自転車の歴史探訪

 
自転車販売・製造業者の始まり

 明治20年前後から木製に変わり、殆ど金属製部品で構成されたダルマ型自転車を組立て生産できる業者が少しずつ現れてきた。
 東京の浅草北三筋町にあった帝国自転車製作所や横浜の梶野自転車製造所などである。これらの業者は、始めのうちアメリカ車の販売と修理を行っていたが、間もなくしてフレームやその他の部品をセットで仕入れ、フレームの臘付や部品を組立て完成車を製作するようになっていった。これにより、いわゆるアッセンブル方式により自社ブランドをもつことが出来るようになったのである。

 明治20年代に現れた、販売店や製造所を当時の新聞広告などから次の表にまとめた。

明治20年代の自転車販売・製造業者一覧
 業 者 名      記        事
帝国自転車製作所 明治21年1月創業
明治21年1月26日付け郵便報知
 帝国自転車製造所で製造販売開始 従来 内地にて自転車を製造するものあらざりしが、過日の広告に見えしごとく、今度浅草北三筋町なる帝国自転車製造所にて製造を始めしに、既に続々諸方の注文を受ける由。また同製造所にて両三日前小松宮より修繕を命ぜられたる自転車は、同宮が先般欧州へ赴かれる節、かの地にて買い求められたるものにて、総体にニッケルを用い、大小四輪にて、前後二人を乗する装置なりと云う。
明治23年4月1日〜7月31日 第3回内国勧業博覧会に出品 向山嘉代三郎
明治27年4月11日付け東京朝日新聞
  新形安全自転車製造広告、帝国自転車諸機械製造所 向山嘉代三郎
梶野自転車製造所 明治12年創業?
明治22年2月3日、 毎日新聞 梶野の広告 オーディナリーの挿絵入り 、三輪車 金35円、二輪車 金25円 横浜高島町 自転車製造所
 (アメリカ製のオーディナリー、コロンビアを販売したと思われる)
明治22年8月15日 東京朝日新聞 自転車鉄道製造会社設立のこと、 梶野仁之助
明治22年8月24日 東京朝日新聞 自転車鉄道製造会社設立の相談会
 (この自転車鉄道製造会社は、計画倒れで終わったようである) 明治23年の第3回内国勧業博覧会・東京 自転車 出品者 山崎治兵衛(製造者・梶野仁之助)
明治23年9月14日 「自転車利用論」巻末に 各種自転車定価表広告
明治26年2月26日 毎日新聞 梶野の広告 ビクター号の挿絵
(ビクターは、アメリカのオバーマン・ホイール・カンパニー社製造の自転車、1885-1900)
明治26年2月27日 東京朝日新聞 自転車練習場及び販売所広告 横浜 梶野自転車製造所
明治26年7月14日 毎日新聞 自転車予約製造広告、梶野仁之助
明治26年9月1日 毎日新聞 自転車予約製造第三回広告、梶野自転車製造所
明治28年1月10日 東京朝日新聞 自転車広告 梶野製作所 横浜高島町五丁目(社名を変更)
明治28年4月1日〜7月31日 第4回内国勧業博覧会・京都 出品者 梶野仁之助
明治29年 「自転車術」渡辺修二郎著 少年園発行の巻末に広告
明治30年1月27日 東京朝日新聞 広告・発起認可に付来二月十五日を 限り株主を募集す 横浜市高島町五丁目 大日本自転車製造株式会社創立事務所
明治30年1月30日 東京朝日新聞 大日本自転車製造株式会社、株主を募集
(梶野自転車製造所、株式会社化して社名変更)
銘柄車(金日本号、銀日本号)
山崎商店 (梶野の販売所と思われる)
明治22年3月15日 毎日新聞 ゴム輪製上等自転車販売及び貸車広告 東京神田橋、山崎商店 オーディナリーの挿絵入り
宮田製銃所 明治23年初めて自転車を試作?
明治26年9月17日 東京日々新聞 広告・各種自転車及猟銃製造所
明治27年7月28日 東京日々新聞 宮田、自転車製造起業一周年祝 本所区菊川町
明治28年4月1日〜7月31日 第4回内国勧業博覧会・京都 自転車出品者 宮田栄助
(現在まで名前が残っているのは、この宮田自転車のみ)
大島卯之助 明治26年8月6日 大阪朝日新聞 安全自転車製造広告 京都、 大島卯之助
大倉組銃砲店 明治26年9月2日 毎日新聞 空気入自転車販売広告
丸善 明治27年5月11日 東京朝日新聞 英国製新形安全自転車の広告 東京市日本橋
金津平四朗 明治27年5月24日 東京朝日新聞 新形安全車の広告 京橋常盤町
森田自転車製造所 明治28年11月23日 東京朝日新聞 広告 空気ゴム、太ゴム、細ゴム 安全自転車 東京・本所 森田自転車製造所
明治30年7月24日 時事新報 国産自転車、清国へ初輸出 森田自転車製造所
照井商店 明治25年には下谷同朋町で照井商店が開業し、輸入自転車のファースト号やワシントン号などの特約店となる。
飯塚商店 明治27年、日本橋蠣殼町の飯塚商店がスペッシャル号などの輸入販売を始める。
伊勢善 明治28年 クレセント号の一手輸入販売が開始。
明治28年3月16日 毎日新聞 広告・自転車置臺クリヴランド製競走新形 京橋 伊勢屋善之助
明治29年12月13日 東京朝日新聞 広告 英国細ゴム自転車 銀座、 伊勢屋善之助
吉沼又右衞門 明治29年12月17日 東京朝日新聞 広告 交通の利器馬も驚く
 輸入自転車を販売 日本橋
岡本商店 明治29年 輸入車販売と貸自転車業を始める 。
高橋長吉 明治25年に東京の浅草聖天町で人力車の製造を始めた高橋長吉は、明治30年頃から自転車用修理部品の生産を始める。明治35年にはイギリスのセンター号(Centaur)を見本にしてゼブラ号の生産販売を開始。
橋本峰松 明治28年4月1日〜7月31日 第4回内国勧業博覧会に自転車を出品する。


参考資料:

●「形成期のわが国自転車産業」 竹内常善著 1980年