自転車の歴史探訪

 
史実性の疑問

   以前からその史実性に疑問をもつ記述はたくさんある。これは自転車史だけの問題ではない。当然のことだが、歴史を記述するにあたり、それをそのまま引用することは避けるべきである。

 当たり前のことだが、次のような事項を考慮すべきである。

 ○一次資料が明らかにされていないものを、書籍から孫引きすること。

 ○確証の無い古老の話などを採用すること。

 ○その事実から数年或いは何十年も経って書かれた書籍から引用すること。

 ○当時の新聞記事をそのまま史実として100%信用して記述すること。

 ○原典を当たらずに孫引すること。

 たとえ一次資料であっても無批判にそのまま記述することは避けなければならない。

 例えば、次のような記述が、歴史になっている。

@「横浜もののはじめ」横浜郷土叢書 横浜市図書館発行(昭和36年)
 明治10年(1877)に、横浜元町の石川孫右衛門が貸自転車の営業を始めた。これがわが国最初の貸自転車屋といわれる。
 ある日、石川孫右衛門が、用事で居留地三一番館のチリドル商会に行ったとき、館主のチリドルは、前日に到着したばかりの自転車を、裏庭で乗り回していた。・・・

A「明治はいから物語」内山惣十朗著 人物往来社(昭和43年)
 明治20年(1887年)ごろ、横浜の人、石川孫右衛門はフランス商館の手を経て、各種の自転車二十数台を輸入し、貸自転車を開業したところ、乗用者が殺到して巨利を得たので、孫右衛門は、自転車が遊戯や娯楽の域を脱して、やがて広く実用に使用されることを推察し、同市住吉町六丁目に石川商会を設立して、自転車の直輸入を始めた。

 これらの記述にあるような一次資料はまったく未見である。当時の新聞記事もない。@の明治10年といえば、やっとミショー型が日本に到来した時期である。ここに書かれている自転車がはたして二輪車なのか三輪車なのかも判然としない。この時期に貸自転車業を行えば、必ずニュースになったはずである。

 いったいどちらが真実に近いのか。同じ石川孫右衛門の貸自転車業開始が10年も違うのである。私は、明治20年頃が正しいと思っているが、Aも石川商会と石川孫右衛門を混同しているようである。石川商会の創業者は石川賢治であるはずなのだが、このAも疑わしい。

 結論から言えば、両方とも間違っている可能性がある。このような曖昧な記述を史実として認めることは到底出来ない。

 このような誤りは、他にも多く散見する。次に列記してみると、

1865〜1868年(慶応年間)ミショー型自転車が初渡来といわれる。
1868年(明治元年)田中久重(からくり儀右衛門)、自転車を作る。
1870年(明治3年)伊藤(佐藤)アイザックが自転車を購入して乗用。
1871年(明治4年)横浜の沼田という人が木製の三輪車をつくり、
 翌年の明治5年に二輪車を完成。
1876年(明治9年)鈴木三元 自走車・大河号を完成 。
 (シンガーの模造車を大河号としていること)
1879年(明治12年)横浜の梶野仁之助、自転車製造所を開業。
1890年(明治23年)宮田製銃所においてはじめて自転車を試作。

 この他にもまだあるが、これらはどれも確証できる資料がないのである。曖昧な記憶や伝説、古老の回顧などから記述したものと思われる。すべてが誤りとまでは言わないが、非常に疑問である。
 この中で、佐藤アイザックについては、既に高橋 勇氏と佐野祐二氏により解明され、誤りであることが確定している。それでもまだ、この誤りを記述している書籍は多い。