる挑戦状がある。それは難しい漢字を張り出してあり、それが全部正解なら一年間の無料券を発行頂けると言うアイディア。私が読めるのは10%くらいですね。面白いじゃないか。テーブルの上には鉛筆と消しゴムが用意されていて、本日のテストと言うのもある。これに正解すれば最大で20%の値引きが提供される。僕たちは頑張ったが10問中6個正解の5%ディスカウントだった。明石焼は美味いし、店では遊べるし、こうしたアイディア店が繁盛して欲しい。店の壁には5名の正解者がすでにいて、写真が掲載されてあった。女性と子供だった。
2月15日(水曜日)
言葉がわかるぞ
今日は全国の責任者が招集される会議に参加した。勿論今度入社する会社のことだ。名古屋で。入社前だが全容が理解出来るために参加の要請が来た。先ず最初経営トップが方針を述べる。次に各部門担当者が連絡事項を説明する。僕は、会議の内容をメモしながら、不思議と楽な会議だと思った。この会議の内容云々しているのでは無い。話す言葉が理解できるからだ。この3年間の会議はすべて英語だった。それで、耳を澄ませて聞き取り、「日本語に変換」してメモを取った。他の人はそのまま英語でメモを取っていた。この変換を伴う会議は本当に疲れる。それに正しいのか十分吟味できないまま、どんどんと議題が進む。だが今日の会議では言葉の綾までしっかりと聞き取ることができる。いずれ会議にも慣れてこの新鮮味は失われるだろうが。会議では僕の紹介も含まれていたが、もうきちんと組織の中に割り当てられていて、何だか転勤してきたような扱いだった。動きが早い。コレが中小企業の実態だ。この会議のあと友人のT氏に連れられて懇親に向かった。そこには別の懇親グループも居て、かなり大勢の懇親会となった。その中に大手量販店のバイヤーさんが居た。話を伺うとTechnicsも当然記憶の中にあり、僕は、そこを担当していた友人のK氏を知っているか伺った。すると、知っている。と来た。「声の大きな人だろう」つながった。今度は早速その友人に電話をすれば、彼も思い出したようだ。僕は、今のタイミングを逃せばこの会社に入る事は無かったとこの会社の内部事情を伺うと理解できる。それは丁度今、組織のポストが出来、そこに当て込む人材が社内にいなくて、どうしようかという時にたまたま行き当たった具合なのだ。この様にして人生のパズルは埋まるのを見た。
2月14日(火曜日)
オーディオ装置

仮の住まいでは本格的なオーディオで聞くことが出来ず、ここでは昔のアンプにトルーボーイ型のスピーカーを接続して音楽を聞いている。そんなにいい音はしない。しかし、色んなものをこの部屋に詰め込んでいるので、残響特性はいい線を行っているのではないかと思っていた。iPhone4sには残響特性を測れるソフトが発売されているというので早速購入した。「Reverbe Time」250円。このソフトを立ち上げ、ヘッドホン端子からアンプのAUXに接続し、ホワイトノイズをスピーカーから出力する。iPhoneのマイクで受けるレベルメータが0dbを示すまでアンプのボリュームを上げ、約5秒程待つ。暫くすると左の写真のようなグラフが現れる。これは残響特性で、私の部屋の場合、0.25秒程度で、オーディオを聞くのには最も適した特性を示している。正確さは保証できないだろが、目安にはなる。緊縮財政であるが、250円の出費で実現する楽しみもある。
<左右が周波数特性、奥行きが残響時間、高さが残響量>
2月13日(月曜日)
ありがたいことで

雨模様。部屋の気温は上がらず少しだけ暖房のお世話になった。宇宙服のように厚着をしても寒さが忍び込んでくるからだ。それに手がかじかんでマウスがうまく動かせなくなった。午前中は、友人の勤めるホームページに掲載する写真のレイアウト提案書を書き上げた。前回の美味しいお寿司のお礼だ。午後AV
Reviw誌を読んだ。ここ最近読書が滞っている。本を読まなければ脳は退化するだけだと思う。HiVi誌も同様だが、今AVの世界は4K2Kで賑わっている。私も東芝のX3を見たが、このパネルで映す8Mピクセルの写真は目を見張るものだった。いずれ我が家にもと血が騒いだ。デジタルカメラは今や10Mピクセル以上だから、2Mのテレビでは物足りず、8Kパネルでそこそこと言う事だ。ちなみに4K2Kはハイビジョンテレビの4倍の密度を持つパネルのことで、横に3840の画素が並ぶこれを4Kと読んでいる。同じく縦方向は2160の画素が並ぶ。アメリカでは次期iPadが来月発表されることで話題沸騰状況だ。これは高精細度のパネルが搭載される事が予定されているが、どうやら10インチ程度のパネルサイズにハイビジョンの画素が搭載されるらしい。だから、もっとサイズの大きなテレビは4K2Kが当たり前と言うことだろう。いつもアップルはワクワクさせられる。ソニーの携帯音楽プレヤーも凄いのがある。僕の財布は冬の時期だからどうしようも無い。話は変わるが、カメラ雑誌やAV雑誌をみてて何時も思うのは、この雑誌の読者層は僕のようなおじさんだが、どの雑誌も文字があまりにも小さい。雑誌は前年比20%位の割合で市場が縮小しているそうだ。リクルートで面談を受けた時、雑誌の編集を申し出たが、この業界はベテラン編集長がコンビニでアルバイトをしている惨状で、やんわりと断られた。文字を読まない若者が根本的な問題だが、団塊の世代にもっとマーケティングすれば雑誌は復活するのだが。僕を就職ささなかったのは業界の損失だろうね。夕刻僕の就職を友人が祝ってくれた。近所に会社をリタイヤした先輩が料理する店がある。「はじかみ」と言って漢字で書くと誰も読めないので平仮名で書いた。ここの魚は天然ものが多く、昨日は鰤を相当いただいた。天然の鰤は脂濃く無くあっさりしているにもかかわらず、食べると脂身が口の中でやんわりと広がる。その身は赤い。養殖のように白くはない。この友人は私と同じように退職したが、一年間は仕事をしないと明確だ。
<写真は不採用通知、こんなのを35通も受け取るとめげる>
2月12日(日曜日)
予感
昨年の7月頃のこと。風呂やレンジ周りをキレイに磨き上げた。一度では落ちない汚れも回を重ねる毎に汚れが取れてぴかぴかになった。大体こう言う慣れないことをすると、この家を出て行くことになるのだが、との思いが頭の中を横切った。それで、今年は天神祭をカメラに収めた。それが10月突然の退職の話が降ってきて、この予感がいよいよ現実味を帯びてきたが、さて何処に行くためにこの部屋を出ることになるのかまだ分からないまま、1月から本格的に大阪で就職活動をした。結果大阪での就職はことごとく失敗した。僕は、就職の事よりも、どんなカタチでこの部屋を出ることになるのか?の興味が次第に高まっていた。そしてある人から次のように言われた。「どんなにいろんな仕事に挑戦しても、あなたの落ち着き先は決まっている。その時が来るまで、その人が現れるまで待つしかない」。僕はこの予言をもっともらしく受け止めた。そして昨日、運命の電話がかかってきた。「あなたは仙台に行くことになる可能性が高い」と。そこで、昨年の7月以来の予感が実を結んだのだ。そうか、そういう結末だったんだ。と納得した。今日は一日昨日撮影した写真の整理。夕刻プール。プールでは82才のおじさんと話し込み、年を取ると生きているのもしんどいでっせ!せめて寝たりきりで死なないように体を鍛えているとの話だった。水泳は60年ぶりとのこと。昔の感覚が戻らないとこぼされていた。まだまだ話足りないようだったが、僕は寒くなってお先に失礼した。まだ死んだらあきませんで!
2月11日(土曜日)
4部作

今日は明石で友人の経営する楽器店の撮影を行う。彼は仕事のない僕にこの機会にコンサートの撮影などいろんな仕事をさせてくれる計画を立てていたようだ。ホントにありがたいことだ。でも仕事が決まった以上それはお断りをしなければならない。最初で最後の仕事を請け負った。もちろん無料だから仕事ではなくボランティアだ。撮影は想像していたとおり、ワイドレンズが必要なシーンが多く、20Dに装着したキヤノン11-22mmのレンズが活躍した。それとソニーのスイングパノラマ機能が狭い部屋の全容を撮影できいい仕事をした。写真は3月の新入学シーズンに向けてのWebの充実の為だ。今や高校の音楽にヒップホップが必須となり、民間の音楽教室は盛況なのだ。その需要家獲得の為にHPをリニューアルするのだ。教室風景の更新だ。始めて音楽教室を覗いたが、いろんな楽器がありますね。それにヤマハの特約店だから、教室の造りが非常にしっかりしているのも特徴で、やはり音楽教室はヤマハと言われるゆえんがここにあると思いましたね。教室は全部で7軒もあり、とうてい今日中には全部を撮影することが出来なかった。夕刻、仕事を終えて今度はこの友人が企画したコンサート会場に向かった。世の中はバレンタインデーでして、ロマンチックなムードにあります。明石にある天文科学館の中で、神田将さんがエレクトーンを演奏し、観客はプラネタリウムで星を見ながら音楽を聴くと言う、誠にもっておじさん二人が過ごすのにこれほど不似合いな場所はありません。しかし、彼は企画者の一人として参加しないわけにはいかない宿命もあったのです。でも、コンサートは誠にすばらしいもので、しかも、その間に星座の解説が入ります。宵の明星の場所から始まり乙女座まで、大小いくつもの星座を教えて貰いました。この星を見て動物や女神に当てはめた昔の人の想像力は誠にすばらしいと感動しました。入り口では天体望遠鏡で木星をとらえてたので、それをデジカメのマクロで撮影。誠にすばらしい宵でございました。その足で明石の駅前にあるお寿司屋さんへ。いつ来てもここのお寿司はあごが外れそう。喰いきれない程のお寿司を頂き今日の3部作を終えたのでした。ところが実はこれで終わりではなかったのです。京橋駅の広場で午後11時だというのにパフォーマンスが始まったのです。マイケルジャクソンの物まねや、水晶玉をつかったものや、パントマイムを繰り広げるのです。アナウンスも堂に入ったモノで、最後の最後に自己紹介。Zangeさん。ニューヨークにあるアポロシアターで優勝するやり手でした。動画は1920x1080でGetです。と言うことで今日は朝早くからの活動でしたが4部作を堪能した次第でした。
<午後6時頃の木星、周りに衛星が見える>
2月10日(金曜日)
商談会
たまたま知り合った方の応援でPCオーディオをシマムセン様に紹介がてら伺った。事前に社長のアポイントを取っていたので店の方も真剣に受けて頂いた。僕はもう昔の看板を背負ってないのですが、昔の看板で呼ばれる。いずれにしてもありがたいことだ。この商品はOSにリナックスを使うため、WindowsやOS-Xなどに比べて軽く、オーディオに特化したカーネル部分しか搭載してないので、音がすばらしいと言うことだ。リナックスをつかったリッピングプレーヤーにはオリーブがあるが、こちらは30万円クラスで、この5分の一で購入できるメリットは大きい。ただし、リナックスと言う使い慣れないOSをインストールする必要がある。音質は低音のパンチ力が不足するモノの、高域がスカッと抜けるさわやかサウンドだ。JBLのS4700でヒアリングした。商談はとりあえずサンプル品を展示し反応を見ながら販売していく方向で決まった。営業マンとしては無事役割を果たせたわけだ。そのお礼に一芳亭のシュウマイをご馳走いただいた。僕の営業的な感覚も衰えているわけではなく過去受けた34社の目が曇っていたと言うことだと確信した。家に帰り着いた時にK氏と連絡がつき、再び淀屋橋まで出かけて履歴書の作成に取り組んだ。夕刻W社長からコンサートのお誘いを頂いたが、よくよく考えると明日の仕事をのことを忘れていたので、お断りをした。
2月9日(木曜日)
Straggle(もがく)

案の定、米原から岐阜羽島までは凄い積雪で電車は30分遅れた。でもこのうちの5分は新大阪の出発が遅れた分を含んでいる。僕の乗ったこの電車の車掌は5分遅れの出発を終始謝りもせず、雪の為だと言っていた。大阪の在来線では1分遅れをしつこく車内放送してうんざりだが、新幹線では一言もそれに触れないのもなんだかおかしいと感じましたね。そして名古屋では少し早く到着しすぎたので、最寄りの駅にあるモスフードでコーヒーを飲みながら時間を費やしたが、この店は暖房がなく、寒いのなんの。北風に晒されないだけのあたたかさ。名古屋のケチケチ商売なのか?それとも省エネなのか不明。今日の面談は旧知の方だった。少し個人的な質問を頂いたが、おおむね事業紹介に多くを費やされたし、その場で就職が内定されると言うスピード審議だった。僕の他にも千葉と埼玉からの面談者もいらして、同時に採用となったようだ。ところで、あなたはどこに住んでも良いのか?もちろん、採用いただくなら何処でもOKです。なんなら海外でも。会長さん曰く、東北方面に空きがあるのだが。お寿司をご馳走になり退社をした。この会社で働く友人はずいぶんと僕のことを推薦していただいたようなので、挨拶をして失礼しようと思ったが、あいにくと留守だった。その代わりSSNがあり、夕刻大阪で落ち合うことを約束できた。1ヶ月と10日ずいぶんと周りの人達にお願いしたり、自分で出来ることは全部試してみた。ビジネスと同じくらいこれに費やした。そして初めての人にもずいぶんとお会いした。ホントもがきました。そして35回目の履歴書9回目の面接で当選籤をもらえました。
2月8日(水曜日)
面接準備
又一段と冷え込んできた。今朝も昨日に続きハローワークで紹介してもらった企業さんへ履歴書を書き発送した。このマンションの真ん前にある郵便局の職員さんとは親しくなった。そりゃそうだよね。履歴書とお礼状を含めておおよそ60通の手紙をほぼ一日間隔で郵送に訪問しているからね。今日は自宅でPCにかじりつかなければならない理由がある。それは明日の面談を控えて、面談企業様の情報を入手し、分析、ブログの書き込みや風評をチェックするのだ。サイトマップがあれば、Webの構造が分かるのでまとめやすいが、僕が面接を受けるような企業さんはなかなかここまでは整備されていていない。Webから行う企業分析作業もだんだんとこなれてきた。最初はメーカーと代理店との区別が付かず同列で比較し、とまどいもあった。業界によっては代理店の方が大きい場合もあるし、扱い品目が違うと企業規模が違ってきたりして同列には比較できない場合もあった。企業規模を明示してない企業は多い。決算表にも記載されてないこともある。業界規模が調べられないモノもある。例えば結束バンドなんかは圧倒的に食品分野が多く、機械器具分野は余りにも小さく想像できない。政府の統計資料まで踏み込めばいいのだろうが、こちらは目的のところに行き着くまでに一日を終えてしまいそうだ。ともあれ、明日の準備は夕刻までに終えた。切符の購入に京橋まで出かけたがあまりの寒さに驚いた。明日は雪の遅延もあるだろうから、少し早い便にしよう。
2月7日(火曜日)
持続力
ハローワークには随分と足を運んでいる。まるで僕の職場になったかのようだ。今日の要件は友人のK氏に、大阪シルバーセンターへの登録を紹介するのだ。専任の相談員精度があり、これからの相談が楽になるからだ。その前に僕は、昨日のアドバイスを受けて午前中と午後の一部を使って最新バージョンの履歴書と職務経歴書を書き上げた。もう今まで何枚も書いてきたが、書き直す度に新たな自分発見がある。もう一通、昨日訪問した企業様へお礼の手紙を書いた。ハローワークの後、我々は淀屋橋まで帰り、橋のたもとにある喫茶店にこもり午後7時までかけて、履歴書と職務経歴書を書き上げた。これはK氏の分。なんだか今日は朝から文章を書いているぞ。それで滅多に疲れを催さない私の頭もダウン寸前となった。周りを見渡すと、この喫茶店で書類を作成している人の多いことに驚く。モバイル通信端末を持っていれば、事務所と同じ環境で仕事ができるから、ここでも問題ないわけだ。直行直帰が増え、モバイル環境の進化で、事務所の概念や仕事のあり方が変わりつつあるかも知れない。いや、もう既に変わっているかも知れない。嬉しいニュースは、ニコンとキャノンから新しいコンセプトのカメラが発売された事だ。
2月6日(月曜日)
34-8
今日は面接だ。業務用の扇風機を販売する会社だ。東大阪市にある。自転車で行ける距離だが、あいにく今日は雨でどうにもならない。それで早めに出かけ、近くの駅で時間をつぶそうと計画した。まずは地下鉄で鶴橋まで。鶴橋は韓国が元気なためか、この街は意外と元気が良い。昔のままの商店街をぶらついて、食事でもしようかと思った時に気が付いた。お金を持ってない事を。急いで検索して質屋を訪問したが、身分証明書を持ってないとお金は貸してもらえ無い。残された最後の手段はタクシーで家に帰る事だ。20分で自宅に帰りお金を払う段になって考えた。雨は上がったので自転車も可能だが、もう残された時間は1時間を切っていた。仕方なくそのまま面接の企業さんまでタクシーで伺った。思わぬ出費は痛い。今回の焦点は、僕の腰が重いのではないかという事。大企業に務めている人を採用するには気のかかるポイントだと言う。面談は友好的に終えたが、営業部長である野村さんの判断がものを言うと思った。この人は、仕事の能力よりも、荷物を下ろす作業が出来るのかどうかを何度も確かめていた。期待薄かも知れないが、あてもない詮索は止めて次の行動へ。今度はシルバーハローワークで履歴書を見てもらう。ここは就職が決まるまで、専任の人がずっと面倒を見てくれる。なんだか会社の支援制度みたいだ。但しこちらは無料。履歴書は少しだけ修正アドバイスを受けた。しかし概ねこれでOKだと言う。「所で、ハローワークで働く気はないか?」と打診された。門は狭いが私がチャンスを見つけてあげると言ってくれた。交通費は出ないのだが大丈夫か?と聞かれたので、自転車で来るから大丈夫だと答えたら、「ずいぶん時間がかかるでしょう」30分位だから問題ないと答えると、ハローワークの個人的なファイルに、「体力に自信在りと」書き込んでおられた。次にここで仕事の検索を行い1件の申し込み。続いて大阪人材銀行を訪問し、此処でも検索をかけて、一件の申し込み。最近は相当ラフに申し込みを行うので、窓口で断られる事が多くなってきた。天満橋まで徒歩、ここで休憩がてらジュンク堂を覗くと、余りにも多くの書籍に圧倒された。まだリアルの本屋さんは頑張っているのだ。
2月5日(日曜日)
インド

嫌な思い出のあるインドが妙に懐かしい。特に今の時期インドを南から北までくまなく回ったときであり、その時の空気が想い出されるのだ。特にブバネッシュアル(インドの東部地方)の屋台で、ピーマンやタマネギ、にんじん、ナッツ類を細かく刻んで、雑誌を破いて巻いた簡易容器に、塩とレモンを振りかけて食べるおやつが印象的だ。これは衛生上絶対にダメだとインド人社員から教わったが、食べてはダメだと言われると余計食べたくなるのが人情だ。この屋台の前でずいぶんと粘って、どんな材料なのか、どんな作り方をしているのか記憶にとどめた。写真は撮影できる雰囲気ではなかったので。これに今日は挑戦してみた。もちろん食べてないので比較は出来ない。ホントは多くの野菜をミックスするのが基本だろうが、野菜が高いので、少なめで挑戦した。生のままだと少しきついので少しだけ火を通し、塩胡椒で味付けしたら、結構行けたのだ。それで気をよくして、これをパスタの上に乗せていただくことにした。本来の食べ方とは少し違ったが、インドの風を感じた。インドと言えば「私の名前はカーン」主演はシャー・ルク・カーンで、インドではものすごく有名な俳優。適当にDVDを買うとこの人が必ず登場する。この映画はものすごく感動する。特に女性の皆様にはお勧めだ。全世界でも33億円の売り上げを誇るヒット作品だ。これは少し頭のおかしなカーンがアメリカに渡り、妻に嫌われないために一心不乱にあることに挑戦する物語。「ショーシャンクの空に」にも似たような展開だ。プールを復活した、少し体力が落ちていて、1時間で2.5kmだった。
<左の屋台で売られていた、右でおじさんが寝ているが、その隣で、少年が大便をしていた>
2月4日(土曜日)
休日

仕事をしてないのに、平日はしっかりとやることがあり、今日は身の回りの整理だ。新聞はパナソニックの7800億の赤字記事から始まっていた。今までの赤字で最高だ。フレームワークばかり示して一向に実現しない経営。一方「おれは中小企業のおやじ」鈴木修さんの書籍を読むと、経営が目に見える。例えば、工場はウナギの寝床がよい。資材の搬入と、行程の変更が楽だとか。本当はそれだけではないと思うが、この本だけで企業が経営できそうだ。経営者の基本的な姿がここにあると思いましたね。そして今日の一の話題は、USA todayの雪嵐の記事は記念碑的な偉業を遂げた事件でした。いや、記事ではなくて私の自慢話。この文章は、辞書を開かず最初から最後までしっかりと理解をしながら読み終えたのでした。勿論正しい発音ができると言う意味ではない。「話せなくても良い、ただ英字新聞が読めればそれでOKだ」との目標で始めた英語もここで一つの節目を迎えたのだ。ただこれには複線があり、嵐のたぐいの記事は結構好きで、ずっと前から真剣に読んでいた経緯がある。だから、その他の記事が読めるかと言えばそうでないのだ。そして郵便ポストには不採用通知が3通。これで33件の不採用通知だ。だが、まだ3通申し込んである。このストックがきれないようにすることだけが当面の目標だ。
<イラストレーターではまだ旨く絵が描けない>
2月3日(金曜日)
人間関係

今日は名古屋に住む最も親しい友人が勤める会社の件で、これまたものすごく親しい友人から紹介され、その内容を伺いに行く。面談くださった方は、会社の生い立ちから始まり、事業内容の紹介、私がするであろう仕事内容だった。そしてこの1時間の間に、私の処遇や境遇を正確に5分に一度の割合で差し挟みこんでくる。時計を見ているそぶりもないので、凄いタイムマネジメントのできる方だと思った。B型の血液型を持った方の話ぶりのようにお見受けした。京橋の駅前にある気温表示は1度を示していていた。ひどく寒いが、このあと用事があるので日本橋まで足を伸ばした。昨日伺ったPCオーディオをシマムセンさんで聞いてもらえないかと言う相談を、お店の社長さんに持ちかけなければならないのだ。自転車の移動はものすごく寒く、着いた時にはチョット、口が回らなくなっていた。社長さんはこの要件を快諾して下さり、来週伺う事になった。この店の大御所の鈴木氏にも声をかけようと思ったが留守だった。その足でしばらく訪問してないオーディオ専門店である共電社さんに行った。ここは邨田常務さんの言われるように細く長くの精神で今でも立派に商売を営んでおられる。暖房はないのでコートを着込んだまま上の階に行くと、何と実盛さんが事務をとっているではないか。もう20年ぶりとなる。近況を伺うと、邨田常務は亡くなったと。84才。今は先代の社長の息子さんが常務をされているとのことで、この方にも挨拶をした。実盛さんは僕のことをしっかり覚えていてくださって、なんと彼の個人的な手帳の中を見せていただくと、僕の名前が記入されていた。現在77歳。更に上の階に行けば、アキュフェイズとB&W(802)でクラシックを流しており、しばし耳の洗濯をした。JBLのS4700もあり、高級オーディオはしっかりとメンテされている。ホント今日は素晴らしい人間関係で締めくくることができました。嬉しかったので、夕刻恵方巻きの完成品690円を清水の舞台・・と断腸の思いで、購入しました。
<少々見にくいが、イーオンのオの上が気温計>
2月2日(木曜日)
いよいよ本格的に冷え込んできた
朝起きると部屋の温度が11度を割っている。着膨れになる程着込んで、太陽を待つ。太陽が出ればこっちのもんだ。それまでの我慢。昨日拾ってきたハローワークの申し込み2件書き上げ、図書館に向かう。Illustratorの使い方本の返却、同時にもう一度借用。その足で今度は本町にあるシルバーハローワークへ。履歴書の書き方を教室だ。会社で一度教えてもらったが、こちらのほうがレベル高い。公共機関と言えどもここは専門だから、マニュアルも、ノウハウの指摘もこなれたがある。履歴書の用紙形式にJIS規格があると聞かされ目から鱗が落ちる。この1時間半は貴重だった。丁度この時窓の外は雪が舞っていた。外は就職戦線と同じように冷え込んでいるのだ。このセミナーにより明日からの履歴書はもっと充実したものになるはず。とても冷たい北風の吹く御堂筋を自転車で駆け抜けて、今度は高麗橋に向かった。ここでPCオーディオを推進するS氏に何か仕事面でお手伝いが出来るのは無いかと相談をするのだ。出来ることは何でもしますよ。話を伺うと、LinuxのOSをベースとするもので、少しハードルが高いのだ。これは僕の頭の中を整理する必要もあると感じましたね。デジタルの世界はドンドンと変化しているが、こんなに身近にもイノベーションがあるのだから世の中が変化しないわけがない。そのビルから失礼する時に、今度は前に申し込んでおいた会社から面談の電話が来た。ありがたいことだ。結構忙しい一日でした。
2月1日(水曜日)
もう一つの悲しい出来事
夜、滅多に来ない母から電話がかかってきた。飼い犬の「ちび」が死んだと言う知らせだ。この紙面に私と犬との関係は何度も書いてきたが、僕の生涯の中で一番心が通った飼い犬だった。年に二度しかこの犬を連れて散歩しない仲なのに、帰省したとき、僕の足音を聞きつけると、チョット普段振る舞わない様な鳴き声をたてて出迎えてくれる。飛び跳ねて歓迎してくれる。そして、夜は僕の住む離れの玄関をずっと見守っている。深夜トイレに起きると真っ先に目が合う。こんなにも仲の良かった犬が突然病気で死んでしまった。流行の風邪を引いたらしい。まだ年が老いるには早過ぎた、お正月の散歩の時引く力も相当強かったのに。これ程悲しい出来事は近年ない。就活が決まらず落ち込み、さらに追い打ちをかけるような仕打ちだ。その就活、昼間ハローワークに行き目ぼしい仕事を申し込んだが、8件の内、書類を送っても良い企業は何と2件。もうハローワークから企業さんに申し込む際に6件もふるい落とされる。高齢者の門戸はほとんど閉ざされているのだ。もう僕としては、その仕事につけるのかどうかよりも、意固地になって正面突破で自分の実力を試したい思いが次第に強くなってきましたね。自分の価格はなんぼなんだろうか?と思うのです。今の状況は、この寒波の中を飛ぶ飛行機のように激しく揺れている。落ちなければ良いのだが。
1月31日(火曜日)
面接試験
今日は旋盤工の面接だ。とりあえず可能性があるものは全てに挑戦だ。小さな町工場なので、社長さんが面談に応じてくれる。
「見る限り営業ばかりやな、何で営業に変わった?」
・テクニクスの仕事がしたかったからです
「そういや、テクニクスは持っている」
・そうですか。(と言うことで、ここで延々10分ステレオの話となる
こんな話をしてて良いのかな?と思ったが、話の主導権は先方さんにあるので、その話につきあう)
「何で製造職を選んだ?」
・仕事がほとんどないのです。
「そやな、いま厳しいもんな」
・年がいってて済みません
「いやぁ、若いものはこの町工場には来ないよ。来るとすれば、転々と仕事を変える人で、これは使い物にならんし」
そうですか
「それに欲しい年齢のひとは、その会社が離さないし」
なかかいい人が来ないんだ(なんだか人ごとのような話になった)
「高知のどこや?」
安芸郡です
「阪神のくるところか?」
そうです
「港湾がすごいな」
(いきなりこうわんと言われても意味が分からなかった。漁港のことですか?と聞けば、そうだと言われた)
「ていの跳ね上げ橋は無駄金だ」
(これも最初は意味不明。後で聞き直すと、手結の港のことだった)
「私は高知の出身なので嘘ついてもわかるぜ」
(これで合点が言った、高知のことを余りにもよく知っていたのだ)
「学校の成績はどうやった?」
(40年以上も前の僅か3年間のことを聞いて、参考になるのかな?それよりも、その後の40年間の事を聞いて欲しいのだが、これを言ってはいけないだろうな)
中略
「フライスを見るか?」
(見せていただくと、台がXとY方向に動くもので、これなら使えると思いました。そうすると「これなら高校の時使ったことがあるだろう」と話されたので、そうですと答えたが、そんな記憶をたどらなくても、見れば分かるのだったが、それを言っちゃいけない)
「あんた工員がつとまる顔じゃないな」
私は実直そのものですよ。寡黙で、なにごともこつこつが信条ですから(と流暢に答えたが、寡黙な人がこんなこと言うわけないなと後で思った)
「今日は風邪を引いていて、調子が良くないわ、それに面接で声も出さないかんし」
(まあ、お人柄は悪くないし、不採用が届いても、頼み込めば何とかと思ったが、寒風のなかでプレスや旋盤を使うこと考えたら、ちょっと厳しいかなと思いましたね)
今日は全応酬をICレコーダーに記録して、近くのマクドナルドで、全てを文章に書き起こしたので、上記よりもっと詳しい文章が残った。自分は余計なことを話してないかチェックの為ですが。そうしていると友人から高麗橋の喫茶店に来ないかと呼び出しの電話。住所を伺いiPhoneに打ち込むと地図が表示された。自転車で10分の距離だった。話の詳細はこの後、彼の知り合いから聞けばよいと言われ、その後近くの焼鳥屋さんで話を伺った。そこで次回面談日を予定してくれた。帰るとき、酒を飲んでいるとは言えこの寒さは尋常ではなかった。
1月30日(月曜日)
日常のこと

始めて洋書を買った。Amazonで申し込んでおいたら暫くしてから届けられた。最初は在庫が在りませんと本国アメリカからメールが届いたが、次のメールはもうコンビニに届いてますだった、こちらは日本のアマゾンから。この本は英語の文法の本だ。最初の書き出しに、「comeとgoの使い方は難しいですね」とあり、英語を知らない人のために書かれた本であることが分かる。620頁と相当厚い本だ。一日2頁が目標で、今年中に読みあげればいいなと思っている。(実際は一日半分程度が限界だった)今日は物凄く寒く、午前中の一時間だけ暖房のお世話になった。部屋の温度が13度まで上昇すれば厚着で何とかなりますが。それ以下だと、どんなにしても寒さが体の芯まで染み込んでくるし、足はしびれたままとなり、パソコンを使うには手がかじかんでなんともならない状態になります。夕刻散歩を兼ねて千林商店街へ。安いのでつい買い過ぎてしまうが、ここは品物が良い。例えばサツマイモは一袋100円で、近所の業務スーパも同じ価格なのに甘くないが千林のものは結構甘いのだ。ジャガイモとサツマイモは昼食に頂いている。そうすれば昼食代は100円以下で済ませるのだ。当面夕刻の買い物はこの千林商店街で決まりだ。
<その筋では結構有名な本らしい>
1月29日(日曜日)
今日は、少し緩めて
今朝はひどいのどの痛みで目が覚めた。完全に風邪を引いた。頭も少し朦朧としている。結構自炊の食事が多かったので食べ物が偏っているかも知れない。自炊の食事は実に不味い。本当は旨い作り方も出来るのですが?どうしても塩分高めになる可能性があるので、調味料を極力控えているために味がない料理なのだ。その上、肉類はほとんど口にしない。これでは体の抵抗力も落ちるのが当たり前だろうか?まぁ体あっての物種ですね。と言うことで千林商店街に食事がてら買い物に出かけた。僕はこの近辺では「スーパー玉出」が一番安いと思っていたが、この商店街の出店がもっと安いのには驚いた。なんせリンゴが一個100円ですから。寒ブリ8きれ(とても大きな切り身)が390円。結局値段は安いがいろいろと買うので高い買い物になってしまった。今日は病気だから許そう。食事は力食堂で「カレーうどんとおはぎ」大変な混雑で無愛想なおばあさん店員の対応。店の雰囲気に合わないが、JazzをiPhoneで聞きながら頂いた。やはり塩分の濃い料理は旨い。Vieraに電源を入れるとダウンロードが始まる。TVで久しぶりにYouTube。ランキングの高い番組はほとんど英語で占められていました。まだこれは理解できない。
1月28日(土曜日)
精神と肉体と
寒いのを我慢するにも限界があることを知った。部屋の気温が12度を示したまま変化しない。これには参った。とうとう電気カーペットを短時間だが入れてしまった。軟弱だが仕方ない。昨日大阪人材銀行で申し込みをした企業へ履歴書を発送し、今日の目的は終了した。最近聞く音楽と言えば、iPadでネット接続したジャズ、クラシックだ。結構間に合わせになるが、本格的に聴くにはちょっと物足りない。そこで千林のTSUTAYAは、音楽ソフトが充実しているので、今日は主に一斉を風靡したロックを借りた。こちらの料金が暖房器具をつけるよりはよほど高いのですが、それはそれ。エアロスミスやRME、シェリルクロウなど10作品を借りた。他にもYoutubeでは歴史に残る名演をダウンロードしてて、映像は捨てて音楽のみMP3で取り出している。音質は多少落ちるが名演なので我慢ができる。これもiTunesに登録し、他のことはともかく音楽方面は実に豊かで充実しているのだ。深夜、喉が急に痛みだしはっきりと風邪を引いたのを自覚した。僕の崇高な精神にたかが暖房無しだけなのに体が付いて行ってないと言うことだ。
1月27日(金曜日)
人材銀行

寒い。寒いが暖房はなし。厚着をしてもう暖房のお世話にならないと決意した。一日中家に居て暖房をつけていれば大変な事になると考えたからだ。かなり極端な耐乏生活になっている。変わりもん所以の行動だろう。午後、大阪人材銀行に登録に出かけた。ここは管理職経験者が登録できる公的部門だそうだ。昨日紹介された。ここはハローワークと違いシステムが複雑だ。いずれも彼等の都合の良いような仕組みだ。登録の後検索を行なうと、ハローワークよりか賃金が高い。これがベストだと思いプリントアウトし企業名を聞けば、前回ハローワーク経由で申し込みを行い見事失格になった企業だった。きっとここが多分自分に最適な企業だろうな。しかし一度落とされているから無理だろう。ここの担当者に相談すれば、シルバーハローワークも近くにあるからそこも訪ねると良いとアドバイスを受けた。よしそこにも行こう。だが待てよ、この近くに「IOGにっこり電気」さんがあったぞ。そしてその近くに美味しい「そば屋さん」が有ったぞ。この社長さんに何度かご馳走になったぞ。と言うことで探せばありました。料理名は「うまいそば」何のひねりもありませんが、味は昔の記憶通りだった。最後にお汁に蕎麦湯を入れて飲み干せば、満足感が広がりました。場所は堺筋本町地下、「大名そば屋」さん。さてシルバーハローワークとは如何に?55歳以上の仕事をピックアップして掲示ている場所。またおじさん向きのあばさん相談員もいる。この相談員Sさんに面談してもらったが、一方的だが偉い親切な人で、お節介と早とちりの境が見分け点かないのが、資料のプリントアウトを始め、履歴書のチェックなどもしてくれると言う、地獄に仏に出会ったような人だった。それで紹介されるセミナーに参加することにした。せっかく本町まで来たので、日本橋に寄ってキーボードを探してみることに。だがいろいろ尋ねるが僕の目当てとするキーバードはもうこの街にも無いと言われた。NECの9801のキーボードだ。ガックリ。業務スーパで冷凍焼き飯を買って帰途についた。凍てつく寒さなのに力一杯自転車を漕ぐと着ているものが汗で濡れていた。気持ちは寒いが気温はそんなに寒くないかも知れない。帰り着くと今度は面接通知の手紙。
<つけ麺のソバ>
1月26日(木曜日)
気分はジェットコースター
ソマリアで人質にされているアメリカ人を、海軍の特殊舞台が、密かにアジトに潜入して、人質を救い、犯人達を射殺した。その救出メンバーはかつてパキスタンでオサマビンラビンを射殺したメンバーと同じだと、オバマ大統領は語った。まるで映画のような記事だった。この記事を読んだ多くの国民は高揚するだろうね。「やっぱりアメリカ人で良かったと」この新聞はUSA Today.多分日本の芸能紙のような存在だと思うが、記事がゴシップ方向でなく、ダイナミックなのだ。もう少し読解力が高ければ目の前にシーンが浮かび上がるのですが。今日は小雪のチラつくなか、失業保険の説明会の受講に出かけた。身分の確認に誕生日を西暦で答えると昭和にしてくれと。ちょっと面食らった。グローバルが叫ばれているのですが。次回の参集日の説明では、日程を間違う人が多いと言われた。それなら、なぜ間違いにくい方法に変更しないだろうか?というのは、単なる日程の事なのに、非常に複雑な事をしなければならないのだ。まず、雇用保険資格者証に書かれている「1型火」から最初の日程が決まる。これ意味わかりますか?これは2月14日の火曜日に来なさいと言うこと。つぎに雇用保険のしおりの最後のページを開いて、カレンダーの頁を開き2月14日に丸をつける。そして次は同じ列の4つ下の火曜日というのだ。参集の時間と言えば、再び雇用保険資格者証の上に記載されている。なお確認の為にしおりの表紙に最初の日程を書いてあると言う。こんな説明を聞いて、了解。といえそうですか?しかもしおりの表紙に書いてある日程が間違っていた人が3人(100人中)。プロの彼らが間違うのに、一般人が間違わない訳がない。それはわかりにくい方法を採用するからだ。説明した人はまだ40歳前の働き盛りの男性なのに恐らくこの人は改善という意味を知らないまま死んでゆくと思いますね。その後、以前勉めていた会社の指定する就職支援会社を訪問した。何となく空気が柔らかく感じられた。履歴書の書き方をご指導頂き、激励を受けた。ここで勇気を得たのでそのまま道頓堀近くにある市民プールへ向かい3kmを泳いだ。実に気分爽快。冷たい風も気にならなかった。帰り着いて郵便箱を開けると不採用の通知手紙が入っていた。気分は一気に落ち込んだ。ジェットコースター(英語ではローラコースター)の様に上下が激しい。
1月25日(水曜日)
実行者
野田総理の演説は素晴らしいものだった。わかり易く難解な言葉を使わず、話しのストーリーがぶれない。誰が作成した原稿か不明だが、凄い構成力がある。ヤジを飛ばす野党の知性がまるで子供の捨て台詞に聞こえるのは、その場の思いつきで話している為だろう。言葉の重みが違う。暇だからこの演説の文章をじっくり読みましたね。だが、問題は、誰もこの首相の方針を実行する人がいない。野党のヤジのごとく政治家も多分各省庁も頭が重くなり、体動かなくなっている。こんなこともう20年も続けてきて日本は黄昏てしまった。もう外国から相手にされてない。だが、だれもそれを現実のものとして受け取ってない。ニッポン復活何で言葉がまだ世間で踊っている。もうそんなことは無いのに。貿易収支が赤字になっても気に留めない。ウォールストリートジャーナル紙が取り上げていると日経新聞にはあったが、記事の扱いはトップから24番目である。ワシントンポスト紙やニューヨークタイムズ紙やイギリスのTime紙は全く取り扱いがない。もうプライドを捨てて現実を受け止めて動かなければならないでしょうね。
1月24日(火曜日)
匠の極意

Illustratorの操作マニュアルを読みながらいよいよ今日から本格的にこのソフトの勉強に入る。僕の持っているバージョンはNo9で推奨OSがWindows2000である。それを無理やりXPにインストールしているから、保存した後、読み込みができない不便さがあるが、概ねCS版の説明書でも使える部分が多い。先ずはペンツールを使ってのベージェ曲線の描き方だ。YouTubeのデモではこの機能を使い綺麗なイルカの流線型を描いているが、これは少しハードルが高い。僕がマスターするのは直線と曲線と塗りつぶし。オブジェクトの重なりの優先順位、オブジェクトのカット程度だ。イラストは丸と四角の組み合わせで何とかなると部分も有り、Photoshopに複雑な技を預ければ、おおよそ思った事が出来上がる事がわかりました。あとはセンス。じつはこちらが一番重要で、ソフトの理解なんてレベルが引くても全く問題ないと、ここまでやって来て気付いた次第。まぁ、匠の技というのは往々にてこんなもんでしょう。だが、このソフトをマスターすることは人生において全く無駄では無いと思う。何時何時(いつなんどき)ロゴや、手短な絵を描かなければならない時がくるかもしれない。鉛筆でちまちま書いてスキャナーで読み込んで、、、よりか、Illustratorで書く方が綺麗で手っ取り早い。このガイドブックは2月2日迄に返却すればよいから、それまでには一応マスターするつもりだ。ついでにこのホームページのロゴでも作成すればよい。
<門真のレストランの食券 昔の電車の切符みたい>
1月23日(月曜日)
毎日、何をしているかって?

会社に務めていた頃、月曜日と言えば、前日のプールの疲れが出て、死ぬ思いで老体に鞭打って出勤してた日々が懐かしい。今朝も勤務してた頃に起き出したが、仕事をしなくてもよい気安さの為か、昨日のプールの疲れはなくシャキンと起きられた。そう言えば、昨日のプールでは何時も僕を追い越してゆく、30歳後半の兄ちゃんが前をゆっくりと泳ぎ邪魔でコースを譲れば良いのにと思った。疲れの無い日々を過ごしているので、こちらの速度が何時の間にか上がっているののですね。ますます自己陶酔の世界に入りつつありますね。これで英単語の語彙が増えれば脱皮できること間違いなしだ。それもこれも実はと言えば仕事が無いので時間が有り余る情況の為せる技にあるのだが。仕事がない以上手をこまねいているわけにも行かず、こうして自己変革を試みているのである。それが普通の人とは違った方向で身を結んだと言うことだろう。自分の時間割みたいなものが出来上がり、午前中は英語、午後はPCの習得もしくはハローワーク通い。夜は読書。当面実直にそれを遂行して行くだけだ。3月迄だけど。
<鶴見緑地公園>
1月22日(日曜日)
美人の尺度
今日も午前中はミスタードーナツ迄の散歩で英語の勉強と、ニューヨークタイムズの記事訳。帰って休憩に「幸せの雨傘」カトリーヌ・ドヌーブを見た。彼女は68才。綺麗な人だ。日本の五月みどりと双璧をなす美人だと僕は思うのだが。だが、僕の美人感には問題がある。顔が大きいのだ。顔だけ見てはダメだと言うことはよく分かるのだが。まぁ美人を銀幕でみると言うのは一種の娯楽になりますね。話が一転するが、日経新聞で日立建機や小松の業績が良いことが報じられていた。今後の市場はインドネシア、ブラジル、インド、ロシアなど領土が広く、みどりが豊かな所ばかりだ。ここに100トンのショベルと140トンのダンプカーを投入してビジネスを拡大する話だ。別にこの企業に責任があるわけではないが、この企業が栄えれば栄えるほど地球のみどりが無くなってしまう。もう数十年で地球は人類が住めなくなるだろう。人類は途絶えても、2万年くらいすればまた復活するようであるから、未来の新人類がわれわれの遺産を見つけて僕たちと同じ価値観を持つだろうか?つまり美人の尺度のことだが。
1月21日(土曜日)
農と就労のフォーラム

農業にも関心があり、このフォーラムに参加した。100名限定だったが、昨日申し込みを行なうとまだOKだった。だが当日の会場は満席のむんむん状態だった。公演は農林水産省の二階堂孝子氏、ファシリテーター(何かわからないが)の宮内博子氏、主催者の飯島秀司氏だ。それに実際農業を営んでいる間木さん、薬師寺さん、小林さんのフリートークの構成。まずは二階堂氏。さすが管理職だけに主旨が明確で、長い文章のセンテンスも途中で筋が消えることなくきちんと話が完結する。事例には視野の狭さを感じたが、全体を通じた話の背景にトレンドを見つけようとする視点が感じられた。この辺り実行者ではなく、行政を背負った人だと納得。実際農業をされている3人が取り組みの紹介をされた。印象は非常に苦労されている。とにかく、言葉に重みがあり、軽率な言葉が出てこない。30才のまだ始めの年齢なのに、老練の社長のような慎重な言葉の選択をしながら話をするのだ。これなら何とかやっていけるだろうと思いましたね。逆に言えば農業は相当厳しい。主催者側はこのほかにもいろんな事例を紹介した。そこで思ったことは、農業は衰退産業ではあるが、全国の各地で小さなのろしが上がっているのが見えてきたことである。小さな組織、小さな取り組み。単なる趣味の為の田舎暮らしではない何かである。丁度この日、友人のO氏から愛媛県の農家に就職した話が舞い込んできた。ネットで検索すると、まさに今日のテーマの一つに挙げても良いような所だった。農水省の二階堂氏が探っているトレンドがどうやら僕にも感じようになったフォーラムであった。
1月20日(金曜日)
動きがスローになっているかも知れない

一寸油断すれば、英語の勉強が頓挫している。朝6時に起床して、結構詰まったスケジュールを送っているのだが、采配を怠ると何かが頓挫することになる。それで、今朝は散歩を兼ねてずっと遠くにあるミスタードーナツまでラジオ英会話と基礎英語3を聞きながら向かった。店の中では、ニューヨークタイムズのデビットポーグさんの記事を訳する。以前はこの文章を訳するには4時間程度の時間が必要だったが、今では一時間程度になっている。もし日本語なら5分程度の文章だが。まぁこれでも僕にとっては進化だ。昨日のIllustratorの勉強と言い自分が進化しているのを感じるのは心が落ち着いて良い。何もしない無為な時間を送るのがどうも落ち着かないようなのだ。問題は、どうもフットワークが悪くなり、一日に出来ることが少なくなっているようなのだ。ともかく夕刻5時には総てを終えることが出来たのでプールに向かった。この日は「なみはやドーム」。このプールは深く人が少ないのでいいのだが水温が区のプールと比べると幾分低く、泳ぎ始めは相当寒いのだ。週課としている3kmを泳ぎ気持ちよく終えた。今日の昼食はもとや食堂で腹一杯頂いたので、夕食はバナナのみ。予算の事もあるが、どうも僕の食事量は2.5食程度で十分な感じだ。
<これが430円の食事>
1月19日(木曜日)
あまのじゃく的な行動だが

今日は雨だ。それでは出かけることにしよう。総ての行動は自転車だ。ゴアテックスのカッパを着てまずは難波のハローワーク。何で難波なのか?ここには農業に関する資料が完備されている。就職が決まらない以上農業をすることも選択肢の内の一つに考えなければならなくなってきたからだ。尋ねてみると、いろんな情報があった。まずは21日に農業に関するフォーラムが開催されるという。高知県の出張所が心斎橋にあるが、県の支援はこちらで聞くことが出来るのではないか?と。2月18日には農業フェアが開催されるという。関心の方向を変えればいろんな物が見つかる物ですね。ついでに、二つほど紹介状を書いて貰った。その一つは作品を提示しなければならないのだ。デザイナーの世界はIllustratorでいろんなデザインを書くが、このソフトを使った描画を提出する事が条件として書かれていたのだ。ともあれ、帰り道にある高知県出張所を訪問した。大阪の真ん中にあるのに、ここはまるっきり高知だ。高知弁しか話せない人達ばかりだ。高知に帰ったとき県庁の農業普及所を尋ねた方が良いかも知れない。最後に城東区の図書館を訪ねた。先ほどのデザインソフトの使い方を書いた書籍を借用するのだ。あちこちうろついたので冷たい雨は、じわじわと体の中に染みこんできた。帰って早速本を開き勉強だ。僕の持っているPCソフトはバージョンが低く、この本に書かれている最新の機能は搭載してない。YouTubeの動画説明と併せて勉強しながら絵を描いた。
1月18日(水曜日)
趣味の世界

今日の天候は最高。ハローワークに出かける予定だったが、急遽取りやめて、履歴書の見直し、何度見ても訂正する箇所がある。どうしていい加減な文章を書くのだろうか。キーボードだから誤った文章に嗅覚が働かないのだろうか?。とにかく、こんな天気の良い日は出かけてはだめだ。暖房が一日中不要だから、自宅にいてやるべき事務作業を優先するのだ。逆に天候が悪い日は自宅にいれば暖房のお世話になるから、積極的に出かけるようにしている。とは言うものの昼から曇ってきたので、軽い運動を兼ねて近くの鶴見緑地公園に出かけた。ここでおじさんがリモコンで動くボートを浮かべて遊んでいた。話を伺ってみれば、相当なマニアで、ボートに使うモータはーヘリコプター用に開発されたブラシレスモーターで、回転数を自由に変更出来、しかもブラシが減らなくて良いという。これは家電の世界で表現すればインバーターモーターのことでありますね。ブラシを使うモーターは磁石の極と回転数が関係し、自由自在に回転がコントロール出来なかったのだ。インバーター方式はアンプの周波数を変えれば回転数のコントロールは無限だ。このおじさんはこのモーターについての講釈を30分程話されましたね。このタイプのおじさんは得意だから、話が弾む。おもしろい話を聞いた。人間の乗るヘリコプターのローターは時計方向に回転するが、アマチュアのヘリコプターのローターは反時計方向に回転する。何でか分からないと言う。帰ってWebで検索すると、内燃機関のエンジンが時計回りなので、減速で使う以上同じ回転方向になると書いてあった。今度合ったときおじさんに教えてあげなければ。
1月17日(火曜日)
アルバイトの話

友人と仕事をする企画である。大体この様な場合うまく行かない。過去に沢山の失敗を見てきている。原因の一つは、友人だと言うことで、過度な期待と、相手が理解している思い込みがある。身の丈知らずと言う事かもしれ無い。しかし、一面でバンド演奏なんかは、友人の集まりから発展している。こちらは気の合う仲間で無ければ、演奏が同期しないからだ。僕の場合はどちらなのだろう。この企画以外にも、田舎に帰れば農業面でやはり友人とのコラボが待っている。こちらは別の友人だが。いずれにしてもこれから先に仕事を見つけようとすれば、知人関係を頼るしかないのだろうか。さて打ち合わせは、先方のスタッフも交えていい具合に進んだ。スタッフの責任者は女性でご年配の方で、凄く経営のことを考えておられた。僕と友人は結構軽くセミナーを考えていて、楽しさ一番のつもりだったが、どうやら先方の経営の中に組み込まれそうな重い責任を負った気がした。だが、僕の本体の仕事が決まらないとこちらを先に請け負う訳にはいかない事情はご説明した。小さい頃、この友人と遊んでいて、マッチを擦ることを覚え、火事に発展しそうなことがあった。また、台風の波を見に行って、大きな波をかぶりさらわれそうにもなった。いずれも軽い気持ちからの行動だった。あれからお互い別の人生を歩んで50年後、又同じ事をしているのを思いだして苦笑した。その後、こちらでは割と有名なお寿司屋さんで友人と懇親。新鮮さが違うので、舌が奢ってしまうのでは無いかと困った。この友人とは何時も音楽の話で盛り上がる。僕が毎日が日曜日なので結構音楽を聞いているので、いくつか話題を提供できた。次回は2月11日に仕事ではなく、コンサートで会うこととなる。
1月16日(月曜日)
不満がそこら当たりに転がっている
iPhone 4sに変えた時、同時にBBモバイルが2ヶ月間付属で付いてきた。しかし、これは契約を切り忘れると、3ヶ月目から380円の請求が発生する。それで、電話で契約中止を申し込むが、IDが無ければ取り扱い出来ないと言う。それで、京橋にあるiPhoneの店を訪ねた。そこから店の人が同じ所に電話をして調査をするが分からないとの事。結局は契約出来て無かったも知れない?と言う。お粗末な話。もう一つはiPhone 4sの電池の持ちがすごく悪い。それで、電話で問い合わせをすれば、心斎橋に行ってくれと言う。京橋から心斎橋に向かった。そこで受けた説明は、基板の都合で不具合も出る恐れが在るという。そのまま聞き流したが、それは無いぞと思う。電子部品のばらつきによる消費電力の差異は極小のはずだ。僕はバッテリーがおかしいと踏んでいたが、PCに接続して診断すれば問題ないと言う。それもおかしい。リチュームイオンバッテリーと言えども、充放電で測定しない限り診断できないはずだ。電池の消耗曲線から、バッテリーの合否は類推できないぞ。一応訓練を積んだ店員だが、なんせ若い女の子の対応なので、電子工学については疎いのだ。僕はわからないふりをして、また不具合が出ればここに来なければならないのか?と聞いた。先方は交換を申し出てくれた。こちらが余り口出しをすればおかしくなるので言わなかったが、デジタルの世界になり世の中のスキルはドンドン落ちてますね。こだわりがなくなっているというか。もうおじさんが議論をする場は無くなっているということでしょうか。こんどは、城東区を管轄するハローワーク。離職票を提出して失業保険の申請をした。何で失業保険と年金を同時に払っていたのに同時にくれないのか?と質問すれば、「上に聞くことなり時間がかかりますが」。何で失業保険を貰うほど困っているのに年金を払わ無ければならないのか?「先ほどと同じ事ですが、どうされますか」なんだか聞く方が悪いみたい。
1月15日(日曜日)
英語勉強の素材
どうせ時間はたっぷりある。だが、こんなひとときは人生に於いてはそう滅多にあるものではないと思うと、就活の不安もさることながら、時間が余り残されてないことに気がついた。そこでせめて覚えた英語力を落とさないようにしようと、心に誓ったのだ(最近誓うことが多いのだが)。そして今日は世間様には申し訳ないが格好の素材が見つかった。それはCostaConcordia号の沈没事故だ。USAToday紙に詳しく報道されているので全文をプリントアウトした。こうした事件に限り英字新聞はまるで現場にいるかのような表現をするので(こう言っちゃなんだが)読み応えがある。ハリケーンなんかの記事も同様におもしろい(申し訳ないが)。特に誰それがこう言ったという語りは、そのまま掲載している。人によって見方がいろいろあることが分かるので、事件が多方面から観察できるのだ。その他の素材としては、丁度アメリカのラスベガスでCESが開催されていて、こちらの記事も掲載が多い。英文に関しては少々偏りがあるが自分の好きな文章だけを読んでいるという感じだ。それでも、最近はちんぷんかんだった「ラジオ英会話」が何とか分かるようになってきて、ホンの少しだが階段を登った。映画の英語字幕はどうか?歌の英語字幕はどうか?こちらは全くだめ。一つでも詰まるとずっと分からない。それではポルノ方面の素材はどうかと言えば、これはエレクトロニクスや医学の世界以上に専門用語が多くて理解できないのだ。
1月14日(土曜日)
音楽の評価
寒波がやって来てとても気温が下がる時に限って太陽が顔を出すので大丈夫だ。暖房無しで室温が20度まで上昇するためだ。だが今日のようにさほど寒くなくても太陽が無いときは室温が15度を下回る。こうなると厳しいですね。隣の兄ちゃんの部屋は一日中エアコンが回っているようだが、稼ぎのないこちらは暖房無しで過ごすのだ。着込んでも寒さはじんわりと体の芯まで冷やしてしまう。パソコンの排気口に足を当てて片側ずつ暖めるとか、それなりの事はするのですが。こんな時に気分が紛れるのは音楽ですね。仕事をばりばりやっている時分にはJazzがぴったりだったのが、最近はクラシック音楽が身の丈になった。弦楽器が心地よく感じられる。クラシック音楽は静かに聴く物であるが、しっくりと耳を傾けて聞くと、ロックのように結構激しい演奏がスピーカーの間で展開されているのが見えるような気がする。評論家はこれに奥行きを感じると言うが、僕の感性はそこまでは行かない。僕はあくまでも2次元の世界だ。小澤征爾と村上春樹の会話が書籍になって発売されている。少し立ち読みしたが、音楽をここまで深読みするのかとの印象。僕の基準は気持ちがよいが、乗れるかどうかの2点だけだが、これではどうも文章にならない。昔、CDや録音したカセットテープに評価シールを貼り付けたが、当時はなかなかいい方法だと思ったが、このシールは数年後には総て剥がれ、今では無となっている。世間に通用する代物ではないのだが。
1月13日(金曜日)
表混じりの文章作成に最適ソフトは

履歴書や職務経歴書など作成をしていますが、文章と表の混在になるとなかなか旨くレイアウト出来ないことが多い。特にWordを使った文章は、表の変更をかければ、レイアウトが変化してなかなか旨く作成できないことが多い。雑誌や書籍はこのような文章ソフトではなく「Quark」や「InDesign」を使うようです。文章と表のようなオブジェクトが自由に配置できるのがポイントです。しかしこのソフトは余りにも高価すぎる。そこで、身近なのは「イラストレーター」です、これは細かく設定できるものの時間がかかる問題があります。でも、この技術は汎用性が高くチラシやパンフレット作成、設計図なんかにも使える。そこで最も簡単なのは、「花子」「パブリッシャー」か「パワーポイント」である。この三つはいずれも安価で、レイアウトが自由である。いずれも写真なども自由に扱える。これからは、会社指定のソフトしか扱えなかったが、自由の身となった今では、もっとも自分に適したソフトが使えるのがいいですね。今まで結構無理してため込んできたアプリが生きるという物です。今回は「パブリッシャ」を使っていろんな作成物を仕上げてます。提出はPDFにすれば良く、作成の過程はどんなソフトだろうが問題が無いのです。夕刻プール。近隣のプールは総て閉鎖されていて、長堀にある市のプールへ行った。料金は城東区と同じ700円。ここは、泳いだ後の施設がなかなか良い。まずはジャグジーに打たせ湯がある。高いところからお湯が落ちていて、このお湯に肩を当てると肩たたきの効果があるのだ。それにインストラクターが水中体操教室を開催していた。僕は3km泳いだ後なのでこれは断念した。
1月12日(木曜日)
1,000円以下の生活
友人のK氏がハローワークでの申し込み方法を知らないと言うから、近況の情報交換がてら、門真のハローワークを紹介した。ハローワークは多くの人で混雑している。特に朝の混雑は凄い。昨晩の内に受理した申込書が今朝一番に公開されるのだろう。閲覧すれば、newのマークが多くついた案件が掲載されている。友人に見方を教えた後僕も閲覧に入った。一つだけ見つかり申し込みをすれば、今朝公開したのに、もう5件も申し込みをしているとのこと。そういうことなんだ。仕事のない人はこうして少しでも有利な動きをして仕事を見つけようとしている。僕はおっとりしてますね。11時半に友人とこのビルを出て近所にある王将に入った。王将はボリュームたっぷりのセットメニューが主力商品だが、ここはなぜだか、おかずとご飯とスープの3点メニューのみで、しかも600円と安価なのだ。仕方なくなすの炒め物定食を注文すれば、なんとご飯が山盛りで、なすの炒め物はボリュームたっぷりの量だった。要するに門真王将は他よりも安い単価でボリュームが多いと言うことだったんだ。大阪市内よりも更にデフレ化した王将の経営を感じました。就活も心しなければと思いました。それで今日から一日1,000円生活を始めることに決めた。まずは、鳥肉で出汁をとったスープは4食分に分けて冷凍。同様に出汁ジャコでとったスープも。これで、一品100円以下の野菜を買ってきて煮込めば一食300円以下に収まる。買い物をする店も、業務スーパー、MAX、玉出に限定し、ライフや関西スーパーなど高級スーパー(もっと高級なのは阪急オアシス)では極力買い物をしない超ひっこみ生活に切り替えた。光熱費も総て含んで一日1,000円と極端に切りつめるつもりだ。洗濯のための洗剤は半分とした。そもそも洗濯機の汚れは水を通す1/3、洗剤の力1/3、泡の力1/3とのことで、基本的に洗剤は2/3で良い計算となる。暖房は使用せず厚着をして過ごす。家計簿を作成し一日平均が一目で分かるようなエクセル表とした。今回はかなり本気である。
1月11日(水曜日)
もう一つの面接試験

今日も前に申し込んでおいた会社の面接だ。面接会場は高槻で駅から物凄く遠いので、これは出費がかかるぞ。と言うことで自転車にした。2時間程の余裕を持って出かけたら早く到着し過ぎて、付近には何もなく、寒風吹き荒ぶ中時間を潰した。イハヤこれには参った。面談は社長かと思いきやまだ30才にもならない若者が出てきて面食らった。余り会社の事を熟知しておらず、その方面でも参った。まぁこれは試練だと考えるべきだろう。30分程で終えたので、この近くに住んで居るK氏を訪ねる事にした。丁度夜勤明けで自宅に帰り着いたばかりと言うのに、時間をとってもらい、お互いの近況を話し合った。今は夜勤で介護の仕事をしているとの事。社会に奉仕する事で、正義の仕事についている誇りができたとのことだった。そして、世の中の新たな局面を見た話を伺った。狭い社会で生きてきた自分の目が少し開いたような感じがした。人と会い、人の話は聞くべき事だと思いましたね。高槻西武の中で串揚げの定食を頂く。外は寒かったから、このビルで暖まろうと入ったのに温かみは無く、百貨店の斜陽とあいまって淋しい気がした。後で考えたら、省エネの協力をしているのだと分かったが、このような日には、杓子定規でも無くて良いのでは?と思いますね。寒風の向かい風の中を自転車で門真に向かう。寒いのだが、自転車はかなり本格的に踏まないと進まなくジャンパーの中では汗になっている。暑いのやら寒いのやら。風邪を引かない方がおかしい状態。帰り道ハローワークで一つだけ紹介状を書いてもらう。夕刻W社を訪問し近況報告。世間の風の冷たさを教えて貰う。このビルの前では「堀川恵比寿」さんが商売繁盛を願ってお祭りを開催している。大勢の人で賑わっていた。今年は例年にもまして願をかける人が多いのではないかと思いました。
1月10日(火曜日)
立派な人もいる

世間は連休が終わり仕事だと言うのに僕はまだ布団のなかで昨日買った本を読んでいる。この本は結構熱い物語で涙ぐむシーンも多々ある。家人は全員出かけた後のことである。11時に目処をつけて渋谷に向かう。電車のなかで涙をこぼしながら本の続きを読んだ。僕の心境が平常心と違うためこんな文章にビンビンと反応するのだろうか不明。僕としては全く正常だと思っているから、著書の表現力を評価したいのだが。午後2時に面談。エージェントの方は至って温和なかたでこの職業にピッタリだ。どんな仕事でも、仕事が切れ、テキパキとこなす方もいらっしゃるが、人の事を扱うにはこのような方がイイ。以前は、人事といえども上昇志向が強く、TOPに対する自己PR力が強い人ばかりに恵まれていたので、今回は実に新鮮だった。ついしゃべりすぎてしまう嫌いはあるのだが。いろんな人が世の中にはいらして、さまざまな出会いがあると言う事を改めて思った。これだからまだまだビスネスの世界から足を洗うわけには行かない。その後、表参道をぶらぶらして東京を徘徊すべきか迷ったが、今はそんな時ではないだろう、と戒めて帰る事にした。新橋の駅前で讃岐うどんを食べただけなので腹が減ってはいるが、東京は高いので大阪の京橋まで我慢することにした。新幹線の中では「セリーヌディオン」の「ラスベガスライブ」を観た。彼女のステージは完璧なプロ。一滴のミスもない。私もこうあらねばならないと感じましたね。いまラスベガスはCESで賑わっている。
1月9日(月曜日)
梓みちよと面接試験

今日は2つの面接試験を受ける。最初の面談は、筆記試験。粗利と損益分岐点の計算問題。次は原価を算出する問題。次は販売の課題をコンサルタントする問題。敵もやりますね。5Sとは何かという質問があった。不明。後で、その会社のホームページを見ても検索できず、どうしたものやら?次に社長の会社説明。これが結構面白い。脚本に手を加えれば映画化出来そう。伊丹十三氏にぴったりなテーマなのだが。多分何回も話しをしてストーリーを練り上げたんだろうな。経営理念や信条やミッションはホームページにも掲載されていて、これについての言及もあった。こんな小さな会社で確かに凄いと思うが、この文章は一節に主語が2つ登場するので、理解する方側は混乱するのだが、こんなつっこみは今日は御法度なのだ。話が終わり、次回は連絡があった人のみ、書籍を買って短期間で読み上げ、再びここに参集し、筆記試験を行い80点以上が合格。選ぶ方も真剣なんだ。11時に終了。家に帰り食事を作り、今度は別の会社に訪問する。自分の事なのに、割と平気でご飯も十分喉を通る。今度の会場は寿司屋。まだ開店する前で、雑然としている。こちらは応募者が3名だった。一人一人同じ質問に答える。まるで副参事の昇格試験のようだった。質問内容は一般的な事で、失敗と成功などの体験談だ。このなかに女性が居た。横に座って居たのでよく顔が見えなかった。結構ご年配である事は伺えた。面談は4つ程度の質問だが、一人一人が順番に答えるので1時間ほどを要した。今回は、面談になれる為の予行演習目的であったが、結構なパワーを食いますね。次回にはもっとしっかりとしなければと思いました。帰りのエレベーターで先ほどの女性の顔をマジに見たら、何と「梓みちよ」にそっくりではないか?それで、僕は彼女に言いました、「失礼ですけど、緑のインクで手紙を書いていいですか?」その女史曰く、「今度又、機会があれば」と。こんどは新幹線に乗って東京へ。明日の午後リクルートの人と会う為だ。船橋で下車。「トキワ書店」へ。ここはいつ行っても僕にぴったりの書籍の紹介がある。今回は福井俊晴の「震災後」を購入した。彼は物凄いAVマニアで、JBL DD66000(一本280万円)で5.1chのシアターシステムを構築している。月間HiViに寄稿しているのでよく知っている。ガンダムの作者でもある。サイン本があったのでゲット。
1月8日(日曜日)
カリキュラム作り
友人とのアルバイトはカメラ教室だ。勿論僕が先生。ターゲットはおじさんだと言うのでこれまた結構な話だ。そこで打ち合わせの為の資料を前持って作成する事にし、今日中に発送すると連絡したあったのだ。作成し始めると色んな構想が浮かんで来て、収拾がつかなくなってしまった。書き出せば一体コレは何処に仕分けして良いモノやら。お菓子、ケーキやおもちやらが雑然と並んだショーケースのようになってしまった。とりあえずカタチにして発信、レイアウトは次回の訪問時までに仕上げよう。時計を見るともう午後4時。週課としているプールへ急いだら、なんと修理中でお休み。ここまで来て、門真のナミハヤドームは遠いし今回はプールを断念。帰り着いて食事の支度をして、アニメ映画「サマーウォーズ」を見る。これはなかなか面白い。何で地球規模の危機が来ているのに長野県の上田の田舎にいる健二君がそれを救うのか?疑問。それも米軍が放ったウイルスが原因だというのに。そして、そのウイルスと戦うのに最初は超大型コンピューターを持ってしても負けてしまったのに、最終の戦いでは携帯電話で戦い勝ってしまう。それってアリ?などなどつっこみが沢山あるのだが、おもしろい。マニアの世界では、健二君と「時を駈ける少女」の真琴の人相が良く似ているとの評価だ。だが本筋は結構大事なテーマを扱っている。サイバーテロだ。これは現実的にはあり得るかも知れない。今は、こんな映画にうつつを抜かす時ではないのに見てしまった。意志の弱さがモロに出ている。気がつけばもう深夜。寝なければならない。結局今日の目的は半ばで終わると言う中途半端な事になってしまった。
1月7日(土曜日)
大阪へ

畑にある大根とカブを抜いて高知を出発した。帰り便は列車。飛行機だと18,000円もかかってしまう。大阪から香港4日間の旅と同じ料金だ。列車の中では、東京JAZZ2010を観た。映画だと没入してしまうが、音楽だと他の事も考えられるので今の気分にピッタリだ。それにピアノやドラムスの音は心地よい。とりわけ、NHKの録画はカメラワークが良く、民放とは一線を画している。こんな凄い番組が無料で見えるなんて日本はなんて良い国だろうと思う反面、大阪も寂れている。アジアにあるような活気はみじんもない。友人からアルバイトの打ち合わせのメールがあり、日程を調整する。次に明後日に控えた面談場所の現場確認だ。別の友人K氏は収入の無いときには電車代もバカにならないと話していたのを思いだした。僕は大阪管内の事なら自転車を使う、寒いがお金と引き替えだ。最後は谷町6丁目だったので、少し足を延ばし、日本橋にBDを買いにいった。御堂筋に出ると綺麗なイルミネーションが道を飾っている。キャノンD1を持ったおじさんカメラマンがいたので、撮影条件の設定を教えてもらう。この場合、こちらが知らないふりをするとカメラマンはお節介なほど色んな事を教えてくれる。特に構図とホワイトバランス、露出補正は聞き逃してならない部分だ。おじさんをおだてるのは、僕の最も得意とする所だ。外国のでも十分通じたから、この技術は折り紙付きだ。日本橋「ダイテイ」さんではパナソニックのBDが一番安かった。25G一枚109円、先月販売が厳しかったことを伺わせる価格だ。今晩はこのBDでお正月の間に録画した番組をディスクに焼く作業が残っている。何時見るとは言えない番組をせっせと焼いている。多くは音楽番組だ。「加藤リミア」など「ビヨンセ」そっくりのステージで日本の音楽業界ももう少しクリエイトしなければと思いながらもディスクに焼く。無職だが結構やることは多い。
1月6日(金曜日)
冗談が現実味を帯びてきた

今迄本気になった事があるのか?と問われば、僕の中には何時も冗談が駆け巡っている。真剣に装っていても、心の中ではこんなにしたらおもしろいだろうなと思っている。こうして大人になれない人もいるのだ。先日も、思いついたついでに口に出してみた。ある企画を友人に提案した。この友人も僕と同じで、結構真剣味は欠けている。たのしければそれでいいのだ的人生を送っている人だ。そんな気持ちで彼も受け取っていたのだが、彼は会社でその企画を披露すると、思わぬ社内の反響が得られたと僕にメールして来た。慌てたのは僕だ。早速大阪に帰る手はずを整え、明後日にはそれを企画書にして提出する事となった。会社生活40年。僕はこの間趣味のオーディオとカメラに取り組んで来た。そしてそれは総てイクオール仕事だったのだ。この企画はそれを活かしたものだ。おもしろそうなので、考えることが楽しくなる。果たしてこれは仕事?趣味?ともあれ、いろんな思いつきをまとめてみよう。最後の高知の夕食は父が魚を買いに行こうと言うので安芸市の魚屋さんの「寺尾」へ言った。「ムロアジ」の刺身、「しめさば」を買った。いずれも旨すぎ。ビールを飲んでいたが、肴が余りにも旨いので、土佐鶴に切り替えた。まろやかな味が体に染み渡りました。
<太陽に向かって雲がたなびく異様な空>
1月5日(木曜日)
心地よい疲れ

昨晩寝る前にカメラの本を読んでいたら、夢のなかで写真を取るのだが、どうしても顔が暗くなってしまう写真しか撮影出来ず、何度挑戦しても上手く出来ず困り果てた。ホント疲れる夢を見た。急に冷え込んで来た影響もあるかもしれない。今日は友人のT氏が帰る日。何時もなら一緒なんだけど、僕は毎日が日曜日なので、もう暫くはここにとどまるのだ。それで最後の朝食会(晩再会ではなく)を近くのレストランで催した。太平洋を眼下に望むこのレストランは、オーナーが変わっても相変わらず人気があり、こんな田舎であるのに、開店前にお客さんが待っていた。この店は食事よりも景色が売り物だから流行るのだ。しかし、需要は少ないので、少し先に同じような店があるが、そちらは昨年末に閉店した。この友はいくら話しても話が尽きない。だがそこそこでお互い切り上げた。彼は帰る為。僕は農作業を手伝う為だ。今日は従兄弟が色々と教えてくれた。まず、ナスの花の受粉はミツバチを使う。このビニールハウスの中に3万匹の蜂が放たれている。刺されない様に気をつけてと言われるが、変なことをしない限り大丈夫な様だ。もう一つ、ナスの実を食べる虫が居るらしいが、その虫を食べる虫を放っているとのこと。その虫を紹介してもらったが、0.5mm位の緑色した虫だった。害虫駆除の消毒をしない代わりの栽培手法との事だと伺った。農業も工業の様に結構シビアなさじ加減が求められている事を感じた。作業は先日と同じだが、今日は体が馴染んで来たのか、前日のように休憩無しで作業が出来た。醍醐味はここからで、家に帰ると食事をした後、風呂に浸かると疲労が垢とともに解けてゆく。この快感は一体何だ?風呂から出て、部屋で寛ぐと体が綿の様に疲れている事が分かる。程よい疲れなのだ。農民はこの様な快感を毎日味わっていたのだ。勤め人では味わえない。確かに収入は少ないが、人間を感じるものがある。
<農作業で指先や爪が真っ黒に>
1月4日(水曜日)
ガリバー旅行記

昨晩早く寝た為に午前2時には目が覚めてしまった。布団の中で横になりiPadで映画「ガリバー」を見た。横になって画面を横にすればきちんと正常位で映画が見られる。次に「ココ バン シャネル」と続けて2本見た。これはなかなか贅沢な映画劇場だった。暖かい上に、体が楽だ。今日は体休めだ。爪と指先の痛みは、昨晩アロエクリームを塗り手袋をはめて寝たのが功を奏して全快した。昼間は読書タイム。先ずはデビット・ボーグさんのニュヨークタイムズのコラム、今日は頭の調子が良くて普段より早い速度で翻訳できた。次はDOS/V誌。就活先にはパソコン関係も含んでいるので、こちらの勉強も一応含まなければなら無い。i7はSandy Bridge-Eとなり6コアとなっている事実に驚いた。チップセットも変貌を遂げているだろう。2日間ほどかけてじっくりと最新事情を拝見だ。読書中の音楽はiPhoneだが、これをCDプレヤーに変えると音が鋭く切れ込むのが分かる。どんなに頑張ってもPCM音源はやはり音がいいのだと読書の傍で認識した。又寒波が襲ってきたので、部屋の中で寛ぐ。
<冬の正しい夕暮れ>
1月3日(火曜日)
農作業
従兄弟のビニールハウスに向かった。ナスの促成栽培のお手伝いだ。ナスは、木の剪定を小まめにしなければいいナスが収穫出来無い。そこで、今日はその剪定作業をお手伝いだ。どんな法則で大事な芽を残し、どんな判断で不要な枝を摘み取るのか?いろいろ教わりながら作業を行った。だが結果として、僕の作業は従兄弟の剪定に比べると、少々貧弱だ。その理由の一つが、「一つの実に対し一つの葉」この基本が読めないからだ。嫡子は一人。花が一つでも咲いていれば、例えその枝にすでに実があっても、その花は切れない(本当は切る必要がある)。その割り切りができない。また、その判断の為には、芽の根元に向かって、枝を追ってゆかなければならない。かがみ込んでは立ち上がりまたかがむ。これはキツイ。気温は25度。暑い。汗をかく、トイレに一瞬出れば外は凍りつく気温の6度。一瞬にして固まる。昼過ぎには効率は半分以下に落ちた。5分作業をして3分休憩を取らなければ腰が痛くて我慢出来なくなる。その上、枝の剪定は手の爪で行うが、爪の間にナスの棘が刺さり痛くて痛くて。左手に交換するが、今度は左手も痛くなる。指先はナスの樹液に染まり真っ黒になるし、とにかくこの一日でボロボロになった。かくも厳しい農業体験だった。明日一日休んで翌々日にもう一度手伝いにゆくつもりだ。帰り着いて風呂に入った後、布団の上で伸びたら物凄く気持ち良かった。これが農作業の醍醐味。7時半就寝。
1月2日(月曜日)
活発に動いているFacebook

お正月だと言うのにみんなこのサイトで語り合っている。びっくりだ。僕も負けずに投稿。ぼくはアジアの友人のMrs.Joiceに誘われて入会した経緯もあり、彼女の友人が多いので、一貫して英語で投稿している。思いついた事を英訳するのに時間がかかるが、アメリカ、シンガポール、フィリピン、インドネシア、ベトナムからコメントが帰ってくる。日本人の僕に分かりやすい英語を使ってくれるので、読むほうは割とらくだ。アジアの友人の写真は半袖。とても日本の寒さの中では彼らのいでたちが想像出来無い。スリランカ人で日本在住のG娘は年賀状を掲載して新年を祝っていた。これはいいアイディアだと思う。千葉の仲間はこれ又、朝日を撮影していた。チャンスを物にした一人だ。その夜、映画「突破口」を見る。この映画は面白い、この上ない程面白い。Webではノーカントリーと似ているとの評価であるが、勿論この映画が古い。最後のシーンは突っ込み部分が沢山あるが、ストーリーの展開が早いので突っ込む前に映画が終わってしまう。監督の勝ちだ。今はTSUTAYAで推薦ソフトに紹介されているので探しやすい。FBに投稿すれば、かなり反響があるのだろうか?
<これが太平洋>
1月1日(日曜日)
元旦の行事

先ずは初日の出を拝むことだ。天気予報では無理とされていたが、実は一瞬の間太陽が顔を出した。全員から拍手があり、太鼓が始まった。この行事は芸西村の海岸で朝日を拝む人のために毎年恒例だが、今年は不況を反映してか演奏者が少ない。でも、パフォーマンスは例年のごとく感動的だった。後方に位置した小太鼓の間から太陽が顔を出し、それを素早くゲット。Facebookに掲載したら、何人かの称賛を得た。その後友人の家庭を訪問し、奥さんには断ったが友人を誘拐し芸西村に連れてきた、近所の友人を誘って私の家で酒を飲む。サワチ料理と、刺身の定番。高知の人にとっては格別珍しくもないが、酒を飲むにはこうした演出が高知の人には必要だ。今年の酒は工夫がある。宝焼酎と「シークァーサー」とのコンビだ。昨年5月われわれは海岸で焚き火を囲み、宝焼酎と、「小夏(高知特産のミカン)」のミックスで酒を飲み、旨さを認識した。通りかかった中国人に振る舞い絶賛していた。その夢よもう一度だ。お正月の席上で披露したのだが、友人のT氏は酷評。「ミカンの汁が少ない」。我々2人は、コレでも随分と行けると思ったのだが。味覚は比較出来ない。それでも、宝焼酎1本を開けて、誘拐してきた友人は息子に連れられて高知に帰った。残された芸西村の二人は自転車でぶらぶらと西に向った。着いた先は魚港。港の水は澄んで底まで見える。ここでT氏は足を滑らせ港に転落。僕は焚き火をしているおじさん達に乾かせてもらう様に頼んだ。僕らより10年以上も年配だし、地区も違うのであまり話が合わないが、そこは聞き役に徹すれば会話が弾む。毎日がお正月の人ばかりなので余り面白い話を持ち合わせてはなかったのだが、冗談は通じた。だいぶん乾いた所で、ゴールデン松原の自転車道を通り、今度は西分(我々の住んでいる所)の浜を目指した。其所でパラグライダーが飛んでいたのだ。友人のT氏は20万円で始められると言う。暫くするとこの飛行物体は我々の目の前に降りてきた。其所でインタビューだ。なんぼ?「大体100万円」話が違う。危険でないか?「この間しんだ人もいる」。上からの写真は撮影しないのか?「経験をしたことの無い人には、写真が珍しいとは思ってもらえ無いから撮影はもうやめた」。いつもここで飛ぶのか?「瀬戸内海へ行っても飛ぶ」パラシュートが閉じることは無いのか?「吹き降ろしの風が強い時には、そうなる」そうするとどうなるのか?「高度が100メータあれば緊急用のパラシュートを開き無事降りられる」と言うことで結構危険な事が分かった。T氏は幾分夢がしぼんだようだ。僕にとってはいいことである。日が落ちてT氏の家に上がり込んで又酒を呑んだ。
12月31日(土曜日)
大晦日

老人が二人で暮らす我が実家は、荒れ放題の家と成り果てている。あれだけ清潔だった母はボケ気味で、家の掃除は全く手がついてない。それで、私としては明日のお正月のために、一大奮起して家の大掃除を始めた訳だ。こう言う事にかけては非常に器用で2時間ばかりの間に仕上げてしまった。その後は大好きな事に時間を使おう、と電子書籍を開いたのは良いが瞬く間に大きな睡魔が襲って来て、燦々と降り注ぐ太陽を浴びながら眠ってしまった。途中自分のいびきで目が覚めた程強い眠りだった。所が午後も同じ様な睡魔が来てもう一度寝た。たった2時間の掃除でずいぶんと疲れ果てたんですね。夕刻従兄弟の家に向かう。年明け農作業を手伝う段取りを伝える為だ。いずれ農業をしようと考えているが、急には出来ないし、ビニールハウスの中で久しぶりに大汗をかきたくなったからだ。きっと夕刻のビールが旨いだろうな。と言う事で今日は大したこともせずに一日が終わってしまった。もちろん紅白歌合戦なども見ないまま就寝。
<空気の澄んだ芸西村>
12月30日(金曜日)
餅つき大会

友人のお誘いで出かける事になった。取り敢えず、僕を玄関で待っている犬を満足してあげなくては。少しの時間だけ散歩。これだけ僕をしたってくれる犬を今まで経験した事が無い。犬は純粋だから僕も少々しんどくてもお返しをするのだ。人の弱みにつけ込むのにもっとも効果的な方法を、犬が知っているとはいかがなもんか。午前8時出発。途中でもう一人の友人と合流。我々の車は商業施設に一台置いて、もう一人の友人の車で向った先は、山の中にある小さな集落。所がここは棚田の広がるなかなか壮観な場所だった。廃校となった幼稚園を基軸に陶芸教室と木工教室が開催されている様だ。名前はホット平山。ここにくれば気持ちが緩む、それが「ホット」の由来だ。代表者は門田さん。ものすごく良くしゃべる女性。体は休んでいても口は休まない。静かになったとおもえば口の中にお持ちが入っていた時だけだった。でもこれだけ愉快な人は最近お目にかかった事が無い。さて餅つきだが、うすを洗う作業からお手伝いを開始。石臼はひろばの片隅に在り、中央に移動させるのがこれまた大変。たくさんの薪は釜に入った水をお湯にしていて、その煙たるやおじさんを泣かせるのに十分以上だった。やがて体制が整い、もち米をこの釜の上にのせて、蒸す作業に移って行った。作業は、船頭が多い割にはスムーズなのは、お互いの人間関係が良好なためだ。僕らはひたすら煙に巻かれて金正日の葬儀に参列した人たちよりも多くの涙を流した。やがて蒸しあがった米をうすの中に落とし込む。杵でこねた後、餅つきの開始だ。友人のT氏が始めた。そして心臓の悪いと言われるK氏も始めた。その後僕に回って来た。それまでに十分撮影方法を試行錯誤したので、僕の番にはこの設定で撮影してくれと頼んだ。力一杯に餅をつくと息が上がり気持ちの良い汗が流れた。ビールがあればと付近を歩いたがあいにくとコーラしか手にいらなかった。ほとんどが女性なので、酒方面に気がつかないような感じだった。たくさんの餅をつき、疲れた頃にイベントを終えた。どなたかが持ち込んだ帆立貝を焼き、頂いたら、頬がコケるような旨さだった。うどんも準備をしていただいていた。これも旨い。美味いのか腹が減っていたのかわからないがみんな喜んで旨いと言っていた。来年もどうか来て欲しいと懇願されたが、こちらからお願いしたいイベントだった。この会の雰囲気が良い。そして餅つきの楽しさだ。逆では無い。
12月29日(木曜日)
師走の時
封筒を買いに近くの関西スーパーに出かけた。店頭ではアルバイトの女店員が有田ミカンの試食をデモしていた。既にむいてあった。はやりコレは、客が食べたいと意向を示した時剥くのが正しいデモでは無いかな?教えてあげようかと思ったが、こちらは急いでいたので余計なことはしないでおこう。それはこんな理由があるからだ。年賀状のプリントを始めたのだが、ハガキを認識しない信号が表示され、一歩も進まなくなったのだ。一方では昨日書き上げた履歴書を早く封筒にいれて発送してしまいたい、更にはベトナムから来た友人のバンさんからのFBに返事を書きたい。午後3時にはココを出発したい。てなことがあり、焦っていたのだ。師走の大阪は気ぜわしくて、活気があり好きだが、今日はそれも楽む余裕がなかった。バンさんはサイゴンに来たら、運河を走る船に乗せてくれる文面だったので喜んでいるのだ。ジャングルを縦横に走る運河を観光船では無い船に乗ると、ベトナムの秘密を一つ探れるかもしれないと思ったのだ。そして、午後6時友人の車に拾ってもらい、一路高知へ。4時間弱で到着だ。
12月28日(水曜日)
明日に向かって打て
昨日は夕刻ヨドバシカメラに出かけた。インクの購入だ。ところが夜8時だと言うのに物凄い行列。店員に聞けばシーズンだからと。年末は電球が売れるとばかりに思っていたが、こんな需要もあったのだ。それで昨日は寝るのがすっかり遅くなり今日は目覚めると午前7時。毎日face bookに投稿しているので、結構午前中は時間を食う、そしてこんなに遅く起きていては午前中が台無しになってしまう。昨日は少し引き締まったのに、やっぱり精神がだらけてしまっている。これではいかんぞ。自分から先に墜落するぞ。それで昨日に続き今日もハローワーク通い。今日は少し範囲を広げて高知の職業もアタックした。一つは田舎の家から自転車で通勤できる格好の職場だったが、年齢制限で断られた。申し込み用紙の年齢欄に明記してくれれば申し込みはしないのだが。逆に言えばそんな配慮の無い所へは就職しない方が良いと言う事になるかも。今日の申し込みは3件、早速自宅に帰り履歴書を書く。まだまだ慣れてないもんで時間を要する。完成したのが午後9時。風呂の中で本を読み乍ら今日の疲れを癒す。自己満足の世界だが、自分には縛りは必要だと言う事と、やっぱり目的を見つけて突き進むと言うのは性格に合っている事がわかった。定年後に観る映画を沢山録画したが、この分だと観ないままになってしまうかも知れない。
12月27日(火曜日)
やっと見つけた安住の地だったが
退職すれば時間の縛りがなくなりふやけた生活になる。それに就職斡旋業者から連絡が来るのを待っていると言うのも、僕の努力ではなくどうも自分らしく無い。やっぱり目的に向って走っていなければ、どんどんと自分を責めるようになる、これはやりきれない。そこで今日はハローワークへ行くことにした。やりたい仕事は一つしか見つける事が出来なかったが、早速それを持ち帰り履歴書を作成して投函したら、仕事はまだ見つかってないのに、なんだか気分が晴れて来た。だが、これだ。とにかく前向きに出来る事は全てやろう。同じ事を明日もやるぞと勢い込んだ。一月の終わりまでに100通程度は申し込みをして見るつもりだ。気分的に明るくなったので久しぶりにレコーダーの電源を入れて録画番組に目を通した。そしたら大ショックがそこには待ち受けていた。そんな事とはちっとも知らなかった、大原麗子が亡くなっていたと言う事。それも人知れずにだ。その番組は実に悲しく構成されていて、僕の高揚していた気分は一気に奈落の底に落ちてしまった。もうツキが回ってこないのかも知れないと一抹の不安がもたげて来た。それは開く本、見る映画どれも偶然とは言え、悲惨な方向に流れるものばかりなのだ。立つ瀬が無いとはこのことだ。
12月26日(月曜日)
iPone4s
とうとう買いました。前の3Gのバッテリーが少々弱くなり、一日に2回の充電を余儀なくされていたのだ。本当は「5」のiPhoneを待つべきだろうが、事情を優先した。一緒にモバイルルーターも買ってしまい、ちょっと大きな出費となってしまった。しかし、今は就活中でPCを使った通信手段を持ち歩く必要があるから必要経費だ。今はPCが買えないがiPadがあるから代わりになる。という事でモバイル環境が一気に充実して来たらまた欲が出て来て、eye-fiからiPadにLINKできないか?などと血が騒ぎ出した。オイオイ今はそんな時では無いだろう!と戒めるが、取り憑かれてしまったら、もう他の事は忘れてしまいますね。所が、これが出来たんですね。カメラで写真を撮影する。しばらくすると、iPadの画面にその写真がちゃんと表示されるのです。いやぁ久しぶりにエキサイトしましたね。ところが、モバイルルーターを使ってはこの作業は出来ないのです。eye-fiにはiPadに直接送信出来るタイプもあるらしいのだが、ちょっとそこまでは。
12月25日(日曜日)
おじさん、カメラの腕前なんだよ

FB用の写真撮影に早起きをして鶴見緑地に出かけた。太陽が昇る前に「さくやこの花館の塔をテーマ」とした写真を撮影しようと思ったのだ。今朝は冷え込みがきつく自転車に乗ると凍えてしまった。撮影していると、ここで撮影の常連さんが居ることを散歩のおじさんに教えてもらった。それで、その常連さん所に行き、撮影のテクニックなどを教えてもらった。露出補正を余りせずとも撮影できると言う。写真を見せていただいたが、はっきり言って上手ではない。でも毎日来ているようなので、感謝を申し上げ、そしていろいろ伺った。太陽の昇る場所を教えてもらうのは最高の情報です。しばらくして、そのおじさんの友人もカメラを持って撮影に来た。この人も、塔をシルエットとして撮影する方法をご存じないようだ。僕はシャッタースピードと絞りの設定で、これくらいが適度だと伝えたが、彼等はオートで撮影しているので、どうしてもその設定ができなかったようだ。僕はTZ10のマニュアル操作で撮影した。この液晶モニターを見て、この方達はコンパクトカメラを見直さなければと言っていた。そうなんだよ。カメラじゃないのだよ。カメラは腕なんだとは言えなかった。
12月24日(土曜日)
クリスマスイブ
サンタの代わりに寒波がやってきた。ありがたいことにこの部屋は暖房が一切不要だ。太陽が全面的に夕方遅くまで射すので光熱費が助かる。Face Bookが凄いことになっている。フィリピンはクリスマス休暇だしクリスチャンが多いので沢山登録してくる。写真を加工してないのだろうファイルが重くアルバムをめくるのに時間がかかる。懐かしい顔がそこに登場している。写真をめくって僕なりのちゃちゃを入れる。するとまた帰ってくる。FBの英文は短いので何とかなる。知人達とはこれで交信できる。何とも便利な道具ができたものだ。英語で生活している人達はもっと楽しんでいるだろうな。FBが日本で普及しない理由も何となく分かる気がする。と言うことで本日はFBで一日過ごす。夕刻から都島区のプール3km。このプールはドライヤーが無いので濡れた頭を寒風に晒して乾かすのはいささかつらいものがある。それで頭が凍り付きそうだった。この寒さに不況風がふきすさぶ中、なんと近所に持ち帰りのお好み焼き屋さんがオープンした。昼間から行列ができていたがそれが夕刻になってもとぎれずとても繁盛しているのだ。そしてこんな店に似つかわしくない美人がレジで対応している。それを見てここでも不況の深刻さを理解した。焼きそば230円を買ったがとても旨かった。それに豚肉が意外なほど含まれていた。
12月23日(金曜日)
「リストラ」と「つっこみ」企画
綴りではRestructuring。これは、企業の再編成で、解雇とは違う。普通英語ではDownsizingと書くがLayoffと直接的書くときもある。写真を本格的に始め、カメラにGPSが装備されてから、僕はどうも記録魔になってしまったようだ。いつ何処で何をどうした。そして常にそのことにつきまとわれるようになった。綺麗なものを見たとやおいしいものを食べたときには絶対に写真に残すとか。だが、今でしか書けない悲しい思いがliveで進行している。それが、僕のLayoff体験だ。これを文章で残さないでどうする。この悲しさを世間に公表しないでどうする。と言う気持ちが高まってきて、それじゃブログをもう一つ立ち上げなければと思うに至ったのです。いくつかのメモを頼りに、おもしろく仕上げる事がポイント。登場人物も匿名で何人かに登場してもらおう。これが一つ。もう一つは映画"Transformer"もう何が何だか分からないストーリー展開。途中からやっと宇宙からやってきた悪のマシンと人間にフレンドリーなマシーンが正義(人類にとっての正義)の為に戦う物語だと分かる。この映画ほどつっこみどころの多い映画はない。例えば、10秒で到着するトマホークは、その後物語が展開して20分経過したところで映画が終了したのだが、それでもこのミサイルは飛んでこなかった。一体あのトマホークをこの映画に持ち出した動機は何だったのか?てなことで、映画のつっこみ集でもう一つブログを立ち上げてはと企画している。
12月22日(木曜日)
待ってました、とばかりに
友人のK氏がこの日を待ってましたばかりに連絡が来て、昼食を京橋まで出かけて、京阪ホテルのバイキングで頂いた。午後1時過ぎだが、席は満席でおばさん達に占められていた。バイキングは日本オリジナルで、外国ではホテルではブフェ。1,680円。実は完璧にして会社を去ったはずなのに、PCに僕のメモリーカードを差したままだったし、職場へのお礼メールは出さないままだった。そんなこんなで、京橋の食事会は丁度都合がよかったのだ。近況を話し合い、如何に定年が世間を狭くするのかを伺った。これを聞いて、僕はこのままでは終われないぞ。それに、毎日計画的に過ごそうと誓いを立てた。酒も1人では飲まないぞ。そんな矢先に18件目の悲しい通知が届いた。「採用できません」今回は1,500億円ほどの商売をしている副社長まで書類を揚げて審査してもらったんのですが。帰ってきた答えは、今更59歳の人をどうやって雇うというの?それでなくても、こちらもリストラしているのに。そりゃそうだような、と僕も賛同する(僕が賛同しても仕方ないのだが)。日本は不況で喘いでいるのだ。僕の心もこうして暗くなっていく。そして読んでいる本が、娘をなくし、そのショックで妻も自殺をするという暗い小説だった、小説は読まないと誓いを立てたのだが、朝5時ごろ目覚めると、明るくなるまでの間に布団の中で読むと自分に申し開きをして小説を読んでいるのだ。こうしてどんどんと打ちのめされて行く。
12月21日(水曜日)
お好みの送別会

さみしさを感じ乍らも、今日で職場を去った。ずっと昔から、辞めたらどうなるのか?何ができるのか?と自問自答してきたので、そんなに感傷めいた気持ちは起きなかったが、少し寂しかった。場面は一転し、夕刻は職場とは全く関係のない人たちから送別会を開催頂いた。ブラジル駐在の乾電池社長。経理のベテラン女性社員(僕は何故だか経理の女性に縁がある)。一人はスリランカの留学生からこの会社に入社した人。一人は30年くらい前に職場で一緒だった女性。このような多彩な人が集まると話題が広いですね。会社の愚痴が主なおじさん達の飲み会とは全然違う面白さがある。少し込み入った日本語は、ブラジル社長が英語で通訳する。スリランカの若い娘は、相当な日本語を話せるが、生活に密接した日本語の理解は無理だ。セント君など、背景から話さなければ理解してもらえない。同じことが僕ら外国に行った時も言葉の裏に理解できないものが潜んでいると思う。この中で一人だけ先日東京に赴任したパキスタンで長く商売した人が含まれてないが、彼もこの飲み会のメンバーの1人だ。会社生活で多くの酒を呑んで来たが、いつも男の集まりだった。ふとした事で、東京でこの中に女性が混じる事になり、酒の飲み方が変わった。会社の愚痴を言う酒の肴から、ファッションと音楽と映画と旅行が「酒の肴」に変わったのだ。僕の人生の関心はこの事と一心同体だったので、断然面白さが違ったのだ。それに会社の誰それが何処に行ったと言うのは、僕の記憶にどうしても定着しなかった。CPU速度が何Hzだと言うのは瞬間の漏れ聞きでも記憶の襞にちゃんと定着するにも関わらずにだ。記憶力がどうのこうのではなく、関心の深さでしょうね。ということで、最後の日にこうして美しく閉めたのでありました。
12月20日(火曜日)
New企画で沸く
今日は職場の女性たちに誘われ食事会。外のレストランはご負担も発生するし、味もそこそこだし、移動に時間がかかる。とー言う事で社員食堂でお別れランチとなった。これがしんみりしたものかと言えば、なかなか活発な新規事業の計画の打ち合わせとなったのだ。じつは僕の就職先が見つからない事を彼女たちにも伝えてあったが、そんなのやめて自分で起業したらと。それはカメラ教室だ。今カメラ教室が盛んに開催されているようだ。「岡村さんならできる」というのだ。カメラは好きだしスキルも十分ある。後は機会だけだ。隣の若い秘書は僕と同じくこの年末で失業する。派遣社員の悲しい定めだ。この娘が実に綺麗な子で、今までのカメラの性能チェックにもう何度も撮影させて貰ったが、十分グラビアアイドルとして通用するくらいの美貌の持ち主なのだ。彼女は、この教室運営に参加するとえらい積極的なのだ。そして、もう一人は現役のベテラン秘書で十分世間の事をわきまえた人が賛同するものの、たしなめもする。彼女曰く「呼び物のワンポイントが欲しい」。他所と何処が違うのか?その論議になり、今日のところは「キャラクターを作成してはどうか?」と言う話になった。「ひこにゃん」のようなものだ。それを使ってブログで発信をする。もう一人は、安かったら参加をすると!何だか分からないが、段々とその気になって来たのである。そう言えば、昔このベテラン社員の若い頃の社員を預かり、Jpegデーターに変換してあげたことがあった。余計なことだが、そのデーターを使い、目を大きくして、頬を削りシミを取り除いて加工してあげたことがあった。結構可愛い女性が出来上がった。見せるとセクハラだと、たしなめられるかと思っていたが、何にも言わなかった。(と、言うことは気に入ったのかな?)色んな国で色んな美人を見て来たから、美人の目は肥えているから修正にもセンスが光るというわけだ。
12月19日(月曜日)
最後にする事とは
会社を去るについてはお世話になった皆様にお別れのメールを送ることだった。メールの整理から始めて文面を考えていると瞬く間に時間がすぎてしまう。おまけにこの職場は消滅するので、過去に溜まった書類の整理の応援に駆り出されたものだから、実質作業する時間が激減した。整理している間に珍しい写真や書籍が出てきたりするから、作業は中断してしまう。それに、やはり外国の人にお別れのメールを打つのは難しい。そして、すごく丁寧な返信が届くのが問題である。英語にはフォーマルな文面と、日常会話の英語があるが、その違いが判別できない私としては相当戸惑い乍ら受け取り、そして苦心して返事を書く。でも嬉しかったのは、僕の好きなインドネシア、フィリピン、スリランカ、ベトナム、シンガポールからは、遊びに来た時は案内すると言う文面があった時だ。日本で観光の手配をするのと、現地人が現地で手配するのとでは、料金の違いは一桁以上にものぼるのだ。一寸時間が短かったのだが、まぁいい人間関係を作れて良かった。商売面ではなかなか人物を見抜くことができないが、遊びの人間関係を作るのは昔から得意だったのだ。当面はお金がないので訪問する事ができないが、個人的な連絡先を聞いているので、何時でも連絡が取れるのだし、Face Bookではこれからもずっと会話ができる。男性ばかりで無く、メンバーには女性もいるので色々と幅の広い情報が得られるのである。このようにして会社生活は幕を閉じようとしているが、肝心の就職の方は進展が無い。かと言って何か努力しているかと言えば何にもしてない。努力しないで美味しい果実を得ようとする人は嫌いだが、それを自分が演じているのが情けない。そしてそれは許されないことである。
12月18日(日曜日)
背骨が折れそう
昨日は、なみはやドームのプールに出かけた。この日は丁度プールの仕切りが取り払われていて、50mを一気に泳ぐことができた。3kmの内、最後の500mはいつもバタフライと背泳に充てていたが、この50mを一気にバタフライで泳ぎ切ると言うのは至難の業だ。どれほど泳いでも向こう岸に着かないのだ、半分を少し過ぎた当たりで踏ん張りがきかなくなり背骨が折れそうになる。最近こんなに我慢したことはない、ホント死ぬかと思いましたね。オリンピックで見る水泳競技はすぐターンするので、なかなかベストの泳ぎが見られない不満があるが、おじさんにとっての50mは永遠だと言うことが身に染みました。それで今朝は8時に起床。そして飽きもせず夕刻にはプールに向かった。城東区のプールが改装中で使えず、門真も一般開放してない、それで都島のプールに行った。ここのプールは市民用なので暖かい、お風呂に入っているような感じだ。それと浅い。今日も3km。ずいぶん前、オーストラリア人のわかりにくい英語で水泳を習ってから3kmが余り苦ではなくなった。それと背泳とバラフライを取り入れたことで、体の調子が良くなった。
12月17日(土曜日)
「借りぐらしのアリエッティ」
昨晩帰り着いて、気持ちよくこの映画を見てたら、いつのまにか眠ってしまい、これはまずいと、布団に潜り込んだ。それで今朝この映画を見た。スタジオジブリの作品。「アリエッティ」の性格は魔女の宅急便の「キキ」に良く似ていると思う。小人のアリエッティは引っ越して来た少年に姿を見られてしまう。人間は獰猛だから姿を見られると、住んでいる家から引っ越さなければならないと彼女の両親から告げられる。そんな矢先、少年のお世話をするお手伝いさんに、アリエッティのお母さんが見つかり、捕まえられる。後半は、友達になった少年とアリエッティが協力してお母さんを救う物語だ。テーマは種の撲滅と言う子供向けとは言えない壮大な内容。「少数で生きている小人は絶滅するかもしれない?」と少年がアリエッティに尋ねる。なかなか示唆に富んだ映画だ。感動。
12月16日(金曜日)
送別会

ずっと前から、昔の仕事仲間とサークルを作っていて一年に一度酒を飲んでいる。その中心メンバーのK氏はめちゃめちゃビールが好きで、その呑む量が半端では無い。それでかどうかは不明だがいつも男ばかりの飲み会なのに素敵な店を選んでくれる。勿論ビールが旨い店だ。このセンスは只者ではない。僕がどんなに精進を重ねても彼の足元にも及ばない。今日のメンバーは、九州担当だった別のK氏と私が定年で主賓だ。それで記念品にクロスの3色ボールペンを頂いたのだが、名前が入っている上で、当時のニックネームが彫り込んである心憎いものなのだ。そして、毎週の報告書と各人の連絡先のファイルを頂いた。この心配りはどうだ!そのせいなのか、ビールがやたら美味い。普段はビールから他の酒に代えるのに、今日は最後までビールを飲み続けた。自転車で来てたので皆さんを駅までご案内をし解散した。えらい気持ちの良い夜だった。
12月15日(木曜日)
白髪染め
就活に向けて完璧に自分を追い込んでおかなければならない。髪の毛もその一つだ。それで、耳が出る様に少し短めの髪型にすることに決めた。短い髪型は、この寒い時期にはあまり好ましくは無いけれども、背に腹はかえられない。先輩のE氏からのメールは自分を低く見積もることは無い、高く売れ。とアドバスを頂く。「目の前の幸せにすがりついてしまう」事はご法度なのだと言う。自分のアリネタが段々と少なくなってゆくと、私としては焦りと不安と自信消失で、「藁でも縋りつきたい」心境にある。近くのお姉さんが、「焦ってはダメよ」。と声をかけてくれる。「必ず行く先はあるから」と。色んな想いがよぎるが、ここは冷静に日常の決まりごとをこなして、後は寝るだけ。絶対に自制だ。散髪屋さんで白髪染めを頼んだが48時間後で無ければ処置する事ができないと言われる。それで薬局でその薬を買って来たのだが、どうも使い方が難しい。どうすべきか困っている。
12月14日(水曜日)

昨晩「悪魔を見た」韓国映画を見た。これは恋人を殺された刑事が休暇を取って、犯人を見つけ復習する物語。犯人は意外と早く見つかり、この刑事は犯人をいたぶりながら殺して行く残酷物だ。これを昨晩少し見たら途中で終れなくなり、午前2時半まで見てしまった。と、云うことで今朝は9時に目が覚めた。定年を迎えるといろいろ書類の提出があるが、これが僕の場合千葉に届く書類、高知に届く書類と分散しているので、この部分は妻と連携が必要なのだ。その打ち合わせを終えて娘と一緒に出た。彼女は学校へ行くとの事。僕は病院へ。娘曰く「お父さん縮んだね」娘も僕の身長を抜いた。あいにくと病院は休み。12時50分の新幹線で大阪に帰る。副島隆彦の書籍「金・ドル体制の終わり」を読んだ。アメリカの4000兆円もの赤字がこの先どう影響するか。ギリシャの財政赤字を保険化してファンドを組んだ落としどころは、などなど次々と興味深いテーマが出て来て、まるで推理小説のように今の経済を読むことが出来た。その上、彼の辛口の市況分析はよく当たっている。来年は相当酷い世界経済となりそうだ。
12月13日(火曜日)
年休

午後3時から早退すれば十分に間に合うスケジュールだったが、向こうで別の要件も出来たので年休とした。待ち合わせ時間には1時間ほど早く到着したので、東京駅から浜松町に向かって歩いた。途中でビックカメラを覗くと、ソニーのアンドロイドウォークマンが発売されたばかりだったので説明を聞いた。4.5インチの液晶画面は広く、音楽の選択や、ビデオの表示も十分な大きさだった。iPodよりも断然良い。アップルの携帯はギャラクシーに押され始めた。そして音楽プレヤーもこれからはどうなるかわからない。アップルの牙城は早くも見えなくなって来たように思える。ここにデジタルの恐ろしさが潜んでいる。浜松町での打ち合わせは短時間で終わり、余った時間は秋葉原の探索に充てた。テレオンの売り場はPCオーディオの品揃えが貧弱、先日見たシマムセン程ではない。やはりこれは売り手のスキルがモノを云うので、何処でも自由には行かないんだ。石丸本店はPCオーディオの扱いは無い。その代わりJBLのDD66000がJAZZを演奏していた。これは良い、耳の洗濯にもってこいだ。だが、これを自宅に導入することは夢の世界だ。ベンツ一台できかないからだ。ヘッドホンの視聴ではAKGやシュアーを抑えてDENONのヘッドフォンが良かった。店員もこれがよく売れていると云うので。ことヘッドフォンに限っては雑誌の評価は当てにならない。そして午後7時、本日のメインイベント。東京ファジー会のメンバーが押上に集合した。その前にスカイツリーを撮影。おそらく電気の消えているこの鉄塔を撮影するのはこれが最後だろう。ソニーのHDRを使って撮影。夜空に聳える塔がフラッシュ無しで綺麗に撮影出来た。
12月12日(月曜日)
ここで気を緩めるには

少しゆっくりしたら、年休も余っているでしょう。と周りの人は声をかけてくれる。でもこの年になれば、気を緩めると本当に緩んでしまい、元に戻せなくなる。あるいは元に戻すには相当辛い思いをしなければならない。身体の厳しさは何とでもなるが、精神の緩みは取り戻すことが出来なのでは無いかと心配する。僕は趣味人であり、余計な時間は忙しく自分のことに使ってしまえるから、一気に仕事から離れることが出来るだけに、長期に休んでしまうのは怖いのだ。その上、毎日の徒歩通勤は、身体の調子が良い。それに会社では来年から本格化する就活の資料作成がある。これは自分の考え方を就活支援のカウンセラーに間違いのないように伝えるためには、曖昧な表現を取り去り、短い言葉でストレートな言葉にシェイプアップしなければならない作業だ。そのために、一度書いた文章も読み直し、何度も書き直ししている。そうすると結構な時間を食ってしまうのだ。
12月11日(日曜日)
空白のとき
今までの総括をまとめている。今まで何処で何をしてきたかと言うことだ。問題なのは、1992年から1999年までの間がどうしても思い出せない。丁度結婚をした頃で酒をよく飲んでいる。九州を担当したが、それは一度ではなく、2度だったのか不明なのだ。1995年には阪神大地震があり、このときは大阪にいたのを記憶している。だがこれ以降会社はどんどんと組織改革を行っていたので、自分がどんなに流れていったのかとんと記憶がない。当時の手帳などが参考になるが、その手帳も何処にしまい込んだのか不明。今なら大事な記録はクラウドコンピューターに保存ができるが、この利用はつい最近のことで、昔の記録はFDしかなかったのだ。どうやら、僕の頭と酒とは相性が悪いようだと今更ながら気がついた次第。体の方は非常に相性がよいのだが。それで、一番わかりやすい記憶からひもといている。一番わかりやすい記憶とは音楽だ。当時どんな音楽を聴いていたかだ。福岡の展示会にデモした大黒摩季がキーワードだった。「MAKI OHGURO BEST OF BEST?All Singles Collection?」が出たときに九州を担当したのだった。これは1999年の年末に発売された。だから2000年の春には福岡にいたことになる。2000年の5月には東京にいる。そうすると九州の担当は一度だけになる。確信が持てないが。
12月10日(土曜日)
ナミハヤドーム
もう大阪での生活は、これが最後かな的な事を思いながら生活している。その一つにプールがある。関目にある市民プールは毎週土日の2回行き6km泳ぐのを決まりごととしてたのだが、先週訪問した時、来週の10日から改修工事に入る旨告知があった。先週、ここで泳ぐのは最後なのだ、と哀愁を感じましたね。それで今日は門真にあるナミハヤドームに行った。受付で今日の利用は可能か確認をすればOkだと云う。しかし深いですよと、一言。水深1.4mの表示があった。そうか、僕は小さいので溺れやしまいかと心配してくれたんだ。余計なお世話だ。ノンストップ3kmを1時間10分で泳ぎ切った。ここは市民プールと比べ水温が低い為か疲れが少ないので、関目の市民プールよりも幾分速度が速いのだ。帰ってバナナと柿のジュースを飲みながら、スティングのベルリンコンサートを見た。弦楽器をバックにRockを歌うと云うのはスティングならではです。ドイツ人に英語が通用するのか?見てたが意外と笑うシーンではみんな笑っていた。早速ドイツの新聞を開いて、読んでみた。(インターネット新聞は、ドイツ語も単語単位で日本語の意味を表示してくれるので問題ない)。ドイツ語は英語に良く似た綴りで、たぶん文法上の配列は同じだろうから、余り違和感が無いかも知れない。
12月9日(金曜日)
デジタル家電がこれほどダメになっているとは

今日は販売会社に仕事の斡旋を頼みに訪問した。社長に面談した後、現場の責任者に私の企画を話した。私としてはこれ程、販売の救世主はないとの確信を持っていたが、反応は、もうデジタル家電の時代ではなく、太陽光発電とかIH家電とかそんな方面に関心が移っているようだった。つまり私の提案は古いと言うのだった。残念だ。デジタルは古いんだ。今日は年休を頂いているので、その後日本橋に行った。ここは昔商売として毎日訪問していた電気街だ。大阪に自分のよりどころがあるとすれば、この街しかないような気がする。シマムセンの鈴木さんに最新オーディオ事情を聞く。パイオニアからネットワークプレーヤーが発売され、非常に人気があるとの事。5万円代で192-24が得られるのは魅力。無論この数字に魅力を感じない人には関係ない話だが。丁度このとき60歳をずいぶんと上回るお客様が訪問し、僕とも話しながら音楽のことを少し語った。同行の秘書はちんぷんかんぷんらしく、時間をもてあましていた。難波麺で一杯840円のシイタケウドンを食べ、キタムラカメラに向かった。一寸見ない間にカメラ事情は随分と変わり、こだわりと、安価モデルしか売れなくなったという。こだわりには、フジのx100とx10が代表だという。その話を聞いている矢先にx100が売れて行った。70歳くらいの老人だった。この店はえらい親切で、カタログを集めていると、袋をくれた。接客マニュアルだろうか、それともその人のパフォーマンスだろうか?ニコン1もこれから発売されるであろうキヤノンのミレーレスも、結局はフォーサーズにおいしいサイズを持って行かれたと評価していた。しかしフォーサーズ陣営はオープン化の以降はないので、結局マイナーで終わってしまうと思う。もうすぐフジからミラーレスが発売されるらしい。これはAPSCサイズのようだ。ミラーレスは結局APSCサイズが主流となるかも知れない。
<日本橋名物椎茸うどん>
12月8日(木曜日)
解散会
私の属して居る組織は来年度のグローバル化への移行に伴い解散する。部員の多くが今の仕事と関係のない部門に送られる。英語で商売できる人も国内の小さな組織に遣られる。何処で復活するかは本人の意思だがチャンスがない事もありうる。いろんな思惑が混じるが先ずはみんなで明るく祝おうと云う催しが今夕開催された。勿論僕はこんな本音の無い仮面舞踏会には出る意思が無く、その上明日は面談なのだ。それを理由に丁寧にお断りをした。その会では全員が集合した写真が必要で、数名の人を集合写真アルバムに追加した。Photoshopは如何にもその場に居るような編集ができるので有能だ。秘書からTopの靴下が短くスネが出ている。この写真の靴下を伸ばしてスネを隠すよう要請もあり隠した。振り返ってみると、我が社の海外営業は、貿易会社が存在していた頃が一番の華で、本体に吸収され元気を落とし、現地化を進めては力を落とし、更に今回の改革だ。海外は手を加える度に力を落として行った歴史を繰り返さないことを祈るばかり。こうして、短かった僕の海外職場は僕の退職とともに消失する。
12月7日(水曜日)
人の輪
今度は、新たな人脈からの電話だ。ずっと昔の上司からだ。友人のU氏が連絡をとってくれた。その上司は実は最近の僕の事を良く知っていた。それは同じ職場に香港から来た人がいたが、その彼と僕はタッグを組んでスリランカを開発したのだ。その彼はこの電話をくれた上司だったのだ。30万人も従業員が居るので先ずは小さなグループでしか知り合う事がないと思っていたのだが、意外な方面から関係がつながった。電話では可決が見えないが、支援の一つが見つかったというわけだ。同じような話がもう一件。これは就活とは関係ないが、中南米を担当している人から声をかけられた。私の活動を知ったので是非話しをしたいと云うわけだ。よく話を聞くと彼は僕と同じような仕事をしていて、スキルに悩んでいた。僕は言葉の障壁に悩んでいたのだが。そんな事で、随分と話が盛り上がった。更にもう一件は、新興国である女性が仕事をした後、僕がその国で仕事をしている事がわかり、これからは是非セットで仕事を進めなければならないねとメール交信したばかり。その彼女の上司であるK氏は、もう10年以上の飲み仲間である。ここでもまた人の輪が繋がった。でも活用できる事はないけどね。コチラはちょっと一年ばかり遅いリンクだった。
12月6日(火曜日)
お断りの理由
今まで受けた会社は次のようにして断って来た
企業側の組織上ポジションが合わない-4件
今までの経験と企業が求めるスキルが異なる-2件
北海道在住者のみの対象とのこと
業界の親和性がない
年齢を鑑みるとキャリアが異なる
ポジションが合わない
より条件に合致する候補者がいる
前任が高齢で若返りを図りたい
以上が就職を申し込んだ結果断って来た理由だ。あまり聞いた事のない会社ばかり選び申し込んだのだが、きっとその会社には凄い人材が揃っていることだろうと思いました。そして、企画者は凄いマーケッティングを行い、営業マンは見事な顧客開拓が出来ている事だろうと推測しましたね。私はそんな人はめったに居ないと思ってたので、失望と同時にびっくりしました。話は飛ぶが、そのびっくりするような営業力を持っているK氏が突然京橋に来て昼食をと云う事になった。悠々とは言えないが定年後豊かな生活をして居る。小遣いの為に仕事を探しているとの事。僕とは背景が違うが、厳しさは同じ様だった。
12月5日(月曜日)
履歴書の書き方教室
定年後仕事をする人の為の支援が始まった。履歴書の書き方教室、その前に自分の過去の生き方、仕事考え方を総括する必要があると云うのだ。なるほど。履歴書はもう何度も書き直しして要領を覚えて来たが、総括はそれほどこまめには纏めて無かった。これは素直に聞いてまとめる必要があると思った。それで、直近から書き出してゆくと、こちらへやって来た3年は自分を見つめることが多かったので割と書きやすい。それに書くのは、厳しい環境ではあったが、地球と云うのは本当に丸いんだと云うのも実感した事。それ迄の自分は日本が中心にあり、地球は三角形だった。勿論頂点は日本でその下にアメリカやヨーロッパがあった。さらには、自分の性格は随分と突拍子もない転換をいくつか繰り返してきたんだことも分かった。それ迄は自分を石橋型の変化を好まない者だと思っていたが、その逆だったのだ。これから先も変化に富んだ人生があるかも知れないと期待している。
11月4日(日曜日)
果てのないYou-Tube
ブラジルのサッカー選手ロナウジーニョが、ゴールのポールにボールを当てて自分の所に戻ってくるナイキのシューズ宣伝があることを知った。早速アクセスすると、なるほど、ブラジルのサッカー選手というのはこんな事ができるのかと感心したが、それに関係する映像が次から次へ紹介され、結局この切り口で1時間程度時間を費やしてしまった。アメリカではTVの視聴率が落ちてPCの前に座っている時間が長くなっている調査記事が紹介された。日本でもLTEがやがて普及してくると、携帯電話でYou-Tubeが見られるようになる。そうするとテレビの視聴率はますます低下するだろう。それほどこのサイトは奥の深い映像が詰まっていると感動した。僕もここでミリオンヒットを狙う映像を提供できれば、就活に役立つのだが。
11月3日(土曜日)
禁断の書
昨日は酒が入っていたこともあり、昨日常磐書店で一冊だけ文庫本の「9月が永遠につづけば」沼田まほかるを買った。店員に聞けば、なかなかと言うことでした。そして、冷たい雨の降る中鎌ヶ谷から大阪に帰る道中でこの本を開けたのだ。それ以降この本は閉じることなく、読み上げてしまった。他にすることもあったのだが、釘付けとなったのだ。当面、小説本には封印をしたはずなのに一寸の気のゆるみで、いてもうたんですわ。この小説は登場人物が少ないのにその全ての人が2重3重の関係を持つというのが、読むに従って次第にあらわになってくる。急展開は無いが、速度はあるから目を離せなくなってしまうのだ。夕刻プール。おばあさんからバタフライを見て欲しいと声をかけられた。カタチはまずマズだが、もうお年だから、力がないので、手や足のキックが不足しているのだ。僕は、練習によって力をつけるしかないですねと伝えた。それにしても、このおばあさんの向上意欲には感心しました。年は聞かなかったが相当なご年配。こんな人はだいたいが明るい人柄でもある。
12月2日(金曜日)
懇親会
今日は昼から抜け出して東京に向かった。東京に向かうときはいつもワクワクする。始めて転勤したのも東京だった。この自分から気分は高揚してますね。それはずばり活気です。夕刻浜松用の地下で、親しい友人と懇親会を催した。まぁ私の不幸を肴にして酒を飲む会ですね。その前に書店DANを覗く、電子関連の書籍を売っているコーナーに変更無く、読みたい本が一杯あったのだが、これに時間を割くのはまずいと心に蓋をした。村上春樹と小澤征爾の対談の書籍もありました。これは心を鬼にして断念。余計なことに時間を浪費してはいけないと。この日は対話が弾んだので焼酎が1本半空いた。午後11時船橋着。常磐書店が開いていたので、ここでしか買えない書籍を3つばかり。家に帰って布団の中で「愛する人」ナオミ・ワッツ主演を見た。なかなか感動の物語だが、上司役のサミュエル・L・ジャクソンとなぜナオミ・ワッツが交わるのかの動機が不明。しかもこの交わりよってストーリーがおおきく動き出す重要な出来事なのだ。こうした重要だが些細な出来事をアメリカ映画はいとも簡単に乗り越えて来るので、僕の方としては「レレ、、」で混乱してしまうのだ。
12月1日(木曜日)
お酒を飲んだ翌日は

朝寝に限る。8時ぎりぎりまで寝て、慌てて自転車に飛び乗り蒲生4丁目のマクドで朝食を済まし出社。年老いたおじさんのとる行動パターンでありませんが、これがなかなか自分の調子をコントロールするにはいいわけでありまして、ずいぶんとこの手を利用している。本日は履歴書の写真撮影だ。隣の秘書に頼んで写真を撮影してもらった。もう一枚はキタムラカメラへ行って撮影をした。就活前線は非常に保守的で、お礼状は万年筆で手紙を出さなければならないし、写真は写真屋さんで撮影しなければならないと指導される。写真屋さんのカメラはペンタックスの一眼。3灯ライト+フラッシュ。だが自分で撮影する方はフラッシュなし、染み抜き、健康肌、しわ取り処理でコンパクトデジカメとアドビフォトショップエレメントの組み合わせだ。
<右が自作>
11月30日(水曜日)
ご定年

私の直接の上司が今日でご定年を迎える。この職場は解散する予定なので後釜は来ない、そして代行の案内もない。人事は、下々の方よりも、上役の事ばかり気になるので、今回のような大量の解雇については嬉々としてその指示に従っているようだ。まぁ後1ヶ月の辛抱だからこんな事に目くじらを立てても仕方ないのだ。と言うことで本日は送別会なのだ。北浜のビルの地下にある、普段は僕たちのような平民は入れない豪華な店で開催された。我が職場のメンバーが大勢詰めかけたが、その人数よりもまかないさんの人数が多いと言う所だ。その美貌も揃っていて、厳しい就職前線であることがここからでも見て取れる。何もこんなところで仕事をしなくて良いのにと思われる人達がずいぶんといるからだ。こういう店はやたら豪華な食器に少ない盛りつけが一般的だが、コチラはかなり満足の行くボリュームもあり、酒は浦霞を揃えていた。有無を言わせぬ高級店ぶりを拝見させていただいた。
<キレイどころだが>
11月29日(火曜日)
曜日の感覚が消えていた
ここのところずっと就活の関係で頭を悩ませている、それは土日も関係なく頭の中が占有されている。そうすると、いつの間にか曜日の感覚が消えて、「果たして今日は何曜日?」と言う現象が起きてしまっている。一つのことを四六時中突き詰めて考えると精神がやられるぜ。と一般的には言われているが、過去の経験からどうやら僕にはそういうことには無縁であるようだと分かっているのでとことん自分を追い込んでいるのだ。もうすぐ今度は暇な分野で曜日を忘れそうだから、これはこれで良しとしようと思っている。だが待てよ、暇分野ではむしろ精神の安定の方がやばいのかも知れない。人間はややこしいのだ。
11月28日(月曜日)
体調の異変
普段なら月曜日は前日の水泳の影響で弱り切って元気がないのだが、どういう訳か今日は体が軽い、まるで若いときに戻ったようなのだ。これはどこかでしっぺ返しが来るぞと警戒しなければならないことだ。今日は友人の紹介で広告宣伝会社の社長さんと面談をした。その広告宣伝会社に雇用してもらおうと思っているわけではなく、面談した結果どこかに紹介してもらおうという前提の元にあっていただいたのだ。逢うと自社の仕事でも売上金のフィードバックをする仕組みがあると言うような話をいただいた。これならお互いに損はしない話だが、生活が安定しない問題がある。大阪では生活費に20万円は必要だから、それ以上の話でないと乗ることができないのだ。なかなかうまく事は運ばないのだ。その夜、お姉さんに履歴書の最終チェックをしてもらった。女の目で資料を見ると、余計なことを書いてあることがどうやら見えるようだ。明日もう一度自己チェックして完成としよう。履歴書の体調覧には、「特になし」と書いたのだが、「最高潮」と書いても良かったかも。
11月27日(日曜日)
僕のおじいさん
先日高知に帰ったとき父から祖父のことについて聞いた。祖父の人格は知らなかったが、父曰くずいぶんと尊敬できる人物だったらしい。それに結構アイディアマンだったと言う。その一例を語ってくれた。それはトマトの栽培だ。昔のトマトは、太陽で皮がすぐ割れしまう。皮が割れるのは作物だからもちろん天候と関係がある。そこで、トマトの苗を蒔くときに関係することから、祖父はトマトの苗を一週間づつ遅らせて、少しずつ蒔いたそうだ。最初の種まきからすれば最後は一月以上もずれていたそうな。そして、どれが一番収穫時に皮が割れないのか検証したそうだ。そして得られたノウハウで翌年のトマトを栽培して見事成功したとのこと。それは、進駐軍御用達となり大きな収益を得たそうだ。なんだか現在にも通用しそうなノウハウだと思った。これから自分のアイディア一本で生きてゆかねばならない時、何という自信を得られる話だったことか。アイディアなら任しとき、と前から自認してたが、こんな血筋だったのだ。
11月26日(土曜日)
ジャッキーチェン
自分の遺産は息子にあげず、東北で震災にあわれた人たちに寄付をするという。子供たちにあげないの?子供にもし芽があれば自分でお金を稼ぐだろう。芽がなければ遺産を食い潰すだけだ。そんなインタビューを見て、早速WOWOWで彼の作品を録画し、昨晩から見た。「プロジェクトA」、「ポリスストーリー」いずれも、カンフーの戦いが見せ場だが、どうやらこれは生でやっているらしいと気がついた。ヒロインの女性も一人は登場するが、彼女たちも投げられて、ガラスのテーブルを粉々に砕くとか演じている。誠にもって熱のこもった娯楽映画である。この映画から、最近のインタビューにあった言動を導くことは難しいが、香港映画に一つのコンセプトを樹立した強い意思は認めてあげるべきことだと思う。昔は非常に軽薄な人だと見ていた氏だが、全く違った見方に変わったのは僕の人物眼が曇っていたということだろう。夕刻プールで泳いでいると寒気がしてきて1.5kmで止めた。こんなこと始めてだ。人のことも知らないが、自分のことも知らない。無知を知った(こんなことをソクラテスが言ったとか)。
11月25日(金曜日)
すべての手続きを終える

会社を退社する上においての事務手続きのすべてを終えた。これでもう会社に来て何か作業をする必要はない。定年までの間年休を取得してもよいのだ。だがここで年休を取得して家でぶらぶらするのは張り詰めた気持ちが緩みそうで怖いし、毎日定刻に起きて、会社まで徒歩で通勤する作業をこなさないと不安なのだ。いわゆるルーチンワークが僕の生活の中に焼きついたのですね。これはTVドラマなんかで定年後のおじさんを描いた行動に良く似ています。脳のキャパシティーが狭くなり、いろんなパターンの過ごし方についていけなくなってしまったということだろう。今の職場がなくなるため、これから毎日送別会が開催される。いろんな面であわただしい年末となりそうだ。そして意外な発見と言うのをしてしまった。僕の周りにはお姉さんが多数いるが、そのうちの筆頭格であるお姉さんと今日話の機会があった。彼女は再就職のアドバイザーの資格を持っているそうだ。では、僕の履歴書の評価は?と聞いてみたら、ものすごくいっぱい指摘を頂いた。僕のことをあまり知らないはずなのに、良く見ていて、その指摘がそれぞれごもっともだったのであきれる以上に感激をしてしまった。そして最後に、就職できないのはあなたが悪いのではない、相性が合わないだけなんだ。どこかに口が転がっている。と勇気付けられた。お姉さんらしく威厳のアル言い方だった。
<OBPのクリスマス装飾>
11月24日(木曜日)
昨日とは打って変わって晴天

昨日の雨が嘘のように晴れ渡った。高知は晴れの日か雨の日か二者択一だ、それで中途半端な曇りの日が少ない。だから、人間も白黒がはっきりした人が多く分かりやすい。犬の散歩に出かけた。少し寒いが太陽の当たるところでは汗ばむのだ。いよいよ秋も深まり晩秋の風景に変わっている。この前は灼熱の太陽が照り付けて犬の散歩は逃げ場所がなかったのだが。村役場を尋ねた。Uターンの農業支援策はあるのか?年収250万円の道は開けるのか?お役所なんだろうか、それとも対応してくれた人が保守的なんだろうか?農業支援策については融資しかないと言う。借金をしてまで農業をしたくはない。そして、年収の方だが、ここで施設園芸を本格的に夫婦でやっている人たちの年収ですねといわれる。つまり、平均でこれだけしか収穫できないということだ。これは昨晩聞いたおじさんの話とダブル。では、収穫物を買う、つまりお金を出せば売ってくれるのか?と言う問いに対しては、市場より高ければ売るだろう、と言われる。それほど農協や市場に固執しているわけでもなさそうだ。市場に出荷している人は4割程度いるので、その人たちからは良い返事がもらえると言う。つまり農業で稼ぐことはできないが収穫物は買うことができると言う。そして、村の運営する共同市場へ販売価格を見に行った。安いの一言。韮なんか両手でわっかを作ると収まる束が100円。ピーマンは8個で100円。大阪のライフではどんな特価でも出せないような価格がここでは当たり前なのだ。しかも鮮度が高い。だが、欠点はこれは大阪でも同じだが、食品の組み合せ販売ではないのだ。もちろんレシピもない。付加価値をつけることで価格をコントロールすることができる道は残されている。昼を過ぎたあたりで友人はカシオゴルフから帰ってきた。これから一緒に明石まで帰る。
<これから冬に向かう高知>
11月23日
高知にて

昨日は寛坊に乗せてもらって帰ってきた。今回の帰省は重い荷物を抱えて帰ってきた。荷物とは、退職の話を父にしなければならない。父としては僕が定年まで勤め上げることが第一だったと思う。仕方がない。仕事は大阪や東京で見つからないことを前提に、高知で失業保険を受けることに決めてある。もし万が一大阪や東京で仕事が見つかれば、申請はワンテンポ遅れても何ら問題ないからだ。そんなことを昨晩は父と酒を飲みながら話したら10時過ぎだった。不思議なことに父の日本酒を飲む力はそんなに衰えてない。2リットルの紙パックの土佐鶴が半分になっていた。それで今朝は朦朧としている。今日は天候が悪いが犬の散歩の後、佐川にある神社にお参りに行った。芸西村から70km西方面の盆地にある。南国インターから高速道路に乗り高知市を過ぎたあたりで室内が曇ってきて外の気温が相当冷えていることがわかった。車に乗るのは久しぶりだから結構慎重に運転をしたら、ずいぶんと疲れてしまった。夕食には父の弟の家に行ってご馳走になった。このご夫婦は花の栽培で生計を立てているから、僕の定年後農業をするとすれば、何か参考になる意見を持っているかも知れないと伺う気持ちもあったのだが、かなり強烈に否定された。「施設園芸でなければ金にならない」と。施設園芸は一反当たり1千万円の設備投資が相場であるという。これでは経費倒れになること必須だ。そして、この村の農家も経営が厳しく加温のための重油は現金での取引しかできない農家が多いそうだ。これはとりもなおさず負債を抱えていると言うことですね。その晩は農業についてはどんなに攻めてもいい答えを引き出すことができなかった。ばくちは打てないと自分の心に戒めた。
<熱烈な歓迎をしてくれる犬>
11月22日(火曜日)
高知へ
年給をいただいている。高知に帰る便は友人の車だ。友人は明石に住んでいる。町田の事務所から7年前に明石に転勤してきた。それで彼は月に一度の頻度で田舎に帰っているので、僕もそれに便乗させてもらったのだ。少し早めに明石駅に着き、キップの精算をするためみどりの窓口に行ったら、とんでもない美人が受付に座っていた。世の中は不況なんだと思いましたね。こんな娘が言っちゃ悪いがJRのキップを売るなんて。大企業の秘書とか、大きなビルの受付カウンターに座れば似合いそうな娘さんだった。友人とは久しぶりなのでまずは音楽談義から。お互いに物忘れが激しくなり、iphoneで該当の歌手や曲名を検索して、会話を補完しながらの道中となった。香川県の引田にある休憩所で「釜揚げうどん」をいただいた。僕はそんなにうまいとは思わないが友人はうまいうまいと食っていた。最近は食の評価に自信がないので話を合わすしかない。今度は夢の話になった。これは体験が深いので話に没頭したのでしょうね、川之江ジャンクションで方向転換をしなければならないのに、そのまま松山道を走ってゆき、石鎚山で降りた。40分くらい行き過ぎていたことになる。女のおしゃべりは知っているが、男も結構おしゃべりなんだと気がつきましね。夕刻5時半に到着。自宅に飼っている柴犬の熱烈な歓迎を受けて落ち着いた。
11月21日(月曜日)
定年の繰上げ
会社の苦境に際し定年を繰り上げして退職する旨の要請があり、応じることにした。応じるといっても強制的ですけどね。退職には全くためらいはないのだが、問題は次の準備に際し時間が残されてないことだ。あわてて就職を探すが、そうは行かない。そして今日は就職の申込先からは断りのメールが届くし、おまけに、来月末で解約予定の株に連動する保険は、元金百万円に対し66万円程度で推移していたかと思ったら、保険のおばさんの話ではもう60万円を切ったよと来た。私の予想では来年はドルの暴落があるので今が最適だといえるかも知れないが、とりあえず保留をした。泣きっ面に蜂とはこのことだと思いましたね。だがそれに反して一つだけ進化の兆しが見えるのが英語だ。来月末を目指して今までの資料の見直しをしているのだが、どうしても訳せない日本語と言うのは時々あるものですが(英語のできる人にとっては問題がないレベルですが)こういうとき、今までは文章を短くして、要は箇条書きにして文章を分けたわけだ。ところが今日はもちろんグーグルの翻訳機のサポートもあるのだが、自分の意図する長い文章が書けたことだ。これはちょっと最近の中で一番うれしいことだったですね。朝のUSA-Todayも見出しだけですがいくつか意味を解しながら記事を拾うこともできるようになったし、こんなにうれしいことはない。定年後は時間と仕事の都合もあるだろうけど、この英語はもっと磨きたいと思っている。
11月20日(日曜日)
急に冷え込んだ
プールから帰る道のりは髪の乾燥だ。だが今日は昼から冷え込んできた所為か、風が冷たく、頭が痛くなった。年間を通じて、プールから上がるとき髪はタオルで拭くだけで、乾燥は自然乾燥に任せているが、どうやら昨年辺りから、真冬の風で髪の乾燥をするのが厳しくなってきている。だんだんと無茶が通りにくくなってきている。本命のプールは土日で6kmは問題ないのだが。もう一つ、昨晩作ったカレーなべ。最初は旨かったが、だんだんとおいしくなくなるが無理して食った、しかしあまりにも大量に作ったので今日の昼も夜も食った。寒いときにはなべに限ると勢い込んだが、これも限度があり、毎食カレーなべは食べられない。もうギブアップだ。今年は例年にも増して寒いようだ。昨日のUSAtoday紙は、IPCC(環境と天候に関する世界的な機関)のリリースを取り上げている。全世界で異常気象が続き、これは明らかに温暖化に関係していると明確に述べている。これから我々人類が体験したことのないような気象条件の中で暮らしていかねばならないかも知れない。暑いのは我慢ができるが寒いのは難しいですね。
11月19日(土曜日)
味覚音痴
どうやら僕は味に関しては音痴の要素が高いと確信し始めた。外国に何度か出かけて、現地の人たちと飯を食った。何を食べたいのか良く聞かれるが、なんでもOKと答える。彼等は自慢の地元料理を食べてもらいたいので喜ぶ。だが僕自身は本当に何でもOKなのだ。そしてどれも旨かったので写真を撮影した。今日はものすごい雨で出かけるにはちょっと勇気が必要なくらい。それで冷蔵庫のあまりモノで作ったなべを頂いた。しかしながらそれでも何とか旨かった。でも、こんな簡単に作るものが旨いわけがないと思う。それでも食べられる。それで気がついたことは、自分は味覚音痴であるということだ。だから、最初の話になるが、外国で食べた料理は果たして日本の皆さんにお勧めして旨いと烙印をおしてもらえるか、はなはだ疑問がわいてきた。昨日の夕食は蒲生食堂で生卵と大飯の480円を食べた。これでもOKなのだ。醤油がなければ酢をかけてごまかすのでも全く問題がない。大阪に来て3年間ずっと自炊を続けた。お金を節約したいというのもあったが、これでも満足した食事だったというのが本音だ。料理の腕もそこそこだと思い込んでいたがどうやら、旨く食えたということでホントに旨いのか疑問だ。
11月18日(金曜日)
顔色
もうずっと前から、僕はどす黒い顔色をしているのが気になっていた。母もどす黒い顔色だから遺伝もあるが、母は腎臓がよくないのだ。それで僕ももしかしてと腎臓の測定値を見るがそうでもない、しかしこの顔色は何だ?その長年の疑問が解けたのは、昨晩だった。目の前においてある「BENQの24インチ液晶モニター」からの日焼けだ。このモニターを見る時間は休日にはおそらく8時間程度。平日でも2時間程度。視聴距離は70cm。つまりPCのモニター画面を見続けて顔が日焼けしたようなのだ。PCお宅も健康に注意と言うことですね。これは、5年ほど前に購入したモニターで12万円。バックライトに蛍光灯使うタイプなので紫外線が発生するのだ。これにやられたというわけ。今年はボジョレーヌーボにペットボトル入りが発売されたが、ペットボトルは紫外線を良く通すので、ワインの品質は急激に劣化することだろう。モニターは早急にLEDバックライトに変更するのがよろしいようです。LEDライトは紫外線が出ないのだ。今では1万円台で購入できる。何と1/10の価格だ。と言う事で、PCの利用を控えなければならなくなった。それで、今までPCのモニターで見ていた映画も、きちんとしたTVで見ることにした。「パイレーツオブカビリアン/命の泉」を借りて3Dで見た。これは没入感がすごいので途中トイレや飲み物などで中断しないと、3Dであることを忘れてしまうのが問題だけで、ものすごく楽しめた。僕の好きな美形「ペネロペ・クルス」もやっとメジャー映画に登場だ。バルポッサの剣が画面から飛び出してくるが、2重像なのか、それとも遠近感の関係でピントを外しているのか不明で、飛び出る剣がぼやけている。これがはっきり見えるとこの映画の見せ場になるのだが。暗い森のシーンの撮影はノイズが乗らず実に暗闇だが鮮明に撮影されている。普通のカメラではこのようなノイズ無しの映像は撮影できない。このソフトは最高のクォリティーを持ったBDですね。
11月17日(木曜日)
年休
今日は年休だ。昨日遅く帰り、しかも疲れが溜まっている。案の定、朝遅く起きて、少しまどろんで、昼過ぎに昼寝して、またまどろんで。良く眠れるのだ。良くストレスが溜まると眠れなくなるというのだが、私はどうやら頭の構造がそこまで深く考えるようにはできてないようだ。だが、映画「ブラック・スワン」を見ると、更に気持ちを落ち込ませるような暗いストーリーで参った。主演の「ナタリー・ポートマン」は相当な美貌で、スクリーンを見るだけでも力をもらえそうだが、どうやらこの映画では逆の方向に引き込まれたようだ。「ナタリー・ポートマン」はこの映画で白鳥の湖を踊る。しかもそれが実に決まっているのだ。それにしてもアメリカの俳優と言うのは良くやると感心する。人物表現だけでも大変なのに、「踊り」のような技術をこなす演技が行えるのだ。ミュージカル映画では「歌もプロ並み」に歌えるなどすごい人たちが役者なのだ。いまさらながらだがアメリカの映画は層が厚いと思う。
11月16日(水曜日)
面接力向上セミナー

久しぶりに外部講師による本格的なセミナーを受講した。非常に分かりやすいプレゼンテーションで時間のコントロールが行き届き、正確に理解度を確認してゆく。この人は何度このセミナーを実施したのだろう。セミナーにはおおよそ20−30代の若者で占められていた。おじさんは僕一人だった。おじさんは経験が長いので講師の言うビジネスシーンを想定した事例や、専門用語が良く分かる。伝えたいことも良く分かる。そして、このセミナーを活かせないのも悲しい事に良く分かるのだ。夜の9時半にセミナーは終了した。京橋の眠眠で焼き飯と空心菜の炒め物をいただいた。本当にまずかった。この店は普段はいっぱいだが、最近この店が一杯になったことを見たことがない。(通勤途上なので気がつくのだ)しかし、今日は本当にこの味がまずいのか、それとも僕の舌がどうにかなっているのかちょっと自信がなかった。
<梅田伊勢丹前>
11月15日(火曜日)
TTP
昔から貿易は自由化して国が栄えるということは当然のことなのに、かたくなに拒む風土が日本にはある。それは、本心でそうなのか?それともアメリカの指図の下に居たくないことの反動なのかは不明。しかし、いまさら動いてもどうなるものでもないと思う。多くの企業は既に海外に投資を決めたところなのだ。円高はそれを後押しする。来年は怒涛のごとく海外移転が始まる。雇用は外国に行く。そして日本は空洞化する。あと30年くらいすれば、たぶん日本もアメリカのように一般市民はほとんどお金を持ってない国民になるはずだ。破れた靴下を年頃の女性も平気で穿くような時代が来るはずだ。それは、政治が悪いとか言うのではなく、それを国民が望んだためだ。例えば昔栄えた商店街はほとんど見る影がない。活性化には商店街の上空を高層マンションにして、「住む買いもの一体」の環境をつくれば、住民も都心で便利だし、商売は住民が支えてくれるといわれたが、誰一人として立ち上がらなかった。そして不便な郊外にできたAEONのような巨大ショッピングセンターに客を奪われてしまった。寂れた商店街はいまや車も通行している。音楽産業も同じだ。自分たちの権益を主張することで、結局配信を音楽業界は取り込めなかった。そして、音楽そのものも廃れてしまった。自我を通すと得られる喜びが減るという教訓だろう。
11月14日(月曜日)
先週の睡眠不足が効いていて昨晩は早く寝たのに、まだ寝足りない。今日も重い荷物を背負っているようだ。一度起きて食事をして、またぎりぎりまで寝た。ここはロケーションが良いので自転車で15分あれば職場の机に向かっていられる。まぁ自転車も車道を走り、少し汗をかく程度には踏むのですが。何時の間にやら季節は冬になっていて、流す汗も少なくなった。今日は報告書や、ベトナムで頂いた宿題に取り組んでいると一日が終わっていた。結構充実してたのに気分が高揚しないのは、いろんなところからパワーを感じる力が薄れているかも知れない。寂しい話ですが、こんなときは早く帰って寝るに限る。
11月13日(日曜日)
ずいぶんとあつかましい話だが、F氏宅で宿泊したのだが、何と目が覚めたのが10時。普段朝6時には遅くとも目が覚めているので、目覚ましをかけてなかったのだが、こんなに寝てしまうとは。大変申し訳ないことをした。2日間で睡眠時間が7時間程度だったので、不覚をとってしまったのだ。友人の給仕で朝食を頂き、一緒に家を出た。彼は単身赴任なので東京に帰るのだ。まだ積もる話があるのだが、次回は東京会場で再開となった。午後は別の友人であるO氏と新大阪で会った。農業をする話をもう少し現実に近い形で話し合うためだ。その結果、コンセプト決めが非常に重要で、1年目は収入を期待できない。のと、その後15年間は収入を得ることができるのが農業であるというか、そのようにしなければならないということ。そして付加価値をつけて農作物を販売しない限り、食えない。この付加価値をつける事にかけて、われわれは自信がある。と言う事で話を終えた。つまり、土台を決めることである。新大阪の書店DANを覗くと日経エレクトロニクスに面白い記事がありつい買ってしまった。電子工業に関することは仕事でもあるが、自分の生涯をかけた趣味でもあることを改めて知った。自宅に帰り、今度はT氏に電話で書類の書き方アドバイスを受けるだ。なんだかこの休日はあわただしかったので水泳は無し。
11月12日(土曜日)
へとへとで関西空港に降り立った。だが目が冴えたままで、帰りの電車の中で「アジャストメント」を観た。この映画は、選ばれた人が本来持っている人生を生きらるように、超越した組織が、その人の人生をコントロールする話。具体的にはこうだ。今、荒廃した世界を立て直すには、若くて才能のあるアメリカの大統領が必要だ。それでデヴィッド(マット・デイモン)が選ばれる。しかし、彼は、彼の人生を曲げてしまう美人のエリース(エミリー・ブラント)に出会ってしまう。当初の予定ではこのプランはなかったのだ。さぁ大変なのは、この超越した組織だ。いろんな妨害をして、彼女との接点を断ってしまおうとするが、それに気づいたデヴィットはますます意固地になって、エリースに接触しようとする。マットディモンは、政治家などの動きのない映画には似合わないと思っていたが、後半は組織との戦いになるので、本来のアクション映画に入っていくという設定だ。大腸両候補になる優れた人間が、スポーツ系に進化を発揮するというのはちょっと腑に落ちないが人物設定だが、そんな突っ込みはハリウッドには通じない。この映画のテーマは人の人生は決まっていると言う下りだ。最近僕の人生に大きな波紋が押し寄せているが、それはあらかじめ決められていた事だろうか?と言う事にこの映画を観て触発された。もし、それなら、もっと自分の思うがままに積極的に生きることが大事なんでは?と思いましたね。家に帰り着き睡眠の後、ヨドバシカメラへ。友人のF氏がPCを買うのでそれにお付き合いだ。国産機のディスクトップは、価格が高い上に、性能がいまいちだ。10万円を切る価格帯にはもう国産機は存在しないことを始めて知った。TVも国産機はほぼ撤退の方向が見えてきたが、ディスクトップのPCは先を行っていたということだ。結局購入したのは本体がレノボでモニターはLGとなった。そして、F氏の家にお邪魔してPCの入れ替え作業だ。古いノートPCから、ディスクトップ機にデーターやアプリケーションを移していくのだが、私がwindows7になれてないため、ずいぶんと時間を要して何とめどが見えたのは9時半を過ぎてからだ。それでも見切り終了だ。この夜はもう帰ることもできず、F氏宅でおいしい夕食を頂きながら懇親。ところが、この夕食がものすごい手の込んだ料理だった。その上材料が鯛を使っているところをみると東京のレストランで1万円程度ですね。ビールとワインも頂いたので、〆て。。。今週は、レーマスさんのご家族でご馳走になり、ベトナムでツングさんに安いが、すごいベタな現地食をご馳走になり、そして日本でF氏の奥さんによるすごい料理と立て続けにグルメづくしだった。なんて幸せな1週間だったのだろう。
11月11日(金曜日)

昨晩は結局飛行機が遅れた上に、ハノイの空港では荷物が出てくるのが遅くてホテル到着は午前12時半となってしまった。今日は日本に帰る予定なので、日帰りとなるハードな旅になった。ハノイは交通の停滞が激しいため、7時半にホテルを出発するという。睡眠時間は5時間程度、それなのに、午前4時過ぎに大きな音量で何か放送をしている。共産主義の国は何が正義かわからないので、迷惑この上ない。このホテルは前回宿泊したときには、ラジオ体操の音で起こされた。窓の締りが悪い上に、ガラスが薄いのだ。やれやれだ。ホテルの朝食はホー。こちらは麺の入ったどんぶりをくれるので、その上に、肉や野菜を自分の好みで盛り付けて、コックさんに渡すと、それを沸騰したお湯の中につけて、湯がく、それを先ほどのどんぶりの中に戻し、おつゆを加えて出来上がり。あのなぁ兄ちゃん、野菜と肉とはせめて違う容器で湯がけよ。案の定このホテルのホーは味の程度が低かった。外に出て屋台で頂いても良かったのだが。仕事は、昼過ぎに終わり、食事に出かけた。事務所のビルに隣接するレストランんで、ご飯と、魚の煮込み定食を頂いた。仕上げにベトナムコーヒー。昨日も感じたベトナムコーヒーの甘さは、どうやら、砂糖が入っているのではなく、もともと甘い味がするようだ。カップに1/3程の量しかない。トルココーヒーとどちらが濃いの?と聞くが、どうやらベトナム人はトルココーヒーを知らないようだ。事務所に隣接するベトナム初のショールームに出かけた。なかなか親しみやすい女性が応対してくれた。さすが、ショールームの女性はきれいな英語をしゃべる。小学生の団体が尋ねてきて、いろんなゲームを楽しんでいた。僕は文字が分からないので、システムを理解するのに時間がかかった。ベトナムのショールームは楽しい。その後荷物を積み込んで夕食に出かけた。今回は適当に入った店だが、今まで食べたことのないメニューだった。更にベトナム料理の奥の深さを知ることができた。一つは、餅米をつぶしてペーストにして、これを生春巻き用のタレに浸していただくもの。ビールはハノイビール。実はこのビールがなかなか旨い。料理に合うのだ。次は日本のハランに似たようなしっかりとした「葉」に包まれたいた蒸し料理、中身はもち米のペーストベースに、魚の肉を細かくして散らしてあった。ナカナカ芸が細かい。この料理で僕はビールを2本飲み満腹を得て空港に向かう事になった。空港は問題なくクリアーしたので、あまりにも時間が空いた。それでフットマッサージに入った。30分18ドル。女性が一杯いるのに僕には兄ちゃんが対応してくれた。ところが、この兄ちゃんの手が大きく、力強く、丁寧で申し分のない内容。痛いか?日本語で聞いてくれるので、痛くない、と答えた。分かったのだろうか?それでも待ち時間は長く、待つのが大変だ。日本時間の午前2時半予定通り飛行機は出発した。そして飛行機の中ではあまり眠れない。
<若い奥さんに断ってボクチャンの写真>
11月10日(木曜日)

今日は出発が早いので、目覚ましを少し余裕のある5時にかけた。それで朝風呂に入りすっきりしてから、ホテルの朝食を食べに出かけた。もちろん朝飯はホーだ。それに、珍しいフルーツと、ベトナムコーヒー。どれも実に旨い。インドのデリーにある「リーラホテル」(5つ星)では、ベビーな興味深い朝食を頂いて、すっかりインドの印象を良くしたが、ベトナムはこのようなスペシャル料理がないのにもかかわらず印象がよい。それは、味付けが日本食に近いからだと思う。その後ホテルの周りを少しだけ散歩した。行く先は市場。この市場は夜中も開店していると言う観光名所。新鮮な肉や魚、野菜が一杯だ。アジアの活気はやはり食べ物だ。路上の屋台ではホーの販売も始まっていたが、本屋も店開きをしている。一般的には他の国では屋台の業態には本屋は存在しない。だが、ここでは存在する。ベトナム人は勉強する国民なのだろう。だからいずれこの国は中国を抜くだろう。日本もかつては多くの人が本を読んで勉強をした。しかし、昨今は本の業界は不況の風が吹き大変な状態になっていると聞く。ベテラン編集長がコンビニでアルバイトをしているとか。日本の経済が政治の舵取りのまずさでだんだんと低下しているが、それ以上に根本的なところから日本の国力が低下してきている。それが読書の減少だと思う。と言う事で少しの間の散歩だったが、ベトナムの国力を垣間見た感じがする。午前中の仕事を終えて現地の人に連れられてちょっと照明が暗いレストランを訪問した。注文は任せたが、「くうしんさい」の炒め物以外は名前が分からないものばかり。だが、この食事もなかなか興味あふれるもので、観光旅行ではたぶん目にすることができないようなものだった。氷の入ったお茶が出てきたが、これだけをパスすればなんら問題ない。午後の仕事を終えて、次の移動までの1時間の空き時間に近くの電気店を訪問した。その前に、コーヒー店でベトナムコーヒーを飲んだ。50円だ。以前友人が東京でベトナムコーヒーを飲んで、1,400円もかかったメールを頂いたが、店の環境に差があるとはいえ、この価格差に唖然とした。味の比較はできないが、僕的にはナカナカコクも香りも優れものと評価した。そのママさんを撮影した。その後に、ホーの店に入った。正確な名前は「ブンボー・ホエ」と言う。見ているとナカナカおいしそうで、店のおばさんの愛嬌がいい。全く言葉が通じないものの、とにかく座れ、これを食えというのだ。気持ちが伝わってきます。商売上手と言うのはこういうことをいうのでしょうね。どんぶり一杯のヌードルに、生野菜を積み上げた皿がつく。要はこの野菜の皿を、ヌードルに入れて食えと言う実に単純な選択肢を提供してくれる。それから、我々は空港に向かった。午後7時出発の便は遅れに遅れて午後9時半過ぎに出発した、遅れたお詫びに食事券をもらった。指定のレストランに行くと、先客がラーメンを食べていたので、同じものを注文した。日清のインスタントラーメンに、肉や野菜を刻んだものを追加したような料理だったが、まずまずの味だった。今日は朝、午後遅くに、夕食と3食をヌードルで仕上げた。3麺だ、こんなにおいしいものをくったので、皆さんに謝りたい気分だ。サンメン。(ゴメンのつもり)
<ブンボー・ホエ食のご主人>
11月9日(水曜日)

このホテルは朝食がないタイプの契約だから外に食べに出る事になる。シンガポールは外食文化だから、食べ物だけは非常に安い。昨日訪れた店で、今度は朝食みたいなものがあったので買った。中身は太目のモヤシみたいだが、素材はうどんの切れ端のようだ。これをベースに、にんにくと野菜に甘いタレで味付けをしてある。これもとても旨い。100円以下のお金でこんなものが食べられるとは信じられない。7時15分タクシーで空港に向かった。8時前には空港のラウンジでPCを開いていた。イミグレのおばさんは僕を見ておはようございます。僕の容姿は典型的な日本人だろう。と思ったが、パスポートを見れば分かるのだった。何のことはない。ベトナムのホーチミンへは、1時間半で到着する。ホーチミンでは会社のツングさんが出迎えてくれた。初対面だ。なかなか利発そうな顔をしている。昼飯の時間だったが、まずは事務所に向かう。シンガポールとここは1時間の時差があるので、まだ昼飯前だったのだ。食うことばかりしか考えてないように見えるかも知れないが、朝飯と昼飯の間に7時間もの空白時間があると腹も減るということだ。昼飯はホーの店に連れて行ってくれた。ここでは「ホー」と言っても通じない。感じとしては「ファー」に近い発音だ。つづりは「PHO」。この店ではないが同じ名前の店に来たことがある。なかなかホーが旨い。ラオスのホテルで食ったものも旨かったが、ここのは又別の旨さだ。飲み物はココナッツジュース。午後の打ち合わせを行ってから、ホテルに帰った。僕の感覚ではもう9時だと思ったが、午後7時だった。ホテルのフロントマンに伺い、ベトナム料理の旨い店を紹介してもらう。歩いてゆくと、外国人がたむろする店があった。きっとここはガイドブックに掲載されている店だろう。ベトナム人の客はいない。僕の趣味ではないが、もう別の店を探す気力はない。だが、旨さは格別だった。きっとこの店は旨いということでの評判だったのだろう。焼きそばと野菜炒めをいただいた。注文した後、他の人の注文を見ていると、あれも食いたいこれも食いたいと気持ちが揺れますね。だが、料理は食いきれないほど出てきて他の注文は断念した。30万ドン。二人で1,500円です。ベトナムでは5日間ほど滞在しないと、主な料理を賞味できないようだ。
<ナハングと呼ぶ有名な店で夕食>
11月8日(火曜日)

昨晩は酒をたらふく飲んで寝た所為かずいぶんと早く目覚めた、きっかけは雷だ。ものすごい雷の音と、窓を打つ雨が睡眠の深い淵から引き上げてくれた。こちらは雨季なのだ。ホテルから少し歩くと、朝飯屋さんが開店しているので、そこで頂こうとの魂胆だったが、目の前のビルに移動するのにもバケツのそこが抜けたような雨なのだ。しばらくすると小雨になり、ホテルで傘を借りてでかけた。ちょっと食べなれない朝食屋さんが開店していた。ミスタードーナツに良く似た、中国風のファストフードの店だ。後でレーマスさんに聞けば、有名な店だとのコト。カレーパンとユートピアン(餡入りの餅)を買った。実は疑心暗鬼のこの食べ物はすごくおいしくて、残そうかなと思っていたのだが、全部平らげてしまった。事務所で引継ぎの後、昼食はベトナム人のカレンさんを誘ってフードコートへ。チキンライスの店だ。これは旨い。シンガポールにはチキンライスの店が多いが、ここは格別だった。チキンライスとは、鳥を塩味でゆで、そのスープでご飯を炊き、鶏肉は、少しスパイスをかけていただくもの。日本のチキンライスとはちょっと違う。その後レーマスさんと、リトルインディアに出かけた。この街は危ないので、荷物は全部ホテルの部屋に置いておくと良いという。リトルインディアと言うのはインド人が移住してきてここに小さな街を形成したというのだ。中心のショッピングセンターはムスタファと呼ばれる。ここに一歩足を踏み入れたとたん、これは僕にぴったりの店だと感じました。ありとあらゆる安物がそろっている店で、アジアの百貨店ですね。日本の百貨店のような洗練さはなく、どちらかといえば「ドンキホーテ」のような店作りだ。レーマスさんは一時このビルを離れるが、ディナーの時に帰ってくるというので、ここで3時間ほど待っててくれと言う、危なくはないか?「このビルから出なければ安全だ」。楽しくて楽しくて。少しだけインドの音楽を買いました。夕食は羊肉のスープとご飯。彼は僕にヤギの肉は食べられるのか?と聞くので、ヤギの肉は沖縄でしか食べないので、あまり経験がないと答えたが、実際は羊だった。この独特の味は旨い。肉は甘みがあるので、一緒についてくるチリソースに少し浸しても良い。今日は朝から旨いモノ尽くしでありました。帰りはホテルまで歩こうと言う。今の時間帯はタクシーがとても高いのでとも言う。シンガポールは午後8時までの間はタクシーに特別料金が課せられるのだ。ホテルの手前で、おいしいデザートの店があるという。これは豆腐のデザートだと。杏仁豆腐風で、本当の豆腐が入っている。
<リトルインディア街>
11月7日(月曜日)

朝4時起床。地下鉄とJRを乗り継いで新大阪に6時までには到着しなければならない。重い荷物を抱えて歩いているとタクシーが来たので飛び乗った。この手があるのを失念していた。無事新幹線始発に乗り、名古屋下車。乗り換えは金山が便利だとあるので、そこまでJR。ここから名鉄特急セントレア号で名古屋国際空港へ。名鉄電車は狭軌道なので速度が上がらないだろうと速度掲示板を眺めていたら、80kmくらいは出ている。交通停滞がないのでやっぱり車よりは早いのだ。この新空港は非常に分かりやすい。私はここを日本の玄関とすべきだと思うのですが。シンガポール航空で6時間半の飛行。途中2度ほど居眠り、後はレポートをまとめた。隣の人も一生懸命原稿を読み返していた。めどが付いたところで、映画「アレクサンドリア」を見る。iPadで。今回のホテルは初めて自分で予約したところ。シンガポールの友人からディナーの件でメールがあり、ここから地下鉄に乗ってENOUSへ来てくれと書いてある。さて、地下鉄はどこだ?切符はなんぼだ?この地下鉄の切符はまことに不便だ、合理的なシンガポール人とは思えないシステムだ。途中でそのレーマス君から催促のメール。少し遅れて再開した。何と、彼は車で来ていて、車の中に彼の両親と奥さんが乗っていた。家族でディナーをするのにお招きいただいたのだ。シンガポール人は自宅では食事をしない。外食の設備があまりにも整い、そして安いからだ。だから彼等の食事に付き合うということはすなわち外食に出かけるという意味だ。車でくるくると回ったので、どこに行ったのか不明だが、シンガポーリアンが好む有名なフードコートにつれられたのは確かだ。たくさんの店が並び、たくさんの人が食事をしていて、まずはテーブルを探すのが一苦労だった。そして、ここで待っていてくれといわれるのでしばし待つこと5分、まずは彼のお父さんがビールを抱えて現れた。彼は福建語しか話さないが、気持ちは十分伝わる。「kanapai」からはじめた。しばらくすると今度は奥さんが帰ってきた。有名な魚料理を注文したというのだ。間髪を置かずその魚が届き宴会は始まった。先週結婚したこの新婚さんの状況を聞いた。290名の参列者がいて、そのシーンをiphoneに録画したビデオで見せていただいた。すごいの一言。どれだけお金をかけているの?と思わず聞きたくなった。夕食はとにかく食べきれないほどの料理が出てきて、お父さんと何度もビールの乾杯をしたものだから、僕のおなかは満腹状態だった。そして、最後の仕上げにヌードルを(ラーメンですね)。これは半分レーマス君に食べてもらった。これが中国式の歓迎か。いやいや文化が違うと言えど気持ちは良く分かる。うれしい悲鳴を上げましたね。
11月5日(日曜日)
ぐずついた天気

就活の為の経歴書を作成しているがなかなか簡単ではないですね。無い頭で自分の足跡を文字に落とし込む作業というのは一筋縄ではいきませんね。昔だとこういう文章を作成するのはものすごくストレスを感じてたのに、今では結構楽しんで取り組んでいる。頭を悩ますような負荷があると落ち着くというのも困ったもんですが、雨音を聞きながら作業を進めた。雨音も落ち着きますね。昼飯にパンを焼いた。パンと言ってもホットケーキのような感じのものだが、これが今までの中で最高傑作的に仕上がり、今日一番のビッグニュースとなった。コツは弱火で焼くことですね。夕刻プール。きっちり3km。今日は割と空いていてスピードを上げたせいか、1kgの減量だった。乾ききってない洗濯物を取り込んで、今日の行事を終えた。明日は関西発の飛行機が取れず、名古屋からの出発になるので、4時起床だ。
11月4日(土曜日)
今日の三部作
お金の話し合い。子供の入学、今後の生活など、定年を控えてお金の算段をすることが重要な時期になってきた。妻とは共有しなければならないお金の打ち合わせが欠かせないので、話し合った。目先のことしか考えない妻のために4年間の収支を見せてあげたが、宵越しの金は持たない彼女の性格ではどうも全体像が見えないようだ。もう何度か説明が必要だろう。昼の新幹線で帰った。道中は「スワット」を見ながら。警官が立てこもり犯人を射撃するのが見モノの映画。スカッとする。だがどうして、この場面に登場する犯人は警官の携帯電話番号や、カウンセラーの自宅などを知り得たのだろう?どうして、ストーカーに忍び込まれた女性は、解放されるとともに自殺をしたのだろう?と突込みがたくさんある。意味不明なシーンも多々あるが、とにかく立てこもりの犯人を遠くから一発でしとめるのは痛快。大阪のヨドバシカメラでシンガポールのレーマス君から頼まれたiphone4sのケースを買う。なんとこのコーナーは人が一杯で身動きできない。汗だくで買い物をした。帰り、地下鉄谷町線に乗る。そして都島で電車が立ち往生。事故のためだ。仕方なく雨の中をバス停まで。そこで通りかかったバスで天満橋まで行って、それから関目4丁目までバスに乗る。大阪から自宅に帰るのになんと1時間もかかった。とんだ災難に遭遇してしまった。
11月4日(金曜日)
就活活動

定年後に備えて仕事を探さなければならない。そのために、今日はリクルートを訪問した。東京駅前にあるすごく立派なビルの中にそれはある。以前環境大臣の小池さんを尋ねたときと同じで、受付で名前を告げると、パスカードをもらえる。それを持ってゲートをくぐり、エージェントの面会に向かうのだ。面談して分かったのは日本の企業はほとんど就職の機会をもたらしてない、ホントに不況なんですね。一方では外国の企業は求人を募集している。TTPの合意ででいろんな業界がのっとられたり、農業がだめになったりするとは言うが、就職戦線の事とを考えると日本はもっと門を解放して、外国の企業に就職の機会を作って欲しいものだと思いましたね。その後、有楽町の東京フォーラムでインターナショナルオーディオショーが開催されているので、コチラを見学。ソーナスファーベルの2,100万円のスピーカーもあったが妙にいまいちの音でしたね。アキュフェイズでは、JBLのD66000を鳴らしていたが、やっぱりコレが一番素直だ。どうやら、我々はJBLのサウンドに洗脳されているかも知れない。今回のフェアは最先端の音が聞けるが、どれも、電源ケーブルや、スピーカーケーブルなど、超高級品で音を締めているので、昔の音になじんだ僕には少々音が硬めに感じた。もう少しゆったりと聞きたいと思いましたね。午後7時から11時まで同じビルで友人と懇親。3つの違うイベントだったが、なかなか興味深いものでした。<スピーカーで4200万、アンプ1200万>
11月3日(木曜日)
好奇心
今日はヘラルド新聞の購入日。この新聞は10月に価格が160円から上昇して200円もするようになった。この新聞の特徴は、写真がすごく旨い点にある。この新聞に掲載される写真は、写真展を開いてもそん色ない凄腕のカメラマンが撮影している。それは、海外の新聞も含めて別格のカメラマンがいるようです。だから、この新聞はまずは写真記事のコメントを読むことにしている。今日は目に付いたのがネパールの感謝祭のことだ。全然知らない新たな情報だ。さっそくネットにアクセスし、このイベントの由来を調べる。なるほど、インドのヒンズーの神様にささげるお祭りなのか。ウキペディアに掲載される英語は分かりやすく書かれていて、リンクもあるから、周辺知識も含めて知ることができる。新聞記事とネットサーフィンでいつの間にか時計は昼をさしている。今日はこの辺で終わらないと他にも用事があるのだ。他の用事と言うのは、来週月曜日から出張なのだ。それで、行く先のシンガポールと、ベトナムとの打ち合わせのメールが頻繁に飛んでくるのでコレへの対処だ。不思議な事に、もうメールは、そのまま読めるようになっている。返事も書いている。こちらは翻訳機で少し確かめているが、メールのレスポンスがあがったことだけは言える。今回シンガポールは知人のレーマス君が夕食の機会を設けてくれている。彼は先日結婚したばかりなので、新妻を連れてきてきての一緒のディナーとなるはずだ。彼女は彼がまだ付き合い始めた頃からの知り合いで美人のインドネシア人だ。そこで、自分の人生を振り返ってみたら、ふとした好奇心から英語の世界に飛び込んだが、思い起こしてみれば、すでに19歳の時に会社の中で3名の公募がありそれに挑戦している。もちろんそれから僕の運命は大きく変わった。ホンの好奇心で、軽い気持ちで人生を変えている。たぶんこれからの人生も、大きくこの好奇心が災いして大きく変わっていくことだろうと思う。
11月2日(水曜日)
自炊
自分で食事を準備して食べることを言う。のだが、もう一つの自炊があるのはご存知だろうか。それは本や雑誌を買ってきて裁断して、スキャナーで取り込んでiPadなどで読むことを自炊と呼ぶ。私はこの2つの自炊を行っている。一つ目の自炊は、だんだんとこなれてくるのにしたがって包丁で手を切るようになってきた。先週は小指、今週は薬指と順番に切っている。もう一つの自炊もこなれてきた。スキャナーもくたびれてきて、用紙を数枚噛み込むようになったので、今は手差しでスキャナーさせているが、それでも200ページ程度の雑誌なら10分程度で終えてしまう。自炊の良さは、データーに赤線を引け、自分の言葉でしおりをつけることができることだ。もう一つは文字を大きく拡大して読むことができることだ。年を取れば当然目が弱ってくるので大きな文字は歓迎だ。新聞記事もWeb記事もすべてデーター化して自炊に加えている。最近Web記事で感激したのはポーランドでアメリカの飛行機が胴体着陸したUSAトディーの記事だ。着陸時に車輪が出ず、胴体着陸を実施したのだが、この記事は実に文章が臨場感あふれれ、手に汗握る表現で書いてあった。多くの新聞記事はまじめで何の変哲もないが、外国の新聞には時々こうした文学的な要素も交えた記事にお目にかかれる時もあるのだ。
11月1日(火曜日)
決算発表
どうやら、日本の製造業は厳しい局面を迎えたようで、一律赤字決算の様相を呈してきた。もう国を挙げてこの状況から脱する策を模索しないと、地震の復興なども望めなくなってしまうし、ギリシャの財政赤字は対岸の火事ではなくなってくる。ちなみにギリシャの財政赤字は、160%で、日本の1600%に達した赤字と比べるとたいしたことは無いのだが。そして、この状態に至っても日本政府は重い腰を上げようとはしない。TTPにいたっては、まだ黒船が来る敵な拒否反応だ。のっとられる。では、ファストフード業界ではアメリカのマクドナルドにのっとられたが、国民は目くじら立ててコレを非難しているか?アメリカンダイレクトの自動車保険は安いが、これに国民は怒っているだろうか?アジアのあの豊富でジューシーで新鮮な果物を食べた私は、なんでこんなおいしいものが日本で安く食べられないの?と思うのです。元の話ですが、決算発表だ。決算が赤字となったのは、製品価格の下落があったからとか、円高とか、災害の影響とか、色々と言い訳を羅列した。でもよく考えてください、製品価格はメーカー自身が値下げをしないと絶対に下がらない。この場合それを他責のように表現してますね。私は、過去何度か経験したが、自分の成果を問うときに言い訳をして、評価されたためしがないのだが。世間には通用するようだ、それを日経新聞などもコメントもなく掲載する。いつものことだからマンネリで問題なしと言うことか。
10月31日(月曜日)
風に吹かれて

我が同輩のメンバーであるH嬢のご主人が亡くなった。長い闘病生活の末の結果だとのこと。そのご主人の年齢は私と同じ。お通夜の場所を確認すると平野だったので、これは自転車で近いぞと地図で確認した。会社を定時に終えて、急いで自宅に帰り服を着替えて自転車に飛び乗った。地下鉄中央線を越えて近鉄電車を越えて、もうその頃で1時間を過ぎていた。ヤバイと思ったがどうすることもできず、ただひたすらに自転車を漕いだ。一応のめどが立った場所にたどり着いたとき、自転車通学の女子高校生に尋ねた。八尾高校はこの向こうですか?そうですが、だいぶ遠いですよと。会場にたどり着いたときは、親族以外はもう誰もいなかった。H嬢は気丈さで耐えていた。病名は癌だったのでホスピタルの介護を受けていたようだ。それで、長い間お別れの時間があったとのことだった。子息はまだ高校生だ。帰りの道のりは、このショックを反芻しながらゆっくりと自転車を漕いだら、何と良い風が吹き抜けているのだろうと気がついた。僕はこの気持ちのよさを大阪に来て忘れていた。しばし気持ちのよさを感じながらあたりを見回すと、旨そうなラーメン屋があるではないか。おじさん向けではないのだが、こってりのチャーシューラーメンと半ちゃんチャーハンを頂いた。往復50kmは超えそうな距離を移動したので、コレだけの炭水化物でも何とかエネルギーのつじつまは合うだろうと自分を納得させた。
10月30日(日曜日)
坂口誠二のインドネシア
行ったことがあるインドネシアをTVが放映していたので録画して見た。インドネシア通貨は表示金額の1/100だから、びっくりするような金額でもよく考えれば問題ないことが多い。インドネシアは広くて、アメリカと同じくらいの幅がある。坂口さんはこの国はでかいと漏らしたが、その通りなのだ。ジャカルタから飛行機で約2時間弱でスラバヤに着く。物語はここから始まった。スラバヤで彼等は夕食を食べにホテルからぶらぶらと出かけたが、実はこれはとんでも無いことで、地元の人が付いてなければたちまち襲われるのだ。こんな事は語ってくれない。行った先のレストランは、やはり僕たちが食べたのと同じように、刺激あふれる知らないものと味だったようだ。そしてよほど高級なところでなければビールさえもない。坂口さんはビールを飲んでいたのだが。イスラムの国では酒は御法度なのだ。等々、抜けている情報を補いながら見てゆく。人なつっこい地元の人に誘われて観光巡りをするあたりなど、これはTVの為ではなく日常にあることなのだとか思いながら見るのだ。車から見る風景は、僕の知っている風景と良く似ていてすっかり観光を楽しむことができた。そして、ムーンとする熱気と殺虫剤の匂いがあれば、インドネシアそのものが味わえる。彼等が話す英語は僕にも理解でき、坂口さんと同じように返事をするだろうなと思った。
10月29日(土曜日)
そして誰もいなくなった
もし、人類が滅亡するとしたら環境異変ではなく、新種のウィルスが人類を滅亡に導くだろうと思われるのは、あながち小説やホラー映画に感化されたわけではない。それは、とりあえず置いておくとして、もしそうなったとき、人口が次第に少なくなっていく中で、自分だけが取り残されたとしましょう。周りには友人もなく、数少ない見知らぬ人達。超孤独で閉塞感が高い状態。もし、そんな環境に置かれた時、正しい精神状態を保っていられるのだろうか?と、ほとんど人が絶えた夕刻のプールで泳ぎながら想像した。その時私は思った。毎日行ってきたルーチンワークをそれが例え不要でもきちんとこなす。そして少しだけ今の環境にあった新しいことを付け加える。それがもっとも自分らしい環境適応だろうと考えたわけです。なぜこんな風に暗い話題になるかと言えば、関目界隈は人があまりいなく、昼までもひっそりとしている。それに朝から誰とも話してないからだ。少々異常な精神状態にある訳なのです。
10月28日(金曜日)
残り物ですが

今日は上司であるM氏のプライベト送別会を挙行した。と言ってもそこらの居酒屋で一杯飲むのだが。上司は大分クラスが上なので、定年月である来月は予定で一杯であろうと思い、秘書に相談して今日の運びとなったのだ。この店は梅田にある「湯浅港」と言う魚屋さん。魚が結構新鮮。刺身、煮魚、と順番に注文していった。最後に焼き魚となった時点で、従業員曰く、突然キャンセルが入りまして焼く予定だった魚が一匹残っているんですがいかがでしょう。2,900円の所を1,800円で。「それは高い」せめて「半額とは言わないが1,500円」にと言うことで交渉締結。その魚の名前は忘れたが、皮まで食べて欲しいと言われ一緒に頂いた。さすが、少々高い値段の付く魚だけに脂がのっているが淡泊でなかなかおいしい。皮が厚いだけに中まできっちりと火を通すのはさすがに魚屋さんだけあるなと、宵の冷めた翌日思った次第。
<たぶん、鯛系統の焼き魚>
10月27日(木曜日)
定期検診

今まで侮っていた歯科医を見直した。歯医者と言うのは歯が痛くなったときに駆けつけるものだとばかり思っていたが、どうやら医者に言わせるとそうではないらしい。歯ブラシだけでは絶対に取れないものがある。それを定期的にケアしていかないと、歯は悪くなるばかりだという。それは人生の半分を超した当たりに言って欲しかったな。と言うことで今日は歯医者で歯のケアを行ったのだ。綺麗な看護師さんが、痛くないように口の中を清掃してくれる。しかしながら2,700円という大枚をはたいた甲斐あって、なんだか歯の間にはざかっていたものが取れてすっきりした感じがする。非常に気分が爽快である。ある先輩が80歳までには最低10本の歯を維持したいと言っていたが、大切な教訓だと受け止めている。夕食にキャベツを刻んだものと、出汁ジャコ、昆布、ゴマをミキサーですりつぶしたものをミックスして頂いたが、疲れが取れるいい組み合わせだった。まるで良く効く薬のようだった。今日は2つ良いことがあった
<抜けるような青空、自宅住居前>
10月26日(水曜日)
旧知の間柄

名古屋で仕事をした1981年から1989年の7年間は主に守山区のマンションに住み、毎日酒浸りの生活をしていた。そして酒を飲むというのはこの時代に覚えた。会社が終わる5時半にはもう帰る準備をして、6時には近くの居酒屋で呑んでいた、9時には女子大小路か錦のバーに繰り出していた。しかも体調コントロールができた月曜日の晩からこの行事を行っていたのである。その飲み友達の一人のH氏と今日は関目にある、「淑」で呑んだ。半分昔の事、半分家族のこと。お酒が回るに従い、同じ話の繰り返しになるのはおじさんの得意技である。どんどんと時間は過ぎていく。もう一人、名古屋に住んでいるT氏の事が話題になった。最近話はしてないのだが元気だろうか?と。この店の魚は一級品である。イカの刺身などほぼ透明状態。関目だから僕たちが通えるが、もし東京なら僕たちが敷居をまたぐことが許されない味がある。供される日本酒も特殊銘柄。何処を切っても高級店なのだ。午前中は「咲くやこの花館」で業務用の写真を撮影して、結構活動したので、この夜はお酒と疲れとでよく眠れた。
<大阪の夕暮れ>
10月25日(火曜日)
玉突き現象
来月はシンガポールのイベントに参加する予定だった。しかし、タイの洪水でいろんな所に被害が及び、イベントをする状況ではなくなってきた。そして、僕の出張も頓挫したと言うわけだ。1990年にバブルがはじけた。その10年前にベルリンの壁が崩れた。そして多くのマスコミや書籍ではこれからグローバルな時代がやってくると言った。昔の人は偉かったですね。その通り、まさにグローバルな時代がやってきて、自分の価値が世界の人と比べて少なければ、お金が減るし、仕事にもあぶれるようになった。学校での競争はそのクラスの中で成績表が決まる、せいぜい多くて40人程度だ。しかし、今の世の中は先進国8億人、中国12億人、東南アジアやインドは20億人、南アメリカ、アフリカ、ロシアで5億人。ざっと45億人の人達と知恵比べスタミナ比べをして勝ち残らなければ、リングから下ろされるのだ。リングから下ろされると、年齢にかかわらずなかなか復活のチャンスがない。こころ穏やかに、他人に親切に生きたいのだが、どうやら気を張って、人を押しのけて生きることが現在人の生き方であるようなのだ。
10月24日(月曜日)
刺激的な毎日

タイの洪水は毎日新しいニュースを運んでくれて刺激的であるが、私の身の回りも毎日新たな情報が伝わってきて刺激的である。とりわけ、会社が大変傷んでいるニュースは日を追う毎に大きくなっている。その原因はと言えば、せっかく松下幸之助さんが見いだした魔法の手引き「経営基本方針」が上に行くに従って守られてない事によるものだ。例えばこんな事が幹部からの発言で報道されている。「テレビは数を作っても儲からないことが分かったので事業を縮小する」。幸之助さんは「儲かるとか儲からない」とかは終生一切言わなかった。どういったかと言えば、「社会に役立ったのか役立ってないのか?」全ての指標がここにあった。ジョブスもこういった、「おもしろいのか、おもしろくないのか」。世の著名な経営者の指標は最終需要家にある。でも、そうでない人は自分所の財政にあるのだ。TTPにしてもそうだ。反対議員の多くが「票や党」の為であると言う。「国民のため」ではないのだ。今や専業農家は少なく、ほとんどが兼業農家、農業の他に従事する仕事は、第2次産業だ。彼等も製造業が無くなれば困るはずなのだが。第2次産業はもう日本での物作りをあきらめている。その証拠にタイの洪水ではもすごい数の製造業が被害にあっているのが報道されている。しかし驚いてはいけない、もっとスゴイのはインドネシアだ。次にベトナムが控えている。ベトナムの勤勉さは、周辺国でも認知されているのだ。たぶん日本の製造業はこの5年の間に壊滅するだろう。製造業はTTPのある国に出資している。TTPに反対を唱える人達はこの海外工場の雇用の実態をご存じだろうか?と思うわけである。そして、これらのことが身の回りに多かれ少なかれ降りかかっているのだ。明日は我が身である。
<これが470円 もとや食堂>
10月23日(日曜日)
ペネロペ・クルス

映画「ボルベール」を見たときからこの女優に美形に魅せられた。それ以降、「それでも恋するバロセロナ」を見た。そして今日は「抱擁のかけら」を見た。アンジェリーナ・ジョリーの唇は「ツーリスト」で感極まったが、このペネロペ・クルスの唇もいかんともしがたい魅力がある。大衆のなかにぽつんと一人たたずんでいても存在感があると私は思うのだが。次はパイレーツオブカビリアン/生命の泉でもうすぐお目にかかれる。だんだんとメジャーな映画に出演してくるようになった。今回見た「抱擁のかけら」はイタリア映画で、言葉の理解はほぼ不可能。実業家の秘書兼妾だったが、女優志望で映画を撮影することになる。ところがこの映画監督と恋をしてしまう。妻も子供もいるのに。そして僕もこの人なら、例え他の人の手あかが付いていたとしても全てを投げ出しても恋に落ちても良いと思わせるのである。映画のシーンはその代償として、この監督は光を失い、恋人を交通事故で死なせてしまう。そして、この映画は美人薄命と言いたかったのか。それとも、この監督を支える妻と子のけなげない愛を伝えたかったのか。
10月22日(土曜日)
人生の終盤に向けて
人生設計セミナーと言うのがある。これに申し込んでおいたら、いつの間にか月日が経過して本日開催となったのだ。この内容は、定年後お金をどう管理するのか。定年時に必要な手続き等の説明をしてくれる。説明している人は何度も同じ事を話しているのですらすらと流暢だが、初めての聞く人は専門用語の羅列なので、文字から内容を判断することが非常に難しいのである。英語のように単語で判断するものなら、おおよそが分かるが、普段使わない漢字で概念を判断するには難しいと言うことだ。僕はエクセルシートで当面65歳までの収支をシュミレーションしていたので、それに少し支出を追加するだけで、全容がつかめるようになった。汗ばむような陽気だったので自転車で出かけたが何と帰りには雨が降っていた。久しぶりに土曜日のプールに行ってみれば、例のオーストラリア人が来てて、少し話した。かれは肩を患い、速度が余り上がらないようだった。
10月21日(金曜日)
テクニクス会

今日は昔の職場の仲間である飲み会。年に一度秋に開催される。荻野営業部長を筆頭に集合する。荻野部長より出世した人は多いが、今でもみんな荻野部長の部下である。毎年定年を迎える人達が主役であるが、久しぶりに会うことが多いせいか、ほとんど主役の話は聞いてない。最高年齢は78歳。現行の社員は5名程度。最近では女性の参加もある。子供連れでおじいさんの会にも華がある。懐かしい人にも会うが、名前が出てこない方もいらっしゃる。次回は是非名札を用意してもらいたいものだ。先輩が口々に言う。人生は長いぞ。趣味が一つでは足りないぞ。その後、特に親しい、友人と飲み直しに向かった。そこで僕は定年後に農業をすることを強く勧められた。農業は作物さえできれば販売については絶対に革新的なものが見つかると言うのだ。僕は子供の学費のために、どうしても確実な収入先を見つけなければならない。そのために安定的な収入が欲しいのだ。一方父がまだ健在な時に農業の基本的な事は習いたいし。非常に迷うわけである。
10月20日(木曜日)
Mr.Chino

フィリピン人、僕の教え子。かれが始めて日本に来る。僕に会いたいと言う。僕の今週は忙しいと返したが、どうしてもと言うことで、唯一の空き日である本日彼をつれて大阪の街にくりだした。と言っても夕刻食事に連れて行っただけですが。彼はフィリピンの販売会社に今年2月入ってきた。以来彼にいろんな知識を授けているが、なかなか優秀な人間で、僕のブロークン英語の情報を結構理解するのだ。人相はいかにもフィリピン人だ。場所は第一ビル地下にある、知る人ぞ知る、刺身のおいしい店に招待した。フィリピン人は刺身OKです。この店は朝湯浅港で上がった魚をご主人が来るまでここまで運び料理するのだ。だから日によってメニューは変わり値段も変わる。このご主人はどんな人にも愛想がよい。もちろん外国人も分け隔て無く大阪弁でしゃべるのだ。僕の心許ない通訳で伝えるのだが、ご存じのように大阪弁は早い。僕の頭はそれをショートカットして伝えるしかない。いはや大変な食事会となったわけです。それに魚の種類を説明するのは難しい。ビール、焼酎、日本酒を飲ませてあげたら、ビールが一番だと。フィリピン人は普段サンミゲルのビールしか飲まない為だと思う。仕上げは別の店で長崎チャンポン。豚骨スープも頑張って飲んでいた。
10月19日(水曜日)
スリランカ

今日は友人の友人達の集まる懇親会。肝心の共通の友人は欠席のままで。だから、ここの人はその友人がいないとつながりがない関係だが、今では何回か懇親会を重ね、ごく普通の飲み仲間として成長した。懇親会の会場は毎朝の徒歩通勤で、女将さんが店の掃除をしているとき、いつも顔を合わし挨拶をするようになった野江にある「柿もと」と言う居酒屋さんだ。住宅街の真ん中で静閑な場所であり、普通の人がこの店を探し当てるのは難しいと思う。そこで飲んだ。その中の一人はスリランカ人の女性である。背の高い女性なのに、椅子に座ると少女のように小さくなる。そうです、足の長さが全く違うのです。彼女の両親は子供をいろんな国に留学させた、一人はアメリカ、一人はイギリス、一人は日本。今日のお相手は日本に留学させた娘である。僕はスリランカをもう9回も訪問するスリランカ通なのであるが、まだまだ知らない事について聞くことにした。特に日常生活のことを。靴は脱ぐのか、靴のままか?家人は靴を脱ぎお客様は靴を脱がないと言う。僕の頭では混乱が起きる。どのように考えたらよいのだろう。お酒をようけのんだが、不思議と酔わなかった。
<秋も終盤が近づいた>
10月18日(火曜日)
仲間達

冷静に自分の周りを見つめてみれば、力になってくれる人達が沢山いることに気がつく。お金を貸してくれとか、せっぱ詰まった要求は難しいかも知れないが、私がまだ活発で落ちぶれてない状態なら、力を貸してくれる人達は多い。そして普段はそんな仲間の存在も空気のような感じで接していてありがたみに気がつかない事も多い。たぶんそれは、不満の多い日本の社会システムにもよその国からすればきっといいことも多いはずだ。つまらない駄作の映画にも、視点を変えて冷静に見れば山のような哲学がちりばめられていたりするかも知れない。それらと同じような気がする。私の視線がいつ変化したのかどうも不明だが、ぱぁ〜と明るくなったように見えるのは人生の終盤を迎えたことと関係あるかも知れない。最終には高知の片田舎で、そのような仲間ばかりが集まった集団生活をするのが夢である。しかし、僕の好きな仲間達と言うのはごく普通の人が少なく、非常に個性の強い人達ばかりである。そんな人達が集まればどうなるのでしょうか。
<朝見る月>
10月17日(月曜日)
企画書

すばらしくデザインされた企画書。要点も点いているし、分析もしっかりしている。そんな優れものをコレまでずいぶんと見てきた。それなのに、いざ実際に自分が書いてみると、なかなか要点を点いた企画書はかけませんね。どこかに盲点がある、例えば、この文章の中に自分の思いがありったけ含まれてないとか、とことん考え抜いてないとか、リスクを取ってない。など、欠点が多い。指摘されればピントは来るものの、その文章を見て自分ではそれが見抜けない。だが、僕の書く企画書は実行するという点において自信がある。そのシーンが目に浮かぶからだ。自信があるのにそれを文章にして人を説得できない。じれったいですね。それでも今日は、長年暖めてきた考えをぶつけて文章化してみた。世の中でよく言われる「企業家の精神」で書いてみた。それが世の中で通用するのかどうか?問うために。
<通勤途上の飼い犬 すっかりなじんだ>
10月16日(日曜日)
マイケル・サンデル博士
アメリカハーバードで相当有名な人類学の博士だ。心理学から経済を分析した本を書いた。この人の司会で、アメリカのハーバードの学生、日本の東大生、中国の大学生を集めて、討論を行った。議題はオサマビンラビンを射殺したのは正義かどうか?もし、アフガンで侵攻しているとき、丸腰の羊飼いに遭遇したとすれば、殺すのか、逃がすのか?等々テーマを設定して、意見討論を行うものだ。日本の東大生がすらすらと英語をしゃべったのは帰国子女のような感じ。できない人は日本語で対応した。中国の大学生は全員が英語を話した。そして、意見討論では、アメリカと中国の学生は同じような反応を示し、日本だけが彼等と反対の方に手を挙げたのが多かった。彼等にはまだ背負うものが何もないのにかかわらずこうした反応が出るというのは、やはり日本は相当特殊な国であると言うことだ。グローバルの時代に取り残される要素が確実育ちつつあると感じましたね。
10月15日(土曜日)
ラオスの写真整理
ここで大きな仕事をしたわけではないのに、ラオスの印象がものすごく強く脳裏にこびりついて離れない。ラオスでは1,954枚の写真を撮影した。もちろん僕以外の人が撮影した写真も含まれるが、それらを一枚一枚整理して抜き出し、アルバム化しようとしている。どうしてこの国のみ、そんな印象を持ったのか考えている内に行き着いた先は、昔の原風景があり、人の心もまだすさんでないと言う、昔の良さを見いだすことができたからではないかと思っている。文明社会にいると、それだけ知らず知らずのうちに心が荒廃して小さなキャパシティーでしか物事を見ることができなくなってしまっている。そのことがこの国にたたずむと分かるんですね。だから、しばらく経っても想い出として残り、写真をクリックすれば、その時の空気までもが想い出されるような感じがするのです。この国ではあちこち観光するのではなく、ぶらぶらとのんびりするのが良い。言葉は絵を描けば何とかなる。
10月14日(金曜日)
久しぶりの読書

やっとまとまった雨が降った。朝は徒歩で向かったが帰りにはとうてい徒歩では帰れない程の雨が降っている。夕食はインスタントの焼きめしで仕上げて早速先週買った「ジェノサイド」を読み始めた。これはアフリカのコンゴで新人類が誕生し、現世の人類とは比べものにならない頭脳を持っている。特に数学の分野においてだ。これが意味することは、インターネットのセキュリティーは全て破られると言うことだ。そしてコレを知ったアメリカはこの新人類の殺傷に特殊部隊を派遣する。一方日本では、父の遺言によって難病を治癒する薬の開発を始める青年、小賀研人は、このコンゴに居る新人類と連絡し合い、ことを進めようとする。そして特殊部隊の一人にこの薬でしか直せない子供を持つ父が参加している。このように複雑に事情の入り組んだ展開ではあるが、非常にわかりやすく書かれていて、一度頁をめくると止められない魔力を秘めている本なのだ。作家は日本人なのにアメリカのブッシュ大統領らしき登場人物を設定し、この人の性格をかなり深読みするキャラクター設定している。心理分析でも結構楽しめるのだ。と言うことで、この日は酒も飲まず深夜まで、雨音を聞きながら読書にふけったのです。
10月12日(水曜日)
昼飯の問題

出張中はどうしても肉類が多くなるので、自分で選択できる食事はできるだけ野菜と魚中心にしようと心がけている。そして今日の会社のランチもその方向で選択をして、いただいた。ところが毎朝1時間少々の徒歩通勤のカロリーは結構高く、これだけの食事では足りず、夕刻は空腹で死にそうになっているのです。それに帰りも徒歩となると、我慢の限界を超えてしまう。と言うことで昨日も今日も自炊の禁を破って帰りの道中にあるメシ屋で晩飯をかき込むことになった。コチラに来てもう3年を過ぎ、5−600円でも満足できる食事の店をいくつか見つけた。今週はそれのローテーションで間に合わせるつもりだ。
10月11日(火曜日)
タイの洪水

大阪でもキンモクセイの匂いが強くなってきた。あっという間に秋も過ぎてゆく。熱帯の国には季節毎に香るこうした花はない。いつも花が咲いている感じだ。熱帯と言えば、先週通過したバンコックは洪水により大変な事態となっている。会社は出張禁止命令を出した。タイを上空から見ると、大きな水を張った四角い池のような敷地が随所に見られる。何かを飼っているのか水田の水なのかは不明だが、この国は一帯が湿地であるのだ。南北の高低差がなく、水は余り流れない。ワット・アルンの寺はチャオプラヤー川沿いにあって対岸への船着き場でもある。そこが水浸しになっている映像を見た。水浸しになっている水で洗濯をする人もいるから、タイの人々にとっては、僕たちが心配するほどの打撃ではないようだ。あからさまに言うと叱責をうけるのだが。
10月10日(月曜日)
塔の上のラプンチェル
昨日届いた3D−BDを見た。まぁ何とも言えない綺麗な色遣いで没頭してしまう。この世にこんな綺麗なモノがあったのかと言える程の感動だ。ところがクライマックスの光のオブジェを飛ばすシーンでは、もう明確にクロストークが出まくりでちょっとちょっとと言うほどの酷さであった。3DについてはPDPが一番優れているはずだが、まだまだ改善の余地ありだと思いましたね。しかし一方で、この光のオブジェクトはグーンとせり出してきて、2m程離れて見ているのに、まるで手に取ることができるほど目の前に迫ってきた。このせり出し感には脱帽です。世の中では3Dが余り評価されてないようですが、一度この3D体験をすれば、BDディスクは3D版を買ってしまいますね。2D→3D変換は、いただけない。誤動作で目が疲れる。3Dは本物のディスクやサイドバイサイドの放送で見るべきだと思う。FBにスリランカとラオスの写真集をアップロードした。FBは海外の知人を対象としているので英語表記だから、休日の貴重な時間を使ってしまった。
10月9日(日曜日)
後ろ向き

世の中には後ろ向きが良い場合もある。散髪屋さんの洗髪なんか今までさんざん前屈みだったのが、寝るスタイルとなり、頭が固定されて結構強く洗ってくれるようになった。画家が長生きするのは絵を描くときに後ろ向きに歩いているからだと言われる。長い旅に出ていて帰ってきてから新聞を読むには一番新しい記事から遡って読んでいくと、結構いい加減な取材をしているのが分かることもある。始めて来た道を逆にたどるには結構頭の体操になる事がある。最近体の調子がいいのは、この後ろ向きの運動を取り入れたからではないかと思っている。毎週プールで3km程度泳ぐのだが、最近、最後の10往復に背泳を取り入れたのだ。今までのクロールとは全く逆の運動だ。それ以降、時々背中から胸にかけて身を切り裂くような痛みが無くなったことだ。そして、寝ているときに足がつるようなアクシデントも消えた。背泳は、たぶん年とともに衰えてきている筋肉を少しだけ活性化させる働きがあるのだろう。スタイルの良い女性が結構背泳を取り入れているのはそのためかも知れない。午後8時前、申し込んでおいたパナソニック3Dテレビの景品が届いた。申し込みの時「景品は3週間程度お待ちいただくこととなります」と明記してあったが、3ヶ月後に届いた。そして遅くなったお詫びは一切書かれてなかった。ごく普通の会社になったんですね。
10月8日(土曜日)
ハイエンドショー

朝、娘が8時だと寝室のドアを開けた。昨晩は飲み過ぎて、電車の中で寝てしまいずいぶんと遠くまで行き、最終電車で帰り着いたのだ。家の中にはもう娘以外居なかった。ジャンパーの腹の中にすっかり隠れてしまった娘も、僕と同じ程度の大きさになっていた。朝飯を掻き込んで9時過ぎに出発した。今日は有楽町で開催されているハイエンドショーを見るのだ。まず最初はCDにガラスコーティングする薬の紹介だ。アキュフェイズのCDプレーヤ(DP900+DC901)+プリはC3800とTADのモノアンプTAD
M4500 、スピーカーはTAD Reference One ざっと1,200万円程度の機器。それで効果はどうか?私は音が甘くなり、メリハリが消えたと感じた。評論家の林正義氏は絶賛していた。「?」昨年もそうだったが、今年も多くの会場でネットワークオーディオが再生されている。今年は192khz24ビットが主流だ。DVDオーディオを販売いているコーナーがあって担当の方の話を伺った。もうDVDオーディオディスクはありません。在庫が無くな次第終わりです。1999年に誕生した、SACDとDVD-AUDIOはSACDの勝利に終わった。勝敗を分けたポイントは、SACDはオーディオ専用機で発売されたが、DVD-AUDIOはDVDプレーヤーのおまけだった。そのため、音楽ファンにはオーディオ機器とは認識されず、ディスクの販売が100枚程度だった事もあるとのことだ。氏曰くSACDで低音を出すには相当苦労しなければならないのに、DVD-AUDIOは簡単に低音が出せる。だが、人々は認知しなかった。残念だとぼやいていた。氏は今度192khz32ビットの音源を発売するそうである。びっくりするような音が出ますよ。と期待を持たせてくれた。井筒香奈恵さん(写真)が会場に来て、彼女の音楽を上述の1,200万円で再生した。びっくりだ。こんな音があるのかと。早速CDを買った。白鳥由美子のアメージンググレースを聞いて以来の感動だ。曲目はWの悲劇(薬師丸ひろ子が歌った唄だ)もっとレポートしたいのだが、別の機会に掲載するつもりだ。
10月7日(金曜日)
CEATEC

今日は年一度開催されるCEATECの開催日と言うことで東京に来た。絶対に混雑が予想されるので10時前には並んで入るために新大阪6時の始発に乗ったのだ。すると、9時50分位にはここで並ぶことができる。東芝が目玉と想定してたが、何とソニーの4K2Kプロジェクターが一番の人気だった。もうすでに午前中の整理券の発行は終えていた。しかし全体の来場者数は少なく、活気が失せていて昨年と比べると火が消えたような落差が感じられた。今後は展示会はドイツのIFAとアメリカのCESに集約されそうだ。シャープでは85型の8K4Kがあった。これを見ると3Dは必要ないのではないかと思った。東芝の裸眼3Dと4K2Kは意外と簡単に入ることができて見た。確かにフルHDよりか綺麗。特に写真はこの解像度を経験すると元に戻ることができないかも知れない。裸眼3Dは今一。エネルギーについて全社が取り組んでいましたね。おもしろいのは停電でも使えるソーラーとか、畜エネシステムとかと一生懸命に訴求してました。実は今年の震災でどこの太陽パネルも停電には対応してなかったのだ。100Vの外部電源があって始めて、太陽パネルは自家使用できるシステムだった。そしてこれらのメーカーは一度もそのことをユーザーに言わないで販売してきたのだ。それを反省して今年のモデルは停電でも使えると言う。そして今回も昨年同様できないことは言わない。まだまだこの業界は陰湿なビジネスが続くだろうな。5時終了。大体見尽くした。これからもう一つのイベント。東京ファジー会の開催。会場船橋。1時間前に到着。常磐書店で書籍購入。向かいのマクドで読む。そしてファジー会開催。途中から日本酒に切り替えたので、当日は酔ってないと思ってたのに、翌日になると全ての記憶が空白になっていた。
10月6日(木曜日)
あわただしく
今日は疲れているので、ゆっくり起きて、溜まった洗濯物を干して、自転車で出かけた。僅か15分で職場に着けるメリットはこう言うとき確かに大きい。出張報告と精算と、溜まったメールと、いろんなことを片付けたらもう夕刻の5時。今日は絶対に早く帰るぞと決意してたので、6時半にはもう自宅に居た。更に洗濯をして、明日東京行きの出発の準備を整えたら、もう23時だった。
10月5日(水曜日)
帰国
ホテルを朝5時半出発、7時10分発の飛行に乗る予定。ホントはこんなに早くなくても良いのだが、国際便に乗ると言うことで、リスクを読んだ。しかし、空港までは車で15分、30分後にはもう出発ゲートの椅子に腰掛けていた。飛行機は来たときと同じボンバルディア機で、バンコクに向かった。簡単なサンドイッチが提供されたが、これは見事当たり籤でして、バンコクから日本への帰りの機中で急におなかが差し込んできた。関空には無事夕刻7時に到着して一応今回の旅を終えた。自宅に帰り着いて、近くのスーパーでお総菜とビールを買って旅の疲れを癒した。
10月4日(火曜日)
通貨について

昨日のディナーは解散したのが午前3時だったとか。寝ることが大事な僕は参加しなくて良かった。今日はタイへ渡る国境に向かう。と言っても大げさなモノではなく、市内から30分程度の所にある橋へ行くのだ。この橋のラオス側には大きな免税店があり、ここで商談するためだ。免税店は空港と同じで(空港店の方が圧倒的に貧相)、ウィスキー、化粧品、チョコレートを販売している。結構ワインコーナーが充実していて、部屋全体がワインの貯蔵室のようなところもあった。この免税店を目当てにタイやラオスの人が買い物に来るようだ。タイ人はどういう訳かウィスキーが大変好きな人種だから、きっとラオスの人も同じなんだろう。ラオスの普通とは違う局面を見せてもらった。一旦ホテルに戻り、ホテル近くのマーケットビルに向かった。これはアジアの国は何処にもあるITビルで、ここでは家電品を山のように積んで商売している小さな店の集合体だ。使い古しのリモコンのみを販売している店もある。店は暗く陳列商品は古くさく、ベトナムと同じ感じがした。コピーのDVDやCDを販売する店も沢山軒を並べている。ラオスの人口は700万人だから、ここで音楽は発達しづらいはずで、タイからの流入品だろうと推測を付けた。午後遅く昼食。川沿いにある、高床式のレストラン。入るとすぐに飲み物を注文する。僕はドラゴンフルーツジュースを。食べ物はヌードル。まず、芳醇な甘みをたたえたドラゴンフルーツ。中に黒色のぶつぶつが入っている。ヌードルはタイで食べるようなインスタントラーメンの麺が入っている。なかなか旨い。旨いが辛い。その後事務所に帰ってセミナーを実施して今回の目的を終えた。ディナーには日本食をごちそうしてくれた。日本人が経営する店で、メニューを見ると、エノキバターが26,000と表示してあったので腰を抜かしたが、この国の通貨は0を2つ除かなければならず納得。しかし少し腰が引ける。
10月3日(月曜日)
撮影会二日目

今日は午前中セミナーをして、午後はそのセミナーを活かした撮影会をする計画だ。が、午前中に来る予定の担当者が来ないのだ。まぁこの辺りが、ラオス人のいい加減なところかな。11時にやっとスタート。午後1時まで講座。それからベトナム料理。これは先日連れて行ってもらったところだ。今回はターチャンが一緒。彼女の派手な顔つきに似合わず、料理をきちんと切り分けてくれる。日本の古風な女性の一面を持っているのだった。その後事務所に帰り、今度は寺院を撮影に出かけた。絵はがきに登場する寺院は、タートルアンと呼ばれる広大な敷地にある。しかし、今回は工事中で断念。二番目に有名なRevolutionary Museumへ。ここも絵はがきにあった。外国人のみ10ドル。太陽が急に顔を出し最高の撮影タイミングとなった。ここではお坊さんが結構たむろしているので写真を撮影させてもらった。お坊さんはもちろんのことだが英語が通じる。更にもう一軒。今日はこれでスケジュールは終了。ディナーはお断りして、ホテルで「ホー」を食べるだけで寝てしまった。
<革命博物館>
10月2日(日曜日)
撮影会

今日は蝶を撮影に行く予定だ。これがこの国に来た目的である。まずはソフィーさん(経営者)の家で仲間が揃うまで待機だ。ところが、この家に上がるには、玄関(屋根はあるが屋外)で靴と靴下を脱ぐ。大理石のひんやりした感触が気持ちよい。高い天井と豪華な手彫りの彫刻のある椅子がセットされた応接間に通された。おおよそ60u以上はありますね。日本の3LDKのサイズだ。この応接室は隣にも同じ大きさの部屋があり、計2部屋ありました。その奥にはダイニング。そして、これは経営者の家ではなく、奥さんの住居だと聞いた。一体コチラの金持ちはどんなに裕福なのか想像もつかない。一応みんな揃ったところで東に向かうと言うのだが、右手に朝日を受けたままの道だった。つまり北行きですね。郊外にでると豊かな田園風景が広がる。この国も豊かな食生活を送っているのだ、と言うことはこの国は怠惰な人達が多いのだろうと思いましたね(そのため翌日からの仕事でさんざんな目に逢うのだった)。雨季のようで、川の水位は高く、道も結構ぬかるんでいた。ラオスは山ばかりの国だから、道もアップダウンが激しい。3人シートに4人が乗っての移動だから、結構厳しい状態だった。1時間半ほど走ると大きな峠を越えた。何とそこには広い湖が広がった。後でGPSに照らし合わせると、川をせき止めたダム湖だった。車の後ろに積んできたジェットスキーを下ろして、早速仲間の一人は湖にこぎ出した。他の人は炭火を起こしている。僕は駐車場近辺で蝶はいないか捜した。が、雨が降ってきたので、みんなの集まっている船着き場に避難した。丁度その時に別の車で来たソフィーさんが、昨日一緒に食事をした女性達を連れてきた。どうやら撮影場所はここの駐車場近辺。そして船着き場を兼ねる小さな食堂が今日のバーベキューパーティーの会場らしい。そして雨が本格的な土砂降りになってきた。撮影はとうてい望めない状態になった。ジュースなどを冷やす冷蔵庫から魚らしきものを出してきて、この店の娘が料理をしている、小学3年生くらいだがよく働く。炭がおこったところで、カブトムシを焼く仲間がいたので撮影した。さすがに角や羽は食べないが、その他の部分は全部喰った。ラオスは海がないのでタンパク源が少ないのだ。昆虫はそのタンパクを補う有力な手段だったのだろう。料理は豚と鳥の肉を焼いたバーベキュー。魚の中心のトクヤンク風スープ。餅米。大根のピリ辛漬け物。実にコレ等が旨いのだ。やっぱり現地の人達が普通に食べるものが一番旨い。しかし足りないモノが一つある。酒だ。私はもう我慢できずビールを!と言ったら、みんな待ちかねていたように注文をして大酒盛りとなったのだ。ラオビール。氷で割って飲むから薄味。2時間くらいそんなことをしていると、雨が突然上がった。さぁ撮影会だ。沢山人が来ていたのに、撮影をするのは3名のみ。レレ。しかし先ほどの大雨で蝶々はいなく、日本に住む普通のタテアゲハの種類のみが見つかった。まぁ自然相手のイベントはこのようなモノだろう。TVで見たラオスの蝶は乾期の頃に撮影されたモノだった。帰りにマーケットに立ち寄ってくれた。マーケットと言っても道ばたの露天商だ。新鮮な野菜、蟹、泥鰌、蛙、ナマズ、見ていると結構魚類が多い。至る所に川があり、農薬を使わないので魚が豊富なのだろう。この夜も、取引先とディナーに行くと言うが、僕は昼間のバーベキューが残っていて遠慮した。その代わりホテルのレストランでサラダとフライドライスを頂いた。これが結構旨くて、つい食べ過ぎてしまった。
<美人のモデルさん>
10月1日(土曜日)
ビエンチャンにて

タイ空港では乗り換えカウンターを抜けて、3階の出発フロアでラオエアラインを捜す。乗り換えカウンターの角にラオエアラインはあり、貧相なおばさんが受付の準備をしていた。他の航空会社と同じタイ人なのだが、給料が安いのか、たまたまなのか、ちょっとと言う人が対応してくれた。もちろんラウンジが使えるわけでなく、1,000円も出してコーヒーとパンをレストランで頂いた。空港内の飲食は大変高い。出発ゲートに行ってipadを取り出し、宇宙戦艦ヤマトを見ながら待った。キムタクの芝居が臭くて臭くて、途中何度も中断しようと思ったが、やがて出発時間がやってきて中断した。ラオエアラインはボンバルディア機で頻繁に故障のある機体。これで国境を越えるのだ。と言っても1時間半程度。大阪〜高知が一時間程度だから、大阪〜東京に向かう距離だろうか。バンコク〜ビエンチャンはそんなに遠くないのだ。車で6時間だと聞いた。ところがどっこい、スチュワーデスが美人だ。これは国際便ならではの特典だ。食事はパンとお茶。ガルーダ航空のように、パンと水よりはましだ。ラオスの空港はたいしたチェックもなく15分程度で抜けた。待ち合わせのソフィーさんに旨く合流できて、まずはホテルへ。ところがホテルは停電でチェックインができないと言う。それなら事務所のある店へ。立派なパナソニックの店がで〜んとあった。ここで空腹に水が出てきて、次にコーヒーが出てきた。水の豊富な国だから大丈夫かなと思いながら水をのんだ。給仕してくれたのは割と美人の女性だった。しばらくして食事に出かけるという。向かった先はベトナム料理の店で、きちんとしたレストラン。窓のない吹きさらし、海の家のような感じ。ここに鍋のセットとその周りに新鮮な野菜を盛った皿が用意された。米を溶いて薄く焼いた餃子の皮のようなものもあった。これに野菜を包んで食べるのだとやり方を見せてくれたのは、タイ人の経営者でサマナさん。包むのは野菜だけではなく、豚のミンチのようなものも一緒だ。それに、そうめんを3cm程度に切ったものも挟む。非常にバランスの良い食事だ。この際、生野菜に回虫が付着しているとか気にしない方がよい。ミントのような葉っぱは強い香りがするので無くてはならない野菜だろう。僕はこの手の材料には慣れているので問題がない。腹が張ったところでホテルに送ってくれた。夜の8時に再び迎えに来るという。それまでの間寝るコトした。窓ガラスは薄く外の車の音が頻繁に飛び込んでくるが、都会のような喧噪ではなく、GBMとして適度な騒音だった。夕食は真っ暗な道を車で徘徊して、川沿いのレストランに入った。崖下にはメコン川がたおやかに流れ、対岸はタイだと言う。TZ10のGPSはタイの地名を示していた。なんだコレ。しばらくするとラオスの美人が現れた。昼間見た娘だ。化粧をしてノースリーブのドレスを着て誠に結構な情景である。料理は任せた。何でもOKだが、レストランは暗くて余り食べ物が見えなかった。途中でコチラ担当の日本人S氏が加わりにぎやかになった。そういえば、昨晩から一言も日本語を話さずに過ごしたぞ。まぁ何とか通じたわけだ。ホテルに帰り着いたのが午後10時半。爆睡した。
9月30日(金曜日)
スリランカ

朝7時集合、このホテルでコンベンションが開催される、その展示のチェックのためだが、実際は什器の仕上げが遅くて、作業は午後からとなりそうだ。その間、ホテル内をぶらぶらするのだが、このホテルには見るべき店が入ってない。唯一宝石屋さんがあるのだが、こちらはLSI(石)のほうには興味があるが、本物の宝石(石)には興味は無く、午前中は時間をもてあまし気味だ。しかしこれは嵐の前の静けさだったのだ。突然仕上がって、準備が始まったのだが、みんな僕に展示方法について聞きに来る。僕は作業をしながら指導に当たっててんてこ舞いだ。ホテルのチェックアウトもかなわず、汗だくで作業を進めた。会議の直前に仕上がって濡れたシャツのままスーツに着替えて会議に臨んだ。招待客にはずいぶんと顔見知りが増えていて、キャンディーから来た父と息子のペアは今回も僕に挨拶をしてくれた。この息子さんはずいぶんと大きくなり、僕は見上げる格好になってしまった。午後9時45分ディナーを急いで掻き込んで部屋に戻った。これからシャワーを浴びて荷造りをしてチェックアウトを10時半までにしなければならない。遅くとも11時にはここを出発しなければ、午前1時40分の飛行機に間に合わない。幸い帰りの便はタイ航空で、優先チェックインができるので少し気楽だ。飛行機の中ではなかなか寝付かれず、茫洋としたまま午前6時バンコクの空港に降り立った。
9月29日(木曜日)
泳いでしまった

9時にミーティングがあるというので、食事を済ませて合流した。ミーティングは1時間程度、その後1時間後に集合とのコトだったので、この時間を使って目の前にあるキレイなプールに出かけた。今回は水中も使えるカメラを持参したので、泳ぎながら撮影した。カメラをパンツの中に挟んでいたので、盗難の心配も無く心置きなく泳ぐことができた。大体海外のプールは小さいが、結構深いので泳ぎがいがある。30分程フルパワーで泳いだ。気分はとても爽快だった。その後市内にある、系列の店に訪問し、事務所でのミーティング、昼食は中国料理の店に連れて行ってくれた。だが、流れている音楽は日本の演歌であり日本が誤解されているような感じを受けた。料理はスリランカ風味でとてもスパイシー。中国料理とは関係の無い味付けであった。食事を楽しむというのはイギリス圏にあった国の最大の遺産でここでもゆっくりと食事を頂くことができた。その後空港の免税店に向かった。空港の免税店は、税関と入国審査の間にあるので、入るのに結構手続きが面倒だった。もちろんパスポートを提示しなければならない。なぜ免税店なのか?この国は関税が50%程度かかり、外国に旅行した人は、ここで冷蔵庫やテレビなどを買い、国内に持ち込むのだ。そのため、免税店は到着側の通路にびっしりと並んでいる。免税店のほとんどが家電製品の店である。外国から来た人はこの電気街を見てびっくりすると思う。スリランカの国内にはこれほど多くの店が集まっているところは無い。この頃から、昼食頂いたスパイシーが良く効いてきておなかがごろごろといいはじめた。びっくりしたのでしょうね。夜7時過ぎにホテルに帰ってきた。僕はみんなの誘いを断って飯も食わずに寝ることにした。
9月27日(水曜日)
スリランカへ

成田空港は分かりにくい構造だ。外国人にどうやって北と南を理解させるのだろうか?千葉県人の私でさえ、北と南は分からないのに。それを出発ゲートは北ウングと南ウイングとに分けている。おっとその前に第二ビル駅と成田空港駅がある。チケットにはターミナル1とターミナル2と書かれている。第二駅があるのなら、第一駅があっても差し支えないのだが。まぁこれは前にも書いたことがあるのでもうこの辺で。これではとなりの韓国に客を奪われるだけだ。出国ゲートをくぐると定番の化粧品とタバコと酒の店があった。サントリーは何と朝からウィスキーの試飲をしていた。それはないぞ!と思ったが、少し先でバランタインが同じことをしていた。どちらかが先に仕掛けたのだろうか?まずはバンコクに行く、これはタイエアラインだ。タイエアはゴールドカードメンバーだからラウンジが使えるはずだ。それはユナイテッドのラウンジを借りているのだった。ここは非常に広い、キレイ、しかし食べ物は無い。滑走路が見渡せる席で、飛び立つ飛行機を見ながら待った。数年前、鎌ヶ谷から茨城県の潮来に自転車で「あやめ」を撮影に行った。このとき利根川の堤を通るのだが、ひっきりなしに上空を飛行機が飛び立っていた。いつかは俺もあの飛行機に乗って海外で仕事がしたいものだと思っていたが、なんとそれが実現しているではないか。夢は持つもんだと思いましたね。飛行機の中では、パイレーツオブカビリアンの最新版を見ていった。なぜ、面識のないキャプテンに人魚が聖杯を差し出すのか?どうも分からずじまい。タイ空港では3時間待ちでスリランカエアに乗る。通常だと、6時間待ちでタイエアだが、今回はマイルのつかないスリランカエアにしたのは、現地で3時間も寝る時間が稼げるためだ。チケットカウンターはさすがに開いてなくて、しばらく待つことになった。手ごろなフットマッサージ屋さんがあったので、500バーツ(1,500円)45分をお願いした。その後でチケットの発券をしてもらうと、カウンターのお姉さんが、ラウンジはすぐ向こうにあるので使ってくださいという。えぇ!あんな小さなスリランカエアもラウンジを用意してくれるんだ。頑張っているなぁと感心した。そこで、ネットを開き時間まで作業の後、登場ゲートに向かった。途中からインド臭が漂ってきた。スリランカ人は基本的にインドの南部のタミール人なので、食べるものが同じ。と言うことは、体臭も同じだということ。飛行機の座先は若い番号だったのでビジネスとかファーストクラスはないのだと思っていた、何とビジネスクラスだったのだ。だからラウンジのサービスがあったのだ。合点。外国便で始めてビジネスクラスに乗った。問題は何かと世話を焼いてくれることだが、当然ながらすべて英語なので、厳しい対応を迫られることを除いては快適だ。食前酒の種類とか、突き出しの料理の種類とか、メインの料理とかを聞かれる。私はメニューを見て一生懸命発音を覚えたが、実際それは杞憂だった。大きなお皿に料理が載ってきたので、それを指差すだけでOKだった。飛行機は予定通りに到着して、すんなりと入国審査を終えて、荷物もすぐに届き、何と15分で通過してしまった。初めてのことだ。しかし、問題はホテルタクシーが45分間も待って到着して、プラスマイナスゼロ。なんのこっちゃ。
<ビジネスクラスの食事は違う>
9月26日(火曜日)
金縛り

寝ている間に部屋の中を動き回る気配がする。何とか目をこじ開けようとするが、なかなか目が開かない。しばらくたってから無理やり目を開けることができた。どうも部屋の中が異常だ。しばらく寝付かれなくウトウトしていると、やはりなにかががいるような気配。どうもこの夜は何かに憑かれたような一晩だった。しかし朝の目覚めはさわやかで、出張の重い荷物を抱えて玄関の扉を開けるとどことはなく金木犀が漂ってきて更にパワーをもらった感じがした。もうこんな時期なのか。マンジュシャゲと同時にこの匂いが漂ってくると稲刈りが始まる。実りの秋を迎えるのだと農業を経験したことが無いのに感慨深いのである。今回の荷物は大変重く30kg近くはありそうだが、キャリー付きバッグを別のキャリーに乗せて会社まで大汗をかいて歩いた。明日からは出張であまり歩かないのだ。今回はスリランカでもビザが必要かもしれないので申し込んでおいたのだが、台風の関係から申請が一日遅れて、ビザ発行が本日になってしまった。ビザは東京で発行するので明日大阪を出発する身としては困ったことになった。そこで、今日は東京に移動してここでビザを受け取り、成田からバンコク向けて出発することとした。大阪発でも東京発でも料金に変更は無いし、所要時間も35分程度長いだけだ。船橋のいつも行っていた回転寿司へ行った。大阪の回転寿司(くら寿司)ではあまりたくさん食べられないのに、今日は8皿も食べてしまった。どうやら寿司に関しては東京が大阪より旨いということか。
9月25日(月曜日)
全日空の787
毎朝自宅を7時半に出発する。しばらく歩くと、僕よりももっと年配のおじさんがいつものように前を歩いている、近所の八百屋さんは丁度店の収縮ひさしを伸ばしたばかりだ。日常のルーチンワークがこうして動いている。僕が国道一号線を越える時間には、上空を全日空の777が横切る。思えばこの3年間はいろんな飛行機に乗りました。極め付きは先日墜落があったネパールの遊覧飛行機だ。上空に達するといきなり運転席まで呼ばれて、機長と副機長の間から目の前にあるエベレストを撮影できたことだ。"You can see the black mountain.That is the EVEREST!" コレは感動です。インドではキングフィッシャーエアの赤い制服を着たスチワーデスさんが印象的でした。黒い肌に真っ赤な服、大きな目。まさにこのデザインはインド人のためにあると思いました。機体はB737が多かった。成田からジャカルタに向かうエアバスA380は大きなボディーの割りにシートは小さく、乗っている私は777との違いを感じることができなかったし、離陸に1分40秒も地上を走ったので、滑走路がなくなるのではと心配した。ガルーダA320は上空に達するとひどい揺れの中でもシートベルトの着用指示は無く、ゆれる機内を座席をつかんでよろよろと移動するおばあさんが印象的でした。空の旅は遠くにいけるので楽しいのであって、空のたびそのものが楽しいわけではないというのが、この3年間で良く分かりました。
9月24日(土曜日)
水泳
休日にすることを昨日済ませたので、今日は読書三昧と行こう。ところが、FBへの写真の投稿などの作業をしていると結構時間を食ってしまい、読書時間が減ってしまった。夕刻は定番のプール。プールと言えば、先日タイのホテルにあるプールで自分の泳ぎを撮影してみた。これはYoutubeにも投稿した。それを再生してみるとバタフライは体のバネが不足しているせいか、顎が上がっている。しかしクロールは40年間の努力もあり自分で言うのもなんだが結構サマになっているようだった。若い頃は走るときにバネがききすぎて地面に足が着かなかった。そんな体のバネも、次第に衰えてきて、バタフライでは足がいくら水面をたたいても、息をするのがやっとと言う程度しか顔が上がらないのだ。どんなに鍛えても体のバネは回復しない。録画した番組で、中村紘子のピアノ50周年があるので再生した。ピアニストにするにはもったいない美貌をもったこの人も、顔が膨張して往年の美が去ってしまっていた。これは録画で残すには耐えられないと消去。若い頃のようには行かないものだ。
9月23日(金曜日)
蝶の撮影

昨日、隣の人と無駄口を挟まなければ、僕は間違って今日出勤していたかも知れない。3連休を知らなかったのだ。それで、慌てて帰ろうとすると、ベトナムとタイからメールが届いた。いずれも今までに一度もメールなどが届いたことがない人だ。それで結構時間を食ってしまい退社時間は9時になっていた。と言うことで、昨日は遅く帰り着いたので、寝る時間がずれてしまった。それで今日は8時まで寝てしまった。年老いて眠れなくはなってきているが、7時間半近くはまだ眠れますね。掃除洗濯を済まして久しぶりに咲くやこの花館に出かけた。この植物園は少しずつ屋外に面積を広げてきていて、寒くない間は屋外で結構楽しめるようになっている。今日は蝶の撮影を行った。蝶の撮影には理由がある。実は来週ラオスに行くのだ。昨年の9月にNHKで海野和夫さんが中山エミリにラオスで蝶の撮影を教える番組があり、たまたま録画をして見たのだ。私はカメラを現地の人達に教えるのが目的だが、蝶の撮影を通じて教えるのが最適だと判断して企画を提案したのだ。それが実現する運びとなり、事前に練習をかねて今日の撮影となったわけだ。まだラオスは雨季で、TV放映と同じようにできるかどうかは不明だ。
<これは蝶でなく蛾だと思う>
9月22日(木曜日)
占い

朝TV放送で、占いを放映している。出勤途上の大型電子表示パネルで見ることができる。それが、何とオオカミとか、ライオンとかが出てきて何のことなのかさっぱり不明。占いというのはデーターベースからはじき出される経験則だから、今まさに視聴率の為に作りました的な占いを誰が信じるのだろうか?と思うとともに、良識とか言うものはマスコミには一切欠如したと思いましたね。だが、その占いは別として、自分がこれから歩んでゆく道はどうなっているのだろうか少し知りたい気持ちが一杯である。少ない情報で考えても結論は出るわけがないが、これから先、環境という事情も一つの要素になってくるのでは思うのです。この環境は大それた事を指摘するのではなく、目の前にぶら下がる台風とかの自然災害のことであります。私が通っている国には20億の人がいて、その隣に13億の中国人がいる。その向こうの中東とアフリカにも20億人。ここ数年これらの人が一斉に油を燃やし始めたのだ。この間訪問したマニラやバンコック。それにジャカルタなどの交通停滞を見るにつけ、これはただじゃ済まないぞと思わせるひどさがある。ホンの2年前まで内戦があったスリランカの奥地でさえ、今では車が頻繁に行き交う消費地に変わっている。バングラデイッシュで停電にあうと大きな倉庫のような建物に設置されたディーゼル発電機から電気が供給される。その排気管は直径1m以上ある。まるで船舶のエンジンが稼働しているかのようだ。この油の消費はそのまま地球環境に影響している。その結果台風の規模が毎年大きくなり、今年は960ヘクトパスカル値と言う信じられない大きさを持った台風が関東まで達したのだ。食料危機がいつ起きてもおかしくない環境がそこまで来ているような気がする。占いではとうて追いつかない変化が訪れようとしている気がするのだが。私の運命をこの地球環境が変えそうな気がする。
<不気味な夕焼け>
9月21日(水曜日)
58歳の強制退社

会社のリストラは今回激しく、58歳以上は一方的にリストラとの勧告の出ている職場もある。組合員はどうですか的な退職のお勧めだが管理職は一方的らしい。地球の環境も嵐なら、会社環境も嵐なのだ。いずれコチラにもその嵐の影響は来るだろうと覚悟しなければならない。最後まで勤め上げようと思っていたがそうは問屋が卸さないようだ。トヨタよりも売り上げ規模が小さいのに従業員は多い我が社だからリストラは当然だと言えるが、それが自分の身に降りかかって来るとなると、事情は別だと言えますね。子供はこれからお金のかかる大学に行くと言う状況下でかなり厳しい試練が待ち受けているのである。次の道を捜さなければと思いながら、何かしらその方面には現実感が欠けていて、目の前にぶら下がる仕事を片付けているような次第。今日は昔の職場の仲間がこのビルに来ていて、状況を聞いたら、どうやら僕だけがひどい状況にあるようだった。
<台風一過、少し太陽が顔を出した>
9月20日(火曜日)
星野博と恵子夫妻

台風は少し遅れていて、関空到着の30分くらい前に追い越したようだ。丁度飛行機は高度を下げ始めていて、台風の付近で飛行機は結構揺れた。スチワーデスも席に着くように指示があり、いつも客に対しては荷物を座席の下に収納するようにとか、窓のブラインドは上げておくようにとか五月蠅いチェックが来るのに今回はアナウンスのみ。だが、関空に無事到着した。関空を6時半出発の電車に乗ったので、通勤ラッシュとかち合い、立ったまま京橋に帰り着いた。京橋の立ち食いうどんを食べて自宅へ。風呂に入ってすぐに睡眠。とにかく深夜便は疲れる。12時過ぎに起床。準備を整えて出勤。会社では台風のニュースで持ちきりだった。東の方は晴れているが、西の方は大雨のようだった。神戸から通っている人は、一足先に退社した。国土交通省のレーダーを見ていると、愛知県と淡路島方面がスゴイ事になっている。10年間も住んだ名古屋の守山区では水害も発生している。早速友人の星野氏へ電話する。奥様不在、ご主人が電話に出て被害はないとのことだった。この人達は僕が住んでいた頃、毎日通った焼き肉屋さんだ。もう20年以上のおつきあいになる。水害の話はあまりなかったが、奥様の交通事故の話が出てきた。ここ半年ばかりの間に車が大破する事故を2回も引き起こしたというのだ。しかし、全く怪我はなく無事だというのだ。もし今度逢うことがあれば、この話で花が咲くだろうな。このご夫婦は大変気の良い友達(と言っても10歳くらい年上)で、僕の名古屋の活動起点でもある。
<やっと到着した、関空>
9月19日(月曜日)
帰国

朝、起きてTVをつけるとタイの放送局は洪水のニュースを報道していた。日本も台風で大きな被害が出たが、コチラも同様だ。寺院が浸かって釈迦像が半分水の中だった。世界はおかしくなっている。今日も2回講演だ。昼食はこちらの責任者の方が日本食の店に連れて行ってくださったが、僕としてはいつものトムヤンクの屋台がありがたかったのだが。2回目の講演が終わると荷物を詰め込んで空港に急ぐ。ぎりぎり2時間前に空港に到着。コチラの人はらくらくだと言うのだが、僕としてはひやひやだった。それにキャセイエアは優先権が効かないので、時間を食ってしまうのかもしれないのだ。しかしこれは杞憂だった。すんなりと搭乗ゲートに行くことができた。このシートで写真の整理とレポートをあらかた仕上げて飛行にのった。となりには中国人の女性が座ったが、僕が席を立って座りやすくしてあげたのに、ありがとうの一言も言わない。私が立つのが当然だと思っているようだ。次に彼女がトイレに立つときには知らんフリをしていた。ホント中国人とインド人は一番嫌いな人種ですね。午後10時半に香港に到着。ここで頼まれものの薬を買う。漢字で示すと通じるのは、なるほどなと思った次第。次は酒を飲みながらの休憩だ。帰国するときのビールが一番嬉しい。土産物屋の上の階に飲食店があり、ぶらぶらしていると「生ビール」と声がかかり(日本語)ここで腰を下ろす。そして、プライベートな旅の記録をここで書いている。4年目にしてあまり知らない空港でもこうして落ち着くところを見つけることができるようになったのは、程度は低いもののやっぱり嬉しいですね。この空港では3時間ほど過ごして午前1時過ぎに飛行機に乗る。日本には午前6時に到着だ。丁度台風もやってくる時間だ。
<深夜の香港空港 この空港は深夜売店が閉まってしまう>
9月18日(日曜日)
タイの休日2

午前中はホテルにいて、昼から出かけた。「ワットポー」金色の釈迦が寝ているところです。ところがこの運転手さんは「ワットプラケオ」でおろしてくれた。少し歩くことになるが「ワットポー」まで戻るか?それとも「ワットプラケオ」を見るか?面倒なので、後者を選択。ここの観光は、タイの観光案内を頼むと約3,000円程かかるが、僕はタクシーと三輪車とBTSの利用で300バーツ、それに、ヌードルとフライドライスと水を加えて400バーツ。つまり1,200円の出費で楽しめます。入場料は400バーツ(もちろん観光案内には含まれない)なので、これが割高だ。太陽が出ると灼熱の40度。シャツから汗が滴ります。境内ではえらいお坊さんがお経を読んでいた。それはマイクロフォンで周囲に放送されるので、癒しのBGMとして、なかなか気持ちが良かった。粋な計らいですね。TZ10で動画、LX5で広角、GH2でオートブラケット撮影。太陽光線が強く、建物が白や黄金なので、ものすごいコントラストだ。それで適正な露出補正は難しいだろうと判断オートブラケット撮影にしたのだ。マレーシアから来た高校生はアメリカの大学生のような若者にフェイスブックの交換の話をしていた。前回は分からなかったが、今回はいろんな人の話が耳に入ってくる。僕はこの巨大な建物をどう料理したらよいのか分からなかった。とりあえず広角で正面から撮影するという凡庸な方法だ。50mmくらいの標準で主体性を持って撮影するにはどうすれば良いのだろう?僕がそれを会得するにはここにもう10回くらい通わなければ無理なような気がした。ここは川の近くで向こうに岸に渡る船の発着場所だ。その沿道に屋台がたくさんある。熱を通したものならかまわないだろうとヌードルを食べた。入っている魚のツミレはちょっと変だった。場所を移してぶらつくと焼き飯(コチラではフライドライス)が旨そうだ。この店でもう一膳。タイの人は感じないかも知れないが、この臭いと不衛生な材料を見ると、普通の人はちょっと遠慮しますね。でも、暑い中ここで飯を食っているといろんなものが見えてくる。欧米人も連れがタイ人だとこの店で食べている。環境はともかく旨いということではナカナカなのだ。大体が40バーツ。「フォーティーバーツ」英語の不得意なでっぷりと栄養を吸ったおばさんも滑らかに言う。タイは20バーツのお札があり、その上は100バーツで、いろんなものが、20バーツ区切りでできているのだ。35バーツと言うのはこのような屋台ではお目にかからないのだ。帰りは最も近いBTSの駅まで(ツクツク)三輪車を交渉。最初の人は400バーツ、あっさりと断る。次の人は100バーツ。OK。たぶんコチラの人だったら、50バーツだろうが、僕にはそんな交渉術はない。ひどいサスペンションの三輪車で移動。となりにバスが来ると最悪。バスの冷房の排気である熱風をまともに受けるのです。やけどしそうになる。やっとBTSのスタジアム駅に到着。車だと40分かかるところをBTSの鉄道ならわずか10分で移動できる。暑さでふやけた体をしゃきっとするためにプールへ。今日のスケジュールは一応これで終了した。
<いくつか果物は挑戦したが安全だった>
9月17日(土曜日)
タイの休日

報告書を作成した後、FBを開くといろんな人の投稿があった。少しだけコメントを書いて出発。この街にあるITビルに行くためだ。電気屋さんを覗くのは仕事の一環で苦痛な人もいるだろうが、私の場合は趣味のようなもので、全くストレスがなく楽しいのだ。最初このビルに来たときはあまりにも興奮しトイレが近くなり我慢するのに往生した。このビルへは鉄道のチットロンの駅からしばらく歩くが、道中にいろんな屋台があり退屈しない、今日はメロンのような果物を買った。20バーツ。ついさっきヌードルを食ったので、口の中がひりひりしていたのだ。これでひとまず中和した。屋台には昆虫ばかりをから揚げした店もあるが、僕の好奇心も残念ながらここまでは及ばない。このビルではまず最初に3階にあるDVDのコピー屋さんに向かう。以前はオカマさんが居たが、今回はまともな人。しかし、別の店員がいた。彼なのか彼女なのか不明だが、これがめたら元気良く僕にタイ語で話しかける。「分からん」と意思表示をしているのに関係なく、とにかくしゃべるのだ。この店では「Yes」と「エリッククラプトン」「AC&DC」を買った。全部で5枚。一枚サービスするというので、500バーツで6枚DVDを入手した。すべて音楽モノ。15分後でなければDVDのコピーは受け取れない仕組みで、引換券をもらい、他の店の探索に取り掛かる。サムスンのPCディスプレイは、それはそれは大変キレイ。画面ではなく外観。相当凄腕のデザイナーが作りこんだと思われる。TVの品番の付与と同じ体系でPCモニターがあり、この目をつけたシリーズは最高の9シリーズだった。大変旨いマーケティングを展開している。タブレットのメインはiPadだが、サムスンのギャラクシーが勢力を伸ばしてきているが、やはりメモリーが小さい。そして極めつけのタブレットは7インチとサイズは少し小さいが台湾製で15,000円で買えるタブレットを紹介いただいた。最初は16,500円だったが、粘っているとどんどん価格を落としたのだ。これはSDカードも挿入できるし、付属にキーボードまである。少しコントラストが弱かったが、パネルに貼った保護フィルムのためなのかどうかは不明。私の言語力では聞くことができなかった。このビルはパンティックビルと呼び、一日過ごせるだけの店が入居している。帰り際2階にあるフードコートでうまそうな麺の料理があったので、それを注文した。何か聞かれたがOKと言うと、用はテイクアウトするのかと言うことだった。それで料理はお皿ではなくビニールの袋に麺料理を包んでくれた。仕方なく受け取って冷めたところでビニール袋に直接口をつけて食べた。すっぱくて辛くて薬味が独特でなかなか旨かった。40バーツ。120円。中途半端な時間に食ったので、これが今日の夕食となった。次は伊勢丹。友人の頼まれモノを探しに。「トムカーガイ」と呼ばれるインスタント食品。僕のメモが悪く僕は店員に「トムクーガイ」と話したので通じなかった。それで僕の周りにたくさん店員が集まってきて、やっと「トムカーガイ」だと判明した。その後全員が笑った。このあと、この国一番の電気店へ。(日本で言うところのヨドバシカメラですね)そこで暇そうな店員が話しかけてきたので、視聴室に連れて行ってもらい、DVDを再生したり、彼の話を伺った。かれはTVコーナーに居たが、ケーブルを販売するために来ているとのコト。「ポーンチャイ」と言い、HDMIケーブルかスピーカーケーブルを買うときには私から買って欲しいといわれた。SPケーブルは1m=1,500円だった。まずまずの価格だ。彼の英語も分かりにくいが僕の英語も分かりにくいので、メモ用紙に筆談をした。お互いに筆談なら通じたのだ。それですっかり時間を食ってしまい気がつけば夕刻の6時半、外は暗くなっていた。人通りの多い間にホテルに帰ろう。ホテル前のセブンイレブンでビール2本、牛乳1本を買って106バーツ。約300円で500mlのビールが2本飲める。この夜は持参した映画「コーラスライン」を見た。
<見るだけで楽しいタイの屋台>
9月16日(金曜日)
満足感と空腹感

朝7時半出発。タイの道路は混雑が激しいので、早めのの移動がキーになる。ホテルの人に聞くと、朝飯は5時からいただけるという。朝の早い国は発展するのだと私は思っている。単なるタイ贔屓かもしれないが。タイでセミナーを開くのはこれで4回目で、だんだんと顔見知りもできて来た。大柄のオカマさんも顔を出してくれた。この人は綺麗でなく、しかも肌が荒れているにもかかわらず、なんとなく色っぽいのだ。長年培ってきた実力と言うことか。フィリピンでのセミナーで感触をつかんだので、今回はスムーズに実施できた。昨日綺麗な日本語を話してくれた女性は、オンさんと言うとても背の高い人だった。彼女は僕の横に立って日本語をタイ語に変換してくれる。入社後一ヶ月であるのに、きちんと仕事ができるのは相当な人だ。本職は経営の仕事するとの事。僕なんかが太刀打ちできる人ではない。昼飯は、コチラの担当者が麺の店に連れて行ってくれた。この人はルリアさんと言って、大柄な女性だ。このようにタイでは女性が主な仕事を牛耳っている。男はあまり役立たずという感じなのだ。今度生まれてくるとすれば、タイで生まれて来たいですね。午後、同じセッションをもう一度。通訳のオンさんは僕の話を完璧に自分のものとした。定刻の午後4時に終了して、コチラの現地責任者と懇談。日本人なので、細かなニュアンスの日本語が使えるのは嬉しい。通訳してもらうときの日本語は、翻訳機を使っても間違わないような明確な日本語が必要だ。そのため、あいまいな日本語は使えないので、一寸窮屈だったのだ。午後6時会社の車でホテルへ送り届けてもらう。今日は結構エキサイトしたので、仕事を終えた時空腹感がなかった。今日は週末なので酒を飲むぞと決めてはいたが、どうもその気分にならなかった。
<今回お世話くださった人達>
9月15日(木曜日)
わだかまりが消えた時

疲れていたのに、早起きさせられたのは同行のシンガポール人のRemusさんが、朝食を一緒にしようと言うのだ。昨日はお互い別の会場で仕事をしたので会話をしてなかったのだ。僕としてはすこしゆっくりしたかったのだが、若い彼の話は聞かねばならぬと老体に鞭打ち7時にレストランに行った。ところが、肝心のRさんは何と7時半に来たのだ。まぁこれが大体アジアの人々の行動である、腹を立ててはいけない。10時半にホテルを出発してフィリピン国際空港に向かった。この時間は雨にもかかわらず割とすいていて30分程度で到着。何の問題もなく入国も30分で通過できた。フィリピンからタイ行きはタイエアラインなのでラウンジが使用できる。コーラーを飲みながら、レポートを仕上げた。1時間遅れで飛行機は飛び立った。そして2時間半の飛行なのに、きちんとした食事が提供された。あまり食欲はなかったが、食べ始めるとナカナカおいしくて、ポークシチューとフライドライスを平らげてしまった。根が卑しい人間なのだ。タイの空港では入国審査で30分ほど待たされて、結局1時間半ほどして入国した。会社から迎えの車が来てたのだが、僕が遅れたため、彼は車の駐車時間が長くなってしまい、迎えの車にたどり着いたとき丁度駐車違反としてレッカー車で引かれていった。その罰金代金を立て替えてくれないかとタイの会社から電話があった。この人は綺麗な日本語を話したのできっと美人だろうと想像してしまった。このようにアジアの出張では何が起きてもおかしくないから、あまり動じなくなったのは、今までの成果だ。結局彼が罰金を払って戻ってきたのは夕刻の6時過ぎで、会社からは今から来てもらっても会社はしまっているので、直接ホテルに行って欲しいと申し出があった。市内の混雑はものすごく、ホテルに到着したのが午後7時。結局9時間半もかけてフィリピンから移動してきたことになる。タイに来ればトムヤンクを食べないことには始まらない。と言うことでホテルの近くのファストフードでこれを頂く。火を噴きそうな強烈な味に、非常に癖の強い薬草が入っている。でもこれはどうしても必要な味なのだ。運動のない中で、結構腹に詰め込んだので、あまり腹の調子が良くない。というか、もたれているのだ。このままで寝ると明日の朝、とんでもない気分になると心から思えた。59年の経験が告げている。それで、週末ではないがホテルのプールで一泳ぎすることにした。30分。プールから上がったとき、実に体が軽くなり、妙にふやけていた体のわだかまりが一瞬で消えてしまった。気分がまことに爽快なのである。人間関係もこのように一瞬にしてわだかまりが消える特効薬があるといいのですが。
<近くのショッピングモールでの食事>
9月14日(水曜日)
ダウ

マニラの北部に位置する町。ここは他にもパンパンとかチンコとか卑猥な地名が付いている。フィリピン人は怠惰な国民だとこの国の責任者から伺った。それは豊かな国であるからだと言う。食べ物はあまり苦労がなく収穫できるのがその理由だと。そんな目で、マニラからこの街に向かう風景を眺めていると、なるほどそうかも知れないと思い当たる風景が高速道路の両側に広がった。広い平野に稲やバナナやその他の作物が育っている。水田は植えたばかりの稲からさまざまな成長をした稲を見ることができる。つまりいつでも収穫できるということだ。高知には二期作(年にお米が二度取れる)があるが、こちらはそんなもんではない。コチラの会場はレストランだ。レストランを半分に仕切って会議室として使うのだ。そしてこのレストランの食事がすごい。何と149ベソ。つまり300円で食べ放題なのだ。コーラーなどの飲み物も付く。その食事は肉や魚、野菜など豊富なことこの上ない。すべてを少しづつ頂いた。食べ過ぎないように。ところが、コチラの人たちは地元の料理を自慢したいのだろう、次々と持ってきてくれる。頂かないわけにはいけないので、ついつい食べ過ぎてしまう。デザートとしてバナナを煮込んだものを頂いた。これは普通のバナナとは違うと思って聞くと、やはりそうだ、それは短い硬いバナナだった。せっかく持ってきていただいたので、これもかじってみた。食べられないことはない。と言う事で、冒険の昼食が終わりました。こちらで仕事を追えたのが午後3時半。それから会社の事務所があるというので見に行った。大きな倉庫を抱えた事務所だったが、セールスマンは出払って不在。責任者だけが居た。挨拶をして今度はフィリピン一のスーパーマーケットに向かった。平屋建てだが長さが1km位はある。こちらの人曰く、コーディネイトされてないとのこと。そういえば衣料や食べ物屋が混在してまとまりはない。とりあえず好物である、CDショップに向かった。お勧めの音楽を買うためだ。この国の音楽はアメリカナイズされていて、ほぼアメリカの店と同じ感覚で音楽を扱っている。勧められるままに買った。同行のジョイスさんのお勧めの一枚が非常に良かった。「Hit
man」だ。今日は、私の上司が来ていて一緒に食事でもと予定してたが、こんなことで帰るのが遅くなり断念した。上司は日本酒党なので、日本で一緒にお酒を飲んでも、マニラでお酒を飲んでもなんら変わりばえのしない料理とお酒なのだ。なかなかいい人なのに、この点だけが解せない。それで、一人で夕食。ホテルのレストランで。4600円もするのだが、料理にはその価値は無いが、安全面(外出することによる強盗に出会うことはない)に価値がある。
<バイキング方式の昼食>
9月13日(火曜日)
マニラ一日目

4月にこちらに来た。今年は2回目だ。僕のセミナーを聞くメンバーもだんだんと顔見知りとなってきた。僕の出番は午後からだ。みんなと一緒に工場の食堂に行く。フィリピンに限らず、工場の食事はあまり美味しくない。しかもアジアの米はホントにまずい。副食のおかずの汁を一緒に混ぜないと美味しくないのだ。おかずを口に含んで咀嚼して、次におかずを頂く。こんな日本的な食事の頂き方は全くダメ。混ぜて食べるのが基本だ。夕食はコチラの責任者の方と、いつも案内いただく中華料理のなべ料理の店へ。昼間の食事がまずかった分だけ、この料理はすごく旨い。スープのなべに、野菜や肉、魚をしゃぶしゃぶのようにして投入して、頂く方式だ。たれは醤油に唐辛子とにんにくを刻んだもの(この味は強烈)につけていただく。たれの容器は小さな平たいお皿でスパイスがあるため、なべから上げた肉や魚が、どっぷりと醤油のたれに浸からないようになっている。その代わり、スパイスの刻みが少しだけ付着する。口の中で火を噴きそうになる。これから一週間旨いが火を噴く料理と付き合いが始まるのだ。
<果物は新鮮で安い、ここの人々は豊かな生活を営んでいる>
9月12日(月曜日)
安全

10時出発のキャセイ航空で香港に向かう。慣れなれない飛行機便に乗るということで緊張したのか、搭乗券をなくしてしまい、再びキャセイ航空のカウンターに向かう。香港は初めてだ。この構造が分からないので最初は戸惑ったが、表示が漢字でありなんとなく理解。乗り換えのゲートは二人の人に聞いただけで見つかった。(カンのわるい私は大体5回くらい聞かないと分からないのだが)1時間の乗り換え時間なので、友人に頼まれた双子マークの化粧品を探す。うろついた結果分かったのは、化粧品は一箇所に集まって販売しているが、このマークの化粧品は無いとのこと。次は中国料理だ。注文するにも読み方が分からないのが問題であるが、そこは15倍のズームで料理を撮影して見せることで解決。麺の料理を注文したのだが、どうやら麺のように見えたのは、くらげを縦長に刻んだもので、おかゆの中に入っていた。奥ゆかしい味がした。その後空港内をくまなく歩いた。空港内は安全だからだ。定刻に香港を出発してマニラ空港には遅れも無く到着した。ホテルカーを探し出してホテルに向かう。車の中で聞かれることは大体分かっているので、運転手の訳の分からん英語でも答えることができるのだ。ホテルに着くと電話、今から打ち合わせをしようと言う。晩飯はホテルの向かいにある中華料理。フィリピンは夜ホテルから出るのはご法度だと聞かされているが、同行のレーマスさんはそんなことは気にしないようだ。
<始めて訪問した香港空港で食べたおかゆ>
9月11日(日曜日)
アラビアのロレンス
このすばらしい映画はNHKでハイビジョン放送された。これがハイビジョン化されて一番のメリットは、精細感が非常に高いことである。ロレンスがヤンブーにあるアラブ人の基地に到着すると、基地はオスマン帝国軍の襲撃を受けており、フェイサルが懸命に指揮するもののアラブ人は全く反撃できなかった。フェイサルと面会したロレンスは、独立闘争への協力を約束する。それで、彼等を率いてアカブの港まで砂漠を横切って旅をする。夜中の行軍で仲間のカシブがラクダから落ちていなくなっていることに気がつく。ロレンスは見張りを一人残し、軍を途中まで導きめどのついたところでカシブを探しに引き返す。(こう言うところがヒューマン的でいいですね)その見張りが目をこらすと、地平線の彼方にかすかに、黒い点としてカシブの姿が見える。ここで一時停止。「この黒い点」ハイビジョンならではの表現力です。映像モードを500万:1のダイナミックレンジを誇るシネマモードよりも、公表はしてないが、ずいぶんとスペックダウンするダイナミックモードの方が、この黒い点がより鮮明に見えたのは不思議。42型サイズで1.5mの距離で確認できた。普通はこんな映画の見方をしませんが。
9月10日(土曜日)
手を握る

どうも出張があると落ち着きません。大事なことを忘れてやしないか?と言うことで今週はこのメモ用紙に集中的に書き込んできてた。そのメモ用紙を会社に忘れてきたのだ。これはあかんわ。と言うことで会社までひとっ走り。その点15分で事務所には着けますから便利ですね。ついでにダイエーの中にある100円ショップで着替えの下着を買った。最近この程度の店(コンビニなどアルバイトの安いチェーン店)にも若いしかも顔の整った女の子が勤めているのです。本当に就職前線は厳しいと言うことですね。それと、もう一つおつりを渡されるとき、手を添えておつりをくれるのです。このように若い子に手を添えてもらうのは嬉しいが、時々よく行く「もとや食堂」のおばあさんもしっかりとしっかりと手を握ってくれる。関西スーパーなんか袋にも詰めてくれる。どうやら、僕の姿が先方におぼつかない老人と映るようになってきたのではないかと思うのである。
<OBPで写真展を開催している、テーマは鶴見緑地、私も刺激を受けて撮影>
9月9日(金曜日)
再びDLNA
HDDに貯めた映像と写真はイーサーネットケーブルを通じて見ることができる。AVreview9月によると、HDMIケーブル接続より画質が高いと記載されている。その違いは僕のシステムでは不明だ。しかし、便利さにおいてはHDMIの敵ではない。特に写真。写真を保存するのに、まさかDIGAに保存している人はいないと思う。普通はPCですね。このPCにため込んだ何年もの写真を、いとも簡単にVIERAのリモコンを使ってPC内を探索して見ることができるのです。しかも、今のVIERAは非常に発色がよく、キレイなのだ。写真とともに想い出が蘇ってくる。今日は近所の酒屋さんで、金沢のお酒を紹介いただいた。杜氏はこの近くの人だそうだ。お酒の名前を遊穂(ゆうほ)と言う。3つの組み合わせ(写真+音楽+お酒)で秋の夜長を楽しむという贅沢をDLNAで発見したわけだ。
9月8日(木曜日)
残業

今日を外してはもう十分な準備作業をすることができないと、少し頑張って遅くまで仕事をした。遅いと言っても9時過ぎなので、東京時代と比べるとずいぶんと楽だ。30分強で帰り着くからだ。昔は腹が減ったら空腹感は食事時まで持続していたが、今ではリズムがあり、空腹感の次には何も食べたくない機運が増してくる。どんな外食屋さんの前を通っても感じは変わらない。こんな時無理して食べると明日の朝もたれるだけだと言う知恵もついてきた。それで、ときどきバナナジュースだけとメニューを実行している。文字通りバナナと他の果物1個をジュースにするだけだ。日本で食べるバナナはほとんど甘みがないので、こうして夕食の代わりにもなるわけだ。自炊というのは自分のコンディションに応じて、百万通りの食事を準備できる点で優れていると思いますね。
<野江駅前の公園、ここからまだ30分歩く>
9月7日(水曜日)
万歩計

先週、歩き方と静電気のことについて書いた。足が上がらない→あしをひこじって歩く→床と靴の間に静電気が溜まる。平坦な場所で躓く。このようなことだ。年とともに足が上がらなくなっているのです。生きる上でのストライクゾーンが非常に狭くなってきているのです。そんな中で万歩計は健康のバロメーターだと信じて、一日16,000歩を目安にしているのですが、どうも最近15,000歩を割ることも多くなって来ているのに気がついた。少し根を詰めて仕事をしているせいだと思っていたが、せいぜい社内では1,000歩も歩かないのだ。そして判明したのは足が上がらなくなってきているので、万歩計がカウントしない事もあるのだ。ようはすり足ですね。まるで猫のように音を立てずに歩くことができるようになってきているのだ。別名「忍者」の歩行ですね。そういえば忍者の大御所はやはり老人が勤めているのはそういう理由もあるだと、やっと気がついた。人生は深い。
<近所の通勤路>
9月6日(火曜日)
リンゴ

毎日の朝食は、リンゴと食パン2枚、牛乳。リンゴはビートルズとメリー・ホプキンのレコード会社のイメージが強かったが、いつの間にかPCのイメージに変わってしまった。どちらも好きなロゴマークである。そのリンゴ、夏の暑い盛りに出荷される青いりんごは、夏休みの宿題によく描いたものだ。酸っぱくて余りおいしくない記憶が残っている。リンゴは一年を通じて食っているが、今年のリンゴは初物にもかかわらず、青いリンゴが安い。ライフで一人5個までと限定ではあるが1個100円なのだ。(通常128円かそれ以上)思わず買ってしまった。買ってしまって後に気がついた。放射能汚染だ。もう国は放射能に関する情報を出すと経済が麻痺するので発表を控えているが、リンゴも放射能まみれだ。数百キロ離れた稲ワラに付着した放射能を食べた牛まで汚染されているのだから、直接食べるリンゴは相当なものだろう。だから安いのだ。グーグルでは「リンゴ 放射能」460万ヒットする。「文面はリンゴが放射能を排出能力がある」のがトップにあるが、そのリンゴに放射能が含まれているとどうなるのだろう?入れて出すから「ゼロ」か?
<自宅からでたところ>
9月5日(月曜日)
めっきり涼しくなった

いきなりではあるが秋が来た。室内の気温も28度を切るようになった。もうエアコンを切り窓を開けると、虫の声が聞こえて来るではないか。ここは公団住宅を建て替えたビルで、敷地面積が広く、幹線道路から離れていることもあり、ほとんど音がない。時折遠くを通過する飛行機の音が聞こえるだけだ。それも午後9時を過ぎると止まってしまう。まるで田舎暮らしをしているようだ。月も天中にあり、暑かった夏は去り本格的な秋が来たようだ。庇の関係で月の光は部屋の中まで届かないが、虫の声の音量は十分だ。ことわざに死にかけた人を「虫の息」と言うが、なかなかどうして、7階の部屋まで届いてくる虫の息づかいは十分な音量で癒しになります。雨の音と虫の音はいい睡眠材料であります。
<大阪、秋の夕暮れ>
9月4日(日曜日)
シロウトでも予測できること
今回の台風は大きな被害をもたらした。とりわけ、和歌山の新宮町の方と三重県の南の方は被害が甚大だ。だが、待てよ。今回の台風について、私はずっと国土交通省の防災情報センターの雨量レーダー(http://www.jma.go.jp/jp/contents/)を見守ってきた。この地区は降り始めてからずっと赤色に染まっていた。(赤色は一時間に100mmベースの降雨がある印)。遡って4時間くらいが10分間隔で見えるので、傾向値がつかめるのだ。そして私は、この地方で甚大な被害が出そうだ。と昨日の朝から思っていた。もしそうでなければレーダーが間違っていることになると思っていたのだ。だが、実際には大変な被害が発生した。このサイトは携帯電話でも見ることができる。問題は私でも予想がつくのに、市や町や、ましてマスコミは黙っている。そしてにっちもさっちもいかなくなると、避難指示を出す。「自主的に避難してください」程度の案内ならもっと前から出せるはずだ。結局高い税金を払っても何もしてくれないのである。一方、そこに暮らす人は、動物の本能としてこのひどい雨なら大変なことが起きそうな事くらい察知しても良いはずだ。それほどひどい雨だったのだ。ちなみにここ関目でも先週の土曜日に赤いマークが1時間に渡って点いたことがあった。私は家の中でのんびりと雨を見てたのだが、その雨は凄かった。近くの国道一号線が完遂して、車が閉じこめられた事故が発生したとのことだった。僅か1時間でさえこれです。
9月3日(土曜日)
早朝目が覚める
余りにも早い目覚めだが、台風の事が気になるのでそのまま起きてTVのスイッチを入れた。高知県を直撃する。室戸岬の西40kmと言う。私の家から室戸岬まで50kmだから、直線だと丁度私の村くらいかなと思っていた。ニュースでは夜須に上陸したという。家から自転車で15分程度西だ。父に電話をすれば、風も雨もなく、曇りの日のようだと話していた。台風の目のなかにあったのだ。結局高知では稲穂も倒れないで無事だったとのこと。今日は台風関係のニュースを延々と見た。最近は台風と言っても現場で雨風に打たれながらの報道はない。アメリカでは今でも日本の昔のように報道してますよ。NHKなんかスゴイ美人がよどみなく情報を淡々と伝える。一寸迫力無いぞ。どうやらNHKでさえも、視聴率をYoutubeに譲っても仕方ないと考えている節があるようだ。一方大阪では雨風もなく、朝洗濯したしたものは夕刻取り込むことができた。全く普段の曇りの日と同じだった。それで、妙に気が抜けてしまい、日課としているプールも断念してしまった。
9月2日(金曜日)
台風来襲

2つの台風が襲ってきた。一つは紛れもない12号だ。田舎の父に電話で確認して、国土交通省のレーダーで芸西村の雨量をチェックして問題ないことを確認する。雨雲は徳島県と和歌山県の南側に張り付いているようだ。久しぶりにTVを見る楽しみができたというもんだ。高知の人は台風のTVを見るのが好きだ。僕の友人に言わせると、高知の若い女性の一人が彼の事務所にいるが、僕たちと同じ気持ちになるそうな。そしてもう一つの台風は、会社のことだ。退職支援の通達だ。組合員は転職の勧めだった会社通達が、管理職は「通達」に変わるようだ。そんな会議が夕刻開催された。いわゆる首を洗って待っておけというやつですね。日経新聞に掲載されるかと思ったが、新聞は新総理のほうに重点を置きどうやらこれはニュースに掲載されないようだった。考えを整理するために歩いて帰ることにした。道中にいつも顔を合わせ、朝の挨拶をするレストランの女将さんがいる。店を「かきもと」さんと言い、一度は訪問しなければと思っていたので、今日は良い機会だから入ってみた。店はきちんと整理されていて、気合いが入った店だと感じた。この女将さんは愛想が良い上に、一人若い女の子の店員がいてこちらも可愛かった。24歳だと言う。そして料理が抜群に旨い。これは、仲間と本格的に来なければならないと思った次第。この店で気分を良くしたのでそれ以上考えを進めることができなかった(飲み過ぎで)
<かきもとさんのぎょうざ、久しぶりにジューシーな餃子>
9月1日(木曜日)
発展的解消
総合朝会で僕らの職場は発展的解消をして新たな組織に組み替えになるとの発表が幹部からあった。併せて、新しい職場への転身支援制度の案内がメールで届いた。こうして日本の貴重なノウハウが海外に流出してしまう機会ができてしまうと思いましたね。どうして日本では花開かない従業員が、海外では花開くのだろう。特に韓国においては。それはマネジメントそのものにあるようだ。重要な事とそうでもない事の判断が日本の仕組みではできにくく、韓国はそれができるようだ。密かに尊敬する日本電産の永森さんもそのような事を書いていた。いつの間に日本はぬるま湯になったのだろうと。ともあれ、あと一年を残す身としてものんびりとしてはいられなくなったのだ。
8月31日(水曜日)
プレ懇親会とフォロー懇親会

今日は職場の仲間がマレーシアに出向するため、送別会が開催された。その人はO氏だ。僕と一字違いの名字だ。開催時間は午後7時と少し遅め、そこで職場のTopからお誘いが。この人は大のお酒好きなのだ。そこで懇親会が始まるまでに30分だけ飲むことにした。京橋駅前のまついさんだ。ここなら立ち飲みで丁度の時間となるはずだ。それで二人で店に入った。すると何と今晩の懇親会に参加するメンバーの一人がそこで飲んでいるではないか。早速彼を近くに移動させて3人での酒盛りとなった。やがて時間が来て、送別会の会場に赴いた。ここで2時間ほど飲んで、解散となった。ところがこの3名がたまたま京阪電車での通勤であり、京阪電車京橋駅構内にあるサントリーのバーでもう一杯飲むことになった。送別会の時にハイボールで話題が盛り上がっていたので、こちらではその流れでハイボールを頂いた。もう一人は若手だが妙に言うことが青臭いので、二人して彼を押さえ込もうとしたため、話が盛り上がり何と各人4杯も頂いてしまったのだ。
<OBPビルから見る夕陽、この世の終わりかのような天候>
8月30日(火曜日)
FBを見なければ一日が始まらない

そんな現象に欧米の人達は陥っているようだと聞いたことがある。確かに知人が新たな出来事をUPすれば知人達が一斉に反応するのは致し方ないこと。だが、そんなことがまさか自分の世界に降りかかってこようとは思わなかった。でも現実には起きてしまった。毎朝、日経の電子新聞を見るためにPCの電源を立ち上げる。インターネットのデフォルトの頁はYahooだ。右の方にメールボックスがあり、ここに何通のメールが届いているか表示される。普段は日経テックオンとディスプレイサーチかアマゾンかこれらの内2つくらいが常連だったのが、6つとか7つかが平均的になってきた。そのメールはFBからの案内なのだ。昔の職場のメンバーとフィリピンの友人が呼びかけて来る。お友達の承認をして、その人の最近の動きを見るとあっという間にタイムアウト。日経新聞を読む暇がない。FBは世界の人々の時間をむしばんでいる。
<自宅の近所、この運河に沿って通勤をする>
8月29日(月曜日)
静電気と靴

同じ職場に私と同じ年齢の男性が2人いる。そして全く同じ挙動をしているのに気がつく。それは足が上がらず、靴を引きずって歩いているのだ。足音で誰か分かる現象が起きていた。その結果平坦な場所でつまずくことが起きるのだ。若いときは足が上がっていたのにいつの間にか足が上がらなくなっている。どこかの筋肉が落ちているからだ。私は体力の低下を嫌って毎日16,000歩を歩いて(一週間で京都まで歩く距離だ)いるが、どうやら足が上がらない現象はこれとは関係ないようだ。何ともしようがない。そして、つまずく問題点の他にもう一つ問題がある。それは静電気だ。冬の間ドアノブに振れると「バチッ」と音がして静電気が放電する。あれだ。それが夏の空気が湿っているときにも発生する。一昨年はこの現象が起きやすい靴を一掃した。一時はこの対策で小康状態を保っていたが、最近しばしば再発するようになってきた。相当やばくなってきているぞと警告信号が点る。さすがにリーガルの靴はそんなことは起きませんが、日頃の通勤にリーガルは一寸もったいなくて履けない。<通勤道中にある花、いつもここには昆虫が群れている>
8月28日(日曜日)
Face Book
私が元所属した職場にFBの波が押し寄せてきているようだ。先週に続き今週にも友達案内が届いた。様子を尋ねると、職場の皆さんでFBをしているとのこと。普段顔を合わせているから何で今更FB?と言う気もしないではないが、これは使い方を習得するためにもどんどんと利用した方が良いと思う。かくいう私も未だにこれを十分に使いこなせてないのだ。FBのためにその国の政治体制が変わったなど威力は凄いのだ。個人と個人が会話をする。それを知人が見て意見を言う。2チャンネルのようでもあるが、無責任な事は書けない。実名だから。だから結構本音が語られる。本音で語ると人の輪は結構力強い。いずれこれを活用したアクション映画が登場するだろう。どんな悪知恵を創造しストーリーに盛り込めるだろうか?楽しみである。フィリピンの女性からも又一人紹介があった。ずいぶんと友達リストに名前を登録したぞ。フィリピンと言えば絶対にリゾートである。仕事で通っている間に、何とかしてここの海で泳ぎたいものだ。それには彼女たちの力を借りよう。FBはこのためにあると言っても良いのだ。その訓練に今日もプールで泳いできた。二日間で6km泳いだ。
8月27日(土曜日)
お部屋ジャンプリンク
早い話がDLNAです。門外漢の人には早い話も関係ないかも知れないが。要はネットでつながった機器同士で映像のやりとりが出来ることです。パナソニックのDLNAはVIERAとDIGAをイーサーネットケーブルで接続して、TVでDIGAの映像を見ることが出来るものです。録画した番組と、HDDにため込んだ写真が対象。しかし普通写真はDIGAのHDDなんかにためたりはしませんね。PCのHDDですね。そこで、PCの映像が、VIERAで見られないのか?答えは見ることが出来ません。ところが、「PS3 Media Server」と呼ばれるソフトをインストールすればPCにため込んだデーターが見られるのです。「mp4」これは、ipodで見ることが出来る映像規格。「m2Ts」これは、ビデオムービーの映像。「flv」これはYOUTUBEなどの動画を取り込んだ映像。「JPEG」これは写真。この4つの規格は無事見ることが出来ました。「Vob」これはDVDの映像、しかし、こちらはPC側で映像を変換して送り出しをするのだが、PCの能力不足で変換が間に合わず見ることが出来なかった。それと、3つの音の規格「PM3」 「WAV」 「WMA」も認識しなかった。でも、イーサーネットケーブル1本で、DIGAの映像から、PCのデーターまで沢山見られるようになり、DLNAの便利さを満喫できるようになったのです。そこでHDMIの立場が微妙になってきました。
8月26日(金曜日)
友と

今日はK氏との懇親会だ。その前にどうしても大事な用件があった。それは今度タイに行くが通訳が必要である。その問題が今日解決したのでホットした。今回はフィリピンにも行く。こちらは、英語が使えるので、何とかなるがタイ語はどうしようもないのだ。もちろん現地には英語をタイ語に変換できる人は大勢いるが、私の英語→タイ人の英語認識→タイ語となるといささか厳しいのだ。今日の懇親会は京橋の丸徳さん。最近はここがお気に入りである。級友はもう既に定年されているので、僕にとっては何かと参考になる話が多いのだ。まずはお金の話。こちらは実践されているので明確に分かる。見えてきたぞ。次に家族の話。これは途中何度も中断した。と言うのはこの店にはTVがあり、阪神戦が放映されていた、阪神が丁度反撃を始めたのだ。隣のおっさんもこちらの話に加わって長い話になった。見ず知らずの人と、野球で盛り上がれるのは阪神くらいだと何度も聞かされたが、実際にそうなった。このおっさんは相当な年なのに、子供は赤子なのだ。僕が子供事で大変であるように、将来おっさんも大変だろな。この連れ添っていた奥さんは、旦那さんに(おっさん)マメにお酒を注いでいたのが印象に残った。そういえば妻と毒はよく似ている漢字ですね。最近どうしてこうして似通った「字」にしたのか理解できるようになった。
<風もなく寝屋川にはビルがクッキリと映る>
8月25日(木曜日)
天候不順
昨晩もたっぷりと8時間寝たがまだ寝足りない。アメリカの新聞はハリケーン(Irene)の話題が常にTOPだ。大阪の天候も怪しい。日本の各地で記録的な豪雨。気象庁は理由を明かさない。梅雨前線が云々、そんな事はレーダー画像をみればわかることだ。その背景を研究して明らかにするのが気象庁だろうが。頭が良い人と、立派な仕事をする事とは違うことをもう十分経験してきたので、目くじらはもう立てないのだが。結局アメリカ当たりで、この本質的な部分が話題になってくると、それぇとばかりに気象庁も言い出すだろう。日本には"identity"と言う言葉が存在しないのである。朝ゆっくりしたので、きょうは合羽をもって自転車で向かった。15分で職場に到着、朝食はビルの一階にあるマクドナルドでエッグマフィンとコーヒー、380円。昼間ものすごい雲行きになり、和歌山当たりでは大雨だったが、こちらまでは届かず、雨にも濡れなかった。毎日記録的な豪雨のニュース。
8月24日(水曜日)
お誘い

休暇効果がまだ持続していて、今日も朝から仕事を飛ばしていた。ところが、夕刻お誘いの電話が。久し振りだから行くことに。仲間はN氏とF氏。話題は定年後の収入の件。僕と同じように殆ど何の情報を持ってない。もう一つのテーマは人生を語ることだ。つまり生き方の問題ですね。ここまできたらもう自分を肯定するしか無い。それをわかって欲しいと周りの人に言うだけだ。それで酒がススム。時にここだけの人の悪口も。話は聞くが、ホントは理解はしてない。だが本人は言うだけで満足感を得られる。酒も手伝って同じ話の繰り返しで時間はすぎて行く。リストラの話しも出てきた。どうやら今月末には、募集というか、肩叩きが始まるようである。私の今いる職場は存在しないようだから、僕もリストに含まれるかもしれない。最後まで現役で仕事を続けたいのだが、叶わないかもしれないと思と淋しくなる。だがお酒があるので深くは考えないのだ。ローマ帝国の時代からこのような生活と言うか習慣はあったようだ。となると、人間て本質的な部分では余り進歩してないようだ。
<午前8時半には36度を達成>
8月23日(火曜日)
たっぷりと8時間寝た。
最近はよく眠れると言うか、疲れが激しいのだ。夜の9時を過ぎると、もう目がしょぼついて"go to the bed"だ。Bedでなくて布団だが。コレを我慢して11時を過ぎると、今度は眠れなくなってしまう。今日は会社を定年された顧問と少し話す機会が有った。現役の頃は役員さんなので、僕のような立場では会話の機会が無かったのだが、今は僕のITスキルが必要なため、こうした機会もあるのだ。氏の要件を聞きながらも、最上級の情報に接すると、自分の持っている考え方を補強できるし、立ち位置も確認できるのだ。数年前管理職を離れると途端に情報量が少なくなり、会社の事は外からの情報でしか見えなくなった。仕方ないことだ。もっと読書をして、磨くしか無い。と、言う事で紀伊国屋で書籍を数冊週末用に購入。
8月22日(月曜日)

休み明けは身体が軽い。頭の方も幾分か回転が良い。それに夏休みの間の英語の特訓は非常に効果があり、海外から届くメールは翻訳機の力や、辞書を引かなくても理解できた。やっぱり英語は時間をかければかけるほど身に付くということです。文章を書くのも、誤字のチェックをするだけで、簡単な英文が書けた。翻訳機に通すときちんと日本語が出てきたのは嬉しかったですね。益々英語にはまりそうである。だが、今日はこればかりに関わっては居られない理由は、H氏の実母が亡くなったメールが届き、お通夜に参加することにしたのだ。場所は西宮なので、一旦家に帰り服を着かえて弔問した。久し振りに見るH氏も随分お年を召されたようで、僕も含めて人生の終わりに近づいている事を感じた。日中はカメラの撮影もあり、随分と動いたのか、疲れが激しく10時には床に着いた。
<キリギリスは捕まり、オドロいて目を点にした>
8月21日(日曜日)
2kmと3km
金土日と3日間プールに通った。毎日2kmメートル泳いだ。夜眠くなるような体へのダメージがない。休暇中は体も休んだと言うことかと思って、最終日の今日は3km泳いだ。ところが、この+1kmが十分効いてしまい、プールから上がると体重は1kgも落ちて、体が綿のように疲れている。風呂に入っていると居眠りをするし、異様な疲れなのだ。たった1km。時間にして20分強。自分の中にあるエネルギーの容量を自覚しましたね。5年くらい前、まだ千葉にいる頃にはこの境は3kmと4kmであったのだ。映画を見てて、もう自分にはこんな事は出来ない、あんな考え方は持てないなど、映画の主人公に同化できない自分を感じることがある。それもこれも自分の中のエネルギー容量が使い古した携帯電話のバッテリーのように少なくなっている所為だと思う。だから自ずと読む本や見る映画なども好みが激しくなってきているように思える。自分の容姿を鏡でみるとぞっとする。
8月20日(土曜日)
シリウスの道
WOWOWで放映された番組。貧しい中学生3人が家庭環境の悪さから友達になる。その3人が大きく成長して社会人になった。25年の歳月の後が今回の舞台。一人は辰村。この人は大手広告会社(博報堂のような感じ)に勤めている。一人は大東電気(松下電器のような感じ)の副社長、半沢の奥さん昭子。もう一人は、大東電気のリストラの余波を受けて倒産した会社の従業員だった克哉。この克哉が大東電気に脅迫状を送るところから物語が始まる。半沢は奥さんの関係から広告会社の辰村に目をつけ、事件の解決を依頼する、一緒に大東電気の大キャンペーンのコンペにも参加要請する。この広告代理店は大手とは言え、同じ取引先に対して、違う営業所がぶんどり合戦を繰り広げるといういささかおかしな仕組みがこの物語の基本にあり、辰村の方の所属する部門が正義で、横取りしようとする営業所の方が悪を演じる。最後に社長が出てきてけんか両成敗となるのだが、(僕なら、こんな仕組みで経営することを許した社長にむしろ問題があると思うのだが、そういうつっこみは無しなのだ)。ところでシリウスの道とは何か、それは克哉が描いた絵のタイトルで、この絵の時が幸せだったと言うのが落ちになる。昭子が中学生の時に天文に凝っていて、三人でこの星を眺めた想い出を絵に込めた。天童荒太の「永遠の仔」と非常によく似たストーリーだ。この映画で印象深いのは辰村役を演じた内野聖陽だ。続けて見た「悪人」は主人公となる妻夫木が、光代と一緒に2日間灯台に隠れるのだが、妻夫木のひげがいつも剃りたてであるのが妙に現実味が薄れてしまう。
8月19日(金曜日)
TVにかじり付き

丁度雨模様だし、カーテンを閉めてエアコンを効かして、録りためてあったBDのチェックを行った。注目ポイントにはチャプターを打ち(BD-Rは録画後でもチャプターは可能)そのシーンをカメラに収め、確認ポイントとする。このような作業を延々と行った。パブリック・エネミーズは評論家が押す推奨ソフトでじっくりと見た。注目すべきはグラディーションですね。ジョニー・ディップのひょうきんな演出はパイレーツ・オブ・カビリアンに通じる部分もあり好感が持てた。シャラポアのウインブルドンでの試合は、テニスボールが余り軌跡描かず飛んでいくのを見てPDPの応答性を感じた。和菓子の特集では鮮やかな色合いと、自然素材を使ったグラディーションなどがポイントと思った。ダニエル・バレンボエム指揮アレサ・ワイラースタインのチェロでは、アレサのチェロがある部分で音程が微妙に狂い、普通なら聞き逃すべき所を繰り返し再生したので一層明確になったりして思わぬ発見があったりした。この映像は、楽譜が白飛びをしているのかどうかがポイントだ。克明に映像を拾っていけばいろいろと発見があるものだと思いましたね。DVDの再生はBD側で1080iに解像度アップするのが一番鮮明度が高いと思った。TV側でスケーリング処理するのは程度が低い。一日引きこもりだったので、なみはやドームのプールへ。親切にもこの従業員さんは9月1日に50mの競泳コースを開放するので来られたらと案内くださった。一度泳いだことはあるが50mは長いですぞ。オリンピックの競泳をみるとあっという間なのだが。
<DVDの再生であるが鮮明>
8月18日(木曜日)
熱さにダウン

この夏高知でよさこいを撮影してきた。一つは一眼カメラでの60iの動画。一つはPAL仕様だが3Dの動画。先の動画はBDレコーダーでいとも簡単にディスクに記録できるが、PAL仕様は一旦PCに取り込んで、COREL VIDEO
STUSIOでオーサリングしてディスクに焼く作業となる。ところが、どうも昨晩作業中にPCがおかしな動作をしたので一旦中止をして、今朝再び取りかかったのだが、一切電源が入らないのだ。昨晩は暑く、PCの内部温度も45度を示していた。もしかして熱でやられてしまったのか?このPCは仕事でも随分活躍してくれているので放っておく訳にはいかず、早速日本橋に向かったのだ。TWO
TOPさんで聞くと、ボードかCPUかメモリーかどれが悪いのか見てくれるというので、早速診断を申し込んだ。結果当時2万円もしたボードがいかれていることに。問題はボードだけ変更することは出来ず、CPU、メモリー、ボードの購入となった。CPUは少しおごってi5の3.1GHzに、メモリーは4GBとした。この店員さんは非常に親切で、BIOSの確認と設定方法を教えてくれた。早速帰って装着するものの、やっぱりHDDは認識せず総入れ替え作業となり、店員さん曰く一番ハードルの高い作業となってしまった。深夜になってやっとおおかたのアプリケーションを入れて完成した。この出費は2.5万円。これをどう見るかですね。普通PCが壊れると買い換えとなり相当な出費となるのですが。i5の3.1Ghzだから僕は安いと見たのですが。
<中央のファンの向こうがi5,このボードはUSBポートが7個ある>
8月17日(水曜日)
いよいよ3D環境
これは僕の弱さかも知れない。来月はTVの仕事をするのだが、どうも自分の情報武装に自信が持てない。海外では強烈なライバルであるSamsungやLGが覇を競っている。そんな環境で戦っている仲間達に、自信を持ってもらうためには僕自身が一層の高みに登ってなければならない。と言うことで、最新のTVを買って勉強することにした。ついでにレコーダーも。P42GT3とBZT600。届いたのは夜の9時過ぎでいろんな事は出来なかったが、とりあえずつないで見た。アンテナとかは接続をせず、手持ちのBDを再生する。照明は全暗で、メニュー設定は「ユーザー」を選択し、明るさは光に力のある程度まで絞り、黒レベルや緑のレベルを変更した。深みのある色とコントラストが抜群でしばし時を忘れましたね。映像のイコライジングはAV雑誌でよく特集されているが、これをまずはマスターしなければならない。TVは簡単に使えることが最大の特徴だが、いじれば相当深いところまでいじれるのも事実だ。そうしてベテランの船長が岸壁にぴったりと船を着けるかのように、僕もこのTVを自由に操ることが出来るようになりたいのだ。
8月16日(火曜日)
大阪へ

T氏と一緒に車で明石に向けて12時に出発した。出発の天候は雨模様で、所により晴れと妙に不順。だが高松道に入ると晴天となり、暑い日差しの中を車で駆け抜けた。道中の話題は音楽。私はこの友人を持って幸せだと思うのは、音楽が語れるからだ。なかなか音楽の分かる人は高知の周りにはいないですね。グランドピアノの話になった。グランドピアノの雄はスタンウェー。このグランドピアノと、アップライトのピアノの違いは何だと思います?グランドピアノは弦を下からハンマーで叩く。アップライトは、弦を横から叩く。鍵盤を押す力でピアノの弦をたたくのですね、そして、ハンマーで弦をたたく時のは同じ仕組みだが、ハンマーが復帰するメカはこの2つは違うようだ。そして、グランドピアノのほうはハンマーが復帰の途中で再び鍵盤を押しても、ハンマーは弦をたたくそうだ。つまり非常に早い演奏はグランドピアノで無ければできないということらしい。ところが、ついにアップライトのピアノにグランドピアノのメカニズムを取り入れた追加キットがサードパテーから発売されたという。この改造キットを担当する技術者は次のように言ったとか。ヤマハのピアノはメカニズムの中に鹿革が採用されていて、他のメーカーは合成樹脂だと。改造して調整するにも違いがあるが、やはり演奏フィーリングが違うと言う。やっぱり一流どころにはそれなりの理由があると思いましたね。途中休憩などを挟んだが、4時間を少し切って明石に到着。満員の新快速で大阪に帰ってきた。お米を持ち帰っているので重く、京阪電車への乗換えでは、荷物のキャスターに挟まれて手を怪我してしまった。ところが、それを見ていた大阪のおばさんはすかさずバンドエイドをくれた。おせっかいのわずらわしさと、親切が入り混じった大阪。少し元気は衰えたが、味があるのは大阪だ。夜、「特命係長只野係長」を見た。ここにも大阪から出たくないという営業部長が登場する。
<高松道から見る讃岐富士>
8月15日(月曜日)
ハローワーク

午前中は図書館で本を読んだ。午後昼飯に図書館を出ると、ふつふつと自分の頭を去来するものがある。アナタハソレデヨイノ?難しい英字新聞の翻訳や、日経エレクトロニクス特集号など、結構頭の痛い本を読んで充実度を高めていたはずなのに、この声に心が動揺してしまった。それで、食事は抜きにしてこの夏の一番のテーマである就活に高知市にあるハローワークを尋ねることにした。もちろん自転車だし、髭もそってない。しかし、一度この雰囲気に慣れておく必要がある。赤岡のボートビアの公衆電話で住所を尋ねて訪問した。受付では、「検索ですねと」、言われてPCの番号札をもらう。所定のPCの前に座り、とりあえず操作をしてみる、ところがどう入力しても、タクシードライバーの求人しかヒットしない。高知には仕事が無いのだとあきらめて、受付に訪ねてみると、あなたの操作が間違っているかも知れないと言うのだ。えぇ!PCには詳しいはずだが。でも私の操作が間違ってましたね。高知にも仕事はあるのだ。特に目を引くのは、MacでWebを作製するという仕事。受付でもう一致度尋ねると、ハローワークでの登録を行ってくださいという。つまり、仕事を斡旋するには私のプロフィールが必要であるということだ。TOEICのマークシートのような紙に必要事項を書き込む。そして受付に提出。すると今度は更にやさしいお姉さんが登場して、記入した用紙の修正をしながら打ち込みを行う(つまり登録ですね)。びっくりしたのは、このお姉さん(50歳位)は非常に親切に応対してくれるのだ。職探しの人は心がすさんでいるから、応対する職員も当然ながら心がすさむ、そう思っていたので、いい面で肩透かしだ。ここで分かったことは、60歳以上のフルタイムの仕事は難しいということ。しかし、Webの仕事が高知にもあるとはオドロキだ。もちろんこの門は狭いだろうが、そもそもWebなんて仕事があるほうがおかしいと思いますね。それに、いまどきWebのデザインを良くすることでクライアントが満足するのだろうか?と言う疑問もある。表向きはWebデザインだが実際は、何てこともあるだろうな。見ていると、もっといいものあった。JA土佐芸西。つまり高知の僕の家から見える農協が人材を募集している。年収120万円。この半分でよいので就職すれば、年金とあわせて200万円。余った時間を農作物の出荷に充てて父の名義で収入を得ることができれば、最もよい収入源だと思いましたね。年収300万円も夢ではないと。今のところこれがメイン。
<ビニールハウスの向こうがJA土佐あき芸西>
8月14日(日曜日)
老後

定年後の過ごし方をどうするのか、それが今年の夏季休暇のテーマであるが、人に自分の考え方を話すことによってだんだんと自分の考え方が固まってきた面もある。両親が目に見える速度で年老いている。このまま放っておくわけには行かない。やっぱり僕は田舎に帰らなければならない。と言うのが第一だ。では高知にはどんな仕事があるのか?ここは田舎に詳しい父の弟、つまりおじさんに話を聞こうと、今夕訪問した。父の弟は花卉の栽培を行っている。この人の近所の人たちの多くも花卉だ。今はまだ仕事をしてないので、ゆっくりと話を聞く時間が持てた。まずは、我が祖父の実家でメロン栽培のプロがいると事のことなのだが、コチラの状況を尋ねてみると、どうやら、コチラは園芸組合のTOPのコネが必要らしい。僕には大きな設備をかけて農業をするつもりは無いので、これは選択肢からはずさなければならない。次にここから西に5km行った夜須にはトマトの栽培がある。このトマトは、ほとんど枯れかけのようにして栽培する方法で、フルーツトマトと言い、甘くて高価なようだ。非常に有力株だ。これは、週に4日間勤め、年収150万円稼ぎ、3日間で農業を行い、年収50万円を得る。これならあまり無理も無く現実性が高いように思えるのだ。その後、おばさんがいろんな料理をしてくれた。どれも旨い。料理の秘訣を聞いてみた。今回のポイントはなべにあるようだ。このなべは何層にもなっていて、蓄熱タイプのなべだ。表面加工もしっかりしているので油を引かなくても、焦げ付きはしないとのこと。つまり肉のような少々の油分があると、油無しで調理ができるというわけなのだ。
8月13日(土曜日)
就活

今日の予定は何も無い。犬の散歩の後、図書館で読書。英語新聞の翻訳、「放課後はミステリーとともに/東川篤哉」、「就職活動の手引き」。この3つを交代で読んだ。犬の散歩の時にも新聞によく掲載される単語を暗記しながらだが、英字新聞はそうやすやすと門を開いてくれない。難解な単語と長い文章とで壁は厚いのだ。とりわけ僕には形容詞と名詞の使い分けが理解できなく、単語も同様に形容詞が覚えにくいのだ。「放課後はミステリーとともに」はいたって安易な読み物で、霧ヶ峰涼君と呼ばれる高校2年生の女子学生がいろんな事件を解決してゆくのだ。しかし事件には少し動機の面で賛同できかねる部分もあるが、疲れた頭には絶好の読み物。もう一つのマニュアル本は、厳しい指摘があるので、読み飛ばすことなく一字一句丁寧に詠み進めている。年齢の上限からくる制約が多く、簡単には就活はできそうにも無い文面だ。サントワマミーだ(目の前が暗くなる♪)。この図書館は朝の9時から開館している。村も粋な計らいをするもんだ。最新の書籍は少ないものの、リクエストすれば適うこともあるとの事。椅子も結構な椅子で時々居眠りもできる。静かに夏季休暇が過ぎていくのでありました。
8月12日(金曜日)
晴天

今日の予定はなにもない。ローソンまで犬の散歩に往復1時間半。犬も少々ばて気味。9時半に村の図書館が開くのでそれまでに部屋の掃除を済ませた。村のリゾートである(単に涼しいから)図書館で、本を2冊借り出し読むことに。汗の収まったところで、英語の新聞を取り出し翻訳開始。福島原発の事についての論文では、水素爆発直後、原発付近の住民に対する政府の危険情報が報道されてないことを結構なスペースをとって報道している。今回は政府の危機対応が非常に遅く閉鎖的であることに僕も気がついていたので、この記事には大いに賛同した。日本の新聞もこのようにしっかりとした調査をして、報道できるようなプロの記者を採用して欲しいものだ。昼過ぎ小腹がすいたので、近くのスーパーで弁当を買って、海辺の松林で昼飯にしようと自転車で移動をしていると、友人たちが車でやってきた。彼等はゴルフが早く終わったので、僕の居た図書館に誘いに来たというのだ。今から飲もうと。と言う事で、友人のT氏宅を訪ね、昼間から宴会が始まった。高校野球を見ながら冷たいビールを、エアコンを効かした部屋で見る。これは至福のひと時であるが、エコから離れているなぁと思いながら飲んだのでした。その後、もう一人の友人と海辺の松林に酔いを醒ましに出かけた。気持ちのよい風に吹かれて海を見るというのもまた一つの幸せで、静かに夏が過ぎてゆくのでした。今日は雲ひとつ無い晴天で、更に高い最高気温を獲得したようだ。午後9時過ぎには大きな睡魔の波に襲われて床に就いた。
8月11日(木曜日)
よさこい祭り

昨年は見ることができなかったが、今年は炎天下で見ることができた。空には雲ひとつ無く、早速自転車に空気を入れて出かけた。いくら太陽が強くても自転車は風に吹かれるのでそれほど熱くはならない。とまると汗が吹き出るが、走行中は全く問題がない。1時間半程度で知寄町の会場に到着。テントの下の日陰はさすがに埋まっていて、日差しが照りつける場所に陣取った。午後になると日陰になるだろうから問題は無い。隣にはおばあさんの方が座っていたので、早速話しかけた。それは、隣の人と親しくなると、トイレに立つときにカメラを見守ってもらうのに便利だからだし、それにいくらか事情が聞けるし、開場までまだ1時間も待ち時間があるのだ。若い子は問題があるが年寄りとか子供連れのお母さんなら問題が無い。このおばあさんはこの近くにお住まいだとかで、夏のこのお祭りに向かってみんなが結集することに意義があるような話をしていた。今回は3Dムービー1台。一眼カメラ3台。フルHDコンパクトカメラ1台。三脚2本。これだけを持ち込んだ。知寄町の会場は踊り子の動きが少ないので写真を撮影しやすいのだ。定番である「十人十色」は現れなかったが、「とらっく」が出場した。今年はこの「とらっく」が一位を獲得したので目的は果たせたというわけだ。午後4時過ぎに友人が中央公園の踊りを見に行こうと誘いの電話がきた。コチラは踊り子さんが移動しないので良く見えるという。しばらく並んで、やっと最前列から2番目の位置まで進めたので、ここで椅子を広げて観覧した。持ってきた280mmのレンズではちょっと厳しい距離だ。それに暗くなるとシャッター速度を200分の1秒に固定すれば、ISOが1600にあがってしまう、LUMIX_Gシリーズでは厳しいのだ。途中で撮影を断念し踊りを楽しむことにした。今日は約2,000枚を撮影。録画も2時間弱。どこまで、編集できるかは疑問があるのだが。その後、友人のK氏宅に寄り、ビールを飲ましてもらう。自転車は彼の車に乗せて明日届けてもらうことにした。もう一人の友人の車で家まで送ってもらう。
8月10日(水曜日)
帰省

今日は定時に退社した。明石で友人と待ち合わせをしてそこから車で田舎まで送ってもらうのだ。その道中の4時間半が久しぶりに会う間の出来事を話し合う時間なのだ。僕のほうはもっぱら就活についてだ。最大の関心ごとがこれ一本。次には英語の勉強だが、コチラは番外編なので割愛。友人は子供も結婚をしているので、老後の問題は格別無い。友人たちの間では僕だけがあくせくしているようだ。明石海峡を渡って淡路島を通るルートであるが、食事をしてないので淡路島の休憩場所で名物「たまねぎラーメン」を頂く。これがなかなか旨いのだ。それに少しだけコーラーにも合うのだ。島を抜けるところで坂本冬美の話になり興奮のために降り口を間違い、徳島に行く予定が高松に向かいことになった。遠回りの高松道は、台風6号の話題で香川県を切り抜けた感じだ。今回の台風は波が異常に大きかったので、話題もたくさん合ったのだ。結局帰り着いたのは11時過ぎの日付が変わる前だった。父が熱い風呂を沸かしてくれていたので、疲れが飛んでいった。虫の音が聞こえ、暑い中にも秋が来ているのを感じる。少し強めの冷房設定で寝たが、何と朝方はコンプレッサーが回ってなかった。高知では今でも朝は結構温度が下がる。
8月9日(火曜日)
フィリピン人
今日はTVの会議。アジアの各国からこの会議に参加している。彼等も日本は暑いと言っていた。そのはず、今日は今までで一番暑かったのだ。カンガンに冷房を利かした部屋で会議。僕はカーディガンを持参したが、今日はさすがにそこまでは至らなかった。それほど外気は燃えていたということだろう。会議は午後7時まで続くという。フィリピン人のレナードさんに夕飯を一緒に食わないか誘っていたので、それまで事務所に戻って待つことに。僕は一足先に退散だ。午後3時に退散したが、この時は更に熱くなっていて、外に出ると顔が焼けるようだった。昨年の5月インドのデリーで同じような経験をしたことがあった。インドは暑い上に臭いのだ。日本は暑いだけなのでまだマシだった。この暑さに糞尿が臭ってきたら目までやられてしまう。事務所に帰るとシンガポールから来た顔見知りの女性がいた。名前が出てこないのはいつものことだ。非常に歯切れの良い英語を話す人で好感が持てる人。新人の女性を連れていて紹介していただいた。この人も中国名だった。優秀な人を採用すると中国人だったというのはアジアでの常識。午後7時半無事JR京橋で、レナードさんに再会して丸徳さんにお連れした。ここは大きな皿に料理が載っているので、指差すことができるから、言葉は少なくてよいのだ。中の兄ちゃんも僕たちの対応のために日本語がおかしくなっていたのが、おかしかった。カイゴと卵の煮付けは旨く約することができたが、こんにゃくだけは、どうも伝わらなかったようだ。
8月8日(月曜日)
仕事口
ウイン企画を訪問した。ウイン企画は人材派遣会社。長いつきあいのある会社だ。最近の調子を伺ったり、買い物相談をしたりする用事があったのだ。僕自身の目が海外に向いていたため、地デジ後の動きはなかなかつかめないでいたが、どうやら国内の家電業界はIH家電のほうに向いているとのことだ。このようなニュースはなかなか新聞ではつかみづらい面がありますね。それと少しだけ一眼カメラの方向にも向いているとの事。ブームの去ったTV市場にさっさと見切りをつけて業界が動いているということ。ここらでTVも路線変更して受信機をはずしたモニターだけにして、外部からいろんな機器を接続できるものにすれば、違う展開になるのではと思う。外部機器にいろんなアイディアが盛り込めるようになるし、最先端のWebの規格にも応じられるようになると思うのだ。一旦買ったら10年はその規格の範囲でしか映像を映し出すことができない今のTVは時代を映してないと思う。その後社長の家を訪問することとなった。都心のど真ん中にあるマンションだが、作りがしっかりしていて信じられないほど非常に静か。年老いて田舎暮らしもよいが、便利な都心に住むというのもアリだと思いましたね。一緒に行った仲間が一言「独り者はいいなぁ」同感であります。
8月7日(日曜日)
英語のHP
フェイスブック友達の事は書いた。その中で、カメラに非常に興味のある友人を紹介された。それに対して、僕はカメラのサイトを立ち上げるので是非見て欲しいと返事を書いた。書いたものの、どんな構造にすべきなのか今週はずっとそのことを考えていたが、2つの写真を比較する方が良いだろうと思った。一つはオートで、一つはマニュアルで。違いを見てもらうのだ。もちろんマニュアルはカメラのテクニックを披露するのだ。それでタイトルをWhich is better?とした。英文でHPを作るのは結構骨が折れるのは、簡単な英語でもスペルに自身がないので辞書の都度、辞書のお世話になるからだ。でも、一方では、ユーモアやジョークを交えたプライベートなHPはいつかやらなければと思っていたので今回時間をかけても立ち上げ出来たのは良かった。お客様は少ないかも知れないが、これで日本語と英語と2つのサイトを運営出来るようになった。
8月6日(土曜日)
英語でしゃべらないと
NHKの番組でこんな番組がある。自転車でしまなみ海道を旅するのを英語で行うとか、日産のマーケティングを担当する女性の英語の奮戦記とか。英語の勉強にもなるが、やっぱり英語の重要性を強く感じてしまう。なんでこんな事にもっと早く気がつかなかったのだろう。世界は英語で出来ている。ずっと昔から、洋楽のPOPのCDは2,500円なのに日本のPOPは3,000円。何でこの価格差があるのかをきっちり調べるべきだった。30代や40代はまだ勉強をする時間があった。この20年間無為に過ごした事は僕の人生での最大の汚点であると思う。僕の頭の構造は知恵はなかなか宿らないが、知識は宿りやすい構造であるのだ。今からどんなに頑張ってももう舞台が無いのだ。だが教訓を誰かに話しても分かってはもらえない。墓に持っていくしかない。今日は大阪の花火大会。会場が新大阪近辺なので断念。
8月5日(金曜日)
塔の上のラプンチェル
久しぶりに早く家に帰り、ツタヤでレンタルを借りて一方でダビングをしながら一方で映画を見た。今晩見たのは「塔の上のラプンチェル」。神様が地球に授けたたった一輪の花、この花を利用しておばあさんは年を取らないで過ごしてきた。ところがある時その国のお后が子供を身ごもったときに重大な病気になり、心配した国民はこの花をお后に煎じて飲ますと、病気は回復して見事な女の子供が生まれた。ところが生きる糧を失ったおばあさんは、この子供をさらって誰もやってこない塔の上に閉じこめてしまう。女の子の名前はラプンチェル。この子の髪はおまじないで金色に輝き、年を取ったおばあさんを若返らせてしまうのだ。希望を与えるすばらしい作品だ。日本語はラプンチェルを中川 翔子が担当。こちらがなかなか良い。そして極めつけは画質がとんでも無くキレイと言うことだ。3D版もあり、これは当面の注目株だ。
8月4日(木曜日)
果たして大丈夫なの経済

副島隆彦氏が予言した2011年の後半からドルが失速してリーマンショックを超える不況に突入すると言うのは2009年の書籍だった。ところがこの話が現実に近づいてきている。彼の暴言とも言える話は実は非常にわかりやすい根拠に基づいている。アメリカの債務は日本がバブル崩壊で被った約1000兆円程度ではなく、その6倍程度の規模があるようだと指摘。各国が目先の経済の為に投じたお金などとうてい火消しには役立たず、その効果が薄れる2011年後半から危なくなると書いてあった。そしてその解決にはドルの暴落しかあり得ない。50円程度までは考えられると。こうした非常に明確な根拠で経済を語っている人を見たことがない。日本の国を信じろとはもう誰も言わないが、廃墟となる日が近づいてきているのに、このままで良いのだろうか?
8月3日(水曜日)
懇親会

かねてから約束をしていたインドを担当するメンバーとの懇親だ。「丸福」さんにお連れする目的だったが、何とこの店は本日が休日。朝から営業をしているので年中無休かと思っていたのだが。私がかねてから思うのはインドはやっぱり特殊であるのと同時に、ここに携わる人も妙に日本人離れをしている感覚を持っている。それでどうしても会話をしていて超えられない溝を感じてしまうのだ。非常に単純な疑問さえも飲み込んでしまうほどだ。それは今回も同じ。ただ、伺ったお店は「鳥せい」さんなので、日本酒を飲み始めると、頭の混乱でそんなことはどうでもよくなってしまった。ここの日本酒の原酒は誠に旨い。旨いがアルコールがなかなか抜けないので困る。帰りがけに500mlの水、帰り着いて更に500mlの水。まだまだ、それで近くのツタヤさんにレンタルの下見。熱帯夜の中を30分ほど歩いてやっと回復。今日は晴天だったので気温も幾分高めだったのが幸いした。
8月2日(火曜日)
昔は足が長かったが

来週から夏季休暇にはいるので、夏季休暇用の映画を準備するためにBDディスクとかを日本橋のダイテイさんに買いに行った。もちろん自転車だ。昔は東大阪〜日本橋〜万博の森〜枚方と大阪市内80kmを毎日駆け抜けていたもんだった。関東でも千葉から秋葉原まで70kmを結構ツーリングした。僕の日常の足(行動半径)は結構長かったのだが、最近は自転車に乗ることもなく、京橋との往復8kmが行動の範囲で非常に狭くなっていたので、久しぶりの自転車は気持ちが良かった。そしてこの店の隣にあるシマ無線さんにもおじゃました。目的は鈴木さんの話を聞くことだ。今回はFoober2000の調子が良くないとかで、その原因について可能性を教えてくれた。最近192khz24bit音源が話題になっているかと、話を伺うと、アメリカのサイトだがワーナーから相当数配信されていることも教えてもらった。ホテルカリフォルニアを少しだけ試聴することが出来る。いきなり針のような繊細なシンバルが聞こえてきた。爽快な音であった。シャンティーも話題になっていると話を向けると、今度はサンプルCDだが、ガラスCDを出してきてくれた。CDがガラスで出来ているのだ。お値段は10万円。こちらはゴミダメで鶴を見たような驚くべき光景に出くわしたと言うべきだろう。いつまでも聞いていたかったがそうはいくまい。浜岸さんにも会った。彼の音楽の選曲センスは抜群でここで聞いたCDを買えばほぼ間違いがなかった。オーディオの商売を長い間続けてきただけあって、商売に対する姿勢がなかなかすばらしい。日本橋にはこのようなすばらしい人がまだ残っている。帰りの雨を心配したが、家に帰り着くと途端に土砂降りの雨になった。今日の走行距離は40kmくらい。
8月1日(月曜日)
Face Bookについて

世界で7億人が利用しているこのサイトはIT人間である僕にはなにかぴんと来ないものがあった。メールでいいやんか。と思っていたのだ。ところが、昨晩フィリピンのフェイス仲間からお知らせが届き、大量の写真が掲載されている頁に案内されたのだ。人の写真集を見て楽しいか?Yesです。実はこの写真集は女子高校生卒業28年後の集いと言うテーマで撮影されたものであり、映っているのは玉石混合だが、フィリピンの女ばかりなのだ。そのフェイス仲間はフィリピンに働く我が社の社員であり、彼女の同窓会の写真集なのだ。そして全てが実名入りだ。名前を知ったからと言ってどうって事はないのだが、何だが知り合いを紹介されたようで楽しくなるのでした。そして、もう一通は、そのうちの一人が友達になって欲しいと言う案内だ。こうして、向こうに住んでいる人達と何か共通の話題を持って語ることが出来るのですね。PCで翻訳をしないと英語が話せない僕にとっては少しハードルが高いが、英語圏の人々は世界の人達と会話が出来るこの道具のありがたみは格別のものだろう。
7月31日(日曜日)
深読み
毎週の週課としてのデビットボーグさんの記事の要約もだんだんと板に付いてきた。今までは不要な単語は読み飛ばすか、無視するかをしていた。だが、今日の訳文は何となくではあるが、不要であろう単語もきちんと意味をなしているように読めて来始めた気がするのだ。そして、訳文は突然文章の流れが変わることなくきちんと終わりを迎える文章になりつつあるのだ。取り組み始めて3年目で辞書があれば新聞記事は訳せるようになりつつあると言うのが今のレベル。「高速メソッド英語勉強法」を買って読んでいると、僕が編み出した英訳が堂々と採用されていたのに驚いた。それは、直訳であり、英文を行ったり来たりして日本語に直さない方法なのだ。例えば、私は好きだ、あなたが。僕の訳は大体このようにしてたが、この本も同じ教え方をしている。外国人が日本語を話すときもこのように話す。少し日本語が分かる外国人にはこのように話すと旨く伝わる。今年の夏季休暇はいよいよ小説に挑戦だ。
7月30日(土曜日)

今日は静岡の伊東だ。先輩の高橋さんが住んでいる。当面のスケジュールが明確になったので、今日は時間があるのだ。高橋さんは名古屋時代の先輩だ。彼とはずいぶんと名古屋近辺の温泉を訪れた。そして芸者を上げてずいぶんと飲んだ。とりわけ温泉は岐阜県の下呂温泉がベストだった。蒲郡が二番。三重県の青山が三番と言った感じか。彼はもっぱらビールしか飲まないので、僕も同じように教育された感じだ。高橋さんの仲間に虻川さんがいるが、彼もビールを教育された一人だ。今日の目的は、定年後の過ごし方についてのアドバイスを聞くためだ。氏は再就職の面接官を永く務めたので、いろんなノウハウを持っているのだ。とりわけ一番のアドバイスは身辺の整理だと言う。身内との関係をどうするか。差し詰め僕には両親がいるが、両親との関係をどうするのか考えなくてはいけないと言う。高知に帰って農業をするにしても両親をどのように面倒をみるかなのだ。ウチの父に限ってそんな負担となることは無いだろう、とは思うものの、これは今までの沢山の実例が物語っているから、アドバスがあるのだ。と言う話を、伊東の魚屋さん兼居酒屋さんである「うな金」さんで話を伺った。だんだんとビールが進むに従って、話が要約されてゆき僕の中にも確信めいたものが固まった。問題は明日まで記憶が残っているかだ。そのあと高橋邸に伺いPCの設定だ。思い返せば、僕が訪問するときは必ず、PCにかんする設定の要件がある。世の中にはPCで困っている人が多いのだ。午後三時の電車で帰途に着く。途中は大雨。三島駅で乗り換えたが、待合室では大雨のニュースが流れていた。気候が大変なのだ。食料不足も遠い先のことでは無い。高知での農業の選択肢も現実味を帯びてきた。
7月29日(金曜日)
HDコム

我が社の開発したビデオ会議システムにHDコムがある。最近は頻繁に利用されているが、今回久しぶりにこの会議に参画した。これは名前の通り映像がHD(1080i)である。H.264規格3Mbpsの転送速度の映像なので、地デジと比べると少し落ちるかな程度で、HDスカパーや、通信によるVODとはいい競争をするレベルである。今回はインドとの通信だったが、向こうのPCでの作業をそのままカメラらに写したが、それでもよく分かったと言う優れものである。実はVIERAにもスカイプと呼ばれるビデオ通信の機能があり、こちらは720Pの映像であるが、これもそこそこ使えるのだ。こちらはTVの他にカメラ代約1万円程度なので非常に安い。HDコムの価格は不明。ネットでは検索出来ないのだ???。ソニーのシステムは120万円くらい。たぶんこれに近いはず。もうすぐスカイプはモバイルでの活用となる。こうなると距離の問題はなくなり、全く新しい世界が見えてくる、当然ながら新しいビジネスも見えてくる。
7月28日(木曜日)
人事面談と異常気象

人事の面談があった。定年後の生活のことを聞かれ仕事をする旨を伝えたが就職戦線は非常に厳しいとの解答だった。僕には会社の背景が無くてもwebの立ち上げや出版のアシストなど出来ることはかなりあるのでゆっくり仕事を探そうと思っていたのだが、それは甘いとの指摘だった。でも分かったことは会社ルートでは助けてくれないぞ。やはり自分で頑張らないと、と言うことだ。一方で天候異常が続いている。日本の天候もさることながら、アフリカの干ばつとアメリカの干ばつと豪雨。中国の豪雨、ネパール、韓国も。世界の異常気象は実は計算されていたのである。地球シュミレーターが数年前にこのことを予測していたのだ。そして食糧危機がやってくる。食料を輸入に頼っている日本としては大変な問題がすぐ目の前に迫っているのでもある。一方、友人のO氏は来年から農業をしようと声をかけてくれている。農業には今までと違ってフォローの風が吹いていることは確かなのだ。子供の学費のことを考えると4年間で600万円の仕送りを考えなければない。農業でこのことが実現できるかどうか?
7月27日(水曜日)
スケジュールの挫折

8月にはインドとタイ行きを計画してたが、インドの方はインド人の来日が延期になり、スケジュール調整が進まないとのことで、ほぼ実現は難しくなった。インドでは9月の後半にディワリと呼ばれる需要期があり、日本の12月とほぼ同じような商戦期をむかえるから、その前にインドの販売店を訪問しようと目論んでいたのだ。もう一つのタイの方は、僕の相棒であるシンガポールのR君が、別の用件でタイを訪問し、ついでにトレーニングの仕事を済ませてくるとのメールが届き、こちらも頓挫した。と、言うことで8月のスケジュールは空きとなり、急に負荷が外れたようになったのだ。重い荷物を担いで山登りをしていて急に雨が降り出し引き返すようになったようなものです。空いた時間を埋めるには休暇に限る、折しもT氏から高知に帰る日程の連絡があり、休暇を一日早めて便乗させてもらうことにした。もう一つは、こちらで出来る準備を完全に仕上げておこうと入念な資料の読み込みをすることとした。
7月26日(火曜日)
Do you know "Ted Williams"
この人はアメリカのオハイオ州のホームレスの男性52歳。なぜ、この人が有名なのかと言えば、声がいいからだ。神から授かった声の持ち主だと、本人はいい、ネットで公開されるや300万件のアクセスがあったとか。また、アナウンサーの仕事が提供されているとか。それで早速YouTubeで見たが、僕にはその魅力が感じられなかった。アメリカ人にはアメリカ人に感じる声質があるのだろう。そこで僕は思いましたね。英語の勉強はノアやその他の教室があり莫大な金額を払って勉強するのはやっぱりおかしい、アメリカではホームレスの人でさえ立派な英語を話すのだから。と言うことで、英語はまずは慣れと単語の習得だと。そこで、今日からは単語カードを作り覚え込もうとする方法に変えました。記憶は昨日Okでも、一晩寝るとすっかり忘れ去っている。この年になると記憶をするには厳しいものがある。一日に記憶として残るのはせいぜい10個くらい。厳しいがこちらはほぼ無料に近い。
7月25日(月曜日)
天神祭花火大会
今日は天神祭の最後の仕上げとしての花火大会。仕事の終業後、京橋の立ち食いうどんでスタミナ細うどん380円を食べて徒歩で桜宮に向かった。8時頃からのスターだが、カメラに収める好位置を確保するためには早めの移動が大切だと思い、カメラ2台、三脚1本、ガムテープ諸々を持って出かけた。多くの警官が立っていて花火の場所を聞くと2カ所で打ち上げをするという。僕は天満橋に近い方に向かった、というのは、そちら方面は鐘が聞こえ相当にぎやかだったのだ。丁度木の陰でバックに誰もいない場所が見つかり、この手すりに三脚をガムテープで固定して準備を終えた。待っていると観覧の船が次々とやってくる。その都度お互いに挨拶を交わすのだ。挨拶は手拍子で、二回打って拍子が入り、次に三回打つ。最初はこの奇妙な風習に興味がわいたが、行き交う船が何度もこのことを繰り返すため、途中から撮影することも止め、今度は五月蠅いなと思い始めた。勝手なもんですね。午後8時やっと暗くなり花火が上がった。まず最初にクレーンでつり下げたタイトル看板に灯がともり花火のスポンサー名が表示される。それから花火。この繰り返しなのだが、その間隔の長いこと、一寸間延びしますね。そしてもう一方の会場では、この間に花火が上がる。しかし観客はこの両方を見ることは出来ない。その間には大きな橋があり視界が寸断されているからだ。困ったことに僕のいる場所は、陸の招待観覧席に近い場所でありながら旨く花火が見えないのだ。目の前には遮るものはないのに。じゃましているのは花火の煙だ。花火から見れば風下になるため、花火は煙の中で光っているのだ。光が拡散され音の迫力はあるけれども美しさは感じられないと言う悲惨なものだった。写真よりもビデオの方が幾分ましだったかな。こうして今年も暑い夏が終わりました。
7月24日(日曜日)
天神祭

今日は大阪の天神さん。一年で一番暑いとき。天神さんを見るのは今年が最後だと思いカメラを持って出かけた。もう南森町当たりから御輿が動いていて、カメラの設定もそこそこに山車について行くと、北野天満宮境内へ。もう人でごった返している。じわじわと前の方に詰めていって、やっと撮影体制に入れた。境内では御輿が動き回るので静止画よりも動画の方が最適だと考え、G3のフルHDで撮影した。背の低い私でも手を一杯伸ばして液晶モニターを下向けるとそこそこの撮影が出来た。天神さんの囃子は鉦と太鼓の組み合わせで単調だがすぐに耳になじむ。この囃子に併せて踊り子さんが2名踊っている。そんなに綺麗な人ではなかったが、指にVサインをして踊る姿は、伝統の意味があるのだろう。こちらの方はフルHDムービーSD750で撮影した。少し距離がありズームでアップしたが、この手ぶれ補正は強烈でほとんどぶれなかった。御輿は男も女も担ぐので、美人がいれば撮影しようと静止画で構えていたが、ちょっとだった。まぁ神事ですので、あまりそればかりを狙うのも何かなと思いましたね。美人は含有率30%のよさこい祭りで撮影かな。一旦お開きになったので、ヨドバシカメラに向かい、Ei−Fiを買った。これはSDカードの中にWi−Fi機能があり、カメラで撮影しながらPCに静止画が送れるという優れもの。4Gで5,980円だった。この優れものについては次回報告だ。今日は一杯汗をかいたので京橋の立ち飲み「まつい」さんで大ジョッキを一杯引っかけた。890円。東京にはこう言うのが無い。気分良く帰りの途についた。<写真は御輿を勢いよく上に揚げたところ>
7月23日(土曜日)
330点

TOIECの点数。前回は230点。前回は適当にマーキング。今回は意志を持ってマーキング。自分の実力が分かった。かなり多くの文章の構造は理解できるようになっているが、単語を覚えてないので判断できない文章や会話があることが分かった。それで、早速NHKのテレビ英語の録画を始めた。検索すれば相当ヒットする。これを小マメに見ることと、英語の辞書を毎日10分程度読むこと。この2つの追加で500点は獲得できると思いました。英語は教室に通わず、お金をかけずにマスターするぞと言うのが僕の意志です。昼間、咲くやこの花館で花の撮影。アマチュアカメラマンのグループが来ていて、用もないのにカメラを乗せてない三脚を立てたまま。ひどいマナー。ここの従業員は言いやすい人には注意をするが、言いにくそうな人には何も言わないのにも腹が立つ。僕も当然彼等のレンズの前に陣取り自分の撮影を優先した。こんな人達に遠慮は要らないのだ。イスラムの教えに目にはめ歯には歯と言うのがありますが、共感です。
7月22日(金曜日)

シンガポールに出張するのにふとしたことで遅くなってしまい、空港に着いたときには飛行機は出発してしまっていた。空港で聞けば明日の便しかないと言う。そこで旅行会社に電話をして変更の手続きをしてもらおうと電話を探すがないのだ。仕方なく、空港から出て近くの民家まで行き電話を貸して欲しいと頼めば、そこに別れた妻が居た。小学生の女の子と男の子が居た。こんなところで暮らしていたんだと納得。電話のある居間から奥を覗くと、いくつか間取りがあり、結構大きな家なんだと思った。ビール瓶があり、この家では毎日晩酌をするのだと見た。昼近かったので焼きめしを出してくれた。小学生の女の子には旅行会社の電話番号を調べてもらった。いつの間にか近所の奥さんがたが集まってきて、これが前の旦那さんだったのか的に僕をじろじろと見た。電話も通じてお礼を言ってその家を出た。それは緑の田んぼと竹に囲まれた田舎の家だった。こんなリアルな夢を見たのは久しぶりだ。晩飯は外食。
7月21日(木曜日)
商売のネタ
この職場のトップが定年されてもう半年。現在は顧問である。時々事務所にも顔を出される。今は会社の歴史を語る講演会を開催されている。そのために、昔撮影した写真をパワーポイントに貼り付ける作業が必要になる。問題はデジカメの写真は簡単にできるが、フィルム写真で焼いた印画紙をパワーポイントに貼り付けるのは難しい。それに色が出ない。それで、何枚か少し前に僕が応援してあげたら、すっかり気に入っておられ、今日事務所に見えたとき、どんな方法で?と聞かれ説明をした。話を聞けば、そんな写真が相当ある。どうすればよいのだろうか?一枚1,000〜5,000円程度で世間では商売されてます。と答えた。それで思いつくのは我が社の幹部にはこのような人は相当多いはず。つてを便りに、写真の修復、ビデオの修復、バックアップなどのビジネスがあるかも知れない。
7月20日(水曜日)
レンズは新しいほどよい

このたび発売になったLEICA新レンズ25mmF1.4を早速試してみた。夕刻の太陽を直接撮影した。モニターでは結構ゴーストが目立つが、シャッターを押した後の写真ではゴーストのゴもないほど、すっきりと太陽が撮影されている。今日は職場の女性陣と−2度のビールが飲める展望レストランに行った。ついでに写真も数枚は撮影させてもらった。(ホントはこちらが目的だったが)さすがにポートレート用のレンズなので、人の写真はウツクシク写ります。横顔なんか、左目にピントを合わすと、右目は少しぼけている。こんな差でぼけるのか?これは凄いレンズだと思いましたね。週末の天神祭を撮影する目的で借りたレンズだが、すでに真価を発揮してます。
7月19日(火曜日)
台風6号
西日本急襲の台風6号である。国土交通省のリアルタイムレーダー(とは言うものの、5分くらい前の雲を観測するレーダー情報)を2時間程度前に遡り、時間の経過とともに変化する雨雲を見ていると、今台風の目が何処にあるのかよく分かる。今日は何度もこの作業をして高知県沖を通過する台風を追いかけていた。高知の友人K氏にメールを送り状況を確認すれば、新庄の辺りが波に洗われていると言う。僕らが高校の時代にもこの新庄のあたりは鉄道のレールが波をかぶったことがある。しかし、当時の土佐電鉄はそんなの関係なく、電車を運行していた。会社もまだ若かったんだろう。怖いものなしだったのだ。台風に関する事件はこれくらいで、大阪の天候は雨が上がり、朝乾していた洗濯物がすっかり乾いていたほどだ。僕としてはがっかりですね。
7月18日(月曜日)
台風6号
台風には異様な関心がある。あの凶暴さと、非日常には共感する。そこで、TVを見ない私も久しぶりに電源を入れると、何と日本女子サッカーの「なでしこ」が優勝したと言うではないか。スポーツに関心のない私もYhooの一面にニュースとして過去掲載されていたので気になってはいたのだ。ニュースでの報道なので、試合はホンの一こましかないが、これは確かに今の日本にとって元気をもらえるニュースでしたね。会社のトイレのおばさんと毎日話すが、この間こう漏らした。最近TVを見るのが嫌になる。「管総理が出てくると気分が悪くなる」と。多くの国民がこのような気分にあるかも知れない。そんな中での清涼な話題だけにみんなが喜んだだろう。さて台風。昨晩父に電話をすると、今回は家自体が危ないかも知れないと言っていた。そして、毎日台風のニュースばっかり。くるならさっさと来て欲しいと漏らした。確かにそれは言える、ニュースは大きなのが来るぞとじらしすぎの感があるのも事実だ。
7月17日(日曜日)
塩梅が分からない
もう何十年もの間、水泳を続けている。おかげで、肩が回らないようなトラブルとは無縁だ。3.5kmを越すとエネルギーの枯渇で風邪を引く。平泳ぎで潜れる距離は35m。息継ぎ無しでクロールできるのは50m。一時間に2.5km位泳げる。昔からこの記録に変化がない。それで今日も夕刻プールで2.5km泳いだ。最近は最後の500を平泳ぎとかバタフライとか、背泳とかに当てて、いろんな筋肉が使われるように配慮している。今年バラフライを習得できたので4種目が実現できるようになったのだ。そこで思うことは、いつまでこんな事を続けられるのだろうか?昔から運動量を変えてないが果たしてこれは正しいのか?の2点である。
7月16日(土曜日)
出不精
一年の内でこれは暑いと思える日は、ホンの数日だ。だから昼間はエアコンが無くても、窓を開けたままでも過ごせる。BDにため込んだ映画をBDにダビングしながら過ごした。最近映画の興味はミュージカルに移っている。はらはらどきどきが無いのと、音楽がなかなかいいと感じられるようになっているからだ。きっかけは「バーレスク」だった。ストーリーは余り頂けないが、唄が凄く良かったのだ。関連して「コーラスライン」を想い出したので、早速レンタル。ついでに「シェルブールの雨傘」も。あのカトリーヌ・ドヌーブが歌を歌うのだ。この人は映画の役が彼女のイメージにまとわりつかない程の強烈なイメージがある。大概の女優は○○の映画で云々と言われるが、彼女はそうは言われない。「雨に唄えば」「オズの魔法使い」はHDで残せた。いずれ、高知にシアタールームを作り、120インチの5.1chシステムを組むつもりだ。このときのためにソフトをためているのだ。
7月15日(金曜日)
大阪ファジー会

今回はW氏欠席のもと開催。新大阪で開催した。何で新大阪と言えば、新大阪にキリンのおいしい店があるのだ。今日の新大阪はものすごい人混みだった。3連休のためだろう。キリンケラーヤマトはビールが旨いはずだが、ところがどうも今日はそんなに旨くは感じなかった。今日の目的は夏季休暇の過ごし方だが、T氏と僕のプランが合わず、先に進まなかった。近況を報告しあったが、最大のテーマは全国ファジー会を開催しようと言うことになった。僕は大阪がよいと主張したが、どうやら静岡県のつま恋になりそうだ。ここは東京と大阪の中間地点なのでと言うのが単純な理由。帰りはものすごい睡魔が襲ってきたが、僅か10分程度の乗車時間を寝るわけにはいかない。では家に帰り着いて単純に寝るかと言えばそうではなく、レンタルやさんに行って、ソフトを物色した。なかでも「パーマネント野バラ」は必須ものだ。なぜなら高知県の土佐市が舞台だから。ところがこの映画高知弁が大阪弁になっており、全然ダメ。友人達には薦めにくいですね。
7月14日(木曜日)
Fさん

社員食堂で昼飯を食べていると、東京の友人であるFさんが隣に来て座った。明日の会議に備えるためだという。余りにも話すことが多すぎて、食事の間では足りず、喫茶店にいって話し込んだ。今年の9月でご定年を迎えるとの事で、送別会の予定が立て込んでいる。僕は丁度このときが一番の繁忙期に当たるのでスケジュール調整が難しくなっている。特にインドはディワリと言って、ヒンズー教の人達にとっては一番のお祭りのシーズンなので大きな需要が発生する。大体9月〜10月だ。このときのために事前に活動することが重要なのだ。それが8月の暦なのだ。一方でムンバイのテロ事件。とりあえず混乱している。そこで話は元に戻るが、定年後の過ごし方についてだ。もう一人のKさんは暇でしにそうだと言う。F氏のプランを聞いてみた。儲けなくても良いから何か行動するとのこと。では、もし僕が農業をするときには時々手伝ってもらえるかな?SUREと快諾を得た。僕には子供の大学卒業させる課題を抱えているので他の人とは違う深刻さがある。だから、農業はもう少し先の話になるのだが。
7月13日(水曜日)
蝉が鳴き始めた

京橋のOBPでは10日から、関目では本日から蝉が鳴き始めた。と言っても今日は一匹だけだ。いつもよりも早く梅雨が明けたので、蝉の方も頑張って出てきたのだろうと思う。千葉に住んでいるときはこちらで鳴くクマゼミではなく、アブラゼミだったのでどうも夏の気分が出なかった。クマゼミはうんざりするような暑さを伴い耳の痛みを感じる。これはなかなかいいものだ。これにJAZZが伴い五味祐介さんの本でもあれば夏全開ですね。今日はこの夏のためにアマゾンに注文を入れた。一つはスティービーワンダーのKey of Life だ。70年始めに新宿に住んでいて、後に高松に移った。しかし東京のあの華やかさが懐かしくて、休日を使って東京に行った。その時、新宿のライブハウスPit Inに、JAZZを聴きに行った。ここのPAはカンカンとなるアルテックのA7だった。待ち時間の間スティービーワンダーのKey of Lifeが流れていたのだ。ところが、この時のライブは何だったのかは忘れしまったが、この音楽だけが長い間残っている。そしてこのたび、SACDが発売された。シマの鈴木さんはどんなネットオーディオよりもSACDは凌駕すると言う。もう一つはヒラリーハーンのチャイコフスキーバイオリン協奏曲だ。彼女のバイオリンはここ数年オーディオマニアの間でずいぶんと評価が高い。まるで五嶋みどりの時のようだ。週末が楽しみである。暑い夏の過ごし方には音楽に限ります。
7月12日(火曜日)
アジアアフリカ中東会議

今日は門真で会議だ。最初の頃は余りわからなかったが、回を重ねてくるとだんだんと分かりだして、今では8割近くを理解しているのではないかと思う。もちろんパワーポイントが補足をするのではあるが。アジアの人達には全員挨拶をしたし、もう一年すれば本物になるぞとは思うのだが、もう一年はありません。今回の会議はiPadでメモを取った。バッテリーは十分に持つし、最初は文字入力が品番のアルファベットと、日本語文字入力が同一画面でないので戸惑ったが途中から慣れてきた。これは、電源の入り切りがないので、素早く中断できるし再開もできるのだ。長い文章を打てば、指先が痛くなるだろうが、会議のように要点をメモする程度なら問題がない。キングジムの電子メモを買いたいなと思っていた矢先なので、この使い勝手には改めて感動した。問題はこのメモをPCに同期するときに、itunes側の「PC側のデーターを同期する」ほうにチェックマークを入れたため、今日のデーターが全部消えてしまったことだ。やれやれだ。
7月11日(月曜日)
ライバル出現

暑いけれど通勤は徒歩である。動いて疲れてないと、どうも体力は回復しないようだ。行きの経路はほぼ同じでも帰りの経路は毎日変わる。明日の買い物をしたり、晩飯の材料を買ったり、晩飯を食ったり、その時の気分に因るのである。そして今日は京橋商店街を歩く。今日はいつもとは違った風景を見つけた。以前は何があったのか思い出せないが、新しく海鮮メシ屋が誕生していたのである。どんぶりの価格は400円程度で結構安く気持ちが惹かれる。少し迷ってみて入った。メニューを見ていると、どうやらマスターのような人が特別メニューの書いた紙を持ってきてくれた。見ると煮魚定食700円。さっそくこれを注文した。10分程度待ってから出てきたのは、もう何日も煮た魚だった。汁が魚に浸みて濃い味になっていたのだ、そして身も固くなっていた。少し危険信号が点ったのは言うまでもない。いろいろと観察していると、ご飯はレンジで温めて出している。料理の上で店員同士が話をしている。おひたしを追加したら少量なのに160円だった。などなど、いくつもの不具合が見つかった。それではいつも通っている「もとや」食堂は繁盛しているのかな?覗いてみると、客が少ない。明らかに影響を受けていましたね。しかし、この勝負はついている。今度言ったらおばちゃんに元気出してや!と言おう。
7月10日(日曜日)
朝7時半すっきりと起床。疲れも幾分和らいだ。毛布を近くの今ロッカーで洗濯。とにかく身の回りのものは全て洗わないと気が済まない潔癖性になりつつある。身の回りの臭いに悩まされているからだ。洗濯の待ち時間に、iPadでミュージカル「シカゴ」を見る。最近はiPadが無ければ生活できないほどにこの恩恵に浴している。帰るとニューヨークタイムズのデビットポーグさんのIT記事の翻訳。皮肉たっぷりのウイットの利いた文章で、日常会話の英語が学べる点もある。しばらくの間これに没頭。iPadでは、音楽を楽しむことのほうが映画よりも幾分楽しいことに気がついた。だが、音楽コンテンツの多くはレコーダーで録画してある。この著作権付のデジタル信号をどうにかしてVIDEO_TSに変換して、iPad信号に変換できないものか?ネットを覗くとずいぶんと難しそうだ。そこで昔購入した映像修正機をつかって、著作権信号を無効化し、HD画質をSD画質に落とす方法である。それを、DVD-Rに焼いて、DVD-VIDEO化する。ここまでくれば、iPad用の信号に変換できるはずである。早速試してみた。最初はアスペクト設定が出来てなくて失敗。2度目にオプションでアスペクト設定した。これで、ジャズからクラシックまで、BSデジタル放送されるものは、すべてiPadに変換できる体制が整った。夕刻プール2.5km。この元気の元は欠かせない。少々疲れたが一応ノルマは果たせた。
7月9日(土曜日)
飛行機の中ではやはり一睡も出来なかった。足の置き場が無いのだ。足を何とかして上げることは出来ないのか?「出来ません」!結局眠いが眠られないまま、朝の9時に関空に降り立った。9時半のJRに乗って天王寺へ、道中「13人の刺客」を見ていった。黒の沈みがものすごく、iPadでは、ほとんど闇のシーンを認識できない。たぶんこの映画はシャープのAQUOSで見るには相当な困難が予測されるだろう。この映画、明石のワンマン殿様の暗殺を描いた物語だが、その殿様役をスマップの稲垣吾郎が演じていた。この殿様だったら殺されても仕方ないと思う非情ぶりを発揮していた。そして家臣たちはこの殿様を守ろうと必死に暗殺団と戦う。そのむなしさも描く。殿様は最後まで突っ張ったまま暗殺される。それもよし。と思える稲垣君の役者ぶりだった。京橋に降り立ち、居酒屋「丸福」さんで一杯。この店は朝から飲み客がいる。一人客は皆本を読んでいる。本を読みながら酒を飲んでいる。それもありかな。僕はiPadを広げて「TRON」を見た。この映画は低音がものすごい。きっとサラウンド効果抜群のソフトだろう。中ジョッキ2杯。きゅうりの酢もみ。ごぼうの煮付け。とこぶし。マグロの刺身。とにかく醤油味に飢えていた。家に帰るとこのマンションはひっそりとしていた。まるで無人の屋敷みたいだった。汚れ物を洗濯機に放り込み、シャワーを浴びて早速眠ることに。何もしなくても良い、何も考えなくても良い、この瞬間がたまらない。目が覚めれば日常の作業が待っているからだ。
7月8日(金曜日)

今日も昨日と同じ倉庫の会議室で会議がある。ホテルには商品担当が迎えに来てくれたが、何と元スチュワーデスの女性。綺麗だが、話す速度が速いのでナカナカ理解できない。やっと共通点が見つかったのは、インドのコルカタの話、バングラ難民が多く貧しい街であることを話してくれた。僕もこの街は少し歩いたので良く知っているから共感を得た。今日の会議は2セッション。昼食はマクドナルドへ。セットが6リンギット(180円)日本ではマックセットは620円程度するので幾分安い。午前中はセールスマンだが、全員が女性なので、昼食はこの人達と一緒なので女性に囲まれての食事だが、彼女らは普段は中国語を話すのでちんぷんかんぷん。中国語は「広東語」と「福建語」とを使い分けているとか。午後は地元のディーラーさんを集めての会議。コチラは相当面白かった。午後5時過ぎに会議は終わり、タクシーを呼んでもらって空港へ。このタクシーは20年ほど前のコルトギャランでもう壊れかけだった。運転手も相当なご年配で、車と同じようだった。出発まではシンガポール航空のラウンジで過ごすため向かった。ところが、僕のスターライアンスメンバーのチケットでは入れない。レーマス君の友達だということで入らしてもらった。8時半の出発は相当遅れて出発したが僕には関係の無いことだ、なぜならシンガポール空港で午前1時20分まで時間を費やさねばならないためだ。飛行機での移動については、ホント、ラウンジは欠かせません。今回は時間があったので、少しラウンジ以外の過ごし方について研究してみた(と言ってもぶらついただけだが)そうすると、いろんな設備があることが分かった、一つはホテルがある。少し仮眠を取ることができるのだ。ジムもあった。ここで少々疲れて、ホテルで休めば、飛行機の移動もそんなにきつくは無いと分かったしだい。次回に備えよう。とりあえず、今回はラウンジで過ごそう。タイガーのビール2杯、ジョニクロのウィスキーに切り替えた。そして眠くなり寝てしまった。目が覚めると、なんと出発時間20分前だった。
7月7日(木曜日)

朝6時過ぎ、ホテルをチェックアウトした。8時半の飛行機でマレーシアに向かうためだ。空港には30分で到着した。いつものようにラウンジで待っているとレーマス君が来た。彼も日本やインドに行き、シンガポール航空のゴールドメンバーになったのだ。彼の顔は幾分青ざめていて、理由を尋ねると、PCのパスワードを忘れてしまい、PCを開くことが出来ないというのだ。頭の良い彼にもウィークポイントはあるのだ。シンガポール〜クアラルンプール間の飛行時間は40分。東京〜大阪と同じような感じ。バスでも6時間程度らしい。これも同じ感じ。マレーシアは近年発達した国だが、シンガポールと比べるといささか汚く、空港も貧弱だ。マレーシアのタクシーは安全だが、それにはルールがある。税関を通り抜けた直後にあるタクシーチケットの販売店でチケットを買うのがポイントだ。それ以外のタクシーチケットではダメなのだ。多くの外国人はこうして、この小さなチケット販売店に並んでチケットを買う。ホテルには1時間程度で到着した。少し待っていると、ダニーさんが迎えに来てくれた。彼とは旧知の仲だ。早速昼飯に連れて行ってくれた。中華料理の店だ。レーマスさんやダニーさんは最初英語で話していたが、いつの間にか中国語になり、僕はちんぷんかんぷん。食事のあと大きな倉庫に向かった。ここはマレーシアの国中に当社の商品を出荷する倉庫なのだ。巨大な倉庫である。この国には更に4つの拠点があるとの事。倉庫を見ると懐かしい橋本さんの顔が浮かんでくる。それはともかく、この倉庫に併設された会議室で僕らは夕刻まで仕事をした。それからホテルまで送ってもらったが、太陽が高いので時間を気にしてなかったが、気がつけば8時過ぎ。急いでレストランで食事。マレーシア料理はあまり旨くない。
7月6日(水曜日)

7時に朝食に出かけた。だがシンガポールは朝が遅い。この頃やっと明るくなるのだ。それでビルの軒下を借りて営業している食堂はまだほとんど営業をしてない。少し歩いていると一軒だけマレーシア料理の店があったが朝からナシゴレン(濃い味つけの焼き飯)はしんどいぞ、と言う事でホテルのレストランへ。こちらは、日本のビジネスホテルの朝食のような感じで、一般的だ。味も格別面白くは無い。市内から少し離れたところにある販売会社が今日の会場だ。ここにジェームス君がいる。32歳のAVお宅だ。もちろん「でぶっちょで気が優しい」。これは世界共通のお宅の姿と性格。彼はAVのことにかけては天才的に頭が良い。こんな人は外国人でも大歓迎だ、僕の仲間だ。昼飯と夕飯は会社の近くにある「AVCマーケット」で頂いた。おそらく100店ほどの飲食店が軒を連ねている食堂街。大体1品が2シンガポールドル程度。夕食時、同じ会社で働く中国人のおばさんたちと一緒だったが、彼女たちは盛んにこのジェームス君の花嫁を探してくれと僕に要求された。僕の友人はもう少し年上であるのが残念だ。夜8時過ぎにホテルに送り届けてもらい、隣のITビル「シンリン」へ。前回は確か半年くらい前だが、様相が一変していた。それは、AVビューワーと呼ばれる3−5インチの液晶ディスプレイの再生装置(大体3万円程度)が一掃されていることだ。僕も食指が動き、いつかは買おうと思っていたが、iPadの出現で頓挫した。多くの人々も僕と同じような考えで、AVビューワーより、タブレット端末に走った。それでこの機器が店頭から一掃されたのだ。DVDプレーヤーの安価なモデルもあったので説明を聞いた。1万円で7時間再生ができるモデルである。これも魅力的だ。このビルにいると時間を忘れてしまうので慌てて帰った。
7月5日(火曜日)

11時関空出発のシンガポール航空で出かけた。シンガポールまでの飛行時間は約6時間。これは堪える。今日のエネルギーのすべてを放出様な感じだ。いつもタイ航空になれていると、シンガポール航空のサービスの良さが分かる。食事も心持旨い。それにワインも少しだけ旨い。その分高いようだが、同じ路線を飛んでないので僕には比較しようが無い。今日は風向きが良かったのか40分ほどは早く到着した。だが、到着口は建物の端で空港内を15分ほど飛行機は移動した。シンガポールチャンギ空港は非常に便利に出来ていて、入国もスムーズだし、荷物が出てくるのも早い。相棒のレーマス君に電話をするとホテルで6時まで待ってくれという。タクシーで移動した。車の外に広がる風景はまるで公園のよう。国全体が公園です。そしてホテルで待つこと1時間半メールが来た。8時過ぎまで待ってくれ。そして、9時にメールが来て、明日会おう。結局この日は近くの食堂でテイクアウトのご飯を買ってきて食べた。210円。シンガポールの屋台のような食堂はそこら辺りに五万とあり、どれが最適なのか僕には見分けがつかない。その多くが中華料理である。映画「バーレスク」は本物の歌手が出演しているミュージカル映画だ。歌と踊りの切れがすばらしく、映画「シカゴ」を思い出させた。この映画を見ながら食事をいただく。今日が59歳の誕生日だった。
7月4日(月曜日)

昨晩は厳しい水泳を行ったのに今朝は意外と元気。よかった。これとは関係のない話だが、新聞によると総務省もまたおかしなことを言い出した。5月に自殺者が増えたのは、ある女優が自殺をして、それをマスコミが報道したからだ。それまで一日82人だったのが、この報道を機に一日123人に増えたと。だから自殺を減らすには、マスコミが有名人の自殺を報道しないことを考える必要があるというのである。私はその原因となるものを取り除く相談所などの質的向上を図ることが急務であると言いたいのだが。彼等にはそんなことさえわからないようだ。そしてもう一つ別の話だが、日本の地方空港のほとんどは韓国の空港と結ばれている。たとえば、熊本の人がアメリカに行きたいときは、韓国のインチョン空港に行き、そこで乗り換えてアメリカに行くのが最も便利だ。荷物は熊本で預けるとアメリカで受け取れる。これが国内になると、一旦羽田まで飛行機で向かい、そこからモノレールで浜松町へ。ここで乗り換えて東京駅へ。更に乗り換えて成田へ。そこでやっと、アメリカ行きの飛行機に乗れる。その間重い荷物を抱えたままだ。これでは韓国を経由したくなるもの無理はない。グローバル時代のビジネスについては相当疎い日本のお役人さんはいつになれば気がつくのだろう。国の発展が無い限り、人々は夢を失い、自殺への道をたどる可能性もある。世界のビジネス界は東北の地震により日本から部品を買うのはリスクが高い、それで購買地の変更をするようになってきている。日本の部品メーカーもこのため、海外に拠点を移すようになってきた。つまり、日本への発注が少なくなるということです。それに、タイでは新政権が誕生しそうだ。タクシン派の政治家は経済を開放の方向シフトするだろう。そうすれば、ますますタイに生産拠点が集まる。ますます日本は復興から遠のく。失われた30年のシナリオが見えるようだ。
7月3日(日曜日)
TOIEC
英語にまつわる利権は日本においては相当根深く、これに携わっている人も結構利権がらみにあると思う。そしてそれをカサにして結構横柄なことがある。今日の試験は会社の施設である枚方で実施されたが、まるで収容所に入れられた捕虜を扱うかのような命令調で指示された。テストはマークシート形式で、これはスキャナーによる自動判読する為だが、マークシートの塗りつぶし方が、10年前に受けたときと全く同じように厳しく指摘してあった。スキャナーの性能向上を考えるとあり得ないことだ。そして解答は3週間後となる。「えっ」せいぜい200名程度のテストなら、1時間で解答できるとおもうのですが。何で3週間なのか不明だが、これが冒頭に書いた利権にまつわることで、何段階もの流通があるからだろう。テストの内容ははっきりとわかる問題もあったし、もう少し時間があれば文章がわかるというものあった。しかし、後一押しはやはり単語の記憶量が少ないので、誤った解答をしているかも知れない。200問の内、半分正解を得るというのははやり相当難しいことだと思った。NHKのラジオ英会話のレベルですね。この試験が終わると急に胸が痛くなってきた。胸の骨を押すと痛むのである。家に帰って少し眠ると和らいだ。昨日は右の肩胛骨が痛かった。それで、早速プールで体をほぐすことにした。1km位泳ぐと胸の痛みも取れ、普段の調子を取り戻した。今度はものすごい疲れが襲ってきた。完璧というのがあり得ない体調である。
7月2日(土曜日)
レベル低下
英字新聞を読んでいる。スパイダーマンの演劇について書かれた記事は、普段エレクトロニクスで使われている単語とは全く違うので、訳すのにものすごい時間がかかった。そして今度はエレクトロニクスの記事も、なんだか時間が余計にかかっている。1週間留守にしてたのだが、これがどうやら問題のようだ。実は明日、TOIECの試験を受けようとしているのでとってつけの勉強をしている。自分のレベルが今どの辺にあるのか気にかかるのだ。東京時代、僕は他人に対しえらそうに最低550点は必要だと強要してきた。が自分は何もしないままだった。そしてやっと行動を起こそうとしている。
7月1日(金曜日)
休暇
とにかく休日には何もしない。疲れだけを取る。そんな目的で休んだが、メールを開くと、いてもたってもいられないし、洗濯物は溜まったままだし、嫌なことに雨が降っている。レンタル屋さんに行って、DVDを5枚ほど借りてもきた。早速DVD形式とiPad形式でダウンロードした。友人達にはタイの体験を写真集にしてメールした。これには結構時間がかかったが、貴重な体験はまとめておくに限るし、後で英文に変換しておくと、別の機会にも使えそうだ。と言うことで、ごぞごぞしてたらたちまち一日が終わってしまった。果たして体安めになったかどうか。結構忙しい一日を過ごしたのでした。