自転車の歴史探訪

 
はじめに

 私が自転車に初めて乗ったのは、昭和30年頃であった。その頃は、まだ自転車は高価で、黒塗りの大人用実用車が家に1台あった。子供用の自転車は、まだ珍しかった。そのような自転車を持っている家は一部の金持ちであった。近所に医者の息子がいて、子供用自転車を乗り回していた。でもそれを羨ましいとは思わなかった。殆どの子供は持っていなかったからである。それに大きな大人用自転車に乗った方が、自慢になるからだ。この大人用の自転車に小学生が乗るのは大変だった。サドルにまたがると足が宙ぶらりんになり、手助けがなければ下りることもできないからである。そこで当時考えられた乗り方は、フレームの三角のところへ右足を入れ、サドルには跨がらずにそのままペダルを上下させるか、普通に回転させて乗る方法であった。これを三角乗りと言った。

 三角乗りは、まず、誰かに後ろの荷台の部分を両手でしっかり持ってもらい、乗り手はハンドルを握り、左側のペダルに左足を乗せる。そして、介助者に自転車を後ろから押してもらう。この段階ではまだバランスがとれないので、もっぱら後ろの介助者がバランスとスピードをコントロールすることになる。この練習を何回か積んだあとに、後ろの介助者が頃合を見計らって、支えている荷台から時々手を離す。倒れそうになると、また直ぐに荷台をもってやる。完全に介助者が手を後ろの荷台から離しても、バランスをコントロールできるようになれば、もう半分は乗れたようなものである。このバランス感覚を体が自然に覚えてしまう。次は介助者なしで、自分だけで自転車に助走をつけ、練習する。ハンドルをもち、左足をペダルに乗せ、右足で地面を蹴り助走をつける。助走がつけば、右足をフレームの三角から差し入れ、右側のペダルに置くようにする。これを繰り返し練習していると、三角乗りでも運動場を1周ぐらいはできるようになる。申し遅れたが、当時の練習場所は専ら小学校の運動場であった。運動場で練習が一段落すると、今度はいよいよ一般道に出て行くことになる。当時は自動車も少なく、たまに走っているのはオート三輪、トラック、ボンネットバスそれから自衛隊の車両ぐらいであった。小学校2年生の頃、自衛隊のジープに乗せてもらった記憶がある。バス以外の車に初めて乗った経験である。嬉しかった。自家用車を持っている家などなかった。いや一軒だけあった。例の医者の息子の家である。いずれにしても一般道も、そんなに車は通らなかった。それだけ安全であった。交通事故もあったが、非常にすくなかったと思う。5歳の頃、米屋の自転車に轢かれ、左足を骨折した経験はあるが、自動車に絡む事故は幸いなかった。いずれにしても当時住んでいた地域の環境はそのような場所であった。

 一般道に出て走るようになると、たちまち自分の世界が広くなったような感じになる。自転車に乗れた時の感覚は鮮烈である。一生のうちでもこの感動はすばらしいものである。そして、一度乗れるようになると、一生免許皆伝となり、自由に何処へでも行くことができるようになる。行動範囲は、極端に広くなり、今までとは格段の違いである。子供にとってこんなに素晴らしい体験は他にないと思えるほどである。

 このような素晴らしい自転車をいったい誰が考えたのであろうか。何処の国で何年ごろに考案されたのか。そして日本には何時ごろ入ってきたのか。いろいろと疑問が出てくる。これからその辺の来歴について述べたいと思う。既に「自転車の文化史」(佐野祐二著 中公文庫)など優れた良書は出ているが、その後判明した事実や疑問点などを中心に話を進めたいと思う。

 自転車もそうだが、決して一人の人間が、一人で考え、作ったものではない。たくさんの先人たちが少しずつ工夫や思考錯誤を重ねながら、築き上げ、完成させたのである。

 現在、環境、特に地球温暖化対策が重要な問題となっている。自転車も生産過程においては、二酸化炭素を排出するが、製品として市場にでれば、乗り手の呼吸以外二酸化炭素を出すことがない。そして乗り手の心肺機能を高め、健康にもよい。こんなに素晴らしい乗り物を、これからは特に重要視していかなければならないと思う。自転車の未来は大いに期待でき、明るいものとなろう。

 これから書く文章は、学術論文や専門的な研究書ではない。また、そのような論文を学者でもない素人の私が書けるものではない。表題も最初は「自転車の歴史」、「日本の自転車史」にしょうと思ったが、大それた表題なのでやめにした。無難な「自転車の歴史探訪」にした。
 内容が前後したり、重複することも多々あるに違いない。誤字脱字は勿論のこと、誤った記述や見解もあるに違いない。自信はまったくない、ですから無駄な時間を費やすことにもなる。飛ばし読みや斜め読みで結構である。暇なときにでも見ていただければそれで十分である。

 出典や提供者あるいは参考図書等はなるべく注意して載せたつもりであるが、至らない部分も多々あるかと思う。その辺はご容赦願いたい。

 2008年01月19日 大津 幸雄