前穂高岳北尾根の報告  ―渡渉出来ず、屏風岩は断念―

      玉井進吾郎

◎日 程 2007年9月8〜9日

◎参加者 L.玉井、大杖、上田、井上(JECC

 

 1週延期した屏風岩山行、井上も参加出来るようになった。台風9号が通過した直後で天気予報も8日が晴、9日が曇りとなったのを信じて7日1430西宮駅北から車で出発した。平日の昼間だから高速も空いており、東海北陸道のひるがの高原SAに1730頃に着き、さっそく車の中でささやかな宴会を始める。19時ごろから雨が降り始めた。

 

8日 ひるがの高原SA03:30〜平湯のアカンダナ駐車場(04500520)〜上高地(05500625)〜横尾(08360900)〜渡渉出来ず再出発1000〜涸沢(12001230)〜北尾根56コル1400

平湯に着くと雨は止んでいた。5年ぶりの上高地は新しい建物が建ち、すっかり変わっていた。晴予報を期待していたが、今にも降り出しそうな空模様である。関東組の上田、井上が到着し歩き始める。明神までは何とか付いて行けたが、後はマイペースで歩く。

横尾に着くと雨が降り出した。ともかく屏風岩の取り付きまでは行こうと2日分の水をザックに詰める。横尾の岩小屋跡から渡渉を試みる。上田、井上は渡渉が初めて水の冷たさにビックリしていた。流れにある中洲の手前10mほどは膝の深さで渡渉出来たが、中州の先は流れが速く深かったのであっさり断念した。どうせ壁は雨で濡れていることだろうし、、、 さて、後はどうしようか? 考えるのに時間は掛からなかった。上田と井上がもともとこの日に前穂北尾根を計画していたので涸沢経由で前穂北尾根に向かうことにした。先行する上田に「涸沢ヒュッテから留守本部の坂崎君に電話で計画変更を連絡する」ように頼んでゆっくりと登る。登る予定だった屏風岩はガスに包まれてその全貌を見せてくれない。道中、10数名のハイカーをガイドしていた富永氏(登山学校2期生)に久し振りに出会った。頑張っているなあと感心する。涸沢はガスに包まれロケーションを楽しめなかった。ガラ場から葛篭折れの急登だ。上田、井上は元気が良いが、大杖は少しペースが落ちて来た。登り詰めると北尾根の56のコルに着いた。玉井と大杖が一緒、上田と井上は一人づつのツエルトに入る。お湯を沸かしさっそく、お湯割を楽しむ。食料は各自毎に用意したので皆がそれぞれが何を食べるのか興味深そうに聞き合っていた。玉井以外はビバークが初めてなので良い経験になるだろうが、今夜は最高の立地条件であることを覚えておいてもらいたい。夜半、雨の音がして明日の天気が心配になった。

 

9日 北尾根56コル05:0034コル(06400720)〜前穂高岳(092045)〜岳沢(114050)〜上高地(13351405)〜平湯1430

 3時半頃に起きる。熱いコーヒーが美味く目が覚める。井上が空は満天の星だと言う。外に出ると寒いが、天気が良く周辺の山々が見える。5峰が恐竜の背骨のような岩稜を見せており、単独の先行者が登っている。北尾根は大杖(56コルまでは来ている)、井上が初めてである。経験のある上田を先頭に井上、大杖、玉井のオーダーで登り始める。5時20分のご来光を迎える。涸沢の圏谷を穂高の峰が取り巻き、遠くに槍ヶ岳が見える。

5峰の頭で1973年に亡くなったNさんの霊に黙祷をする。34年もの昔のことだが、今でも脳裏から離れることはない。4峰の登りでトイレで遅れた大杖の登りがおかしいのに気がついた。ルートファインディングも悪いし、飛び降りて落石を起こしたりしていたので注意をした。聞くと昨晩あまり眠れていないので頭が重くふらつくと言う。ロープのないこんな岩稜が一番危ないので心配になる。4峰頂上直下の岩場を登るのは止めて左へトラバースしてから4峰の頭を越えて34のコルに着いた。後続のガイド3人パーティーに先を譲ってゆっくり準備をする。上田と井上パーティーが先行する。彼らは4ピッチ目で3峰の頭に突き上げる凹角をダイレクトに登った。大杖はアンザイレンされると早く登って来る。息を切らさんとゆっくり登ったら良いのにと言ったのだが、、、上田パーティーは2峰の下りで前穂ピークにいるギャラリーに懸垂下降をサービスする余裕を見せていた。我々は2峰をクライムダウンし前穂高岳ピークに立った。全員が登ってから記念写真を撮り、昨秋の垂水の遭難現場に思いを馳せる。槍の北鎌、錫杖の見張り塔、、、など 岩稜を登ってピークに立つというのはクライミングの冥利に尽きる。頂上や下の紀美子平にはたくさんの登山者がいる。前穂のピークから上高地までの1600mの下りは今の自分にとっては地獄にも似た苦しみとなった。脚を引き摺りながら観光客の溢れる河童橋からバスターミナルへ向った。

 

今回の山行を振り返って

 今度も天気に恵まれなかった。また、水流が深くて速かったため渡渉が出来なかった。屏風岩の取り付きの確認すらメンバーに教えることが出来なかったことが残念であった。天気が良ければ頑張って渡渉地点を探し回ったのだが、あの雨で壁は濡れているだろうし安全第一で冒険する気力はなかった。転進した前穂高岳北尾根は大杖、井上が初めてだったので良かったのではないだろうか? 初めての渡渉経験に加えて北尾根56のコルでのビバークも良い経験になったのではないかと思う。上田、井上は体力もあり、歩くのが速い。もうこの手の登山では一緒に行くことは止めておこう。軽量化についてであるが、上田は工夫をしていた。井上は体力があるのであまり考えていなかったようだが、彼のザックは冬壁並の容量だと言うことを分かってもらいたい。大杖の60L?のザックに至っては何をか言わんやである。アルパインクライミングの装備についてしっかりと考えていただきたい。併せて本チャンに向けてのトレーニングがどうであったのか振り返って見よう。今一度トレーニング不足だったと反省するような山行はしないことをお互いの一致した認識として更なる目標に向っていただきたいものである。メンバー各位には屏風岩は是非とも登ってもらいたい目標ルートであると思う。さて、自分にとっては年との競争もあるが、もう一度屏風岩に登って見たい気は残っている。

 

前穂・北尾根の感想                                  上田 治
 当初、8月末から9月の土日にかけて、穂高・屏風岩を登る計画であった。が、雨天で翌週に延びた。ところが、台風9号が関東上陸、続いて10号が発生した。足の鈍い9号は、7日(金)、早朝に上陸し、首都圏の交通網を麻痺させた。多摩川が増水し、JRは運休。またダメかと一時断念した。午後、台風は、東北へ抜ける。東海道線をはじめ中央本線など主な路線は復旧した。ところがギッチョン、貨物列車の機関車が甲府〜大月間で故障。何と凶運に恵まれることよ。8日(土)、0時29分、立川発の夜行電車は、40分遅れとなった。これでは、上高地の集合時間に間に合わない。夜行電車は、旧型の特急車輌だったので、速度を上げて甲府を出る頃には定刻4分遅れにまで挽回してくれた。松本には、定刻どおりに到着。後は、支障なく松本電鉄とバスを乗り継いで、上高地に6時15分頃に到着できた。天気は今一だが、何とか持ってくれるだろうと期待する。しかし、横尾に到着すると小雨が降り出す。これで完全に夢は終わった。それでもせめてアプローチの確認をと、横尾の吊橋を渡って、岩小屋へ向かった。瓦礫の土手を乗り越えて、渡渉点を探るが、水量多く、流れが速すぎる。水が冷たく、両足がつった。正直に述べると、みんな断念してくれて助かった。
 しかし、ここまで来て引き返すのはしゃくだ。井上君と計画していた前穂・北尾根を提案した。玉井さん、大杖さんも快諾してくれた。ありがとうございます。私にとっては、4、5年振りの北尾根だ。北尾根と言えども、この夏2本目の本ちゃん達成。天気も申し分なく、とても楽しめた。

 

大杖哲司

 台風一過で天気が期待できそうだったが、ひるがの高原で仮眠中に雨が降った。上高地に着くと雲行きがあやしい。歩いていると雨が降り出した。それでもとにかく取り付きに行こうとしたが増水した川は渡れない。急流は膝から上に水がくると危険だ。前穂北尾根に転進した。以前に県連の企画で北尾根に取り付いて五・六のコルから敗退していた。あのときにテントのなかでネパールの病院支援の話がでた。あれから5年もたったとは信じられない。涸沢にくるのも今回が初めてだった。涸沢ヒュッテからのガレ場登りで息切れを感じた。山歩きをほとんどしていないので当然だろう。五・六のコルではツエルトで寝たが寝苦しくてしんどい一夜だった。朝起きると頭が重く体がだるい感じだった。出発して歩き始めると平衡感覚が鈍っているように感じた。それで三峰の登りはセカンドで登らせてもらった。歩くのはふらつく感じだが、岩を登るのは支障を感じなかった。頂上から上高地への急下降では足に痛みも出たのでゆっくり歩いた。教訓は、トレーニング不足に尽きる。昨年は剣沢から八峰Cフェースと本峰周遊に18時間以上かかったが、今回より楽だった。昨年は登山教室で山歩きをしていたからだろう。軽量化の課題もある。いろいろあったがおかげで完登して5年前の残りを片付けることができた。