エ ッ セ イ


−香りのおもいで−


 思い出とは、とかく「映像的」だと思われている。「あの光景が目にやきついて――」と言われるのも、このあたりからきているのであろう。しかし実際は、五感のすべてを用いて、出来事の記憶を行なっている。

 私には忘れることのできない、『香り』についての思い出がある。それは、直接その香りに触れると思い出す、というものではない。私自身が感じようとすれば、いつでも思い出せ、そしてせつなく、懐かしい気持ちにさせてくれる、そんなものである。

 子供のころ、友達と裏山に隠れ家をつくった。林の中の小さなくぼ地に、ダンボールを敷いただけの粗末なものであった。捨て犬を拾ってそこにつなぎ、侵入者には落とし穴を掘った。そして日が暮れるまで、みんなで話をした。そんな誰もが持っている、子供のころの思い出がある。しかし、それらの何気ない日々の中で、ある冬の日の光景だけが、不思議に繊細さを保っている。

 その日もいつものように日暮れ時にみんなと別れた。冷たい風に耳が痛かった。家の明かりが見えたころには、ほとんど前が見えなくなっていた。木の塀を指でたどりながら玄関へと向かう。その時、かすかに開いた台所の窓から、部屋の明かりと共に、あの香りが流れて来た。それは味噌汁と大根、きざんだネギと炊きたてのご飯、そして火に掛けられた料理の、その温かさと合いまった、楽しく懐かしい香りであった。空腹の体に芯から響いてくるような、何とも良い香りであった。

 それらのシーンの一瞬一瞬が、今も繊細に残っている。しかし、その部分から後の記憶は、ほとんど思い出すことができない。

 最近、子供のころをうらやましく思うことがある。あの時代には頼れるものがあった。少なくとも大人は偉く、何でも知っていると思える存在であった。正しいことは間違いなく行なえると思っていた。しかし、自分が大人になった時、頼れるものはなくなっていた。正しい行動の指針などは、自分の経験と判断による以外、なくなってしまった。いつも行動に責任を持ち、注意を払って生きることが、とてもつらく思えるようになった。

 そんな時に私は、あの香りを思い出す。そしてそのたびに、あの光景が心に浮かんでくる。にっこり微笑んだ友達と、髪を束ねた母と、枯れ木ばかりの裏山と、あの日の冷たい風と、かさついて赤くなった、私の小さな手が――。

 それらが心に満ちあふれた時、あの時代に戻ることができる。


 
 


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