エ ッ セ イ


−英知によって放棄すべきもの−


 大戦が終わってから、五十年の月日が流れた。人類の歴史にとってはほんの半世紀ではあるが、それはこれまで以上に意味のある半世紀であったことだろう。しかし、その間にも世界中で戦争は繰り返され、国家は勝利を得るために、より強力な兵器の開発に励み続けた。

 私は何度か、広島・長崎を訪ねた経験がある。そしてその度に、原子爆弾の悲惨さを保存する資料館へと足を運んだ。そこには、現在の繁栄する都市の姿からは、想像もできないような廃墟と人々の悲しみがとり残されていた。そして、地獄が存在したのである。また、国家と国家の戦争という枠では考えられない「世界と人類の存続を脅かす危機的な問題」が存在したのである。

 科学は戦争をより大胆にし、戦争は科学を発展させる。非凡な人々の頭脳は、多くの悲劇をつくり出してきた。核エネルギーの発見は、想像を超えた現実を、この世に浮かび上がらせる結果になったのであった。

 ときに人間は、正しく用いれば有益な道具を、知恵の未熟なために危険に使う子供のごとく、自らが制御できないものを、つくり、所持するものかもしれない。いったい「核兵器」という膨大なエネルギーを放出する怪物を、人間が本当にコントロールできるのであろうか。そのエネルギーはまた、放射能汚染を引きおこし、人類や他の動物の存続に警笛を鳴らすのではないか――。

 人間がそれを制御できるならば、なぜ『キューバ危機』が発生したのか。頭のなかで理解しているとおりに、人は行動できるものなのか。いつも正常に判断し、決して過ちをおかさないのか。放射能は目に見えず、浄化するには数十年、数百年という月日が必要ではないのか。核廃棄物の処理すら、もてあましているではないか。現在の人間たちが、人類の将来や、未来の人々の存在に対して責任を持ち得るのか。そして世界の人々が信じるように、「核」には本当に戦争を抑止する力があるのか――。

 私の答えはノーである。核が及ぼす未来への悪影響を考えたとき、これらの責任を人間が背負うには、あまりにも荷が重い。そして核は人間が一〇〇%確実に、安全に扱えるものではないのである。例え人間を形成しているメカニズムが理解できても、神でないものが人間をつくり出せないように、核による膨大なエネルギーや放射能を理論的には理解できても、不完全な人間が、それを完全には扱いえないのである。

 神は人間に考える力を与えた。時代はときに天才を生んだ。人間はその英知により、多くの有益なものをつくり出してきた。しかしその例外的なものとして、自らの制御能力を超えたものをも発見し、つくり出す結果となったのである。そしてそれを持ち、使ったのである。

 いまもう一度、核が持つ様々な問題を意識し、人間の英知を働かせ、人類の存続と未来を考え、そして神が与えた思考力を再び用いることによって、それらを完全に放棄し、封印しなければならない怪物であることを知るべきなのである。自然のなかに生きる生き物として、一種族として――。

 人間は経験に学ぶという。しかし、核戦争が一度起これば、経験に学び、改めることはできないであろう。人類の滅亡は、経験の消失であり、世界の消失なのである。



 


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