ロック、スノー&アイスin八ケ岳

〜兵庫労山雪山交流山行〜                上田 治

 

日 程 2月10日(土)〜12日(月)

場 所 八ケ岳・小同心クラックの下見、赤岳縦走、南沢大滝

参加者 上田(記)、玉井、兵庫県勤労者山岳連盟のメンバー11名

9日の夜からの雨が災いしたのだろうか?天気の予想の難しさを痛感した。10日の午後から晴れて、春の陽気も感じられたのに、夜間に雪が降り出し、11日の小同心クラックは中止、赤岳縦走に変更した。12日の南沢大滝アイスは、皆で楽しめた。

 

10日(土)ムーンライト信州で、深夜3時半、茅野到着。駅の切符売り場兼待合室で、5時過ぎまで就寝。雨の中、6時のバスに乗車。美濃戸口に着くと、雨は止んでいた。八ケ岳山荘で暖を取っているところへ、玉井さんが来てくれた。兵庫から来たメンバー(12名)と無事合流。

林道は、積もった雪で轍が高くなっている。車高が高い玉井さんの車で、全員のザックを山の子村山荘まで運んでもらった。重いザックから開放されて、気楽な気分で歩いた。おかげで、山の子村山荘には、いつもより早く到着できた。阿弥陀岳の雪崩遭難の慰霊碑に、安全祈願をかけ、赤岳鉱泉へ向けて出発。登山道には、昨夜の新雪が積もっており、とても歩きやすかった。

赤岳鉱泉に11時ごろ到着。雲は多いが、晴れ間も見える。天気は回復に向かっていた。テントを3張り設営。我テントは、須磨の小野田さん、神戸中央山の会の小倉さんの4人。アイス班と岩班に分かれて行動を開始。玉井さんと私の2名は、明日の小同心クラックの下見を行った。今冬の八ケ岳は、異様に雪が多い。明朝、楽に登れるように、予めトレースを付けておく目的もあった。

12時過ぎ、鉱泉を出発。一般縦走路から大同心ルンゼに入る。トレースが既にあった。トレースに導かれて、大同心稜に取り付いた。さらにトレースが続く。雪も適度に積もっていて、歩きやすかった。難なく高度を稼げた。男女のカップルが降りてきた。硫黄岳の縦走路と間違えたそうだ。気を付けて欲しい。次第に、傾斜がきつくなる。2時間ほど登って、やせ尾根にでた。ここで、アイゼンを装着。やせ尾根は、十数メートルくらい。尾根は、次第に開け、樹木の間から空が見え始める。まだまだ、急登が続く。やがて広い尾根を登る。息が上がり、途中、休みながら登る。写真を撮っている人に出会う。トレースは、この人が今朝、付けたものだった。昨夜の雪を纏った大同心、小同心が望めた。陽光が暖かく、春山のようだ。今日は、その人の話では、2パーティが入ったらしい。登攀している姿は、ここから見えなかった。

もう一登りすると、大同心稜の頭に出た。大同心基部が見渡せる。2人のパーティが、雲稜ルートの1ピッチ目を登攀中。別のパーティは、アンザイレンで基部を右に巻こうとしていた。我々も、ハーネスを付けた。急な雪面に、所々露岩がある。アイゼンの爪を引っ掛けて登る。基部の右側のテラスに出た。雪が、ルンゼから反り上がるように、大同心基部の岩壁まで迫っていた。2年前の記憶では、岩のバンドが、大同心ルンゼの源頭部を横断しており、そこを楽に歩いた。今回は、先行パーティに倣って、止むを得ずロープを出す。テラスの壁には、リングボルト2本が穿たれていた。これで、玉井さんにビレイしてもらう。準備が整い、上田がリードでトラバース。この雪を除くとバンドがあるのだろう。しかし、うかつに雪の上に足を乗せると、雪が砕けて滑落しそう。注意しながら壁をはつる。壁は、溶岩?セメントに拳から頭までの大きさの石を埋め込んだような岩だ。手ホールドは、豊富にあるが、信用ならない。ヌンチャクのスリングで、岩にタイオフしてランニングビレイをとった。

50メートルいっぱい進んだ。先行パーティのビレイヤーに追いついた。雪上でアックスビレイしていた。私も、雪を掘り起こし、アックス2本を埋めて、支点を作成した。後で気付いたことだが、よく見れば、岩の角でビレイできた。人がやっていると、それを真似てしまう。悪い癖だ。玉井さんにコールを送ったが、返事がない。笛を吹いたり、ロープを小刻みに3回引いた。やがて、ロープがたるみだした。玉井さんがトラバースを開始した事が分かった。玉井さんもビレイ点に到着。持った手ホールドがポロリと剥がれたようだ。八ヶ岳の岩は、こんな感じだ。だから、岩が凍る冬期に登られる。

大同心ルンゼは、一面、雪に覆われ、傾斜もきつかった。玉井さんと、大同心ルンゼのトラバースについて、検討した。小同心の基部までには、2ピッチあるように思えた。途中、どこでピッチを切るかが問題となった。対岸の壁で、ビレイ支点を作成する方法、雪崩れそうではなかったので、ルンゼの雪面でアックスを埋めてビレイする方法、ピッチの切り方では、3ピッチ必要になるかもしれない。そこで、50メートルロープ2本を結束して、一気に横断する方法などなお。時間は、14時50分だった。16時に、テント場に戻ることにしていたので、ここで引き返すことにした。帰りは、玉井さんがリードした。後で知らされたことだが、手ホールドが剥がれて1メートル余落ちたそうだ。ビレイしていたが、ロープに荷重がかからず気付かなかった。多分、振り子になって、止まったのだろう。大同心稜を戻る途中も、大同心ルンゼのトラバース方法について話し合った。岩角に、ビレイ点を作成し、50メートルロープ2本を結束して、一気に横断する方法をとることにした。結束の通過が問題となるが、ルンゼ上で、セルフビレイをとればよいと考えた。雪崩が懸案された。テント場に、16時過ぎに到着。アイス班は、既に帰着して、夕飯の準備に掛かっていた。稜線は、大きな雲に覆われていた。しかし、午後から曇るのは、この時期ならいつものことなので、明日に不安はなかった。

 夜間、夢の中で、シャーシャーという音を何度も聞いた。風で、テントが揺すられた夢も見た。

 

11日(日)、3時半、起床。玉井さんが、外の気配をさぐった。「雪ふっとるぞ」。小野田さんが、トイレに出た。戻ってくると、雨具の皺に粉雪がたまっている。夜から朝にかけての降雪。テン場からトイレで用を済ます間に、来た踏み跡が雪で消えるほど今も降っていた。明るくなるまで、行動中止となった。小同心は、中止だ。待機中、4人で話し合い、玉井、上田が小野寺さん、小倉さんらの赤岳縦走に同伴することにした。

6時過ぎ、テン場の雪は止んだが、視界が悪く、稜線はどす黒い雲に覆われていた。赤岳の縦走コースについて、吉谷さん、渕上さんらと話し合った。地蔵尾根の斜面が文三郎道より急なので、地蔵尾根から登り、文三郎道を下山することになった。赤岳縦走班は、2班に分かれた。渕上さんがカメラ役になって頂いた。岩佐さん、中原さんらは、裏同心ルンゼのアイス班。鬼塚さんは、遭難対策本部として、テントに待機して頂いた。

 7時ごろ、上田を先頭に、赤岳縦走B班が出発した。途中、行者小屋で、トイレ休憩。その間に、吉谷さん、大石さん、庄司さんらのA班が、地蔵尾根に先行して取り付いた。地蔵尾根は、樹林が続く間は、傾斜も緩く登り易い。その上は、傾斜もきつくなり、さらに、吹きさらしになるため大変だ。3連休で、入山者も多く、途中で撤退した下降者とのすれ違いに難儀する。地蔵尾根の頭に上がって、一息入れ、赤岳天望山荘に向かった。赤岳天望山荘は、営業中だった。ここで、コーヒータイム。1時間ほど休んで、赤岳山頂を目指した。

 赤岳山頂からは、何も望むことは出来なかったが、無事登頂できたことを喜び合った。下山開始。例年は、岩稜のはずが、雪に埋まって雪壁になっていた。登りのパーティとのすれ違いに気を使った。文三郎道の中腹まで降りて、やっと雲の底面を越えたようで、視界が開けた。町は、天気予報通り晴れているようだった。赤岳主稜は、かなり渋滞していた。途中、吉谷さんから、阿弥陀の遭難地点の話しを聞いた。無事、行者小屋に到着。少し休んで、鉱泉に向かった。テントを撤収し、山の子村山荘まで下山した。

 

12日(月)6時出発。南沢大滝でアイス。小滝、大滝とも、氷の出来は、今ひとつ。滝の背後の岩壁がのぞいていた。しかし、ジョウゴ沢や裏同心ルンゼのように雪に覆われていなかった。小滝は、既に占拠状態。大滝に場所を変えた。中央は、先行者に占有されていたので、その左右の氷にTRを3本張った。氷の質は、硬くもろい。

 一番左側を上田が、そのすぐ右隣に小塩さん、右側の氷を岩佐さんがそれぞれロープを張った。交代で、登ってアイスの練習を行った。3本の中では、右側の氷が難しく、W級くらいだった。上田は、最後の抜け口で失敗、ピッケルにぶら下がるヘマをした。玉井さん、岩佐さんは、華麗に登った。増田君も若者らしく、ダイナミックに登った。単独者が、中央の氷瀑に取り付き、その落氷を避け切れずに、左足膝を打撲した。

美濃戸口の下山まで、皆さんに気を使って頂き、ありがとうございました。紙面を借りて、お礼申し上げます。

 

 

 

小同心の課題は来冬に               玉井進吾郎

 八ヶ岳のバリエーションは阿弥陀岳南稜を登っただけである。今回、兵庫労山の登攀教育部主催の雪山交流山行が行なわれると聞き、東京に転勤となった上田君と参加した。メラからは2人だけだったが、上田君が登ったことがあるという小同心クラックを目標にした。それに向けて泥縄的にアイゼントレを行なった。坂崎と不動岩で、キャッスルではソロで、最後に中原さんらと不動岩で行なった。岩場のアイゼン登りは何とかなるが、やはり体力つまり脚力の衰えだけはなかなか回復できない。

 初日の下見では大同心稜の登り上部でへばってしまった。大同心基部から小同心へのアプローチは雪が付き少々やばいと感じた。ロープを出したが、支点が不安定だし、ダンゴ状の手ホールドの扱いは嫌な気分であった。案の定、ホールドが剥離した。帰りにリードした際には掴んだホールドが壁から抜けて1m余落ちてしまった。幸いそのままの態勢だったのでアイゼンで雪に着地し事なきを得た。しかし、このミスですっかり気力が萎えてしまった。ルート研究をしたのはもっぱら小同心クラックそのものと横岳への上部だけであり、取り付きまでのアプローチを調べなかったことは反省点である。

 2日目の朝、降っている雪を見て中止という悔しさは微塵も沸かず、上田君には悪かったが、安堵の気持ちであった。昨日のアプローチに新雪が降ればと想像するだけで登る意欲など全くなかった。3年ほど雪山から遠ざかっていると体力だけでなく、気力の衰えをまざまざと感じた。3日目には南沢大滝に行った。2年前には全面凍っていたが、今回は真ん中だけが上から繋がっているだけで大変貧弱に感じた。県連の雪山交流山行のメインが赤岳のピークハントに終わってしまったことは自分自身はもちろんだが、今の兵庫労山の現実そのものではないだろうか?と、考え込んでしまう。

上田君と本チャンでロープを結んだのは初めてだった。今回たった1ピッチだけではあったが、彼のクライミングを見て信頼できる技術を持っていると感じた。彼は八ヶ岳を冬だけでも230回以上は登っていると聞いた。その意味で熟知したエリアであるという自信が漲っている。来冬には彼と小同心クラックを再度計画することにした。私も何とか体力を付けると共に気力の復活も課題にしてトレーニングに励みたいと考えている。