自転車の歴史探訪

 
郵便局での採用

 官庁でいち早く自転車を採用したのは、陸軍省と逓信省であった。軍での採用については後で述べることにして、ここでは郵便局での使用開始について述べたい。

明治25年 東京郵便電信局の
服務心得 逓信総合博物館蔵
 郵便局で初めて自転車を採用したのは、明治25年からと言われている。東京郵便電信局の「服務心得」にオーディナリー型自転車と配達員の挿絵が載っている。

 資料を年代順に追ってみると、

 明治25年9月11日付けの時事新報に、
 梶野形安全自転車広告
内閣会計課用度掛、東京憲兵隊指令部、宮城憲兵隊本部、愛知憲兵隊本部、広島憲兵隊本 部、熊本憲兵隊本部、東京郵便電信局、東京安田銀行御用
自転車製造所・横浜高島町五 梶野仁之助
とある。アメリカ製ビクター型自転車の挿絵入り。

 明治25年10月13日付け「福島民報」の自転車練習場の広告欄に、
 我邦ニ於テモ自転車ノ利器タルヲ是認シ陸軍部内逓信省ニ於テハ自転車ノ準備専ラナリ  

 明治26年6月の雑誌『猟の友』の「自転車の効用」の中に、  其他郵便電信等の如き速達を要する者は皆之を利用せざるはなきに至る我が日本にても電信局、銀行、会社、大商店の如きは近日之を利用するに至るも決して偶然に非るべし

 明治27年12月1日付け中央新聞の広告欄には、  安全二輪車、四輌、英国ペーリストーマス社製、逓信省適用品

 明治28年度の「逓信省年報」には、当時使用されていた自転車の種類が出ていて、そこには、安全形、達磨形、木製普通形とある。これらの自転車が配備されていた郵便局もまだ僅かで、東京、大阪、横浜、名古屋の4局のみであった。そして、その台数も全部で56台に過ぎなかった。最初のころは主に電報配達用に利用された。

 明治29年2月発行の『自転車術』には、具体的な配備状況などが、次のように書かれている。
 『輪』を通信上に使用することは既に欧米の数国に行われ、就中米国の運送会社に於て専ら之を用ゆるものあり、其実行既に著明なる事なるが、本邦に於て之を用いしは実に近年なり、明治26年度『逓信省年報』に実際の成績を記するものあり、今之を左に抄出す。
 電報配達に在ては其快速を計り、前年度来、東京外三局に自転車を使用せしめしに効果を納め、大に配達上の利益を得たり。尤も土地の状況と、使用の熟練、及車輌の如何とに由りて、利益の程度均しからざるは勿論なれど、孰れも多少速達の効あらざりしものなく、其著き局に在ては、徒歩配達に比し四割四分餘の時間を減ずるに至れり。故に将来之を各局に普及し、而して能く其使用上、地勢と天象とを斟酌さしめば、利便の尠少ならざるや必せり。今自転車使用上に関する要点を挙ぐれば左の如し。

 [一] 夜間及暴風又は雨雪の時に障害あり。
 [ニ] 道路の狭隘、又は曲折し、橋若くは板多き場所に不便なり。
 [三] 遠隔の距離ならざる時は反て昇降等に時間を費して利少し。
 [四] 宛所不明瞭なる電報配達には、捜索の為め数々昇降を要して不利なり。
 [五] 使用の当初は数々破損し、随て其修繕費を要する鮮からずと雛も、
    暫く熟練するに随て、其数を減ずるものなれば車体の構造如何は啻
    に速度の関係のみならず、破損の度数にも亦関係尠からざれば、構造に
    は大いに注意を加ふべきなり。

 二十六年度末に於て、東京外三局使用自転車は72輌にして、内56を配達の用に供し、16を練習用とせり、之を局別すれば左の如し、


配達用 練習用
東京、  10(安全形)   5
大阪、  24(安全形7、達磨形17)  6
横浜、  8(安全形)      4
名古屋、14(安全形1、通常木製11、一輪半2)  1

 以上自転車を通信上に用いたるの事実なり以て其成績如何を知るに足れり。

 ここに書いてある安全形とは、現在見るような自転車のこと。
 達磨形と一輪半は、オーディナリー型である。
 通常木製は、ミショー型と思われる。
 この時代はまだ、新旧型自転車が混在して利用さたことが分かる。

 なお、『自転車術』の巻末にある自転車製造所の広告にも、

 (東京郵便電信局御用)森田自転車製造所

 逓信省(横浜、東京、大阪、名古屋)各郵便電信局、横浜警察署御用
 梶野自転車製造所

とある。

 当初は専ら電報配達用に利用されたが、明治44年2月11日からは速達郵便用にも利用されるようになった。

 郵便局用自転車の赤い塗装は、明治39年9月の「電報配達用自転車設備規程」第6条に、規程がある。
 一、二等局ニ設備スル自転車ハ構造堅牢ニシテ能ク実用ニ耐ユルモノヲ採択スヘシ
 前項自転車ハ赤色塗トシ別ニ定ムル位置並ニ様式ニ依リ徽章及番号ヲ附スヘシ

 自転車はその後、東京、横浜などの大都市から地方の郵便局にも普及し、郵便や電報配達になくてはならないものとなった。

  参考資料:

●「郵政」1991年12月号 月刊誌

●「郵便と自転車の出会い」大津幸雄
  日本自転車史研究会 会報”自轉車”54 1990年9月15日発行