自転車の歴史探訪

 
  人騒がせな落書き

 マルチ天才と言われるレオナルド・ダ・ビンチの話題は尽きない。2008年1月15日付けの新聞各紙は、モナリザのモデルになった婦人が誰か判明したと報じた。
次のような内容である。

 ドイツ南部のハイデルベルク大学図書館は1月14日、イタリアの画家レオナルド・ダ・ビンチ(1452−1519年)の名画「モナリザ」のモデルが通説通り、イタリア・フィレンツェの商人フランチェスコ・デル・ジョコンドの妻リザ・デル・ジョコンドであることを示す文書が同図書館で見つかったと発表した。
 同図書館によると、1477年に刊行された印刷物の余白に、ダビンチの友人だったフィレンツェの役人ベスプッチ氏の手書きで「レオナルドは現在、リザ・デル・ジョコンドの肖像画を描いている」との書き込みがあった。書き込みは1503年10月のもので、モナリザが描かれた時期と一致するという。
 リザは結婚前のリザ・ゲラルディーニの名前でも知られる。1550年に美術家バザーリが、モナリザのモデルはリザだと指摘して以来、この説が通説となった。【ベルリン15日共同】

 もう40年以上も前の話(1965年)になるが、レオナルド・ダ・ビンチが自転車も発明していたと言うニュースが世界中を駆け巡った。
 スペインのマドリッド国立図書館で、研究者たちがダ・ビンチの遺稿を発見した。その遺稿の裏側には自転車のスケッチのようなものが描かれていたのである。
マドリッド遺稿の裏側に描かれていた自転車の落書き  「知られざるレオナルド」(ラディスラオ・レティ編集 1975年 岩波書店)
 その自転車は、後輪をチェーンを使って駆動する最近のものと余り変わらない構造であった。このスケッチがもし本物であれば自転車の歴史が今から500年以上も遡ることになる。そして、天才レオナルド・ダ・ビンチであれば、十分考えられる発明とされた。

 その後に出版された「知られざるレオナルド」(ラディスラオ・レティ編集 1975年 岩波書店)の本は、「マドリッド手稿」の発見を機に,世界でもっとも権威あるレオナルド学者10人が、絵画、騎馬像、築城、時計、機械等を分析し、その万能ぶりを解明したものである。 その中でアウグスト・マリノーニ氏は、弟子の一人であったサライという人物がダ・ヴィンチの発明した自転車を模写したというのである。

 しかし、その熱狂的な議論も次第に冷めて行き、この落書きのような下手な絵を描いたのはダ・ヴィンチや、その弟子ではなく、ミショー型自転車が登場する1860年から、この遺稿が発見された1965年までの間に、何者かが描いたという結論に達したのである。

 一応これで、この議論も落ち着いたかにみえたが、1997年に開かれた第8回国際自転車歴史会議(場所:グラスゴー市立美術学校)で、ドイツのハンツ・レッシング博士(元ドイツのウルム大学助教授)が、「レオナルド・ダビンチの自転車は偽物!」であると発表した。

 彼によると、1960年代にダビンチの手書き原稿を修復したイタリア人のある修道士が、もともと描かれていた二つの円を自転車の車輪に見立て、ペダルやチェーンなどを加筆し、自転車に仕立てたという。 このスケッチが描かれた紙は、16世紀に保存上の必要から二つ折りに糊付けされていた。修道士が加筆する直前に、歴史学者のペドレッチ氏が強い照明を使い透かしてみたところ、当初描かれていたのは二つの円だけだった。

  (VCCの会報 THE BONESHAKER 誌、冬号bP45、頁11に特集記事あり)

 やっとこれでレオナルド・ダ・ビンチが自転車を発明したという説は解決したようであるが、ここでも自転車発明の本家争いの一端を垣間見ることができたような気がする。イタリア人が工作し、それをドイツ人が否定したのである。
 ドイツ人ではなく、本当は賢明なイタリア人か他の国の学者が否定したのであれば説得力があるのだが、何か一抹の不安は残る。本当に偽物なのか、これで100パーセント納得したわけではない。今のところ、この議論は沈静化している。
 何れにしても、まったく人騒がせな落書きである。

参考資料:

●「自転車の創案 ダビンチでない? 独研究家 スケッチ偽物」
 1997年10月17日付 日本経済新聞夕刊