エ ッ セ イ


−新聞配達が導いたもの−


 私の左ひざには、子供のころにつけた小さな傷がある。それは新聞配達時に起こった、ある事件によるものだ。今もその傷をながめると、その時のこっけいな純粋さとなつかしさを感じる。

 小学4年から二年ほど、夕刊を配達した。どこの配達ルートにもあるのだろうか、その道順にも吠え癖のある猛犬を飼う家が三軒ほどあった。それらの「欲求不満犬」は、私の気配を感じるたびに鎖を切れんばかりにガシャと引っ張り、攻撃を加えてきたのだった。

 暑い夏が終わり、秋の空気が冬の気配へと変わろうとしていたある日の夕暮れ、いつものようにその難所の一つにさしかかった。注意深く新聞をポストへ入れようとした時、また欲求不満犬が私に戦いを挑んできた。しかし、その日に限って犬の鎖は放たれていたのである。私は背筋に冷たいものを感じると同時に、背を向けて逃げ出していた。そして次の瞬間、前へつんのめって転んでしまったのである。顔を上げて後ろを振り向くと、牙をむいて「ウーウー」うなっている顔がある。私は何が何だか分からず、足をピストンのようにバタバタさせてできる限りの反撃を行なった。どれぐらいの間、キックしたであろうか。気付いてみると、犬はあとずさり弱気になっていた。そしてその後ろには天の助けであろうか、騒ぎに気付いた飼い主のおばさんが、血相を変えてこちらへ駆け寄って来るのが見えたのだった。

 三十一才の今、その傷を見て思い出すことは、手に持っていた小石の入った破れた新聞と、飼い主のおばさんがくれた千円札、そして赤くにじんだひざと目に浮かんだ涙。そしてそれと同時に、恐かった犬と戦い退却させたその自信が、大人へそして男へと一歩近付いたと感じたことが、子供ごころに本当に満足であったことを、笑い話として思い出すのである。



 


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