自転車の歴史探訪

 
自転車取締規則

   2007年4月18日、道路交通法改正案が参議院本会議を賛成多数で通過した。この改正のひとつに自転車の交通ルールを厳格化したことがあげらる。

 この改正は、30年ぶりのもので、6月14日に「道路交通法の一部を改正する法律(平成19年法律第90号)として成立した。これらの改正規定は「公布の日から起算して1年を超えない範囲において政令で定める日」から施行されることとなっている。

 違反行為として、次のようなことを規定している。

 歩道を通行する
 歩行者が邪魔なのでベルを鳴らす
 歩行者の通行を妨げる
 横断歩道の歩行者の通行を妨げる
 右側通行禁止
 横に並んで通行する(並進禁止)
 信号無視
 一時停止義務違反
 飲酒運転
 二人乗り
 夜間の無灯火運転
 携帯電話の使用
 傘差し運転

 これらの違反行為の中には、自転車道路の未整備に起因するものが多々ある。  「歩道を通行する」とあるが、そもそも自転車の歩道通行可を言い出したのは、警察である。
 1970年6月10日、神奈川県警は全国に先がけて、横浜、川崎市内の歩道で、この「自転車通行可」という一時しのぎの措置を実行に移したのが始まりである。それが、いつの間にか全国的に広がり、自転車が歩道を走ることは、当然のようになった。しかし、自転車が歩道を走るということは、自転車に乗る者も迷惑だが、それ以上に歩行者は迷惑だし、危険でもある。私も自転車で歩道を走るが、何度か歩行者とぶっかりそうになった経験がある。それに歩道は、やたらと路面に段差があったり、電柱や店の看板、ひどい商店になると歩道まで商品をはみ出して陳列したりで、とても気持ちよく走ることなどできない。
 当初から歩行者とのトラブルや事故は想定できたはずである。もともと車道は自動車専用につくられているし、歩道は、歩行者のものである。自転車は、快適安全に走る道がないのである。

 一部、自転車専用のサイクリング・コースはあるが、この道路も現実は、犬の散歩コースやジョキングコースに化してしまっている。ここでも、トラブルや事故が起きている。私も酒匂川にあるサイクリング・コース(片道9q)を時々走るが、散歩の犬が右にいったり左にいったり、ジョキングしている人は、道の真ん中を平然と走っていたり、数人で散歩する人は、並列しながら話に夢中になっている。遠慮しながらベルなど鳴らそうものなら睨まれてしまう。自転車の専用道であるはずのサイクリング・コースまでがこのような状態である。

 歩行者と事故でも起こせば、マナーが悪い、ルールを守らないなどと言われ、処分されるのは自転車側である。確かにマナーの悪い人もいようが、根本の問題はマナーやルールではなく、自転車が走る道路がないところにある。どんな立派な法律や規則、ルールをつくっても道路が改善されないかぎり事故はなくならないと思う。

 警察庁の統計によると、全国での自転車が関係する交通事故は、
 自転車乗用中の死傷者数は、平成17年度で18万5532人、自転車と歩行者の交通事故は、2256件(平成18年は2767件)と、10年前の5倍近くになっている。

 すでにこのことは、30年以上前から指摘されていた。

 岡 並木氏は「都市と交通」の中で、次のように述べている。

 たしかに市街地に自転車が増えて、自動車と自転車の事故が無視できなくなった(1975年から5年間の警視庁統計によると、毎年交通事故死者の11〜12%は自転車、79年は実数で1,005人)。しかし、自転車の通路はおいそれとつくれそうもない。そこで緊急避難先として歩道に逃げ込むことを許した。ここまでは理解できないではないが、しかし、緊急避難先はあくまで仮の宿であって、その間に自転車がほんとうに落ち着く先をつくるという前提がなければおかしい。

 最近やっと「自転車利用促進へネットワーク化」と称して神奈川県は、今年度から、自転車が走行しやすい道路のネットワーク化に乗り出すようである。サイクリングロードと、幅員に余裕のある歩道や車道を合わせ、自転車の利便性を高めるのが目的としている。

 この施策がどこまで、実施に移されるか疑問であるが、期待したいものである。

 先ほどの違反行為の中に、新しい項目として「携帯電話の使用」を追加している。最近では、自動車運転中の携帯電話使用取締も強化されている。昨今の携帯電話ブームを反映した項目である。「傘差し運転」は、以前からあったもので、別に目新しいものではない。

 2008年3月4日
 警視庁は、子育て母の声を受けて、3人乗り自転車の検討をはじめた。
 自転車業界と連携して、3人乗りが可能かどうか検討することに決めたのである。子どもを2人乗せる「3人乗り」は安全上の問題から禁止されている。今年から取締強化が始まるのを控え、子育て中の母親らから「幼稚園の送り迎えもできなくなる」などと戸惑いの声が多くあがったことによる。

 実態を無視した取締強化は疑問である。早速、このように母親からの反発があがったのである。

それでは、本題の明治期の交通取締規則はどうであったか、これから見ていきたい。

 明治新政府発足後の明治2年2月、東海道などの諸道の関所が廃止され、庶民が自由に往来できるようになった。
 明治2年4月、東京〜横浜間の乗合馬車営業や人力車製造・営業(明治3年3月)の出願に対して、東京府は「通行人の迷惑にならないように注意のこと」とか「もし、事故をおこした際は厳罰に処す」などの条項を付して許可している。

 明治3年7月に、寅次郎が自転車の製造販売を東京府から許可された際も、下記の5か条の規則を申し渡されている。ただし、この規則は、人力車の場合と同様に製造・販売そして利用という全般的なものを対象としている。

一 往来之諸人、迷惑不相成様、専心掛可申事
一 車両並賃車代銭之義、成丈ケ下直可致事
一 高貴之方々ニハ下車致し、巡邏兵隊等江途中行逢候節ハ、脇道江除ケ可申、
 兎角不敬之義、無之様心掛可申事
一 非常之節、乗廻シ候ハ勿論、引出シ候義共決而不相成候事
一 武家町人ニ不限、右車買入度旨申聞候ハバ其度ニ可伺出候事

 明治3年8月5日付けの大阪府での布令にも、
 此節、府下におゐて専ら西洋車に乗歩行、行人之妨を成シ候趣、如何之事ニ候。
 自然怪我等為致候而者、別而不相済事ニ付、向後右様之玩物取扱候義、決而不相成候。
 若不相守もの者、其器物取上、屹度可申付もの也。

 西洋車とは、当時輸入された三輪車と思われる。

   明治3年12月制定の車馬による人身事故に対する法規として、  「新律綱領」の人命律下・車馬殺傷人の条に「凡故ナク街市ニ車馬ヲ馳驟シ、因テ人ヲ傷スルハ、凡闘傷ニ一等ヲ減ス、死ニ致ス者ハ、流三等」と規定された。 

 明治4年4月には8か条「馬車規則書」と6か条の「人力車渡世規則」を制定。 明治5年3月にも「馬車規則」、同年4月20日に「人力車渡世之者心得規則」を制定し、行き会いの場合の左側通行や人力車の過剰な客引き勧誘などを禁止している。

 明治5年7月の大阪府の取締綱令では、
 自転車に乗り、橋上又は街上一町或いは二三町の間を幾度となく戯に回転し、往来人の妨をなすものは、其車取揚申す可きこと

 と規定している。明治3年に使われた西洋車という名称が、ここでは自転車に変わっている。自転車という名前が一般的な呼称として定着したようである。

 自転車の普及に伴う本格的な取締規則は、1898年(明治31年)で「自転車取締規則」を設けたときに始まる。翌32年における東京府の自転車保有数は1,401台、35年には6,229台に増加している。その年の自転車事故は死者1名、負傷者147名、規則違反は4,336名にも達している。

1898年(明治31年)6月1日の「自転車取締規則」 自転車文化センター提供  



参考資料:

●「都市と交通」岩波新書 岡並木、1981年

●「自転車はどこを走ればよいか?」大津幸雄
   日本自転車史研究会 会報”自轉車”3 1982年5月15日発行