自転車の歴史探訪

 
刀鍛冶も自転車づくり

 グーグルの画像検索で「ダルマ自転車」の写真を眺めていたら、気になる写真が目にとまった。
 明治時代に製作されたと思われる現存する国産ダルマ自転車は、殆んど見てきたつもりだが、この写真のものは初めてだった。特に注目した点は、ヘッド部のカール状の装飾である。これも唐草模様の一形態なのだろうか。更にサドルを支える二重のスプリング状のステーも先端などがカールしていて面白い。後輪のリムと鉄輪は、残念ながら欠落しているが、全般的に見て明治20年代の国産ダルマ自転車の特徴を残している。実物を見ていないのでなんともいえないが、細部のどこかに何か刻印のようなものがあるかも知れない。
 この自転車がある場所は、宮城県名取市サイクルスポーツセンターで、入口付近に置いてある。
 その後、同サイクルスポーツセンターの千葉氏から7枚の写真を送っていただいた。千葉氏はご親切にもダルマ自転車の細部まで撮ってくれた。送られてきた写真を見て驚いたことは、ダルマ自転車の製作年月と製作者の名前が書かれた古い木札が自転車に取り付けられていたことである。現存するダルマ自転車で製造年月が判明しているのは江戸東京博物館にあるダルマ自転車で、これは国友鍛冶が明治24年4月に製作したことがフレームの一部に刻印されている。ただ残念なことに誰が製作したかは不明である。ところが、この名取のダルマ自転車には製作者も木札に書かれている。恐らくこの木札も自転車と同時期に書かれたものと思われる。
 木札も既に100年以上経っているので日焼けして一部判読が困難になっているが、次のように読める。(判読できない部分は○を記入)

明治ニ十五年七月○○○○○○○
北越新発田鍛冶○○○ ○川○○○○○
○○村           ○○○○好

 以上であるが、あえてこの○の部分を推察して当てはめて見ると、次のようになる。

明治ニ十五年七月吉日 相携○作之
北越新発田鍛冶町○○村 森川徳四郎兼寿
同沼村             坂井 元 康好

 それから「北越新発田鍛冶○○○」も注目する点である。
 新潟の三条や新発田は、上杉謙信の時代から刀鍛冶などの職人が多くいた土地柄で、国友同様に自転車を製作する技術は持っていたのである。
 何れにしても、いまのところ製作年代と製作者が分かる国産ダルマ自転車はこれ以外に見当たらない。たいへん貴重なダルマ自転車と言える。

宮城県名取市サイクルスポーツセンターのダルマ自転車

古い木札 明治ニ十五年七月吉日と読める

刀鍛冶師特有の「添え名」も見える

 昭和59年に開催された、明治自転車文化展(自転車文化センター)は、全国から13台のダルマ自転車が集合した。いまでもこのときに発行された小冊子「明治自転車文化展」(昭和59年3月9日自転車文化センター発行)が唯一、全国に現存するダルマ自転車を網羅した資料になっている。実は私も微力ながらこのイベントに協力している。しかし、名取のこのダルマ自転車と江戸東京博物館にある国友のダルマ自転車はこの小冊子に載っていない。当時はまだ発見されていなかったからである。
 ところでこの名取のダルマ自転車はどうような経路で、現在の場所に収まったのであろうか。今後これらの調査も興味深いところである。
 それからこれを製作した者が刀匠であることも重要である。いままでも自転車の製作に携わっていたと思われる人々は、鉄砲鍛冶師や刀鍛冶師ではないかと言われてきていた。鉄砲鍛冶の方はすでに国友のものがあるが、刀鍛冶はこの名取のものが初めてである。これで刀鍛冶も自転車を製作していたことを、このダルマ自転車が証明したことになる。

 この木札には、刀鍛冶師特有の「添え名」も見ることができる。

明治ニ十五年七月吉日 相携共作之
北越新発田鍛冶町○○村  森川徳四郎兼寿
同沼村              坂井 元 康好

 ここでは、兼寿と康好(この康の字は不鮮明)が「添え名」である。

  注)写真は、名取市サイクルスポーツセンターの千葉氏が撮影し、提供していただきました。この場をかりて感謝と御礼を申上げます。