


そのころの部員数は4学年で10名強ぐらいでマイナーなクラブだった。瀬古選手や宋兄弟が世界のマラソンを揺さぶっていた頃で、僕らは彼らのレースはいつも釘付けになって見ていた。

グランドは今のままだが工繊の北側の北山通りはまだ開通していなかった。もちろん地下鉄も。BOXの建物は出来立てだったので今よりずっときれいだった。BOXの中にみんなで撮った写真を引き伸ばして飾ったりしていた。そういえば歴代10傑の記録を集計し出したのは僕らの時代だったっけ。

試合は春の京都インカレと三繊大、夏の関西インカレと近国体、秋は関西インカレ秋季大会、七大戦と京都学生駅伝だった。 ちなみに三繊大を京都でやった時は西京極を借りて実施することができた。七大戦とは工繊、滋賀大、龍谷大、和歌山大、和歌山県立医大、奈良県立医大、もう一つどこか忘れた。ところでこの大会一体いつ頃から無くなったのだろう。。
(最近思い出しました。大阪経済大学だった様な気がします。)
小じんまりしたクラブだったから、結構わいわい楽しくやっていた。それと他校の女子大からマネージャーが入り初めてきたのもこの頃。女子部員とあわせて最高10人ぐらいいたときもあった。京都学生駅伝と学園祭が時期的に重なったときは結構大変だったが、マネージャーと女子部員が良く頑張って助けてくれた。それと文化祭の模擬店はその頃はアメリカンドックと決まっていた。いつから今のたい焼きに変わったのかと思っていたら、いつかのOB会で錦織さんが「私がたい焼きに変えました」って教えてくれた。ということは17,8年前ということか。。

この頃の人で今でも歴代10傑の1位に輝いている人が4人いる。400mの井上真也さん、110mHの大嶋健文さん、女子砲丸の若林智恵子さん、円盤投げの松山浩さんの4人。大嶋さんは昨年のOB総会に誘って参加した。卒業後21年ぐらい経つのに今も1位とは今さらながら強かったんだなあと思う。もちろん手動計時。 僕らの時代の誇りだ。ちなみに僕の800m歴代10位はいつまで残っておられるやら。。。

