自転車の歴史探訪

 
競走会の始まり

 我国において自転車をスポーツ競技の一つとして楽しむようになったのははたして何時頃からであろうか。

 1881年(明治14年)3月14日付けの東京日々新聞に次のような記事がある。

 外国人を集めて自転車競走
 当年二月に仏人某の企てにて、広く他国人をも招き自転車の競馳会を開くとの噂あり、この会に出席する英人某はもっとも自転車に妙を得たる人なりと云う。この人は一たび車に跨れば、いかなる谿澗も飛越し、いかなる山獄も昇降すること自由にして、かつ迅速軽捷なるは人目を驚かしむるに足ると云う。この人はこれ世上一般の軽業師にあらず、英王陛下の勅命をもって印度の裁判官を勤むる人なり。

 以上が新聞記事の全文である。いったい何処で開催されるのか、肝心なことが分からない。横浜居留地での話なのか、それとも外国の話なのであろうか。 ただ言えることは日本の新聞紙上に自転車競走という文字が現れた極めて早い時期のニュースであることは確かである。

 恐らく日本でも自転車倶楽部が現れた、明治26年から明治30年ぐらいの間に始まったのではないかと思っている。競技用自転車の新聞広告も明治30年頃から現れている。

 明治30年3月16日付けの毎日新聞の広告に、
 自転車置臺クリヴランド製競走新形 京橋 伊勢屋善之助

 などとあり、競走用の自転車とその置き台の挿絵が載っている。

 「佐藤半山の遺稿 輪界追憶録抄C 明治中期の自転車事情」によると、
 自転車競走は明治29年11月に上野の不忍池畔で大日本双輪倶楽部が催したのが最初であると書いてあるが、これは明治31年11月の内外連合自転車競走運動会のことではないかと思われる。明治29年にそのような競技が行われた形跡はいまのところ確認できていない。

 明治31年3月5日発行の雑誌「運動界」の記事に、横浜居留地の外人により組織されたジャパン・バイシクル・クラブ(日本自転車倶楽部)と東京双輪倶楽部の人々との合同サイクリングが2月21日に横浜の本牧あたりで開催されたことが報じられている。恐らく横浜居留地の外人とのこのような交流の中からレースが徐々に行われるようになったのではないかと思われる。

 横浜居留外人より成れる日本自転車倶楽部員は、東京双輪倶楽部員を招請し、二月二十一日杉田、本牧近くに会合を催せり、双輪倶楽部の屈強なる部員四十余名は九時五十五分の列車にて横浜に着し、主人方なる外人五十余名と同伴し、本牧に着するや、イートン氏の別荘にて、会食、音楽の歓待を受けたる後一同杉田に向ひ・・・・。

 双輪倶楽部の屈強なる部員四十余名とあるところからも既に自転車レース等で頭角を現してきた部員が大勢いたことが推測できる。

 同じ「運動界」(明治31年11月5日発行)の記事に、自転車競走として次のようにある。

 千葉街道市川逆井 間五哩にて一等鶴田八分間にて着く第二岩谷第三小林第四メーソン第五杉野第六コラソオ氏ヤッコラソウと到着せしと云う

 日時は書いてないが、月刊雑誌からして恐らく前月の10月中に行われた競走会と思われる。一等の鶴田とは富士山にも登った例の鶴田勝三である。当時「鶴田の前に鶴田なく、鶴田の後に鶴田なし」とうたわれた程の名選手であった。

 当時、まだ自転車は高価で、一般の人が持てるようなものではなかった。その後、競技選手も自転車輸入商に雇われたお抱え選手が現れ、その店の取り扱い自転車と宣伝用のジャージを着て出場するようになっていった。

不忍池畔自転車大競走会  自転車文化センター提供

 明治31年11月6日、東京上野の不忍池畔で開催された自転車大競走会は、横浜バイシクル倶楽部の50余名の外国人も参加して行われ、我が国最初の国際的な大会となった。当初は天長節にあわせ11月3日に予定されていたが、雨天順延となり、日曜日の11月6日に開催された。
 10時30分からのスタートで、まず初めに子供レースが行われ、その後、二哩競走、提灯競走、十哩競走、曲乗、一哩競走、三哩競走、大人競走、選手競走五哩、傘持競走、二十哩競走の全部で10種目の競技が行われた。
 この日のメインレースは最後に行われた二十哩競走で、鶴田勝三とドラモンドの一騎打ちとなった。結果は鶴田が1車身以上の差をつけて優勝した。鶴田は、千葉街道市川逆井間レースに引き続きの勝利であり、その名声と実力を確実のものとした。

 鶴田勝三の他に当時の花形選手としては、次のような人達がいた。
 東京では、毛利 正、小宮山長造、竹内仙之助、渡辺亀吉、佐藤彦吉、小坂又造、佐瀬真平、荒磯次郎。大阪では、石井大三郎、鈴鹿光一などであった。

参考資料:

●「内外連合自転車競走会の写真?」大津幸雄
  日本自転車史研究会 会報”自轉車”67 1992年11月15日発行

●「佐藤半山の遺稿 輪界追憶録抄C 明治中期の自転車事情」高橋 達
  日本自転車史研究会 会報”自轉車”69 1993年3月15日発行