自転車の歴史探訪

 
自転車は明治20年から流行?

 当然のことだが、歴史を記述するには、一次資料をもとに書かなければならない。そして、その一次資料の信憑性も十分吟味する必要がある。当時の新聞記事に書いてあるからといって、それをそのまま史実として信じてはならない。
 昨年、ある新聞に福寿草が500株咲いているという記事をみて、早速出かけたところ、まったくの偽装とは云わないが、小さな花壇に50株ほど咲いていただけであった。車で2時間もかけて見に来たのにがっかりした。それに花壇ではなく自然の状態でたくさん咲いているように思ったからである。
 それ以来新聞記事とかテレビ報道などの信憑性に強く疑問を持つようになってしまった。以前からテレビのやらせ番組や新聞の偏向的記述に憤りさえ感じていたが、最近は世の中そんなものと、半分諦めムードになっている。
 この拙文を書いている間も、いかに孫引きされた本が多いこと、筆者の想像や思い込み、半分以上空想で書いた記述などに何度も目にした。
 それでは、そう言うお前はどうなのかと言えば、やはり大同小異で資料の少ない部分やあいまいな部分は、一部脚色してしまったのも事実である。いい訳だが、巻頭言の部分で、「内容が前後したり、重複することも多々あるに違いない。誤字脱字は勿論のこと、誤った記述や見解もあるに違いない。自信はまったくない」と書いた次第である。開き直る訳ではないが、だいたい歴史の記述などというものは、半分以上嘘という心構えで読むことではないかと考えている。五割正確ならそれで十分であるとさえ思える。自分の記憶でさい、最近は半分以上曖昧である。今日の朝食べた食事の内容も殆ど忘れている。ましてや、昨日、去年、数十年前となるとまったく分からない。例え日記に書いたとしても、半分以上が曖昧である。
 この歴史探訪を書いていて、大きく感じたことは、明治20年以前のことは、殆ど正確に記述できないということである。極端に言えば、日本の自転車の歴史は明治20年から始まったと言っても過言ではないと思える。実際にまともな国産の自転車を見ないからである。すべて稚拙な模造品か、それに類する加工品のような気がする。いかに、近代的な金属加工技術が未発達であったかが分かる。極端に言えば明治30年頃まで、車大工の仕事以上の技術を見出すことができないのである。いかに欧米との技術格差が大きかったか、この自転車だけを見ても分かる気がする。

 次の文章は、その時代に近い人間が書いたもので、かなり正確に当時の自転車の普及状況などを語っているように思える。

 初期の自転車
 これがわが国へ初めて舶来したのは明治三年頃であった・・・これも一時の流行に過ぎず、明治10年頃には絶無と成ったようである。  実用物として現在の如き鉄製二輪車が舶来したのは、明治14年頃である。予が其の前後の三年間に東京で自転車を見たのは只一度であった、・・・
(「明治奇聞」宮武外骨遍より)

 「初めて舶来したのは明治三年頃」とあるが、明治元年のラントンや明治4年の「外国商人輸出入欄に”自転車二”」を見れば分かる。この頃の自転車はすべて三輪車である。

 日本自転車の由来
 自転車は、明治20年前後に始めて輸入したり、其のときは今日の自転車の様に完全なるものにあらず、只ダルマと称する鎖り(チェーン)なく前車大にして、後車は小さき二つの車をつけたり。而して米国よりより輸入し来りたるものは其不完全なるダルマ比較的歓迎受け、好評を得自転車流行の端緒を開けり。
(「輪界」創刊号 明治41年9月25日より)

 「明治20年前後に始めて輸入したり」というのは、三輪車のことではなく二輪車のことを言っている。アメリカのコロンビア製オーディナリーのことである。
 「其不完全なるダルマ」とあるのは、安全車との比較で述べているので、コロンビア製オーディナリーの自転車そのものが不完全という意味ではない。この時期のコロンビア製オーディナリーは、最新式の最も完成されたオーディナリーである。
 よく明治20年以前の新聞記事に流行したとか、大いに流行したなどがあるが、この語句のみで自転車が全国的に普及したと言うのはどうであろうか。新聞は少しのことでも珍しいものが現れると誇張して書くものである。
 錦絵にしてもたくさん三輪車などの絵が描かれているからといって、これを見ただけで自転車が明治3年頃流行していたことにはならない。絵師は一つの画を参考に、珍しいと見るとやたらに描くからである。錦絵の画が多いということで、実際に三輪車が多かったとはならない。例えば1,000台未満の台数で多いということが言えるのであろうか。
 そのようなことを考えると、やはり日本での自転車の歴史は明治20年以降から始まったということは決して間違っていないのである。

 明治20年前後の「自転車流行の端緒を開けり」は、正しい記述だと思う。