自転車の歴史探訪

 
  ドライジーネが自転車の元祖か?

 今のところドライジーネが世界最初の自転車とされているが、この説が定着するまでには長い道のりがあった。レオナルド・ダ・ヴィンチの自転車やシブラック伯爵のセレリフェール、そして、写真の発明家といわれるニセフォール・ニエプスのベロシフェールなどが、自転車の元祖争いを続けていた。多くの自転車歴史研究家により、これらの説が篩いにかけられ、やっとドライジーネが自転車の元祖であるということが世界的に認められたのである。しかし、これからも新しい資料が発掘され、ドライジーネよりも早い時期の自転車が発見される可能性は残されている。前にも述べたが、突然、ドライジーネが発明されたとは思えないからである。木馬のような直列二輪の自転車を参考に、ドライスが改良を加え完成させたはずである。だが今のところ、そのような証拠は一つも見つかっていない。証明できる資料があるのは、このドライジーネだけである。

ドライジーネ レプリカ 自転車文化センター提供
 どうも世界最初とか、元祖とか、始祖という言葉は好きになれない。突き詰めて考えなくとも、本当に世界最初とか元祖とか確実に証明されることなどあるのだろうか。歴史の項目の殆どは、何年何月何日とあるが、これほど疑わしいものはない。確かに当時の裏づけの資料がたくさんあって、間違いないと言ったところで、その資料が本当に当時のもので、内容も間違いないと言えるのだろうか。その内容が真実という証拠は、本当のところ分からないと思う。恐らく歴史上の殆どの項目は、間違っているか、疑わしいと見なければならない。
 この世の中のすべての出来事は、不確かなものであるからだ。なにもハイゼンベルクの唱えた「不確定性原理」をわざわざ持ってこなくてもよいが、物の究極はどうやら不確実であり、その物質で構成されている人間の思考回路は、更に不確かなものであるからだ。
 ようは余り目くじらをたてて、これが最初だの元祖だのと口角泡を飛ばして議論することもないと言いたいのである。裏づけ資料がたくさんあり、大多数の研究者が納得できるものであれば、それが史実として採りあえず確定するのである。

 ドライジーネは、1817年に、バロン・フォン・ドライスにより考案され、翌年には、ドイツのバーデン大公国とフランスで特許を取得した。1818年4月には、パリのリュクサンブール公園で実演の初公開をしたが、マスコミの反応は冷ややかなもので「実用性がない子供のおもちゃ」と酷評した。
 その後、イギリスでもデニス・ジョンソンがドライジーネの製造認可を得て、一部改良を加え“歩行二輪車”と名付けた自転車を販売した。この自転車はホビーホースとかダンディホースと呼ばれ、やはり実用性のない乗り物というイメージがあったようである。


”ドライジーネ” ドライス男爵のサイン入りイラスト 1818年 八神史郎氏提供

 1821年、イギリスのルイス・ゴンパーズは、足で地面を蹴るだけではなく、前輪のハブに歯車をつけ、ハンドルから伸びた鋸歯状の四分円の装置(ラック・アンド・ピニオン)により、手でも推進させることのできるドライジーネを考案した。しかし、この装置は、思ったほどの推進力を得ることができなかった。まもなく歴史の舞台から消えた。

1821年、イギリスのルイス・ゴンパーズの改良型ドライジーネ
 「THE PEDESTRIAN HOBBY-HORSE AT THE DAWN OF CYCLING」
by ROGER STREEY 1998年